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2010年5月

選択肢にない選択

5月31日(月) 晴れのち曇 by ヨガビジャ


今日は久しぶりに晴れました。
夕べ遅くに高田馬場から戻ったキヨタカの洗濯物を干して、ねこの毛だらけになった廊下と玄関を掃除して、ねぼすけのちーちゃんを外に放り出し、今一息ついている所です。

さて、昨夜大仁駅までキヨタカを迎えにいった時の会話です。


よがび:おかえり〜。。。 (* ̄ 。 ̄)ノ

    夕ごはん、食べたよね? なにを食べたの?


キヨタカ:ただいま〜〜。♪(*^ 。^)ノ

     うん、おそばを食べたよ。でもなんか足りない感じ…。


よがび:じゃ、なにかコンビニで買っていく?( ̄。 ̄)  

    うちには要素玄米と納豆くらいしかないのよ。


  <コンビニ到着>

     
よがび:そうそう、パンもなかったから明日の朝の分、ここで買って行く?
    それともちゃんとしたパン屋さんのが欲しかったら、明日アピタに
    買いに行くとして、ここで買うのは止める?


キヨタカ:う〜ん・・・(パンの棚の前で悩む)


よがび:気に入ったのがないなら明日の朝は玄米か、オートミールがあるから
    ポリッジでも作ってあげるよ。
    あとホットケーキでもいいけど?( ・・ ?)


キヨタカ:う〜ん・・・(; ̄⌒ ̄)


よがび:ポリッジか、ホットケーキは?( ・・;)


キヨタカ:・・そうだっ! 玄米のお好み焼きでいいよ!\( ̄∇ ̄*)


よがび:…そのためにわざわざお粥を作るの?( ̄- ̄;)

     (※注、いつもはリトリートの残ったお粥で作っている)

    ポリッジか、ホットケーキは? 


キヨタカ:お好み焼きでいいよ!! \( ̄∇ ̄*)


…お好み焼きは選択肢に入ってないって・・・。( ̄⊥ ̄lll) 
 
 
そう、キヨタカはよく選択肢にない選択をします。
っていうか、人の言うことを聞いてないだけ、か・・・。
 
 
100531_003←諦めて今朝作ったのがコレ。

 酵素玄米のお好み焼き。
 このためにわざわざ炊きたての酵素玄米でお粥を作り、
 それに小麦粉を少し入れてかき混ぜオイルをひいたフラ
 イパンでカリッ!とするように焼きました。トッピング
 はお好みソース・天かす・青海苔・おかか・紅ショウガ。

これがなかなかいけるんですよ。
リトリートの後はたいていお粥が残っているので数日はこれを食べています。

『あなたには耽溺の傾向があるので気をつけるように…』と恩寵の扉が開くまでの1冊目でフーマンがキヨタカに言っていたけど、カレーでもお好み焼きでも、気に入った物は毎日でも飽きずに食べてくれるからとても助かってます。。( ̄∇ ̄;)

それにしてもフーマンってほんとによくご存知で、つくづく感心。。。

ある寒い日の夕食

5月29日(土) 曇のち時々雨


今日は寒いですねー。

ずっとパソコンに向かっていたら、いつの間にか周りが暗くなっていることに気づきました。

お腹も空いてきたし、なにか暖かいものを食べようとキッチンに行きましたが、キヨタカが留守なので冷蔵庫の中は寂しい状態。
酵素玄米も炊いてなくて、最後の雑穀米も今朝全部食べちゃって、、。

冷凍庫に食パンが1枚あったから普段ならこれで済ませてしまうところだけど、今日は寒くてなにか暖かい汁気のあるものがほしい・・・。

それで再び冷蔵庫を物色すると牛乳とカボチャとキャベツとニンジンが少しずつと、外には新タマネギとニンニクの欠片があったから、シチュー(というよりミルク煮?)を作ることにしました。

100529_001←完成品。
 冷凍庫にミックスベジタブルが少しだけあったので入れて
 みたら彩りが良くなしりました♪
 カボチャの甘みがスープにも移っていてやさしい味で、意
 外だったのは新タマネギは分かるけど、キャベツがとても
 美味しかったこと。
 それぞれの野菜に違った甘みがあるんですね。。

それにしても毎回思うのですが、なぜ気合いを入れて作った手の込んだ料理より、寄せ集めのいい加減な残り物メニューの方が美味しくできるんでしょ?
こういうのができる時って、絶対といっていい程キヨタカが留守なんですよ。

夕食は、このシチューもどきだけで済ませようと思ったけどなにか違った味が欲しくなって、冷蔵庫のチルド室に賞味期限を1日過ぎたちくわがあることを思い出しました。

行儀は悪いけど、ちくわを切りもせず(皿にものせず)1本そのままかじりつつ夕食終了。ごちそうさまでした。(-∧- )
体が暖まりました♪

ふと、テーブルの上にあったちくわの袋の裏側の材料に目をやったら、その下の注意書きにビックリ!

100529_002←『原材料の魚は「えび、かに」を食べています』だって。
 きっとアレルギーのための表示だと思うけど、原材料とな
 った生き物の食べていたものまで表示しているのを初めて
 見ました。
 ちくわを作る時は、原材料の魚をさばいて身だけを使うと
 思うのだけどそれに反応してしまう人もいるのかしら?
 ( ・・;)
 
 

発見!

5月28日(金) 晴れのち曇 by ヨガビジャ


夕方4時過ぎ、高田馬場にいるキヨタカから私の携帯にメールが届きました。

 
Book_2 タイトル:発見!  

←本屋さんで見つけたらしい。

 しかし、なんですね・・・
 著者が書店に並ぶ自分の本を嬉々として i Phoneで撮って
 る図って、どうなんでしょ?( ・・;)

 気持ちは分かるけど。
私もまだ本屋さんで見かけたことないですもん。。

日本全国に700冊しか出まわってないのだから、これらの本を本屋さんで見かける確率は、カールおじさんが入ったカールを当てるくらい難しいかも?

あ、写真では「恩寵の扉が開くまで」の1巻がないけど、リーラスペースの倉庫にはまだたくさんありますからご心配なく。

買って・・・。( ̄。 ̄;)ボソ

Star People Vol.33 発売!

5月27日(木)晴れのち曇 by ヨガビジャ


昨日まで小山(キヨタカの実家)に行っていました。

伊豆への帰り道、私とキヨタカは同じ電車に乗っていましたが、キヨタカは今日から始まるナチュラル・スピリット主催の個人セッションのため池袋で電車を降り、私はそのまま一人で伊豆に戻ってきました。

夕方4時半頃、リーラスペースに到着したらちーちゃんが出迎えてくれました。出迎えてくれたというよりは、

「ネコ缶ゴハン、ちょーだいっ!」(>。<)/

って感じだったので、さっそくネコ缶とカリカリのブレンドごはんをちょっと多過ぎるなあ?と思いつつあげたら、一気に全部食べちゃいました。

出掛ける前に自動給餌器を用意して出掛けたから、ちゃんと食べていたはず。

あんた、すっかり贅沢になったね・・。( ̄- ̄;)

と・・いえ、違った、、、。
書きたいのはちーちゃんのことじゃなくて、

「Ster People vol.33号」発売です!ってことでした。

昨日戻ったらポストに届いていました。。

今ちょうど、次号(34号)分の〆切が迫っていてキヨタカを急かしていた所だったので、今月が発売月だなんてすっかり忘れてました。

Sp33nsweb 今号の特集は「人は恩寵なしには生きられないのか!?」 と「空海のスピリテュアリティを読み解く」です。

 パラパラとページをめくってみるとかなり盛り沢山な内容
 みたいです。。
 特に私たちの住むここ修善寺は空海ゆかりの地だし、恩寵 という言葉も私はフーマンを通してしか知らないので、他の人がどんなことを書いているのかとても気になるのでさっそく読もうと思ったのですが、読み始めるとかなり時間がかかる感じなのでやることを済ませてから落ち着いて読むことにし、開きかけた表紙を閉じました。

でも、間もなくキヨタカから〆切の迫った次号の原稿がメールで送られてくる頃だし、前回の連載の流れくらいは知っておいた方がいいと思いそこだけ読むことにしました。

今号ではオレゴンのOSHOコミューン崩壊後、リー・ロゾウィックという覚者の下での体験と、そこから再びインドのOSHOのもとへと旅立つまでが描かれています。

きっとこの頃のキヨタカにとっては、今自分が関心を持ち関わっていることが将来どんな風に自分の人生に影響を及ぼすか?なんて、思いもよらなかったのではないかと想像します。
それが思いがけずアジズやフーマンと出逢い、本まで出版して、今ここでしていることへと繋がってきているのですから、本当に人生って不思議です。

自分の人生になにが起きているのか、どこに向かっているのか、それを知っていようがいまいが、生はお構いなしに流れていっているみたいで。。

だったら、

・・・もっとリラックスしててもよかったねっ!(^^;)

って思わず言いたくなってしまいます。。

Star People、本屋さんで見かけたらぜひ読んでくださいね。。。

痛みの理解

5月22日(土) 晴れ by ヨガビジャ


数日間、本当に久しぶりにソロ・リトリートに入っていました。

今回のソロ・リトリートでは、フーマンの個人セッションのMDを最初から聞き直しました。
初めてのセッションから9年の年月が過ぎ、あの頃フーマンが何度も私に伝えようとしていたことが、やっと深く体験的に理解できるようになりました。

フーマンのワークを受けつつもある一時期、自分の成長は完全に止まってしまったように感じられ、どうしようもない閉塞感に苦しんだ時期がありました。

その時フーマンは、「あなたが外側のことで忙しくして成長を感じることができなくても、あなたの中でそれはちゃんと成長を続けている。あなたにはただ時間とスペースが必要なのだ…。」と何度も励ましてくれました。
でも、この時の自分の感情や精神状態では、どんなフーマンの励ましの言葉も素直に受け取ることができなくて、ただただ焦りや痛みの中で時間は過ぎていきました。

・・・そして、ずいぶんの年月が過ぎてしまいましたが、、
今回、この時のフーマンの言葉は嘘ではなかったことを実感することができて、あらためて感謝の想いでいっぱいです。


実は最近、瞑想会やリトリートで「ハートを感じようとすると同時に痛みを感じるので、どうしても躊躇してしまう…」というお話を耳にしました。

今回私が聴いたセッションの中で、痛みについてフーマンが語っている言葉が、そういった人たちの助けになるかもしれないと感じましたので、ここに紹介します。


『ハートが目覚めることで、
 痛みと同時に深いフィーリングがあります。
 痛みに付け加えて…。

 その深い方にワークすることによって、
 痛みを感じる強さというのができてきて
 痛みが消えていきます。


 痛みというのはシンプルに、
 なにかが正しくないということなのです。
 それが痛みなのです。

 なにかあなたの中に正しくないことがあるか、
 誰か他の人に正しくないことがあるか。

 それが痛みが指し示しているのです。
 なにかを示している。

 それは悪くはない、
 良くもない。
 ある装置なのです。
 それを示す方便なのです。

 あなたの魂の強さが、
 ちょっと痛みを感じるけど、
 すぐに手放します。
 そして自分のハートの沈黙に休むのです。

 あなたのハートの中にはたくさんの平和と沈黙があります。

 ・・・・・

 よりあなたが平和を感じると、
 痛みがやってきても短くしか残りません。

 でもそういう痛みを深刻に受け止めないように。

 それは大きなことではないのです。
 人生の一部なのです。
 誰もがそれをある程度は持たなくてはいけない。

 たとえあなたが非常に非常にハッピーでも、
 他の人の痛みというのを感じることができます。

 だから、痛みは自然なことです。
 大きなことにしないように。

 そしてそれを感じて更に深く入るように・・・』
 
 
私のように痛みやネガティブな思考や感情があることで、「自分はダメだ」とか「成長していない」と感じられる方は少なくないのではないでしょうか?

でもそれが更なる痛みを生み出し、そこから抜けられない悪循環を作り出していると、今ならはっきりと分かります。
(実は、その当時も分かっていたかもしれません。でも分かっていてもどうしようもないことってありますよね。ヴァサナ(マインドの潜在的傾向)なのでしょう・・)

私たちは時として、痛みにフォーカスし過ぎてしまうことがあるようです。

でもフーマンの言うように、痛みを深刻に捉えず自然な人生の一部と理解することができたら、不必要な痛みの悪循環に陥らずに済むかもしれません。

7年たった今になって

2010年5月21日(金) 晴れ  by キヨタカ

2003年の夏は世界的に異常気象で、日本では雨ばかり降っていた。
農家にとっては大変だったが、私にとってはとても有り難かった。
なぜならフーマンが再来日して、リトリートを行ったからだ。

瞑想ホールはクーラーがあるので夏の暑さは凌げるが、キッチンの夏場は熱さで地獄と化す。
可能なら9月にして欲しかったのだが、フーマンはタイミングにこだわり8月の来日となった。

しかし予想に反して毎日雨ばかりでとても涼しく、非常に快適なリトリートとなった。
フーマンも久しぶりに会った参加者の成長ぶりをとても喜んでいた。

私は来日直前にハワイでフーマンの個人セッションを受けたのだが、来日中にさらに働きかけてくれてとても有り難かった。

本当の自己(Real Self)の在処を非常に明確に指摘して、「しばらくはなにもしないでそこに寛ぐ事に専念しなさい」とアドヴァイスを貰った。

ところが、「私と出逢ってどのように目覚めが起こったかの体験記を早く書きなさい。」と強く言われて、非常に戸惑った。

私の中で、「何もしないで寛ぐ」という事と「体験記を書く」という事が矛盾して、どうしても書く事が出来なかった。

あれから7年たった今になって、ようやく私の中でこの両者の統合が起こり始めている。

いよいよ、「恩寵の扉が開くまで・完結編」をスタートさせる準備が整った様だ。

結論が見通せないままのスタートとなるが、恩寵に導かれるままに書き進めて行きたい。

個人のはからいとは無関係に、存在は完璧なタイミングを知っている様だ。

しるし(ゴールデンウィークリトリートの感想)

5月17日(月) 晴れ by ヨガビジャ


ゴールデンウィークリトリートに参加されたTMさんから、感想のメールが寄せられました。

リトリートでは、みんなが同じ瞑想をして同じプロブラムをこなして行きますが、そこで得られるものは人それぞれに違っています。

以前は参加者のニードを考え、ある一定の結果を持ち帰ってもらうために様々な瞑想技法を取入れるなど、試行錯誤を繰り返していた時期がありました。

しかしある時、私たちの意図とは関係なくひとりひとりに必要なことはちゃんと起きていること気づきました。
今回のTMさんがそうだったように。

外側から与えられた理解や答えではなく、自分自身を通して訪れた理解だからこそ価値があると感じます。
それこそがこのリトリートの醍醐味と言えるでしょう。

ご参加していただき、ありがとうございます。

*****

クリック ↓
http://leela.cocolog-wbs.com/leela_kansou/2010/05/post-f6d3.html

ちーちゃん元気

5月17日(月) 晴れ by ヨガビジャ


今日はちーちゃんの病院の日。
 
100517_010←袋のネコ。
 朝、ご飯を食べに富士見荘に戻って来た
 ちーちゃんを捕獲。
 洗濯ネットに入れて放っておいたら
 出口を求めて動き回るちーちゃん。
 この後、キッチンの隅に追いつめられて
 (自分で行っちゃった)立ち往生。(>_<) 

100517_021_2←病院の待ち合い室で順番待ちをするちーちゃん。

 出窓の上に置いてあげたら、関心が窓の外に向いたのか
 おとなしくなりました。
 
 今回、体重は4Kgちょうど。
 前回よりちょっとだけ増えました。
 
一瞬の早業で錠剤を飲ませられ、数日前に見つけた右耳の根元の小さなハゲを先生に見てもらったら、
「小さいけど、治りかけのキズがあるからこれはケンカですね〜。(^_^)」
とのこと。。皮膚の病気じゃなくてよかったね♪ 

 

再び「禅」から

5月16日(日)晴れ by ヨガビジャ


GW.リトリートが終わり、その片付けをして、私用で山梨へ日帰りで出かけ、アメリカからの友人カップルが先日帰国して…。
とても1週間とは思えない時間の流れでした。

ふと一息ついたら、先日観た映画「禅」の感想を書く時に思い出せないでいたことを思い出しました。

以前も書きましたが、私にとっての道元はとても厳格な禅マスターのイメージです。

たとえば、権力者(北条時頼)からの寄進状を受け取った僧を破門し、その僧の座っていた床の下の土を捨てさせエピソードや、『生涯を独身で過ごし女性を知らない事に関しても「仏の加護により、女難を避ける事が出来た」と喜んでいる。』(過去のキヨタカの日誌からの抜粋)といったエピソードからくる冷徹なイメージから、私には今ひとつ道元には近寄りがたい印象があります。

この映画の中で、貧しく不幸な境遇を生きるおりんという女性が、道元との関わりを通して発心し、出家を決心して永平寺の門を叩くシーンがありますが、道元は断ります。
初めてこの映画を観た時は、貧困の中で遊女として生きるしかない境遇、子供の死、愛のない夫との関係、そして絶望からの入水…しかし、徐々に参禅を通して自己の仏性に向き合おうとしたこの女性の出家を、なぜこの時道元が認めなかったのか理解できず、道元ですら仏教の戒律(女人禁制)に縛られていたか?と思わざるえませんでした。

でも今回この映画を観直したら、この時この女性の入門を認めなかった道元の意図が分かった気がしました。

私は人生の辛苦を舐め尽くした彼女にとって、この時の出家を拒む理由はなにもないと最初思っていました。でも、彼女の中にはまだ終わっていないものがありました。(貧しさ故に出家した若い僧との出来事で感じました)
そしてその終わっていないものは世俗でのみ生きられるものでした。

おそらくタイミングを逸した出家というのは本人のみならず、他の修行僧や法門全体のエネルギーフィールドにも少なからぬ影響を与えるのでしょう。
師としての道元は、その全体を見通していた。
世俗を十分に生き機が熟した時にのみ道元の禅門は開かれる、そしてそれがマスターの役割でもある、そう感じました。

一見冷たい仕打ちのように感じられることの中に、道元の思慮深さと真の慈悲がある。

人の「言動の真意」に対する理解は、各人の意識レベルや解釈によって異なってくると思います。ですから、私にとっての道元はあくまでも私にとって道元であり、実際この世に1人しか存在しない道元ですが、実は人の数だけの道元がそれぞれ人のイメージの中で存在するのですね。
 
 
…いいとか悪いではなく、あらゆるものには層(レイヤー)があるように感じます。
例えば、愛の形もバイブレーションの低い顕われからより高い顕われがある。
より高くなればなるほどその顕われは精妙になってくるので、それを認識する主体である自分のバイブレーションが低ければ、それを愛と認識できないこともあるのでしょう。

となると、対象(人だったり出来事だったり)について、これまで自分が認識したり分かったつもりになっていることが、実に不確かで、実に曖昧なもののように思われてきました。


時ととも自分自身が変化し、同時に対象も変化していく。

「唯一不変なるもの、それは変化だ・・」

この言葉が思い起こされる時、広大に広がる宇宙と悠久の時の流れを感じて目眩にも似た感覚に包まれます。

コンタクト

2010年5月16日(日) 晴れ by キヨタカ

世の中、便利になるのは良いが、便利過ぎるのも困る。

最近「NHKオンデマンド」がマック対応となった。
これは、過去にNHKが放映した番組をパソコンでダウンロード出来るという、すぐれものだ。

テレビで貴重な時間を潰す事がない様に、テレビは持たない主義なのだが、ついつい誘惑にかられてダウンロードしてしまいそうになる。
幸い(?)有料なので、歯止めがかかっているのだが…。

ところが最近、無料動画GyaO! なるものまでが、マック対応になってしまった。

これは無料で映画がダウンロード出来るというもので、初めは信じられなかったが、本当に映画を丸々一本見れてしまうのである。

昨晩は、ついつい無料という誘惑にかられて、「コンタクト」という映画を見てしまった。

Contact


10年以上前に観た映画だが、久しぶりに見て、非常に面白かった。
最初に観た時よりも、むしろ感動した。

科学と宗教の対立、そしてその融合というテーマが、とてもドラマチックに描かれている。

10年前に観た時は、最後の結末が非常にお粗末なエンディングになっていて欲求不満に陥ったのだが、もしかしたら「短縮版」だったのかも知れない。

それとも、10年経って、私も多少は精神的に成長したので、別の角度から映画のテーマを捉える事が可能になったのかも知れない。


映画では、主人公が地球外生命体とコンタクトを試みる事がテーマだ。

コンタクトに成功したにも関わらず、それを証明できない主人公の台詞は感動的だった。

「経験したのはたしかです。証明も説明もできません。けれど、わたしの全存在が告げています。あの経験はわたしを変えました。宇宙のあの姿に、我々がいかに小さいかを教わりました。同時に我々がいかに貴重であるかも。決して孤独ではありません。そのことを伝えたいのです。そして、あの畏怖の念と希望とを。そう願い続けます」

しかし本当に地球外生命体とコンタクトが出来ても、人間としての孤独は癒される事はない。

自己の内面に存在する神聖な次元とコンタクトする事を通して、初めて人は癒される。

主人公はその領域まで踏み込でいる事を、あの映画は指し示している印象を受けたのである。

アフリカの叡智?

2010年5月15日(土)  晴れ by キヨタカ

 先日ヨガビが日誌に書いた通り、アメリカからカップルが数日リーラに滞在した。

女性のAさんと私は、今から18年前にオアシスというボディワークセンターを一緒に運営した事がある。
残念ながらオアシス終了と同時に関係性も終了、その後はお友達として長い付き合いをさせて貰っている。
彼女は私のあこがれの地ハワイに長い間住んでおり、ハワイでお世話になった事もある。

一生ハワイに定住するものとばかり思っていたが、数年前にアメリカ本土へ移住したと聞いて驚いた。
どうやら新しいパートナーが見つかったらしい。

ハワイを捨て去るくらいだから、よほど素晴らしい人に違いないと思っていたが、今回実際に会ってみて納得!

典型的なアメリカ人というと、非常にオープンで社交的でポジティブだが、自己のビーイングに寛げない人が多い。だから長時間行動を共にすると、くたびれてしまったりするのだが…

この人(マイケル)は、本当にアメリカ人?とおもうくらい「静かさ」と「知性」が漂っており、それでいてオープン。
だから一緒にいてとても楽しかった。

自然が大好きで、数年間大自然の森の中でテント暮らしもしていた事もあるとか。
天城の滝巡りを大いに楽しんでくれた。

Img_0632_4

非常に博識で日本の歴史や文化も、平均的日本人よりも遥かに詳しいのには驚いた。
黒沢映画の大ファンだそう。
自然の他にも、音楽や伝統文化が大好き。

スピリチュアル関係にも驚く程造詣が深い。
絶対に知らないだろうと思う事、例えばアリカインスティチュートの事とかグル・ナナックや「無音の音」とスーフィーの関係とかもよく知っていて驚いた。

さらに私がかつて住んだ事のあるシアトル(ワシントン州)やサンタクルス(カリフォルニア州)そしてプレスコット(アリゾナ州)にも数年住んでいたとの事で、偶然の一致というか不可思議なシンクロニシティーにビックリ!
プレスコットなんて、アメリカ人でも知らない人が多い筈なのだが…。

さっそくSpiritual Encyclopedia(スピリチュアル百科事典)だね!とあだ名をつけてあげたが、通常の物知りとは違い、その後ろに体験的ベースがあり、彼の知識が鼻につくような事もない。

アメリカインディアン等先住民族の叡智に非常に関心があるそうで、ヴィジョンクエストも5〜6回やったそうだ。
ヴィジョンクエストとは、元々はアメリカインディアンの儀式で荒野で断食をして数日を過ごすという過酷なもの。
彼の場合、最後の数回は水も断って数日を過ごしたそうで、「内在智」を目覚めさせるのに非常に役立ったそうだ。

私もやってみたいが、どうもウォッシュレットがないと気持ち悪くなる性分なもので…(^▽^;)

最近は、アフリカの叡智に興味があるそうで、フロリダでIFAを本格的に学んでいるそうだ。
(詳細は、IFA Foundation 参照)

IFAの占い(東洋の易のアフリカ版)もやってもらい、非常に興味深いものがあった。
どうやら東洋の易や西洋のタロットの背後に共通する、宇宙の叡智とコンタクトする秘密らしきものが、IFAにあるらしい。

アメリカインディアンや、南米のインディオの精神文化ついては日本でも一定の評価がされつつあるが、さすがにアフリカとなると、日本では皆無に近い。

しかし本当の事は、隠されている事が多い。

「アフリカに精神文明はあるの?」

と思わず聞いてしまったが、

「人類の起源はアフリカでしょ?」

と言われると、なる程と納得するものがある。

フロリダは海が近くウィンドが盛んなビーチも近くにあるらしいので、ぜひ一度彼らの場所を訪れてみたい。

映画「禅」から

5月13日(木) 晴れ by ヨガビジャ


実は今リーラスペースには、アメリカからのカップルが滞在中です。
女性は日本人、男性がアメリカ人なのですが、この彼、日本に対する造詣が一般的な日本人よりも深いのです。

(英語が得意でない)私が聴いた範囲では、禅を代表とする仏教、日本の歴史に詳しく、農具、伝統工芸、能、歌舞伎、刀剣などにも関心があり、刀鍛冶を一度見てみたいのだとか…。
彼自身、何度もビジョン・クエストなどに参加していて、詳しい会話の内容が分からない私にも、彼の言葉が単なる知識ではなく体験に基づいていることが伝わってきます。

昨日は河津の七滝を散策して、滝壺を眺めながら渓流沿いの露天風呂で入浴。
夜は、映画「禅」を観ました。
そして今、私を除く3人で白隠禅師で有名な三島の龍澤寺に出掛けています。

昨夜久しぶりに道元の「禅」を観たのですが、やはりこういった「探求モノ」(…といっていいのか?)を観ると、深い所で自分の魂が喜んでいる感じです。
グルジェフの「注目すべき人々との出逢い」もそうでしたが、道は違えども「求める」ということに関しては、自分の中に共鳴するものがあるようです。

今回は最初に観た時とはまた違ったところに意識が向きました。

道元が子供を失った女性に、「死者の出ていない家はない」(=死は特別ではなく自然なこと)であることを伝え、彼女の腕から亡くなった子供を抱き上げ涙するシーンがありす。

苦しみ、傷ついている人に対する一番の癒しは、「共感」なのかもしれないと思いました。
私たちは通常善かれという想いから、苦しんでいる人たちの為に解決策を考えたり、励ましたりしがちですが、もしかしたらそれは苦しんでいる当人にとってはあまり助けになっていないのかもしれないなあ〜・・・って思って。

人はただ話を聞いてもらえたり、一緒にいるという共感(この場合は道元の涙)の中で癒され、「自分はここに存在する価値のあるもの」と感じられ始めるのではないかと思います。

この映画の女性(おりん)は、「こんな自分の中に仏がいるなんで信じられない!」と泣き叫んでいました。また、「自分が憎い」と。

この女性の痛みは私にはとてもよく分かって・・。
自分を彼女に置き換えてみると道元の涙の深さは、私に私という存在を丸ごとすっぽりと包み込まれているような感覚を喚起させます。

言葉によらず、あなたは一人じゃない…ということをダイレクトに伝えているみたいで。

なんだかフーマンを思い出しました。

または、「路上で亡くなろうとしている人を、ひとりでぼっちで逝かせてはなりません」というマザー・テレサの言葉にも通じるものを感じました。

痛みを感じるとことを避けていては、本当の意味で人々と一緒にいることはできないでしょう。

私も様々な場面で自動的に解決策や対処法を考えるクセがありますが、それは相手の痛みを感じない為の防御なのではないか?と思い始めました。

ハートにいないで頭で解決策を考える方がある意味楽ですし、(穿った見方かもしれませんが)考えることで、自分は相手に対して無関心ではないという姿勢をとることができる。

今まで無意識にこのパターンが働いていた気がします。
でもこのことに気づけたということは、同時にもうこのパターンを選ばないという選択肢が生まれたことになりますよね。

それはおそらく、なんとなくですが、フーマンの在り方に近いのもののように感じられます。

最後はカラス

5月12日(水) 晴れ by ヨガビジャ


今日は朝のうちは雲で空が覆われていましたが、しだいに吹いてきた風のおかげで今は晴れ間が見え穏やかなお天気です。

窓の外にはいろんな鳥がやってきていて、ここの庭は活気づいています。
(ガーディーナーの西島さんの「芝刈り音」も活気づいています。。)

私はといえばキヨタカに「リトリートの感想は書かないのー?」ボソ( ̄。 ̄)と突っ込まれる今日この頃。。

書きたいのは山々なんですが、リトリートの記憶の上に終わった後の「鳥さんネタ」がドンっ!と乗っかっていて、ペンが進まないじゃなくて、キーボードが打てない感じです。
 

昨日の日誌の最後に「オチ が ない・・・」と書きました。

でも、どうもオチがないのは私の頭の中だけじゃなくて、現実もまだオチていなかったんです。。

9日の「オオルリさんたち」から書いている一連の鳥ネタは、実はリトリートの後、毎日立て続けに起きた事なんです。

でも、昨日アップしたご臨終の鳥さんネタで完結?と私は思っていたのですが、実はまだその翌日も鳥にまつわることが起きました。

(これを読んでる人、鳥ネタはもう飽きたかなあ〜・・・( ・・;))

 
しだれ桜の木の下に名前も知らない鳥さんを埋めた翌日、私は残りの洗濯物を終わらせる為、再び本館横の洗濯機を使っていました。

そして、洗濯機の下のブロック上に2回目の洗濯のために洗剤の箱を置きっ放しにしていました。
この箱はプラスチック製で、フタをパチッっと閉めるタイプのものでした。
私は湿気によって粉末が固まるのイヤなのでキチンとフタをしていました。

1回目の洗濯が「もう終わったかな〜♪」と思って、富士見荘から本館の方へと歩いていくと、洗剤が置いてある辺りになにか黒い動くものがあります。
なんだろう?と足早に近づくと、大きなカラスが洗剤の箱の横に止まり、ブロックから落ちてこぼれた洗剤を啄んでいます。

 
「あーーーー!! こらーーーーー!!!」 \( ̄□ ̄;)!! 
                       ↑
                    手を振り上げてる。

「そんなの食べたらおなかを壊すってば〜〜!!」と叫んでも
全く意に介さない様子。

 
なんか、私、見下されてる感じ・・・(  ̄.. ̄;)
 

私が間近まで近づいたらやっと飛び立っていきました。


な、なんだったの?? これ?

いっぱい入っていた洗濯洗剤はこぼれて半分になってました。
落ちた拍子にフタが開いたのか、カラスが器用に開けたの分からないけど、明らかに昨日まで私の目の前に登場してきた鳥たちとは全然ちがった「個性」みたいなものをカラスに感じました。

う〜ん・・カラスって頭がいいって言うけど、確かに他の鳥とは違うかも。。


こうして、オオルリさんたち→水色のタマゴ→ご臨終の鳥さん→カラスと立て続けて起きた一連の出来事は、このカラスによって唐突に終止符がうたれたのでした。

昨日は、これらのことをちょっと遊び半分でスピルチュアルな観点から書けないかなあ〜・・なんて柄にもなく思ったけど、今回のカラスでそんなアイデアはドロップ。。

やはりスピリチュアル・ネタはキヨタカに任せることにします。

長い間「鳥ネタ」におつき合いいただきありがとうございました。<(_ _ )>  

100510_003←リトリートの前に日誌にアップした大手鞠。
 今はこんな感じです。

 枝はちょっと重たそうだけど、
 真っ白できれいでしょ?
 大手鞠の向こう側に見える赤いのはシャクナゲ、
 ピンクのはツツジ。
ほんとうにこの季節はいいですね♪
 

オチない…

5月11日(火) 曇時々小雨 by ヨガビジャ


昨日の日誌は水色のタマゴの話しを書きました。
その前日は、つがいのオオルリさんたちでした。

自分なりにそのメッセージを考え(妄想し)つつ庭を歩いてました。


<よがびの脳内変換>

オオルリくん→夫=父 オリーブさん→妻=母 タマゴ→ヒナ=子

(リトリートの後泊の夜に映画「マザー・テレサ」観たせいか…)
 
父と子と精霊・・・ ?(  ̄⊥ ̄)

母 → 精霊・・・ ??(  ̄⊥ ̄;)


・・などと、答えの出ないどうでもいい事を考えつつ、使用済みのシーツの回収場所である本館の出入り口(みんなが出入りするガラス戸)に到着。

持って来たシーツをすでにまとめてあるシーツで包み、業者さんが持ちやすいように束ねます。そしてガラス戸を開けたらすぐに運べる位置に移動して、シーツの片付け完了♪

そのシーツの山を跨いで外に出て自分の靴を履いていたら、テラスのコンクリートの上になにか落ちているものを発見。

・・・ま、まさかね...。( ̄- ̄;)

近づいてみると、


ヾ( T▽T;)ノ あーーーーー! また、鳥が落ちてる!!


この子はすでにご臨終・・・。
見たことのない、全体はオリーブがかった茶色で白いおなかに黒い点々模様の小鳥でした。


このままちーちゃんに食べられたらかわいそうだから(ちーちゃん、活きのいいのしか食べないのかな?)、しだれ桜の木の根元に埋めてあげました。

アーメン。。(-∧- )
 
 
そして富士見荘に戻る道すがら、

<よがびの脳内変換>再開。
 
父と子と精霊・・・と、ご臨終?( ̄⌒ ̄;)
 
・・・わかったっ!( ̄□ ̄;)!! 


  生  ・  老 ・ 病  ・   死
  ↑       ↑        ↑
  水色    オオルリくん   しだれ桜の木の
  タマゴ   &オリーブさん   根元に眠る鳥さん
 
ナンマイダブ。。(-∧- )
 
う〜ん、お釈迦様に繋げるには無理矢理感が、、、。

 オチ が ない・・・

水色のたまご

5月10日(月) 晴れのち曇 by ヨガビジャ


昨日の日誌にはオオルリさんのことを書きましたが、実は鳥にまつわる出来事がその後も続いたんです。。

翌日の朝、温泉棟のマット類を洗濯しようと本館の横に設置してある洗濯機の所へ行き洗濯機のフタを開けました。
その時、私の視界の右隅に、小さなつるんとした水色のプラスチックのようなものがありました。

なにかなあ〜?( ・・ ?)

と、身をかがめてそれを拾い上げてみると、なんと鳥の卵の抜け殻!

100507_001←これ。
 大きさはうずらの卵より少し大きめで、卵の尖った方に内
 側から突ついて開けたと思われる穴が開いていて、ちゃん
 とヒナが孵化した事が想像できます。
 それにしても(この写真では色が分かりにくいかもしれな
 いけど…)、殻が水色の卵の鳥ってどんなんだろ。
 昨日のオオルリさんかな〜。。

以前から、洗濯機の上の屋根の裏側に鳥が巣を作っていることは知っていたけど、こんなことって初めてで、かなり感動〜♪

昨日はオオルリさんのカップルで、今日は卵なんて。。。

もしこの出来事にメッセージがあるとしたら、どんなメッセージなんでしょ?
?( ゜_゜)

雑談中に…(ゴールデンウィークリトリートの感想)

2010年5月10日(月)  晴れ by キヨタカ

 「究極の素粒子:クオークは6種類あれば良い!」

当時誰も予想しなかった理論を提唱し、遂にノーベル賞を受賞した益川先生のアイデアはお風呂に入っている時だったと言う。

偉大な発見はリラックスしている時に起こるという法則は、入浴中に「エウレカ(解ったゾ)!」と叫んで裸で町を走り回ったアルキメデス以来の伝統らしい。

Archbathnbc3_2


しかし、それは科学の世界だけではなく、精神世界もまた然り!

精神世界のスーパースター:お釈迦様も、6年間の苦行を諦めて菩提樹の下でリラックスしている時に、悟りが訪れたと言う。

OSHOは、「悟りとは究極のリラックスである」と定義している。

何かを得ようと力んでいると、それを得る事は難しい。
「得ようとしている人」がじゃまになるから…。
靴ひもを引っ張って空へ舞い上がろうとしている様なものだ。

得る事を忘れてリラックスしていると、それが手にはいるというのはよくある話だ。


リーラスペースリトリートでは、参加者に後泊を勧めている。

リトリートも終了し、瞑想の時間もなくなり、ただ寛いで雑談しているうちに、長年の疑問が氷解するという事も良く起こる。

Mさんにも、どうやらそれが起こったようだ。

詳細は下記↓をクリックして下さい。
http://leela.cocolog-wbs.com/leela_kansou/2010/05/post-a6fb.html

オオルリさんたち

5月9日(日) 晴れ by ヨガビジャ


GW.リトリートの片付けが一段落しました。

今回のリトリートは最初から最後までお天気に恵まれました。
木々の新緑は目に爽やかで、色とりどりのツツジや黄緑色のつぼみから満開となったオオテマリは真っ白で・・。
本当に一年で1番過ごしやすく美しい季節の中で行われたリトリートでした。

リトリートのことで書きたい事はいろいろあるのですが、とりあえず記憶の新しいところから書きますと・・。

6日、後泊をされた人たちがお昼過ぎ頃に帰られて、私が本館で外履きスリッパを片付けていたら、

「コンッ!!」と、なにかが固いものにぶつかった音がしました。

その音のした方向に目をやると、窓ガラスぶつかった小鳥がコンクリートの上に落ちていました。それも2羽っ!!( ̄□ ̄;)!! 

1羽はとてもきれいな深い瑠璃色。
そして、おそらく今の音の主らしきもう1羽はオリーブ色。
どうも「つがい」のようで確信はないのだけど、オリーブ色の方がメスみたいでくりっ!としたまん丸な目が愛らしく、瑠璃色の方はキリッ!とした目元が涼やかな二枚目さんでした。

私が瑠璃色くん(←勝手にオスと断定)を、キヨタカがオリーブさんを手に乗せしばらくヒーリングをして、お水を(無理矢理?)くちばしに垂らして飲ませてあげました。

二人でそんなことをしながら本館前で座り込んでいたら、キッチンスタッフの3人も集まり思い思いに観察&写真撮影&雑談が始まりました。

この時はこの鳥の名前が思い起こせなくて、キヨタカがご自慢の「 i Phone 」で調べましたが分からずじまい。
そしてかなりの時間が経ってから、オスの瑠璃色くんが私の手の平から飛び立ち、しばらくしてオリーブさんも無事に飛んで行きました。
この後、私はこの鳥の名前が「オオルリ」であることを思い出し、パソコンで確認をしたらやはりそうでした。

これで一連の鳥騒動はスッキリと解決!のはずだったのですが…。

夕方、庭で見かけたちーちゃんの口の横に何やら赤い色が、、、。


 (=^▽^=) ← ? ( ̄⊥ ̄lll) 「…あ、あんた、なに食べたのよ…」


スッキリしないモヤモヤが、私の胸に残ったのでした。( ̄- ̄;)
 

Img_05763←かわいいでしょ♪
 先にオリーブさんがキヨタカの手の平から本館の手摺に飛
 び移り、相方の瑠璃色くんの回復を待っているのかな?と
 思っていたら、瑠璃色くん、突如私の手の平から飛んで
 行っちゃいました。
 しばらくして、置いてきぼりのオリーブさん、しゃがんでいた私が立ち上がったのに驚いたのか飛び立って行きました。
この後、薄情な夫にオリーブさんが怒って夫婦ケンカになったのか、ちーちゃんに食われたのか、それとも以前と変わらず仲睦まじく暮らしているのか。。
この2羽の行く末がおおいに気になる所です。

大きな転換期

2010年5月9日(日) 晴れ by キヨタカ

 ゴールデンウィークリトリートも無事終了した。
後かたずけも一段落、ようやく日誌を再開。

リトリートはPart1と2に分かれているが、その両者には「量子的飛躍」と言える程大きな違いがあった。

今回のリトリートを通して、私の魂が何を望み何を伝えたいのかが非常に明確になった。
それに伴い、今までとても重要だと思っていた事が、どんどん落ち始めている。

例えば、「参加者を大勢集めたい」という願いは、リーラスペースを始めた時からとても重要な事だと信じて疑わなかった。
その為に色々と妥協したりあれこれと画策しようとしたのだが…。

しかし魂の喜びは、それとは無関係なのである。

一昨年の秋に始まったリトリートも今回で13回目を迎えた。
13とは「死と再生のシンボル」である事は、この間のブログ(午前4時44分)で述べた。

リーラスペースは1997年に八ヶ岳でオープン、ちょうど13年が経過している。
今、ひとつの物事が終わりを迎え、大きな転換期がやって来た。

新しいものがやってくる為には、なじみのあるものを手放さなければならない。
古いものを死なせ、それに続く空虚な状態にいる事を許さない限り、新しいものは来ない。

だから次回(7月)のリトリートはキャンセルとなった。
おそらく秋頃には、新しいスタイルで再開できるのではなかろうか。

曖昧な書き方で申し訳ないが、だんだんフーマン的になり、予定が立てにくくなりつつある。


但し東京でのイベントは引き続き行う予定で、次回の新宿イベントは6月26(土)27日(日)を予定している。

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