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2009年3月

おめでとう!!

2009年3月31日(火)  晴れ  byキヨタカ


本物の目覚めを志す者にとって、「ステート オブ プレゼンス」の概念は非常に重要だ。

最初にそれを一瞥する事がまず第一関門。

それを通過したら、次に絶えずそれを想い起こす(そこに戻る)プロセスが必要だ。
いわゆる「ステート・オブ・プレゼンスの安定とか確立」と言う事である。

アジズは当初、「確立」という事を強調していたのだが、だんだん言わなくなった。
それには理由がある。

「確立」と言うと、マインドはただちに未来を創り出す。
さらに、一部修行者の間で「確立」という言葉が受験に合格したかどうかみたいなゴシップになり、本来の趣旨から逸れてしまったからである。
日本人生徒の間に特有の現象で、アジズは日本人のメンタリティーに首をかしげていた。
(これは、受験戦争に象徴される日本の教育制度により形成されたメンタリティーだと思う。)

この「確立」というのは、修行者に道なき道を歩ませるための一種の方便だ。
言うまでもなく「プレゼンス」とは今にあるものだから、それを目標にしたとたんにそれを見失う事になる。
ちょっと考えれば、中学生でも解る理屈だ。

しかし「アジズとの対話」の熱心な読者の中には、「確立」を目指して今に寛ぐ事を忘れてしまう人も多い。

今回参加されたTさんもその一人だった。
真実に対する探求は非常に熱心で、「アジズとの対話」はもう何百回も読んだそうで、キヨタカ以上にその内容に詳しい。

しかしど〜しても「確立」にこだわり続け、ず〜っと悩んでいた。
そんなTさんを思うと、あの本を出版しなければよかったかな〜と思ったくらいである。

そんなTさんから、非常に嬉しい感想が届いた。

Tさん曰く、答えを受け取りました!


おめでとうございます!!
ぜひぜひ、またリトリートにお越し下さい♡

* * *

リーラスペースの皆様へ
 
今回リトリートの参加を決めた理由は、ここ何年もずっと悩み続けてきた問題、つまり自分の進むべき道が完全に分からなくなってしまったことにあります。

アジズの教えに深い感銘を受けたものの、ステート・オブ・プレゼンスを確立できない自分に対する失望と、プレゼンスを確立できなければ先に進めないという思いが常にあり、どうしていいのか分からない状態でした。

修善寺に行けばなにか答えが見つかるのでは?それが参加の動機です。
そして答えを受け取りました。
それも予想もしなかったような形で。

たしかにリーラスペースは恩寵の光が訪れる、数少ない不思議なフィールドだと感じています。
そして今、自分には一点の迷いもありません。
自分の進むべき道を発見したからです。
まだ次回、リトリートに参加できることを楽しみにしています。
 

ボディサットバ

2009年3月30日(月)   晴れ by キヨタカ

 世界に天と地があり人間に男と女がある様に、探求者も「世の為に何か貢献したい」と探求する人と「徹底的に自分の為」に探求する人がいる。

瞑想に関心のある人は内向的でまず自分が目覚める事を優先するが、外交的で世の為に、、という人は、「天命」に関心を向ける人が多い。

もちろん人はそれぞれユニークだから明確な分類は出来ないが、私は「瞑想」と「天命」の両方の人々と関わっているので、その違いがとても大きくて面白い。

瞑想家が自己を目覚めさせようとするのは当然だが、そもそも自己を目覚めさせようと最初に志す動機が何か、が非常に大切だ。

禅では、「発心正しからざれば、万行空しく施す」(最初の志が正しくなかったら、どんなに努力しても無駄になる)と言われている。

正しい発心とは何か?
瞑想で自己を目覚めさせて、結局どうしたいのか?という根本である。
そう自分を問いつめて行くと、結局は「世の為人の為に、、」という所へ行き着くのかも知れない。

瞑想家が自己の目覚めのみならず人の為にも貢献出来る場を創れたら素晴らしい、と常日頃夢想しているのだが、、。
そのためには、ボディサットバの存在が欠かせない。

言葉で上手く説明する事がまだよく出来ないのだが、瞑想する人々が集う事でそれが各自の内的成長になり、かつ自然に社会にも貢献出来る場が出来ればいいな〜と思っている。

今回のリトリートでは、私と同じ志を持つMさんがリトリートに参加してくれた。
Mさんは「瞑想」と「天命」の両方を積極的に探求しているユニークな存在であり、ボディサットバの一人だろう。

* * *

リーラ瞑想リトリートに参加して

 今回のリトリートで得たことは、「ハートやビーイングの中にも気付きの質があってステート・オブ・プレゼンスは重要だけれども、それにこだわりすぎないで、自分の特質であるハートにくつろぐ方向性でいいんだな」と確認できたことでした。
 
 気付きの弱い自分が日常生活の中にプレゼンスを持ち込むことに限界を感じていたので、ほっとしたと同時に、進む道が見えてきました。
 
 それから、過去の心理的トラウマを「超えていこう」と決心したことです。今まで、十分すぎるほど痛みを感じ続けたので、もう手放すことに決めました。その瞬間、ものすごいエネルギーの発散があってびっくりしました(息をすったとき仙骨を上げ、吐くときに下げというワークの後に、仰向けになったままめちゃめちゃな言葉を発するというワークの時に起こった)。
 
リクタさんのボディーワークのときに伝達してもらったこと。「それでよい」ということ。「不完全な自分を認め許す」ということ。それは「他の人を許し、与えること」でもあり、さらに「男性エネルギーを使い人に働きかけること」。
 
 今、志天道場に参加しているんですけど、メンバーの方から先日、野口法蔵という人が書いた「これでいいのだ(天才バカボンのパパのセリフ バカボンってサンスクリット語でブッダという意味なんだそうです)」という本を贈っていただいたんです。リクタさんにダメ押ししてもらってようやくメッセージの意味を理解できました!
 
 今回のリトリートは参加人数も多くて、瞑想の初心者の人や長年やっている人もいたし、性格やバックグラウンドもさまざまな集団で、かなり凸凹感がありました。いろいろあった中で、みんな一生懸命でしたし、それに影響され自分も2回にわたるダイナミックをがんばれました。最後のセッションで皆で座った場は本当に美しかったです!!凸凹の美しさとでもいいましょうか。固有の特質が出ていました。
 
 何度か「悟り」についての議論がありましたね。「悟った人」と「そうでないひと」という分け方は無意味ではないでしょうか。
だって、進化に終わりはないのですから。
そして、その道は一人ひとり固有のもので、時に今回のリトリートのような場で交わる同志と袖ふれあってまた分かれていく。その中でシェアできるものを最大限できたらなんてすばらしいだろうと思うし、キヨタカさんとパルバさんたちはそれをしてくださいました。
感謝の一言です。

 だから、悟らなければ~という考えはナンセンスだと僕は思います。だって、キヨタカさんたちがトライしていることは「人を導く」事ではなく「人をエンパワメント」することだから。キヨタカさん「盲人が盲人を導いたら川に落ちるかもしれない」って例え話をしていたけれど、僕は仕事柄、全盲のカップルが協力しながら一生懸命生活しているのを知っています!ましてやお二人は存在からの恩寵を受けているのですから何を恐れることがありましょう!!

 時代が加速度を増していくにつれリーラスペースのような場を必要とする魂がどんどん増え、さらに多様なキャラクターをもつ人たちが集う場になるのではないでしょうか。

だとしたら、今回のようなリトリートにもリード役としてのキヨタカ&パルバに加え参加者として四隅を囲んでくれる瞑想の経験があって、場を創造することに喜びを感じるボディサットバの質を持つひとの存在があるとチューニングしやすくなると思います。
こう考えるとメキキのシステムってうまくできているなーと思います。

 ずいぶん長々と書いてしまいました。おまけになまえきにもサジェスチョンまで・・・失礼しました。書いてみて、あらためて実りの多いリトリートに参加したと気付きます。

 最後に、キヨタカさん、パルバさん、陰でいつも支えてくれるヨガビさん、キッチンスタッフの皆さん(本当においしかったです!)、リクタさん、Pちゃん、参加者の皆さん、本当にありがとうございました!!

M

神仏の加護

2009年3月28日(土) 曇り by kiyotaka

 リトリートが始まる数日前になると、「曰く言い難い何か」がリーラスペースを訪れる。
その影響で、明らかに意識状態が変化しクリヤーになる。
リトリートが始まるとさらにそれが強まり、夜寝ていても眠れなくなる。
リトリートが終了して数日すると、徐々に通常の意識状態にもどるのだが、、。

あれはいったい何なのか、いつも不思議に思う。

神仏は自己の内側にあり、それを目覚めさせるのが瞑想である事に疑いはない。
しかしリトリートを開くと、「曰く言い難い何か」がどうやら外側からもやってくる様なのだ。

宗教心の篤い人々にとっては、「神仏の加護」とか「守護霊・守護神に守られている」という事で、当然の事として受け入れている事柄なのだろうか?
私は既製の宗教概念は蹴っ飛ばしたい方なのだが、いくら蹴っ飛ばしても、肌で感じる体験は否定のしようがない。

瞑想は知を越える所にその真髄がある。
知的に理解しようとする事を止めて、不可知(Un-Knowable)の領域としてそのままにしておくのがベストだと思う。

今回のリトリートでは、神仏の加護が目に見えるくらいに素敵なオーラを放つYさんが参加してくれた。

不可知の存在が、不可知の理由でもって、リーラスペースに必要な参加者を送り込んでくれている事だけは間違いない!

Yさん、参加してくれて有り難う。

* * *

きよたかさん、パルヴァさん、スタッフのみなさま〜♪
昨日までのリトリートでお世話になったYです。

とても貴重な体験をさせていただきました。
ありがとうございました。

すべてが初めてのことで、期待と少々の不安を持ちながらも、みなさまの暖かい導きと、美味しいご飯、気持ちのよい温泉!
美しい富士の山、自然に囲まれたスペース。
その中で、新しく生まれ変わる体験をさせていただきました。

あのような環境に、足を運べることになったGちゃんとのご縁に感謝し、みなさまと出逢い、魂が触れ合えたことに心から感謝しています。

ワークの中で、いろいろ感じられましたが、シェアさせていただいた話の他に、クンダリーニ瞑想の後に感じたエネルギー次元の上昇のような体中にみなぎるパワーを感じました。

ディクシャーの後には、それを上回るエネルギーが体中をうごめき、震えがきました。
愛のワークの時には、自分の体から千本の手が生えてきたような千手観音様のイメージが・・・

ダイナミックやクンダリーニのセレブレーションでは、アマノウズメのイメージが・・・
私の道TAOを彩る神仏たちが、祝福と共に訪れてくれました。

とにかく、言葉に表してしまうと、かすんでしまうような輝きの体験を、下のような文章にまとめて、自分の仕事のHPのブログで紹介しています。

読んでいただいて、もしまずい箇所などがあればお伝えください。
本当にありがとうございました。

また、お逢い出来る日を楽しみにしています。
みなさまによろしくお伝えくださいませ。

愛と感謝を込めて☆Yより

↓ 以下は Yさんのブログでの体験記です。
皆さん、ぜひクリックして読んで下さい!

LEELA〜神の遊び〜(March 23, 2009)

ビッグバーン!

2009年3月27日(金)  晴れ by キヨタカ

 「芸術は爆発だ!」とは、岡本太郎の有名な言葉である。
しかし、私はあえて言おう。

「瞑想は爆発だ!」

果たして、人が自分の内側にある「宝」を発見した時の喜びに勝るものが、この世にあるだろうか?
自分が存在する事の有り難さと喜びが溢れ出て、文字通り「爆発」が起こるのである。

この内なる宝には値段がつけられないが、リトリートのオリエンテーションで、私はよく「30億円」に例える。
ジョークに思われそうが、私は本気だ。
本当はもっと価値があるので、次回は「60億円」に値上げしようかと思っていたら、参加者のNさんから「60億円」との自己申告があった。

みなさんも、自分の「内なる銀行口座」に60億円あるのを発見したら、「ビックバーン」が起こる事は間違いない。

ただししっかりと「気づき」を保つ事、それから「浄化」のプロセスを経ないと、23歳の時の私の様に「○×病院」のお世話になる可能性があるのでご用心。

リーラスペースの瞑想リトリートでは、「気づき」と「浄化」をしっかり行うので、「ビックバーン」が起こっても心配は無用だ。
ビーイングに寛いだまま、至福に満ち溢れたダンスがひとりでに起こるだろう。

但し瞑想家の体験する本当の「ビッグバーン」は、実は「爆発:explosion」ではない。

内側が静かに爆発的に広がる感覚だ。
OSHOはExplosion(爆発)の替わりにImplosion(内爆発)という造語を用いたが、非常に的を得た言葉である。

あなたは、現象世界と言う外側ではなく内側の「永遠の今」へ向かって、静かに爆発して行く。

その爆発し広がって行く先は、「永遠の今」であり「生死を越えた場所」にある。

だから、それが究極の「アンチ エージング」と言えるだろう。

以下は、Nさんの感想である。

* * *

キヨタカ・パルバ・ヨガビジャ・スタッフの皆様

リトリート、ありがとうございました。
様々な気付きをいただきました。

今、身体は花粉症の再発で、絶不調ですが、心は波立たない落ち着いた状況にあります。

3日目のダイナミック瞑想の祝祭のステージは本当に感動的でした。
ただただ、涙が流れ、感涙の嵐、涙と汗と鼻水でぐっちゃぐっちゃになりながら踊っていました。
根源にどんどん近付き、根源そのものの中に在り、ビッグバーンをまさに躍った観がありました。

50過ぎてダイナミック瞑想は無理かと思いましたが、結構できてしまっていましたし、今日も、筋肉痛などありません。

ジャンピングのステージも重心を上げる方法とバランスを整える方法《金銀》を使うといとも簡単でした。
爆発のステージでは、怒りの感情がこんなにも多いのかとびっくりしながらいましたし、驚きとか戸惑いの感情など、表現の難しい感情とも対していました。

どうやら、肉体を見つめる自分・思考を見つめる自分・感情を見つめる自分これらを観じることができ、つなげることができそうな感覚です。
それがビッグバーンであったのかもしれません。

それにしても 前夜はほとんど眠ることができず、温泉とホールで過ごしていました。
寝不足で、5時間近いドライブは難しいと思い、午前中で帰らせていただこうと考えていたくらいでした。
そのことが、ブリージングの跳躍を拒否させたのかもしれません。
いつも、ブリージングでは光の園まで入っていけるのですが。

ハートの呼吸法も素晴らしいものでした。

ビーイングの深める方法で下へ下へ下がっていく瞑想はエージングとも関連しているようで、姿勢がどんどん崩れていってしまうので、途中でやめてしまいましたが、アンチエージングとの関連で他のビーイングの手法があったらなと考えました。

究極のリラックス=死 である以上、ビーイング=エージング ととらえてようのでしょうか?

今回はまさに気付きの修行でした。
昨日帰宅したのは午後11時30分でした。
途中、中央道で事故渋滞に巻き込まれ2時間ほど止められていましたが、今ここの感覚が、何も焦りを感じることなく暗い車中で過ごせました。

さすがに、家に着く最後の1時間くらいは高速なのに60キロ位に速度が落ちてしまい、意識が落ちる寸前の状態での帰宅でした。

様々な気付きがあり、それをそれと観じられる部分が少し増えて帰宅できたようです。

ありがとうございました。

                N

PS 30億が倍くらいになったかもしれません

* * *

↑Nさん、参加して頂き有り難うございました。

次回のゴールデンウィークリトリートでは、「300億円」に値上げします!

*「バランスを整える方法《金銀》を使う」とは、歯科医であるNさんが発見した画期的な方法です。
 詳細を知りたい方は、Nさん著「金の力 銀の力」を購入して下さい。

通勤電車瞑想家

2009年3月26日(木)  晴れ時々曇り  by キヨタカ


一般に、瞑想とは非日常の世界であり非常に怪しい、と思われがちだ。
しかし瞑想に慣れ親しむ様になると、それは忙しい現代人にとって「正常」に戻る必要不可欠の手段である事が解る。

もし可能なら一日2回、朝晩一定の時間をとって瞑想を行うのが望ましい。
ちょうど「歯磨き」の様に、日常生活の一部として組み込まれる様になるとしめたものだ。

遅かれ早かれ、ダイレクトに「生きている喜び」を感じる様になるだろう。

しかしこの一日2回という事だが、一日わずか30分でも毎日となるとなかなか実行するのが難しい。

私の様に自由業で自然の中で生活している者ですらそうなのだから、都会で多忙な生活を送る人々にとっては至難の業かも知れない。

しかし今回の参加者Mさんは、東京の某大手新聞社で超多忙な生活を送りながら、朝晩1時間の瞑想を欠かさず実行している!

Mさんの主な瞑想修業の道場は、通勤電車の中だそうだ。
Mさんによると、他にも「通勤電車瞑想家」が全国的には多数おられるのではないかとの事だ。

ちょっと信じられないが、都内の丸善という大手書店には新装版「アジズとの対話」が平積みに置いてあったとか?
もしかしたら、瞑想による意識進化が既に始まっていて、世界の大変動が水面下で進行中なのかも知れない。

↓は、「通勤電車瞑想家」Mさんの、リトリート体験記です。

* * *

リーラスペース御中

 昨日までの3日間、大変にお世話になりました。今朝から再び通常の会社勤めに戻っています。
リーラスペースに伺うのはこれで3度目ですが、参加するたびに自分の「目覚め」へのステップが飛躍していくことを実感します。
1日を経た自分の復習を兼ねて、長々と恐縮ですが感想をお伝えします。

 今回もまた極めて貴重な体験的理解ができました。
気付きを保ちながら周囲の世界を見渡すように感じ取ると、そこには青空のような「意識の場」と、海のように深遠な「Being(存在)」だけが、ただ遥かに広がっている。

そしてその「空」と「海」が接する辺りに、自分の思考や周囲のもの音、そして色々な現象的な出来事が波のように立ち現れては消えていく——。
これが、この世界の真実の在り様であることを垣間見ました。

 ニサルガダッタ・マハラジの『アイ・アム・ザット』の中で、一人の質問者にマハラジがこんな受け応えをしています(多少意訳します)——

質問者「私は、全く忘れ去っていたことを突然思い出すように理解したのです。『私』とは、これまで自分が考えていたものではなかった。私は知覚されるものでも、知覚する者でもない。私はただ知覚することだったのです」

マハラジ「知覚することでさえない。だが、それらすべてを可能にするものだ」

——1年ほど前にこの一文を読んだときには、「こんな想像も及ばぬ意味を、僕は生涯かかっても全く理解できないだろう」と思いました。
ところが今、「それはこういうことなのか!」と、その一端を確かにつかめた自分がいます。

 今回のもうひとつの尊い体験が、ハートのワークです。
自分や他の参加者が声を上げて吐き出した嘆きや苦しみ、悲しみ、そして喜びなどのあらゆる感情。そこに(まさに瞑想ホールの中に)何か女神のような美しく荘厳なエネルギーが降り注いで「ありがとう、愛しています」と包み込み、これまで感じたこともないほどの深い慈しみの中で感情や記憶が昇華されていく。

痛ましくも思える過去のすべては、この計り知れぬ「愛」の祝福を受けるために起こっていた——(どうがんばっても文章で説明しきれません)

 これを瞑想中に一瞥したとき、あまりの素晴らしさと有り難さに、ただただ涙を流しながら手を合わせるしかありませんでした。
多くの本に「宇宙の本質は『愛』のみである」といったことが書かれていますが、それはまさにこういうことなのかと、胸いっぱいになる体感とともに知りました。
「百聞は一見にしかず」といいますが、それ以上に「瞑想は百見にしかず」です。

 また今回の参加者の方々との出会いも忘れられないものです。
帰りの電車で数名の初参加者の方と一緒でしたが、話を聞くと、僕が個人的に毎日実践している「通勤電車瞑想」を2人の方が行っているといいます。さらに僕は仕事中にトイレに行くときに「気付き」や「呼吸」を思い起こすことを心掛けているのですが、全く同じことをしている方もいて驚きました。

 まるで離れた島に住むサル同士が初めて対話をして、「私いつもイモを海水に浸けて食べてるんだよ」「えっ、あなたもそうしているの!」と互いにびっくりした感じです。小さな出会いに、世界の大変動すら予感させられます。

 たぶん『アジズとの対話』を読むなどして、自己流で日々探求に努めている「ビジネスマン兼・通勤電車瞑想家」が、全国的に相当いるのではないでしょうか。
そんな「道友」の方々と、ぜひ近くリトリートでお会いしたいですね。
リーラスペースのますますの発展を祈念します。

第3回リトリート終了

2009年3月25日(水)  曇り時々雨   by キヨタカ

 第3回リーラ瞑想リトリートが無事終了、後片付けもそこそこに今日は東京へ日帰りの用事が、、。
でも忙しいという感じはなく、充実しているという感覚の方が強い。
ようやく自己の天命を生き始めた感じが確実にする。

さっそくHさんからリトリート参加の感想メールを頂いたので、転載します。

今回のリトリートはHさんの様にリーラスペースに来るのが始めての方がとても多かったが、リトリートが終わる頃には別人の様に眩しく輝いていた。

魂の輝きが誰の目にも明らかだ。
主催者冥利に尽きる。

Hさん来てくれて有り難う。
最終日の午前中のワークが延びて、昼食なしでリクタのボディワークを受ける事になってしまいゴメンね。

* * *

リーラスペースの皆様

こんばんは、今回のリトリートに参加させていただきましたHです。
非常に内容の濃い2泊3日をすごさせて頂きましてありがとうございました。
リトリートの感想をご報告致します。

まず、サイレンスで過ごすというのが非常に楽でした。
ただ自分の気づきにだけ集中していれば良いというのが
とにかく楽で、この方が自然なのではないかとさえ思えました。

なぜかサイレンスの中で気づきを保つというワークが
妙に馴染みのあるものに思えました。

2日目の午後からビーイングのワークに移行していきましたが、
プレゼンスがくつろぐところが、「今」「ここ」で、それがビーイングだという説明が、
すごくしっくりきて、どんなふうに瞑想に取り組んで行けばいいのか
プレゼンスとビーイングに関しては明確になったような気がします。

最後のハートの部分は、何となく良いものだろうなぁとは思いましたが、
明確に分かったという感じはなかったので、
また、どこかの機会にリトリートに参加させて頂きたいと思いました。

瞑想の中で一番印象に残ったのはやはり、ダイナミック瞑想です。

初日、初めての取り組みでしたが、ちゃんと第二ステージで感情が出て来きました、
胸に溜まっていたようで、泣きたいけど抑えた、というような感情でした。
と、そこまでは良かったのですが、第三ステージで飛んでいる途中から
腹に違和感を感じ吐きそうになってきました。
その後はただただ苦しく、第五ステージは祝福です。と言われても
祝福どころの心境ではありません。
早く終わってくれと思っていました。
また、終わった後はふくらはぎと背筋が張ってまともに歩けません。
二度とやりたくない、とまでは思いませんでしたが、
ダイナミック瞑想はしばらくは勘弁して欲しいと思いました。

しかし三日目の朝、リーダーがTシャツで出てきました、
そして、やっぱりダイナミック瞑想でした。
勘弁してくれと思いましたが、人生最後のダイナミック瞑想かもしれないと
励まされたので、観念して一生懸命やりました。

2回目もちゃんと第二ステージで感情が出てきました。
これはよく分からないのですが、武士だった時に妻子を殺されたが平静を装った。
その時に抑えた感情が出た、というように感じられました。
ちなみに武士だった覚えはありません。
不思議でした。

とにかく盛りだくさんでしたのが、今回教えて頂いたことを指標に
色々やっていきたいと思います。
ありがとうございました。

最後になりましたが、ご飯おいしかったです。

* * *

プレゼンスとビーイングの関係が明確になってよかったですね!
何十年も瞑想していても、関係が不明確な方々が大勢います。(私もそうでした。)
これが明確になると、瞑想がすごく深まります。

♡に関しては、瞑想の果実のようなものですから、今は焦らずに瞑想の木に水をやり肥料を与える事に専念して下さい。
やがて、そのおいしさを味わう季節がやってきます。

それにしても、ダイナミック瞑想で過去生の感情まで顕われてきたとは素晴らしい!
私が初めて取り組んだ時は、第2ステージで声を出す事すらためらいましたよ。
時代が加速化しているんですね。

首輪

3月17日(火) 晴れ by ヨガビジャ


以前に注文していたチーちゃんの「赤い首輪」が届いて、ずーっとここに写真をアップしたかったのですけど、写真を撮ろうと携帯を構えるとチーちゃんが寄って来て携帯にスリスリしてくるので、なかなか写真が撮れずにいました。

で、仕方なくキヨタカに抱っこしてもらってやっと撮った1枚。


200903141833000←これ。

 ネームタグには、

 『ちーちゃん 青柳 0558-74-1118』
 と入ってます。

 これで迷子になっても安心〜。。(^^;)

The Bucket List/最高の人生の見つけ方

2009年3月14日(土)  雨  by キヨタカ

映画「The Bucket List/最高の人生の見つけ方」を見た。

末期癌で余命半年と宣告された2人の男が、病院を抜け出して人生でやりたかった事を全てやり尽くすという内容。
名優ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの最高傑作の一つだろう。

Bucket とは俗語で、「死ぬとかくたばる」という意味だそうだ。
だからThe Bucket List とは、「自分が死ぬまでにしたい事のリスト」を意味する。

The Bucket Listの内容はそれこそ千差万別だろうが、その上位に「瞑想」とか「悟り」とかを揚げる人々はまだ世間では珍しいと思う。

ましてや、まだ悟ってもいないのに「瞑想を世間に広げる事」をトップに書く人物は皆無に等しい。

ところがその天然記念物的に珍しい人々が集まって、毎月交代で自分達の志を分かち合っている非常に奇特で不可思議な集まりがある。

それが「メキキ瞑想会」である。


16日(月)は、リーラスペースでもおなじみの田中ぱるば氏が再び登場する。
タイトルはWhy Meditation?
場所は渋谷の個の花ホールで午後7時からだ。

ぱるば氏は、既に瞑想本の翻訳家としてこの世界では高い評価を得ている人物だ。
そんな彼がさらに飛躍して、「瞑想リーダーとして広く世間に瞑想を広げる」事を志している。
なぜそんなにも無謀な事を!?

当日は、ぱるば氏が何ゆえに「天然記念物」になったのか、その秘密が明らかになる。
今からとても楽しみである!

余談ではあるが、ぱるば氏のBucket Listの上位には「キヨタカの葬儀委員長を努める」というのがある。

もちろん私のリストに「ぱるばの葬儀委員長を努める」とある事は言うまでもない。

まずそのリハーサルとして、当日(16日)は私が瞑想会の司会進行役を努める事になった。

皆さん、ぜひご参集されたし!

PS 参加希望者はリーラスペースまでご一報下さい。
   mail@leela.jp

晴天でした♪

3月13日(金) 晴れ by ヨガビジャ


今日は朝から雲一つない気持ちのいい晴天だったので、来週末に行われるリトリートの「布団干し」をしました。
本当は来週に入ってから干したかったのだけど、こんな晴天は今日1日だけで週間予報では下り坂なので止む得ないですね。。

200903121349000←これ。
 食堂棟の屋根から富士見荘をみたら、目の高さにぐるっと
 天城連山(かな?)が見えて不思議な感じ。
 ハワイや箱根の駒ヶ岳のてっぺんなど、空が大きい
 ところって大好きです。(ハワイと箱根を並べるの変?)
 空が近くて高いところが、子供の頃から好きでした。

春の日差しが気持ちいいから、布団を取り込む手を休め、しばし屋根の上に座ってぼーっとしてました。

チーちゃんもここにいたらきっと喜ぶだろうなあ〜・・。

今度誘ってみよっと。

誘う → 私が抱えて連れてくるんだけどね、ほぼ強制的に。。( ̄⊥ ̄)

垣根のむこうは…

3月12日(木) 晴れ by ヨガビジャ


先日の日誌に書いた瞑想セミナーの翌日、メキキの会が主催する「横浜夕食会」にキヨタカと出席しました。

メキキの会というのは、この日誌でもたびたび登場していますが、年齢・職業・宗教・思想など、、、あらゆる違いを超えてお互いの「志」をサポートし合い、「氣脈」で繋がろうという意図を持った会です。

以前、キヨタカやぱるばもこの「横浜昼食会」で瞑想家(?)として、これまでの人生を統合する講演を行いました。

今回はメキキの会会員で、ミュージシャンの小久保隆さんの講演でした。


小久保さんとはメキキの道場(セミナーみたいなもの)でご一緒したことがあります。

彼の存在は、ただ彼がそこにいるだけで「ほんわか♪」としたリラックスした場を生み出します。自然体で、寛いでいて、、ゾウさんみたいな感じの人です。


そんな彼の子供時代は、昆虫が大好きで、早起きをしては森で昆虫を探していたのだそうです。

ある日、お父さんと一緒に森に行った少年の小久保さん、ある木の前に来ると「ここにカブトムシがいるよ」と、お父さんに言ったそうです。

お父さんは「なぜわかるんだい?」と聞かれたそうです。

なぜなら、それは目に見えるからそう言っているのではなく、見えないけど「カブトムシがいる」と知っていたのだとか。
そして、その木を探すと必ずカブトムシはいるのだそうです。
それはほかの木でも、ほかの昆虫でもそうでした。

彼は、「見えなくても分かる」のだそうです。

そして子供でしたら、みんなもそうだと思っていて、他の人はそうじゃないと知った時は驚いたそうです。


そんな昆虫少年も、成長すると音楽に惹かれるようになり、中学生の時に新聞配達をしてお小遣いを貯め、ギターを買ったそうです。(1ヶ月の新聞配達してバイト代は1,300円だったそうで、差額はお父さんが出してくださったとか。。)

そして高校生になった時、ロックと出逢い衝撃を受けます。
この当時はまだ「ロック=不良」と思われる時代でした。
そして、音楽シーンはテクノ全盛期。

ありとあらゆる音を自由自在に生み出せる「シンセサイザー」に惹かれ、のめり込んで行きます。


(長くなるので少し省きます)


そんな小久保さん、大学生卒業が近づいても進路が決まらず、とりあえず大学院に進みアルバイトで音楽の仕事をするようになっていました。

その頃、仕事は次から次に入り、大学にはほとんど行かず音楽に没頭。
収入はかなりの金額に上りました。

でも、彼に依頼の来る仕事は流行に乗った「テクノポップ」であり、いくらこの仕事をこなしてお金になっても、自分の魂は喜ばない事を彼は気づき始めていました。

そして、自分の魂が喜ぶ音楽を探し始めたとき、彼がしたことは「必要のない音をとり除く」ことでした。

そして、極限まで取り除かれた音、
それはやがて、子供頃歩き回った森や、海や、鳥のさえずり、、といった自然音へと導かれていったのです。

今、小久保さんはジャングルや海、山、川、滝、、、
世界中のあらゆるところを駆け巡り、その現地の自然音を録音し、そのまま、あるいは自らの音楽と合わせた環境音楽作りに取り組んでおられます。


小久保さんの印象深い言葉。

「いろんな国の渚に行くけど「これだ!」と思える波の音が聴こえる場所は、
 なかなかないんですよ。波が砂浜に「ザーッ」って寄せてきて、そしてまた
 沖へと引いていくでしょ?
 その寄せては返すその一瞬に、音がない。そんな波があるんです。
 この音がすごく癒されるんです。」

この話を聞いたとき、「瞑想と同じ!」と思いました。

思考と思考のギャップ。
吐く息と吸う息のギャップ。


講演が終わり、キヨタカと小久保さんにご挨拶にいったら、開口一番、キヨタカも、私が考えていた同じことを小久保さんにぶつけていました。

小久保さん曰く、
「えー! そんなんですか!? 今度ゆっくりお話を聞かせてください!」

キヨタカは、これからも月に1度の道場で小久保さんとご一緒できるので、きっといろんな話題で盛り上がることでしょう。


つくづく帰りの電車で感じたのですが、このメキキの会が目指す「あらゆる垣根を取りはらう」ということは大切ですね。

仕事、家族、趣味、宗教、、、
私たちは自分の人生で、ある限られた範囲に身を置きがちですが、もう一歩踏み出して、まったく価値観も、仕事も、主義・主張も異なる人たちが集まる「場」に身を置いてみるのも、おもしろい経験だと思います。

人との違い、そのユニークさに感嘆すると同時に、深いところで共通するものが、たまに垣間見えたりもする。

表面的な違いに捕われず、その奥に自分と同じ魂としての相手を見る事ができたらいいですよね。
それは簡単な事ではないけど、トライするだけの価値のあるもの。
それが今、地球上で求められている事なのかもしれないですね。
 
堅い話になってしまいましたが、具体的に分かりやすく言うと、

瞑想ばかりしてきた私たちが、どこかの会社の社長さんを「さん」づけで呼び(時々あだ名で呼び捨て…( ̄∇ ̄;))…なんてありえないですよね、普通。

そして、ミュージシャンの小久保さんとの接点なんて、以前なら持ちようもなかったわけですから、時代は人と人との垣根を越え、ワンネスへと向かっているのではないでしょうか?


それにしても、小久保さんのお話はほんとうに楽しかった♪
彼がまた、とても嬉しそうに話されるんですよ。
そんな彼のハートがダイレクトに伝わってきて、
ハッピーでほんわかとした50分でした。

小久保さん、ほんとうにありがとうございました。。

瞑想セミナーを終えて

3月10日(火) 小雨のち晴れ by ヨガビジャ


先日、ある企業を対象とした1泊2日の瞑想セミナーが終わりました。

この瞑想セミナーの参加者は11名。
1名の方を除いてみなさん美容指導部員という肩書きで、女性の美をサポートするお仕事をされています。
お客様の対応はもちろん、各部署の社員を教育する立場の方々で、初めて体験される瞑想に大変熱心に取り組んでおられました。


私たちにとっても、企業向けに瞑想を分かち合うという経験は初めてで、当初内容を考えた時、参加される方の職業を考慮して「魂本来の美しさに目覚める」というサブタイトルをつけました。

瞑想の世界に足を踏み込む理由や目的は人それぞれですが、瞑想を行なっていく中で得られる副産物?とでもいえる効果には、リラクゼーション、明晰な意識、様々な状況にまつわる感情や思考との間にギャップが生まれるetc...など様々です。

今回、私たちひとりひとりの魂を取り巻く人格とも言うべき層を、カタルシスを伴った瞑想技法で浄化し、その奥底にある自己の魂の一瞥をほんの一瞬でもいいから参加者の方に味わっていただけたら、そう思っていました。

なぜなら、いろんな感情や思考に触れられることのない「自己の魂に深く寛ぐ」ことこそ、その人の、その人としての美しさが100%顕現される瞬間なのではないか?と考えたからです。

そしてその美しさは、その人のプレゼンス(実存)として周囲の人の知るところとなる。
そう、瞑想の質というものは自ずと伝わっていくもののように感じるのです。


この瞑想セミナーでは、まず参加者の自己紹介と自分の瞑想に対する想いや、このセミナーに期待することなどを話してもらい、次にキヨタカが、肉体・思考・感情とそれを超えたところにあるものを説明し、いくつかのエクササイズをしてからクンダリーニ瞑想に入りました。

ただみなさん、大変熱心な方たちでしたので、キヨタカの最初の説明にあった体験(理解)を得ようと、一生懸命に「それ」を探して、でも掴めない…という状態に陥っているようでした。

そしてやはりシェアリングにおいて、ちょっと「難しい…」という感じが伝わってきたので、初日の夜は予定を変更し、ナダブラーマ瞑想で音とバイブレーションを楽しんでもらう事にしました。

そして翌日の朝、ちゃんとカタルシスが出せるかどうかで悩んだのですが、ダイナミック瞑想を行ないました。

結果は、みなさんちゃんと出てました。

昨日のクンダリーニ瞑想では、踊るのが恥ずかしかったという意見もあったのですが、初めてのダイナミック瞑想であれだけ声が出せるなんて、かなり感動しました。
(私が初めてダイナミック瞑想をした時なんて全然ダメでしたから)


その後のシェアリングでも、ここまでのプロセスで、
「自分は強くて活動的だと思っていたけど、静かな人なのでは?」
「忙しくて頭を3つ持ってここに来た感じだったけど、頭1個になりました」とか…、表現は違っても、ひとりひとりが様々な体験されていることを確認することができました。

じつは、今回私が期待していたのはこの瞑想セミナーが、普段「これが私!」と思っているものに疑問を投げかけ、、、つまり「Who am I ?(私は誰か?)」を自分自身に問うきっかけになることでした。
そしてこのシェアリングで、私のその期待が叶えられつつある手応えを感じました。


最近のリーラスペースでは、自ら求めて来られる探求者を対象にリトリートを行なっていますので、瞑想の説明につい初心者には馴染みのない言葉を時々使ってしまったりと、、反省点はありますが、今回改めて瞑想の素晴らしさを、この企業研修を通して再認識させていただきました。

なにより、今回来られた11名の女性たちの表情が、ここに来られた時と帰られる時とがまったく違っていた事に感動しました。
よりその人自身がいきいきと表情に現れているといいましょうか・・。

一部の参加者においては、この2日間で起きた事を知的には理解できない、またはうまく表現できなくて、ちょっと不思議な感覚を持っておられるようでしたが、やはり瞑想とは(瞑想の体験とは)「これです!」と明確に言い切れるものではないのだと感じました。

無理に言葉にすれば、それはエッセンスから離れ違うものになっていく。

表現されざるものは無理に表現せず、その純粋性を保ちたいものだと思いました。

人の知りたい、理解したい、伝えたいという思いは、ある時期、あるプロセスにおいては必要であり大切なものですが、それはすべてに、もしくはいかなる時においても通用するルールのようなものではないのでしょう。
 
 
神秘は神秘として大切にそっとしておきたい。
そして、そっとしておいても、
それは花の香りが風に乗ってほのかに漂うように、
誰かのもとに届くのでしょう。

だからこそ、OSHOもフーマンも「This」としか言えなかった。


…数日が過ぎた今でも、様々な感覚を呼び起こしてくれる瞑想セミナーでした。ありがとうごうざいました。

3月4日(水)曇時々雨 by ヨガビジャ


実は明日から1泊2日で、ある企業向けの小さな瞑想会が行われます。

それなのに昨日は雪が積もってしまって、、、焦りました。

↓これ。

200903031747000_5
だって、今日は朝から買い物に行くつもりだったのに、雪が積もって路面が凍結したりしたら、車が出せない。。。(>_<) 


でも夕べ布団に入った頃から、「ドサッ!」と屋根や木から雪が落ちる音がしていて、今朝起きたら雪はほとんど溶けていました。

良かったです。
無事買い物に出かけ、明日には気持ちよく参加者の方を迎えられるでしょう。


イベントのことなどなにも知らないチーちゃんは、相変わらずのマイペースで私の後を追って来て、ゴロンと寝転んで「遊んで♪」のポーズ。
ところかまわず寝転がるから、ちょっと汚れてきたかな・・。( ・・ ?)

そのうち、キヨタカにザブザブと洗われちゃうぞ。ボソ( ̄。 ̄;)

いらなかった…?

3月1日(日) 雨のち曇 by ヨガビジャ


ここ数日、雨の日が続いていますが、今日からは3月。
そろそろ暖かな春の日差しを拝みたいものですね。。
(洗濯物も干せないし、大判のシーツも洗えないし…)

でも、富士見荘前の芝生の梅は今が満開。
モクレンのつぼみも日増しに膨らんできています。
確実に春は近づいてきていますね〜。
 
 
さて、実は通販で「あるもの」を購入しました。

そのあるものとは「自動給餌器」。
(要するにタイマー式の自動餌やり器)

私たちは月に1度、4、5日くらいキヨタカの実家に行くので、チーちゃん用に購入しました。でも本来屋内で使用するものなので「水に濡れると故障します」と書かれています。

でもチーちゃんは半ノラネコ。
私たちが留守の時は外で生活をしているので、屋外に設置しなければなりません。それで選んだ場所は、キヨタカがウィンドサーフィンの道具を置いているコンクリート打ちっ放しの所。
扉も窓も付いていませんが、奥の方なら雨露は防げるはずです。

でも、念には念を入れて、自動給餌器を段ボールに入れてカバーしようと思い、倉庫で段ボールを探しましたが、微妙に高さが足りません。
それで、段ボールを改造して三角屋根にして高さを作り、自動給餌器をその中に収めようとしてできたのが下の写真。

200903011328000←どう?
久しぶりの工作、けっこう楽しかったです。
「でっきるかな♪でっきるかな〜♪さてさてふむ〜♪♪」(↑歌詞、正確には知らない…)なんて懐かしい音楽が脳裏をよぎりました。見ての通り、段ボールの都合で三角屋根ならぬ、緩いM字屋根になりましたが、細かいことは気にしない性分なのでこれでよしとして、あとはビニールでも被せておこうかなって思います。 
 
 
・・と、自己満足していたら、、、
 
 
 
あ”ーー!! チーちゃん、メジロ食べてるー!!!( ̄□ ̄;)!!
 
朝ご飯あげたのに===!
 
 
玄関脇に、メジロの残骸が・・・。(T_T;)

最近、梅の木にメジロたちが来るようになっていたんです。。。
 
 
 
・・・・自動給餌器、いらなかった・・・?(ー’`ー;)

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