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行動の原動力3

お葬式当日、瞑想関係の友人が思った以上に集まり、8名ほどの親戚の方が
違和感を感じられるのではないか?という気掛かりがありました。

なぜなら、喪主であられるご主人は、亡くなったTさんの望む通りにしたいとの
意向を強く持っておられ、この葬儀(というよりお別れ会)をどのようにする
かは、私たちに任せるとまで言っておられたので・・。


私はできるだけ親戚の方に失礼のないよう、そして友人たちにも (一般的に
似つかわしくない言葉ですが)この大切な機会を「楽しんで」もらえるように
行動したいと思いました。


そして、お別れ会は私の気掛かりをよそに、とても自然に、
彼女の好きだった音楽とともに流れるように過ぎていきました。
 
 
・・・貴重な体験でした。


あらゆる場面において、自分の成すべき事をする。

それを意図し、強い意志でもって遂行することもできる。


でも今回、Tさんが肉体の苦痛から開放されたことで、平和と喜びが私のハート
に溢れ、それが原動力となって自然な行為になっていました。


どんなに忙しくても、疲れていても、困難さにも臆する事なく進んでいける。

自分の「なぜ私が?」「でしゃばり過ぎなんじゃない?」という、 コロちゃん
(マインド)の声すら気にならない。
 
 
私にとって「ハートこそが強さと行動の原動力」と感じられた出来事でした。
 
 
 
最後に、Tさん、ほんとうにありがとう。

あなたは人生の最期の最期に、一番大きなギフトを私たちにくださいました。


それは、、

愛を思い起こさせてくれたこと。

私たちはどんなに離れていても、繋がっていること思い起こさせてくれた。

そして、あなたは私の内にいることを教えてくれた。

あなたを思うと喜びが溢れる。


あなたの肉体は去ってもなにも変わっていない。

ありがとう、としか言えない。

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コメント

Tさんからの贈り物


こんにちは、キヨタカ、ヨガビジャ。

 Tさんの葬儀が終わって、今でも静かな喜びが続いています。彼女のことを思うと至福がやって来て、とても幸せな気持ちになります。

 生前に、その人から教えられたり、気づかされたりしたことだけが贈り物ではなく、その人の死もまた贈り物なのでしょう。
 
 肉体の死を通してしか教えられないこと、与えられないことというものがありますからね。

 今回のTさんの死、葬儀は、私たちにとって、とてもすばらしい贈り物でした。

Tさん、有難う。

アクランク、ありがとう。

贈り物を、素直に受け取れる自分でありたいです。

>Tさんがボディを離れてから、なにかハートにほのかな喜びがあり、
>こういったお世話ををさせていただける事に感謝と喜びを感じていました。


よがびじゃさん、わたしもです。
わたしも、やはり、感謝と喜びを感じていました。

お客さんを駅まで車で送った帰り道、「この一連のできごとは、ほとんど流れるように、進んでいった。でも、ほんとにTは、天国で喜んでくれてるかしら?」と思いながら、でも、もしそれが不確かであっても、こうして皆とTへ心を添えられる時間をもてたこと、自分のTへの気持ちを表現させてもらえる機会を得たことへの喜びを感じつつ、「自分のしたことが、何かのお役にたてたのだとしたら、神様、心から感謝します。」とつぶやいたのを覚えています。


よがびじゃさん、なんだか、楽しかったですね。


Tは、肉体を離れて、一層存在感を増し、死は幻想だということ、今は喜びと光でいっぱいなんだということを、教えてくれてました。

それは、ただそう感じられるだけでなく、Tとのつながりは、私のことを癒し浄化してくれたようで、少なからず、私にも変化がもたらされたことに、驚いています。

>よがびじゃさん、なんだか、楽しかったですね。

そうなんです、楽しかったですよねっ。(^-^) 

だから、ありがとうとしかいえないの。

あの時、親戚の方も瞑想の友人も、たくさんの人がいろんなことをそれぞれに受けとった(感じ取った?)と思います。

Tさんも神さまもすごい! 完璧です!!

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