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2011年1月

ガイダンスの光りが導くに任せて

2011年1月29日(土) 曇り  by キヨタカ

 「どうしたら沢山人が集まるか?」

リーラスペース発足以来、ず〜っと頭を悩ませ続けた問題だった。
最初は海外からセラピストをオーガナイズしていたが、思う様に人が集まらず苦労の連続だった。

フーマンをオーガナイズして、初めて黙っていても人が集まる様になった。
オーガナイザーとして冥利に尽きる。

フーマンは、人を集める事に関して次の様に語っている。

* * *
黙っていても、あなたに惹き付けられる人々がやって来るようになる。
人々があなたの中に真実を見る。
世界中の人々に対して自己表現する必要は全くないのだ。

私は自分自身の事を全く宣伝しない。
宣伝と言う事をした事がない。
ガイダンスの光が導くに任せて、人々をあなたの座るその席に座らせる。
それが私のする全てだ。
           「恩寵の扉が開くまで〜フーマンとの出逢い」より

* * *

「ガイダンスの光りが導くに任せる」事を肝に命じたい!

気になる

1月29日(土) 晴れ by ヨガビジャ


ちーちゃんは、

Img_2384 人が座ろうとするところを堂々と占拠する






Img_2382 ちーちゃんのピンクの鼻を接写




 ストロボ光が迷惑だったようで体勢を変えたら …

Img_2392 下のおヒゲがこんなことになってた

 こういうの見てると(ねこのヒゲってかなり硬いし)
 なにやら自分の鼻の下あたりがムズムズしてきて
 気になる…


なぜなら、ちーちゃんのヒゲ、
必ず2,3本、ポッキリと折れてるのがあるから。

Img_2398 これがねこの正しい寝相?

あなたが死ぬまでは

2011年1月28日(金) 晴れ by キヨタカ

 「恩寵の扉が開くまで〜フーマンとの出逢い」が出版されたのが、2008年7月末。
2年半後にようやく増版される事になった。
初版の数がとても少ないから本当は増版と言うのも気がひけるが、とにかく新しく刷り直す事になった。

誤字・脱字の訂正が可能との事で、今読み直しをしている。
読者の皆さんも、誤字・脱字に気がついたらぜひリーラスペースに連絡を下さい。

読み直してしみじみと、「あの本は最初からあまりにも究極を語っているな〜!」と思わずため息が出た。


ステート オブ プレゼンスを確立したとアジズに言われて、意気揚々としてフーマンに対面したら、いきなり「中心を手放せ。プレゼンスの確立は初心者レベル。キヨタカという人格を死なせなさい。」と言われ、タジタジとなったが、その時の状況が昨日の様に思い起こされる。

結局、キヨタカの死はあの時のセッションでは全く訪れる事なく終わってしまった。

果実が熟して木から落ちるには成熟する時間が必要な様に、私にもあれから相当の時間が必要だった。


「悟りとはエゴの死の事だ」と知的レベルではっきりと知ったのは、28歳の時に読んだOSHOの本「あなたが死ぬまでは」を通してだった。

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でも当時は年齢的にも「いかに生きるか」に焦点が当てられて、「死」という概念は抽象的でずっとずっと先の話に感じていた。

探求のプロセスで、「キヨタカは死ななければならない」とは全くの想定外だった。


フーマンとのセッションは2001年7月だからもう40代後半だったが、まだまだ抽象的なレベルに止まっていた。

50代も後半に入り、この肉体もまた「来ては去って行く」仮の宿である事をようやく体感し始めた。

ステート オブ プレゼンスは達成出来るが、ビーイングに寛ぐ事や人格を死なせる事は、自分の手の内にない。

「する事(Doing)」のエネルギーのアーキタイプ(元型)として、「サムライ」という言葉をフーマンはよく使った。
サムライは全てにおいて、自分をコントロールして自分を押し殺す。
肉体の死すら、切腹する事をもって理想とする。

しかし、寛ぎや人格の死とは、起る事であって、する事ではない。

それはちょうど眠る事をする事(Doing)は出来ないのと同じだ。

もちろん眠りが訪れるように、快適なベッドや環境を整える事は出来る。
しかし、環境を整えた後は、大いなる存在に任せるしかない。

それと同じ事が、瞑想やリトリートにも言える。

瞑想やリトリートの機会を持つ事は非常に大切だ。
しかし、環境を整えた後は、それが起るのを恩寵に任せるしかない。


「恩寵の扉が開くまで」を改めて読んでみて、フーマンの言葉の含蓄の深さをひしひしと感じる。

「探求者は死ななければならない」というフーマンのメッセージが、何人の探求者に本当に届くかは不明だが、いつかメッセージが届く事を期待して、増版の準備をしたい。

雪が降り出しそうな

1月28日(金) 晴れのち曇り by ヨガビジャ


Img_2335 寒さの中にも






Img_2343 花がある

寒い朝

1月27日(木) 晴れ by ヨガビジャ


今日はとても寒いです。

富士山の雪はそれほど多いようには見えないけど、富士見荘の北側の地面は霜柱が立っていて歩くとサクサク音がします。

朝、散歩に行って帰ってくると、

Img_2325_2 庭の蝋梅が黄色い花をたくさん付けていることに気づきま
 した。

 よく見ると庭の隅で紅梅も咲き始めています。
…と言うことは、
修善寺の梅林はもうかなり咲き始めているかもしれません。

私が蝋梅を撮っていると、(今朝5時に私を起こして外に出て行った)ちーちゃんがやって来て私の足元ですりすりします。

Img_2327_3 私が写真を撮り終わり歩き出すと、

 私を追い越して先導する様に歩いてたと思ったら、
 芝生の飛び石の上でゴロンッ!と寝転がり、


 触って〜〜♪(=^▽^=)  


そのポーズは撮りそこなったけど、その後もずーっと飛び石に座り続けています。

うっすら霜も降りてるし、石の上、絶対冷えきって冷たいはずなのに、


芝生の上じゃなくて、なぜ石の上?( ̄- ̄; )


色や模様が似てるから、石と擬態してるとか??


ネコの気持ちは分からない・・・( ・・ ?)

終着駅

2010年1月24日(月)  晴れ by キヨタカ

一昨日「最後の忠臣蔵」を楽しんだ帰り際、母が「あれも見てみたい」と言って映画館の上映パネルの一つを指差した。
パネルのタイトルは「終着駅〜トルストイ最後の旅」、トルストイの晩年を描いた作品である。

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「あれは洋画で字幕で目が疲れるから…」と諭したのだが、「画面が大きいから全然平気」との事で、前日に引き続いて映画館へ同伴した。
トルストイに興味を持つくらいだから、御年88歳とはいえ、彼女の「最後の旅」はどうやらまだまだ先の様な気がして安心した。

瀬尾孫左衛門(「最後の忠臣蔵」の主人公)と言っても誰も知らないが、トルストイと言えば世界で最も有名な大作家の一人。
「戦争と平和」とか「アンナ・カレーニナ」とか、読んだ事はなくともタイトルくらいは誰でも聞いた事があるだろう。

今から20年以上前、私はインドのOSHOアシュラムに2年半、長期滞在していた。
ある日の講話で、OSHOがトルストイの「アンナ・カレーニナ」を大絶賛した。

「孤島へ行くのに、世界中の小説から唯一冊持って行けるとしたら、私はこの小説を選ぶ。」

当時OSHOに骨の随まで傾倒していた私は、さっそく本屋で英語版を購入し辞書を片手に読破する事にした。
インドでは日本語訳が手に入らず、英語で読むしかない。
(当時はアマゾンなんか存在しなかった。)

ところが実際に読み始めると、複雑に絡み合う背景描写が延々と続き、英文という事もあり感情移入が非常に難しい。
読書のプロセスを楽しむよりも結論を先に知りたがる性癖のある私は、遂に禁を犯して分厚い頁の最後の方を、よせば良いのに読んでしまい衝撃を受ける。
なんとアンナは不倫の果てに鉄道自殺をしてしまうのだ!

「これが私の尊敬するOSHOが絶賛する文学の最高傑作の結論なのか!?」

文学を愛する人々からは石を投げられそうだが…
「部屋に引き蘢って辞書を片手に他人の書いた架空の不倫物語に耽溺するよりは、例え不倫であっても実際に自分の人生の中でそれを体験した方が遥かに成長する」と結論づけた。
そして分厚い本を捨てて、現実の女性関係に正面からアタックする覚悟を決めるのであるが…。

おっと、またまた話が脇道に逸れてしまった。

映画「終着駅」だが、これまた素晴らしい内容で満足した。
「アンナ・カレーニナ」を読破出来なかったが故に、トルストイは私の中でトラウマとなっていた。
しかしこの映画のお陰で、トルストイがぐっと身近に感じ親近感さえ覚える様になった。

ストーリーは、愛する妻ソフィアとの葛藤と死の謎を追った物語。

この地上で、トルストイ程、溢れる愛と才能と富と名声と美しい女性と家族とそして健康と長寿まで手に入れた人間は珍しい。
そんなトルストイですら、妻に悩まされ、晩年に家出してしまうとは!
本人にとっては深刻な問題だったのだろうが、なんだかユーモラスで滑稽な感じすらある。

愛を語る事と、愛をこの地上で生きる事は別次元だ。

トルストイの苦悩は、単に愛を語るだけではなく、この地上において愛を実践しようとした誠実な魂の必然的な結果なのだ。

トルストイという偉大な魂に心から、敬意を表する。


戸惑い

2011年1月23日(日) 晴れ by キヨタカ
 
  年末に母が膝を痛め、現在通院中。
様子を見るため一昨日より実家に滞在している。
幸い思ったより元気で、映画を見たいという事で昨日は「最後の忠臣蔵」のお伴をした。

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「忠臣蔵」と言えば、私心を捨て主君への忠義を最大の価値観とする封建時代の武士の生き様を賛美するもの。
この映画は「忠臣蔵」の後日談で、例の討ち入りで生き残る運命となった2人の生き様を描いていて、「忠臣蔵」ファンも十分に納得する男の美学満載の内容となっている。

もともと日本の封建的な体質が嫌いで、真の愛と自由に憧れて瞑想の世界に入った私としては「忠臣蔵」なぞ嘲笑すべき博物館行きの価値観なのだが…この映画に感動してしまっている自分がいて戸惑いを感じている。
自分の思想信条とは関係なく起こったこの感動に対する戸惑いは、さる忘年会での出来事を思い起させた。

今から7年程前、当時モス(超小型高速ヨット)にはまっていた私は、ヨット仲間の忘年会に出席する事にした。
会場はメンバーの一人が経営する「ホルモン番長」とう焼肉店である。
このオーナーは生来のガキ大将的風格でモスの操船も迫力満点、ニックネームが「番長」で、お店の名前も「番長」と名付けてしまった。

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当時ベジタリアンを自認していた私は、痛風の気もあり四つ足動物の肉は絶対に食べない事にしていた。
だからこの忘年会でも、鉄板の上に載せられている野菜だけを上手く選んで食べていたのだが…

宴もたけなわの時、例の番長が忽然と私の眼の前に現れて、調理場から持って来た新しい器をドーンと目の前に置いて曰く。

「おい、これが俺の店の名物だ。美味いぞ、食え!」

器の中味を覗くと、なんと「牛のモツ煮」である。
普通の肉も食べないのだから牛のモツ煮なんて、全くの想定外だ。

だから丁重にお断りしようと思ったのだが、この番長はその名の如く非常に迫力があり「食え!」という言葉で、思わず「はい!」と反応してしまい、我が思想信条に反して牛のモツ煮を口に放り込んでしまった。

ところが…ウ、ウマイ(; ̄ー ̄川 アセアセ

ずっと肉を食べていなかったので体が受け付けないと思いきや、なんと、凄く美味しくて全部平らげてしまった。
ベジタリアンを信条にしている私が、牛を、しかも牛のモツ煮を食べて、凄く美味いと感動している自分に驚き、思想信条とは関係ない身体の率直な反応に、すごい戸惑いを感じたのである。

話が脇に逸れてしまったが、「最後の忠臣蔵」を見て私を戸惑わせてしまったこの感動はいったい何だろう?

単刀直入に言うと、自己が是とする価値に対して命を捧げる事の出来る潔さに感動したのだろう。

「武士道」的な美学は、日本独特で西洋人には理解出来ない様にも思われるが、実はそうではないらしい。
事実この「最後の忠臣蔵」は、なんと企画制作がワーナーブラザーズとなっていてアメリカでも公開されるそうだ。

さらになんと、キアヌ・リーブズ主演のハリウッド版「忠臣蔵」も現在撮影中らしい。

そういえば数年前に公開された、ハリウッド映画「ザ・ラストサムライ」でも、主演のトム・クルーズのサムライ姿が決まっていた。


武士道という古い価値観の中に、現代社会が見失った普遍的な価値観が潜んでいるに違いない。

「より崇高な価値の為に命を捧げる」という生き様は、古今東西を問わず、我々の魂を揺さぶるものがある。

問題は、命を捧げる対象が、捧げるに値するものがどうかという事だ。

フーマンは、「恩寵の扉が開くまで〜フーマンとの出逢い〜」の中で、日本人の男性の生き方について次の様に語った。

よくよく、熟考すべき言葉だと思う。

* * *

日本の男性はほぼ全員が魂として解放される事なく、日本人男性として過酷な因習の中、苦悩の中で死んで行った。
サムライとして死んだが、真実をベースとしたサムライとしてではなく、「〜すべき」という偽りの伝統を保持する為に死んで行った。

真実の為に死ぬ事と、因襲の為に死ぬ事は非常に違う。

あなたはその因襲とは正反対となる。
あなたは自己の真実を保持して生きる。

日本人男性が真実の男性として目覚める事で、偽りの伝統そのものを癒す事が出来る。

男女の価値観

1月22日(土) 曇りのち晴れ by ヨガビジャ


これ ↓ 今日の昼食。

Img_2312 白菜の豆乳スープとしらす&チーズトースト。

 今日の日誌は本来書きたかった内容ではないのだけど、
 先日の名古屋行きにちょっとだけ関係しています。

今回の名古屋は、往きは新幹線を利用しましたが帰りは在来線を乗り継いで帰ってきました。

平日でしたから、窓に沿った横並びの長椅子は空いていました。
おまけにお天気もよかったので窓から射す日差しが眩しくて、電車の中はぽかぽかと暖かで快適。
つま先のしもやけがかゆかったけど途中3度の乗換えもスムーズで、車窓から見える青空や富士山、海の景色を満喫しながらの電車の旅でした。

「興津」駅で「三島」行きの電車に乗換え窓の景色を楽しんでいたら「由比」駅に到着。扉が開くと同時に「プ〜ン・・・」と海の香りがしてきます。


海の香り・・・というより、正確には「桜えび」の香り?( ・・ ?)

って思いました。

でも桜えび漁にはまだ早い気がするから、本当のところなんだったのか分からないまま家に到着。


翌日、朝ご飯を食べようと冷蔵庫を開けると

<新物 釜揚げしらす(由比産)> の文字に目が止まりました。


昨日の香りはしらすだったのかなあ〜、桜えびっぽかったけど?( ・・;)


と思いつつ珍しかったので、そのパックを冷蔵庫から取りだしキヨタカに、


よがび:しらす、買ったの? 珍しいね〜〜。\( ̄∇ ̄*)


と見せたら、


キヨタカ:うん、安かったんだよ〜!
     それにずごくおいしいんだ!!(^O^)b


よがび:そうなんだー。。


と、自分の手に持ったパックを見たら、なんと『¥380』の文字!


よがび:高っ!!!( ̄□ ̄;)!! 


キヨタカ:えっ!? 高いの??( ・・ ?)
 
 
男と女の経済観念の違いを見せつけられた瞬間でした。


うん、i Phone や ウェットスーツよりは安いよね。。。( ̄◇ ̄)


・・・・?


そうそう、ここで終わっちゃいけなかった。

だ・か・ら、今日のお昼はこのしらすを使ったチーズトーストだったんです。


もちろん美味しかったです。(^-^)b

雪の中の異次元?

1月20日(木) 晴れ by ヨガビジャ


昨日、名古屋から戻りました♪


私が伊豆を出発した16日、なんと、名古屋は大雪でした!
なんてピンポイントでジャストなタイミングなんでしょっ!!snow

新幹線は10分遅れで名古屋駅に到着。
それから地下鉄→市バスと乗換えますが、地下鉄から地上のバスターミナルに出ると、そこはもう吹雪の2,3歩手前。

バスは7分前に出たばかりで、次のバスまで50分ほど待ち時間があります。
本当はもう1本、実家から15分位のところに停まる路線バスがあるのですが、重たいパソコンの入ったリュックを背負い、お土産を手に下げて雪の降りしきる中を歩く気にはなれなかったので、バスターミナル横のミスタードーナッツで時間を潰すことにしました。

コーヒーとオールドファッションののったトレーを受け取りカウンター席に座ります。店内はおそらく私と同じ目的で来ているであろうお客さんで賑わっています。

110116_010←店内から見た窓の外。

 私が実家に住んでいた頃は、このバスターミナルを利用し
 ないとどこにも行くことができませんでした。

 三十数年ぶりに昔と変わらぬミスタードーナッツからバス
 ターミナルの人の列を眺めていると、高校の制服を着た自
 分の姿が思い起こされて、不思議な気分になりました。

110116_001_3 当時のさまざまな気分を追体験するかのように、
 今思えば本当に些細な事を気にしたり、成績が悪くて悩ん
 だり、理由も分からず焦っていたことを思い出しました。
 そして思わず、今の私から昔の私へ「そんなに悩まなくて
 いいんだよ」と心の中で話かけていました。

 でも同時に今の私は、高校生の私とはまるで別人のような隔たりも感じていました。変な表現ですが、すでに脱皮した抜け殻みたいというか…、自分の過去とすら感じない。
当時の私に想いを馳せれば、同じ感覚をたった今感じることができるのに、同時に今の私のものではないという不思議な感覚。

この雪のせいで、どこにぽっかりと異次元の扉でも開いたのかしら…。


…などと追想に浸っていたらバスの発車時刻の10分前になったので、お店を出てバスを待つ列に並びました。

しかし、待てども待てどもバスは来ません。別の路線バスは既に3本も来ているのに…。予定の発車時刻を15分以上過ぎました。

業を煮やした私の後ろのおじさんが、停まっていた別の路線バスの運転手さんに詰め寄ります。
(名古屋弁をご存知の方は名古屋弁のイントネーションでお読み下さい)


おじさん:◯◯行きはどうなった〜?
     ちっとも来いせんがあ〜〜!
     なにやっとるだあーーー!!!


運転手:雪のためダイヤが乱れていて分かりません。


(信号が青に変わり扉が「バタン!」と閉まり発車)


おじさん:分からんはにゃーだろーーー!
     もう20分以上まっとるに〜〜!!
     なんで××行きばっかり来とるー!


すると私の前のおばあちゃん、


おばあちゃん:そうだが〜!
       ちゃんと説明せんといかんがあ〜〜!!
       みんなず〜っと待っとるのに〜!!!
 
 
 
 (*`<´)・:∴  ・・・・( ̄⊥ ̄)・・・・  ヾ(`⌒´メ)ノ″

   ↑           ↑          ↑
 
 おばあちゃん        私         おじさん
 
 
 
なにやら、私を挟んで前と後ろで盛り上がってます。

おばあちゃんは他の人の同意も欲しいのか自分の前のおばさんにも話題をフリ、さながら列の前半分は一致団結した不満表明の様相を呈します。

お、おもしろいかも・・・( ̄。 ̄;)

このやり取りを意味を気にせず、
通りを行き交う車の音のように、焦点をぼかして聞いてると・・・

  

にゃあ〜、みゃあ〜、ぎゃあ〜、みゃあ〜〜・・・ (= ̄ ◇  ̄=)
 
 
 
と、語尾だけが聞こえる  ・・・・( ̄⊥ ̄)・・・・

 
 
ここは紛れもなく名古屋。

異次元なんかじゃない。(別な意味で異次元?)

 
数分前の感傷的な気分を瞬時に吹き飛ばしてくれる、じーちゃん&ばーちゃんたちのパワーがとっても新鮮で、微妙な愛おしさを感じた、かも。^^;


(つづく)

こんな凄い本が…

2011年1月18日(火) 晴れ by キヨタカ

 「恩寵の扉が開くまで〜フーマンとの出逢い〜」は現在在庫切れで、残念ながらどの本屋にもないそうだ。
Nさんは、色々とさがしたけど見つからなかったそうで、「こんな凄い本がほとんどどこにも置いていないなんて。残念です。」とのメールを頂いた。
感想コーナーをクリック!

他人の評価で一喜一憂するパターンからは抜け出しつつあるが、Nさんの様な感想を頂くとやはりとても嬉しい。

あの本は今から10年前(2001年7月)のセッションがメインになっている。
登場するキヨタカは、この現実社会でまだまだ沢山の欲望や幻想を抱いていて、それに対処するフーマンも大変だったと思う。
相手のレベルに合わせて辛抱強く道を説くフーマンの姿勢は、今振り返ってみても感動的だ。
フーマンは、「頭ごなしに自分の意見を一方的に主張する」という事が一切なかった。
相手に100%スペースを与えて、まず相手の言う事をそっくり理解して、そこから相手のペースと理解に合合わせて語るという事に徹していた。

本をどの様に読むかは読者次第だが、フーマンの教え方にフォーカスして読んでも、沢山学べるだろう。

願わくば、あの本が当たり前に本屋に並んでいる時代が来ますように。

名古屋行き♪

1月16日(日) 晴れ by ヨガビジャ


今から一人で名古屋(実家)に行って来ます♪

一応表向きの理由は、昨年姪の結婚式で泊まった時、置き忘れてきたキヨタカの腕時計と私の指輪をとりに行くのと、壊れて使えなくなっていたテレビのリモコンをメーカーに注文していて届いたのでそれを届けるのが目的です。

で、裏(?)の目的は両親を日帰り温泉にでも連れ出すこと。

ほら、高齢者の(特にあまり夫婦仲のよくない)ふたり暮らしって、話題もなく殺伐としてテレビを観てるだけだから、たまには外野の私がそれぞれの話でも聞いてあげようかと思って。

だって先日電話で母と話したら、


母:・・・お父さん、とうとうボケたわ!(−_−メ)


よがび:(唐突で驚いたけど声には出さず)・・・なんで?( ・・ ?)


母:この前も郵便局のカードがないって探してるのよ・・・( ̄^ ̄メ)


よがび:・・・でも、お母さんも郵便局の通帳をなくして、
    再発行してもらってたよね?

    同じじゃない??( ・・;)


母:そういえば・・・そうね〜〜・・・(*⌒∇⌒*)


よがび:・・・・・?( ̄⊥ ̄lll)・・・・・


まあ、こんな具合に母とはたまに電話で話すのいいのですが、父には携帯を持たせているのもかかわらず、耳が遠いのと電話嫌いなため話す機会がありません。

それに実際昨年末、結婚式ネタでこの日誌に書いた様にもの忘れが激しくなっているのも事実なので、ボケ防止のために刺激?を与えるのが一番の目的かな、やっぱり。。


年をとるって、自分にとっても今後一生のテーマではないかと思います。

今まで当たり前にできていたことができなくなっていく。
最初はそれに気づかないけど、だんだんその事が分かってきて、次第にそんな自分にイライラしたり、不安になったり。

自分に対する自信や存在価値を失い始め、人によっては周囲の人間に自分の価値を証明しようと様々な言動をとり始める…。


自分とは・・・?

なにか「する事」を通して
社会や人に対して有益な自分であることだけが
自分の価値だとしたら、

避けることのできない老いや病をえた自分には
存在する価値も存在する理由もないのだろうか?

「する事」にのみ価値をおいた偏った生き方のまま
「自分はだれか?」の問いを発することのない生の終わりは、
ただ虚しさと焦燥感だけが残るのではないか?

だからこそ、生の始まりから終わりまで・・・いえ、死してなお、
連綿と変わらず在り続ける「私」を探したいと、私は願います。


ちょっとシリアスになっちゃったけど、
じつは今回も、父がどんなボケを見せてくれるか
楽しみでもあるのです。

あと、両親がうれしそうにしているとうれしいから。

たくさんのものを
私がもらいに行くんです。^^

アマゾンで大変な事に!

2010年1月15日(土) 曇り by キヨタカ


恩寵シリーズの第一弾「恩寵の扉が開くまで〜フーマンとの出逢い〜」がアマゾンで大変な事になっている。

41vdsq0r25l_ss500__2 在庫切れで中古品のみとなっていて、
 何と価格が最低で19,800円、最高は25,090円也!

 下記の写真が、その証拠だ!
   ↓



2_2 本当に大金を支払って中古品を買う人がいるとはにわかに
 信じ難いが、マーケットがあるからこそこの価格なのだろ
 う。

 リーラスペースにはまだ在庫がたっぷりあります。
 定価で販売しておりますので、ぜひご購入下さい!
 
ご希望の方は、著者のサインが入りますよ。

ザ・ウォーカー(ネタバレあり)

1月15日(土) 曇り by ヨガビジャ


昨年暮れも押し迫った頃、キヨタカがレンタルしてきた「ザ・ウォーカー」を観ました。

まだ1度観ただけだから見落とした部分もあると思うけど、おもしろい視点から描かれた映画だなと思いました。

核戦争で文明が崩壊した未来、世界で一冊だけ残された本を西に運び続ける男が主人公です。(私的には「北斗の拳」の世界( ・・ ?)って感じでした)


完全なネタバレだけど・・・
この、世界に一冊だけ残された本とは「聖書」のこと。

聖書が何らかの原因となって核戦争が起きた経緯から、戦後、すべての聖書は焚書にされました。
しかし主人公は内なる声に導かれ、唯一残った聖書を西ということ以外場所も目的も分からぬまま30年間運び続けます。

この聖書を、ある男は人々を支配するという野心故に奪おうとします。
『過去、世界の指導者の多くがこの書物の言葉を巧みに利用し、人心をコントロールしたように』
登場人物に聖書をこんなふうに語らせるのも、私にはちょっと新鮮でした。

それは例えば原子力に平和利用と戦争との可能性がはらんでいる様に、聖書も手にする者の理解や目的によってなににでも姿を変える、そんな、おそらくすべてのものに内在する「両極性」が垣間見えたりします。


映画は冒頭から暴力的なシーンで始まりますが、この主人公は決して乱暴な人物ではなく、どちらかというと敬虔で誠実な雰囲気が漂っていました。
それは彼が内なる導きに従い、毎日聖書を読み続けていることに由来していることが伏線になっていたのかもしれません。

しかし、その彼が物語の終盤であることに気づきこう語ります。

「自分はこの本を守ることに必死になって、そこにある教えを理解していなかった…」と。

その教えとは、「人のために尽くしなさい」ということ。

それは主人公が旅の途中、盗賊に襲われるふたり連れの旅人を見殺しにするシーンとして描かれています。
その時主人公は、「自分には使命があるから道を逸れてはいけない…」と必死に自分自身に言い聞かせ、目の前で起きていることから目を背けました。
しかしその主人公も、期せずして後に旅の同伴者となる一人の女性の危機を救ったことがきっかけになったのか、これまで毎日読んでいたにも関わらず見落としていた言葉とその真意をやっと悟ります。


こんな風に自分が手にしているものの真の価値を理解しないまま持ち運んでいることって、私たちの人生にもよくある気がします。

毎日読んでいる(使っている)から自分をそれを知っていると思っているけど、本当にはそれを「理解していない」し、「使ってもいない」し、「生きてもいない」。
あるいは、理解には様々な層(レイヤー)があるとも言えるのかもしれない。
それは生きられない限り単なる「物」であり、「それ」と自分はひとつにはなってはいない。

きっとそれは何らかの体験を通して、またはあるタイミングが訪れることによって初めて、自分の血となり肉となっていくのでしょう、この主人公のように。そう感じたのがひとつ。


そしてもうひとつは、、、
私にとってのキリスト教の概念での神は人の上位に位置する存在であり、そこには普遍的に相交わらない隔たりを感じます。
でも主人公の口から語られた「人のために尽くしなさい」という言葉は、「人は神なのだ。その神に尽くしなさい」と私には聞こえました。

それはきっと、マザー・テレサの「貧しい人々の中で最も貧しい人々は、人間の苦しみを負ったキリストにほかなりません」の言葉や、神道の「人は神の分御霊」という考えが自分にとって馴染み深いことからきているのかもしれません。

まだ1度観ただけなので断片的な感想ですが、様々なインスピレーションを得た映画でした。

最後に主人公が亡くなって、聖書のエッセンスは一人の女性へと受け継がれ、外の(安全ではない)世界へと一歩を踏み出して行ったところに、自分も精神的探求の道を歩む人間の一人として感銘を受けました。
実際このように「真実のエッセンス」は人から人へと伝搬して世界に広がっていくのでしょう。

そこには聖なる本も、マスターも必要ない。
最も直接的で誤解のない愛にもとづく伝達によって。


PS.ところでこうして映画の感想を書いていると、自分の書いていることから自
  分自身が見えてきておもしろいですね。

この映画はキヨタカと家で観たのだけど、冒頭から暗がりのシーンで始まったし、その後もしばらく荒廃した世界を象徴するかのような暗い世界の描写が続きました。

キヨタカはこの画面の不明瞭さが気にくわず、画面の明るくしようと、


懸命にリモコン操作を繰り返します。゚\( ̄^ ̄メ)


だから〜〜、それじゃ明るくならないって・・・( ̄- ̄; )


たしかマトリックスの時もそうでした。

キヨタカはすべてをはっきりと、明確に、たった今理解したいんです。

感想を書くまでもなく、キヨタカのひととなりはすぐ分かる。( ̄⊥ ̄)

おもち

1月14日(金) 晴れ by ヨガビジャ


お正月に、キヨタカのお母さんが持たせてくれたお餅にカビがはえました。
( ・・;)


白い角餅は表面を包丁で削って水餅にしましたが、青ノリ入りのお餅の方はカビと青ノリの区別がつきません。

よ〜く見てみたけど、私の目にはカビが見当たらなかったので、そのままストーブで焼いて食べてます。どっかの国じゃブルーチーズっていう青カビのはえたチーズを食べるみたいだし、


死にはしないだろう・・・ってことで...(  ̄.. ̄)


ただし、キヨタカは一貫して、「お餅は太る!」とずっと思い込んでいてお餅の消費に協力的ではないので、ここ数日私の朝ごはんは毎日お餅です。

一昨日はきな粉餅だったから昨日は磯辺焼きにしようと思ったけど、ふと、


オーブントースターでは思ったような焦げ目がつかないのよね〜 ・・・(-_-;)


と思い、金網で焼くことにしました。

もちろんオーブンの方がお手軽なんですけどね、、、
金網にのせて直火で焼くとお焦げができるし、おしょうゆを塗って2,3度焼くことでいっそう香ばしくできるから〜♪

でもガスコンロに直接金網を置いたら、火が近過ぎてあっという間に焦げ始めました。そこでジャムの空き瓶をコンロの手前に置き金網の位置を高くしたのが下の写真。

110113_003←傾斜があるけど上手に金網を支えつつ
 お餅の向きを変えてまんべんなく焼きます。
 この時、

 そうだ!写真を撮ろう!!\( ̄∇ ̄*)

 と思ったのが、そもそもの間違い。

携帯を構えて、お餅を引っくり返して、おしょうゆを塗って、シャッターを押して、また引っくり返して、おしょうゆを塗って、もう一度シャッターを押して・・・(繰返し)

その結果できたのは、おいしい磯辺焼きとお餅としょうゆにまみれた携帯電話。

忙しくてお箸を使ってられないから、直に手で引っくり返してたの・・・
だから、手にくっついたお餅が携帯電話にくっついて、


がびがびに固まって取れないの。。(T_T)


おいしさと引き換えに、携帯電話の掃除という余計な仕事を増やした朝でした。

エナジーフィールド

2011年1月13日(木) 晴れ by キヨタカ

昨日日誌に、「瞑想遍歴を重ねると、人によっては今までの知識や体験や期待が邪魔をする」事に触れた。
しかしそれはもちろん人によりけり。

通常は瞑想遍歴を重ねる事により、頭ではない所で感じる能力が発達して、場のエネルギーに敏感になる。

ナイトイベントに初めて参加されたMさんは、長く瞑想を探求し続けている方の一人。
ミクシーの日誌で「高いエナジーフィールド」と評価して頂いた。
せっかくなので、本人の許可を得て、リーラの感想コーナーに転載させて頂いた。


20年前に私が初めてボディーワークセンターを東京で開いた時の広告の文章は下記の通り。

『あなたがただそこを訪れるだけで、愛が溢れ出す。
そんなエネジーフィールド オアシス…』

残念ながら、ボディワークセンター オアシスは諸般の事情で愛が溢れないまま終了。
しかしその後も、愛の溢れ出すエナジーフィールド創りへのチャレンジは続いている。

それは、私がインドのOSHOアシュラムを初めて訪れた時の鮮烈な印象が、脳裏に焼き付いているからだ。

アシュラムの門を入った途端に、頭の中にお湯が注ぎ込まれたようにマインドが弛んで、エネルギーがハートへと落ちて行った。
そして、愛が溢れ出したのである。

別に何をした訳でもない。
私がただそこを訪れただけで、愛が溢れ出した。

こんな素敵な場が日本にも存在したらいいのに、と強く願った。

それ以来、終わりの無いチャレンジが続いている。

近所の植物たち

1月13日(木) 薄曇り by ヨガビジャ


今朝の散歩は富士山をスルーして、目に止まった植物を撮ってみました♪
この季節の庭はちょっと地味だけど、よーく観ていると飽きないです。^^

Img_2255 駐車場の梅の木。
 いつの間にか
 つぼみが目立つようになってました。
 
 
 
 
Img_2261 朝日が差し始め
 木の根元の苔や雑草が輝きます。
 
 
 
 

Img_2264 雑草に埋もれてた白い実。
 
 

Img_2266 自然の形や質感がおもしろくて…
 こんなところからも様々なインスピレーションを
 受け取れたり・・・
 
 
 

Img_2269 赤い葉脈が光に透けて浮き上がり
 私の目に飛び込んできたり・・・
 
 
Img_2274 遠くから見たら、
 無数の小さな葉っぱのグラデーションが
 草むらに黄色いシャポン玉が集まってるみたいに
 見えたりして。
 
 

Img_2283 庭のマンリョウ。
 つやつやキラキラしててきれい。



自然はやさしくて、たのしい。
自分がシンプルになる♪

なぜフーマンが「自然の中にいなさい」って言ったのか、分かる気がします。

幼子のように…

2011年1月12日(水) 晴れ by キヨタカ

2011年最初の「ナイト&ワンデー瞑想会at新宿」を無事終了し、修善寺に戻った。
ナイトイベントは予想を遥かに上回る参加者に恵まれ、とても深い恩寵のエネルギーが降りて来て、自分でも驚かされた。
(本当は予約してから来て欲しいのですが、予約して来ないよりずっとマシです。)

特に、古くからリーラスペースのイベントに参加されている方から「瞑想の場が深くて終わってから立ち上がるのが困難なくらいだった」というコメントを頂き、嬉しかった。

参加者からのフィードバックを楽しみに修善寺へ戻り、メールを開いた。
初めて参加された方からのメールで、読んでみると…

「期待したものを得られず、退屈だった」

…との事。

私の方こそ期待したコメントを得られず、目が点になってしまった!

全く同じ場にいても、動けない程エネルギーを感じる人もいれば退屈を感じる人もいて、「人の数だけ世界がある」事を改めて思い知らされた。

瞑想会には、様々なバックグラウンドを持ち全く異なる感性を持つ人々が大勢集まる。
その中でどう瞑想会をリードしていくか、私の当面の課題となるだろう。

ところで瞑想会を開くようになってハッキリと気づいた事だが、瞑想に関する知識や体験が豊富な方よりも初めて瞑想に触れた方の方が、こちらの伝えたい事がストレートに伝わり、また瞑想の真髄に触れ易い事がよく起る。

瞑想遍歴を重ねると、人によっては今までの知識や体験や期待が邪魔をして、今起こっている事を見逃してしまうのだ。

キリストは、「幼子のようにならなければ、天国に入ることはできない」(マタイ伝18章1-5)と語っているが、なるほどその通りだと思う。

Sさんから感想のメールを頂いた。
Sさんは瞑想は全くの初心者で2ヶ月前に初めて瞑想会に参加された方だが、すごいスピードで意識が進化されているようでとても嬉しい。
詳細は下記↓の感想コーナーをクリック!
http://leela.cocolog-wbs.com/leela_kansou/

美しさに触れる

1月12日(水) 晴れby ヨガビジャ


私のお気に入りのブログに、こんなメッセージがありました。
(一部抜粋)

***

「黄金人類への変化変容の準備を整える」ためには、
美しいものを見る、美しさに触れるということから、
自分自身の内面に「美しさ」を転写することが、
そのひとつの方法です。

美しいものとは、自然界の景色であったり、
聖地で体感出来る清々しいエネルギーなどです。

そうすることで、自分自身の内面に美しさを宿せば、
愚痴や悪口、陰口などといった悪性ネガティヴ思考は、
何処かへと吹き飛んでしまうし、そのようなことが、
頭の中を過ぎる回数が減少して来ます。

悪性ネガティヴ思考といったものは、
どこまでも止め処なく、雪だるま式に膨らんでゆき、
ループして止まらなくなる性質がありますので、
何処かで、歯止めを掛けなくては収まらないんです。

ですから、それらの悪性ネガティヴ思考が、
多少、頭の中を過ぎったとしても、
自分自身の内面に美しさが宿っていれば、
すぐに、ポジティヴ思考側に発想転換をすることが
容易となって来ます。

なるべく早く、意識を「切り替える」、
気持ちを「切り替える」ことが、人生生活において、
自分自身という存在を、幸運体質に変換させる鍵です。

***


「悪性ネガティブ思考」などというと、なにかオドロオドロしい感じを受ける人がいるかもしれませんが、シンプルに「否定的な思考」と置き換えていいかと思います。

フーマンは以前セッションの中で、

『怒りや様々な感情がやってきても問題ではない。
 それは来ては去っていくもので、あなたとは関係がないのだから。
 しかし、それがやって来たら捕まらないでただ通り過ぎさせなさい。
 そこに長く留まるとそこから抜け出すのが非常に難しくなる』

と語っていました。

でも否定的な感情や思考がやって来た時、それに捕まらないで通り過ぎさせるのは至難の技で、具体的にどうしたらいいのか分からないままでした。


先のブログの主は「美しさに触れること」の大切さを以前から何度も書いていて、私は自分がネガティブなループに入ってしまいそうな時、意識的にその言葉に従い実践してみました。

その時たまたまYou Tubeで見つけたのがロシアのフィギアスケーター・プルシェンコ選手の「ニジンスキーに捧ぐ」という曲の演技です。


http://www.youtube.com/watch?v=kkhn4KbisJc&feature=fvw


私はフィギアスケートに詳しくはありませんが、一目見てパソコンの画面に釘付けになるほど衝撃的でした。
曲そのものが素敵なのですが、フィギアスケートの演技でこれほど曲と動作(振り付け?)が完全に一致している演技を初めて見ました。

4回転、トリプルアクセルと完璧なジャンプを次々とこなし、会場全体が拍手とともにボルテージが上がりそれに乗じるかのように、プルシェンコ選手の演技はその場のエネルギ—に完全に乗っ取られたかのようでした。
まさしく「神懸かっている」という表現がぴったりだと感じました。

このような神懸かった美しさ触れると、魂がうち震えてハートが満たされていきます。そこには、ついさっきまでのネガティブな思考や感情をきれいに洗い浄めてくれるパワーがあります。

だから、このブログの主さんが書かれていることがとてもよく理解できます。

これはとても実際的な手段だと感じるので、気分が鬱いでいたり否定的な思考パターンにハマりそう時など、ぜひ試してみてください。
もちろんスケートに限らず、音楽でも絵画でも自然でも「美しいもの」「楽しいもの」ならなんでもいいそうなので。。


PS. 私はこの演技を観て以来、プルシェンコ選手のファンになりました。
  それで他の彼の演技もほとんど観てみたのですが、
  こんな衝撃的(?)なものを発見!
  とても先の「ニジンスキーに捧ぐ」と同じ人とは思えないですが、
  このギャップというか、人間としての彼の器の大きさ(?)と、
  実力に裏付けられた演技にもう脱帽です。
  私はしばらくこの2つの演技を毎日続けて観るほどハマりました。
  これを観ると笑えて、楽しくなって、
  深刻でいることがばかばかしくなります。ヾ(≧▽≦)ノ

http://www.youtube.com/watch?v=9jgInqv4pgE&feature=related

でかけます

1月8日(土) 晴れ by ヨガビジャ


明日、あさっての新宿イベントのため今から東京へ向かいます。

昨年の12月に行った「出版記念お茶会」が好評だったで、今回明日のナイトイベントの前に精神的探求の道を歩む上で必要な知的理解を深める場として「リーラ瞑想談話室」を設けました。

これはひとりひとりが自分自身の体験や理解を持ち寄り、他の人とのシェアリングを通して疑問をクリアーにしたり理解を深めることを目的としています。
まだ参加定員に余裕がありますので、興味のある方はぜひご参加ください。

Img_2232←今朝の富士山。
 うちからは「赤富士」を観ることはできないけど、
 今朝の富士山は朝焼けでほんのりピンクでした。
 
Img_2241←もみじ林の中を歩いていたら、
 山並みの向こうから朝日が射してきました。
 無数の木立の影が、
 落ち葉で埋め尽くされた斜面に
 縞の模様を映し出します。

 
日常の当たり前の景色が光で満たされる瞬間。
聖も俗もいっしょに存在してる…
 
 

年明け断食?

1月6日(木) 晴れ by ヨガビジャ


4日の深夜、小山から伊豆に戻りました。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。(^^)v

1週間の私たちの留守の間、ちーちゃんは無事生きてました。

でもキヨタカが昨日の日誌に書いた様に、痩せて一回り以上小さくなって、かなり軽くなっていましたけど・・
おまけに手足はいつになく汚れて体のあちこちには草がくっついていて、


これまで留守にした中で一番ボロボロかも・・・( ̄- ̄; )


相変わらず「ねこハウス」には「おやじネコ」が陣取っていて、キヨタカの姿を見て逃げて行ったそうです。。

寒さに加え、自動給餌器のエラーで途中から(2,3日?)カリカリも出ず、相当心細かったのか、甘えるのなんのって。。

日中、かなり長い間昼寝中の私のお腹の上でゴロゴロしてたのに、夜はキヨタカの膝の上でご満悦です。

Img_2160_2←もう、うっとり。。 (=^ 。^=)

Img_2173←ポジションはこんな感じ。




Img_2189_2←動いちゃダメ〜・・・
  (-。-) Zzzz・・・


Img_2204←肉球。
 意味はないけど。
 
 
 
今週末は東京イベントのため、ちーちゃんはまたお留守番です。

自動給餌機、早く直さなくっちゃっ!( ̄∇ ̄;)


PS.ちーちゃんの今回の一件で、
  「たまの断食は健康に良い♪」というキヨタカに、
  「なら自分もすれば…(−_−メ)」と突っ込みを入れたくなるのは
  私だけでしょうか・・・?

至福に従えば…

2010年1月5日(水) 晴れ by キヨタカ

 
ザ・シークレット(The Secret)というDVDがある。
数年前に大流行した”引き寄せの法則”を解説したDVDなので、ご存知の方も多いだろう。

Images


実は数年前にYou Tubeで見た事があるのだが、内容がいかにもアメリカ的なポジティブ思考哲学で、その浅薄さに辟易してしまい、すっかり忘れていた。

お正月に実家の近所のTUTAYAを覗いた所、このDVDを発見。
100円でレンタルO.kとの事なので、借りてもう一度見てみた。
すると、今回は偏見ナシで客観的に見る事が出来た。

新しい生き方を求め始めた人にとって、とても勇気づけられるDVDだと思う。
ちょうど私の姪が遊びに来たので、一緒に見たのだが、彼女はとても感動していた。
(私が瞑想の話をしてもさっぱり理解してくれなかったのに…)

また長年瞑想修業をし続けているにも関わらず、現実社会で上手く生きる事が出来ずに悩んでいる人にとっても、福音となるだろう。

ただ非常に残念ながら、私は誰か(Who am I?)、”引き寄せ”ている私は誰か?という根本的な探求がない。
それが、真の探求者にとっては、決定的に物足りない所だろう。

例えばDVDの中で、次のとても美しい言葉が紹介されいる。

「至福に従えば、宇宙はあなたのために壁でしかなかったところに扉を開くだろう。」
                       ~ジョセフ・キャンベル〜


問題は、至福に従うあなたは誰か?という事だ。

”魂の至福”に従うと、まさにその通りだ。

しかし、”マインドの至福”に従うと(…本当はマインドに至福は知り得ないのだが)、いつの間にか地獄への扉が開いてしまう可能性が大いにある。

なぜならマインドは非常に策略に満ちていて、エゴの満足を魂の至福と勘違いさせる事が多々あるからだ。

さらに、魂とマインドの喜びは相反する場合が多い。

魂の至福への道が、マインドにとっては苦悩と感じる事が多々ある。

”本当の私”を真摯に求めない限り、ジョセフ・キャンベルの言葉で真実の扉が開かれる事はないだろう。

本当の秘密は、”引き寄せ”ている私は誰かを知った時に、明らかとなる。

すると、ことさら”引き寄せ”なくとも、既に必要なものは十分に与えられている事を知るのだ。

すると人生は、愛と喜びと遊びに満ちたものとなる。

全てが上手く行っている。

だから”ただ私が無条件に在る事”がとても有り難く、感謝の気持ちが溢れ出す。

そして、”毎日がお正月”となる♪

正夢

2010年1月4日(火) 晴れ by キヨタカ

 今日は、世間では仕事始め。
今年も元旦から日本晴れが続き、おめでたい気分が続いている。
実家からようやく修善寺に戻った。

ちいちゃんも元気だったが、体重がとても軽くなっていた。
自動給餌器をチェックしたら、エラー(”エサ詰まり”)と表示されていた。
どうやら、強制ダイエット状態になっていた様で、かわいそうな事をした。

しかしスマートになって、健康には良かったのかも知れない。
実家で年末年始に美味しいものを食べ過ぎてしまったので、私もちいちゃんに見習う必要があるかも…?

ところで、お正月に「長い間音信不通だった人からメールが届く」という初夢を見た。

ところが今日、まさにその人からメールが届いた。
しかも、内容までそっくりだったので、ビックリ仰天!。

昔から”正夢”の話は色々とあり、自分もなんとなくそれらしきものを見た事もある。
しかし全く同じ夢、というのは今回が初めての体験だ。

フーマンの言う「これ」に働きかけるワークが、ようやく潜在意識に浸透し始めた様だ。

新年早々、幸先の良い夢を見る事が出来て、ご機嫌♡

毎日がお正月

2011年1月1日(土) 晴れ by キヨタカ

明けまして おめでとうございます。
本年も どうぞ宜しく!

Photo

…しかし、年が明けたからと言って 何でおめでたいんだろう?
1月1日と言っても、人間が便宜上創り上げた暦上のフィクション。

だから、

 〜元日や 冥土の旅の 一里塚
  めでたくもあり めでたくもなし〜

という一休禅師の歌の方に、我が意を得たりと思う 自分だった。

しかし何年前からの事か、最近では1月1日がやって来る度に、本当に「おめでたい」エネルギーを感じる様になっている。

元日の朝の、この静かな雰囲気。
昨日と同じ風景ではあるが、空は青く晴れ渡り、風もなく、小鳥がさえずり…

ブラウニングの有名な詩を思い起こした。

時は春
日は朝(あした)
朝(あした)は7時
かたおかに露みちて
あげ雲雀なのりいで
かたつむり枝を這い
神空にしろしめす
すべて世は事もなし

The year's at the spring,
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearl'd;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in His heaven--
All's right with the world!


通常、私達は時間の流れの中にいて、過去や未来で起る出来事で忙しい。

しかし年の始めには、時間の流れを意識的に「リセット」する。

そしてこのリセットした時に、過去や未来にはない「今・ここ」という実存のゲートが開く。

本当は「今・ここ」から一瞬たりとも離れた事はない筈なのだが、マインドという夢を現実と錯覚している私達は、このゲートが閉ざされてしまっている。

しかし、年の始めには、大勢の人々が時間の流れを「リセット」する。

だから集合的な意識レベルで、この閉ざされたゲートが、年の始めに本当に開くのだと思う。

だから お正月が来る度に感じるこの「おめでたい」感覚は、単なるフィクションではなく、実存的なエネルギー現象なのだ。

「開けまして」おめでとう なのである。


「今・ここ」という実存のゲートが開かれると、そこは平和と静けさと喜びに満ち満ちている。

そして、全てが上手く行っている(All is well!)という感覚がやって来る。

「今・ここ」とは

すべて世は事もなし!(All's right with the world!)

という「おめでたい」世界なのだ。

瞑想とは、このおめでたい世界へ入る為の具体的ツールだ。

だから瞑想家にとっては、毎日がお正月となる。

願わくば 「毎日がお正月」気分で 人生を楽しみたいものだ。


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