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2011年6月

あじさい

6月25日(土) 晴れ by ヨガビジャ


暑いですね〜。。(^^;;ゞ 

まだ梅雨明けしていないと思ったけど、
今からこの暑さって、いったい夏本番はどうなるんでしょ?

幸い我が家は高台にあるので今日のように風の強い日はかなり過ごし易いですが、買い物などで街に出ると、ダイレクトな強い陽射しとアスファルトからの照り返しがすごくて驚いてしまいます。

木があって、土があって、風が吹いて、日陰があるって…
こんなにもありがたいことなんですね。。

外でのお仕事の方やエアコンなどで激しい温度差にさらされる方は、くれぐれも体調を崩されませんよう、水分補給をしたり着るものなどで調整をしてお体を大切にお過ごし下さいね。


きのうはやけに庭が賑やかだと思ったら、モクレンの木にメジロと思われるウグイス色の小さな鳥が群れで訪れていてびっくりしました。

小さな鳥の中にさらに一回り小さなのがいて、きっと子供だと思うけど、私が窓からのぞいても逃げる様子もなく、とても愛らしかったです。o(^-^)o


(しょうこりもなく) ↓ 庭のあじさい。

うちの庭には白っぽいのと、このブルーのあじさいがあるけど、
これは西洋アジサイっていうのかな?

Img_3323_2  Img_3321_3

花びらに見えるのもがガクで、真ん中の丸いつぶつぶがお花なんでしたよね?
淡いグリーンとブルーのコントラストがとても爽やか♪

右のポンッ!と花が開いた感じは、夜空の打ち上げ花火を思い出してしまう…

できることならあと1度だけ、雨の中で観てみたいです。(*^ 。^)ノ

望み

6月23日(木) うす曇り by ヨガビジャ


今日いつもお邪魔するブログに素敵な言葉を見つけました。
素敵だったのでそのままここに転載します。

(小さなお子さんとご家族で牧場に遊びに行かれた時の、何枚かの楽しげな
 写真の間に綴られていました)


***


僕は時間が出来ると よく一人旅をした

いわゆる ”不便”な土地は 人々の表情・心も豊かな気がした。。

”不便”な土地では 助け合わないと生きていけないし、
季節を待ちわびることで、それに対する喜び・風情も
ひとしおなのかも知れない。。


僕らは ”便利” を求め 豊かさを手にしたつもりだった。。

しかし、皮肉な事に、
自然の残された土地に行くと ”豊か” だと感じる・・・


僕たちは ”便利” が ”豊か” であるという思い込み
また ”便利” の反対語がただ ”不便” であるという思い込みから
脱しなければいけない所に来ているのではないだろうか。。


そしてまた ”便利” と思われた世の中を知ってこそ 
本当の豊かさを知る事が出来るのであれば、
今までの歩みは決して無駄ではない。

いや  無駄にしてはいけない。。


***


Img_3313 私たちは なにを望み

 その望みを実現するために

 なにが必要なのか

 それを知り

 それを生きることことで

 望んだ世界を

 ここにもたらすことが できるはず


(日暮れ前、雨上がりの富士山)

 

近頃のちーちゃん

6月21日(火)雨のち曇りのち晴れ by ヨガビジャ


慢性的睡眠不足のヨガビジャです。(。 _ _)。oグー

毎晩夜中の2時頃から5時頃にかけてちーちゃんに起こされます。

2階から降りて来て、襖を外から爪で

バリ、バリ、バリ・・・


ごはん、ないわよーー。 (= ̄ o  ̄=)  


って。


わかったよ・・・


ほい、カリカリね..... (-。-)z-゜゜゜

(ざらざらざら…)
 
 
じゃ、そーゆーことで。。おやすみ。。。 _/\○_  ____○_
 
 
そして、また1時間後・・・の繰返しで。(T_T) 
 
 
夜中、信じられないくらい食べるの。
寝る前に多めにカリカリを用意して寝てるのに。。


今朝、あることを思いつきました。
 
もしかしたら、ちーちゃん、空っぽのお皿を見ると、
 
 
食べなきゃ・・・!Σ(= ̄ o  ̄=) !
 
 
そんな思考パターンができているんじゃないかと。。
(思考というより感覚パターン?)

じゃ、寝る前にちーちゃんの食器を全部撤去しておいたらどうなるか・・??


今夜実験してみます。( ̄ー ̄)ニヤリッ


110621_004_2 110621_006_2

唸り声とともに背中の毛を ワンコは遊びたいだけで
逆立て威嚇するちーちゃん。窓越しに写真を撮ってるよがびに興味しんしん♪


ちーちゃん、番犬じゃない番ネコになるかも?( ・・;)

結局、ワンコ、追い払っちゃったもん。

やまねの家

6月20日(月) 雨時々曇り by ヨガビジャ


きのうは西荻のやまねの家で行われた「祈りと瞑想の会」に参加してきました。

やまねの家は駅から歩いて2分程の小さなスペースですが、日常の生活空間のただ中にそのような場が存在することがとても貴重に感じられました。

むかし私が名古屋で会社勤めをしていた頃、仕事を終えてから週に1度の瞑想会に継続的に参加していた時期がありました。
普通に社会人をしていると仕事のことや生活のこと、誰かのことや週末の予定etc…。いつも頭の中は何かがいっぱい詰まっていてそれが通常の状態。

そんな積もり積もった塵を払い、ニュートラルな自分自身のコアを思い起こしてそれに触れることができる、瞑想は私にとってそんな存在でした。

私たちは自分の身体など目に見える部分はお風呂に入ったり、服を着替えるなどして当たり前に毎日ケアをしていますが、自分の内面に関しては意外と無頓着だったりしてる気がします。

生きていれば塵が積もるのもの当たり前。
それでも本来の自分を見失わないために、瞑想はとても有効な手段だと思います。

朝起きたら歯磨きするように、瞑想が自然な生活の一部になるといいですね。

今回やまねの家でそんなことを感じて、そのような場所が存在することがシンプルに嬉しく思いました。


Img_3269←通路にはみ出した、お隣り家のクレマチス。

 元々白い花は好きだけど

 雨に濡れた花びらの持つ透明な質感が

 ハートに潤いを与えてくれます。
 
 
 
 
 
Img_3273 気がつくと足元にちーちゃん。
 
 さっきまで2階で寝ていたはずだけど…

 雨が上がったと勘違いしたキヨタカに

 外に放り出されたらしい。。。(^o^;
 
 
 
 
Img_3289 クレマチスの向いの我が家の斜面は…

 どくだみの白い花がいっぱい。

 臭いといわれ

 雑草のように扱われているけど…
 
 
 
 
 
Img_3291 その花は

 強く、たくましく、愛らしい♪
 

油断大敵

6月18日(土) 雨 by ヨガビジャ


明日の父の日に備え父へのプレゼントや母の好きなナッツ類や本などを箱詰めし、二人への簡単な手紙をチッチンのテーブルで書いていたら、突然なにやら変な臭いが・・・

なんだろう?と辺りを見渡してもその発生源が見当たらないので、椅子から立ち上がって私のすぐ後ろを振り向いたら、発生源を発見。


カセットコンロのガスボンベー!(>_<)


しかも2カ所に穴を開けた2本が、
丁寧に私の方に向けて置いてある===!!


く、くさい、ガス臭ーーーい!!!!ヾ( T▽T;)ノ


慌てて窓を開け、ガスボンベを外に出し、、


よがび:キヨタカー!! 
    なんで穴を開けたガスボンベをこんなところに置くのよっ!!

    私に殺意でもあるワケ?!!!(ノ#-_-)ノ ミ ┴┴


(キヨタカ、2階から降りてきて)


キヨタカ:えっーーー?

     それ空っぽだよ〜。。( ̄。 ̄)


よがび:使い終わってても
    いくらかは残ってるに決まってるでしょ!ヾ( ̄^ ̄メ)ノ


キヨタカ:そうなの??

     ・・・あれ? ホント、臭い・・・! 臭いね!!

     ひどい臭いだねーーー!!!Σ( ̄□ ̄!)


て。。。

この家で油断してたらいつか殺されそう。。。(-゛-メ) ヒクヒク


(その後、牛乳やコーヒーを飲んだけどまだ喉が変。玄米でも丸のみ
 してみるか…( ̄⊥ ̄lll) )

     

  

困窮?

6月14日(火) 晴れ時々曇 by ヨガビジャ


今朝、珍しく実家の母から電話がありました。

ちょっと微妙な間があり、
 
 
母:・・・ あんた、生活苦しいんじゃないの・・・?( ̄- ̄; )
 
 
よがび:はい? (◎-◎;)?

    別にリッチでもないけど困窮もしてないよ、、、

    なんでまた急に??( ・・;)
 
 
母:だって、ほら「かぼちゃのスープと種」って・・・(ー’`ー;)
 
 
よがび:・・・・・( ̄⊥ ̄lll)・・・・・(しまった、そう受け取られたか・・・)
 
 
実は私、ボケ防止と緊急の連絡用に父に携帯を持ってもらっています。
それと同時に、話題もなくマンネリ化しがちな高齢者世帯への刺激と話題提供のため、ほぼ毎日父に写メールを送っています。

その数日前の写メールが問題だったみたい。

Img_3224_2←添付した写真がコレ。

 いえね、かぼちゃって真ん中の「ワタ」の部分に
 とても栄養があるって聞いたことがあるので捨て
 たらもったいと思い、かぼちゃを敬遠しがちな
 キヨタカに食べてもらおうと作った「かぼちゃ
 (のワタ)スープとカリカリに炒った種」の写真
 をメールに添付して父に送ったんです。

 そしたら、それを父が母に見せたらしく・・・
 
 
母:・・・( ̄□ ̄;)!! 

  もしや、あの子たち、

  生活に困ってろくなもの食べてない・・・?(-_-;ウーン
 
と思ったようで。。

ちゃんとメールで「健康のため」って書いたんだけど、戦時中の食料不足を経験している母には「かぼちゃの種→困窮」と頭の中で直結してしまったようです。
 
いやはや・・・ 
親に不要な心配をかけちゃいました。。(^^;ゞ

雨降りの庭

6月13日(月) 雨のち曇り by ヨガビジャ


今日は燃えるゴミの日だったので、朝ゴミを出しに行きました。

ゴミを出し終わり富士見荘へと続く階段を傘をさして上っていると、雨に濡れた草花が瑞々しくて、


雨のあじさいさん、撮ろ〜〜っと。。。o(^-^)o


と、性懲りもなくデジカメを取りに行きました。

カメラのファインダー越しに見るとあじさいに限らずすべてが新鮮で、思わず小雨の降りしきる中、カメラを片手に庭を歩き始めてしまいました。


Img_3226_2 あじさいの花びらの水滴。

 ちょっとピンぼけかな?

 撮り終えた写真のできより

 撮っているときのワクワク感が楽しくて…。^^
 
 
 
 
 
Img_3240_2 
 
 斜面の壁に生えたコケも
 
 適度に湿って元気です。
 
 
 
 
 
 
Img_3233_2 その斜面の排水口の中を覗くと、なにやら盆栽の
 世界のよう。。
 手前の細い茶色いのは元々自生していたものです
 が、奥のグリーンのは温泉街に散歩に行った時、
 道路脇の壁に小さな黄色い花つけて自生していた
 ものです。
 うちの壁でも花を咲かせてくれないかと1つだけ
 持ち帰りポンっ!と置くように植えたのですが
 ちゃんと根づいてくれました。
 感心、感心。。^^

Img_3248_2
 そして玄関脇の小手鞠の伸び切った枝の葉っぱ。

 今はもう雪のような白い花は終わってしまったけ
 ど、たくさん水滴をまとってきれいでした。
 
 
 
  
 

Img_3254_3
 まあるい水滴を
 そのまま手の平に乗せてみたくなります。

 
 
 
 
 
 
 
最後はまたあじさいの所にもどり・・・


注!! ↓ <クモ>が苦手な人はクリックしないでくださいね!

(私にはかわいく見えるのですが・・・(;^_^A )


Img_3259_5 1ミリにも満たない小さなクモが、
 あじさいの花弁に小さな巣を張っていました。

 そしてその巣に、小さな小さな水滴が真珠のように連なって、
 まるでファンタジーの世界を覗いているようでした。。


雨の日のお庭もおもしろい。o(^-^)o

新宿イベントで感じたこと

6月12日(日) 曇り by ヨガビジャ


最近の雨続きで洗濯物を部屋に干しているせいかキヨタカに、「何となく部屋が臭わない?」と言われ、今日はお日様は望めないけど洗濯物を外に干しました。
おかげさまで部屋の中がすっきりして、少しほっとして今は家事の合間のティータイム。

先週末の新宿イベントから時間が経過して、あの時感じたことや気づいたことが記憶から消えてしまいそうで…。
だから、さっき掃除をしながら思い起こしたことを忘れてしまう前に書きますね。


今回の瞑想会の最後の方で感じました。

私たちはみな、今、自分が認識している自分がすべてではない…
どんなに仕事や人間関係などで悩んだり、今の自分にウンザリしていても、そこから自分は抜け出せること、もっと別な自分(本当の私)があることを知っているんじゃないかと。。
まだ漠然とかもしれないけど、その想いに導かれ、みな瞑想会に来ているのではないかと感じました。

そして困難さは、その想い(感覚)に突き動かされ考え行動している私とは、この時点では「小さな私、エゴとしての私」であることに由来しているのではないのかしら?

それはなんら悪いことではないし、それがエゴとしての役割でもあるのでしょう。

「今、私は苦しんでいるので、なんとかその苦しみを終わりにしよう…」

そうエゴは考え、本当の自分探しの旅の一歩を私たち踏み出させるのかもしれません。それは、私たちが生きる上での安全装置みたいなものでしょう。

でもその旅を続けていくうちに、その助けよう(助かりたい)としていたエゴの存在自体が苦しみから抜け出す障害であることが、エゴ(小さな私)ではない「別な私」が予感し始めます。

だからこの段階において、エゴは抵抗を始めます。

瞑想を通して内なる静けさや平和に触れることを妨害したり、瞑想なんかよりもっとこっちの方が効果的だと私たちを瞑想から遠ざけ別の何かへと興味を向けさせようとします。

しかし、すでに瞑想を通して目覚め始めた本当の自分(魂)は、苦しみに終止符を打つなにかがここにあることを知ってしまったため、そこに大きな葛藤が生じます。

エゴと魂の声(力)が拮抗している間はつらいです。

でもここでエゴの声に耳を傾けず瞑想を続けることで、魂(本当の私)は完全に目覚めて力を持ち始め、徐々にエゴの声は力をもたなくなります。
アイデンティティのシフトが起こります。

ここに至るまでは本当に大変ですが、必ずそれは起こります。


また新宿イベントの間、様々な人の悩みや直面している問題を耳にしました。

でも表面的には違って見えても、人の抱えている問題の多くはそれほど大差がないと感じました。
例えばなにかを嘆いていたとしても、その嘆いていること(対象)は違っても嘆いていること自体は同じです。

だからこそ、私たちは人の悩みや痛みが理解できるのだと思います。

それと同時に、他の人のことは自分のこととは違い客観的かつ冷静に見ることができます。
だから他人への解決策や「こうではないか?」という理解は比較的容易にやってきますが、案外それが自分自身にとっても答えだったりするのではないかと思います。

こんなところにもグループワークのすばらしさを感じる瞑想会&談話室でした。ありがとうございました。

(自分にとってウンザリする自分の思考や感情、エゴですら存在するからには
 意味があり、それは単に目を背けたり取り除くのではなく、明確に「理解」
 することにより超えられるものかもしれない、そんなことも感じました)

あじさい

6月11日(土) 雨 by ヨガビジャ


今日はまるで台風のように風雨が強いです。

部屋の障子は呼吸をするようにぱたぱたと音をたててます。


いったいどれだけのすきま風?

夏、涼しいワケだ・・・( ̄∇ ̄;)


さっきキッチンで、急に渦巻くような強い風の音を感じて窓の外を見たら、


Img_3223_2 道路側の斜面のモクレンが
 幹ごと強風にあおられて撓んでいます。思わず、


 おお〜! がんばれ〜〜!! (つ ̄◇ ̄;)つ


 と声援を送りつつ写真を撮りました。

 きのうはいいお天気だったのに。。

 
ここから先は ↓ きのう撮った庭のあじさい。
 
Img_3205_3
 あじさいの花は昔から大好きなのに

 写真に収めると

 なにか 平凡で

 おもしろくない写真に

 なってしまう
 
 
Img_3203
 
 そう感じるのはきっと

 私の想いいれが強いせい?
 
 
 
 
 

Img_3199 自分の内に映った一部始終を

 ありのまま そのままに

 表現したいと思ってしまう


Img_3207_3
 そんなことは叶うはずないから

 いっそ撮らないのがいちばん

 そう思うのに

 カメラを取りに戻らずにいられない

 不思議なあじさい。。

 

 

Ster People vol.37 発売中!!

6月10日(金) 曇り時々晴れ by ヨガビジャ


Ster People vol.37 が発売されました。
今号の特集は「カタチから入って意識を変える! ボディワークを極める」です。

また緊急企画として「東日本大震災に寄せて スピリチュアル・リーダーからのメッセージ」が掲載されています。

そしてキヨタカの連載「覚者を求めて」は今回で9回を数え、「私は誰か(Who am I ?)」、アドバイタ哲学をベースとした教師達との出逢いが綴られています。

キヨタカの長い探求の中で、今、リーラスペースで行っているワークの根幹となっている部分にいよいよ近づいてきました。


読んでいて感じたのですが、人は誰しも生まれてからずっと一貫してこだわってきたことがあるのではないでしょうか?
もしかしたら、他のことに気をとられて忘れてしまったり、自分には無理と諦めて忘れていまっているかもしれませんが…。

キヨタカ自身その年代、年代で興味の対象は変わっていきましたが、忘れてしまったように見えても必ず戻ってくるところ、それは「覚醒」というところでした。
そして「自分はダメだ、まだまだだ…」と嘆きながらも止められなかったことでもあります。

同じように、私たちの誰もが自分の人生を振り返れば、キヨタカにとっての「覚醒」のように、自分にとっての「なにか」が見つかる気がします。

そしてその「なにか」が、「自分はなんのために生まれてきたのか?」を思い起こさせてくれるのではないかしら・・・?

キヨタカのこの連載記事を読む度に、存在(神)は、その人が忘れてしまっている今生の目的を思い起こさせ、どんな時も、それを生きることをサポートし続けているという確信を私に与えてくれます。


110610_011_3 ←あたちの今生の目的は〜〜♪

  ここちよくいること〜♡

  たまにこのほわほわボディに

  触れさせてあげて〜

  奉仕の喜びを教えてあげるの〜〜♪♪


  もしちーちゃんがしゃべったら


きっとムカつくね・・・(; ̄ o  ̄)( ̄⌒ ̄; )


というのが、私とキヨタカの共通見解。

本当に価値あるもの

2011年6月9日(木) 晴れ時々雲り  by キヨタカ

 新宿瞑想会が無事終了し、修善寺に戻った。

今回の瞑想会は、エネルギーが一段とアップした様で「意識の加速化」が進んでいる事を実感した。
奇しくも瞑想会で「アセンションをどう思うか?」という質問があった。

巷のニューエージで流行している「アセンション」にはあまり興味はない。
しかし今回の瞑想会のエネルギーや最近のリーラスペースへの問い合わせの増加等、意識の進化を肌で感じる。

今までの瞑想会では「初心者でも解る様にABCから指導します」と銘打って、黒板を使い瞑想の説明をしていた。
今回はマインドでの理解を極力さけて黒板も使わず瞑想をリードした。

しかし大旨好評だった様だ。
常連の方々から、「今回の方がより深く瞑想に入れた」という嬉しいフィードバックを頂いている。

最近の意識の加速化は、大震災の影響が大きく寄与していると思う。
「東日本大震災」という悲劇は、瞑想家にとっては「姿を変えた恩寵」になりうると予想していた。
今回の瞑想会を通して、それが本当である事を確認出来て嬉しかった。

この世で価値あるもの、家や車や建物や仕事や家族や友人等々、確かにそれらは大切であるが、いつかは来ては去ってゆく。

その事を道元は次の様に語っている。
 「無常たちまちにいたるときは、国王・大臣・親(しん)じつ・従僕(じゅうぼく)・妻子・珍宝(ちんほう)たすくるなし、ただひとり黄泉におもむくのみなり」(修証義)

そしてイエス・キリストは、次の様に語る。
「地上に宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人が押し入って盗み出す事もない天に、宝をたくわえなさい。」(マタイ伝6-19・20)

しかし日常生活に埋没していると、この世の価値に心を奪われて、死の間際になって初めて道元やイエスの言葉の重みを知る事になる。

しかし今回の大震災では、私達にとって何が本当に価値があるものなのか、真剣な問いかけが集合的レベルで始まっている。

だから、今恩寵が燦々と降り注ぐ時代に突入しているのである。

日傘

6月6日(月) 晴れ by ヨガビジャ

引き続き小山に滞在中。

朝食の片付けを済ませ洗濯を干し終わって、冷蔵庫の中を見たら昼食用のパンがありません。

私はお母さんに、

お昼のパンがないので散歩がてら買ってきまーす。(^。^)/


と出掛けようとしたら、


暑いから、資生堂でもらった日傘を使うといいわ♪
倉庫の左側にあるから。
軽くていいわよ~。。


とお母さん。


ハーイ♪と言って手にした傘を開いてみたら…


小さっ!! ( ̄▽ ̄;)ノ


ジャストお母さんサイズ!


それでも使ってみたらとても快適。

ルンルン♪と歩くショーウィンドウの中の自分の姿は、一昨日のトトロを彷彿とさせるものでした。。


ちょっと違うけど

6月5日(日)曇り by ヨガビジャ

今日、新宿イベントを終えて今私は小山にいます。

本当はパソコンを持参したかったけど残念ながらコロコロ引くカバンに入らず諦めました。

瞑想会の後は色々と書きたいことがあるのですが、携帯で日誌を書くには限界があるので一番簡単かつ印象的だったネタ(?)をひとつ。

土曜日のナイトイベントも終盤に差し掛かりいつものようにハートに響く音楽を聞きながら瞑想する時間、キヨタカが音楽をスタートしてしばらくしたらお隣の部屋から合唱団の歌声が響いて来ました。

その曲はなんと『トトロ』

私が一番隣に近いところに座ってるからみんなにはそれほど聴こえていないのかも知れませんが、私は心の中で、


キヨタカー!
音楽のボリューム、もっと上げて~!!(--;)


と叫んでいました。
が、上がる気配はなし。


そのうちお隣の歌声は例の有名なフレーズを繰り返し始めました。


となりの トットロ♪ トットロ~♪ トットロ♪ トットロ~♪


・・・(-_-)


頭の中を小さな葉っぱを持ったトトロがたくさんスキップしながら行進していく。。


もうハートの神聖さを思い起こす音楽が遠のいていきトトロにチャンネルが合っちゃったけど、いつもと違う別なハートが開いたみたい♪

なんか楽しい。。

たまにはこんなことがあってもいいよね(^.^)


新宿瞑想会

2011年6月4日(土) 晴れ  by キヨタカ

 新宿瞑想会のため、現在新宿に滞在中。
今朝は晴れ渡り、ジョギングも30分程度だったが、とても気持ちよかった。

大都会の新宿でも、新宿文化センター付近の路地裏通りは、下町風情が豊かでジョギングして楽しい。
子供時代によくあった豆腐屋さんや古い雑貨屋さんなんかがあって、なんだか昭和30年代にタイムスリップした感じ。


ところでタイムスリップと言えば、瞑想こそタイムスリップと言える。

もっと正確に言うと、我々はマインドという時間の枠の中にスリップしてしまっている。
悲しい事に、”今・ここ”という地上天国からタイムスリップして過去や未来に飛んでしまっている。

そして誰もが地上天国にいる事に気づかず、自分の不幸や社会の不幸を嘆いている。

誰もが、マインドという牢獄の中にいる。
そして牢獄の中で、どうやったら幸せになるか奮闘努力している。
(諦めてしまう人も多いが…)

しかし、実際は既に私達は”今・ここ”で幸せだ。
なぜなら、地上に天国が既に成就しているからだ。

それを体験的に知る方法が瞑想だ。

どうやって、マインドという過去や未来から、”今・ここ”へ戻るか、その具体的方法が瞑想にある。

瞑想を通して意識が目覚め、”今・ここ”へ寛ぐと、既に成就している”幸せ”を体験し始める。
するとさらに寛ぎが深まり、自分が自分である事の喜びが内奥から泉の様に溢れ出て来る。

この喜びは、外側に原因がない。

だから、世の中がどんなに酷い状況で陰険な人々に囲まれていようとも、自分が自分で在る(I AM)喜びは微動だにしない。

その事をほんの少しでも、分ち合いたい。

 

王様の如く

2011年6月2日(木) 雨 by キヨタカ

 現在実家に滞在中。
数日前にまた母が買い物中に転んで骨折!
思ったより元気だが、今回は右手の親指の付け根のため、日常生活がとても不便そう。

昨日の日誌で、「当たり前の日常生活そのものが、かけがえのない奇跡なのだ!」と書いた。
この事は瞑想とは関係なく、怪我や病気になっても気づける事がらだ。

怪我や病気も、当たり前の奇跡に気づけるチャンスとして捉えられれば、「姿を変えた恩寵」と言えるだろう。

怪我で家に閉じこもりがちになるのを防ぐ目的もあり、2人で映画を見に行った。
60歳以上の人はシルバーサービスがあり、同伴者も千円で見れるのでかなりお得。

今回は、「英国王のスピーチ」を鑑賞。

Photo

映画では、吃音症でスピーチの苦手な内気なイギリスの王子が、子供時代のトラウマ故に「自分にはふさわしくない」という思い込みを克服して国王として成長する姿が非常に解り易く描かれている。

これもアカデミー賞を4部門受賞した話題の映画だが、「ブラックスワン」とは違って子供から老人まで万人が楽しめる映画だ。

この映画を見ながら、私が最初にOSHOのセンターを訪れた時にセンターリーダーが私に語った言葉を懐かしく思い出した。

まだサラリーマンだった当時の私は、OSHOの瞑想を続けるとやがてサラリーマンをドロップして、人生の落伍者になってしまう事をひどく恐れていた。

私の恐れがよく理解できない今の世代の方に当時のOSHOの事を説明しよう。

Osho_beauty

当時(30年前)のOSHOは「バグワン」として知られ、超過激なカルト教団の教祖として一般社会から非常に恐れられていた。

なにしろ弟子になる条件として、オレンジ色のローブを身にまといバグワンのペンダントを一日中身に付ける事が要求されている。

インドではともかく日本で実行したら、通常のサラリーマンなら会社を首になり世間から奇異な目で見られる事は必然だった。


だから、OSHOの瞑想にのめり込んだら、サラリーマン人生をドロップアウトする事は目に見えていた。

そしてサラリーマン人生をドロップアウトしたら、もう乞食かヒッピーになるしかないと思い込んでいた。
実際に日本のサニヤシンはその多くが社会からドロップアウトした人々で、日本のOSHO瞑想センターはオレンジ色のヒッピーの集団の様に思われた。

少なくとも私にとっては、とてもスーツにネクタイ姿の会社員が近づける場所ではなかった。

ところが私が、「サニヤシンになったらもうヒッピーか乞食になるしかないですよね?」
とセンターリーダーに尋ねた所、平然とこう言ったのである。

「OSHOは自分のサニヤシンに対して、王様の如く生きる様に!と語っている。」と…

サニヤシンになると乞食みたいになってしまうと思い込んでいた私は、ビックリしてセンターリーダーを見つめた。

そこには、とても落ち着いて威厳に満ちて自分が自分である事に絶対的自信に満ち溢れた姿があった。

ついさっきまでは、社会からドロップアウトしたヒッピーとしか思えなかったのに、自分の見方が変わるとこうまで相手の姿も違って見えるのか!と非常に驚いた。

絶えず周りの目を気にして将来の生活の不安におののき、オレンジ色の服を着る事すら出来ない自分こそ、乞食なんだと思い知らされた。

「王様として生きなさい!」というOSHOのメッセージが、私の眠りこけた魂を深く揺さぶった。

そして自分も”王様”として生きようと、深く決意したのである。


通常の私達は、マインドという過去や未来の世界に生きている。

しかし、このマインドという牢獄から抜け出して、”今・ここ”へ自分を開いた時、本当の自己は神の一部であり、この地上に天国は既に成就している事を知る。

その事を、キリストは「神の国は汝らの中にあるなり」と語り、白隠は「当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり」と語っている。

私達一人ひとりは、実は神の王国に住んでいる。
そして既に神の王国の王様なのだ。

ただ残念ながら、子供の時から周りの誰もがマインドという牢獄に閉じ込められた乞食の人生を生きているが故に、悲しい事に自分もすっかり生まれながらにそうなんだと思い込んでしまう。

そして、あなたは神の王国の王様なんだと言われても、「そんなわけない。自分はそれにふさわしくない」と自分で自分の事を制限してしまう。
そして一生を、外側に求め続ける乞食としての人生を送ってしまう。

この映画は、イギリス国王ジョージ6世という王様の、個人的な成長の物語だ。

しかしこの映画のメッセージは、より深読みする事が出来る。

私達は誰もが、神の王国の王様としての可能性を持ってこの世に生まれた。

この地上こそが神の王国で、王様として自分が自分である事に絶対的な自信を持ち、愛と平和と勇気と叡智を生きる事をサポートするメッセージとして観る事が可能だ。

逆さ冨士

2011年6月1日(水) 曇り by キヨタカ

 先週、久しぶりに個人リトリートを富士山周辺の某所で行った。
日常生活を離れて大自然の中で一人で過ごすと、本当の自己を取り戻す事が非常に容易となる。
本格的に瞑想を志す人にとっては、非常に大切な事だろう。

これは生前フーマンが「数ヶ月に一度、大自然の中で個人リトリートをすると良い」とサジェスチョンしてくれた事がきっかけで、それ以来時々行っているのだが、最近では本当に久しぶりだ。

以前だと、個人リトリートに入ってもそのモードに切り替わるのに数日かかったが、今回は初めからすんなりとリトリートモードに入れて、自分が随分変化している事に驚いた。

最近ランニングに凝っていて、朝一番に一時間近く走ったが非常に気持ちが良い。
ランニングの途中で、ふと湖を眺めると富士山が湖面にくっきりと写り、見事な逆さ冨士となっていた。
思わず足を止めて、iPhoneで写真を撮った。

Photo

後で地元のおじさんに写真を見せたら、「地元でも、逆さ冨士を見るのは稀だよ!」と感心された。
ラッキー♡

「明鏡止水」という言葉がある。

心が落ち着き、思考の波が止み無心となると、あるものがあるがままに…ちょうどこの湖の様に映る様になる。

一人で大自然の中に居ると、考える必要が殆どない。

朝起きて、トイレに行って、顔を洗って、朝食を食べ、お茶を飲んで、昼飯となり、散歩して、夕飯となり、歯を磨いて、トイレに行って、寝る。

一休禅師は、
 ”世の中は 食うて糞して 寝て起きて 
       さてその後は 死ぬるばかりぞ”
  …と詠んでいる。

 仏の道に無関心な世俗を皮肉った歌だと思い込んでいたが、リトリート中する事と言ったら、食事して、トイレに行って、顔を洗って…、朝起きて夜寝る、一休さんの歌そのものだとつくづく思った。

しかしそうしたなんでもない当たり前の事が、とても貴重で有り難く、奇跡的な事の連続である事に気がついた。

無心となり、自己の意識がちょうど逆さ冨士が映る湖の様に澄んでくると、当たり前の日常生活そのものが、かけがえのない奇跡なのだ!

大自然の中でリトリート中は、「明鏡止水」となるのはそれほど難しくはない。

願わくば、俗世間のど真ん中でもなおかつ「逆さ冨士」が映る様な境地を持ち続けたいものだ。


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