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*瞑想スカイプセッション(個人セッション)
   連続セッション有り! 

見て、見て、見て!

2016年9月28日(水) by キヨタカ

夕食後にお茶を飲んで寛いでいたら、母から電話。
 
母:「見て、見て、見て!」
 
慌てた口調で、意味不明。
 
もしかして、ついに母も認知症に?・・・( ̄Д ̄;;
 
 
落ち着かせて、 よく話を聞いてみたら・・・
 
「NHKで瞑想をやってるから、すぐ見て!」
 
との事。
 
 
家にテレビがないので急いで駐車場まで行き、ワンセグTV付きカーナビをオンに。20160928_202916
 
NHKの人気番組『試してガッテン』で、瞑想の特集をやっていた。
 
内容は、8月の日誌で紹介した「サイエンスゼロ」似ているが、さらに一般の人向けに易しく瞑想が紹介されていた。
 
ボケを防ぎ、不安やストレスに負けない。
 
そんな若々しい脳を取り戻す方法として注目されているのが、めい想などの「呼吸法」です!
 
めい想というと、宗教や修行というイメージを持たれる方が多いかもしれませんが、本当の目的は「脳が持つ本来の力を最大限引き出すこと」です。
そのため今では、世界の一流企業や医療機関が、めい想を積極的に取り入れているほどです。
 
 
一番感動したのは、番組の最後に母と同じ年齢(93歳)の女性が登場したシーン。
 
「認知症になるのではないか?」と不安に怯えていた彼女は、簡単な瞑想を1ヶ月続けた結果非常に元気になった様子が放映されていた。
 
 
番組終了後に、母に電話したところ・・・
 
「これから毎日瞑想してみようかしら♬」
 
と、嬉しそうだった。
 
 
私が会社を辞めて本格的に瞑想に取り組んだのは、28歳の時。
 
それから30年以上、瞑想という言葉は母に取りタブーに相当するものだった。
 
「瞑想のせいで、お前は人生を棒に振ってしまった(。>0<。)」
 
「瞑想で世捨て人なんかにならず、もう一度まともな仕事に戻って\(*`∧´)/」
 
というのが母の口癖だった。
 
そんな母が、自分から「瞑想する」と言い出したのだから、驚いた。
 
 
「あれほど、瞑想に反対していたくせに(゚Д゚)ハァ?」
 
などと、野暮なことは言うまい。
 
瞑想に年齢は関係ない。
 
思い立ったが吉日とは、瞑想のためにある諺かも知れない。
 
 
勢いは衰えたとは言え、テレビの影響はまだ絶大なものがある。
 
日本の公共放送が、ゴールデンタイムに瞑想を紹介する時代になったのだから、素晴らしい。
 
今、我々の意識は大きくシフトし始めている。
 
今夜は、まさにそれを象徴する出来事だったように思う。

鹿児島で瞑想会!

2016年9月27日(火) by キヨタカ

お彼岸を過ぎたあたりから、急速に霊的波動が高まった。
 
特に夕方以降になると、不可思議な未知のエネルギーに満たされて、通常のマインドが消えてしまう。
 
いつもリトリートの直前になるとこうなる。
 
来週末に3デーズ・リトリートがあるので、その影響ももちろんある。
 
 
だが、どうやらそれだけではないようだ。
 
地球的規模で、それが起こりつつある感じがする。
 
この日誌を読まれている方なら、おそらくほとんどの方がそれに影響されているはず?
 
人によっては、ノーマインドの境地を味わったり、神聖な次元に満たされたり・・・
 
また別の人にとっては、事故や病気や解雇等々、波動の高まりとは真逆の状況に直面しておられるかもしれない。
 
しかし、その背後にこのエネルギーが関わっている事は、私にとってはもはや疑いようのない事実。
 
それを証明しようとしても、難しいけれど・・・(^-^;
 
 
このエネルギーに乗って、新しいイベントを企画した。
 
その第一弾として、鹿児島での瞑想会が11月に行われる。
 
九州方面に住んでおられる方は、ぜひ参加して下さい!
 
11月12日(土) ナイトイベントat 鹿児島
 
11月13日(日) デーイベント at 鹿児島

瞑想をすれば、幸福になるヽ(´▽`)/

2016年9月24日(土) by キヨタカ

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 「瞑想をすれば、幸福になるヽ(´▽`)/」
 
それを信じて、長い間瞑想に取り組んで来たが・・・
 
やはり、いつも幸福という訳にはいかない。
 
幸福な時もあれば、不幸な時もある。
 
 
しかし、瞑想を通して解った事がある。
 
幸福な時は幸福な私が在り、不幸な時は不幸な私が在る。
 
幸福や不幸は、来ては去っていく。
 
その背後には、常に変わらぬ『私が在る』
 
 
変わらぬ私が在ればこそ、思い切り幸福を楽しみ、思い切り不幸を悲しめる。
 
人生はドラマだ。
 
喜劇を楽しみ、悲劇を悲しむ。
 
私はその主役であり、観客でもあるのだ。
 
 
私が主役である事がわかれば、観客が喜ぶドラマを演ずる事も可能となるだろう。
 
そうすれば、人生に責任を取り主体的に生きる事ができる。

フルムーンナイトイベントの感想

2016年9月23日(金) by キヨタカ

 昨晩、実家から修善寺に戻る。

実家では、都合で日誌を書けず遅くなりましたが、先日行われたナイトイベントに初参加されたKさんの感想をアップします。

ちょうどフルムーンと重なり、なかなかパワフルでした。

* * Kさんの感想 * *

先日のフルムーンナイトイベントの感想です。

初めの瞑想は私にとって時間が短かった事もあり上手く入れなかったのですが、その後のノーマインドと、笑い泣きの効果が凄かったです。

残っていた未消化の感情が下から上がってきて溶けていき、全てを許せると同時に全てを幸せにしたいという感覚に満たされていました。

まさに慈悲。

許すのに理由はいらないとハッキリ自覚できたのが成果です。

その後の瞑想ではスムーズに入れると思いきや、嫌〜な感覚に包まれて終わってしまいました。

禅定ちょっと手前で時々、この嫌な気持ち悪い不快な感覚に包まれる事があるのです。

未だ解消しきれていない凄いやつが深くにある事を予感されて怖いですけど(^^)

結局の所、私がキープする事に努めているこの「自分」がプレゼンスで合っているのか解らなかったのですが、これからはお酒を控えて家でも瞑想しようと思った次第であります。

機会がありましたらまた参加させていただきたいと思います。

ありがとうございました。

 

* * *

初めて瞑想会に参加されて・・・

『全てを許せると同時に全てを幸せにしたいという感覚に満たされていました。』

という体験をするのだから、驚いた。
 
時代は加速化しているんだな〜と、しみじみ思う。
 
 
瞑想とは、潜在意識の奥底に潜む無意識の層を浄化していくプロセスとも言える。
 
より深く瞑想が進めば、それだけより深い無意識の層が表面に浮上する。
 
だから、『この嫌な気持ち悪い不快な感覚』が現れたという事は、それだけ深く瞑想が進んだ事であり素晴らしい!
 
 
『潜在意識に隠された感情は、意識の表面に浮上する事で初めて消え去って行く』
 
というスピリチュアルの原則を肝に銘じて、ぜひとも瞑想を続けていって欲しい。
 
通常は、 不快な感覚が意識の表面に現れそうになると、テレビを見たり、お酒を飲んだり、ありとあらゆる事をして、その感情と直面するのを避けようとする。
 
そうした行為は、不快な感情に押しつぶされるよりはマシとも言えるが・・・
 
残念ながら、そうしている限り、その感覚はいつまでたっても潜在意識に残る。
 
 
今回のナイトイベントを契機として、ぜひとも瞑想という新しいアプローチからそうした感情から逃げずに向き合って欲しい。
 
こうした瞑想のプロセスを続けるうちに、やがて来ては去っていかないもの、つまりプレゼンスも自ずと明確になるだろう。
 
思考や感情に左右されないプレゼンスこそが、真の自由の始まりだ(*^-^)

活動再開のお知らせ!

2016年9月15日(木) by キヨタカ

 無事にリトリートを終了!
 
本日より、リーラスペースの活動を再開しました。
 
未知のエネルギーに満たされて、この幸せを皆さんに分かち合いたくてハートが疼いています;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
 

一時休止のお知らせ

2016年9月8日(水) by キヨタカ

突然ですが、個人リトリートのためリーラスペースの活動を本日より1週間一時休止させて頂きます。
 
9月15日(木)より活動を再開します。
 
瞑想会&リトリートの申し込みメールは受け付けておりますが、お返事は15日(木)に致します。
 
よろしくお願いします。

ゆったりとくつろぐ

2016年9月5日(月) by キヨタカ

 『今・ここ・にいる』

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スピリチュアルをほんの少しでもかじっていれば、誰もが聞くスローガン。
 
英語で、『Be Here Now』
 
悟った人は、いつでもどこでも 『今・ここ・にいる』という。
 
なんと素晴らしいではないか!
 
ニューエージの元祖ラムダスは、このタイトルの本を出版し、世界的なニューエージブームを引き起こした。
 
私も、若かりし頃に夢中になって貪り読んだ記憶がある。
 
そしてラムダス同様に、グルを求めて海外に旅立ち、瞑想修行に邁進したのである。
 
 
しかしながら、これほど人を惑わす言葉もあるまい。
 
実存レベルでは、いつだって私は 『今・ここ・にいる』。
 
生まれてから、ほんの一瞬たりとも 『今・ここ・にいる』状態から離れたことはない。
 
しかるに、『悟り』を求めて、修行すればするほど、『今・ここ』から離れてしまう。
 
東京に住んでいる人が、修善寺を求めて旅する事は出来る。
 
しかし 修善寺にいる人が修善寺を求めて旅に出ると、修善寺から遠ざかってしまうのと同じ だ。
 
 
じゃ、どうしたらいいかと言うと・・・
 
わずかに3つのステップしかない。
 
1、まず自分が既に修善寺にいる事に『気づく』事
 
次に、
 
2、温泉にでも入って修善寺で『ゆったりとくつろぐ』事
 
そうすると、次のステップが自然に訪れる。
 
3、ハートが開いて、『私が在る事の喜び』を存分に味わえるようになるのだ。
 
 
この3つのステップこそが、 『今・ここ・にいる』ための秘訣だ。
 
特に最近は、第2ステップの『ゆったりとくつろぐ』事の重要性を再認識している。
 
日常生活を、『ゆったりとくつろぐ』ことで・・・
 
ストレスが減り、食べ過ぎが減り、体重が減り・・・
 
 
忘れ物も減る・・・
 
はずだ\(;゚∇゚)/
 
PS 気づきのステップなしに『ゆったりとくつろぐ』と、眠りこけてしまうので要注意!

ここにいる

2016年9月4日(日) by キヨタカ

 「忘れ物をしないようにしよう(* ̄0 ̄)ノ」
 
なんだか小学生レベルの決意だが、そう決めてから半月経過。
 
少しは改善したようだが、少し油断するとすぐに元に戻りそう(ρ_;)
 
 
どんな時に忘れ物をするか、自己観察中だが・・・
 
忘れ物をする時は、いつも「先の事を考えている時」のようだ。
 
「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」
 
昔流行った交通標語だけれど・・・
 
ず〜っと昔の小学生の時から、無意識に急ぐ事を強いられてきたような気がする。
 
私の周りの人々は、みんなどこかに向かって急いでいるように見えた。
 
周りが急ぐので、自分も当然急がなければならないと思う。
 
どこか到達すべき目標があり、そこへ急いで到達する事が大切だと教えられた。
 
 
みんな、どこへ向かって急いでるのだろう?
 
「短い人生、そんなに急いでどこへ行く?」
 
そんな疑問が高じて、社会をドロップアウトして瞑想修行を始めた時の事を久しぶりに思い出した。
 
 
人生とは、今ここにあるものであり、どこかに向かうものではない。
 
死にはせぬ どこにも行かぬ ここにいる 
 
  たずねはするな ものはいわぬぞ
 
一休禅師の歌だそうだが、もう一度深く味わいたいものだ。

断捨離

2016年9月1日(木) by キヨタカ

今日の午後から、部屋の断捨離を断行中!
 
押入れの中には、もう絶対に着ない衣服などが堆積している。
 
本棚には、もう読まない本や必要のない書類が山積。
 
数年前に断捨離を断行して、部屋がとてもスッキリしたはずなのに、いつの間にか元の黙阿弥状態となり・・・
 
我ながら、呆れかえっている(ρ_;)
 
 
子供の頃から、片付けが大の苦手。
 
母親も非常に苦手で、実家は不用品で溢れかえっている。 
 
「親のDNAをそっくり受け継いでしまったから、片付けられないのも仕方ない」
 
と、ずっと言い訳をしていたけれど、責任転嫁をするのはもう止める事にした。
 
 
思い切って不用品を処分しようとするたびに・・・
 
「もしかしたら、必要かもしれないゾ!」
 
とマインドが頑強に抵抗する。
 
普段はあまり意識していなが、断捨離をすると、いかにモノに執着しているかが如実に現れる。
 
断捨離が、今の私にとって最高の瞑想だ。

プレゼンスの弊害?

2016年8月31日(水) by キヨタカ

 自我は絶えず、『他人からどう思われるか』を気にする。
 
そもそも、自我はそれ自身をダイレクトに知る事が出来ない。
 
なぜなら、人間の感覚である五感(視・聴・触・味・臭)は外側に向かって開かれているから。
 
そこで自我は、必ず周囲の人間の反応を通して自己イメージを形成する。
 
しかし、他人の反応をベースにしている限り、絶対的な安心感は得られない。
 
自我そのもに、絶対安心の境地は在りえないのだ。
 
 
五感を通して、他者に向かう意識(気づき)のベクトルを逆転させた時、驚くべき事が起こる。
 
気づきが気づきそのものに気づく。
 
それが、ステート・オブ・ブレゼンスであり、真我の目覚めの始まりだ!
 
プレゼンスは、それ自身で完結している。
 
だから、『他人からどう思われるか』を気にしなくなり、生まれて初めて本当の自由の境地を味わえる。
 
 
しかし、それはまだ始まりに過ぎない。
 
次のステップは、このプレゼンスをビーイングへと手放して、遍在するする気づきへと広げる必要がある。
 
すると、とても穏やかで寛ぎに満ちた気づきへとシフトしていく。
 
そうすれば、自己の中心軸を失う事なく、もう一度気づきのベクトルが外側に向かうようになる。
 
そして、絶えず周囲にも自然に気をくばる事ができるようになる。
 
 
・・・とは言うものの、プレゼンスのみを修行してしまうと、周囲への配慮が欠けてしまう弊害が起こる。
 
ひどくなると、自我がプレゼンスを隠れ蓑にしてしまう。
 
だからプレゼンスを修行すればする程、自我が強化され、よりエゴイスティックになってしまうのだ。
 
 
瞑想修行が熱心な人ほど、その罠に陥りやすい。
 
私の場合も、プレゼンスの修行をやり過ぎたようで、プレゼンスの罠に落ちた。
 
それはエゴイスティックな罠とは違い、周囲への無配慮という罠だ。
 
周囲にはあまり振り回されなくなったけれど、周囲への気づきがさらに欠けてしまった。
 
 
例えば、子供の頃から、忘れ物の多いキャラクターだった。
 
プレゼンスの修行を始めたら、その傾向に拍車がかかった。
 
気づきそのものに全エネルギーを注いだ結果、周囲への気づきがさらに失われてしまったのだ(ρ_;)
 
 
だから、最近は意識的に気づきのベクトルをもう一度外側に向け直す努力をしている。
 
それは努力というよりも、『より自然な寛ぎに満ちた周囲への配慮』なのだが・・・
 
子供時代に形成された条件付けというのは、治すのは難しい。
 
 
あいかわらず、失くし物の名人だけど・・・
 
最近、少しだけ忘れ物をしなくなったように思う。
 
変化は微々たるものだけれども、『子供時代の物忘れ⇨老齢化⇨記憶力低下⇨さらなる物忘れ⇨認知症』という自然の流れに逆行して少し改善しているのだから、
 
本人は大満足(o^-^o)

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