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防御をやめたら

1月21日(月) 曇り by ヨガビジャ

今日は夕べからの雪が降り積もり、窓の外は真っ白です。
さぞかし富士山の白さも裾野の方まで下りてきていることと思いますが、今日はあいにくの曇り空で富士山を目にする事ができません。

最近私たちは月に1回のペースで東京へ行き、ある研修(道場)を受けています。実はきのうも夜遅くに伊豆に戻ってきました。

その道場の感想として書いた文章をここに転載します。


*****


『自分を守らなくてもよくなったら、人が見えて来た』


私は子供の頃、積極的・社交的な姉に対して消極的・無口なことから、学校では「消極的でおとなしすぎる、もっと明るく」と評価されていました。

自分でも他の子供たちのように明るく・積極的になろうと思い、何度も学期やクラスが変わるたびに新しい自分に生まれ変わろうと努力しました。
でも、結局それはいつもうまくいきませんでした。

そしていつしか、自分を変えようという努力はやめてしまいましたが、消極的で無口な自分、人と同じように振る舞えない自分を、自分で許せなくなり、常に居心地の悪さを感じていました。

それが次第に、こんな私はまわりの人からは受け入れられていない、非難されている、という感覚にエスカレートしていきました。

そうなると私は自分を守る為に、まわりの人たちを批判しなければならなくなり、孤立無援の中、一人取り残された感覚の中で長い間過ごしてきました。


・・でも、結局このことは、
「自分が自分自身を受け入れていない」ことを周りの人に投影していたのだと気づきました。


昨年初めて道場に参加して以来、すべての道場で共通している私にとってのチャレンジは、「ありのままの自分として在る」ということでした。

だから毎回道場では、全体の中の自分として、「この自分は受けいれられているか?」 ということに敏感でいました。
そして回を重ねる度に「大丈夫」なんだ、という感覚が自分の中に広がっていきました。

このようにリラックスして「場に在れる」ようになり、相手への批判という防御が必要なくなったことで、ひとりひとりの人の美しさが見えるようになってきました。


自分が開いていないと相手の美しさは見て取れないのだと思います。
そして「自分が開く」には、「いわれなき恐怖(という幻想)」(私の場合は受け入れられていない)を手放なさなければならなかったようです。


今世界では、この「いわれなき恐怖」のため、自分を守る為には戦わなければならないという「幻想」の中で人々は生きているように思われます。

誰も自分を責める人はいないし、人を責める必要もないんだ、という事にすべての人が気づいたら、この世はただちに地上天国となるのではないのしょうか?


今回の道場を終え、こんなことに想いを馳せました。

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