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自分で在ること

9月5日(日) 晴れのち曇 by ヨガビジャ


昨日、家でトム・クルーズ主演の「ラストサムライ」を観ました。

これも何年か前にすでに観た映画ですが、最近「インセプション」に登場する渡辺謙の存在感と演技力(表現力)の素晴らしさに感動し、彼が出ている映画を他にも観たくなったので。

「ラストサムライ」を初めて観た時はすごくいい映画だとは思いましたが、その時の印象はそれほど深く私の中に留まらず、その後思い出すこともありませんでした。

私が数日前に観た「もののけ姫」は、善や悪、過去と未来、現実と理想、神の存在、人であることの悲しみや苦しみ、したたかさ、愛おしさ等々、、あらゆるものを私の内なる感覚に浮上させ、にもかかわらずなんの意味付けも結論も施さなかった…。

「ラストサムライ」にも、同じ質を感じました。

鉄を得るために豊かな自然を破壊しそこに住む生き物を殺していく人間(もののけ姫)、明治維新後、廃刀令が布かれ存在自体が許されぬものとなりつつあった侍たち(ラストサムライ)。

そこには不可抗力な時代の流れがあり、誰もそれを免れることはできない。
しかしその奔流の中で、誰もが自分自身を生き抜いている。または、自分自身として死んでいる。(たとえ他人の目にどれほど愚かに、滑稽に映ろうと)

そして、そこに善し悪しの観念を微塵も感じさせない。

それが、私にとってこの2本の映画に共通する印象であり、私に心地良い曖昧さと、自分の捕われた眼に映る「幻想という現実」に気づくインスピレーションを与えてくれます。


今はまた、時代の過渡期のように感じます。(さまざまな面でいえますが)
人々は「結果」重視の生き方に、違和感を感じ始めていないでしょうか?

「ラストサムライ」で勝元(渡辺謙)は、侍で在り続けるため勝ち目のない戦いを選び死にました。その死に様が、または生き様が、時の天皇の目を開かせます。
そして、オールグレン(トム・クルーズ)は、勝ち目のない戦で勝元と共に果てることを選び、また、オールグレンに夫を殺されたタカは、夫の武士としての最期と死、そしてそれをもたらしたもの(オールグレン)を受け入れます。

私は目標や結果を求める生き方より、自分としての「在り様(ありざま)」にこだわった生き方に心惹かれます。その行き着く先がなんであれ。

乙事主は一族を率い、猪として真正面から突進して全滅し、山犬は最期のその力を滅びゆく森と仲間、そして自分の無念を晴らすために使い死んだ。
えぼしは虐げられた人々に見せる優しさと裏腹に、森や山を破壊しそこに生きる生き物としし神を殺す。


善悪の物差しなど、稚拙で滑稽で無意味としか思えないほど、人は、生は、世界は、、不条理で矛盾に満ちている。

結果のみが求められ、その結果を得るために「自分を生きる」ことが許されないのであれば、生きる事になんの意味があるだろう。

私が「もののけ姫」や「ラストサムライ」で感じる心地良さは「自分として在る」ことを最優先する潔い生き様と、私のちっぽけな固定概念を揺るがす物語の広がりと曖昧さ、それぞれに魅力的な人物たちからくるのかもしれません。

頭で描いた善悪や理想から自由になり、ありままの自分として生きたいという想いを触発されるのです。

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