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2010年3月

「永遠の視点」を持つ

2010年3月31日(水) 曇り by キヨタカ

 遂に恐怖を克服!
全然怖くなかった。

再びウィンドサーフィンの話で恐縮だが、今日は強風で波が荒かったにも関わらず、全然「恐怖感」がやってこなかった。

前回日誌で書いた通り(3月26日)、「ステート オブ プレゼンス」を応用した結果だ。

目先の波や風に捕われると、スピードに対する恐怖で全身が凍り付いてしまう。

しかし、視線を遥か彼方に向ける事で、意識が自分自身に向き帰り、「動かない部分」が非常に明白になる。

これって、人生の生き方のコツそのものだ。

どんな幸せそうに見える人でも、人生に波風はつきもの。
この私にだって逆風は吹きまくり、大波に翻弄される。

ウィンドと同じく目先の波や風にとらわれると、恐怖が先立って萎縮してしまう。

しかし、人生を貫く「永遠の視点」を持つ事で、時間や空間に左右されない「垂直な次元」が開かれる。

その次元とは、「永遠なるもの」であり「動かないもの」。

この動かない不動のものは、仏教の世界で言う「不動明王」そのもの。

この自分自身の中に内在する「不動明王」が目覚めれば、人生のどんな波風もスイスイと乗りこなす事が可能となる。

Hudoujpg_3


人生の波風を忌む事なく、むしろ強風や荒波を心待ちにして、それを乗りこなすのを楽しみにしているウィンドサーファーの様な人生も可能だ。


人生には様々な恐怖があるが、結局はサバイバル(生存)の恐怖であり死ぬ事の恐怖から派生している。

生きている者にとって、「死」とは最大の恐怖であり克服すべき一番大切なテーマだ。

生まれもせず死にもしない「永遠の視点」を持つ事こそが、人間の生死の問題を克服する唯一の解決策である。

この「永遠の視点」を持つ事こそが魂の目覚めであり、苦悩からリーラ(遊び)へと人生がシフトする。

快晴&満月

2010年3月30日(火) 快晴  by キヨタカ

 昨日の大雪から一転して、本日は快晴!

いつも見慣れているのに、今日の富士山は息をのむ程素晴らしい!

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昨日は一日中家の中で丸くなっていた猫のちいちゃんも、富士山につられて庭に出た。

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そして今宵は満月。

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全てが完璧な一日だった。

人はただ「在る」だけで完璧なのだ。

OSHOも何処かで語っている。

現在というものを、
あるがままに反映できるようになった時、
あなたには神とは何であるかがわかる。
神とは、「在る」ということの別名なのだ。

PS、あれから雪も止み

PS.あれから雪も止み、満月の光に美しく広がる銀世界が幻想的に浮かび上がっている。

あまりにも素晴らしいので、しばし夜の散歩に出かけた。

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私が独り占めにするのは、実にもったいない…。
写真を撮ったが、この美しさを全く表現できない。

俳句か短歌を詠もうと思ったが、詩心のない私には、言葉が出ない。

「ほろほろと 秋のひかり 手にうけて もったいなくて もったいなくて…」

今は春なのだが、中川宗淵老師の詩が頭に浮かんで来た。

この月のひかりと雪景色が、もったいなくて もったいなくて…


ゆき?

3月29日(月) 曇り後雪 by ヨガビジャ


今年はここ数日来の暖かさで庭の桜が咲き始め、例年ならゴールデンウィークの頃に咲くしだれ桜も、今年はリトリートに来られる方の目を楽しませる間もなく終わってしまうのでは・・?と気をもんでいたのですが、、

100329_010←雪が積もっちゃいました。。
 
 満開の白いモクレンも、
 やっと咲き始めたソメイヨシノも、
 五分咲きのヤマザクラもビックリ!
 ですね。
 
 100329_022_2

←ちーちゃんは、
 上から眺めるとストーブの前で行倒れてる
 みたいに見える・・。
 ( ・・;)

真っ白に!

2010年3月29日(月) 雪 by キヨタカ

 「今日は雨」と、インターネットの予報に出ていたが、雪になるとは予想しなかった。

富士見荘(私が住む家)の周辺は、全てが真っ白になった!


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サイレンスが、とても深く感じられ、全てが美しい。
燦々と降る雪は、燦々と降り注ぐ恩寵の様だ!

全てが洗い浄められて、真っ白に!

全てが祝福されている。

愛と平和と喜びが、皆さんにも燦々と降り注ぎます様に!

サイレンス

2010年3月28日(日) 晴れ  by キヨタカ

 私がOSHO(当時はバグワンと呼ばれていた)の弟子としてイニシエーションを受けた時は、「赤い服とOSHOの顔写真の入ったロケット(マラ)をいつも身につける事」が弟子となる条件だった。
しかも、「隠さずに堂々と人目につく様に」とサジェスチョンされていた。

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だからサニヤシン(OSHOの弟子)が集まると、当然真っ赤な集団となり、しかも挨拶はウェスタン式のハグだから、常識的社会人から見ると超過激だった。

今にして思えば、ハレ・クリシュナや○×真理教もぶっ飛ぶ様なカルト教団だと言われても仕方なかったかも知れない。…もしろん表面だけを見ればの話だが。

「人の目は気にする事なく自分自身で在りなさい」と教える教師は沢山いる。
OSHOの教えも、そうだ。

But…Easier said than done!

言うは易く、行うは難し!」

OSHOの教えは、頭で理解する事ではなく、実際にそれを生きる事に焦点が当てられている。


「人の目は気にしない」と考える事と、実際に「人の目を気にせず」赤い服とマラを下げて繁華街を闊歩する事の間には、雲泥の差がある。

自分かいかに人の目を気にして生きて来たか、赤い服とマラを身につけて街を歩き回って見る事で始めて痛烈に感じ、愕(がく)然とした。

自分とは、結局のところいつも他人の目を意識して他人の評価・判断を拠り所に生きているに過ぎなかった事が明白になったからだ。

我々は、絶えず外側を意識して生きる事にエネルギーの大半を費やして、内側に向かうに必要なエネルギーを蓄積する事が出来ないでいる。


リーラスペースのリトリートでは、外側へ向かうエネルギーを遮断して、全エネルギーを自己の内側に向かわせる様にアレンジされている。

その第一歩が、リトリート中サイレンスで過ごす、いわゆる「沈黙の行」をする事だ。

絶えずおしゃべりをし続けるマインドにとって、3日間も沈黙する事はとても耐えられないと最初は誰でも思う。

しかし実際にやってみると、非常に楽で解放感に溢れる体験だと知る。

他人の目を意識する事から解放される事で、エネルギーが必然的に内側へ向い、自分がただ自分自身である事の喜びを見出すのである。

今回初参加された、S Tさんも、その喜びを発見した様でとても嬉しい。

S Tさんの感想は下記↓をクリック。
http://leela.cocolog-wbs.com/leela_kansou/2010/03/post-3a3e.html

ダイナミック瞑想

2010年3月27日(土)  晴れ by キヨタカ

 OSHOの瞑想技法は沢山あるが、一番有名なのは何と言っても「ダイナミック瞑想」だろう。

最初に体験した時は本当に驚いた。
それまで瞑想と言えば、禅寺での坐禅しか知らなかった。

ダイナミック瞑想後の爽快感は、今まで味わった事がないものだった。
一週間の坐禅でも得られないものを、たった一時間で得られた。

その後30年近くに渡って、様々な状況で何度もダイナミック瞑想をやったが、やる度に新たな発見がある。
本当に凄い瞑想技法だとつくずく思う。

「これこそが世界を変えるに値する瞑想技法だ!」とその当時確信した。
ところが残念ながら、それほど世間にアピールするものではなかった様だ。
今でも、知っている人はごく少数派に止まる。

特に最近は時代的な傾向もあり、ダイナミック瞑想の様なダイナミックなものはあまり流行らないかも知れない。

しかし真の本物は、一般受けしないし流行らないで当然だと思う。

今後もリトリートでは、ダイナミック瞑想を紹介しつづけて行きたい。

今回のリトリートには、「ダイナミックをする事」を目的として参加された方(Sさん)がいた。

Sさんの感想は、コチラ↓をクリックして下さい。
http://leela.cocolog-wbs.com/leela_kansou/2010/03/2-c78d.html

日ごとにSさんの顔つきがスッキリとして来て、主催者冥利に尽きる想いでした。

Fさんの感想は、コチラ↓です。
http://leela.cocolog-wbs.com/leela_kansou/2010/03/post-e35c.html

ステートオブプレゼンスの応用

2010年3月26日(金)  晴れ by キヨタカ

 久しぶりにウィンドサーフィンに行く。
修善寺から30〜40分車を走らせれば牛伏海岸のゲレンデに到着するのだが、最近はなかなかウィンドをする機会が少なくて残念。

今日は非常に風が良くて、プレーニングを楽しむ事が出来た。

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プレーニングとは、ボードを海の上で滑る様に走らせる技術で、平べったい石を水面に投げると石がピョンピョンと跳ねる「水面石飛ばし」と同じ原理。

体感スピードが時速100キロくらいになり(実際は20キロくらいか?)、最初は非常に怖かった。
ボードがプレーニングし始めるとスピートが出過ぎて、何度トライしてもその恐怖に負けて轟沈してしまうのである。

自分にはウィンドは無理なのかな〜と思い悩んでいたら、某ベテランの方から、「遠くを見る様に」とのサジェスチョンをもらった。

その通りにやって見ると、リラックスしたまま意識が「今ここ」に集中して、非常に簡単にプレーニングをする事が出来る。

視線を遥か彼方に向ける事で、意識が自分自身に向き帰り、「垂直の今」の次元が開かれた。
そして、スピードに対する恐怖が完全に消えて、あたかも自分が動いていない感覚がやって来るのである。

これはちょうど、「焦点を合わせずに全体を見る」事で、ステートオブプレゼンスが明確になるのと同じ感覚だ。

このステートオブプレゼンスの感覚が、ウィンドサーフィンにも応用が可能だった事を知り、とても嬉しい。

第8回リトリート終了(参加者の感想1)

2010年3月25日(木)  雨  by キヨタカ

 毎回そうなのだが、リトリートは終了した後に新たな体験や洞察が自然にやってくる。
だから参加者で余裕のある方には、後泊する事をお勧めしている。

今回は沖縄やドイツから来た方も後泊して、楽しい時間を過ごす事が出来た。

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こうして「なにもしない」でいる時にこそ、リトリート内で起こった事が「統合」されて行くのである。
「意図や努力」を手放した時にこそ、「本当の私」が自ずと顕現する。

禅林句集に曰く。

兀然無事座 春来草自生
(静かに座り 何もしない。春来たりなば 草はひとりでにはえる。)

しかしその為には、「静かに座れる」土壌が必須。

その土壌を整える事こそが、リトリートの趣旨である。
今回は初参加の方が多かったが、驚く程すばらしく静かに座れる方々が多かった。

これはリーラスペースと言う場や瞑想プログラムの内容はもちろんだが、何度もリトリートに参加されている方々のエネルギーによるサポートに寄る所が大きい。

そんな、古参の参加者からの感想です↓。

* * * 

何回かリトリートに参加させてもらって、ようやく昔の記憶、そして自分自身を取り戻す感覚が訪れています。
毎回、リトリートに参加するたび、得るものがあったのですが、今回は大きなものを収穫できたように思います。

今日一日ハートにくつろいでいる感覚がありました。そして、マインドが穏やかです。
仕事に対する気づきが深まり、感謝の念が自然に湧いてきます。
今ここにある沈黙、そして喜び。

アティーシャの瞑想は、ネガティブをハートに吸い込んで変容し、愛を送る。

今日私が経験したことは、アティーシャの瞑想そのものでした。

ハートにとどまると、ネガティブなことは存在しなくなる。
ただ、そのものあるがまま。
ネガティブなことが存在しないから、
ハートに吸い込むこともなく、愛を送ることもなくただあるがまま。
受け入れることも、拒むこともなく、あるがまま。
そこに、意図や努力はない。

ハートにとどまると、ハートから光が輝きだした。
その眩しい光を感じる。その光を見るといっそう強く光を放つ。
その光が周りを照らしている。
頭の上を雲のように覆っていたマインドが希薄になり、マインドに力がなくなっている。
マインドが遠くに離れてしまったようだ。

心地よい、沈黙。
そしてくつろぎ、感謝、喜びが自然に起こっている。
何かをした努力の結果ではなく。

沈黙がやってきた。
これと1つになり、私は消えていく。


第8回リーラ瞑想リトリート

2010年3月20日(土)  晴れ  by キヨタカ


 本日より、第8回リーラ瞑想リトリートが始まる。

3月21日は非常に特別な日で、OSHOや空海の悟った日だ。

しばらく日誌はお休みです。

皆さんもぜひ一緒に瞑想しましょう!

温泉サマディ

2010年3月18日(木)  曇り後雨  by キヨタカ

 リトリートのキッチンスタッフが到着。
さっそく、温泉に出かける。
早めに来てもらい温泉で英気を養ない、明日からの仕事に備えるのが最近の慣例だ。

スタッフのお気に入りは、船原温泉の「ほたる」という秘湯。
修善寺から車で30分くらいの、船原温泉という所にある。
25メートルプールぐらいの大きな半露天風呂が一つあるだけだが、完全掛け流しで、湯量は伊豆で一二位を争うとか…

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交通の便があまり良くないので、いつ行っても閑散としているが、それが素晴らしい。
写真では、何人か入っている様に見えるが、実は石像である。

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誰もいない大露天風呂に入っていると、まるで瞑想ホールで深いサマーディ(三昧)状態に入った様な感じになる。

あまり気持ちがよくて、露天風呂の中でついウトウトと眠ってしまい、あやうく溺れて昇天するところだった。

英気を十分に養い、リトリートの準備は万端である。

阿字の子が…

2010年3月17日(水) 晴れ  by キヨタカ


 親戚の方が亡くなり、今日はお葬式に参列した。
享年85歳。
故人のお顔を拝見したが、ただ眠っている様でとても美しく感じた。

「死ねば仏」と言われる。
これは単に遺族に対する慰めの言葉だと思っていたが、最近では葬儀に参列する度に、文字通り人は誰でも「死ねば仏」なんだと感じつつある。

本当は人は始めから誰もが「仏」なんだけれども、死によってマインドの活動が停止するが故に、本来の仏の姿が顕現するのだろう。

今回の葬儀は真言宗のスタイルで行われた。
親戚関係は禅宗スタイルが多いので、私にとってはとても興味深かった。
真言宗は、ここ修善寺を開いたと言われている弘法大師(空海)により設立された宗派だ。

真言宗の葬儀観は、弘法大師の次の御詠歌に要約されると言う。

「阿字の子が 阿字の古里立ちいでて また立ち帰る阿字の古里」

Aji

阿字(あじ)とは大日如来つまり宇宙の根源を表すシンボルである。

(私たちは本来宇宙の根源である大日如来の子供であり、大日如来の古里からやって来て世の中に誕生し、また大日如来の古里へ帰って行く)

魂は不滅であり、宇宙の源泉からやってきた私たちは、再び宇宙の源泉へ帰るのである。

リーラスペースのリトリートと全く同じ概念であり、ある意味リトリートとは、魂の古里へ立ち帰るお葬式の様なものだ。

唯一の違いは、肉体が生きたまま魂の古里へ立ち帰ると言う事で、「即身成仏」こそがリトリートの要諦。


私が亡くなった時は、ぱるばがキヨタカの葬儀委員長を務めてくれる事になっている。

出来る事ならその前に、ぜひ「即身成仏」の引導を渡して欲しい!

富士山が在る

2010年3月16日(火) 曇り後晴れ  by キヨタカ

 今週末のリーラ瞑想リトリートの為、会場の準備を始めている。
毎回そうだが、準備の段階で既に会場にはリトリートのエネルギーが降り始めている。

リトリートに参加された方なら解ると思うが、ビーイングに吸収されるエネルギーがとても強烈だ。
特に夕方近くなるとそのエネルギーがどんどん深くなって、油断するともう体が動かなくなりそう。

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夕空に浮かんでいる富士山を眺めると、そのまま富士山と一つになって消え去ってしまいそうに…。
ちょっとヤバイかも!?

I AM…「 私が在る」、ただ私が私であるという事の喜び!何とシンプルで深遠で不可思議なんだろう!

「富士山が在る」事と「私が在る」事が同じ奇跡なんだ!と、マインドでは説明不可能な理解がやってきて一人悦に入っている。

恋愛サポートのプロによると…

2010年3月15日(月)  晴れ by  キヨタカ


 世の中には、様々なユニークで不思議な職業がある。

リーラスペースという不可解な仕事をしている自分を差し置いて言うのもなんだが、「恋愛サポート」のプロがいるのを知り驚いた。
恋愛に悩んでいる人は、やはりその道のプロに相談すると良いかも?

ところでこの恋愛のプロが、「モテる女性が無意識に取り入れている2割増し美人テクニック」なるものをHPで公開しているのでご紹介しよう。
http://allabout.co.jp/gs/r_03/closeup/CU20100309A/

* * *

一つ一つの所作を丁寧に行い、ゆったりとした印象を与える事で、人の心を捉えて離さない仕草美人になれます
モテる女性が無意識に取り入れている2割増し美人テクニックをご紹介します。

エレガントに見える仕草

1.動作が全体的にゆったりとしていて、優雅な印象を与える。
2.相手の話に頷く時はゆっくり首を縦に振る。
3.テーブルで頬杖をつかない。
4.背筋をピンと伸ばしている。
5.首が前のめりにならない。
6.物をガチャンと音を立てて置いたりしない。
7.両手で物を渡す。

* * *

う〜ん、これって「瞑想的な仕草そのもの」と言える。
例えばフーマンなんか、この7つ全部に軽く当てはまっていたな〜。

それに比べてこの私は…と、ついつい卑屈になってしまいがちだが、私の事は別として、瞑想を通して「仕草美人」になれる事は間違いない!

男だって瞑想性を高める事で「仕草美男子」になれるから、モテモテになれる事間違いなし!…のハズ。

瞑想を通して「知性」も高まるから、2割増どころか10割増しになると思う。

トラップドア

2010年3月14日(日) 晴れ  by キヨタカ

 「あなたの究極の願望は既に成就している!」
なんて言われると、冗談だと思われるかもしれない。
中には「馬鹿にしている!」と、怒る人もいるだろう。

実際、私がそうだった。
今から27年前、サントッシュというセラピストの「脱催眠療法」と言うコースを受けた時の事だ。

コースの中で、「トラップドア」というエクササイズをやった。
トラップドアとは、忍者屋敷でよく使われる「隠しドア」と言う意味。
忍者屋敷では、ある部屋に仕組まれている「隠しドア」を押すと、別の隠し部屋へ、そしてその部屋のトラップドアからまた次の部屋へ行く事が出来る。

コースでは、それぞれの部屋を「願望」に例えて、一つの部屋(願望)に隠されているドアを探り当てて別の部屋(願望)へ次から次へと探って行く。

「その願望が成就したとしたら、どうしたいか?」と問いかけて、次の部屋(願望)を探すのである。

願望はとりあえず何でも良い。

例えば、「3億円の宝くじを当てたい」事が願望だとしたら、「3億円当てたら、次にどうしたい?」と問い掛けるのだ。

すると、「3億円の宝くじを当てる」→「世界中を旅行する」→「世界中の人々と知り合いになる」→「…」→「人々に喜びを分かち合う」→「幸せになる」→「今この瞬間私は満たされている」

途中のプロセス「…」が何であれ、結局の所トラップドアの向こうにある究極の願望は「今この瞬間私は満たされているので寛ぐ事が出来る」という所に到達するというのが、このエクササイズのオチである。

OSHOも「デオゲネスとアレクサンダーの対話」をよく引き合いに出して、この事を述べている。

世界征服の途上で、ディオゲネスに興味を持ったアレクサンダーはわざわざこの神秘家に会いにでかけた。
ディオゲネスは、ちょうど裸で河原の砂の上で日光浴をしていた。

アレクサンダー:「あなたの存在は美しい。欲しいものがあれば何でも差し上げよう。」

ディオゲネス:「日光浴の邪魔になるから、ちょっとそこをどいて欲しい。他に望みは何もない。」

アレクサンダー:「そんな事信じられない!」

ディオゲネス:「じゃ、あんたの望みは何?」

アレクサンダー:「もちろん、世界征服だ!」

ディオゲネス:「その後どうする?」

アレクサンダー:「そうしたら、ゆっくり休む事が出来る」

ディオゲネス:「アッハッハッ〜、今この瞬間、私はそうしているよ。…世界征服しないでね。」


「今この瞬間」から「世界征服を果たす」までの間のいつの日か、人は「願望の本質」を見抜く必要がある。

それがいつ起こるのか、それはその人の知性とカルマと恩寵によるのだろう。

究極の願望

2010年3月13日(金)  晴れ by キヨタカ

Nさんに昨日古本屋で見つけた本:「宇宙無限力の活用」をプレゼントしようと思ったのだが、一応きちんと目を通してからにしようと思い直し、読んでみた。

著者の体験に裏付けされた内容は、なかなか面白かった。
特に願望実現法である「調心調息法」は、真面目に取り組めばパワフルな効果がありそう。
最近流行しているシータヒーリングのメソッドとも、次の点が共通している。

1、「宇宙無限力=存在の根源=神」に絶対的な信を置いている。
2、願望が既に叶ったと断言(命令)する。
3、叶った事を感謝する。
4、イメージを使う。

さらに具体的な呼吸法を使う所は、シータヒーリングを上回るメソッドかもしれない。
(緻密に理論武装してしまうシータヒーリングに比べると、シンプルだがそれがまた独特の味わいとなっている。)

ただ残念な事は、「願望実現を望む私は誰か?」という問いかけが全くない点だ。
これはシータヒーリングや他の願望実現テクニックの殆ど全てに共通している。

瞑想とは視点が違うので、仕方のない事だとは思うが。

しかしこうした願望実現テクニックには、大きな落とし穴がある。
それは、願望実現を追求すればする程エゴを強化してしまう可能性もあるという事だ。

OSHOの下では、瞑想の他に各種のセラピーが百花繚乱だったが、エゴの強化に繋がるセラピーに関しては警鐘を鳴らし続けていた。

願望を実現する事ではなく、願望が打ち砕け、エゴがシャットアウトする事で、本当の新たな可能性が開けると言う。
願望テクニックで社会的に成功して忙しくするよりも、会社が倒産したり病気で夢が打ち砕かれた方が、より真実に目覚める可能性が増すのだと言う。

願望実現する私が誰か?が解ると、それまでの願望そのものが色あせて来る様だ。
そして、あるがままの自分を祝福する様になる。
真我に目覚める時、究極の願望は既に成就している事を知るからだ。
 

宇宙無限力の活用

2010年3月12日(金)  晴れ by キヨタカ

 ここの施設の庭を管理して下さっているNさんに買い物を頼まれて、町へ行く。
ついでにブックオフへ立寄り不要な本を売却した。
20冊くらい持って行ったのだが、千数百円にしかなかった。
でも、とてもハッピー♪

なぜかというと、同じブックオフで、塩谷 信男著「宇宙無限力の活用」という本を見つけたからだ。

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何気なく手にしてパラパラとページをめくっていたら、90歳半ばにして「脳細胞を若返らせる」事に成功したという記述があった!

実はNさん、「ここ数年物忘れがひどい!」といつも嘆いておられる。
いくら励ましても、「年だから仕方ない」と諦めている。

なにか良い方法はないものかと思案していたのだが、この塩谷先生の調息法はNさんにも使えそうだ。
塩谷先生も90歳半ばで物忘れがひどくなっていたそうだが、調息法を使って「私の脳は若返った」と自分の脳に言い聞かせた所、数日で本当に物忘れがなくなったそうだ。

さっそくNさんにこの本をプレゼントしようと思う。

この塩谷先生、なんと105歳まで生きたそうだが、その先生のラストメッセージというのもすばらしい。

暇な人は下記↓をクリック。
http://blog.goo.ne.jp/h-eq/e/1e7c0b2b2f058f8845efcc52d1d615c7

お墓参り

2010年3月11日(木)  晴れ  by キヨタカ

 昨日とは打って変わって、快晴。
お彼岸の3月21日はちょうどリトリートがあるので、今日母を連れてお墓参りに行った。
帯状疱疹後神経痛の影響で殆ど外出していなかったので、ちょうど良い機会だ。

お墓へ行くたびに、例の歌を思い出す。

そこに私はいません♪

千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています♪

先祖代々の墓を前にして不謹慎だと母に叱られそうだが、どうも死んでお墓に入るというイメージが湧かない。

インドではお墓がなく、火葬した後に遺灰を川に流すのが一般的だ。
仏教が隆盛だった頃のインドもそうだったと言う。

私が亡くなった時も、ぜひインドスタイルにして欲しい。
もっとも最近の川は汚れているので、ぜひ奇麗な海に流してもらいたいものだ。

お墓参りの後、修善寺へ戻った。
1週間も家を空けていたので、猫のちいちゃんがちょっと心配だったが、元気だった。
でも、少し痩せたかも?
ヨダレを出してのどをぐるぐるする姿が、とても可愛かった。

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止めようとすると…

2010年3月10日(水) 曇り  by キヨタカ

 新宿イベントが終わり、今は実家に滞在中。

修善寺にはテレビがないので、実家にいるとつい見てしまう。

先ほど、NHKの番組「ためしてガッテン」で「突然襲う 手のふるえ」を見た。
http://cgi2.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20100310

番組によると、原因不明の「手のふるえ」に悩んでいる人が推計400万人以上いるとの事。

数の多さに驚いたが、「止めようとすると、増々ふるえる」事、そして「手がふるえるのは、腕の筋肉の構造上当たり前」の事を番組内で検証していて、大変興味深い。

なんだか瞑想の極意を垣間みた感じがする。

私は、OSHOからAMANO(アマノ)という名前を貰っている。
AMANOとはインドの言葉で、ノーマインド(無心)を意味する。

瞑想を始めた頃は、ノーマインド(無心)に憧れて、あれこれ試行錯誤を繰り返した。

なんとかノーマインドになろうとして、マインドを止めようとすればする程、マインドが増々うるさくなって閉口したものだ。

結局、マインドを止めようとする努力を一切放棄して、うるさいマインドをあるがままに受け入れたら、いつの間にかマインドに翻弄される事が少なくなった。
(…とは言え、未だに翻弄されるが、それに対して落ち込む事が少なくなったとは言える。)

ノーマインドとは、マインドが無くなる事ではなく、マインドがあってもそれに煩わされる事なく、その背景にある「真実の自己」に寛いでいる事だったのだ。

そしてこの「真実の自己」に寛いでいると、いつのまにかノーマインドのスペースがひとりでに現れてくるのである。

ノーマインドになろうとするな、ノーマインドであると知れ!…である。

感動

3月9日(火) 雨とみぞれ by ヨガビジャ


先日、映画「インビクタス/負けざる者たち」を観ました。
久しぶりに、魂が震える映画でした。


人が困難に躊躇うことなく自らの真実を貫き通す姿に、なぜこれほどまで感動を憶えるのか?
「マザー・テレサ」も、聖フランチェスコの「ブラザーサン・シスタームーン」もそうだった。

自分の中の「真実でありたい」「真実を生きる強さが欲しい」という想いが共鳴するのかもしれない。

実在するこの3つの映画の主人公(あくまでも映画の中の話ですが)に共通して感じたのは、「無私」ということ。

「無私」こそが、恐れへの最大の武器なのかもしれない。
でも恐れのなさが、彼らに常人離れした行動力を発揮させ、それを継続せしめたとは思えない。

マンデラも、マザーも、フランチェスコも、周囲の激しい反発や妨害の中、そして自分の家族との関係おいても、私たちと変わらぬ人間的な痛みを抱えていた。

それでもなお、国のため、ひいては一人一人の個人のため、貧しい人のため、病で苦しむ人のために、彼らは生きていた。

もしかしたら・・
時には人のこころを砕き、志をも萎えさせるその痛みこそが優しさを育み、強さに、行動の原動力になっていたのかもしれない。

彼らは、強さ故に行動を起こすのではない。
このような人たちの原動力は、むしろ痛みと優しさと言えるのではないだろうか?

そして「無私」で生きる人たちには、目に見えない存在からのサポートが必ずある。通常のマインドでは理解しがたい、奇跡としか思えないことが起こる。

彼らのような人たちは、大声でスローガンを叫び人々に訴えかける必要などない。
真実に基づいた彼らの在り方・存在そのものが、反発していた人々をも惹き付け、変容を、奇跡を起こしていく。

彼らは人々を変えようとはしなかった。
ただ自分自身で在り、行動をしただけだった。

マンデラは「自分が変わらねば…」と、30年間自分を牢獄に閉じ込めた人々を赦した。

そう、、国を、人々を変えるには、まず自分が変わるのが先決と。


そこにはなにか、真実がある。

おそらく、古の昔から探求者たちが求めて止まないもの。

この映画は、自分自身で在ることの真の価値・神聖さを再び私の前に示し、他者と自己との関わりの秘密を垣間みせてくれた。

私が我が運命の支配者

2010年3月9日(火) 曇り by キヨタカ


 「ステート オブ プレゼンスが確立(安定)すると、実際にどうなるんですか?」と、「アジズとの対話」の読者からよく質問される。
「マインドから完全に自由な境地を手に入れたのだろう」と思う人も多い。

しかし残念ながら、実際には別に表立った変化はない。
マインドは相変わらずウルサいし、感情の起伏もある。

さらに「ステート オブ プレゼンスの確立」が、探求者の達成すべき「目標」となってしまい瞑想スペースとは反対方向へ行き易い。

だから「別にあれはど〜って事ないですよ。」「あれはいったい何だったんでしょうね。」と自嘲気味に語る事もあった。

しかし、アジズから「ステート オブ プレゼンスの確立」を伝えらてから9年たった今にして思うのだが、それこそが「魂の覚醒」の第一歩だったとしみじみ思う。

外側から見ると以前と全く同じだが、しかし内面的に非常に微妙な変化が起こった。

それは、マインドや感情から「醒めている部分」が絶えず存在する様になった事だ。

最初は、ただそれが背景として存在するだけで、マインドや感情に影響を及ぼす事は殆どない。


しかし年を追う毎にそれは成長し、だんだんとそれ自体が磁力を持ち始めた様に思う。
そして運命という荒波に影響されない強さが、次第に出て来る様になった。
 (私の場合、まだ運命の荒波に翻弄される事も多いけれども…)

だから昨日ご紹介した、
「私が我が運命の支配者 私が我が魂の指揮官なのだ」
と言う言葉に、大きな共感を覚えるのである。

インビクタスー負けざるものたちー

2010年3月8日(月) 曇り by キヨタカ


OSHOによると、世の中にはその職業についたら絶対悟れない類いのものが3つあるそうだ。
それは何かというと、「学者と聖職者とそして政治家だ!」と言う。

特に政治家に対しては非常に手厳しく、よせばいいのに(…と軟弱な私はついそう思ってしまうが)名指しで具体的に様々な政治家を徹底的に批判したものだから、それでずいぶんと命を短くしてしまった様に思う。

しかし政治家と言えども「例外」のない法則はない。
例えば、南アフリカのネルソン・マンデラの生き様なんかは、悟りの境地に近いものがある。

以前ネットサーフィンしていて、某名言集に素敵な言葉を見つけ、てっきり悟った聖者の言葉だと思ったら、実はマンデラの言葉と書いてありビックりした事がある。

今日、映画「インビクタスー負けざるものたちー」を見て、私の中でマンデラの株がさらに上がった。
http://wwws.warnerbros.co.jp/invictus/
こういう人が今この地上に実際に生きているという事自体が、魂を生きようと願う人々を勇気づけてくれる。

映画の内容は割愛して、この映画の題名ともなった、インビクタスという詩をご紹介しよう。

マンデラが27年間も獄中にいた時に、支えられた詩だと言う。

* * *

「インビクタス-負けざる者たち-」詩

 〜ウィリアム・アーネスト・ヘンリー(イギリスの詩人)〜


私を覆う漆黒の夜

鉄格子にひそむ奈落の闇

私はあらゆる神に感謝する

我が魂が征服されぬことを


無惨な状況においてさえ

私はひるみも叫びもしなかった

運命に打ちのめされ

血を流しても

決して屈服はしない


激しい怒りと涙の彼方に

恐ろしい死が浮かび上がる

だが、長きにわたる脅しを受けてなお

私は何ひとつ恐れはしない


門がいかに狭かろうと

いかなる罰に苦しめられようと

私が我が運命の支配者

私が我が魂の指揮官なのだ

リー・ロゾウィック

2010年3月7日(日) 曇り by キヨタカ


 スターピープル32号が現在発売中。

先の話だが、次回(33号)の連載記事には、アメリカ人のマスター、リー・ロゾウィックについて書いた。

なかなか面白い記事だと思うが、紙面の都合で様々な興味深いエピソードを割愛せざるを得なかった事がつらい。
リーはその存在の在り方を変幻自在に変える所がある。
ある時は、真面目なマスター、ある時はフーテンの寅、ある時はお兄さん、そしてある時は、場末のロックスター崩れ…。

だからこんな写真もあるのだが、さすがに雑誌には載せない事になった。

Lee3

このスター・ピープルという雑誌は、ニューエージ向けで、今回の特集はDNAの活性化(アクティベーション)
DNAの数が12本とか144本とか、トンデモ系の内容も多々あり、記事を投稿するをちょっとためらってしまう事もある。

しかし今回の私の記事のすぐ前にはダライ・ラマのインタビューなんかが載っていたりすると、嬉しくなって書き続けようと思うのである。

ところで、この雑誌は今日のワンデーイベントにも持って行きますので、ぜひ一読して下さい。


自分は思い切り地球人のカルマが強いと思うのだが、いつの間にかスター・ピープルの仲間入りを果たしている様だ。

新宿瞑想会

2010年3月日(土)  曇り時々雨  by キヨタカ

 今日は新宿でナイトイベントが行われた。
2月と4月のイベントは、専用のパンフレットを作成しDMで配布したのだが、3月分は配布しなかったので誰も来ないのでは…と思ったのだが、杞憂に終わった。
皆さん来てくれて有り難う。

いつにも増して、とても楽しかった。
瞑想会は、アジズの時代は「苦行」的な側面が多々あったが、年を追う毎に「喜びの分かち合い」になりつつある。

明日はワンデーイベントがある。
ぜひこの「喜び」を分かち合えたらと思っている。

明日は午後からのスタートとなるので、お間違えなく!

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