« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月

たまたま... ◯

7月31日(日) 曇り by ヨガビジャ


今日はお昼過ぎから風が吹き始め、開け放たれた窓からはいい感じの風が入り快適です。

私が1階のキッチンでパソコンに向かっていたら、突然「カタッ! カタ、カタッ!!」みたいに、なにかが倒れるか崩れるような音がしました。

咄嗟に、風でお風呂場の立てかけた湯船のフタが倒れたのかな?と思いましたが、もうすぐ文章をうち終わりそうだったのでそのままパソコンに向かい続けていました。

すると3,4秒後、その原因の方がこちらにやってきました。(・_・)エッ....?


Photo_2←これ。
 キヨタカのバランスボール。fullmoon

 2階のオフィスでイスとして使っているはず
 だけど、

 なんでここまで来るかな??( ̄- ̄; )

 まあ、おもしろい光景だから日誌用にと写真を
 撮っていたら、ファインダーの隅になにかが
 チラチラする…

Photo_4←キヨタカのバランスボールその2。newmoon 
 こちらはキッチン用。

 このグリーンのボール、

 キッチンの通路を塞いだり、

 廊下に飛び出して玄関に落ちたり、

 たまにちーちゃんのお水をこぼしてたり・・・

 よがびにとってなにかとジャマな代物です(;-_-+
 
でもキヨタカ、だいたいキッチンでは無意識に普通のイスの方に、


デレ〜・・・・・。 (* ̄ o ̄)


と座ってることの方が多いのだから、


要らないんじゃない・・・? ( ̄⊥ ̄メ)


Photo_3 それにしてもこうして見ると、

 自分が階段を上りかかった時に

 狭い階段からこの2つが転がり落ちて来たら、

 もしそれが、岩のように重たかったら・・・


 インディジョーンズの世界だ...( ̄⊥ ̄)
 
 
・・・昼間っから妙な妄想をしてしまった。。_| ̄|○

視線?(・_・?) 

7月30日(土) 曇り後ち雷雨 by ヨガビジャ


部屋を片付けていたらふと視線を感じ、反射的にその方向を見たら、
 
 
Photo_2 ちーちゃん発見 cat
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Photo_3 デジカメでクローズあっぷ camera

 
 そこは涼しいかい?(* ^ o ^ )

 
 
 
 
 
 
Photo_4 目があっちゃった。(・_・)
 
 
 
 
 
 
 

 
 
Photo_6 逃げた。。(  ̄ o ̄)
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 (数時間経過)

 
雷なってるから、帰ってこーい! (*`<´)・:∴○==-〜

見えないけどあるもの

7月29日(金) 晴れ 時々曇り by ヨガビジャ


今朝ひさしぶりに散歩に行きました。

少し歩いた所で、私の視界の片隅にキラリと光るものが飛び込みました。
反射的にそちらを向いて光の元を探したら、それは木立に張られたクモの巣でした。

まるでDCディスクが宙にぶら下がっているみたいです。

これは面白いと思いデジカメを構えて良さそうなアングルを探していたら、

 
Img_3471_2 
 
←ある角度では
 普通に見えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_3470_4 
 
←でも、ちょっと角度を変えると
 忽然と消えてしまいます。

 この写真ではボンヤリと写っていますが、
 肉眼ではなにも見えませんでした。

 これでは、
 虫は巣にかかってしまいますよね。
 (◎-◎;)
 
 
 
散歩の道すがら思いました。

私たちの世界もこんな風に、
目には見えなくても確実に存在する別の世界があるのではないかと。

でもそれは、ほんのちょっとした認識の角度によって見えたり見えなかったりする。


目に映る対象だけが現実じゃない。

では、目には映らないものを認識するにはなにが必要なのだろう?


見えそうで 見えない

分かりそうで 分からない

そんなに釈然としない想いを持ち帰った朝のお散歩でした。


(ま、無理に考えないで、
 タマゴを温めるみたいにそっとこの想いを抱いておこうと思います。
 いつか答えが<かえる>かもしれないから。
 これがずぼらなよがび流〜♪)

"これ"とは?

2011年7月27日 雨 by キヨタカ

「"これ"で一切がととのう!」

最近私がしみじみと感じ入って、一人悦に浸っている心境である。

フーマンは、私へのセッションで何度も"これ"と表現しているし、OSHOには、「"これ " "これ" "これ"千回も"これ"」と言う決めゼリフがあった!

しかし、知的アプローチが必要な探求者にとっては、"これ"だけでは到底納得がいくまい。
さらに"これ"と言われても、ダイレクトな伝達なしでは受け手はどの様にでも解釈が可能であり、正しい理解は起こるまい。

そこで、古来より"これ"に対する様々な言葉が使われている。

悟り、仏性、真実の自己、アートマン、神の分霊、魂、真我、大いなる自己、大我、無空、無我、純粋意識、等々様々な言葉が思い浮かぶ。

しかし、こうした美しい言葉には大きな罠が潜んでいる。
それをどんなに正確に語ろうとも、あるいは雄弁に美しく語れば語るほど、聞き手はその言葉が約束する特定の境地を連想する。
そして、"これ"を求めて達成すべき未来を創り出してしまう危険性だ。

「悟り」とは「今」にある事を耳にタコが出来るほど聞いても、悟りの境地を追い求めて修業に邁進し、あるいはあれやこれやのセラピーやワークショップに出続けて、未来の境地を探し続ける。

「悟り」とは、何とも罪作りな言葉だ。
他の言葉も、似たり寄ったり(~_~;)

釈迦といふ いたずらものが世にいでて
おほくの人を まよはするかな

と詠んだ一休禅師の洞察に、我が意を得たりgoodの思いだ。

「おほくの人をまよはす」くらいなら、いっそのこと「悟り」やその類の言葉を一掃してしまったらどうか!?

でも、それに変わる言葉として、"これ" "これ" "これ"では、あまりにも味気ない。

そこで、私の体験上最も実践的で役に立つ言葉を紹介しよう。

それは、「I AM(私は在る)」と言う言葉だ。

「私は悟っている」と言っても、誰も信じないだろうし、かつての瞑想仲間からは笑われるか石でも投げられるのがオチだ。

けれども、「私は在る」はどうか?
誰もが私の実在には同意するし、それは未来ではなく、「今、ここ」で成就している。

「私が在る」事には、それに先立つ条件がない。
私が善人でも悪人でも、金持ちでも貧乏でも、努力家でも怠け者でも、子供でも老人でも、健康でも病人でも、「私が在る」と言う実在は、微動だにしない。

これ程端的に真実をダイレクトに表す言葉は、他に見当たらない。

実に奥が深い言葉だ。

しかも、非常に古い言葉でもあり、旧約聖書の中で(『出エジプト記』第3章第14節)既に登場しているから、驚きだ!

実のところ「私が在る」とは、この世で最大の奇跡なのである。

プレゼント?

7月26日(火) 曇り by ヨガビジャ


最近、我が家の食料品の買い物はほとんどキヨタカに任せています。
 
 
キヨタカ:今日はなんか買い物ある〜〜? (*^ 。^)ノ


よがび:そうね〜〜

    キャベツとたくあんくらいかなあ。。(* ̄ o ̄)


・・・というのが、ほぼ毎日のお決まりのお会話。
   (注:毎日キャベツとたくあんという意味ではありません。念のため)


そして昨日、夕方に帰って来たキヨタカのお買い物袋を覗いてみると、


Photo
←こんな感じ。

 
 キャベツ と たくあん と さつま芋。

 さつま芋?
 
 
 
 よがび:キヨタカ〜、このさつま芋、なに??( ・・ ?)


 キヨタカ:よがびにプレゼント! *:・゚\( ̄∇ ̄*) 

      好きでしょ♪


 よがび:あっ、そう… ありがと。( ̄∇ ̄;)


    (内心/石焼き芋ならまだ多少理解できるけど、
        生のお芋1本「プレゼント」って…。

        ひとりの女性の立場としてどうよ…?( ̄- ̄; ) )


そして、そのキヨタカのお買い物袋に並んで置かれたスーパーの袋には、


Photo_4←これ。

 ちーちゃんのカリカリ&ネコ缶がいっぱい。

 この光景をみてると...

 女性以前に、

 キヨタカの頭の中のカテゴライズでは、

 
よがびはちーちゃんと同類な気がしてきた… (o; _ _)o

ん?

よがびのがちーちゃんより、はるかに安上がりじゃん! (ノ#-_-)ノ ミ┴┴

リトリートを終えて

7月25日(月)晴れ時々くもり by ヨガビジャ


リトリートを終え、早くも1週間が過ぎようとしています。

時間の経過と共に、記憶の上に更に新しい記憶が上書きされて細かいところまで思い起こすことが難しくなってきましたが、それでもこうして文章にしようとすると浮かび上がってくることがあります。

それはこれまでも何度もシェリングで話したりこの日誌でも書いてきたことですが、時代は加速度的にその密度を増し、私たちをある方向へと後押ししていることを再認識しました。(抽象的ですがそんなしか表現できないんです)

今回の参加者の方を前に、アジズの元で長年ワークを続けてきた人の一人がその当時を振り返り、「私たちはアジズの元で泣きながら長時間坐り続けてきたのに、最近リトリートに来られる人は初めからきれいに坐られている」(概略ですが)と言っておられました。

私も最近は、既にご自分でなんらかのワークをされてきた方がリトリートに来られていると感じていましたが、今回は更に(ちょっと大袈裟ですが)、今のこの時代、人類としての種が変化してきていることを感じました。

それは一概に世代別で括れるものではないと思いますが、最近の若い人の中には、私たちの世代に比べ背負い込んでいる荷物がはるかに少ないと感じる人が見受けられます。

時代背景やその他の外的要因も考えられるかもしれませんが、とらわれが少なく軽やかに感じられます。
OSHOの言うところの「新人類」なのかもしれません。

だからといって、それぞれの魂は自分の学びと目的にふさわしい時代と場所を選んで転生してきているのでしょうから、私にはそのことが霊的な優劣に関係するは考えられません。

植物に例えるなら、風雨の強い厳しい時代に生まれた魂は、その環境から身を守るために幹は太く固い表皮に覆われ棘で防御される必要があったかもしれません。
でも今のように、社会全体がこれまでの物質偏向の価値観からより霊的、もしくは本質的ところに人々の意識が向き始める時代においては、それまでの重々しい防御はもう必要ないのでしょう。
(話はズレますが、先日の震災も人々の意識がより本質的なものへと向かうきっかけになっていると感じます)

このように時代の流れや人のタイプ(?)に変化が見られるようになると、リトリートも過去のやり方に捕われず常に新しさを取入れられるよう、私たちも頭を柔く、常に過去から自由でいて、オープンに今にいなければ…と感じました。


Img_3407_2Img_3406Img_3404_2
 
 
 
 
 
↑ こんな空の下で、リトリートの後片付けをしてました。

この3枚を繋いで1枚のパノラマ写真にしたいかったけど、やり方がわからなーい。(T_T)
 
Img_3418_2 同じ空の下
 せっせと蜜を集めるハチさん1匹。

 (足に花粉のダンゴをくっつけてるのが見えますか?)
 
 
 

Img_3419_2 そのハチさんにカメラを向ける私の足元には
 おヒマそうなちーちゃん。
 今回のリトリートではほとんど姿を現さずじまい。
 数ヶ月に1度のことなんだから、

 たまには愛嬌を振りまきなさーい! ヾ( ̄^ ̄メ)ノ

 
Img_3423_2 そんなちーちゃんとは対照的に
 忙しそうに飛び回るハチさん。
 
 
 
 
 
Img_3421 われ関せず。。。(= ̄ o  ̄=)

 ・・・って

 あんた、耳の角度としっぽの先っちょからして...

 じつは こっちを気にしてるね〜〜 ( ̄ー ̄)ニヤリッ

 
 

”これ”で一切がととのう!?

2011年7月22日(金) 晴れ by キヨタカ

 リトリートが無事終了した。
初めて参加された方が半分以上であったにも関わらず非常に中味の濃いリトリートで、「意識の加速化」が驚く程のスピードで進んでいる事を再認識させられた。

後泊の夜は、敢えてオープンなスペースにしているので、毎回何が起こるか楽しみにしている。

今回は皆がホールに集まって、「人はなぜ過去を手放せないのか?」について徹底的に話し合う場が持たれた。
皆さん一人一人が誠実に真実と向き合いそれを分ち合う事で、深い洞察が生まれた様に思う。


江戸時代の臨済宗の僧侶である盤珪(ばんけい)禅師は、「不生で一切がととのう」と看破した。

今回のリトリートで、「”これ”で一切がととのう」事が鮮明になった。

しかし、”これ””これ””これ”と千回繰り返したからと言って、それだけでは”これ”が必ず目覚める訳ではない。

「過去の記憶」が自分であると思い込んでいる限り、”これ”が目覚める事は難しい。

だから「過去の記憶」という偽物の自己を揺さぶる必要がある。

鏡に付いた塵埃(ジンアイ/ちりとほこり)は、払拭する事で、初めて鏡そのものを認識する事が出来る。

しかし塵埃を払拭する事に焦点を合わせ続けると、いつの間にか鏡を認識する事を忘れてしまいがちだ。

この辺りの微妙なバランスをどう扱うのかについて、多くの事を学ぶ事が出来た。

いずれ日誌でも、その事をシェアしたい。


ところで、初めて参加されたHさんから、感想のメールを頂いたので転載します。
Hさん、お疲れさまでした。
ぜひまたお越し下さい!

* * *

キヨタカ & ヨガビジャさま。

先日は、すばらしいリトリートをありがとうございました。

新宿の瞑想会からはじまって、いっきに瞑想が深まった感じです。
帰ってから、座ってみてだんぜん前との違いを感じます。
これからも、ぜひ続けていきたいです。

浄化の瞑想をあれだけたくさんしたのはかなりきつかったですが、今となっては、とてもよい思い出です。
1ヶ月に1度くらい新宿に行ければいいんだけれどな〜とつくづく思います。
後泊も、とてもよかったとお伺いいたしました。
次回はいつになるかわかりませんが、ぜひともまた参加したいところです。

恥ずかしながら、わたしのブログに感想などを載せています。
仲間内の何名かが読んでくれるような小さなブログですが・・・
http://ginironoryu.blog24.fc2.com/

今夜の富士山はどんな姿をしているのでしょうね。

* * *

諦めたらそこでおしまい

7月14日(目) 晴れ by ヨガビジャ


きのう実家の母に電話をしました。

10月の親戚の結婚式のことや、最近また母が血圧の薬を飲み始めたと姉から聞いたので、以前のように薬を飲み始めて体調がおかしくなったらすぐに止めるようにという事を、リトリートに入る前に伝えておきたいと思いました。

電話での話によると、母はコレステロール値が高いそうですが、普段母は肉をほとんど食べませんし、玉子は1ヶ月に1個食べるかどうか、揚げ物もまず食べません。食事面ではコレステロール値が上がる要因が見当たらず、本人によるとストレスでもコレステロール値は上がるらしいとのこと。

そこから話題は最近のストレスへと移り、やはり父親絡みで以前とまったく同じ内容の話しを聞かされました。

母は目が悪いので1ヶ月分の食費を父に預け、食料品の買い物を父に任せています。
でも父は自分の好きな物か、豆腐3丁とか、きゅうりの大袋とか、安売りしているものを年寄り二人では食べ切れない量を買ってくるため、それが母のストレスになっています。

自分の食べたい物は食べられず、食材は食べ切れずに傷んでいき、その傷んだものをゴミとして捨てるのも母の仕事。
なおかつ、その事を指摘するとヘソを曲げてしばらく買い物をしてこない。
そうかと思えば「傷む前に…」と料理して食卓に出すと「たくさん食べさせるから俺が太る」と文句を言う…。

母の腹立たしい気持ちは分からなくはないし、何年も同じストレスを抱え、それが血圧にも影響している可能性があるのなら、私としてはなんとかしたいと思いさまざまな解決策を提案するのですが…。


よがび:同じ野菜がたくさんあって困るなら、
    うちで使っている「玄米麹漬けの素」を送るよ。
    漬け物にすれば長持ちするし、ぬか漬けより手間いらずで便利よ♪


母:いらないわ。 きゅうりをたくさん買ってきたのは昔の話しだし…。
  そんなにまでしてお父さんに食べさせなくていいもの!


よがび:でも、野菜が余ることが、お母さんのストレスの1つになっているん
    でしょ?


母:最近はししゃもが何十匹も入ったのを買ってきてね、それは干物じゃなく
  て半生だから日持ちしないのよ。毎日食べてもなかなか減らないし、
  外に干そうかと思ったけど傷んでも困るからね…


こんな調子で「ああ言えばこう言う」で埒があかず、結局今の状況を変える気はサラサラないようで、ただ愚痴を聞いて欲しいだけ?と思い至るのです。

まあ、長年の夫婦生活を経て、父にはなにを言っても通じないし怒るだけと、もうなにも言う気力すらないのかもしれませんが・・・。


受話器を置いてから思いました。

誰かや過去の出来事を「許せない」ことが、こんなにも自分の望まない不愉快な現実を生み、自分を苦しめていることになぜ気づかないのだろうと。
いくら父のことを悪く言ってもなにも変わらないのに。

母の父に対する不満とその理由は理解できるのですが、たとえそれが正当だとしてもそれを主張することではうまくいかないのは、長い人生経験で嫌というほど実証済みのはずです。

平和と調和を諦め、既に馴染んだ不幸と苦しみに安住することを選ぶ・・・
そんな人もいるのかもしれない…とすら思えてしまいます。


「最後まで…希望をすてちゃいかん
 あきらめたらそこで試合終了だよ」

は、安西先生の言葉。。 ( ←知ってます?^^ )


諦めたらそこですべてはおしまい。

諦めさえしなければ 私たちにはすべてを変える力がある、
そう私は信じています。

暑いってば! (= ̄^ ̄=メ)ノ

7月13日(水) 晴れ by ヨガビジャ


恥ずかしながら、我が家はつい一昨日までストーブが出しっ放しで、やっときのう最後の1台を空焚きして倉庫に戻したところです。

そのきのうの朝の光景。

キヨタカは空焚き中のストーブを玄関先のベランダに置いていました。

そこへやってきたちーちゃん。。

(ネコ用網戸で見えにくいですが…)

Img_3381←あたちのお気に入りの寝床になんかあるー
  

 なにかしら〜。。。?(= ̄▽ ̄=) ノ


 あら、やだ! これ 熱いじゃないっ!?


 や〜ね〜!! ただでさえ暑いのにーーー!!!(= ̄^ ̄= メ) ノ


(すごすごとベランダの角へ…)


Img_3382_4 あら、今日は日陰が増えてる♪


 しょうがない、

 今朝はここでガマンしてあげる♡


  (=^▽^=)ノ ニャハッ

富士の宇宙(そら)

7月12日(火) 晴れ by ヨガビジャ


先週土曜日の夜遅く、キヨタカを迎えに行くため駐車場で車に乗り込もうとした時、暗闇に浮かぶ富士山のシルエットに気づきました。

そのシルエットの真ん中辺りに、ゆらゆらと揺らめく光の帯が見えました。

早朝、山頂でご来光を拝もうと登山する人たちの灯りです。

富士山が光をまとっているみたいで素敵でした。
夏の数少ない、夜の富士山の姿です。


夕べ、夕ご飯を食べながらふとそのことを思い起こし、窓の外の富士山に目をやると光の帯はありませんでしたが、空がこれまでに見たことのない美しさでした。

思わず食事を中断してカメラを手に外に出て、映した写真が下のものです。


Img_3363 Img_3361


 
 
 
 
 
 
 
 
Img_3365 Img_3360
 
 
 
 
 
Img_3373 Img_3374
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どんな言葉を使っても表現しきれないけど
 このとき感じたのは

 ああ、富士山も 宇宙に包まれていたんだ…

 星空以外で、
 宇宙を感じ、想いを馳せることってなかった気がします。

シングルマン(ネタばれあり)

7月11日(月) 晴れ by ヨガビジャ


暑い日が続きますね〜。。
リーラスペースでは、今週末のリトリートに向けての準備が始まっています。

きのうは布団干しをしましたが、食堂棟の屋根の熱ときたら1分と立っていられない熱さです。

布団を窓から屋根の上に運び出し、


あっちっちっち−−−!!!(足の裏) ヾ( T▽T;)ノ


と1枚敷きつめる度に、ひさしが作る小さな影に入っては足の裏をクールダウン。そしてまた1枚と……随分時間がかかりました。

屋根から下を見下ろすと、ちーちゃんが日陰を求めて庭のあちらこちらをウロウロしてます。

日陰のコンクリートの上で、ダラ〜 … ┴┴o と横になってると思ったら、おもむろに起き上がり少し場所をずらして反対の側を下にして、また ダラ〜 … o┴┴。。。


脱げない毛皮はつらいですね。( ̄∇ ̄;)


キヨタカがきのうの日誌に書いた通り、夜は二人で「シングルマン」という映画を観ました。

きっとキヨタカ一人で観ていたら途中でギブアップしていたと思いますが、私につられて最後まで観てしまいました。

不思議な感覚が残る映画でした。

観終わった後味がなんとなく「ブラックスワン」の時と似ている感じがしたのは、主人公が死んでしまった事実は悲しいけど、死の間際に「ある真理というかスピリチュアルな理解や体験に到達した」という描かれ方(かな?)が、結果はどうであれハッピーエンドを匂わせていて、微妙などっちつかずな感覚を覚えたからかもしれません。
けっして悪い印象を受けた訳ではないのですよ。
ただ、味わった様々な感覚が自分でも十分に理解できていなくて、だから言葉にするのが難しいのに、なんとか表現したい…というジレンマのせいしら?


今朝、ふと思いました。
あの映画の主人公が女性だったらどうだったかしら?と。

最愛の人を亡くした女性が、そのダメージを引きずって生きている…
そんな映画ってあまり記憶にない気がするのですが。。

現実を見ても女性の方が一つの恋愛が終わっても(死別はまた違うでしょうが)逞しく生きている感じがするのですが、どうでしょう?
むしろ男性の方が恋愛に関してはダメージを受け易いというか、長く尾を引きがちな印象を受けます。

そこに(今回の映画の主人公もそうですが)すごく男性の脆さと純粋さを感じます。

この主人公はもう中年後期くらいの年齢設定だと思いますが、ハートには少年のような一途さとはにかみが感じられ、かわいらしくすら見えてしまいます。

銃で自殺しようと最初は椅子に座りますが、何を思ったのかおもむろにベッドに行き壁に置いたクッションにもたれ掛かり銃口を口に入れます。
が、気を取り直して今度は寝袋を持ち出しその中で、とか・・・。

発見された時の自分の姿をイメージしていたのかもしれませんが、ちょっとナルシストな姿が微笑ましくもありました。^^


その彼と、亡くなったパートナーの関係について考えていたら、
「知音(ちいん)」という言葉がやってきました。

由来はこちら ↓ です。

*****

中国の春秋時代、伯牙(はくが)という琴の名手がいた。
友人の鍾子期(しょうしき)が死に、伯牙は自分の琴の音をよく理解する者がいなくなったことを嘆き、琴の弦を切って二度と弾かなかった。そこから、自分を知ってくれるや親友を「知音」というようになり、よく知る人の意味から、恋人、女房、知人などにも、「知音」が用いられるようになった。

*****

この映画の主人公にとって亡くなったパートナーは「知音」、彼自身の半身であったのではないかと感じました。(今流に言うならソウルメイト?)

最愛の人の死を知った時、その葬儀への参列が許されないことを知った時の、ハートの一部をえぐり取られるような彼の痛みが伝わりました。
その時点で、彼自身の半分は死んでしまったのかもしれません。

でももし、あの映画が彼の死で終わらなければ、あの後の人生があるとしたら、彼の生の質は完全に変容してしまったのではないかしら。
あれはある種の悟りの一瞥だったのではないかと思います。

あれ(最後の理解と体験)以前は、パートナーとの過去の思い出が現在に在り、というより主人公は過去に生き、苦しんでいました。
でも自殺を決めたその1日と、そこで出逢った人や出来事が、彼を現在へと引き戻しました。

その瞬間の体験を表したのが、きのうの日誌の冒頭の部分です。

簡潔な言葉で真実のある側面を表現したかの如く、美しくすらあると感じます。

一見地味なようでも、深みがあり、真理のかけらがさりげなくちりばめられた暖かみのあるヒューマンドラマ、私にとってそんな位置づけの映画でした。


PS.(しつこいですが…)女性ではこうはいかない気がします。
  それは女性がこれほど純粋ではないということではないのですが、
  女性はもっとより現実的で、生きるということに対して前向きな
  パワーをもっているように感じるのです。
  この映画は男性同士だからこそ表現し得たなにかがある気がします。
  だから男性と女性の違いについても考えさせられる映画でもありました。

現在への覚醒

2011年7月10日(日) 晴れ by キヨタカ

 ごく時たま
 非常に明晰な瞬間が訪れる

 ほんの数秒だがー

 静寂が雑音を消し
 感覚が冴える

 思考ではなく
 私には感じられる

 世界は清新になる

 今 誕生したかのように…


 その瞬間は続かずー
 
 しがみついても消えてゆくが

 これこそ命の泉

 現在への覚醒

実はコレ↑、最近ツタヤで借りたDVDの、主人公の最期のセリフである。

来週から修善寺リトリートがあるが、リトリート後の後泊で時々皆でDVDを見たりする。
先日ふらりとツタヤに立ち寄って、たまたま手にしたDVDの宣伝文句に惹かれた。

愛する者を失った人生に、意味はあるのか
人生の全てがつまった たった一日の物語

愛妻に先立たれて、生きる意味を失った中年男性の、再誕生の物語だろう。
リトリートの後泊で見るに最適!と判断して、さっそく借りて見た。

ところが、この主人公が長年連れ添ったパートナーは男性で…最初から見事に予想をひっくり返された。

しかし、映像やセリフや音楽の一コマ一コマが、とても美しくハイセンスな映画だ。

 目が覚めて最初に思う事、それは”在る”(am)と”今”(now)

冒頭の、朝夢から醒めた主人公の最初のセリフからして 意味深だ。
主人公は、ステート オブ プレゼンスの修行中か!?と、一瞬思ってしまった。

しかし小難しい哲学的内容ではなく ストーリーはシンプルで 感情や表現は押さえながら 非常に感性豊かな映画に仕上がっている。

タイトルは、シングルマン。
ホモ・セクシュアリティの世界に疎い私にとって 主人公の感覚に違和感を覚えつつも そうした世界に耽溺出来る感性の持ち主に軽い嫉妬さえ感じさせる。  

監督は世界的に有名なファッションデザイナーだそうで、センスが良いのも納得。


「英国王のスピーチ」でアカデミー賞主演男優賞を受賞したコリン・ファースの演技も、素晴らしい。

Downloadedfile


通常、私達は幸せを、命の源泉を外側に求めている。
それは、大金であったり、出世だったり、愛人だったり、未来の成功だったり…

そうした全てを喪失し、未来への希望を全て失って、今日が最期の日と覚悟を決めた時、自己の内面から命の泉が湧き上がり、現在への覚醒へと導かれる。

現在への覚醒は、決して知的に理解するものではなく 感じるもの。

鋭く感性が研ぎすまされ なおかつリラックスして今に寛いでいる時に それは思いがけず やって来る恩寵のなせる業。

真実の一瞥をかいま見せる、素敵な映画だ。

…、しかしリトリートの後泊で見るには、さすがにちょっとためらいがある。

旅は道づれ

7月9日(土) 晴れ by ヨガビジャ


きのう、久しぶりに父と電話で話しました。

シャイなのか、面倒くさがりなのか、昔から電話が鳴っても絶対出ない父にあらかじめ、「明日夕方4時にお父さんの携帯に電話するから電源をオンにしてね♪」とメールしておいたんです。

それは「了解しました」の返事かし返さない父に対して、暗黙の<強制>だったんですよね〜、実は。( ̄ー ̄)ニヤリッ。


よがび:(・・・ダイヤル中・・・)

    (電話はつながるも、しばし無言の沈黙…)


    あれ? もし、もし? もし、も〜し!

    お父さ〜〜〜ん!!!


父:・・・うん・・・


よがび:あ、久しぶり〜♪(*^ 。^)ノ

   ( ↑ 耳が遠い父と話す時は無意識に声が大きくなる)

    昨日、メールに書いた件だけど、どう?
    10月のこと、お母さんと話した??


父:・・・そっちの都合のいいようにするといいに( ̄。 ̄)ボソ...


よがび:ほんとにいいの?

    お父さん、どこか行きたい所ある?(^^)?
    ◯◯は行ったことある?


父:◯◯は、ないな・・ ××は何度かあるがなあ・・・( ̄⊥ ̄)


よがび:じゃ、・・・

      (ピッ!)


    あれ?( ・・ ?)


タラ、タランララタラ〜♪ タララタラララタララ〜〜♪♪


      (リピート中)


よがび:あれ〜? お父さん?

    お父さ〜ん!( ̄□ ̄;)

    お父さんてば〜〜!! なんのボタンを押したの〜〜〜!!!
 
 
    だめだ・・・( ̄- ̄; )
 
 
(一旦切って、家の電話にダイヤル中)
 
 
よがび:あ、お母さん?

    お父さん、何かのボタンを押しちゃってみたいで保留になったから
    切っちゃったよ。
    だいたい一通り話したけど、もし分からなことがあったらまた電話し
    てね。

    じゃ、またね〜。。(^^)v
 
 
という会話をしました。実際はもっと長かったけど。。

要するに、10月、私の両親は親戚の結婚式のため熊本に行くのですが、姉が一緒に行けるかどうかわからないので、私が付き添いで行くことになったんです。

で、このやり取りでやっぱり「私は行くべきだ!」という確信が持てました。

目が悪くそそっかしい母と、耳が遠くよく物を無くす父と、目と耳以外その両方を兼ね備えたキヨタカとの珍道中が10月にハプンします。。
 
 
(*^ o^)( ̄- ̄; ) ( ̄⊥ ̄)  (;-_-) =3
  ↑    ↑     ↑    ↑
キヨタカ  よがび    父    母

 

乞うご期待!!(* ̄ー ̄)ノ  ←違うって
 

PS. 前回の珍道中 →「いざ琵琶湖!」 
  (昨年の12月23日から27日辺りの日誌です)
  読み直してみたけど、今読んでも笑えた♪


 

ソロリトリートの勧め

7月5日(火) 曇り by ヨガビジャ


先日瞑想会を終えたばかりですが、瞑想会に限らずリトリートにおいても必ずと言っていいほど出る質問があります。

それは「日常生活ではどのように瞑想を続ければいいか?」ということです。

やはり誰もが、瞑想会やリトリートでの体験を維持することに苦労されているようです。この事に関してはいつもこのようにお答えしています。


1、気づき(プレゼンス)のワークは、朝起きて夜眠るまでずっと保ち続ける
  ことが必要です。(睡眠は自然に任せる)

2、1日朝晩2回、15分でもいいので毎日瞑想をする。

3、初めのうちは日常の行為のさなかでくつろぎを保つことは難しいので、
  ビーイングのワークでは特に、上記2の瞑想でくつろぎの感覚に浸り、
  常にその感覚を思い起こせるようにする。

4、毎週半日は自然の中で過ごす。

5、数ヶ月に1度ソロリトリートを行う。


5のソロリトリートに関しては、私やキヨタカがフーマンのセッションを受けにハワイに行った後は必ず、「日本に帰ってから何ヶ月後…」と明確なガイダンスが与えられていたことからも分かるように、フーマンはワークでの体験を自分の中で統合していくことをとても重視していました。

また、「いずれあなたの直観が開き始めたら、それがいつのタイミングなのか分かるようになるだろう…」とも語っていました。

フーマンなき今、誰もが自分自身でそのタイミングを知る必要があると思います。
今という時代は、私たちを目覚めへと誘うエネルギーが日増しに強くなっているようなので、私たちが静かに自分の内に耳を澄ませば、そのタイミングを感じ取ることはそれほど困難ではないように感じます。

ところでそのソロリトリートに関して、具体的にどのように行ったらいいのか分からない方もおられると思いますので、ここにまとめておきたいと思います。

これはあくまでも瞑想会やリトリートで味わった感覚を思い起こし、それを深めて消化・統合することを目的としています。

「する」という言葉を使いましたが、それはなにかの行為を通して達成するのではなく、ちょうど種を蒔いた花に水をあげてケアするように「成長に最適な環境を整えてあげる」、そんな感覚が一番しっくりくる感じがします。


1、自然環境
  ソロリトリート中は体を動かすことも大切です。
  自然の中を散策したり、泳いだりできる自然環境があるといいでしょう。

2、生活環境
  できるだけ他人との接触を避けサイレンス(沈黙)で過ごすことが可能で
  プライバシーが保たれる環境が望まれます。
  (TV、携帯、パソコン等、外部との接触は断つこと)
  費用の問題もありますが、キッチンが付いたコンドミニアムなどは理想的
  でしょう。
  ホテルの場合、食事が他の宿泊客と一緒で日常感覚に戻り易いため、
  できるだけ離れた席に座るか、素泊まりにして食事は購入、もしくは持参
  したものを自分の部屋で食べるなど、工夫することも必要です。
  また、一般的なホテルなどでの食事では多過ぎたり胃に重過ぎて向かない
  ことが多いと感じます。

3、用意するもの
  フーマンは祭壇を作るといいと言っていました。
  テーブルに布を掛けキャンドルや花、クリスタルなどを置き、神聖さを想
  い起こすスペースです。これは自分の部屋の一角に作ることも勧めていま
  した。小さくて構いません。お香やセージを焚いてもいいでしょう。
  (焚き過ぎ注意。スプリンクラーが作動します!)

  そして、自分のワークに合った音楽。
  自分に合った音楽を普段から用意しておき、日々の瞑想の中で使用してい
  るとそのスペースに入り易くなります。 

  五感に通して、気づきやくつろぎ、ハートのスペースなどを思い起こす
  助けとなるものを<リマインダー>として使うといいでしょう。


以上。

ソロリトリートは日常生活から完全に切り離されることにより、パーソナリティ(自我)としての自己から離れる大きな助けとなります。

私たちは普段、誰かの父であり、妻であり、息子であり、どこかの会社の社員であり、ヒーラーであり・・・etc.
あるいは、自分は、関係性で悩んでいる者、自己嫌悪する者、または、想いが実現してハッピーな人、腹を立てている人等々・・・必ず何者かとして生きています。

それらのすべての役割やある体験を味わっている誰かさんを落とし、ただ自分自身で在るための時間とスペースを持つ、それがソロリトリートです。


余談になりますが、フーマンはキヨタカのセッションでこう語っていました。


 私をフーマンとして見ないように。
 
 私をフーマンにすると、

 あなたはキヨタカになる。
 
 
フーマンは生徒を、表面的なパーソナリティとしての自己から分離させ、可能な限りその人をその人自身の本源へと導こうとしていました。

そしてその本源においては、フーマンもキヨタカもヨガビジャもありません。

しかし日常では、他者の存在が自分を今までの自分(の役割)に引き止めるため、パーソナリティとの同一化を落とすことは非常に困難です。
そしてこのパーソナリティ(自我)こそが、私たちの魂が望む生き方や人生の選択を阻みます。

ですから、瞑想会やリトリートでの体験を深め統合すること、アイデンティティのシフトを助けるという意味において、ソロリトリートは不可欠だと感じます。

それから外側のリーダーが不在のソロリトリートは、私たちが自分の内なる声の導きに目覚める機会にもなりえると思います。

そのような観点から、瞑想会やリトリートに参加された方には数ヶ月に1度のソロリトリートをお勧めします。

おまけ

7月4日(月) 曇り by ヨガビジャ


あ====っ!!

ちーちゃんがまとわりついて 


うっとうしい===!!!Σ(>_< ;))))


1週間ひとりぼっちで寂しかったのは分かるけど、私が歩いていても、座っていても、横になっていてもスリスリしてきて、、、


私、全身ちーちゃんの抜け毛にまみれてます・・・(T_T) 


顔にも頭突きされるから、ほっぺたやアゴにも毛がくっついてて、
どうもその毛が口に入っちゃったみたいで、喉の奥がザラザラする…


人間の食べものには、あんたのカリカリみたいに
「毛玉ケア」機能がないんだから、


やめてってばーーー!!(>_<) 


Img_3338_2←私の足元のちーちゃん。

 いつもならゴハンを食べたら
 さっさと2階に行くのに
 今日は私の傍から離れない。

 月に1度の置いてきぼりは
 私たちが思っている以上に
 ショックなのかも?

 また、捨てられた (=T_T=)


って思っちゃうのかな・・・( ̄- ̄; )
  

 

帰宅後の食料事情

7月4日(月) 曇り by ヨガビジャ


新宿イベントを終えて、私だけ電車で伊豆に戻りました。
到着したのは夜10時半近く。

本当はキヨタカも一緒に車で帰宅するはずだったのですが、小山滞在中の先週木曜の深夜、キヨタカの伯母さん(お母さんのお姉さん/100才)が亡くなったとの連絡が入りました。
それでお母さんと一緒に葬儀に参列するため、キヨタカは新宿イベントの後そのまま実家へとUターン。

私はキヨタカのお母さんが心配だから(お母さん、現在右手首骨折中。転んだとき膝もぶつけて痛みあり)、


私も一緒にお葬式に行く??( ・・;)


とキヨタカに言うと、


『死んだ人より、生きてるネコ!cat


よがびは家に帰って、ちーちゃんを頼むよ!!\( ̄^ ̄)>キッバリ


だって。


キヨタカの名言集に入れておこう。。(; ̄⌒ ̄)


そういうわけで夕べ私は家に帰ってきたのですが、その肝心のちーちゃん、
もちろん生きていましたが、

今回は二周りくらい小さくなってました。。(= T _ T ;=)ノ

体重、3分の1は落ちてますね。。

またエサ場が荒らされていて、自動給餌器はドロドロで空っぽ。
また掃除が大変だ〜・・・

まあ、ちーちゃんには可哀想だけど最近は食べ過ぎてかなり重たくなっていたから、月に一度のダイエットくらいいいよね〜♪なんて思っていたら、、


私の食料も なんにもな〜い・・・(T_T) 


小山に行くので、冷蔵庫はほとんど空っぽにしていたんです。

朝起きてからお水しか飲んでいなくて、できるなら早く買い物に行きたいのだけど、ホテルから送った荷物が午前中に届くからどこにも行けない…

仕方なく、牛乳も豆乳もないからシリアルをそのままポリポリと頬ばったけど味気ない。。( ̄〜 ̄;)

お腹は少し膨れたけど余計に満たされない気分になり、面倒だけど冷凍してあった白米を炊いて、たくあんと梅干しと残り物のインスタント味噌汁でなんとか落ち着いた感じ。

でも食べたかったのはバナナやグレープフルーツなどの果物。
だから宅急便屋さんから荷物を受け取ったら、バスに乗って買い物に行ってきます。。

が、バナナや豆乳、ヨーグルトとか持ってあの坂を上るの? 私??

とりあえず、行きながら考えよう。。

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ