« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

だまされた…

8月31日(火) 晴れ by ヨガビジャ


昨日午後2時過ぎ、窓の手摺に干していた布団を取り込み網戸を閉めようとしたら、手摺の下の部分に1本の小枝が引っかかっていました。


お隣から飛んで来たのかなあ〜?( ・・ ?)


と思いつつ、その小枝を庭の方に捨てようと手に取ったら、

ふにゅ・・っとした感触・・・・


いやあっ===!! ヾ( T▽T;)ノ (←声にならない叫び)


冷たい麦茶だと思って飲んだら、麺つゆだったとか、

コカコーラだと思って飲んだら、お醤油だったとか、、、


この場合は、見た目と感触のミスマッチに超ショック!!

思わずの私が放り投げたものの正体は、

100830_008_2←こいつ・・・

 ナナフシくん。

 私が落とした後、元いた場所の裏側にうまくくっついてま
 した。
 私が見つけた時はちょうど手摺の上に乗っかっている状態
 だったので、飛んで来た小枝かと・・。

それにしても、人は本当にビックリした時って声がでないものですね。

ま、それ以上にこのナナフシくんの方がショックだったでしょうけど、ね。
( ̄∇ ̄;)

ご恩返し!?

2010年8月30日(月) 晴れ by キヨタカ

どうも私は昔から政治オンチで、政治の事には無関心だ。
だから当然日誌に政治問題を書く事はほとんどないのだが・・・

最近の「民主党代表選」で鳩山さんが小沢さん支持を表明したそうだが、その理由を知って驚いた!

ニュースによると
鳩山氏は27日、小沢氏を支持する理由について「総理に導いていただいたご恩返し」と表明。
だそうである。

一国のリーダーを決める事に「ご恩返し」の論理を持ち込むのはナンセンスだと思うのだが、政治の世界はこうした「義理人情」がとても大切なのだろう。

日本が何故第二次世界大戦に突入し悲惨な敗戦をしたかの理由の一つとして、「リーダーが無能だった」という事は歴史的な事実だが、「義理人情」でリーダーが選ばれてしまう社会構造そのものに問題がありそうだ。

新しい時代が来る為には、古い時代が崩壊しなければならない。

民主党か自民党かといった問題ではない。

今や民主主義と言う政党政治そのものが崩壊しつつある感じがする。


ところで私が思うに、ご恩返しというのは与えてくれた人に直接返せるものではないのだと思う。

ご恩というものは一方的に与えられるから有り難く、ただひたすら有り難いのであって、ご恩返しをその人に出来るなら、それは単なるpay back。

そういえば、pay forwardという映画があったのを思い出した。

その与えられた恩をその人に返せないので、与えられたものを別の人に分かち合って行く事ここそが真のご恩返しになるのだと思う。


現在「恩寵の扉が開くまで・完結編」を執筆中。
フーマンが生きている間は、受けたご恩もよく解らず有り難さも中くらいだったが・・・今にして思うとなんとまあラッキーだったとつくづく思う。

今こそご恩返しをしたいのだが返せない。
せめて私のフーマン体験を本という形にする事で、ご恩返しの一助になればと思っている。

洗濯可?

8月29日(日) 晴れ by ヨガビジャ

一万円札、千円札、硬貨、腕時計(防水)、コンタクトのレンズケース、
カギ、ガム、ティッシュ…etc.

上記はこれまで洗濯機で洗ったことのあるもの。
今朝、これに新たに加わったもの。

「クレジットカード」


使えるんだろうか・・?( ̄- ̄;)


洗濯物は洗濯用のカゴに入れる人の自己責任というのが我が家のルールで、今まではチェックしないで洗濯をしていたけど、やはり後々の面倒を考えると私がチェックした方がよさそう。

なにが一番面倒って、粉々になって洗濯物にくっついたティッシュほど厄介なものはありません。経済的被害は一番低いですけどね。

経済的に一番損害が出たのはコンタクトレンズのケースの時。
中に入っていたレンズがなくなって新たにオーダー。
キヨタカのレンズは特殊で高いんです。(T_T)

よがび的にウェルカムなのは、もちろんお札♪
硬貨でもいいですけどね。
お札ってとても丈夫で、しわにはなるけど1回の洗濯くらいではビクともしません。
アイロンをかけて乾かして、よがびのヘソクリ。。

最近、めっきり見かけないなあ・・。(; ̄⌒ ̄)


PS.昨日の日誌のライオンとぼのぼのの顔の違いを検証したところ、ライオンに比べぼのぼのの目は間隔が離れていて、顔の輪郭に近いところにあることに気づきました。
なぜかって考えたら、ぼのぼのの顔の下半分は横顔で見ると分かるように、前に突き出ていて高くなっているからかな?と思って。。

Photo
←ね?

錯覚

8月28日(土) 晴れ by ヨガビジャ

昨日はアピタでミスタードーナッツが出店していたらしく、キヨタカがドーナッツを3つ買ってきました。
昨日のうちに3つ全部は食べ切れなくて、最後の1個が入った紙袋が今朝テーブルの上に置いてありました。

お茶を飲みながら、なんとなくその紙袋に眺めていたら、
ドーナッツを「たてがみ」にしたライオンがいるのに気がついて、100828_005このドーナッツの形からライオンをイメージしちゃうなんて、さすがにプロのクリエイターさんはすごいなあ〜・・・( ̄。 ̄;)と、感心してました。

でも、じーっとよく見ていると、
どこかで見た顔のような…?( ・・ ?)


たてがみをとったら、ラッコのぼのぼの! ( ̄□ ̄;)!!

Downloadedfile_2

一度それに気づいたらもうぼのぼのにしか見えません。

←これ。

おまけにたてがみをとった姿を想像すると、手足やしっぽがが長いぼのぼのなんて「なんか変っ!」って思える始末。

なんだか錯視というか、だまし絵にひかかったような気分・・・。

ライオンさん、さようなら。(* ̄ 。 ̄)ノ

StarPeople vol.34 発売!

8月27日(金) 晴れ by ヨガビジャ


StarPeople vol.34が発売されました。

Sp34 今号の特集は、
 『エノクとは何者か?』
 〜エノクを通して天界とアセンションを知る〜
 ・・・だそうで、

 エノク? 私、知りません。。(;^_^A
 後でゆっくり読んでみます。

さて、StarPeopleに連載中のキヨタカの「覚者をもとめて」では、キヨタカはアメリカを去ったOSHOを追ってインドへと渡ります。
ここからキヨタカのインド詣でが始まるんですね。

今回登場する覚者は、悟ったばかりのギリという若者。
ムンバイでサットサングをしていたそうです。

キヨタカはサットサングやリトリートに参加しつつギリの下で数ヶ月を過ごし、この時もいろんな覚者に逢う度にし続けていた質問をギリにぶつけてみたのだとか。
さて、どんな質問をしてどんな答えが返ってきたのでしょう?


…う〜ん、、、。
StarPeopleの購入意欲をかき立てる文章を書きたかったけど、難しいですね。
やめた・・・。( ̄。 ̄;)


でも、いろんな覚者に同じ質問をし続けるというのはいいアイデアだなって思います。

覚者といえども、それぞれバックグランドが違えば答えや表現も違ってくるでしょうし、なにより、一つのことの様々な側面が見えてきそうで興味深いから。。
もちろんそこで受け取るものは、あくまでもその瞬間の自分の成長に見合った理解であり体験なのでしょうけど。

一つ確かのなのは、こういった長年にわたる経験の積み重ねが、キヨタカが後年「アジズとの対話」や「恩寵の扉が開くまで」を生み出すための下地となっていたのではないかということです。

それから(一歩間違えばぶしつけになりかねない)、遠慮のない知的好奇心と探究心という持って生まれた資質というか性格も、大いに寄与しているのしょう。


このStarPeopleは年4回の発刊。
この後登場する覚者の数を考えると、まだ1年以上は続きそうです。

だから、1つ1つのエピソードを詳しく書くことはできないけど、1人の探求者のスピリチュアルな旅の道中を気軽に垣間みることができるという点においては、結構おもしろい読み物になっているのでは?と思っています。

ぜひ、お手に取ってお読みください。m(__)m


PS. 感想などいただけると、本人、大変喜びます。

  そうそう、「覚者をもとめて」のInformationに記載のリトリートと
  新宿ナイト&ワンデーイベントの日程が変更となりました。

  ・9月のリーラ瞑想リトリートは11月に延期。

  ・10月23、24日のナイト&ワンデーイベントは、
   10月3日(日)、4日(月)に変更となり、
   ワンデーが先(日曜)になります。
   会場の都合で、時間も14時〜20時30分と変則になりますので
   ご注意ください。
  

「断捨離」継続中

8月26日(木) 晴れ by ヨガビジャ

私にとって今月のメインイベントであった、お盆の帰省と新宿瞑想会を終えて伊豆に戻り、はや3日がたちました。

100818_003今回戻ったら、庭のあちこちに白ユリがきれいに咲いていました。
無垢で凛と佇むその姿が、照りつける厳しい日差しの中に一抹の清涼感を与えてくれるようです。

今は新宿瞑想会の後片付けも済み、お盆前から継続中の「断捨離」の続きを始めました。

富士見荘にある「モノ」たちと直面してつくづく感じるのは、私たちが日常的に使用している「モノ」は、全体の2、3割にしか過ぎないのではないか?ということです。

残りの7、8割は無駄に空間を占有しているみたいで、収納や掃除の手間を増えさせているだけのように思われます。

今回自分の押し入れを片付けていたら、使ってないエプロンがいくつか出てきました。
エプロンは家事をする時、ポケットに携帯を入れたり服を汚さないためによくしていますが、さすがにこう暑いとエプロン1枚といえども身に着けたくない気分です。

そこで、薄手の生地のエプロンの一つを脇の下の辺りから裁断して「前掛け」を作ることにしました。これなら上半身は涼しいし、一番汚れやすいお腹まわりはカバーできます。

カットしたウェスト部分が解れないようにかがり縫いをして、腰のところに付いていた紐を付け直しました。
これなら洋裁の苦手の私でも大丈夫。(ミシンがないから手縫いです)

出来上がって早速身に付けてみたら…

あれ・・・?( ・・ ?)。

100826_016元々ゆったりとしたエプロンだったのでウェスト周りが大きくて、腰の後ろで結ぶはずだった紐がもう1周して前にきてしまいました。

ま、最近はカフェエプロンとかいうちょっとおしゃれなこの手のエプロンがあるくらいだから、これもありかと思ったけど…。

紐の長さがかなりギリギリで蝶チョ結びができません。( ̄- ̄;)

でも頑張って、なんとか片羽根だけの蝶チョ結びで身につけることができました。

着心地はいいし気に入ったのだけど、連日の暑さで少々痩せ気味の今でこんな状態では、体重が元に戻ったら絶対に紐が届きません。

富士見荘以前に、自分のボディも余分な脂肪を蓄えないように「断捨離」を心がけないと…と感じた今日の朝でした。(^o^;

似非アドヴァイタ

2010年8月25日(水) 晴れ by キヨタカ

 I AM THAT!
あなたは既にそれだ!

だからあなたが悟っていようが、悟っていまいがなんの関係もない!
修行も必要ない。
ただ寛いでいれば良い!


これは、典型的なアドヴァイタの教えだ。
昨日私が書いた日誌「私が在る為に・・・」も、あの文章だけをよむとアドヴァイタの教えと同じだ。

しかしこの現象世界で苦しんでいる人々があの文章を読んでも、殆ど救われないだろう。

むしろそう言い切ってしまう相手に、腹立たしさを覚えるかも知れない。


しかしこのアドヴァイタの教えは、ある人々のマインドには非常にアピールする。

そして救われないどころか、真理に目覚める前に真理探究を放棄してしまう大きな危険性をはらんでいる。


「あなたは既に悟っている」とか「今ここに何の問題もない」とか「悟りなんか誰が構うもんか!」等々の単一視点を教えの軸にしているアドヴァイタ系の教師は世界中に大勢いる。
しかしその教えだけでは、決して生徒達は真理へと導かれる事はないだろう。

こうした安易なアドヴァイタ系の教えを、アジズは「似非(えせ)アドヴァイタ」と呼んで厳しく批判していた。


インドのゴアにアランボールという風光明媚な海岸がある。
海を望む断崖絶壁にコッテージが立ち並んでおり、アジズはその中でもとても眺望のよいコッテージを借りて屋上でサットサング(真理伝達の集会)をしていた。

当時私は熱心にアジズのサットサングに通ったものだ。


そのコッテージのすぐ近くで、いわゆる典型的な「アドヴァイタ」教師が、同じくサットサングを開いていた。

アジズのコッテージの屋上から、その教師のサットサングがよく見える。
よくよく観察して見ると、なんとその教師は酒を飲んだり時々腕枕をして横になったりしながら、教えているのである。

「あんたは既に悟っているんだから、修行なんかばかばかしい。今ここで寛いで、楽しくゾルバしようぜ〜!」
というノリである。
参加者もその教師と一緒に笑ったり歌ったりして、それはそれで楽しそうな雰囲気だった。


しかしその教師を何度も海岸の茶店で見かけたが、とても神聖なエネルギーと繋がっているとはお世辞にも言えない雰囲気だった。
生徒達にも何の変容も起っていないようだった。


私の友人で、このアドヴァイタの教えにハマった人がいた。
実際に悟りを宣言しサットサングもしていた。
しかし彼の問題はそのままで、彼の存在から輝くものは見られず、何の変容も起っていない様だった。

私がその事を指摘しても、「問題があろうがなかろうが私は在る!」と吹聴しコミュニケーションが取れなくなってしまった。


「私が私で在る為に、条件は何もない」
それは真実であり、昨日の日誌に書いた通りである。


しかし、その真実を実際にこの現象世界で生きるには、必要な事があるのである。


私のよく知っているセラピストが悟りを宣言してサットサングのオーガナイズを頼まれた事がある。

彼の教えは「今ここに何の問題もない」というもので、誰がどんな質問をしても、最後に必ずそこにオチを持って行く。

質問する前にオチが解ってしまうのである。

その場にいた参加者の何人かは「今ここに何の問題もない」という事を聞いて安心したようだ。
しかし、その場限りの慰みとはなっても、本質的な変容は起らなかった。

「今ここになんの問題もない」と言う教えは、ちょうどダチョウが外敵を見つけると、地面の穴に首を突っ込む事を是とする様なものだ。

地面の穴に首を突っ込めば、「今ここに問題はない。」

しかしそれでは問題は解決しない。

どうやったら外敵から犠牲にならないか、根本的な解決策が必要だ。

                                                     

私が私で在る為に・・・「条件は何もない」と昨日書いたばかりだが、そうとも言い切れないのが真実である。

頭で考えると矛盾しているが、この生は矛盾に満ちている。


私が私で在る為に・・・、本当は始めに努力が必要だ!

それは何かを追いかける努力とは違った、別の努力、目覚めの努力というものだ。


PS 最近、例のセラピストに再会した所、熱心にあるグルに会う事を勧められて驚いた。

 「だってあなたは悟りを宣言したじゃないですか?サットサングもやるんでしょ?」
と尋ねた所・・・

「あれは、目覚めの始まりに過ぎなかった。」
と告白してくれた。


特にニューエージ系の悟りは自己申告制だから、誰かが真実を語っていると吹聴しても、それが自己の真実に響くかどうかよく吟味する必要がある。

特に安易に悟りや次元上昇を約束するものは、要注意である。

もっとも変な修行にのめり込んで、自分や他人の人生を犠牲にするのも困った事ではあるが・・・。

私が在る為に・・・

2010年8月24日(火) 晴れ by キヨタカ

 瞑想とは、「する事」から「在る事」へのゲシュタルト(存在の有り様)の転換だ。
「私が在る」とは、なんだか哲学的抽象的で難しく感じるが、英語で書くと解り易い。

「私が在る」とは、英語では「I AM」と書く。

通常私たちは、I AM の対象物の方に関心がある。
それはお金であったり、仕事であったり、健康であったり・・・etc.

だから「I AM お金持ち!」「 I am 映画俳優!」「I am 会社の社長!」「 I am 女にモテル!」「 I am 元気!」等々、I am の対象物を求め続けて一生を終える。

スピリチュアル系の人なら、対象物の中味が精神的なものに変わるが、対象物を求めるゲシュタルトそのものは同じだ。

「I AM サイキック!」「I AM 愛に溢れている!」「I AM 無心の境地!」「I AM 悟り!」 ・・・etc.


しかし私が私で在る為に、何か特定の条件が必要だろうか?

私がお金持ちであろうが貧乏であろうが、会社の社長であろうがホームレスであろうが、私が私で在る事には全く関係がない。

たとえ不治の病に犯されて今日命が尽きるとも、I AMがI AMである事に全く変わりはない。

例え今の私が、怒りと恐怖と性欲と食欲と睡眠欲に溺れていても、「私が私で在る事」の事実は微動だにしない。

だから、「私が私で在る為に」悟る必要もないのは当然である。


探求者の陥る最大のワナ、それは悟れば「あ〜なる」とか「こ〜なる」と思い込んでしまう事にある。

私が私で在るために、「あ〜なる」事とか「こ〜なる」事とかの条件を付けてしまう事こそ人生最大の悲劇だ。

オショーも、「悟りとは人生最後の悪夢である/Enlightenment is the Last Nightmare」と語っている。

もっとも、悟れば「あ〜なる」とか「こ〜なる」とかの宣伝が最も上手だったのもOSHOであり、なんとも人を惑わせる存在だ。

「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人を まよわするかな」
とは一休禅師の歌であるが、釈迦に限らずOSHOなんか人類史上稀に見る相当ないたずら者である。

私はかつて、「悟ると夜も目覚めている」というOSHOの話を固く信じていた。
だから「自分は夜寝てしまい、おまけに夢まで見てしまうダメなやつだから悟りはまだまだ先の事だな〜」と嘆いていた。

しかしよく考えてみると当たり前の事だが、私が私で在る為に、夢を見ようが夜ぐっすりと寝ようがなんら変わりはないではないか!

「いたづらもの」にすっかり翻弄されていたわけだ。

翻弄されている事に気づかずに「あ〜なる事」に無駄な努力を重ねると、今度は「不眠症」に陥るのがオチであろう。


古今東西、おほくの「いたづらもの」が世にいでたが、釈迦とキリストは東西の横綱と言える。

例えば、キリストの次の言葉なんか、史上最悪のいたづらだと思う。

「されど我は汝に告ぐ。すべて色情を懐きて女を見るものは、既に心のうちに姦淫したるなり。」
 (マタイ5−27−32)

釈迦も「不邪淫戒」なるものを説き、キリストに一歩も譲らない。

両横綱のいたづらにより、古今東西、性欲克服の為多くの若者が不毛な努力と不必要な苦悩を強いられる悲劇を招いてしまった。

悟りとは決して「草食系男子」と性エネルギーの枯れ果てた老人のものではない。

「肉食系男女」も、私が私で在るために何ら変わりはない。
もちろん草食系でも老人でも、私は私だ。


私が私で在る為に、「かくあるべき」条件は全く必要ない。
たった今、この瞬間に、それは成就しているのである!

私は良く覚えてないが、生まれる前も私は私で在ったらしい。

まだ死んでないけど、たとえこの身が滅びても私は私で在るらしい。
それが本当かどうか、死ぬ時のお楽しみである。


つまり、私が在る為に、する事はな〜んにもないのである。

I AM THAT I AM!

例のちいちゃんだって、私が私で在る事を無条件で楽しんでいるではないか!
我が家のネコですら「私で在る」事を無条件に楽しめるのだったら、我々人間に出来ないワケがない!!

15_4

PS する事がな〜んにもないんだったら、瞑想もする必要ないのではないか!という突っ込みを入れた読者は鋭い!
その通りである。
瞑想とは、私が私で在る事を無条件で楽しむ事である。
そして瞑想会とは、私たちが私たちである事を一緒に楽しむ会なのである。

闇の時代の終わり

2010年8月22日(日) 晴れ by キヨタカ

新宿のナイト&ワンデーイベントが無事に終了。
今回も沢山の方々に参加して頂いた。
多くの新しい参加者に混じって、古くからのアジズ&フーマンの生徒も何人か参加して頂きとても嬉しかった。

殆ど宣伝らしき事はしていなにのに・・・とても不思議な気持ち。

イベントの始めにまず5分間沈黙して坐る事が恒例になっているが、今回はとても深いサイレンスが降りて来て終わりの鐘を鳴らせなくなるハプニングもあった。

瞑想の場をリードしている恩寵の導きを手に取る様に感じられたイベントだった。


今リーラスペースは大きな転換期を迎えており、リトリート等のイベントはしばらく控えている。
今年の秋頃から新しい動きがスタートすると予想していたのだが、既にもう始まりつつあるのか?

私の廻りでもそれぞれに新しい動きが起きつつある様で、先日お友達のあんじゅから「もう、闇の時代は終わったのかも☆」というメッセージを頂いたが、その通りなのかも知れない。

会場の都合で9月10月の新宿イベントは無いはずだったが、こうした素晴らしい場も設ける事をサボタージュしては申し訳ないと反省し、下記の通り急遽会場をおさえた。

通常とは変則的なスケジュールとなるが、こうした場を設ける事は闇の時代を終わらせる為にとても大切だと思う。

ぜひ皆さんに参加して欲しい。
そして共に「光の時代」を創って行きましょう!


第11回 ナイト&ワンデーイベント at 新宿
(↑上記をクリック!!)

インセプション

2010年8月18日(水) 晴れ by キヨタカ

昨晩実家(栃木県)から修善寺に戻る。
お盆で8日帰省していたが、毎日猛暑でインドにいるみたいだった。
修善寺は風も涼しくとても気持ちが良い。


Images

お盆中実家に友人が遊びに来たので、一緒に今話題の映画「インセプション」を見た。
実は実家に行く前にも見ていたのだが、何度見ても面白くとても良く出来た映画だと思う。

デカプリオや渡辺謙等魅力的な俳優陣、迫力ある映像、さらに非常に凝った独創的ストーリーと、個人的にはマトリックス以来の面白さだった。
3D映像でなかった事が唯一残念だった。

一般映画としても楽しめるが、見る人によって様々な解釈が可能な多重メッセージが秘められており、特に「意識の覚醒」に関心のある方々には必見だ!
http://wwws.warnerbros.co.jp/inception/mainsite/


内容は多少複雑だが、構成が良いのでストーリーを見失うという事もない。

誰もがほぼ毎日体験しているであろう「夢」がテーマなので、荒唐無稽な筈の映像なのに妙にリアリティがある。

毎晩夢の中で、我々はそれが完全にリアリティ(現実)であると思い込み右往左往している。
夢から醒めて初めてそれが夢だった事に気づく。
しかし時には「夢から覚めた夢」を見続けている、という事もある。

それではどうしたら夢と現実を見分けるのか?どうやって夢から目覚めるのか?我々はたった今この瞬間に夢を見続けているのではないか?・・・そうした究極的な問いを見る人に与える映画だ。

ところで、古今東西の覚者は口を揃えて言い続けている。
「あなた方は起きていながら夢を見続けているのだ」

フーマンも私に何度も語っている。
「キヨタカとは、過去の記憶であり夢なのだ」

しかし現実の夢の中では夢が現実であると思い込むのと同じ様に、「キヨタカ=小さな私=自分」と信じている限り、この世が夢であると言う事の方が荒唐無稽な話に思えてしまう。

「恩寵の扉が開くまで」もいよいよ完結編を迎える事になった。

この本は、「いかに小さな私という夢から醒めるか」がテーマとなっている。

しかし夢から醒める前提として、「この私自身が夢であり夢を見ているのだ」と気づく必要がある。

インセプションは、「自分というものが夢なのではないか?」と根本を問いかける非常にインパクトある映画だ。

しかしインセプション以上に夢から目覚めるインパクトをもたらす決定的なものがある。

それこそが「瞑想」である。

今週末、新宿で瞑想会がある。
夢から覚めたい方は、ぜひ参加して欲しい!
http://leela.jp/event/0/ee10aonaitoaiwan.html

ダイジェスト版

8月7日(土)晴れ by ヨガビジャ


ずいぶん日誌の更新が止まっていましたね。

最後の日誌は小山からのものでしたが、あれから伊豆に戻り色々ありました。

100803_016←またイノシシにちーちゃんのエサ場が荒らされたので、
 エサ場の扉をイノシシが超えられない高さに作り直して、
 壁のくり抜きの窓にも木枠を取り付けてもらって、
 ついに壊れと思われた自動給餌器は自分で直したっけ。。
 
 

100804_002_2←長い髪が限界に鬱陶しくなったので美容院に行って
 バッサリ切ったのは数日前。
 (写真はその後、キヨタカに迎えに来てもらうまでお茶
  をしていた温泉街の喫茶店。テラス席はペット同伴可。
  ちーちゃんと来られないかなあ〜( ・・ ?)と思って
  みたり。。)

100807_006←さっき、庭を歩いていたらミカンがなっていることに
 初めて気づいて・・。
 (今年ミカンの白い花、咲いてたっけ?( ・・;))

 暑い、暑いと言っても、もう秋を感じさせるものがチラホ
 ラと目につきます。
 そうそう、栗の木のイガイガも大きくなってましたよ。
 
そういえば、姉一家が岡崎から遊びに来たり、自転車ごと用水に落ちて携帯電話を壊した父に新しい携帯を送ったりなんかもしてたっけ・・。3ページにわたる手書きの取り扱い説明書を書いたよね、そういえば。。( ̄⊥ ̄)


・・・他にもなにかあったと思うけど、
ほぼ1ヶ月分の日誌ダイジェスト版でした。<(_ _ )>

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ