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「恩寵の扉が開くまで」補足説明1

8月31日(月) 雨 by ヨガビジャ


数ヶ月前、まだ「恩寵の扉が開くまで2」が発売される前のことですが、
Pちゃんがリーラスペースにやって来てこんなことを言いました。

「キヨちゃん、今、本を書いてるけど(恩寵の扉が開くまで2」のこと)、
 一般向けにフーマンさんが語ってるとこってあるの?
 どこが一般向けで、どこがキヨちゃん個人に言ってるか、
 読む人、解らないんじゃない??」と。

私も少なからず、Pちゃんと同じ疑問を感じていました。

いずれこのことに関しては、自分なりに感じる事を書きたいと思っていましたが、「恩寵の扉…2」が出版されたことですし、そろそろトライしてみようと思います。
 
 
<フーマンの語りかけている相手は…>

「恩寵の扉…1」では、フーマンはキヨタカの様々な質問に答えたり、キヨタカに伝える必要があると思われる彼の過去生について多くの事を語りました。

ですから、読者の方でたまたまキヨタカと同じ疑問を持っていれば、フーマンの言葉を自分への答えのように感じるかもしれませんし、キヨタカの過去生について語っている部分では、自分の過去生ではないけど、「なるほど、そういうこともありうるのか?(そういう考え方もありなのか?)」的な理解にも繋がる事はあるのではないかと思います。

しかし「恩寵の扉…2」になると、キヨタカは「カルマとブループリントの違い」の質問以外にもたくさんの質問を持って来たにもかかわらず、この時フーマンは質問に答えるより、キヨタカを「This」の留まらせることに焦点を合わせているため、「恩寵の扉…1」のような広範囲に渡る質疑応答にはなりえませんでした。

その「This」へと導くために語られるフーマンの言葉は、過去生には禅の修行でマインドを極限まで使い、また今生においても禅に始まり、OSHOの弟子として色々なワークを受け、その後も様々なマスターの元で学び瞑想をしてきた、そんなキヨタカに向けられたものです。

ひとりひとりは違ったバックグランドを持ち、今この瞬間にもそれぞれ違った問題を抱えている訳ですから、万人向けの教えというものは存在しないのではないか?と、私は感じています。

しかし、今こうしてこの本に目を通して見ると、たとえ特定の一個人の体験であっても、そこにはある一つのスピリチュアルなワークのプロセスを見通す事ができますし、過去の伝統や他の教えとの関連を照合して、理解のためのヒントとなり得る文脈をそこに見てとることもできます。

その具体的な箇所については、読まれる方の多様さを考えたら、それらを逐一ここで上げることは無意味に思われますし、「最善」は、この本を手に取られたひとりひとりがご自身の感覚にチューニングされ、「なにが自分にとっての真実か?」を感知されることではないかと考ています。

しかし、これまでに質問や感想の形で寄せられる文面の多くに、共通している疑問がいくつかありますので、「恩寵の扉が開くまで」を読む上での補足説明として、私なりの理解ここに書き記したいと思った次第です。


ただし、そこに真実があるかどうかの判断は個々人にお任せするとして、あくまでも自己責任において読み進められることをお願いします。
(ちなみに私はアジズの個人セッションは受けましたが、リトリートには参加していません。このことも踏まえてお読み下さい)

(つづく)

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