究極のリラクゼーション

2012年1月25日(水) 晴れ by キヨタカ

やまねの家での瞑想カウンリングが無事終了して、再び実家に滞在中。

瞑想カウンセリングの前日の夜、やまねの家で瞑想会があり参加した。
参加者の多くが古くからの友人達で、とても素晴らしい瞑想会だった。
参加者の中に、私の古くからの友人のS&Pのカップルが参加。

この2人は、品川でボディワークスクールを長年運営している。
最近はボディワークの秘技を伝授する事にも力を入れており、テレビ局が取材に訪れたり等々、大活躍している。
Sさんとは20数年前からの付き合いで、一緒にボディワークセンターを運営したり、一緒に瞑想センターで働いたり…etc.

瞑想会の後での食事会で母の介護の話をしたら、さっそく休日を利用してわざわざ実家までボディワークをしに来てくれた。

実は昨日まで、一日の大部分をベッドでテレビを見ながら過ごしていて、このままでは認知症になるのではないかと非常に心配していた。

彼らは以前にも何度か遊びに来てくれた事があり、気心の知れた母は大喜びでセッションを受けた。

母の症状(座骨神経痛)に関しては、その治癒に関して非常に自信を持っていて、母も安心して2人に身を委ねていた。

セッションが終わってしばらくすると、なんと母が元気に立ち上がって、足取りもしっかりと歩き始めたのには驚いた。

20年間ボディワーク一筋の道を歩んで来ただけあって、「マッサージ通もうなる究極のリラクゼーション」テクニックの効果に、私もヨガビもうなってしまった。

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しかし母がわずか数時間でこんなに元気に回復したのは、彼らの技術もさる事ながら、真冬なのにぽかぽかと春の陽気を漂わせる彼らのエネルギーフィールドにある事は間違いない。

セッションの後、ノンアルコールビールで乾杯して、母の回復を皆でお祝いした。

「愛が究極の癒しである」とOSHOは説いているが、まさにその教えをそのまま実行している彼らに、心からの敬意と感謝を捧げますheart

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命日

2012年1月19日(木) 曇り by キヨタカ

修善寺に戻ってから修善寺日誌を…と思っていたのだが、現在も相変わらず実家にて母の介護中。
本人は歩けない他は元気だが、一日中テレビにかじりついている。

今週末は、やまねの家で瞑想カウンセリングがあるので、明日施設に母を預けて東京へ行く予定。

ところで今日は、OSHOの命日。
1990年1月19日の事だから、あれから22年の歳月が流れた事になる。

28歳で会社を辞めてOSHOの下で本格的に探究の道を歩み始めてから、最初の7年間は殆ど海外で過ごした。
OSHOが肉体を離れた当時は、2年半もインドに滞在していて、母とは殆ど音信不通だった。
その後も母の世話をするという事は、全くと言って良い程なかった。

「親孝行 したい時には 親はなし」
という言葉があるが、今になってようやく親孝行の真似事が出来る。

反逆の仏陀という異名がある通り,OSHOの講話はかなり過激なものがある。
結婚制度や家族制度に対する辛辣な批判は、社会的な条件付けで窒息寸前に陥っていた当時の私にとり、大いなる救いだった。

だから、結婚はおろか仕事も家族も全部放棄して全てを光明に捧げたつもりだったが、今こうして実家で母と一緒に過ごしているとは…。

人生で起る事は全て必然があって起っていると言うが、こうして毎日親と向き合う事で、インドでOSHOの講話を毎日聞いていた時以上に学ばされる事が多々ある事に驚いている。

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眠れぬ夜

2012年1月8日(日) 晴れ by キヨタカ

「昨晩は一睡も出来なかった」と母が言う。
「夜中に何度か様子を見に行ったけど、ぐっすり熟睡していたよ」と言っても、信じてくれない。

最近は昼頃にならないと起きないし、起きてもよく居眠りをするので、夜眠れないのも仕方がないと思う。

なるべく日中は起きている様に、昼間ウトウトとうたた寝する度に母を軽く揺すぶって起してみるのだが、その都度「眠ってなんかいない。ずっと目を覚ましていた。」と主張する。

頭は非常にハッキリとしていて、認知症の疑いは全くない。

しかし、母を客観的に観察してみると明らかに眠っているにも関わらず、「目を覚ましている!」と頑強に主張するのが、なにやらとても可笑しい。

眠っている時は無意識だから、当然眠っている事には気づかない。
だから、「目を覚ましている!」と思い込むのも仕方が無いのかも知れない。

眠っているにも関わらず、目を覚ましていると思い込むのは、別に母だけの事ではない。

マインドの中にいる事は、一種の夢を見ている状態だ。

だから「マインド=自分」と思っている限り、眠っているにも関わらず目覚めていると錯覚しているわけで、母となんら変わらない。 

探究者の中には、覚醒を真摯に追求しながらもなかなか覚醒が起らず、相変わらずマインドに支配されている自分を嘆き悲しむ人々が大勢いる。

しかし、眠っているにも関わらず覚醒したと思い込んでいる人々よりも、遥かに良い状態にいる。

だから、覚醒出来ないという嘆きは、覚醒が近づいている何よりの兆しと言えるだろう。

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賞味期限切れ

2012年1月7日(土) 晴れ by キヨタカ

実家には冷蔵庫が2つある。
母は一人暮らしなのに…
しかもぎゅうぎゅう詰めでその半分以上は、「賞味期限切れ」だ。

昨日姉夫婦が訪れて、夕食の時間となった。
ベットに臥している母が「夕食のおかずにコロッケを買って来て!」と言う。

「年末に伊豆から持参した干物を出したら?」というと、「一人で暮らせる様になったら干物を食べたいので、あれはそのままにしておいて」と宣わく。
干物以外にも食料品が山の様にあるにもかかわらず…だ。

病人を刺激したくないので、言われた通り買い物に出かけた。
どうせ沼津の干物の事は忘れてしまうだろうから、かくして冷蔵庫には賞味期限切れの品物がまた一つ増える。

だから、新鮮な食料品を買っても、冷蔵庫に入れるスペースがほとんどない。
そしてキッチンのいたる所に、いつ買い込んだのか解らない食料品がゴミとなって堆積していく。

お昼のワイドショーの定番に、「ゴミ屋敷のレポート」があるけれど、実家もそれとあまり変わらないな〜と、自分の事は棚に上げて、呆れ返っている。

母は、戦後の食料不足時代を身をもって体験した世代なので、やむを得ないとは思うが…

しかし、人間のマインドと実家の冷蔵庫は殆ど同じだな〜と妙に感心している。

マインドとは過去の経験が蓄積された記憶の貯蔵庫だ。

過去に必要だった事、未来に必要かもしれない事のデーターが山積している。

しかし過去や未来に必要なデーターに捕われると、「いま・ここ」に必要なデーターが埋没してしまう。

「今・ここ」に必要なデーターは「今・ここ」にあり、それはつまり「空っぽなスペース」に秘められている。

だから、マインドという冷蔵庫のスペースは「空っぽなスペース」にしておく方が、実際の役に立つ。

「今・ここ」から、臨機応変に対応する事が出来るのだ。

江戸時代の様な伝統社会ならともかく、予測不能な歴史的な大転換期の時代にあっては、過去に役立った事柄が未来にも役立つとは限らないどころか、未来への障害となる事も多い。

マインドと冷蔵庫はなるべくスペースを空けておいた方が良い。

私と言う観念、つまり過去の記憶としての私とは、賞味期限切れの干物の様なものだ。

思い切って捨てたいものである。

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明けまして おめでとうございます。

2012年1月6日(金) 晴れ by キヨタカ

 明けまして おめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いします

* * *

いよいよ、待ちに待った2012年が到来した。
世界的にも個人的にも 大激変が予想される。
あらゆる側面で 予測不可能な事が起るだろう。

破壊的な出来事もたくさん起るだろうが、それは新しいものが創造される為には絶対に必要な事。
痛みに満ちた事柄も、その出来事の背景にある必然性を知り過去を積極的に手放す事で、喜びに満ちた新しい世界を創造する事が可能となる。

…と言う訳で、新年の高尚で皆様のお役に立てるヴィジョンを日誌にアップする予定だったが…

昨年末に私の母(90歳)がギックリ腰で動けなくなり、介護生活に突入したため、まだ実家に滞在中。
「大激変」が早くも私の私生活に起こり、このままだと「修善寺日誌」ではなく「母親介護日誌」となりそうで…angry
とても新年のヴィジョンをアップする余裕がない。

母は「入院は絶対いや」と頑強に主張し続けている。

一人ではトイレにも行けないので、このままだと修善寺はおろか、東京での瞑想カウンセリングやイベントも不可能になりつつある。

しかし大変有り難い事に、最近は行政の福祉サービスもそれなりに充実してきた。
市役所の福祉課に相談したところ、さっそく親切な介護ケアマネージャーを手配してくれた。

介護マネージャーから、短期滞在型介護施設がある事を教えて頂いた。
そうすれば、必要な時にだけ母を施設に預ける事で、私も物理的な自由を獲得出来る。
母も「それならいい」そうで、一安心。

瞑想とは「内的自由の獲得」なので、例え刑務所の中に入っても問題ないはずなのだが、しかしやはり物理的な自由も大切なものだと今はしみじみと感じ入っている。

本日施設担当者と介護マネージャーが実家を訪問してくれるので、詳細を打ち合わせる予定。

少なくとも、東京のイベントに関してはクリヤー出来そうで、大変嬉しい♡ 

自由万歳!!

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あと2時間

2011年12月31日(土) 晴れ by キヨタカ

 今年も、あと2時間足らず。

実に様々な出来事がありましたが、過ぎてしまえばみな夢の如し。

来年もまた宜しく!

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見えぬけれどもある

2011年12月29日(木) 晴れ by キヨタカ

 あなたは真我だ、仏だ、神の分霊(わけみたま)だ、と言われても、最初は信じられない。
周囲の人々を見ても、自分を見ても、煩悩丸出しのエゴの塊だけが見える。

しかし、ちょうど昼の星の様に、「見えぬけれどもある」のである。

正しい時節が到来すれば、やがてそれは誰の目にも明らかになる。

…しかしまだ時節が到来する前にそれに気づいた人は、眠りこけた人々には思いもよらない苦悩を味わう事になるのだろう。

大正末期〜昭和初期に活躍しながら26歳という若さでこの世を去った金子みすゞ
の詩を読みながら、今という時代に生まれる事の出来た幸せを噛み締めている。

 
<星とたんぽぽ>

青いお空の底ふかく、
   海の小石のそのやうに、
   夜がくるまで沈んでる、
   昼のお星は眼にみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。

   散つてすがれたたんぽぽの、
   瓦のすきに、だァまって、
   春がくるまでかくれてる、
   つよいその根は眼にみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。

 <私 >

   どこにだって私がいるの、
   私のほかに、私がいるの。

   通りじゃ店の硝子のなかに、
   うちへ帰れば時計のなかに。

   お台所じゃお盆にいるし、
   雨のふる日は、路にまでいるの。

   けれでもなぜか、いつ見ても、
   お空にゃ決していないのよ。

        〜『金子みすゞ全集』(JULA出版局)〜

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ナイト・プラクティス

2011年12月28日(水) 晴れ by キヨタカ

母が「ギックリ腰」で寝たきりとなったため、例年より早く帰省し、今は実家に滞在中。

母の症状は予想通りかなり悪くて、一人でトイレに行けない。
特に夜中に何度かトイレに行く必要があり、その都度介護が必要なため、「ナイト・プラクティス」を実践する事態となっている。

私がインドでアジズのリトリートに初参加したのは、今から11年前。
当時は「ナイト・プラクティス(Night Practice)」と言う、非常にパワフルな瞑想が行われていた。

これはリトリート中に夜の瞑想が終了後、就寝中の真夜中の午前2時頃に起きて瞑想ホールに集合し、30分程度瞑想して、また就寝するというもの。

睡眠を強制的に中断して目を覚ます事により、マインドという夢からの目覚めを加速化させるテクニックだ。
確かに非常にパワフルで、エネルギー的にも異様にハイになる。

しかし、不眠症や身体的不調等の副作用が起る弊害もあり、アジズは数年後には中止してしまった。

ナイト・プラクティスを始めとして極端な修行系の瞑想は、未成熟な果実を無理矢理もぎ取る様なものだ。
例え覚醒が早まったとしても、結果的にその人の成長が歪んでしまう可能性がある。

ちょうど熟した果物が自然に木から落ちる様に、瞑想という果実もなるべく自然な形で成熟させる方が望ましい。

特にフーマンは、そうした修行は「探究者のエゴを助長してしまう」と警告していた事もあり、ナイト・プラクティスはあれからやっていない。

しかし、今回は思わぬ状況で、ナイト・プラクティスが復活したのである。

全て起る事は必然であり、この世に偶然はないと言う。

今夜も、何度かナイト・プラクティスを行う事になるが、私にとって必要な事と肚をくくり、楽しもうと思っている。

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メリー・クリスマス!

2011年12月25日(日) 晴れ by キヨタカ

 メリークリスマス!

震災の影響で、今年のクリスマスイブは家で過ごす人々が8割という話だそうだが、私達は毎年近所の喫茶店でケーキとコーヒーを飲んでおしまい。

最近はダイエットに精進しているのでケーキもなしにしようと思っていたが…
ダイエットの反動も怖いので、体重が12キロ減ったお祝いを兼ねて、今年はシャンペンとシュークリームを買って、家でお祝いした。

ついでに軽いノリの映画を見ようという事になり、ディズニーSFファンタジー映画「トロン・レガシー」をレンタル。

1982年の映画の続編だそうで、子供向けの内容とばかり思っていたが、コンピューターゲームとは全く無縁の人生を歩んで来たせいか、ストーリーについて行く事にちょっと苦労した。

ヨガビは「攻殻機動隊」の大ファンで、この手の話は大好き。
だから時々ヨガビの解説入りで、最後まで楽しむ事が出来た。

ディスクを投げ合って試合をする感覚なんかがよく解らず、「なんで銃や刀などの武器を使わないの…?」とヨガビに質問して、呆れられた。

どうも、最近の若者の感覚とはかなりのズレを感じるのは、私の歳のせい?

歳をとっても、頭が固くなっても、…にもかかわらず私は在るという事で、クリスマスイブを楽しんだ。


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いのち

12月24日(土) 晴れ by ヨガビジャ


今日、本館の瞑想ホールのガラスに当たって墜ちたらしい鳥が1羽いました。
ウグイス色の鳩みたいです。(あとで調べたらアオバトという鳥らしいです)

私の足音を怖れて飛び立とうとしますが、ジャンプしてはすぐに落ちてしまいよろよろと歩いて遠ざかろうとします。
どうも右の羽根と足を傷めているように見えるのですが、このままではノラネコに襲われてしまうかもしれず、とりあえずそっと捕まえて手で包むようにヒーリング(?)していましたが、しばらくしたらやはり逃げようとします。

あまり逃げたがるので傍らにあったテーブルに置いてあげたら、パタパタと2、3メートル飛んでまた地面に降りました。

Photo_2 とりあえず、この鳥の意志を尊重してそのままそ
 っとしておくことにしましたが、念のために遠隔
 でヒーリング波動を送り(送れてるのかは不明)
 あとは(普段そんなこと思いも寄らないけど)
 精霊や妖精に「この子のことお願いね♪」と言っ
 てその場を離れました。

 数時間後、もうそこにはいないことを願いつつ
 戻ってみると同じ所でうずくまっていました。

 陽は傾いてくるしこのままにはできなくて、一旦箱に入れて富士見荘に連れて行き暖めてお水をあげることにしました。富士見荘の玄関に着いて羽にのっている落ち葉をとってあげようとしたら、私の手を口ばしで突つき警戒心からか抵抗します。

実は夕べ「4つのいのち」という映画を観ました。

放牧をしているおじいさんがある朝亡くなり、同じ朝おじいさんのやぎの群れで子やぎが生まれ、成長したその子やぎは初めての放牧で迷子になって大きな木の根元で短い生を終える。その大きな木は村の祭りのために伐り出され、祭りが終わると炭になって村人に家へと運ばれる。

これだけのことを一切のセリフはなく、長閑な小さな村の景色や自然の映像だけで淡々と語られていました。人間、動物、植物、鉱物(炭)という4つの命を通して、すべての生命のつながりを描き出す映像詩というのでしょうか。

この映画を観たせいもあるかもしれませんが、今目の前の鳥が私を警戒する姿に生命としての尊厳のようなものを感じました。
死は生の一部にすぎない。
いいものでも悪いものでもない。

Img_3903_2 Img_3910_2 
 
 
 
 
 
生にしても死にしても、
この鳥が怖れることなく穏やかでいられますように
という想いがやってきました。

可哀想という想いは傲慢なのかもしれない…

富士見荘からそっと見守っています。

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