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2009年8月

雨の日の過ごし方

8月31日(月) 雨 by ヨガビジャ


(今日2つ目の日誌になっちゃうけど、あんまりかわいかったので…)
 
 
090831_005雨の日は、
家の中でひらすら眠り続けるちーちゃん。
(-。-)z-゜゜゜

なんだかそこだけぽっかりと、
異次元空間が広がったような、
平和〜・・・な、穏やかさ。。

眺めているだけで、頬がゆるむ〜〜〜。。。
(^ ▽ ^)
 
090831_007カメラを向けたら、
ぽ〜っとしたままの目を開いて、
私をみます。

きっと現実と夢の境界が
曖昧なのかも、ねこって。

私はちーちゃんの
夢の中の登場人物なのかもしれない。
( ・・ ?)
 
寝ているちーちゃんを放っといて、
久しぶりに温泉街の喫茶店「弘乃」に行って来ました。

いつのも丸い窓の席に座って、ピラフをいただいて、、美味しかった♪
ふだんは酵素玄米を食べているので、白いご飯(ピラフだけど)がとっても
新鮮なんです。

食後、キヨタカはコーヒーを飲んでいたけど、私はオーダーしませんでした。

・・・ピラフですっかり満足なのだけど、なにか・・
そう、、、なにか甘いものが欲しい。
ケーキを頼むほどじゃないのだけど、、。


090831_006そこで、テーブルの窓際にあった
シュガーポットのフタを開けると、、

あった!!
ブラウンシュガー。

・・・ぽり、ぽり、ぽり・・・。
(∪。∪)。。。

満足。

ごちそうさまでした。(-∧- )(-∧- )

「恩寵の扉が開くまで」補足説明1

8月31日(月) 雨 by ヨガビジャ


数ヶ月前、まだ「恩寵の扉が開くまで2」が発売される前のことですが、
Pちゃんがリーラスペースにやって来てこんなことを言いました。

「キヨちゃん、今、本を書いてるけど(恩寵の扉が開くまで2」のこと)、
 一般向けにフーマンさんが語ってるとこってあるの?
 どこが一般向けで、どこがキヨちゃん個人に言ってるか、
 読む人、解らないんじゃない??」と。

私も少なからず、Pちゃんと同じ疑問を感じていました。

いずれこのことに関しては、自分なりに感じる事を書きたいと思っていましたが、「恩寵の扉…2」が出版されたことですし、そろそろトライしてみようと思います。
 
 
<フーマンの語りかけている相手は…>

「恩寵の扉…1」では、フーマンはキヨタカの様々な質問に答えたり、キヨタカに伝える必要があると思われる彼の過去生について多くの事を語りました。

ですから、読者の方でたまたまキヨタカと同じ疑問を持っていれば、フーマンの言葉を自分への答えのように感じるかもしれませんし、キヨタカの過去生について語っている部分では、自分の過去生ではないけど、「なるほど、そういうこともありうるのか?(そういう考え方もありなのか?)」的な理解にも繋がる事はあるのではないかと思います。

しかし「恩寵の扉…2」になると、キヨタカは「カルマとブループリントの違い」の質問以外にもたくさんの質問を持って来たにもかかわらず、この時フーマンは質問に答えるより、キヨタカを「This」の留まらせることに焦点を合わせているため、「恩寵の扉…1」のような広範囲に渡る質疑応答にはなりえませんでした。

その「This」へと導くために語られるフーマンの言葉は、過去生には禅の修行でマインドを極限まで使い、また今生においても禅に始まり、OSHOの弟子として色々なワークを受け、その後も様々なマスターの元で学び瞑想をしてきた、そんなキヨタカに向けられたものです。

ひとりひとりは違ったバックグランドを持ち、今この瞬間にもそれぞれ違った問題を抱えている訳ですから、万人向けの教えというものは存在しないのではないか?と、私は感じています。

しかし、今こうしてこの本に目を通して見ると、たとえ特定の一個人の体験であっても、そこにはある一つのスピリチュアルなワークのプロセスを見通す事ができますし、過去の伝統や他の教えとの関連を照合して、理解のためのヒントとなり得る文脈をそこに見てとることもできます。

その具体的な箇所については、読まれる方の多様さを考えたら、それらを逐一ここで上げることは無意味に思われますし、「最善」は、この本を手に取られたひとりひとりがご自身の感覚にチューニングされ、「なにが自分にとっての真実か?」を感知されることではないかと考ています。

しかし、これまでに質問や感想の形で寄せられる文面の多くに、共通している疑問がいくつかありますので、「恩寵の扉が開くまで」を読む上での補足説明として、私なりの理解ここに書き記したいと思った次第です。


ただし、そこに真実があるかどうかの判断は個々人にお任せするとして、あくまでも自己責任において読み進められることをお願いします。
(ちなみに私はアジズの個人セッションは受けましたが、リトリートには参加していません。このことも踏まえてお読み下さい)

(つづく)

不審者?

8月29日(土) 晴れ by ヨガビジャ

先日それといって用事はないのだけど、セイフー(スーパー)に行きました。
ちょうどお腹が空いていたので、食料品売り場を


 なにかないかなあ〜?( ̄∇ ̄ )〜 )))

と、ブラブラしておりました。


こんな時の私は、事前なにを買うか決めて目標の売り場にまっしぐら、、
なんてことはなくて、フラフラと、


 食べたいの、コレかな〜?( ・・ ?)

と、商品ケースの前に立ってはじーっと商品とにらめっこして選びます。


この時は、
プリン → ちがう、杏仁豆腐 → ちがう・・・と甘い所からせめていき、
さらにお惣菜売り場へと進み、
焼きそば → ちがう、サラダ → ちがう、、
そしてふと、揚げ物コーナーの前に立ったら、


 <やさいコロッケ ¥70-> の文字。 w(  ̄o ̄ )wオオー!


 あ、これ! \( ̄∇ ̄*) 


って感じで、近くにあったビニール袋にコロッケを1つ入れてレジへ直行♪

(こんな時キヨタカなら「1つなんてカッコ悪い」からと、3つは買うな…)


そこはおばさんの強み、同じくレジのおばさんに、

「レジ袋、けっこうでーす♪」と一言。

透明なビニール袋に入ったコロッケをぶら下げて、駐車場へ。

ほんとは家に帰ってから食べるつもりだったけど、運転席から助手席に鎮座するコロッケに目をやると、ちょっと昔風のやさしい感じのコロッケの風情が漂ってる。。

空腹と誘惑に勝てず、コロッケを半分ビニール袋から出して食べ始めました。

すると、予感的中!
私好みの、ほんのり甘い昔風な野菜コロッケ♪


私、こういうのには直感がはたらくのよね〜。 ( ̄ー ̄)ニヤリッ


右手でハンドルを握りつつ、左手でコロッケを頬張る。
そんな状態で、信号が赤に変わり交差点の手前で止まっていたら、右折して来た対向車のおばちゃんと目が合いました。
そのおばちゃんの表情が一瞬固まって、ハンドルを切りながら目は私に釘付け状態。


・・なぜに、、??( ・・;)? 


再び発信しておもわず納得。

おそらくあちらから見たら、
ビニール袋を鼻か口に当てて、ス〜ハ〜…してる危ない人、
または、気持ち悪くなって吐く寸前の人と思われたっぽい・・・。


小さな街、不審な行動は控えよう・・。_| ̄|○ 

本物とは

8月28日(金) 晴れ by ヨガビジャ


醇肥辛甘非真味
真味只是淡
神奇卓異非至人
至人只是常    (菜根譚より) 


 ↑ こんな言葉があるそうで・・。
   でも、意味不明。(;^_^A

 ↓ そこで現代語訳すると、
   こんな意味なのだとか・・。


芳醇な酒、肥えた肉、辛いものや甘いものは真の味にあらず。
本物の味とは淡いものである。
同様に、本物の人とは、神がかったり、奇跡をなしたり、何かに卓越したり、異才、非凡さを一切感じさせない人である。
ただ普通の人のように見えるだけである。

***


スピリチュアルな世界でも、奇跡や超能力を見せたり、人とは違った霊能力やカリスマを求めることの危険性が語られたりしますが、そのようなことなのかな?と最初に思いました。

私たちは、普通でないこと、目立つこと、分かりやすくダイレクトに感情または知性に響くものなどには、すぐに気づき惹かれる傾向があるように思われます。
それが必ずしも悪いとは思いませんが、それとは対照的に、ごく普通のことや微妙なこと、繊細な動作などは、無意識に見過ごしがちではないでしょうか。


なぜこんなことを書いているかといいますと、、。


先日この日誌で紹介した「 Knowing 」という映画の中で、子供たちを救うためにやって来た宇宙人たちの描写が、私の目にはかなり不気味に映りました。

1回目を観終わった後、人類の進化を完全な無に帰してしまわないために訪れたのであろう進化した宇宙人たちが、なぜあんなに無表情で不気味に描かれているんだろう?と思いました。
もう少しくらい友好的な描写があってもよかったのではないかと…。

観終わった後、ずっと引っかかっていました。

でも2回目に観た時、宇宙人たちが人間の姿から光の身体に戻り宇宙船に乗り込む時、ひとりの宇宙人の子供を招く手の仕草や、愛する息子と離ればなれになり滅亡の迫る地球に残される父(主人公)に、振り向き様に軽く会釈するような(気遣うような?)仕草があることに気づきました。

それはとても微妙なのですが、宇宙人たちが人類を慈しんでいることを私に感じさせてくれました。

そのことを暗に示すかの様に、宇宙人たちの光の身体の肩越しに、光の翼らしきシルエットを見たことで、私の感じたことに確信を覚えました。

じつは私は、翼はハートから生えているということを以前聞いたことあり、なんとなくそれは正しいと感じていました。。
だから私の中で翼というと、それは拡大したハートの顕われ…そんなイメージに直結してしまうのです。

意識レベルが上がるほど、その波動はより高まり、その表現形態もより繊細で精妙なものになってくるのではないかと思います。

私たちがそれを認識するためには、既存の常識を手放し、オープンな感性をもち、より繊細であること、こういったことが求められるのかもしれません。


「本物の味とは淡いもの」・・

味がないと嘆く前に、「自分の味覚は確かなのか?」が問われるべきなのでしょう。
魅力的ではありますが、極端に辛いものや甘いものに対しては無意識に流されないようにしたいものです。


なんて、綿菓子でハッピー♪な私が言っても、説得力がないですね。
(^^;)

初ギョーザ

8月27日(木) 晴れ by ヨガビジャ

夕べはキヨタカがいないのに、生まれて初めて「豆腐のギョーザ」を作りました。

理由は単純、豆腐の賞味期限が過ていて、ギョーザの皮も買っちゃってたから。。

キヨタカったら、なんの前触れもなく出掛ける予定を早めちゃうんだもの。
夕食メニューの予定が狂った結果です。(−_−メ)


ギョーザって、子供の頃一度だけお母さんのお手伝いで皮に具を包んだことがあるのみ。
それも子供のすることですから、パタっと半分に折っただけで、ヒダも寄せてないの。

今回は、ちゃんと本を見ながら中の具材を作って、皮もちゃんとヒダを寄せてギョーザらしい形に挑戦しました。


1個目、具が多過ぎて皮からはみ出す。

2個目、皮が破れる。

3個目、羽が生えたシュウマイ型…
 
などなど、様々な奇形を生み出しつつ、なんとか形になり始めました。
 
090826_001←これ。
 ちゃんとギョーザに見えるね♪

 でも1袋分(=30個)を作るのに
 途中から飽きてきて…。

 春巻きの皮で巻けば、
 5,6個で終わる・・・( ̄⊥ ̄)・・・


 そんな、邪(よこしま)な考えが脳裏をよぎりましたが…。
 
 
090826_002←そんなこんなで、完成図。

 レシピ通り中火で10分焼くつもりが、
 予想より早く焦げ始めて、慌ててお湯を入れて
 蒸し焼きにしたらパリッとならず、
 しんなりしちゃった・・。

 味は美味しかったですよ。(^^)v
 
 
 ただし、材料の干し桜えびをケチって半量以下にしたため、
 ほのかなエビ風味になりましたけどね・・。( ̄∇ ̄;)
 
これ、干しえびを椎茸とか他の材料にしたら、リトリートにも出せそう♪

でも、私は30個が限界かな?

いえ、食べるのじゃなくて、作るのね。。

(私が8個食べた残りは冷凍しました♪念のため。。)

マジですかっ!?

8月26日(水) 晴れ by ヨガビジャ

私はたまに、アマゾン(南米じゃくて、本とかいろんなモノを販売しているネットショップの方ね)で、「アジズとの対話」や「恩寵の扉が開くまで」のレビューが新たに書き込みされていないかチェックをしています。

今日もチェックしてましたら、新しいレビューの代わりに驚くべきものを発見しました。

「恩寵の扉が開きまで1」のコレクター商品に¥3,980-の高値がついていたので、もっと詳しく見ようと<中古商品をみる>という所をクリックしたら、その¥3,980-の下に


『 ¥50,000- 』の文字がっ!! ( ̄□ ̄;)!!


な、なぜに・・・。( ̄。 ̄;)

ゼロをひとつ付け間違えたんじゃない?と思ったものの・・・謎。。

おまけに、¥3,980-の方は<コレクター商品-ほぼ新品>に対し、¥50,000-の方は<中古品-良い>というコンディションなのに。。

さらに、謎。。。(ー’`ー;)

いまひとつアマゾンのシステムは分からない・・。
 
 
・・・うーん。(; ̄⌒ ̄)

ほんとに¥50,000-で売れるなら、うちの物置は宝の山。
私たちは、お金持ちなんだけどな。。

早くアマゾンの在庫売り切れないかな〜♪
(も、もちろん、定価で販売しますよ!(汗))

美しさの本質

8月25日(火) 晴れ by ヨガビジャ

数日前、ネットサーフィンをしていて、とても素敵な詩に出逢いました。

見慣れた景色の中を散歩していて、ふと足下に、小さいけれど天真爛漫にその存在を咲かせている花、そんな花に出逢ったような感動に、ハートが震えました。


『美しさの本質』

 今日は始まりの日
 慶びの日

 あらゆる存在が祝福される日
 新しい世界の始まり

 すべての人々が美しく
 ただそのまま在る世界

 人が純粋にその人自身であるとき
 小さな「自分」は消えてなくなる

 花は周囲に微笑みつづける

 それが美しさの本質

 ただ在る美しさに皆が気づく世界
 


…真実はシンプルなのだと感じます。。

Star People Vol.30 明日発売!

8月24日(月) 晴れ by ヨガビジャ

明日25日は、「Star People Vol.30」の発売日です!

今号のテーマは、「不老不死の可能性を探る」。


Sp30

グルジェフやアンマなど…かなりの有名どころの記事が載っています。

そして巻末の方ではありますが、「日本のライトワーカー/偉大なる先人たち」として合気道の植芝盛平翁が取りあげられています。


じつは、フーマンは植芝先生のことをとても敬愛していて、日本に着いた最初の言葉が「合気神社に行きたい!」でした。

この記事には、合気神社の参道で真剣をかざす植芝先生の写真がありますが、私たちもフーマンの影響でこの神社を訪れた事があります。
簡素ではありますが、凛と澄み切った空気に満ちた大変清々しい場所であった事を、この写真から思い起こしました。

少し発売の話からずれてしまいましたが、この「Star People」、様々な分野についてかなり広く紹介されていますから、私やキヨタカのように瞑想方面に偏りがちなスピリテュアリティの理解を、よりバランスをとってくれるいい雑誌だと思っています。

さて、以前前号をこの日誌に紹介した時、次号から隔月発刊と紹介しましたが、その後、これまで通りの3ヶ月毎の発刊という事になりました。
たしかに、これだけの内容を隔月に発刊するというのは並大抵じゃないことは想像できますし、ここに連載を書いているキヨタカとしては、少しでも間は長い方が丁寧にいいものが書けるので、良かったなと思います。

キヨタカの連載記事「覚者を求めて」の今号のサブタイトルは、「キリスト(の教え)がやってきた!」。

「禅で悟りを開いて頭を良くしてから司法試験に合格しよう!」と意気込んだ若き日のキヨタカのその後のお話です。

私はもう10年以上キヨタカを見てきていますが、本人は一生懸命に人生の舵取りをしているようですが、じつはそんなに頑張らなくても、結果的には同じ所に行き着くように導かれている、そんな気がしています。。

ま、頑張った分(無駄に体力あるし…)、物事の起きるスピードが早まったのかもしれないけど…ね?( ・・ ?)


ぜひ、Star People Vol.30を読んで(笑ってやって)下さい。

トラブル

2009年8月24日(月) 雨 by キヨタカ


 インドは、世界の精神文化の源流だ。
内面の探求にかけては他に類を見ず、最も素晴らしい宝物を人類にもたらしてくれる。
私は毎年の様にインドを訪れていたものだが、ここ7年間はすっかりご無沙汰してしまった。

そこで、久しぶりにヨガビとインド旅行を提案。
几帳面できめ細かいA型おとめ座のヨガビにとって、インドはきつい。
しかし不思議な事に、今回は心良く賛成してくれた。

今は雨期だが、瞑想の旅を志す我々にとっては、内的な境地を深めてくれるからむしろ大歓迎。
ヨガビの為に快適な旅とすべく予算も多めにして、旅行計画もバッチリ!
JALでデリーに飛び、列車でアグラまで行き、タージマハルを礼拝する事から旅を始める事にした。

Agra7jpg

ところがインドで旅行と言えば、トラベルではなくトラブルと言うくらいで、計画通りには絶対に進まない。
デリーに着いたものの、アグラ行きの列車が運行休止、原因は全く解らない。
しかたないので、雨の中、市内の旅行代理店で別の交通手段を算段するハメに陥った。

しかし5〜6件の代理店をかけずり回ったが、なかなか他の交通手段が見つからず、疲労困憊してまった。

そしてなにげなく、自分のお腹を触って、背筋が凍り付いた。
なんと、命の次に大切なはずのポーチがないではないか!
中には大金とパスポートが入っている!!

土砂降りの雨の中を、先ほど訪れた代理店へ駆け戻ったところ、手前の路上の水たまりの中で、泥にまみれたポーチを発見した。

しかし、ここはインド…。

当然ながら、中味は空っぽになっていた。

「起きてしまった事は、仕方ないわ。これから先どうするかが大切よ!」

「それよりも、これ食べない。
インドにもあったのね。とっても美味しくて、幸せ♡」

とヨガビがノーテンキに宣わく。

ヨガビから差し出された綿菓子をほおばりながら、「なんでインドに綿菓子があるのだろう?」
と不思議だった。


だけども問題は、今日の雨、金がない。
行かなくちゃ、日本大使館に行かなくちゃ、お金を借りにいかなくちゃ、パスポート再発行にもいかなくちゃ、、、

ああ〜、これが夢だったら、どんなにいいだろう。
どうか夢であってくれ、と真剣に祈った。

でも雨にぬれ、インドなのにつめたい雨が今日は心に沁みる。
サバイバル以外考えられなくなる。
それは、いい事のわけないだろう?

雨の音に耳を傾けると、それは増々リアリティを増して、これが夢のはずなはい!

だって、本当に雨の音がする。しかも寒い。

雨の音にじっと耳を傾けると、冷気が肌を刺し、身震いしてハッと目が覚めた。
久しぶりに雨が降っていて、冷気が心地よかった。

あれは、本当に夢だったのだ。
絶望的な状況で、「夢であって欲しい」という願いが現実となり、しかも失ったお金とパスポートが戻って来た気分になり、とてもハッピーになった。

今回のこの夢を通して、いくつかのレッスンを学んだ。
いづれ、内容が整理されたら、日誌に書きたい。

最近、フーマンの言ういわゆる「これ」の力が強くなったせいか、マインドが静かになりつつある。

しかし、その反動なのだろうか、マインドのより戻し現象が時々起こる。
どうやら今朝の夢も、そんなより戻し現象の一つらしい。

「潜在意識のサバイバルの恐怖」(恩寵の扉が開くまでⅡP94〜97)が、夢となって現れたのだろう。

「小さな私」から「大きな私」へのシフトが起こり始め、ヴァサナ(マインドの潜在的傾向)が大きく揺さぶられた結果が、夢となって現れたのだと思う。

今朝の夢を見て…
以前の私だったら、まだまだ「小さな私」に支配されている未熟でダメな私、と嘆いていた。
でも最近は、お陰でまた一歩「大きな私」に近づけたんだな、と自分を褒められるようになったのが嬉しい。

苦悩

2009年8月21日(金) 曇り by kiyotaka

 
 「私は誰?」
「私は何処にいるの?」

世間でこの問いを発すると、「記憶喪失者」として病院送りになるかも知れない。

しかし実際は、我々のほぼ全員が「魂の記憶喪失者」としてこの世に生を受ける。

そして、この問いを抱いて初めて、魂の探求の旅が始まる。

この問いは、世間を生きる上では役に立たないだろう。
むしろ、世間を生きる上では障害になる可能性の方が大きい。

この問いを発したが故に、新たな苦悩が始まる。

探求の旅の途上では、何の疑問も持たず、世間を上手に渡っている人々が非常にうらやましく思えたりする。

出来る事なら、この問いを捨ててしまいたい。
そうすれば、もっともっと楽に人間をやっていけそうだ。

しかし、いったんこの問いを発したら、答えが見つかるまで、苦悩が終わる事はない。

そして、答えを見出した時、恩寵は始めから注がれていて、それは「苦悩」という仮面を被った「祝福」だった事に気づくだろう。

「苦悩」こそが、我々を真実の探求へ向かわせる大きな動力源であり、パワフルに真実へ向かって後押しをしてくれていたのだ。

Gさんから、「恩寵の扉が開くまでPart1,2」の感想を頂きました。
有り難う!

恩寵が燦々と降り注ぎますように!!

* * *

本を読み終えた後、真っ白なスペースがやって来ました。


その状態から感想文を書くことは難しかったので、何となしに漂っていました。


すると、過去に強く感じた、2つの苦悩のことが思い出されました。


自分の居場所が無い。
自分が誰かも分からない。


これは、努力して構築する、後付けの同一性の話ではありません。


私にとって究極のソリューションは、この本の中にありました。


本という媒体による、間接的なエナジーワークであると言っても、過言ではない気がします。


読むたびに、何かが喚起されるのですから。


本のトピックは多岐に渡っています。
ですからここでは、本を読んで、私が感じた雰囲気と、後で、心に残ったことの集約とさせて頂きます。


PART-1を再読して


フーマンが、未だ肉体的にも、こちらに来てくれている雰囲気でした。


私が最も喚起されたのは、
「現象世界からプラグを抜く」
というガイダンスでした。


PART-2を読んで


天井の辺りからフーマンの声が降りてくるという雰囲気でした。


フーマンは終始、懇切に、「This」について説きながら、光の中に溶け去っていくようでした。
我々を置き去りにするのではなく、包み込むようにして…


私の心に残ったのは、
「This」になりたいという憧憬です。


シンプルに人間の生を送るうえでは、

「自分に対して優しくありなさい」

というフーマンの言葉が、私に救いをもたらします。


この本は、読むたびに原点に立ち戻してくれ、また、変化の後押しをしてくれる、言わば人生のガイドのようなものです。


貴重な内容をシェアして下さったキヨタカとヨガビジャに、感謝を申しあげます。
ありがとうございました。

ちーちゃんの受難

8月20日(木) 晴れ by ヨガビジャ

うちのちーちゃん、私たちがキヨタカの実家から戻って以来、すごく甘えん坊になっています。

私たちに飼われ始めてから10日間の留守番は初めてだったし、一人(匹)になった途端、「地震はくるわ、台風は来るわ」で、かなり心細かったんだと思います。

数日前、いつものように玄関でちーちゃんの手足を拭いていたら、今ままでちーちゃんに無かったものを発見しました。
 
 
それは、『10円ハゲ!』 ( ̄◇ ̄;) エッ?


きっと、激しい地震の揺れ(屋根の瓦が落ちてたし…)や台風の大雨が
ちーちゃんのストレスになってハゲちゃった、、そう思ったんです。


それで、今日病院に連れて行きました。
もしかして、皮膚の病気だったら大変だしね。。

元々、ちーちゃんは庭で鳥やカエル、セミ、ネズミ、トカゲ(?( ̄- ̄;))を食べているので、回虫がお腹にいる可能性があるらしく、いずれ検査のため病院に行く予定でした。


洗濯ネットに入れられ、病院の診察台の上にのせられたちーちゃん。

自動的に体重が量れるようにようになっているのですが、数字を見るまでもなく、


先生 「よく太ったね〜♪」


私  「エッ!? 太り過ぎですか!?」


先生 「そんなことはないですよ。以前に比べて、ね。」


私 「先生、私たちがお盆で留守にしている時に地震があって、
   帰ってきたらこの子、すごく甘えるんです。
   じつは背中に『ハゲ』がてきているんですけど、
   これってストレスでハゲちゃったんでしょうか…?」


先生 (ハゲをよ〜く観察)


先生 「これはストレスによるハゲではありませんね〜。
    ストレスの場合は、肌はツルっとしていますから。
    これはまとまった毛がゴソッと抜けたみたいだし、
    治っているけど少し皮膚が赤いからケンカでもしたんでしょ。」


私 「そうですか〜・・・。」

  (内心:ストレスでのハゲならいい日誌ネタになったのに…)


それでハゲの話題は終えて、本題の回虫検査。


先生 「はい、じゃあ、体温を計りましょうね〜。」

    (といって、体温計をちーちゃんのお尻に「プスッ!」)


ちーちゃん 「ふみゃーー!」(> 。<)


先生 (スポッ!と体温計を抜いて)

   「熱は無いですね。…もう一度いれてみようね♪」

   (「プスッ!」)


ちーちゃん 「ふみゃーー!!」(> 。< ; )
      (少し暴れる)


先生 (体温計をもう少し深く入れようとする)


ちーちゃん 「ふぎゃ===!!」

      「シャッーー!!!」 (`⌒´メ)


先生 「あ、怒っちゃった。分かった分かった、止めようね♪」

(先生後ろ向きになって顕微鏡らしきものでなにか覗いている様子)

(こちらに向き直して、、)


先生 「虫はいませんね。だいたい虫がいたら痩せちゃいますから。
    この子はちゃんと「怒れる」し気力も十分! 健康ですよ!!」


というわけで、ちーちゃんにとっては受難とも言うべき検査を終えて富士見荘に帰宅。

車を富士見荘の階段の下に付けて、ちーちゃんを降ろそうとしても、なかなか私の膝の上から離れません。

しかたないので、私が抱いて車から降りてちーちゃんを地面に降ろしてあげたら、一目散に道路横のフタ付きの側溝の中に入って隠れてしまいました。


・・・地震より、お尻に「プスッ!」の方がトラウマになったみたいです。( ̄。 ̄;)
 
 
090820_008
←ちーちゃんの「10円ハゲ」を撮るのは難しいから、
 洗濯物の山に登るカマキリを撮りました。

 真っ黒なつぶらな瞳がかわいくて、
 思わず激写!ヾ(≧▽≦)ノ

 両手を広げて威嚇のつもりかな?
 ぜんぜん威嚇になってないからね〜♡

奇跡の脳

2009年8月20日(木)  晴れ by キヨタカ


 ジル・ボルト・テイラー博士著「奇跡の脳」を読む。
You Tube で講演内容は一応把握(←クリック)していたが、本で読む事でより深く理解出来た。


脳科学者だった彼女が、37歳で脳卒中になり、8年をかけて奇跡の回復をするまでの感動の物語だ。
彼女の場合、脳の左半球がダメージを受けたお陰(?)で、右脳が活性化し「宇宙と一体」である体験をしたという。

陰陽思想によれば、現象世界は全て相反する2つのエネルギーが対となって存在し、天と地、男と女、昼と夜、等々枚挙にいとまがない。

脳も右脳と左脳に分れており、それぞれ別の機能を司っている事は、今や常識となっている。

左脳は論理的思考や言語・計算・仕事、常識、右脳は創造性・直感・イメージ思考・音感・空間認識・遊び、などを司っているとされている。
瞑想が右脳と密接に関連している事は、多くの人々が既に指摘している。
また、右脳や左脳がダメージを受けた患者を対象とした研究も多々ある。

しかし、研究者自身がダメージを受け、そのダメージと回復のプロセスを研究者自身が綴ったものは他にあまり例がなく、大変に貴重な記録となっている。

彼女によれば、「右脳=サイレンス=存在と一つ=大いなる自己=悟り」、「左脳=批判的マインド=過去・未来=自我=苦悩」と非常にシンプルに区別している。

私の直感としては、「右脳=悟り」とバッサリ分類してしまう事には多少の抵抗がある。
右脳と左脳を越えた「全一な意識」の目覚めこそが悟りであり、彼女の本の中にも、その「全一な意識」を示唆する記述も散見する。
しかしそれはこの際、あまり重要ではない。

本人自ら述べている通り、多くの物事を「やる」ことに打ち込む左脳タイプの仕事人間だった彼女が、わずか4時間で右脳人間へとシフトして「存在と一つ」になり「ある」事に神の恵みをを感じる劇的な体験は、非常にドラマチック。

体験に裏付けされた記述は、とても迫力がある。

また左脳の機能を失い完全に外部の世界から切り離された絶望的状況から、もう一度奮起して回復するまでの8年間の努力は、大勢の人々に希望を与えるだろう。

特に「脳卒中の後6ヶ月以内にもとに戻らなかったら、永遠に回復しない」という医学界の常識を覆し、それは「本当じゃない」と断言しそれを証明した事は素晴らしい。

私も10年前に左上腕を複雑骨折した事があり、医者から「左腕はもう90度を越えて上に揚げる事は出来ません。」と断言された事がある。

しかし、それが間違いだった事は、たった今私の左腕が証明している。

世の中の常識や自分で創り上げた限界は、左脳による過去の記憶に過ぎない事が、この本を通しても理解出来る。

増々混迷を深める世界情勢の中で、「世界平和」が到来するとは、一般常識としては全く信じられない。
しかし、少なくとも個人個人が自己の内側に心の平和を見出す事は、今直ぐにでも可能だ。

博士が脳卒中で得た新たな発見を要約すると、以下になると言う。

「頭の中でほんの一歩を踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい」

我々瞑想に志す者にとっても、大いに励みとなるメッセージだ。

変化に備える

2009年8月18日(火) 晴れ by キヨタカ


 昨晩遅く修善寺へ戻る。
地震でお風呂場のタイルが剥がれた事は、既にMさんから聞いていたので予想通り。

しかし翌日、念のため富士見荘の裏手をチェックして、唖然とした。
なんと、屋根の瓦が一部崩落して、フェンスを直撃!

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この場所は、普段ヨガビが洗濯物を干している所なので、運が悪ければ瓦が頭に当たって「昇天」してしまった可能性もある。
やはり恩寵により守られていると言う事をしみじみ感じた。

今回の地震は、「古いものが崩壊して、新しい物事が起こる」という存在からのメッセージとして受け止めている。


そういえば、修善寺に戻る途中で、すれ違った車のナンバーが「555」のぞろ目をやたらと目にした。

ドリーン・バーチュー著「エンジェル・ヒーリング」によると、「555」の数字のメッセージは「変化に備えよ」で、詳細は次の通り。

* * *

シートベルトをしっかり締めてください。大きな人生の変化がやってくるからです。
この変化は「肯定的」「否定的」というふうに見るべきではありません。
なぜならすべての変化は人生の流れの自然の一部にすぎないのです。
この変化はあなたへの祈りへの応えかもしれません。
ですから心を静かにして自分自身を見つめ、感じ続けてください。

* * *

先日の日誌でも書いたが、富士見荘玄関前でみかけた「やまかかし」も存在からのメッセージとして受け止めている。

ヘビは何度も脱皮を繰り返すので、「古いものを脱ぎ去り新しく再生する」シンボルとなっている。

大きな変化に備えたい。

しあわせ♡

8月18日(火) 晴れ by ヨガビジャ

今日、キヨタカとアピタに行ったら、特設会場で綿菓子屋さんがお店を出していました。

数日前キヨタカの実家で、人気の「屋台メニュー(だっけ?)ランキング」をテレビで観ていたら、焼きそばやりんご飴、焼きイカなど、定番屋台がたくさん出てきて、「食べたいなあ〜・・」(*^ 。^)って思っていたんです。


そしたら今日、アピタで「綿菓子」を発見。
大好きなんですよ〜・・子供の頃から。。。

思わず、

「キヨタカ〜!『綿菓子』買って!!」 (* ̄ 。 ̄)ノ


キヨタカに300円払ってもらい、白い綿菓子ができるのを待っていたら、
おじさんが、

「もう1色、何にする?」って。。

私が、「キョトン( ・・ ?)」としていると、
キヨタカが横から「ブルーハワイ!」と一言。

うわ〜♪ オマケしてもらっちゃった♪♪

「ありがとうっ!!」ってお礼を言って、さっそく歩きながらほおばろうとするキヨタカに「待った!」をかけて撮った写真がコレ。
   ↓
090818_003001_3 カーネルおじさんといっしょ♪
 なんか似てるよね。(^^;)
 
 
 何十年ぶりかの綿菓子で、
 とっても幸せな気分になりました。*:・゚\( ̄∇ ̄*) 

(明日もアピタに行っちゃいそうです・・)

「悟りの壁を突破」する(本の感想 by Pちゃん)

2009年8月17日(月)   晴れ  by キヨタカ

早いもので、お盆がもう終わってしまった。

今、小山の実家から一路修善寺へ向かっている。
帰路の途中で、逗子のマリーナに立ち寄る。

地元の住人、Pちゃんに久しぶりで会ったが、相変わらず元気一杯。

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マリーナ内の「シーサイドカフェ」でお茶を飲みながら、この日誌を書いている。
眼の前にとってもお洒落なリゾートマンションが建っているが、あの文豪川端康成がこのマンションに晩年住んでいたと言う。

彼もここで珈琲を飲みながら、執筆活動をしていたのだろうか?

ところで帰路途中の車の中で、ベルリンの世界陸上100Mでボルトが9秒58の世界新記録を出して優勝したというニュースを聞いた。

私が子供の時に開催された東京オリンピックでは、「10秒の壁」を破れるかどうかで大騒ぎをしていたのに…。
今や9秒台で走れる実績がないと、世界大会の決勝には残れない時代だという。

絶対に無理と思われていた「10秒の壁」を一人が破ると、次から次へとそれに続く強者(つわもの)が現れる。
精神世界では、「個人の覚醒が、人類の集合的覚醒を促す」と言われるが、スポーツの世界にも当てはまるのだな〜と感心している。

Pちゃんが、「恩寵の扉が開くまでⅡ」を読んだ感想を、アイスカフェオレを飲みながら熱心に語ってくれた。
独特のPちゃんランゲージを要約すると、次の通り。

* * *

「ボクは〜、30年前に初めてインドでOSHOに逢ったんですよ。
そん時に〜、エネルギーか存在かなんだかよく解らないんですけど、ブァ〜とね、こ〜んなフウに広がって〜、【宇宙とひとつになる体験】をしちゃんたんですよ〜。

今にして思えば、その体験こそがフーマンの言う【これ】だったんですよネ〜、ハイ。
でも〜、それを明確に説明してくれる人や本に出逢わなかったんですよ〜。
だから〜、それからずっとあれこれ探求を続けてきました。

ところが〜、あの本を読んでからというものは〜、【これ】が【これ】なんだ〜!と言う事が〜、非常に明確になったんですよね〜。

【これ】って、内も外も全てにあって、初めから既にここにあるんですよね。
ボクは、もう既に30年前に体験的に解っちゃっていた事だったんですよ〜。
ただ〜、あの本を読んでから、とても明確になりました。

そして、「明け渡し」という事も、今は非常に簡単に出来る様になりました、ハイ。

だって〜、明け渡し先が【これ】なんだと言う事が〜、とてもハッキリしましたから…。


だから〜、キヨちゃんにはとっても感謝してるんです、ハイ。

今は、ただぼ〜っとして、逗子の海岸から吹いて来る潮風を感じるだけで、とっても幸せ!
お金はないけど、恩寵が燦々と降り注ぎまくっていますよ、ハイ!

アパートも、1Fから2Fに移れて日当りと風通しが抜群に良くなって、これも恩寵ですよね。
フーマンさんに感謝、感謝。」

* * *

悟りは、何か遥か彼方にある深遠なもので、お釈迦様やキリストなどごく稀な人だけが到達する境地なんだと、人類はずっと集合的に思い込んでいた。

しかし、【これ】が【これ】なんだ〜!と、ごく普通の人々が認識する事で、「悟りの壁」を突破する事が可能だ。

願わくは、皆様が精神世界のボルトとなって、「悟りの壁」を突破されます様に!

同じDNAを生きる

2009年8月15日(土) 快晴  by キヨタカ


 現在、お盆で実家(栃木県小山市)に帰省中。
親戚廻り等で、あっと言う間に時間が過ぎるので驚く。

台風も過ぎ去り、ようやく本確的な夏が訪れた。
福島から、キッチンを手伝ってくれているコキーラが遊びに来てくれた。
ここは、福島からだと距離的に近いのだ。

彼女の話では、朝晩はもう秋の気配がするそうだ。
福島の田舎に住んでいる彼女の所は、自然が一杯ある。
先日、彼女が自分の車を発進しようとしたら、「青大将」がフロントのガラスからヌッと首を持ち上げて中の様子を伺ったそうだ。
写真を撮ったそうなので、転送してもらった。

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ついでに、先日修善寺の富士見荘玄関前でみかけた「やまかかし」もアップしよう。

ヘビを嫌う人は多いが、よく観察すると、とても美しい。
先日、DNA研究の第一人者、村上和夫先生の講演会に出席した。
先生のお話によると、全ての生物は大腸菌から植物、動物、人間まで基本的に同じDNAから出来ているそうだ。

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猿なんかの高等生物は人間と98%以上が同じDNAという。
猫のちいちゃんを飼い始めて以降、自然や動物がどうも他人と思えなくなりつつある。
ヘビなんかを見ると、とても可愛く美しく感じるのである。

同じDNAを生きているのだから、さもありなんと思う。


何処へ逃げたら…

2009年8月12日(水)  by キヨタカ

 ロータスさん、みし丸さん、コメント有り難う。

施設のお掃除担当のM根さんに頼んで、普段私たちが生活している富士見荘をチェックしてもらったら、かなり悲惨な状況になっていた!

富士見荘外壁が一部崩壊、玄関を入ったすぐ上の竹で出来た飾りの桟が落下、冷蔵庫はドアが開いたまま、お風呂場のタイルは剥がされて、お風呂にお湯が溜まるかどうか不明‥。
二階の私の部屋は物が散乱(始めからか…?)、他にもマイナーな被害が多々あるそうだ。

富士見荘で地震を迎えていたら、ケガをしていたかも知れない。
みし丸さんがコメントしてくれた様に、やはり恩寵により災害が避けられたのだろうか?
有り難い、有り難い。

これから起こる災害に関しては、「恩寵の扉が開くまで」に次の様に書かれている。

フーマンによれば、「光と闇が共存するのは不可能となりつつあり、旧人類は滅び全く新しい人類が誕生しようとしている。」
だから「古いエネルギーは自滅されなければならない。」
そして「地球に自浄作用が起こる」
と言う。

本には載せられなかったが、実際にはもっとシビアーな事が語られていた。
話を聞いて恐ろしくなり、何処へ逃げたら安全か聞いた所、、

「魂を目覚めさせてより強く光と繋がれば、「この地球に自浄作用が起こった時に、明確なガイダンスが与えられ」「正しい時に正しい場所に身を置き始める」から大丈夫だと言う。
(詳細は、P240-244を参照)


OSHOもかつて、「世界中の都市が地震や災害で水没する」との恐ろしい予言をした事がある。
東京も、もちろん水没するとの事。

そこで東京のOSHOセンターのリーダーが、「それでは何処へ逃げたら良いでしょうか?」と質問をした所、
「外側に逃げる場所は何処にもない。唯一の安全な場所は、あなたの内側だ!」と答えた。

フーマンのサジェスチョン「光と繋がりなさい」と言う事も、結局は自己の内側の光と繋がるという事だ。
だからOSHOと同じメッセージだと受け止めている。


今回の地震では、偶然か必然か良くわからないが、災難を避ける事が出来た。
台風も運良くコースを変えて、災難は逸れた。


しかし先の事は誰にも解らない。

そんな時の心構えとして、私は良寛禅師のメッセージが一番気に入っている。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候」

「全て起こる事はベストのタイミングで起こる」という事を信頼して、全てを存在にお任せするという事に尽きる。

大きな地震があったそうで…

2009年8月11日(火)  曇り時々晴れ   by キヨタカ


 今朝5時07分、伊豆で震度6弱の大きな地震があったそうだ。

伊豆に住んでいるのになんだか他人事みたいなのは、私とヨガビは、現在栃木県小山市の実家にお盆で帰省中のため。

近くの修善寺温泉管理組合のUさんからの電話によると、建物や水道等のインフラの被害はないそうだ。
しかし、部屋の中は、置物が落下したりして相当に散乱したらしい。

さっそくここの施設のお掃除を担当して下さっているMさんに調べてもらった所、施設の建物に被害はないものの、事務室の書類等が散乱し、キッチンの花瓶が床に落ちて割れたりしているそうだ。

でも修善寺は、今のところ人的被害はないそうなので、ほっと一安心している。


地震と言えば、私は死者16名を出した1978年の宮城県沖地震を体験した。
当時学生だった私は仙台に住んでいて、大学の裏手の山をランニング中だった。

途中でクラクラと目眩がして貧血かと思い地べたにしゃがみ込んだら、なんと大地が揺れていて、地震である事を察知した。

地震が収まり、そのままランニングを続けたら、大学の工学部の実験棟が火事になり大騒ぎとなっている状況に直面した。
実験用の薬品が床にこぼれて発火したそうだが、いつも見ている建物から火が出ていて、なんだか映画のワンシーンを見ている様な奇妙な感覚だった。

下宿に戻ると、本棚が倒れ、部屋が書物で散乱していた。

大地震によって通常のマインドがストップ、突然非日常空間に放り込まれて、意識が非常にクリヤーになる体験をした。

ステート オブ プレゼンスがとても明確になる体験だった。
(当時はそうした概念は知らず、残念)

危機は目覚めの最大のチャンスと言う。
自然災害はもちろんない方が良いが、「意識の目覚め」を目指す我々は、あらゆる状況を目覚めに使いたい。

幸か不幸か、今回はチャンスを逃してしまったが、いつ何が起こっても不思議ではない今の時代は、目覚めのチャンスがごろごろしている時代とも言える。

天職展示会

2009年8月9日(日)   晴れ  by キヨタカ


この日誌で時々お伝えしているメキキという会が主宰する13周年記念祝賀会が明治記念会館で行われ、ヨガビと出席した。

今回は通常の記念講演会&昼食会に加えて、天職展示会が行われた。
これは各人の天命天職をブース形式で形に現すもので、まあスピコンみたいなもの。
リーラスペースは、本とリトリートの宣伝を中心とした小さなブースを設けた。

メキキの会員は、瞑想よりも天命を生きる事に命をかけている人が多いので、本が売れる事は全く期待しなかったのだが、予想外に何冊か売れた。


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記念すべき第一号は、私の親友のスィーカールとプラモーダ。
スィーカールとは、20年来の瞑想仲間で、一緒にボディワークセンターをやったり、OSHOセンターで働いたりした。


現在は品川のパシフィックホテルでプラモーダと一緒に、ジーバンリラクゼーション・スクールを開催。
今やボディワークの第一人者で、今日も生徒さんを沢山連れて来ていて、大いに活躍中。

ぱるばも本業の布の展示会に力を入れていたが、褌が一枚売れただけだったとか…。
しかし本が結構売れたそうで、やはりぱるばの天命は瞑想を分かち合う事なのだろう。

一昨日アメリカから帰国したばかりの出口さんも、相変わらず元気で、天職展示会の盛り上がりにかなり満足そうだった。

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目覚めの遅さも…(本の感想)

2009年8月8日(土)  晴れ  by キヨタカ

「You konw already!」(あなたは既に知っている!)

ヨガビが日誌で書いた通り、カナダのジョンと言うマスターの常套句。
非常に感銘を受けた私は、3年前に4回もカナダへ行った。


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ジョンのセミナーには、毎回数百人の参加者が専用ホールに集まる。
ジョンの坐るマスター席の前には、参加者の質問席が用意されていて希望者は質問席に坐って自由に質問出来る。

私はわざわざ日本から来た事もあり、毎回質問者に選ばれて質疑応答をする恩恵に浴した。
4回目のカナダでいつも通り質問席に座り質疑応答を終えた私は、とても重大な事実に気づいた。

質問席とは、「私は知らない」と言う人がそこに座る事が前提となっている。
マスター席には、当然ながら「私は既に知っている」と言う人が座る。

だからこの質疑応答の全体が、「知らない人」vs「知っている人」というゲシュタルトを前提にしている。
そして、ジョンの答えは結局のところ、「あなたは既に知っている」…。

だったら、質問席に坐る事自体がナンセンスではないか!
始めから、「知っている部分」に寛げば良い。

「自分は知らない」という呪縛からようやく解放された私は、久しぶりでフーマンの個人セッションのテープを聞いて愕然とした。

フーマンは既に「あなたのハートは既にこうした事柄を知っている」と私に何度も語っていたのである。

もし私がフーマンとのセッションでフーマンの言葉に真剣に耳を傾けていたら、カナダへ通った一年分を節約出来た筈だ。
自分の理解と目覚めの遅さに、ウンザリしたのである。

しかし今から思うと、フーマンのメッセージが私に届く為に、ジョンの所へ行かざるを得なかったと言う事だろう。
カナダでの体験も決して無駄ではなかったのかも知れない。

京都のAさんから、本の感想を頂きました。
Aさんは、一緒にフーマンのハワイリトリートを受けた事もありずっと一緒に探求を続けている仲間で、いつも励まされています。
有り難う。

* * *

こんにちは、キヨタカ。


京都もやっと梅雨明けし、毎日厳しい暑さが続いています。

いつも日誌を拝見させてもらっています。
リトリート、瞑想会と、ご活躍のようですね。

参加者からのメール感想文を読んでいると、
リトリート、瞑想会等が、参加者たちが、道を歩む上での大きな励みになっているのを感じます。
すばらしいことですね。


ところで、
本、『恩寵の扉が開くまでパート2』の感想を書くといって遅くなってすいません。

この本は本当に不思議な本ですね。
読み進めているうちに、徐々にマインドが溶けていくような感じがし、読み終わったときには、感想文を書こうという思いもなくなってしまい、しばらくは何もせず、静かに流れていくような生活をしていました。

本の中では「これ」にとどまり、「これ」に明け渡しリラックスすることを何度も何度も繰り返し語っているところに、フーマンの忍耐強さ、親切を感じました。

また、「夢から覚めること」や「幻想性を見抜くこと」そして、「無意識からもっと解放されなさい」という言葉は、夢の中に深くまどろみ、幻想に振り回されている私にとって、とても印象的でした。

おそらく真のマスターが伝えたいこと、そして精神的な道を歩んでいる人たちが聞くべき教えとは、このようなことに尽きるのではないかと思います。

この教えは夢の世界へと、幻想の世界へと、そして無意識の世界へと向かわせるものなのか、それとも、それらから解放させる方向へと向かわせるものなのか、これを見誤ると、命取りになるほど大切なことであるにもかかわらず、これらの識別は容易ではありません。

唯一、夢から覚めたもののみが、目覚めた存在の言葉のみが、その指針となるのですが、その言葉もまた自分が目覚めて初めて、「そうだった」と確信が持てるものなのでしょう。


今回、キヨタカの個人的な対話を、このようなすばらしい本として出版してくださり、ありがとうございました。

悟った人は尊い、目覚めた存在はありがたいですが、目覚めるために大いに迷ってくださった人は、もっと尊いと思います。

そのお陰で、このような本が世に出ることになったのですから。また、このことは本の中の「謝辞」にも記されていますが、キヨタカの厚いカルマも、目覚めの遅さも、そしてそのためにフーマンの
手を煩わせたことも、すべて役に立った、無駄にはならなかったのですから。

こういうのも変ですが、すんなりと悟ることなく、大いに迷ってくださり本当にありがとうございました。

キヨタカの迷いは、私たちの目覚めに大いに貢献しています。

Knowing あらゆる「知る」こと

8月7日(金) 曇り by ヨガビジャ


数年前、キヨタカの勧めで悟ったマスターとして教えている、カナダのジョンという人物のところに行きました。


その教えの一つは、「あなたはすでに知っている」ということ。

英語の苦手な私の記憶に一番強く残っている言葉が「Knowing」でした。


そのこともあり、何ヶ月も前にこの映画のタイトルを知った時から、この映画を観たいと思っていました。

これから以下の内容は、一般的な映画の感想というより、映画を観たことで訪れた断片的な理解を自分なりにまとめたものです。
 
 
人間には2種類のタイプの人がいると思います。

 ・自分は知らないと思っている人。

 ・自分は知っていると思っている人。


前者の「知らないと思っている人」は、その自覚から知る事を求めて、様々なところを探す探求者といったところでしょうか。

自分は知らないと思っているので、「知っていると思ってる人」(知っているように見える人)を探すかもしれません。
最初は自分の回りを探し始めますが、その過程でだんだんと自分の中にその「知る」ということがある事に気づいていく可能性が、その人にはあります。


後者の「自分は知っていると思っている人」。
彼らが知っていると思っている事は、じつは他人の理解や、一般的な常識がベースとなりそれを自分の「知(理解)」と信じて疑っていない、ということもあり得ます。
必ずしも、ではないのでしょうが…。

自分は知っていると思っているので、「新たな知(知る事)」が訪れた時にそれをストレートに受け取る事ができない、または自分がすでに知っている事に合致しなければ排除することがある。

 

(ここからはネタばれあり)

この映画の主人公(天文物理学者/父親)は、最初は後者であり、徐々に前者に移行して行ったと感じます。
 
 そして、「知る」ということで感じたもう一つの側面。 
 
この主人公が出会う、ひとりの娘を持つシングルマザー。

彼女はおそらく、子供の頃から「知る」という能力を持っていたにもかかわらず、一般的な社会常識や感覚を優先させ、自分の知っている事に目を閉ざし、耳を塞いできたと感じます。


人は「知るか、知らないか」、知ったとしても「それを受け取れるか、受け取れないか」もしくは「それに基づいた行動をとれるか、とれないか」という、いくつもの分岐に立たされます。

その時々の選択が、自分の人生そのものの質やスピリチュアルな進化に影響を与える。
それは、人類に与えられた大いなる自由でもあるのでしょう。


しかし、あのふたりの子供たちの前には選択という概念すら、なにか陳腐なもののように感じてしまいます。


子供であるが故の先入観や判断のなさから、ただオープンで、今起こる、感じるすべてを受け入れていく能力。
(だからこそ「ささやき」が聞こえるのでしょう)

それが彼らの、知=Knowingであり、その「知」は、その後の選択のための参考データなどではなく、「知」すなわち「行為」、「自分という存在」という、すべてがひとつになった、まったく疑いの余地のない信頼に基づいたものです。
 
私はそこに人類の可能性をみた気がします。

私にとってこの映画は、「知る」ということのあらゆるレベルを感じさせてくれる映画です。

ノウイング/Knowing

2009年8月6日(木)  雨  by キヨタカ

 10月に行われる「天命瞑想道場」のパンフがぱるばの協力の下に完成。
今日発送作業が終わり、気分転換をかねて映画「ノウイング」を見に行く。

ノウイングとはKnowing、つまり「知っている」という事。

表面的には単なるパニック映画とも受け取れるが、かなり本質に迫るメッセージが秘められている感じがした。

フーマンは、「まもなく光と闇は共存出来なくなる」と私に語った事があるが、まさにその事を象徴している映画に思える。

一見悲惨な結末だが、旧人類が終わり新人類の始まりを暗示する、希望に満ちた映画として受け止めた。
ちょっと世間の感覚とはずれているかも知れないが、ヨガビもこの映画を気に入った様で、前回に続いて2度目の鑑賞だ。

人生一切苦(瞑想会の感想)

2009年8月5日(水) 晴れ  by キヨタカ


いわゆる「瞑想」の入門書なんかを見ると、「瞑想すると心が穏やかになる」とか「幸せになる」とか書かれている事が多い。

しかし実際には、本格的に瞑想に志すと、より苦悩が増したり悩みや不安が増えた様に感じる事がよくある。
また平穏に思われた人間関係にヒビが入ったり、上手く行っていた物事が逆行し始めたりする事もある。

これは、虚構で固められていた「自我」が崩壊し、真実が明らかになるプロセスだから、とても素晴らしい事なのだ。

愛と平和の象徴と思われているキリストも語っている。
 
「我が平和を持ち来たらさんとすると思うな。我がこの世に来たりたるは、汝らのなかに剣を投ぜんがために来るなり。我が投ずる剣によりて、夫婦は別れ、親子は別れ、兄弟は引き裂かれるかもしれぬ。しかし、この剣を投ぜんがために、我は来たるなり」 


瞑想に関わって喜びを味わうのは、せいぜい数ヶ月から一年程度だろう。
その後は魂の目覚めに逆行しているのではと思われる時期が続く事も多々ある。
古い人格が崩壊し始めるが、まだ魂としての新しいアイデンティティが確立しない時期。
いわゆる、「魂の暗夜」と言われるものだ。

しかしその時こそ、潜在意識の中で魂が熟成しつつある非常に大切な時期だ。
数ヶ月で抜ける人もあれば、何年もかかる人もいる。

しかし明けぬ夜はなく、終わらぬ冬はない。

瞑想とは孤独な道ではあるが、同じ志を共有する事で、お互いの成長を加速化する事が出来る。

瞑想会の持つ大きな役割の一つだろう。

先日の新宿瞑想会参加者のOさんから、感想のメールを頂きました。

* * *

キヨタカ&ヨガビジャさま、
 
土日新宿瞑想会に参加させていただいたOです。 
どうもお疲れさまでした。
 
今回もとても充実した内容でとても満足しました。

仰るように参加された皆さんがとても真摯でとても刺激になります。
(昨日は家事が有りましたので途中退席、すみませんでした。)  
どうもありがとうございます。 

リーラスペースのリトリートにはまだ参加できてませんが、必ずやいつかですが馳せ参じますぞ!
 
私の今の瞑想の状況としましては、彼のゴータマ・ブッダ氏が言った「人生一切苦である」がほんとにその通りだと実感しております。

でも瞑想に現れる「苦」は不思議なもので、嵐のように吹き荒れたと思うとそのすぐ次にはなにも無かったごとく事象が展開して行くようです。
 
SPに関しては未だほとんどアプローチできてません、(汗)
しかしあの場での気付きのエネルギーは凄いです、とても感化されております。
 
講義でホワイトボードの前に立つキヨタカさんを横から見てますとほんとにエネルギー(光)が降りているのが見えました。
「あっ、本当だ!」 感想です。 
どちらかというと私には神道系のものが感じられました、先日行った厚木の寒川神社に似てた感じがしました。
(個人的な感覚なので無視していただいて結構です。 )
 
 (略)
 
次の新宿瞑想会も期待して参加します、本当にお疲れ様でした、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 
                           O・N 
 
 * * *

「エネルギー(光)が降りているのが見える」とは、素晴らしいですね。

私はヴィジュアルタイプでないので、光は見えません。
でも瞑想会の時は、いつでも背後に大きな何かを感じます。
きっとそれが見えたのでしょうね。

以前の私は、背後のそれが何なのか知りたくてたまりませんでしたが、最近ようやく「知らないでいる事」に寛ぎ始めました。

マインドでは知りようのないものだからです。
でもそれが、いつでも正しい方向へ導いてくれている様です。

ネコだって…

8月4日(火) 晴れ by ヨガビジャ


Photo←頭頂留意。

 意識を頭に持ってきて
 プレゼンスを保つ。。(= ̄⊥ ̄=)

夏山登山シーズンの到来!(ワンデーイベントの感想)

2009年8月4日(火) 晴れ by キヨタカ


 7月は日照時間が史上最低だったそうだが、昨日より本格的な夏が到来。
満月も近づき、夜でも富士山がくっきりと見える。
山小屋の光や登山客の持つ懐中電灯の光まではっきりと見え、本格的夏山登山の到来だ!

Photo


悟りへの道は、よく富士登山に例えられる。
頂上への道は多々あれども、頂上はたった一つ。
最近ようやく、頂上は一つだと言う事が体験的に解って来た。

あれこれと山麓をさまよう事なく、さっさと頂上へ登ってしまえばいいのに、私の場合30年以上かけてしまった。
ずいぶん遠回りをしたな〜と、つくづく思う。
「こっち」の道を歩んでいると「あっち」の道の方が楽に思え、「あっち」の道を登り始めると、やっぱり「こっち」の道が本物に思えて、文字通り「あっち」と「こっち」を「あっちこっち」の30年でした。

ところで、Mさんが新宿ワンデーイベントの感想をおくってくれました。

* * *

リーラスペース御中

新宿での瞑想会ではお世話になりました。
今回の感想は極めてシンプルで、「『在る』ということが分かりました」の一言です。

瞑想中にこれまでにない深さが訪れ、「私が在る」というより「『在る』というものそのものが在る」、ほかには何も一切ない——という感覚になりました。当然まだ一瞥のレベルだと思いますが、これが禅の只管打座というものでしょうか…。

また最近、身の回りで困るような出来事がほとんど起こらなくなりました。そしてハートに温かな幸福感も感じました。
これまで長年、胸の中にはどんよりとした痛みの感覚しかなかったので、これは小さいながらも人生に革新的な経験です。浄化が進んできたのかなとも思います。

もともと忙しい仕事のつらさや、苦しい感覚から逃れるために、願望実現本→精神世界本→瞑想本と読み進んでリーラスペースに行き着いたので、もう当初の目的は遂げつつあるといえます。
 
でも「羯諦羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー)」で、歩みかけた道は「もうこんなもんでいいや」と途中でやめることはできないようです。


僕が評する“キヨタカ考”は「悟りの山の7合目か8合目あたりまでを30年かけてくまなく探索した人」ですね。
ふもとから登り始める者にとっては実に有り難いことで、「崇高な覚者」に道を尋ねるよりも案内が分かりやすく実践的です。

またキヨタカさんが探索したときは厳しい冬山で、今の時期はちょうど初夏の登山シーズンなのかなとも思います。

とはいえ、僕も途中まで登ってみて、この先は「私」という重いリュックを背負ったままでは登れそうもないことが分かりました。

9月のリトリートには、この小さな私が“自殺”しに行きます! それでは。

M

* * *

Mさん、有り難うございます。
私の道草だらけの登山も、きっと大きな意味があるのでしょうね。

私が、学生時代に禅寺に籠った頃は、誰も「浄化」とか教えてくれる人はいませんでした。

お陰で、危うく廃人になりかけて…。

OSHOの下で本格的に悟りの道を志した時は、「真っ赤な衣服を着て、OSHOの写真入りのロケットを相手に見える様に胸元に身につける事」が弟子となる為の必要条件でした。

お陰で、会社を止めざるを得なくなり…。

確かに、厳しい季節外れの「冬山登山」で、何度も遭難しかかりましたよ(・_・、)

今は、地球全体の意識が加速化していて、本当に楽に頂上付近まで登れる様です。
山登りに関するガイドブックや案内人も、インターネットで簡単に検索出来ますし…。

でも最後の最後はやはり、思い荷物を降ろす必要があるでしょうね。

本当に今こそ、「夏山登山」のベストシーズンに突入です。
お互い、再び厳しい冬が到来する前に、さっさと頂上へ登ってしまいましょう!

ナイト・ワンデーイベント終了(参加者の感想)

2009年8月3日(月) 曇り  by キヨタカ


 新宿でのナイト&ワンデーイベントが無事終了した。

瞑想のA・B・Cと題して、「初めての瞑想を体験する人向けに解り易く」をテーマに始めたが、瞑想に捧げているコアの方々からの参加が多く、とても嬉しい。
そうした方々が参加してくれたお陰で、場のエネルギーがグーンとアップした。

ただ一緒にいるだけで、エネルギーが降りて来るのを肌で感じる。

しかし熱心に瞑想に取り組んでいる方々を前にすると、ついつい話が先走ってしまい、初めて参加された方を置き去りにしてしまう傾向があった事を反省している。

今回の体験を踏まえて、次回はさらに素晴らしい場を共に創って行きましょう!
残念ながら、会場の都合等で9・10月は未定です。
次回の新宿イベントは、11月2日(月・夜)、3日(火・祝)となります。


さっそく、初めて参加されたS・Kさんから感想のメールを頂きました。

* * *

天野 キヨタカさま

翌日は都合がありまして、ナイトイベントのみの参加でしたが、お世話になりました。

こういった瞑想会のようなものに参加させて戴くのははじめてだったのですが、得るものが多かったと思います。

御本を読んで頭の中では、分かったような感じになっていたことが、実際にはまだまだ理解できていなかったんだな—ということを改めて認識いたしました。

一人で瞑想をやっていると、これでいいのだろうか?
…と、思うことも多かったのですが、初歩的なことから丁寧にご解説いただき、分かりやすかったです。

また、一人のときには感じることのなかったエネルギーの流れ(うねり?)のようなものを強く感じました。

SPについては、正直まだ「…これ、かな?」という感じくらいまでしか掴めて
いませんでした。

どちらかというと、
ビーイングやハートの方が、この感覚なんじゃないのかな…
と感じる部分が強かったように思います。

今回のことをきっかけに、瞑想に対する姿勢(心構え)も新たにできたと思います。
探求への道をより深めていければいいなと思いました。

どうもありがとうございました!

S・K

* * *

参加して頂き、有り難うございました。

「どちらかというと、ビーイングやハートの方が、この感覚なんじゃないのかな…と感じる部分が強かった」との事ですが、、

一般的な目覚めのプロセスとして、ステートオブプレゼンス→ビーイング→ハートと説明しますが、実際には個々人の魂は非常にユニークで必ずしも上記のプロセスは辿りません。
ぜひご自分の感覚を信頼して下さい。

9月に修善寺で「5デーズリトリートがあります」
非常に深く瞑想体験をする事が可能です。
ぜひ、参加してみて下さい。

理解が体験を伴って起こるでしょう!

これを機会に、魂としてお互いに繋がって行きましょう!

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