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2009年7月

正しいタイミング(リトリートの感想)

2009年7月31日(金) 曇り by キヨタカ


 物事には、全て「正しいタイミング」というものがある。

今回の「恩寵の扉が開くまでⅡ」は、フーマンに言われてから6年も経ってしまった。
出版をためらっていた理由の一つは、アジズとフーマンから学んだ事の違いを咀嚼するのに、私自身かなり時間がかかったからだ。

しかしこの本の出版は、今が「正しいタイミング」だったのだとつくづく思う。
この本の出版を後押しする目に見えない存在の力を、最近とても強く感じるからである。

2000年秋にアジズが来日して以降の数年間は、リーラスペースのリトリートは、ステート オブ プレゼンスやビーイングの修行を徹底的に行うものだった。

10日間のリトリートや、ナイトプラクティス(真夜中に起きて坐る修行)、禅寺を借り切ってのリトリート等々、ハードではあるが今となっては懐かしい思い出がたくさんある。

リトリート中に、毎日アジズと連れ立って地元の旭滝という名所へ通い、一緒に滝業をした。
時には、ステート オブ プレゼンスがどうしても解らない参加者も同行して、滝業による強烈な一瞥を得させたりしたものだ。
プレゼンスに集中し過ぎて、リトリート中に失神した強者もいる。

フーマンの来日以降は、リトリートのエネルギーが恩寵の方向へかなりシフトした。
しかしフーマンは参加者を限定した事もあり、その恩恵を直接受け取れた方はかなり少ない。

修行から恩寵へのシフト、と言っても、実際にフーマンのワークに触れないとなかなか伝える事が難しい。
特にアジズのワークのみに専念された方にとっては、戸惑いを感じる人も多かった様だ。

2005年のゴールデンウィークはフーマンのリトリートの筈だった。
しかし来日がキャンセルとなったため、マスターなしのリトリートが開催された。

当時の私はまだ瞑想リーダーとして立つ自信や責任や使命感がなく、「ファシリテーター」という名目でリトリートを主宰した。
その中で、「修行から恩寵へのシフト」という事を伝えようとしたが、まだ力量もなくて、あまり上手く参加者に伝わらなかった。
未だに誤解したままの参加者もおられる様で、残念に思う。

当時の参加者の一人にMさんがおられた。
アジズやアナンダに感銘を受けて、「ステートオブプレゼンスの確立」を目指してリトリートに参加されたのだが、残念ながら「恩寵」という事の意味を全く伝える事が出来なかった。
アジズ型のリトリートを期待しておられたので、私がフーマンへ傾倒している事を知り、かなり落胆して帰られた様子だった。

「ああ、この人はもう来ないかも知れない」と直感的に思ったが、予想通りそれから何のコンタクトもなく、いつの間にかリーラスペースのDMも出さない様になってしまった。

ところが先月、突然リーラスペースに電話があった。
非常に明るい声で、「フーマンの『恩寵の扉が開くまで』をたまたま書店で見つけて読んだら、非常に感銘した。リトリートにも新たな気持ちで参加したい。」との事で、さっそく第5回のリトリートに参加された。

「もう二度と来ないのではないか?」と思っていたので、非常に嬉しかった。

リーラスペースを離れていた4年間に、Mさんの中で熟成が起こり、「正しいタイミング」が訪れたのだと思う。

「全ては生々流転して、ありとあらゆる物事は来ては去って行く」というのが、この現象世界の唯一不変の法則だ。
リーラスペースの参加者もまた然り。

いつの間にか顔を見せなくなった参加者を想う時、Mさんの様にいずれまた「正しいタイミング」で、リーラスペースを訪れる時が来るのではないかと、Mさんに励まされている。

* * *

FAXレポート

第5回のリトリートは、フーマンの命日に合わせて下さった事もあって、私にとって(フーマンとの)触れ合いが遅かったにも関わらず、良いタイミングで参加出来ました。

キヨタカさんらのおかげで、高いエネルギーの場へと、手に取る様に引き上げてもらい、有り難うございました。

充実した時間の中で「今」を完遂出来たことは、今後の自分の自信にもつながってきていることは、間違いありません。
あとは、ビーイングとハートを深めて行けば、「本当の自己」に到達出来る…という喜びで今はいっぱいです。


ヨガビさんも、私の事を忘れておらずに、仲間として引き入れて下さり、いごごちの良い状態で居ることが出来、感謝しております。

今回は、特にたくさんのワークと瞑想の時間があり、その中で「このワークが」という様には出て来ませんが、最後のティータイム&シェアリングの時間で大笑いが出来た事や、ハートの首なし作務、また、瞑想の後も深く入っていてすぐに立てなかった事、などを思い出しております。

そしてエナジーワークも、体のゆがみが取れた様でした。
さらに事後の効果として、癒しや浄化が進んだこともあって、人と接する時に、楽で、相手の受け入れが、友人や親族の様な親しさで、対話しているのを感じます。

また瞑想の質も格段に上がっており、かならずビーイングを体験出来ます。
あとは、ハートがどれくらい開くかだと思っております。
9月のリトリートは行かないと言いましたが、一泊でも参加が可能なら行きたいと思っています。

 (略)

 それでは、ぱるばさんやようこさんも含めて、どうも有り難うございました。

「今」にくつろぐと言う事(リトリートの感想)

2009年7月30日(木)  晴れ  by キヨタカ

 古今東西の覚者は、異口同音に言う。
真理は「今にある」と…。

そして瞑想とは、「今にくつろぐ」事とも言える。
ゴールは未来ではなく「今」にあるのだ。

しかし、煩悩具足の我々はなかなか「今」にくつろぐ事が難しく、いつ終わるとも知れない孤独な探求の旅に出る。

先を見ると、果てしなき旅の終わりが来る事が信じられず、絶望感に苛まれる事もしばしばだ。

そんな時こそ、同じ真実を求めている人々と共に在ると言う事が非常に大切となる。
同じエネルギーフィールドの中で、一人では不可能な事柄が可能になってくるのだ。

今週末は、新宿でナイト&ワンデーイベントが開催される。
皆さんぜひ参加して下さい。

 Hさんから、リトリートの感想メールを頂いた。
Hさんは、今年の3月のリトリートに参加されて以来、非常に熱心に瞑想を行っている。
新宿の瞑想会にも、必ず参加して頂いている。

大輪の花が咲く日も、そう遠くないと思います。

* * *

すいません、どうしても整理できません。

なにかまとめようとすると、違う感じがしてどうにもなりません。

とりあえず、思いついたことだけを送らせていただきます。

今回最もインパクトがあったのはキヨタカさんとの個人セッションで、よく分からなくなっていた方向性を「今」にもっていくというガイドをうけたことです。

あの時は上から何かが降ってきました。

そのあと「今」にいるということをやってみましたが、今回初めて今にくつろぐことが出来たような
気がしました。

座っていても、歩いていても、食事していてもとにかく至福感というか、喜びというか、そういうものをずっと感じることができました。

生まれて初めてくつろげたような気さえしましたし、これ以上なにもワークなどしなくていいや、もう満足だし、とも思いました。

ただ、帰ってきたらほとんどその時の感じが再現できません。

まだまだ先は長いのでしょうか。

また、お世話になると思います。
今後ともよろしくお願いします。

* * *

女性性の時代(本の感想)

2009年7月28日(月)  曇り時々晴れ by キヨタカ

 フーマンが、ハートを何よりも大切にしている事は言うまでもない。

「例えどんなにプレゼンスがあり、どんなに深いサマーディに達しても、ハートが開かなかったら人間としてこの世に生まれて来た意味がない」と断言している。

さらに、「女性の方が一般的に男性よりも真実と整合し易い。なぜなら女性の方が一般的にはハートが開いているから…。」とまで言う。

OSHOの教えを少し学べば、OSHOもまた人類史上最も「女性」を大切に扱っている事が解るだろう。
それは単なる教えに止まらず、実際のコミューン運営でも、その重要ポストの多くは女性の弟子で占められていた。

私がアリゾナでお世話になった、リー・ロゾウィックというアメリカ人のマスターも、「男性の霊性の開花は、その男性の中の女性性の開花と比例する」と語っている。

「悟りたい」という一心で修行に修行を重ね、「真理を求めて」百万巻の本や教典の洪水に溺れ「ああでもない、こうでもない」と頭をひねり探求を続けている男性諸君にとっては、なんとも分が悪い時代だ。

お釈迦様の時代にあっては、「女性は悟れない。女性の修行とは、来世で男性に生まれ変わって悟る事が出来る様になるのが目的」とされていたそうだが、長く続いた男性至上主義のつけが、今という時代に廻って来たのだろう。

私も、そろそろパートナーのヨガビにリーラスペースの顔となって貰い、私は裏方に廻ろうと真剣に考えている。
某霊能者からも、「ヨガビが光り輝き、キヨタカが裏からそれを支えて喜んでいる姿が見えます」と言われている。

フーマンの本も、女性の方がダイレクトにそのメッセージを受け取れるのではないかと思っている。

H・Nさんから、本の感想を頂いた。
女性ならではの感性で、フーマンの贈り物をしっかり受け取られている。

21世紀は、女性性の時代である事は間違いない。


* * *

キヨタカさん、こんにちは(*^-^)
H・Nです。
昨日、本が届き先ほど読み終えました。
来週、下記へ振込させて頂きますね。
ありがとうございます。


で、早速感想を送ります。


*:..。o?LOVE?o。..:*LOVE*:..。o?LOVE?o。..:**:..。o?LOVE?o。..:*LOVE*:..。o?LOVE?o。..:**:..。o?LOVE?o。..:*LOVE*:..。o?LOVE?o。..:*

はい!前本に続きまたコレ!私に語りかけてます!(笑)
とみんなも言うでしょうね(笑)

この本の半分くらいは、HPで既に読んでいて十分恩寵が伝わっていたのですが最後の部分を読むにつれて涙が止まらなくなりました。

どうして、フーマンの言葉は心の奥に響くのだろう、どうして涙が止まらない程慰められているのだろう。。。

昨年の初夏にキヨタカさんの本と出会いまだ1年しかたってないんですけど、瞑想の深さも体験し「これ」まで理解、体験出来ている自分が不思議です。

本(恩寵)の影響は絶大です!

でも、神秘体験などに憧れのあった私からすればあれ?これってこれだよね?これってこれだよね?って。

きょとん・・(*・o・)でした。
!?(◎o◎;)おお!コレ!!
いやそんな驚くほどの。。。コレかーい(o;_?_)oバタ(笑)

ハハーン、確かに近いわ!
教えてくれないとずっと分からないままでした、きっと。。。

最近では、瞑想といって特別座るよりも日常で常に恩寵が訪れるので勝手に吸い込まれています。。。
例えば、ちょっとマインドを使い過ぎて疲れてしまったらキューンと吸い込まれてマインドが途切れ、空を見上げると、キューンと吸い込まれてマインドが途切れ。。。

その回数は確実に増えていき、長いときでは何日もキューンと吸い込まれたままです。
何かスイッチでもあるのか?と思う程です。
例えば、本の中の一文や鳥がピューンと飛んで行く姿を見たりすると。

本のとおりに「これと共に在る」ようにすることが私のライフスタイルになった気がします。
そのためか、「これ」に在ると体も軽くなりお腹に力が入りませんが。
何もする気になれない。。。

去年の夏に経験した衝撃の一打は始まりの合図だったんだなと思います。

あのときは、頭からお湯が流れて来たり(Nの何かが溶けてたんですね)生活に支障でまくりで恐怖だったんですけど、今では同じような状況(エネルギー的に感じること)でも恐怖はまったくなくただただ平和で何も起こりません(笑)

例えば、恋人が出来るとか仕事が面白くてとか友達が一杯で飲み会ばっかりとか。
前までの私だったら好き好んで欲していたもの。
でも、今何も起こらないでいることがどれほど大切か、なんとなくそうとも思うのです。

日常生活をしているのにリトリート中のような。。
シンプルライフ?最低限起こる事に対応しつつ、今在る事に寛ぎ中という感じです。

とにかく「なーんにもしなーい」自然体が心地よく、こんなにも深く穏やかで満たされているなんて。。。平和。。。

ただ窓際に座って小鳥がチュンチュン鳴いて風が吹いて来て木が揺れて太陽の光が葉っぱに反射してキラキラしているのを見ているだけでなんだか胸が一杯になります。
私の人生にこんな幸せがいつも側にあったのに。。。
あれだけ向上心の強かった私はどこにいっちゃったんだろう?何に追われていたのか。。。

そんな平和な中でも、残念ながら私はまだまだマインドが強いようです。
そんな私がなるほど!と思った言葉は「恐怖や欲望と繋がらない」です。
そうか、そうだよね!シンプルで分かりやすい!(笑)
恐怖や欲望が現れたとしてもさっとスルー。バイバーイ(=^ー^)ノ彡☆゜・。・゜★

これこそ真実への奉仕なんですね。なるほどなー。
それにこの先、何が起こるか分からないですし、自分の人生がどうなるのかも分からないですがフーマンの言葉のお陰で「知らないでいい」ということも励みになりました。

マインドの波はまだやって来ますが、「これ」の側にいればきっとうまくいくと自然に思えています。

今も窓際でこうやって「ひぐらし」の声を聞きながらメールをしているこんな穏やかな人生って既に完璧やんって思います(笑)

本当に、この本に出会えてよかった。私の一生の宝物であり教科書です。Nが消える時まで側においておきます。

ありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ

そろそろ、あまり書き出すとまたマインドちゃんが踊り出すのでこのへんで失礼します(笑)

H・N

こつを掴む(本の感想)

2008年7月26日(日) 晴れ  by キヨタカ

 
 「瞑想って難しいですか?」とよく初めての方に聞かれるが、決して難しいものではない。
しかしだからと行って、簡単でもない。

通常我々は、原因と結果で物事を考える。
例えば「10年修行したから、その結果悟りを得るだろう」
「悟れないのは、修行が足りないからだ」という様に…。

しかし実際には、現象世界の因果律(原因と結果の法則)を越えた世界が、悟りの世界だ。
これは、論理的説明の領域を越えているので、瞑想を体験するには「こつ」を掴むしかない。

マインドはすぐに、「どうやって/How?」と考える。
するとたちどころに「マインドの罠」に落ちる。

瞑想とは、「マインドの罠」から抜け出す事だ。
しかし「それじゃどうやって抜け出すの/How?」と考え始めたら、即「罠」に落ちる。

頭で考えても抜け出せないとしたら、後は「こつ」を掴むしかない。

幸い私の場合、最近ようやく「マインドを使わない」と言う事にオーケーを出せる様になった。
「頭を全く使わない」瞑想の師匠が側に居るお陰だ。

Photo

名前は、「ちーちゃん」という元ノラ猫なのだけれど…。

「ちーちゃん」が全く頭を使わない(使えない?)のに幸せ一杯でいる様子を日々観察していると、「頭は使わなくても、幸せになれる!」と実感せざるを得ない。
彼女こそ、瞑想の極意を生きている様に思える。

「頭を使わない事」の「こつ」を掴みたい方は、ぜひ猫を飼う事をおすすめする。

しかし猫を飼いたくない方は、もう一つとびきりの素晴らしい方法がある。

「恩寵の扉が開くまでⅡ」を是非読んで下さい。

そこに、瞑想の「こつ」が書かれています。

S・Mさんから、感想のメールを頂きました。

「こつ」をしっかりと掴んで頂けたようです。

* * *

清貴様

”恩寵の扉が開くまで part2” 読ませていただきました。
フーマンとの対話、とても素晴らしいです。
フーマンの臨在でしょうか。
読んでいるうちに自然とマインドが静かになり、内から湧き上がる穏やかなエネルギーを感じます。

私が好きなOSHOの言葉です。
------------------------------------------
「どうやって」と訊ねたら、あなたはまた見のがす
どんな方法もいらない
どんな道もいらない
どんな技法もいらない
すべての技法、すべての道、すべての方法が落とされなければならない
<中略>
「どうやって」と訊ねることでためてきた方法をすべて落としなさい
静かな空間のなかへ入りなさい
それは技法ではなく’こつ’だ
<中略>
受身でいなさい
その受身のなかに、神はやってくる
女性的でいなさい
その女性的であることのなかに、神はやってくる
----------------------------------------------

ここで触れられている ’こつ’
フーマンとの対話は、この’こつ’を解説しているように感じました。

大事ですが、うっかりすると気付かないもの、忘れてしまうことそんな繊細で微妙なものです。

私は「これ」をまだしっかりとつかんでいません。
「これ」は特別なもののように感じてもいましたし・・・

でも、本書を読んで私なりに感じていた感覚を信用してもいいのかなと思えるようにもなりました。
ありがとうございます。
これからは自分で「これ」と思える感覚に漂っていきたいです。

S・M



準備が整ったから…(本の感想)

2009年7月25日(土)  晴れ  by キヨタカ


 「恩寵の扉が開くまでⅡ」を読まれた方の感想が、続々と送られて来ています。
様々な角度からコメントを頂く事で、私自身新しい発見をこの本から見出しつつあります。
読者の方々も、他の人の感想を通して、新たな角度からこの本のメッセージが伝達されるでしょう。

「例え小さくとも自己の光を唯一の拠り所とする人々が集まる事で、光のフィールドを創る」というのが、リーラ瞑想リトリートの大きな柱の一つです。
皆様の様々な感想を公開する事も、「光のフィールド」を創る一環となるでしょう。
リーラHP上に、「読者の感想コーナー」を設ける予定ですが、とりあえず「修善寺日誌」にアップします。

 あの本にも述べていますが、私は様々な誤解を恐れて、この本の出版をずっとためらっていました。
「恩寵の扉が開くまで」の内容でしたらあまり矛盾がないので、一昨年とりあえずそれを公開しました。
しかし、それ以降の事については…
特に「アジズのメッセージ」と「フーマンのメッセージ」の矛盾を、どの様に止揚し統合してお伝えするべきか、あるいはそもそもそれが可能なのかすら解らず、ずるずると月日が経ってしまいました。
(フーマンから言われてから、6年経過してしまいました!)

今回、アルテの市村氏や道友のぱるばの後押し等様々な方々のサポートにより、ようやく出版という形になりました。

それでも、「みんな誤解したりショックしたりするだろうな〜。でも10人に誤解されてももう1人に正しいメッセージが伝わればそれでいい」と覚悟して原稿を出版社に送りました。

でも、K氏からの感想を読んで、私の心配は杞憂だった事が解りました。

予想を上回る速度で「意識の加速化」が進んでいて、色々な意味で「準備が整った!」と感じました。

Kさん、有り難うございます。
* * *

キヨタカさま

本の感想をお送りします。何かのお役に立てれば幸いです。
                        by K

 フーマンによれば、悟りとは段階を追って達成されるようなものではない。
またそれは瞑想や何らかのワーク、つまり霊性修行を通じて到達される境地といったものでもなく、ただ「これ」としか呼べない、直接的に体験すべき超越的な経験である。

 こうした言葉が意味するところは、多くの人々にとって破壊的である。
ことに悟りを目指して霊性修行に励んできた、真摯な真理の探究者にとっては、当惑を引き起こすものでしかないといえる。

ましてや、フーマンと一心同体と思われてきたアジズの教えまでもが否定されるに及んでは、当惑を通り越して衝撃すら受けるに違いない。
(著者が発表を控えてきた理由も、よく分かるというものだ)

 しかし、その一方でフーマンは、霊性修行をまったく否定している訳でもない。
すべての人間には神性が宿っているので、霊性修行などせずに、ただその事実に気づくだけで恩寵が降りてくるなどと彼が言っているのではない。

恩寵を手にするためにはそれなりの準備が必要であり、そうした準備として瞑想や他のワークも行うべきだと言っているのである。

そしてアジズの代名詞ともいえるステート・オブ・プレゼンスのワークも、多くの探求者にとって重要な意味を持つとまで述べている。

 このいささか矛盾しているように思えるフーマンの言説は、概念的に解釈すべきではなく、体験的に納得すべきものであると私は感じる。

解釈というマインドの働きを超えたところで「これ」は体験されるものであり、霊性修行という、どこまで追求してもマインドの領野を超えることのできない行動を手放したところで、恩寵が思いがけず降り注ぐという体験が可能になると考えるからである。
 
 繰り返せば、ノーマインド、つまりマインドを超えた体験は、霊性修行によっては到達できないものであり、深い瞑想体験や神秘体験も、「これ」の到来に向けた準備の意味しかもたないと、フーマンは断定しているのである。
 
 これはわれわれに絶望をもたらす言葉であろうか? 
私はそうは思わない。
むしろこれは希望の言葉である。
なぜなら、われわれがマインドを明け渡す準備さえ整えれば、恩寵の方からわれわれのもとに必ずやってきて、「これ」をその人に体験させるような事態がきっと起こるというのが、フーマンの教えの核心であるように思えるからである。
(だから、著者が自らOSHOに会ったのではなく、準備のできた著者をOSHOが呼んだのだ、とフーマンは言うわけである)
 
 結局、われわれにできることは、マインドの硬い殻を溶かして、少しでも恩寵が入り込めるように準備を整えること、そしてそのために必要であれば瞑想やワークなどの霊性修行を行うこと(但し、それに唯一の正しい道はないということを理解すること)だけであろう。
そしてこれは、比べるものがないほど重要な教えであるように思える。
 
 われわれの準備が整ったから、この本が出版された。そして私(あなた)の準備が整ったから、それを手にしたわけである。私としては、この祝福に満ちた体験をもたらしてくれた「これ」に感謝するしかない。

この日起こった事は…(本の感想)

2009年7月24日(金) 曇り  by キヨタカ


新刊本「恩寵の扉が開くまでⅡ」は、一昨日の「皆既日食」の日に発送しました。
遠方の方も、本日にはお手元に届くはずです。

今年の10月に行われる、天命瞑想道場(第三回個の花瞑想道場を改名)の共同リーダー、出口さんのブログによると一昨日は…

 【太陽と月、つまり日月が無くなる日月神示の日だった。

 新月のときに8時間以内に願ごとをすると必ず叶うという言い伝えがあるほど。
しかも太陽が無くなる日と重なるなんて。

 この日に起こったことは、重大な影響を未来に及ぼす。】


論理的根拠はよく解らないのだが、直感的に、そうなんだと思える。
最近ようやくマインドから少し自由になり始めたお陰だろう。

この本が、「重大な影響を未来に及ぼす事」を切に祈っている。
そこで発送作業も終わった昨日、富士浅間大社へ参拝した。

「仏ほっとけ、神かまうな」がモットーだった私が神社に参拝する様になったのだから、世の中がひっくり返っても何の不思議もない。

Photo_2

境内の脇の湧玉池へ行くと、平和の象徴である鳩が沢山寄って来た。
逸話によると、中世イタリアの聖人「聖フランチェスコ」は平和のエネルギーに満ちあふれ、動物や鳥たちが警戒心を抱く事なく彼の側に寄り添ったと言う。

なんだか聖なる存在に祝福されている感じがして、「聖フランチェスコ」になった心境だった。

Photo


…もっとも、エサがなくなると、あんなに沢山集まった鳩達はもう私には見向きもせず、何処かへ飛んで行ってしまった。
「聖フランチェスコ」の境地に達するには、もう少し時間がかかりそうで…。

さっそく新刊本を発注したMさんから、感想のメールを頂きました。

* * *
キヨタカ様

今、読み終わりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

まさに、恩寵です。そうとしか言いようがないです。

これは本の中にもありましたが、まさに「究極のイニシエーション」ですね。

今までは、マスターと弟子の間だけで行われていた秘儀が、本として出版され、多くの人々のハートにふれる。

この加速化した時代だからこそ、可能な奇跡ではないでしょうか。

あらためて感じています。

「僕らなんてすごい時代に生を授かったんだろう」って。

これからが楽しみですね。

本当にありがとう!!

M・T

思い起こすのだったら…(リトリート感想)

2009年7月23日(木)  曇り  by キヨタカ

  リトリートの直前に、N・Tさんから参加申し込みがあった。
「アジズとの対話」を読み始めたら、非常に面白いので、ぜひ参加したいとの事。
後で聞いたら、参加予定だったイベントを急遽キャンセルして、リーラスペースのリトリートに参加する決断をされたと言う。

N・Tさんが瞑想を志すきっかけは、ぱるばが翻訳したOSHOの「禅宣言」の中の次の言葉だという。

「思い起こしなさい、あなたは仏陀だ!/Remember You are Buddha!」」

それまでは、「仏陀になる事は自分には無理」と思っていたけれど、この本を読んで「既に仏陀である事を思い起こすのだったら 自分にも可能!」である事を知ったと言う。

けだし、名言である!

もっとも、名言を吐くだけなら、誰でも可能だ。
しかし、そこからがN・Tさんの凄い所!

さっそく某瞑想センターを訪れ、ダイナミック瞑想を3ヶ月続けたそうだ。
しかも、毎日!
さらに、自宅でダイナミック瞑想を毎日一年間続けたと言う。
(余程の豪邸にお住まいと推察するが、本人曰く、そうではないとの事)

ぱるばリードのダイナミック瞑想では、「OSHOの弟子となる為に、私は3週間毎日ダイナミックをやりました」と言うのが決め台詞で、参加者も感心する場面なのだが…。

M・Tさんの出現で、さすがのぱるば体験談も、霞んでしまった!

さっそく、リトリート感想のメールを頂きました。

有り難うございます。

* * *

3日間、お世話になりました。
まだ、あの空間の味をそのまま思い出すことが出来ます。

僕は、自分が迷子になってると感じたときに、OSHOに出会いました。

1年過ぎて、また迷子になってる気がしていました。
そんなとき、
「アジズとの対話」という本に出会いました。

必要なものは与えられると言うのは本当ですね。
正に、僕にとって必要なものを今回の「リーラ瞑想リトリート」で頂いて帰ることが出来ました。

みなさんに感謝しています。

本当にありがとうございました。


まとまりのない文章になりますが、思いつくままに、感想を書かせていただきます。


予定通り(?)に、修善寺到着の5分前に「アジズとの対話」を読み終えました。

改札を出たところで、いきなり、ぱるばさんのかなり個性的な風貌に迎えられ、ちょっと驚きました。(^^ゞあはは。

修善寺、いいところですね。(^^♪

自然の多いところは、見るものも感じるものも、抵抗なくすっと体の中に入ってくるので楽でした。
富士山は雄大なのに、全く威圧感がなくて、山も空も雲も、とても静かに感じました。

3日間の間、心地よい風がずっと戯れてくれて、生まれて初めて風に懐かしさを感じました。

それにもまして、指導者のキヨタカさん、ぱるばさんが、とても誠実で正統派の瞑想者であったこと。
スタッフのみなさんの気遣いが、とても細やかであったこと。
すべてが、とても安心のできる空間でした。

僕は「ディヤン・スートラ」を読んで、サイレントの中での瞑想三昧に憧れていましたが、正直、初心者の僕にはちょっとキツイだろうと思っていました。

今回は、「アジズとの対話」を読んで急遽参加を決めたので、躊躇する暇がなかったことがラッキーでした。はは(*^^)v

タイプの違うお二人のリードは、初心者の僕にはすごくありがたかったです。
緩急と言うのか、ほどよいメリハリが出来て、一つ一つの瞑想に、ダレることなく新鮮な気持ちで向き合えました。

それから、24時間いつでも入れる温泉はいいですね。
殆どの休憩時間に、気持ちよく浸っていました。(^^♪

元々、温泉大好きですし、湯に浸かってくつろぐと、もう一つ深く入って来る感じがして、その余韻がまた心地良い。

食事はお世辞抜きで本当にウマかったです!
3日間、ずっと楽しみでした。(^^♪
酵素玄米、美味しいですね。
確かに消化もすごく良かったです。
どこで買ってるのですか?ぜひ、教えて下さい。

[↑長岡式酵素玄米と言います。連絡先を教えますね。おすすめです。by キヨ]

でも、さすがに瞑想の座り方には慣れてないので疲れました。
股関節、腰、肩にきました。
思い切って、椅子に座ってみても良かったかもと思っています。

次回までには、少し練習しておきます。
(慣れだけなのかなあ?)
なにか、良い方法があれば教えてください。


実は、「リトリート」と言う意味さえ知らずに参加しました。
偏見ですが、こう言う横文字の名前には、なぜか昔から「怪しい!」と反応してしまう。
バブルの頃に、意味の分からない横文字名前の会社がたくさん出来て、で、本当に、怪しい会社が多かったし。はは。

そう言う訳で、アロマセラピーなんて、絶対にインチキ臭い!って思ってましたから、今回、まとめて体験できて、ほんとに良かったです。あはは。(^^ゞ


個人的には、参加の目的、解決したい問題(疑問に思ってることなど)をもう少し明確にして行けば良かったと思いました。

(略)

1日目、2日目、3日目と、どんどん気持ちよく深く入っていけました。
これまでと違う質感を感じたのは、プレゼンスを理解したことで、これまでアバウトだったのもを、ピンポイントで捕らえるコツが分かったからだと思います。

それから、とても効果的なプログラムが組まれていたこと。
お二人の誘導が素晴らしかったことは、もちろんです。

最後の方で、ぱるばさんに頭を触ってもらって、ダウンするワークがありました。

[↑ダウンする:床に仰向けに寝る事。ノックダウンされるのではないので、念のため by キヨ]

あと5秒触ってもらっていたら、たぶん涙が出たと思います。
触られた瞬間に、なにかとても不思議なものを感じました。
ぱるばさんの愛・・なのか。

それから、ダイナミック瞑想の誘導、最高でした!
あんなにダイナミックに誘導してもらったの、初めてです。
僕はいま自宅のタタミ一畳くらいのスペースでやってるので、
久しぶりに広いところで思い切りやれて、気分爽快でした。(*^^)v


キヨタカさんの瞑想姿は不思議ですね。
どんどん子供になっていくように感じました。
そのまま赤ちゃんになって、消えてしまうような。
仏陀も瞑想するとこんな感じではなかったのかな?と、ふと、そんなことを思いました。

最後に本にサインをしてもらいましたね。
僕の聞き違いなのかも知れませんが、「僕、字が下手だから」って、言われましたか?
出来れば、サインしたくないって感じでした。あはは。

本の中で、ご自分のSEXのことまで何の抵抗もなく書かれてますよね。
全く他人の目(評価)が気にならない人なのだと思っていましたので、字が下手と言うコンプレックがあるんだと知って、なぜか、すごく安心しました。 あはは。

[↑字が下手・整理整頓が下手・女性の扱いが下手、が私の3大コンプレックスです。by キヨ]

僕個人の瞑想の感想を詳しく書きたかったのですが、まだとても整理が出来ません。

暫らくは論理的に整理するのをやめて、整理できてない自分をそのまま見守ることにしました。
IAMを意識するたびに全く新しい何かが生まれて、いまは、その感覚をとても楽しんでいます。

本はとても良い教材になります。
何度も読み返してSPと共に落とし込んでいこうと思っています。

中途半端な感想で申し訳ありませんが、キリがないので、この辺りで送信します。

今後ともよろしくお願いします。

* * *

本を越えた本(本の感想)

2009年7月22日(水)  曇り   by キヨタカ


 出版社から、「恩寵の扉が開くまでⅡ」が届き、本日皆様に発送しました。
さっそく私も読んでみて、思わず感動してしまい、ヨガビに笑われてしまいました。
やはり本にすると、伝わり方が格段にアップする様です。

今日は、新月でおまけに「皆既日食」。

全く新しい、次のステップに進み始めた感じがします。

さっそく、Mさんから、本の感想を頂きました。

* * *

 『恩寵の扉が開くまで2』を早速買いました。

 東京駅前の丸善・丸の内本店では、精神世界のコーナーに「面出し陳列」されていましたよ。

Photo

(”証拠”として、店内でこっそり撮影した写真を添付します。隣の本より冊数が少ないのは、すでに売れたためか、もともと入荷が少なかったのか?...)。

ついでに近くの八重洲ブックセンター本店、紀伊国屋大手町ビル店ものぞいてみたら、ちゃんと置いてありました。


内容は圧倒的な素晴しさです!

 「読む」というより、まるで自分自身に「語りかけられている」ように、フーマンの言葉が響いてきます。

 どれほどの文章技巧や語彙を重ねても表現不能であろう「これ」について、明解かつ強烈に伝わってくることが驚異でした。
本の字面を目で追いながらも、マインドがあまり介することなく、まさしく自分の「これ」が内面から引き出されてくるような、普通でない読書体験でした。

活字の伝達力を凌駕した、「本を超えた本」です。これまで「魂の探求」に関する色んな本を読んできましたが、もうこの1冊で終わりにしたいと思います。


 ただキヨタカさん自身も「読者が限られる」というように、瞑想に興味を持ち始めた人たちまで引き付けるような本では確かにないでしょう。

その点、まず思考による理解を通じて「魂の道」に関心を持つという上で、『アジズとの対話』は今も確かな役割があります。

これら”3部作”は、何かの明確な意図を反映した構成のような気がします。

 またこれほど素晴らしい本が日本語でしか読めないことに、「日本に生まれて良かったな」と心底思います。

(ホ・オポノポノの本も『ゼロ・リミッツ』以外は日本でしか出版されていませんし)

今後も「小さな自己の光」が集う場に参加したいと思います。

以上、よろしくお願い致します。
 
M

* * *

Mさんは、某大手新聞社に勤務されている方です。

活字のプロの方から、<活字の伝達力を凌駕した、「本を超えた本」です。>
と言われ、身に余る光栄です。

Mさん、有り難うございます。

リトリート終了!(リトリート感想)

2009年7月21日(火)  雨  by キヨタカ


 リトリートが無事終了、さっそくNさんが感想のメールを送って下さったので、転載します。

今回も、非常に中味の濃いリトリートでした。
参加者のシェアリングから学ぶ事も多く、この場を創ってくれて皆さんに心から感謝しています。


* * *

キヨタカ様、ぱるば様

今回もご指導ありがとうございました。

感想を書きます。


 今回で2回目のリトリート参加でした。
 恩寵とつながりたいというのが参加の目的でした。

 はじめにリトリートの概要の説明がありましたが、前回より分かりやすかったように思います。


「小さな私が恩寵につながるのではない、小さな私が消え去って、恩寵が現れるのです」

ということを教えていただけたのが、まず初めの収穫でした。この”自分”が恩寵とつながると思っていたので…。


 また、

「肉体のくつろぐ場所が座布団の上だとしたら、意識がくつろぐのは”今”である」

という説明もなるほど!と思いました。いままで今にくつろぐことが怖いと思っていたので、思考に逃げていたのだと改めてきづきました。


 さて、リトリートの説明が終わって実修がはじまったわけですが、今回も気づかされることが多かったです。

 前回はそれほどわからなかったのですが、今回は瞑想の”場”って存在するのだなと実感することができました。
 
 普段よりも瞑想に入りやすかったこともそうですが、エネルギー場がそこに存在していることを体ではっきり意識できました。明らかに質の違う空間が存在していました。大勢の集まったときの想念というかエネルギーのすごさというのがわかりました。

 最後のハートと共に坐る瞑想では、ただ自分が座っているだけなのに、その場に下りてきたエネルギーというか存在というかそういうものから自分のハートがエネルギーをもらって、ハートのエネルギーがだんだん強くなっていきました。こういう経験も一人で座っているときは得られないものでした。

 ほかにも、自分の内側に存在している「静けさ」と同質のものが自分の外にも存在しているということを一瞬でしたが感じることができました。
 
 空間に満ち溢れている大いなる存在はものすごい威圧感とか圧力感があるものだと思い込んでいたのに、それは全然ものすごくなくて、ただいつもと同じ空間の中に静けさとして存在していました。「えっ、これなの?!いつもお会いしていましたよね?」という感覚でした。いまだにそれがそれだったのか、確信がもてません…。

 ハートの瞑想が終わったあとの食事で、食べたものが自分のハートに落ちていく感覚がとても心地よくて、ゆっくりと食事をしたこともよい経験でした。本当にハートにも食べたものが落ちていくなんて、普段は思ったこともありませんでした。

 今回つかんだものを今後どれだけ自分のものにできるかが本当の勝負だと思っています。
 
 今回は本当に有難うございました。

草々

N.K

第5回リーラ瞑想リトリート

2009年7月17日(金)   雨  by キヨタカ

いよいよ、明日からリーラ瞑想リトリートだ。
ぱるばは昨日からリーラ入り、入念な打ち合わせをする予定。
10月の第3週には出口さんとジョイントの第3回道場が行われ、それの打ち合わせも兼ねている。
名前は、新たに「天命瞑想道場」となり、瞑想の部分が大幅にアップする事になるだろう。

「恩寵の扉が開くまで Ⅱ」もいよいよ出版される事となり、次の次元へステップアップが始まった感がある。

梅雨も明け連日の猛暑が続いていたが、今日は梅雨に戻った感じ。

リトリート中は、猛暑にならない事を願っている。

恩寵の扉が開くまでⅡー発売!

2009年7月16日(木)  晴れ  by キヨタカ

 
 ようやく梅雨が明け、今朝は快晴。
午前4時くらいに目が覚めてしまった。

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朝焼けの富士山がもの凄く美しかった。
 (思わず見とれてしまい、写真を撮った時は朝焼けが終わってしまい残念)

ところで、いよいよ「恩寵の扉が開くまで Ⅱーフーマンの贈り物」が7月20日に発売となります。
書店には21日に並ぶそうです。
リーラスペースへ直接注文も出来ます。
(先着100名様には、郵送料無料!)

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本当はフーマンが2度目に来日した2003年の秋に、フーマンと関わってから私がどう変化したかについて、リーラHP上でアップする事になっていた。
しかし当時は全く準備が出来ていなかった。
フーマンとの約束を、ようやく果たす事が出来て、ほっと一息ついている。

HPにはアップ出来なかったが、この本を読んで頂ければ、なぜ私がずっと発表をためらっていたか理解して頂けると思う。

続編の方は、探求の最期のステージに関わる事がメインテーマなので、自ずと読者の対象も限られてくると思うが、非常に重要なメッセージが含まれている。

私が受け取った「フーマンからの贈り物」を、自分一人のものに止めてしまうのは、あまりにも惜しい。
例え少数でも、フーマンのメッセージがこの本を通して正しく伝われば、とても嬉しい。

知らないでいる事

2009年7月15日(水)  晴れ  by キヨタカ


 リーラHPで連載中の「恩寵の扉がひらくまでⅡ」が、御陰さまで好評の様だ。
先日、Mくんからこんなお便りを頂いた。

* * *

これ これ これ 

摑みどころのなかったフーマンシリーズでしたが、前回から妙に腑に落ちるようになりました。

Oshoのこれ、これ、千回もこれ、の意味がようやくハートに沁みてきました。

「坐禅は安楽の法門・・・」

「私の教えは、はじめは苦いが、やがて甘露のように甘くなる・・・」

まだまだ甘露の甘みとはいえませんが、これと一緒にいられさえすればもう悟りなどどうでもいいかと思うことさえあります。
(略)

* * *

この本(7月20日発売)は、情報を伝える事は意図していない。
マインドで理解する事を欲している人は、がっかりするだろう。
しかし、別のものがこの本を通して読者に伝わる事を意図している。

だから、「理解した」のではなく「腑に落ちる」とか「ハートに沁みる」事こそが、大切だ。
Mくん、有り難う!

私は子供時代から、「理解したい」という欲求がもの凄く強い。

今でも何か解らない事があると、「知りたい」という欲求がムクムクと湧き上がってくる。
知らないでいると、頭の中がむずむずと痒くなり、落ち着きがなくなるのだ。

だから、すぐにグーグルで検索したりして、知りたい欲求を満たして満足する。

しかし、この世には、頭では絶対に知り得ない事柄がある。
それが、「これ」であり「神」であり「大いなる存在」であり、「悟り」だ。


フーマンからは、次の様な事を何度も言わ続けた。

「あなたは、長時間坐り続ける修行や、集中し続ける事、あるいは本を読みあさる事は止めた方がいい。
なぜなら、それはすべてマインドのものだから・・。

私はあなたに、「本当のあなた」を直接に与えた。

これが、ガイダンスの贈り物だ。

これはたった今、ここにある。

「これ」がそれだ!

私はあなたを開き、それに目覚めさせた。

あなたが本を読みあさり頭を使うと、再びマインドへ戻ってしまう事を私は知っている。

そうなって欲しくない。」


フーマンの言葉は、マインドにとっては、受け入れがたい。
これを言われた時に、どれだけ本当に理解したのか、?である。


ところで先日、こんな言葉を発見して、す〜ッと、腑に落ちる体験があった。

「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。
そうすることによって、思考を超越することができます。
       〜エクハルト・トール〜

「悟り」とは、マインドが理解するのは不可能な領域であり、存在にとってはあまりにも当たり前の、自明の理なのだろう。

リトリートの感想

2009年7月13日(月)  曇り  by キヨタカ


 早いもので、いよいよ今週末第五回リーラ瞑想リトリートが開催される。

6月のリトリート参加者から、感想を頂いたのでアップします。
読んでみるとリトリートの感動が蘇って来る。
今日はホールのクリーニングをする予定だが、もうリトリートが始まりつつあるのを感じる。

* * *

 先日はリトリートに参加させていただき、誠にありがとうございました。
 
 (略)

周りは緑がとても綺麗、鶯が直ぐそこで、「ホーホケキョっ!」と鳴く、リーラスペースの素晴らしい環境は今でも鮮やかに蘇ってきます。 (何となくまだ繋がってるような気がします)

 参加者の方々は少数精鋭、私以外の方は既にSPを確立されていて、入ってるか入ってないか、それぞれのチェック方法でチェックされてることに正直、驚きました。
お話を聞いていて、SP確立はあやふやなものではなく、一人一人に明確にはっきりとしたものがあるということがわかりました。

私はDナミック瞑想でへとへと、限界に来て初めて、肉体、思考、マインド・・
との癒着が剥がされるといった程度で・・

・・リトリートから帰って数日経った頃のこと、
行く前日に受けた自分のヴォイストレーニングのテープを聞いてみたらとてもショック!!

ベルカント唱法なるものを習い始めて、時も経ったこの頃、‘自分なりに‘まぁまぁ・・のレッスンだったと思っていた、そのテープが。再び聞いてみると、酷いのなんの!

音程はふらふら、最も気持ち悪かったのは、腹から声を出してなくて、「作った声」でうわべだけで発声してること!うえぇ〜〜っ!でした。

あまりの酷さにショックで、同行したK氏にも言えず。。

ところが次の日、K氏の口から何と、全く同じことが!。
K氏も同じ先生に習ってるのですが、やはりテープを聞いてみたら、思ってたよりかなり酷く、とてもショックを受けたようで。
(二度と聞きたくないので、上から録音を被せたとか(笑))

・・とうことは、これまでは真実が全く見えてなかった、見ようとしてなかったということ?!

・・ということは発声に限らず、全てのことが?!(これまたショック)

それ以降の発声はとにかく「腹の底から」と意識するようになり、以前と違うとか・・

リトリートから帰ってからは、サイレンスに落ち着きたい、それが心地良いという気持ちが最もベースにあるようになりました。
会話に夢中になりながらも、今はそれを敢えてやっていることを意識するようになったような。

リーラスペースでの昼夜問わずのサイレンスは、例え2日ほどとはいえ、予想外の気づきと効果でした。

帰ってからは、なるべく瞑想をするように、そして週一回は自然の中(近くの小高い山にお気に入りの瞑想場所が)に行くように心がけています。
(帰ってから暫くは眠たい日々が続きました)

 私の参加目的の一つは、だらだらした日常を瞑想的生活第一にシフトする為の、モチベーションUP!

SP確立などとは、まだまだ程遠いので参加にはとても勇気が要りました。
(後押ししてくれたのは、その時は未だ見ぬ‘かりんとうまーくん‘でした。まーくんありがとう〜♪)

しかし、思い切って参加した価値は充分にありました。
リーラスペースに足を運び、あらゆることを自分の感性で感じてみる=沢山の気づきをいただきました。

場のエネルギー、そして真理の探究を第一目的とする方たちから発せられる一言一言は金言に溢れていました。

気づき、ハート、Beingについては、キヨタカさん、ぱるばさんからのレクチャーがあり参加してはじめて、そういうことだったのか〜とわかりました。

SPの位置についても、本に書かれていることを自分流に解釈して、そのまま放置してたらとんでもないところでした。

OSHOの技法は初めての体験でしたが、自分に必要と思われる有効的な技法が沢山あると感じ、機会があれば近場でも参加してみようと思っています。

それから、SPに入ってる時と、入ってない時の違い、帰ってから演じてくれたK氏のお蔭さまでそのコントラストが良くわかりました。

 
 スタッフとして参加してくださったアクランクさま、瞑想者、真理の探求者としての毅然としたお姿は頼もしい限りでした。

ヨガビシャさまは正に女神様のようで見惚れてしまいました。

いつも美味しいお食事を用意してくださったコキーラさま、ようこさま、ただものではないお二人と感じました。
ちーちゃんのような猫が側に居るだけで悟ってしまいそうなそんな大した猫ちゃん。

ぱるばさんの例えようも無い素敵な御顔、しかし、流石にDナミックの時は「大変だろうなぁ・・」といたわりの気持ちを抱きつつ・・ぱるばさんが一生懸命やってるのだから、こっちもと、頑張りました!

「振り返って、サイレンスを続けてやった時が最も深くなった」と仰った言葉は印象的でした。
Beingの瞑想で野外に出た時、みどりの原にそれぞれが座ってる光景はまるで天国のようでした。
ぱるばさんのDィクシャと立ててくださったお抹茶は、思いもかけないご褒美のようでした。

緊張からか、前の日は結局一睡もしないまま修善寺へ向かいましたが、キヨタカさんが「こちらに身を運んでいたただければコトは自然に起きますから」と仰って下さった、そのとうりでした。

リクタさんのセッション、あれほどまでに深くリラックッスしたセッションは初めてでした。自分の身体の声にもっと耳をすますようにと仰ったアドヴァイスには、「はっ!」としました。

振り返ってみて、参加者、スタッフの方々ユニークで、とっても楽しかったです。
魂が喜んでいたのかもしれません♪
またいつか行かせていただけたらと思います。

みなさま、どうもありがとうございました☆

スプーン曲げは世界を救う!?

2009年7月11日(土)  晴れ  by キヨタカ


今から8年間のちょうど今頃、私は覚者フーマンの個人セッションの為にハワイに滞在していた。
変な話だが、3回目のセッションを受けた日の夜、超能力が身に付いて「スプーンが曲がる」夢を見た。

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こうした超能力の類いは「正当派の瞑想」を自認する私にとっては、「邪道」に属する。
こうした特殊能力をみだりに使った為に道を誤った例は、多々ある。
特に私の場合、青春時代に坐禅で「魔境」に陥り、危うく精神崩壊の危機に遭遇したので、警戒心は人一倍強い。

しかし非常にリアルだったので、ためらいがちにフーマンに質問したところ、「スプーン曲げはあり得る」との回答を得た。
(詳細は「恩寵の扉が開くまで」P172参照)

それからそんな事はすっかり忘れてしまったのだが、今年の4月、私の記事が連載中の「Star People」(を出版しているナチュラルスピリット社長の I 氏)がユリ・ゲラーを日本に招待したという話を聞き、講演会へ行ってみた。
フーマンの話が本当かどうか、確認したい思いが湧き上がってきたからである。

結果は、確かにシロウトの私には超能力でスプーンを曲げている様に見えた。
しかしそれが果たして手品か本物かを見極める力は私にはなかった。
それはともかく、ユリ・ゲラーのポジティブでエネルギッシュな存在感で、見ている私も元気になった。

ユリ・ゲラーに触発されて俄然「スプーン曲げ」の真偽に興味を覚えた私は、今年の5月に長崎のアンデルセンと言う非常に有名な喫茶店へ単身乗り込んだのである。

ばかばかしいと思いながらも、突然、どうしても行きたくなってしまった。
私の人生は、そうした衝動に突き動かされて、物事が展開して行く事がよくある。
マスターに言わせると、「お店に来る事は既にあらかじめ決まっていた」との事であるが、、、。

ともかくも、そこのマスターのパフォーマンスは、我が目を疑う事の連続だった。
(暇な人は検索エンジンで、この喫茶店を検索して下さい。色々なブログがありますよ!)

どう考えても手品とばかりには思えないのだが、非科学的なものを認めようとしない頑固さは大槻教授にも負けない私は、もう一度客観的に真実を確かめるべく、今度はヨガビとぱるばを誘って再びアンデルセンを訪れたのである。

昨日の事だ。

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はるばる長崎までやって来た、我らが超能力調査トリオが出した結論は、、。

やはり、「長崎ちゃんぽん」と「皿うどん」はどちらも美味い。
そして、カステラには珈琲がよく似合う。

最期に肝心の超能力であるが、、、。
直観的ではあるが、調査の結果は、どうやら「本物と結論づけて良い」のではないかというのが、3人の結論である。
マジック・パフォーマンスとして行っているので、どこまでが手品かどうか非常に見分けにくいが、敢えて見分けにくくしている様だ。
正面から真実を明らかにしようとすると、それに対する反発や攻撃が尋常でない事は、超能力者でない私にも良く理解出来る。

ユリ・ゲラー氏もアンデルセンのマスターも、実際にお会いするととても気さくで、誰もが持っている潜在的能力に目覚める事を勇気づけてくれて、好印象を持った。

また2人とも、「他人を介する事なく、直接宇宙の源泉と繋がる事で、能力が開花する」という事を語っていて、我が意を得たりと言う思いだった。


パフォーマンスの一部に、お客さんの悩み(質問)を紙切れに書いて箱に入れ、質問者以外は誰も質問内容を知らずに、マスターが直接その質問に答えるというものがある。
質問者はくじ引きで選ばれるのだが、ラッキーな事にヨガビとパルバが質問者となった。

マスターは、ヨガビもぱるばも初対面であるし、質問内容も解らないはずなのに、そのものズバリを正確に答えている様で驚いた。

しかしパフォーマンスの後で2人に質問内容(悩み)を詳しく聞いて、ビックリ仰天した。

ヨガビの悩み(質問)は、「部屋が散らかるのでどうしたらよいか? 」
パルバの悩み(質問)は、「今夜の夕食は、何を食べよう?」

おい、おい、おい、もしからしたら世界一の超能力者かも知れない人に対して、せっかく貴重な悩みを相談する権利を与えられたのに、君たちの悩みってそんな事なのか!?

だいたい「部屋が散らかる」というのはキヨタカの問題であって、ヨガビのではない!

「今夜の夕食、何を食べよう?」って、答えは「長崎チャンポン」に決まっているではないか!
「皿うどん」を選ぶべきかどうか、そんなの関係ネー!

私だったら、「スプーン曲げは世界を救うか?」とか「世界不況に超能力はどう使えるか?」とか「どうやってリーラスペースのお客さんを増やせるか?」とか「超能力で体重は減らせるか?」とか「私がまだ悟らない理由」とか、「悟りと超能力の関係」とかとか、質問が何百と出て来るのに!

もしかして、ヨガビもパルバも「悟りの遥か上」を歩んでいるのかも知れない。
2人の悩みなき幸せ振りに感動して、超能力者アンデルセンのマスターの強烈な印象もいささか陰が薄くなってしまったのであった。

「今、この瞬間、生かされている奇跡に感謝して、幸せで在る!」

これが世界中で最大の超能力なのだ。

ヨガビとぱるばの超能力にあやかれる私の幸せを、しみじみと味わうのであった。

PS アップした写真も、曲がってしまった!
  (超能力かそれとも単なる技術的問題か?)

遠方から…

2009年7月9日(木)  曇り  by キヨタカ


今回のワンデーには、兵庫等の遠方から参加された方もいた。
Kさんは大阪からの参加だった。
初めての参加だったが、確実に掴むものがあった事が感想から
伺えて嬉しい。

* * *

リーラスペースのキヨタカさま、ヨガビジャさま。こんばんは
今回のワンデーイベントに参加させていただきましたKと申します

(略)

大阪から夜行バスで東京に直行。寝不足のままの参加ということで瞑想中に眠くならないか不安だったのですが、なぜか驚くほど集中できまして、休憩時間中も瞑想を続けていられたのは驚きでした。
場のスペースが、エネルギーをくれたのでしょうか。

イベントの内容ですが、特に本を読んだだけではあまり理解のできなかったビーイングの瞑想について学べたことが個人的に大きかったです。

気づきが「I」、ビーイングが「AM」だという説明が凄く腑に落ちたというか…わかりやすかったです。

瞑想会には初参加でしたが、また参加したいと思えました
何より実際に瞑想してる人々を見たのは初めての経験でしたので、自分のモチベーションが上がるのを感じました

有難うございました

最上の喜び

2009年7月7日(火) はれ時々曇り   by キヨタカ


 私が生まれて間もなく、『喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)』と言う映画が大ヒットしたそうだ。
人生長く生きると、悲しみも多いが喜びもたくさんある。
喜びに出逢う度に、生かされている事に対する感謝の気持ちが湧いて来る。

どんな時に一番の喜びを感じるかは、人それぞれだが、私にとっては「自分が成長する事」こそが最上の喜びだ。
ずっと若い時からそうだった。
(だからその裏返しとして、いつまでたっても成長出来ないという嘆きと悲しみも多々あるのだが、、)

しかし最近は、「他の人が成長する事を知る喜び」がそれに加わった。
特にリーラスペースのイベントに参加された方が驚く程変化して行く様子を知ると、自分がこのワークに従事出来る事に対する感謝の念がふつふつと湧き上がって来る。

こうしたワークに従事していると、上手く行けば行く程、様々な非難や困難、障害等も起きて来るものだ。
赤字続きのイベントが続いたりすると、さっさと廃業してウィンドサーフィン三昧の生活を送った方がずっと幸せなのに、、と思ったりもする。

だがしかし、、。
参加者が確実に成果をあげている事を知ると、どんな障害があっても、瞑想を皆さんに分かち合いたいという気持ちが魂の奥深くからこみ上げて来る。

「もう、ど〜にも止まらない!」のである。

Mさんから、素敵な感想のメールを頂きました。

* * *

リラスペース御中

 週末の新宿での瞑想会ではお世話になりました。その感想をお送りします。

 日ごろは行き帰りの通勤電車で「朝夕50分間」の瞑想をしていますが、自分の状態がどの程度進展しているのかは分かりにくいものです。
でも何カ月ぶりかで瞑想会に参加してみると、以前に同じ場所で同じ瞑想をした時とは、自分自身が明らか違うことが確認できました。その変化が以下の3点です。

■「点」のプレゼンスがもう再現できない
 もともと僕のステート・オブ・プレゼンスは「頭の中の一点」であり「思考を監視する位置」でしたが、今は「広がった空間」として在ります(ときどき忘れますけれど)。

今回の瞑想会で久々にプレゼンスに集中する瞑想をしましたが、「点」としてのプレゼンスがうまく再現できないことに驚きました。
意識の力を頭の辺りにぎゅーっと集めても、すぐに普遍の空間へと、ふぁーっと拡散していく感じです。
確かに、空がある程度晴れたら、そこに小さな「雲の切れ間」を探すことはできないですし…。
そういうものなのか、後戻りは不能なんだなと深く実感しました。

■「気づき」と「Being」が交わっている
 「気づき」は澄み渡った青空で上にあるもの、「Being」は深い漆黒の海で下にあるものとこれまで認識していました。
ところが最近、上にも下にも同じ「永遠無限のもの」が広がっている感覚を持っていたことを、瞑想会の途中で気が付きました。「いつの間にか認識がうつろになっている!」と思いましたが、後にキヨタカさんの「気づきとBeingはやがて一体となる」という説明を聞いて納得しました。

■「幼い自分」がマインドの語り手だった
 今回の最大の成果はこれです。
「ジベリッシュ」をしているとき、以前はたまったウサを晴らす感覚でやっていました。
でも今回、さまざまな感情が出てくる源を探るように見てみると、すごく幼いころの自分がそこにいるではないですか! 
「知らない人が怖い。受け入れられないのが怖い」と、臆病に脅えています。
さらにもう1人出て来ました。
知識や洞察力を身に付けた、大きい子どもになった自分です。
他人から認められたい、見放されないようにと、一生懸命に絶え間なくしゃべり続けています。
日ごろのマインドの活動のほぼすべては、この「2人」によるものでした。

最後のハートの瞑想で彼らを浄化してあげましたが、ものすごく感動的な思いがしたので、また後日に追伸しますね。


 以上です。日常的なトレーニングのような気分でぶらりと瞑想会に参加しましたが、その成果は期待値を格段に超えたものでした。
プログラム構成もキヨタカさんの説明も、前回より一層磨きがかかっていると感じます。

そもそも30年の探求を3日間のリトリートに、さらにそれを1日の瞑想会に凝縮するなんて、改めて考えてもすごいことですし、そこに一切の妥協がないことには感服します。

夜に5万円のコース料理を出す一流レストランで、8千円のランチをご馳走になったって感じです。

またよろしくお願い致します。

M

* * *

私が何十年かかってようやく到達したポイントに、Mさんはわずか数年で到達しています。Mさんの成長ぶりは凄いなーと感激しました。
Mさんの進歩は、私の「最上の喜び」です。

ところでよく考えてみたら、Mさんがリーラスペースの瞑想リトリートに初参加してから、数年どころかまだ9ヶ月経っていないではありませんか!

(イベントの後で夕食を共にしてその事が話題になりましたが、なんだかずっと昔から知っている感じがします)

最近の意識進化の加速化には、驚くべきものがあります。

過去においては、仏陀やイエス等、ほんの一握りの方した手に入らなかった「宝」を、誠実に求める方にはどなたでも手に入れる時代に突入したのです!


リーラスペースの究極の目標は、「光の集まる場を創造して、悟った人々を量産する事」なのですが、Mさんの感想を読み、どうやらそれほど先の話ではなさそうな気持ちになりました。

深い安らぎの状態を、、

2009年7月6日(月)  雨  by キヨタカ


 新宿ワンデーセミナー参加者のHYさんから、さっそく感想のメールを頂きました。
HYさんは、前回のセミナーに引き続き2回目の参加です。


わずか一日のイベントですが、成長されている様子が文面から伝わって来て、嬉しく思います。

次回は是非、修善寺のリトリートでお会いしましょう!

* * *

ワンデーセミナーに参加しましたHYです。
おかげさまで、深い安らぎの状態を体験出来、ビーイングを垣間見ることが出来ました。

ありがとうございました。改めてお礼申し上げます。

また、今まで、瞑想に関して、ただ無になるだけであれば、熟睡状態と同じですし、それこそ死んでいるのと変わりがないではないかと疑問に思っていたのですが、そうではなくて、プレゼンスを保ったままビーイングに入る、言わば「起きていながら熟睡状態の完全なくつろぎを味わう」のがその目指すところであり、三昧であると伺い、大変学びとなりました。

ここにも大きな二元性の統合が見られるのですね。

ありがとうございました。参加出来て、よかったです。

天上のお導きにも、深く感謝致します。

プーナのアシュラムより…?

2009年7月5日(日)  曇り   by キヨタカ


 新宿瞑想会が無事終了しました。

「初心者にもなるべく分り易く」を心がけましたが、今回のワンデーは1名を除いて全員が「アジズとの対話」の読者でした。
そこで結局、非常に中味の濃い内容となってしまい、参加者が消化不良になってしまわない事を祈っています。

ところで、先日行われたリーラ瞑想リトリート参加者のMさんから感想を頂きましたので、アップします。
Mさんは、インドのOSHOコミューンに行く事を希望されており、その前にOSHOの瞑想を知りたいと言う事で、参加された方です。

* * *

今回初めての瞑想リトリートに参加させていただきました。
プーナのアシュラムに行きたくなったのが、今回参加させていただくきっかけです。
インドまで行って、失敗だったというのはいやだったので、Oshoの瞑想がどのようなものなのか日本で体験できるところを探していました。そんな時出会ったのが、リーラスペースの瞑想リトリートでした。

今回参加させていただき、本当に大正解でした。
プーナのアシュラムに行ったことないのですが、プーナのアシュラムより「リーラスペースの瞑想リトリート」をお勧めします。

毎回行われるのか知りませんが、リトリート中一切の私語厳禁、さらには、頭の中での私語厳禁が徹底的に行われます。
今まで、「思考をとめなさい。」、「常に意識的でありなさい。」ということをいわれ続けてきました。
しかし、それがいったいどういうことなのかリトリートに参加するまで、体験的に理解していませんでした。
リトリート中「ただ今にいること」を強制的に体験させてもらえた、とっても貴重な体験となりました。
この強制的にということのありがたさを痛感いたしました。
これを体験できるだけでも、参加する価値ありです。

プーナでは、できないと思います。
(プーナでもサイレントシールを胸に貼って私語厳禁にできるそうですが、プーナでは、頭の中の私語厳禁の強制はできないのでは?できたらごめんなさい。)

強烈なOsho瞑想を次々に段階を踏みながら体験することができました。
Osho瞑想に興味をお持ちの方は、絶対お勧めです。
丁寧に、手取り足取りOsho瞑想を指導していただきました。
Osho瞑想を一切知りませんでしたが、大いに魅力を体験することができました。

Oshoの瞑想は、どれも強烈でしたが、ダイナミック瞑想は、半端なく強烈でした。
ただ座ってする瞑想とは違い、Oshoの瞑想は、中途半端にやってはいけない瞑想のようです。

座ってする瞑想だから中途半端にしていいということはないのですが・・・。
Oshoの瞑想は、全身全霊を込めてすればするほど、その見返りは大きいものがあります。
ぜひ、一度体験してみることをお勧めします。

正直、プーナのアシュラムに行くのなら、リーラスペースの瞑想リトリートに参加するほうが安上がりで、しかも濃い体験ができると感じました。
(プーナへ行ってないのに断言してます。すいません。)
プーナに行きたくなったら、また、参加させていただきます。

温泉もありがたかったです。
私は、1日に2、3回入浴していました。
とってもいいお湯でした。
また、入りにいきたい!!

お食事が、半端なくおいしかったです。
あの食事で、瞑想リトリートは最高です。
食事だけでも、宿泊に行きたいぐらいでした。
おいしかったです。ご馳走様でした。

以上、今後ともよろしくい願いいたします。

* * *

Mさん、初参加で大変だったと思いますが、トータルに関わって下さったので、とても素晴らしい瞑想フィールドが出来上がりました。
Mさんの真摯な姿勢が、他の探求者にとても良い影響を与えてくれました。

後泊も楽しかったですね。
ぜひまた、来て下さいね!

それから、プーナのコミューンもとても素晴らしい所です。
世界中から人々が集いますので、リーラスペースとは別の体験が出来ると思いますので、機会があればぜひ一度訪問して下さい。

いずれ、リーラスペースにも世界中から人々が集まるようになるといいな〜と夢見ています。

新宿瞑想会

2009年7月3日(金) 曇り  by キヨタカ


 いよいよ、明日と明後日、新宿で瞑想会が行われる。
前回、とても好評だったので、すごく楽しみにしている。

実は先日、久しぶりにウィンドサーフィンをしたのだが、強風(と運動不足)の為撃沈、右足の甲を痛めてしまった。

10年前に左上腕を複雑骨折した事があり、悪夢が蘇ったが、幸いイベントにも差し支える事なくほっとしている。
これも、何かのカルマ解消かも知れない。

少し歩くのが不自由だが、健康な時には忘れがちな、五体満足の有り難さをしみじみと感じる。

普段は全く忘れていたけれども、足はなんの文句も言わずに、ずっと肥満気味の我が体重を支え続けてくれていたんだな〜。
実に有り難く、自分の身体そして生きている事に対する感謝の念で一杯だ。

これまでの感謝を形にすべく、体重を少し落として、足への負担を楽にしてあげようと思う。

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