曖昧につらつらと
9月3日(金) 晴れ by ヨガビジャ
昨日は沼津へ出掛けました。
目的の時間までかなり余裕があったので、久しぶりに沼津市立図書館へ寄りました。
夏休みも終わり、人が少なく静かで涼しいことを期待してのことでしたが、予想通りでとても快適な時間を過ごすことができました。
昨日はあまり活字を見たい気分ではなかったので、3階のオープンブースでDVDを借りて観ることにしました。
そこで見つけたのは「もののけ姫」。
最初に観たのは何年も前だけど、とても良かったのでまた観たいと思っていました。同じ映画でも何年も間をおくと自分も変化してるし、感じるものも違うでしょうから。
最近は3Dの映画が上映されるようになり、「アバター」でその臨場感と美しさに感動したのは、まだ記憶に新しいです。
本当にあの幻想的な森の中に自分がいるかのようでした。
「もののけ姫」は1997年の作品です。
でも、その映像の美しさは「アバター」にも引けをとらないと感じます。
「もののけ姫」は2D、つまり平面で表現された作品に関わらず、木漏れ日の光、透明な空気、透き通った水の冷たさ、しっとりとした苔の質感、たたら場の乾いた空気や匂い等々…。
五感に感知するあらゆるものが画面から溢れて、観ている私を包みます。
これは「アバター」と似ているのですが、どこかが微妙に違う。
私見ではありますが、浮世絵の大胆な構図や平面を立体化する折り紙、平面で構成する着物など、日本人は元来、平面への表現方法や目的、認識が他の民族とは異なっていたのではないかと感じています。
西洋の絵画を観ると、遠近法が発見されて以来、肉眼に写る世界をそのまま、あるいは美化して矛盾なく平面の上に表現しようした時代がありました。
でも日本人は、目に映ったそのものの正確さや意味より、その「印象」を表すことの方に重きを置いていた気がします。
「印象」というのは曖昧です。
一貫性がありません。
それは観る側がどのようにも受け取ることができます。
日本的表現においては、作者自身が観てもらいたいものに意図をのせ積極的に全面に押し出すのではなく、作者の受け取った「印象」に特定の形(結果)を与えず曖昧さをそのままに、あとは受け手の感じるに任せる、そんな感覚を覚えるのです。
「アバター」は美しいけど、そこにあるのはひとつの完成された美しさ。
「もののけ姫」にあるのは、曖昧さゆえの不安定な美の揺らぎ。
それは物語によるところも大きいと感じますが…
神、人、自然、、
善とは、悪とはなにか、結末は……
すべては曖昧のうちに落ち着く先はなく、ただ物語は続いていく・・・
人生と同じように。
長文になりましたが、私自身伝えたいことが曖昧なまま書いたので、読まれた人も意味不明かも。
失礼しました。<(_ _ )>
| コメント (0)











最近のコメント