« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

ハート

8月29日(月) 曇り時々晴れ by ヨガビジャ


富士見荘ではここのところ涼しい日が続き、秋の訪れを感じます。
 
Img_3512_4 今、庭には白ユリが咲いています。
 ちーちゃんが天国に行ってから、
 ちーちゃんが眠るモクレンの木の下には
 いくつ白ユリを飾ったでしょう。

 毎年この季節が訪れると思い出すのだろうな…
 って思います。
 白いユリは純粋で、軽やかに風に揺れて、
 私にとってちーちゃんのイメージにぴったりです。
今その花瓶には、ピンクのサルスベリの花も入っていて、純粋さに優しい温もりを添えてくれています。

もうちーちゃんのことは書かないつもりでしたが、先日キヨタカが、


キヨタカ:駐車場から歩いて来ると、富士見荘の玄関の横に干した運動靴が
     ちーちゃんに見えるんだよね。

     玄関から外に出る時も、ちーちゃんが中に入って来ないように
     いまだに足でガードしてるし・・・
     身体が覚えちゃってるんだよね〜。。


よがび:私もそう・・・ (;  ̄- ̄)( ̄。 ̄;)ボソ... 
 
 
という会話があったものですから。。
 
 
ちーちゃんが逝ってしまって以来感じる胸の痛みは、日を追うごとに和らいでいます。

でも、その痛みのおかげで、ちーちゃんがいなくなってからピンポイントでハートを感じられて、その奥のスイートさや深いスペースに自然にいることができます。

これはフーマンのワークを受け始めて以来、
フーマンに「いつもそこにいなさい」と言われ続けていてできずにいたこと。

もちろんちーちゃんのことに限らず、これまでの経験や時間の経過という要素もあって、今やっとその時が訪れただけなのかもしれませんが。


先日Star People の最新号が発売になったばかりですが、キヨタカは今すでに次号の連載の執筆に取りかかっています。次号ではフーマンが登場します。
夕べ遅くまでかかって一通り書き終え、私は今朝からそのプリントの見直しをしています。

その文章に目を通し始めると、初めて訪れたハワイ島で、初めてフーマンに出逢った時のことが鮮明に思い起こされます。

過去でさえ、思い起こすことを通して訪れる「ハートのフィーリング」は、今この瞬間のもの。

そこには時間など存在しません。
 
Img_3515 ちーちゃんも、フーマンも、

 ハートで感じる時

 今ここに在る。

 過去になんか存在していない。
 
 いえ、過去は、存在しない。
 
きっとハートは、時間も空間も超えているのだと思います。

私たちは今、限られた時間という概念を超える時に差しかかっているのだと思います。

Star People vol.38 発売中!

8月27日(土) 曇り by ヨガビジャ


Star People vol.38 の特集は『「今」にくつろぐ』です。

51qznt3eaml_sl500_aa300__2 なんと、キヨタカとレナード・ジェイコブソンさんの
 対談が巻頭カラーで載っています。

 以前、ナチュラル・スピリットさんのHPでレナードさ
 んの事を知り、彼のワークに関心を覚え、キヨタカと
 一緒に彼の2daysワークショップに参加しました。

レナードさんのワークは以下の内容です。
(現ナチュラルスピリットHPから一部抜粋)

 1. 目覚めへの道を明らかにする。 
 2. 実在(プレゼンス)に在るようになる。
 3. マインドを沈黙させる。  
 4. 実在に在ることで、価値と恩恵を人生にもたらす。
 5. 感情的な傷みと、あなたを制限する過去からの信念の癒しと解放。
 6. 認められることに対する要求を克服する。
 7. 目覚めへの隠れた障害を克服する。
 8. 二元性の中でのバランスを見つける。
 9. あなたが完全に実在するときのあなたとは誰か?

・・・などなど。

リーラスペースで行っているワークに近いものを感じます。
それをどのようなメソッドを用いて2日間で人々にシェアするのか…

私は幸運なことに、早い時期にフーマンのワークを受ける機会に恵まれ、フーマンの言うところの『これ』(=真我、仏性etc)を体験的に理解することができ、それを十分に味わいその価値も理解していました。
にもかかわらず、常に『これ』を選び『これ』であることができない現実は、長い間私の中に葛藤を生み出しました。

たとえば日常の人間関係では、ほとんど自動反応的にネガティブな感情や思考パターンが現われてそれらに翻弄されました。そしてそれがやってくるたび、『これ』に留まることは自分には不可能に思えました。

それほどに、ヴァサナ(マインドの潜在的傾向)が強力であることを実感していましたから、レナードさんのシンプルでストレートな教えが人々をどのように導き、変容を促すのか関心があったのです。

そして実際に参加してみて、彼が指し示しているのは本当に無駄のない「エッセンス」でありながら、エゴやパーソナリティにも働きかけることが、とても理に叶っていると感じました。

ただ私は直接質問をしたり、前に出て1対1でレナードさんと向き合うこともなかったので、それを受けられた方の実際の効果のほどはわかりませんが、あのエゴを受け入れていくやり方やプレゼンスの認識が、その人の理解と変容を継続的なものとしうるのか?の疑問は残りました。

それはおそらく日々の瞑想が自己想起やハートへのリマインダーとなっていた私にとって、瞑想というメソッド(もしくはそれに該当するもの)なくして、このワークショップ後もヴァサナの引力から自由でいられるのか?という素朴な疑問でした。
もちろん、ヴァサナの影響力は人それぞれ異なるのでしょうが。

・・・Star People 発売の宣伝ではなくなってしまいましたね。。

結論がなくて申し訳ありません。
ここまで書いたことについて関心をお持ちでしたら、Star Peopleを読まれるか、イベントに参加されて実際にご自身でご確認くださいね。

要するに今号は、私にとって興味深い内容ですといいたかったんです。。


それからキヨタカの連載『覚者を求めて』では、いよいよアジズの登場です。


「瞑想とは努力か寛ぎか?」


このキヨタカの長年の疑問に終止符を打ったのがアジズです。

人にはそれぞれこの生における命題のようなものがある気がします。

それを諦めることなく求め続けることで、必ず答えは得られる…。
この連載シリーズを通して毎回私が受け取るメッセージです。


最近、こんな文章と出逢いました。


『宇宙には「本気度」をはかるマスがある。

 その者がどれだけ「本気」なのかによって
 刻一刻と光を発する量が変化してゆく。

 そして「本気」度のレベルに応じて
 宇宙は光を降ろす』


・・・らしいです。


「決して 諦めない」

これは私のセッション中、フーマンによって何度も語られた言葉です。

それが今へと私を導いてくれました。

強さは、進化にとって必要不可欠な要素のひとつのようです。

そしてその強さを育むために、
私たちの目には不幸と映る
望まない出来事が存在するのでしょう。

この存在理由を認めることができるなら、
どんな痛みも、不幸も
私たちはその意味するところを変えることができる
そう感じます。

超新星爆発

2011年8月26日(金)  晴れ by キヨタカ

 どんなに星空に疎い方でも、オリオン座ぐらいは知っているだろう。
冬の夜空を飾る代表的な星座だ。
ギリシャ神話に登場する狩人オリオンに由来するが、そのオリオンの右肩にある赤く輝く星をベテルギウスと言う。

0901amp_orion


なんとそのベテルギウスが2012年に超新星爆発を起すかも知れないという情報が飛び交っている。
発信源が巷で流行しているアセンション信奉者からではなく、NASAや天文学者達でありNHKの番組(コズミックフロント)でも取り上げられているので、真実味が高い。

もしその情報が正しいとすると、2012年のある日、突然ベテルギウスが超新星爆発を起こし月の100倍の明るさで輝き、最初の2週間は夜が無くなり昼は太陽が2つ出た様になると言う。

この話は、神道マニアの間で有名な日月神示の一節「天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、」というメッセージを連想してしまう。

だからちょっと不気味な感じもするが、超新星爆発を期待する気持ちの方が強い。

東日本大震災と原発事故という予測不可能な事態に遭遇して日本人の意識レベルも相当変化しつつあるとは思うが、全地球的レベルでの意識のシフトが起る為には、「夜が無くなり太陽が2つ出る」くらいの衝撃的出来事が必要だろう。

ところでその可能性がどれくらいなのかについては、「間もなく超新星爆発が起る」という事は天文学者の間では一致していても、それが本当に2012年に起るかどうかは誰も解らないそうだ。
なにしろ何億年という単位で起る天文学的スケールの話だから、1年後でも1万年後でも「間もなく」の範疇に入ってしまうそうだ。

しかし「誰も解らない」という事は本当なのだろうか?
とても不思議な疑問が起る。

ベテルギウスは地球から640光年彼方にある。
つまり今観察しているベテルギウスは640年前の姿だ。

だから2012年に超新星爆発が起るかも知れないと言っても、実際に起ったらそれは既に640年前に起った結果を2012年に地球が受け取るという事に過ぎない。

2012年という未来に起るかも知れない出来事が、実は640年前に起っているかも知れない出来事の結果なのだ。

22fb5_259_c7ceaf2fe90faf4d9e1bd5e30


もし時空間を超えて、「今・ここ」で現在のベテルギウスの状態にアクセス出来れば、2012年に何が起こるか、知っている事になる。

時空間に限定されている人間にとっては、2012年に何が起こるか、断定は出来ない。

断定したければ、この「知っている」部分にアクセスする必要がある。
しかしアクセスする為には、「知りたい」という人が消え去らねばならない。


この広大な宇宙は、時空間を超越した神秘に満ち満ちている。
そして人間側の都合を超えて、起るべき出来事が寸分の狂いもなく起り続けている。

そこには、絶対的な信頼がある。

だから未来の事は予測不可能でも、広大な宇宙に安心して身を任せる事が出来る。

例え無力でも、いや無力だからこそ身を委ねる事の素晴らしさを知るのだ。


既に知っている

2011年8月24日(水) 曇り一時雨 by キヨタカ

先日の日誌(8月6日)で、「予測不可能」について書いた。
「今は、先の予想がますます困難になりつつある。」と述べたが、あの記事にわざわざちいちゃんの写真を載せていたのが何とも感慨深い。
chappyさんのコメントの通り、「ちいちゃんからのメッセージ」だったのかもしれない。

あれからすぐにちいちゃんがイノシシと戦って逝ってしまうとは、夢にも思わなかった。
全く先の事は解らないものだ。

しかし、何故ちいちゃんの写真をわざわざ載せたのか?今になると不思議な感じがする。
もしかしたらマインドを超えた一番深い部分で、もう既にその事を知っていたのかも知れない。

ちいちゃんをひとりにする時は必ず「しばらく家を離れるから留守番をよろしく」と挨拶してから出発するのが常だった。
ところが前回に限っては出発の朝いくら待っても外に出たまま戻って来ない。
結局いつもの挨拶なしで出発したのが非常に気がかりだった。
「もしかしたらこのまま逢えなくなるのでは?」と言う不安が払拭出来なかった。
そこで私かヨガビが途中で様子を見に帰ろうと言う事になったのだが、実家の母がまたもや転んで怪我をしてしまい、そのままになってしまった。

日誌に書いた「予測不可能」とは、「マインドにとっては」と言う前提条件がある。

時間と空間を超越したスペースに立脚すると、「全てはあるべきように在る」事がますます明確になりつつある。

もしかしたら「全ての出来事は神の領域において既に決まっている」のかもしれない。
そしてこのスペースにアクセスすると、「既に知っている」と言う感覚が起こる。

最近この「既に知っている」と言う不思議な感覚に包み込まれる事がよくある。

例えば、例の「相模湾の2つの地震の予言」は絶対に当たらないと言う事は既に知っていた。
その根拠は説明できないのだが、「当たらない予言は当たらない」に決まっているのである!

この「既に知っている」と言う感覚を信頼する事が、非常に大切な事だと思う。

これこそが Universal I AMからのメッセージを受け取る秘儀なのだ。

個人セッションの感想

2011年8月23日(火) 晴れ by キヨタカ

九州からわざわざ個人セッションを受けに来てくれたYさんから、感想のメールを頂いた。
ご本人の承諾を得たので、転載する。

* * *

個人セッションありがとうございました。

色々と体感的に理解できましたのでとてもよかったです。
(今アジズの本を読み返すと、スーッと頭に入ってきます。)

ステートオブプレゼンスの感覚の方向性が掴めたのは収穫でした。

また、おまけのハート瞑想ではとても繊細かつリアルな魂そのもの(と思われる)の光を少し距離はありましたが感じることができました。

(ハートが開く感覚は他のワークショップでも感じたことはありますがあれほど深いところでリアルに感じたことはありませんでした。)

ハートの波動は自宅に戻った翌日も残っていました。

とても有意義なセッション受けることができたと思っております。

また近いうちに瞑想会に参加したいと思います。

どうもありがとうございました。

From Y

* * *

瞑想に関しては、どんなに良く書かれた本でもただ読むだけでは、本当の理解を得る事は難しい。
実際に体験して初めて、書かれてある内容が解る様になる。

だからこそ個人セッションを受けた後で、「今アジズの本を読み返すと、スーッと頭に入ってきます。」という事が可能になる。

私が最初に本格的に坐禅を習ったのは、山本玄峰老師の直弟子で知る人ぞ知る松庵さんという尼僧からだった。
当時まだ学生だった私は、それまで真理は本を通して学べるとばかり思い込んでいた。

しかるに、松庵さん曰く
「本や教典を通して真理を得る事は出来ません。坐禅で得た体験を確認する為に本や教典はあるのですよ。」
と言う。

あれから長い月日が経ったが、今更ながら彼女の造詣の深さに頭が下がる。

本を読んでそこに書かれてある真実を生きようとする事は、絵に描いた餅を食べようとする様なものだ。


「アジズとの対話」や「恩寵の扉1〜3」は、実際に瞑想を実践している方を対象に書かれている。

願わくば「絵に描いた餅」で満足する事無く、実際に瞑想の真髄を体験してその味を堪能し尽くして欲しい。

Yさんの個人セッションでは、最後にハートのワークを行った。
本当のハートのワークに入る前提条件として、プレゼンスとビーイングのワークは非常に大切だ。
だからその事を強調するために、「おまけ」の様な感じでハートのワークをせざるを得なかった。

しかしハートこそ瞑想の真髄であり、私がシェアしたい最大のものだ。

今度はぜひ瞑想会に参加して、その真髄を堪能して貰いたい!

いつでも逢えるね

8月23日(火) 雨のち曇りのち晴れ by ヨガビジャ


今日は予報に反して朝から強い雨が降っていましたがその雨も徐々に上がり、今は晴れ間が広がってセミの音を聞きながらパソコンに向かっています。
伊豆に戻ってから初めての青空です。

ちーちゃんの件では、たくさんのコメントとメールをいただきありがとうございます。これだけたくさんの方々の記憶に刻まれたちーちゃんは幸せなネコでした。

今もキッチンにいて、窓の外の白ユリが風で揺れると「ちーちゃん…」って振り向いてしまいます。
そこにいるのが当たり前でついその姿を探してしまうんです。

当たり前のものほど、失ってみないとその価値には気づけないものですね。

ちーちゃんはもう私たちの生活の風景の一部になっていましたから、空気があるように、水があるように、当たり前に存在していたんです。
だから、そこにあるべきものがないというのはとても奇妙な感じです。


もう気づかれている方も、すでにそのように生きていらっしゃる方もおられると思いますが、あえて書かせてください。


今一度、ご自分にとっての当たり前を見直してください、と。
失ってしまう前に。


往々にして私たちは、今に足りないもの、理想や将来への期待、そういったものに目を向けるあまり、今ある「当たり前」のありがたみを忘れがちかもしれません。

もちろん、理想や目的意識を持つことが進化の要因であることは確かですが、それは種が芽吹き、成長し花を咲かせるようなもの。そのためには地中深くしっかりと根をはる必要がありますよね。
きっと、今ある「当たり前」の価値を知り感謝することが、地中深く根をはることに相当して、それによって幹はより高く空へと向かって成長できるのだと感じました。
進化には2つの方向性があるのでしょう。

私は根っこの方に対して無意識だったな…と思いました。
だからこれが奇跡だったと気づけなかった。


ちーちゃんの最期が想像できるだけに今でも胸が痛むけど、同時にその痛みの奥にはハートのスイートさと温もりを感じます。
ちーちゃんを抱っこしているときの感覚がありありと蘇ります。

自分に観る目さえあれば、私は神聖さに取り囲まれていたのでしょう。

あまり遠くばかり観ないで、今ここに目を転じて、
もっと丁寧に、喜びと感謝に満ちて生きることができるはず。

Img_1824 そのことに
 気づかせてくれた
 ちーちゃんに
 心から感謝です。

 またいつでも逢えるね。

 エッセンスはいつも
 今ここにあるから。

 ハートで逢える。

ちいちゃんに感謝!

2011年8月22日(月) 曇り by キヨタカ

 お盆を実家で過ごした後、東京で個人セッションを行い、昨晩久しぶりに修善寺へ戻った。
個人セッションの合間に、ヨガビから電話があり、「ちいちゃんが逝ってしまった」というニュースが飛び込んで来た。

とてもショックで悲しかった。
非常に不謹慎かも知れないが、「フーマンが逝ってしまった」というニュースが飛び込んで来た時よりショックだった。

フーマンの場合、肉体次元とは別な所でいつでもフーマンを感じられた。
だから「逝ってしまった」という感覚が非常に希薄だった。
OSHOが「逝ってしまった」時も、同じ様な感覚だった。

しかしちいちゃんの場合、日常生活の一部に完全にとけ込んでいたので、自分の一部にすっぽりと穴が空いた感じ。
同じ屋根の下で暮らした肉親が亡くなった時の感覚と同じだ。

わずか3年一緒に暮らしたネコでさえこんな感覚に襲われるのだから、東日本大震災で愛する人を失った人々の痛みは想像するに余りある。
改めて、ご冥福を祈りたい。

ところで、今回の出来事で本当に有り難いと感じるのは、どんなに外側でつらく悲しい出来事が起っても、「私が在る(! AM)」という感覚は微動だにしない事を再認識した事にある。

外側に波風が立てば立つ程、 その背景にある「I AM」が燦然と光り輝く!

どんなに悲しい出来事も、どんなに嬉しい出来事も、この現象世界では全てが来ては去って行く。
それはちょうどスクリーンに映る映画の様だ。
映画のストーリーがどんなにドラマチックでも、背景のスクリーンはただ沈黙して微動だにしない。

本当の私とはストーリーではなく、ストーリーの背後にある「これ」なのだ。
今回の出来事で、I AMへ根付く事がより一段と加速化し始めた。

これは、ちいちゃんが私に与えてくれた、最高の贈り物だ。

ちいちゃんに感謝!

おしらせ

8月21日(日) 曇り時々雨 by ヨガビジャ


ちょっと長目のお盆の帰省から戻りました。
久しぶりの日誌なのに悲しい話題でごめんなさい。

ちーちゃんが逝ってしまいました。
きのう家に戻ったら富士見荘の脇で動かないちーちゃんを発見しました。

最初はなにが起きたのかまったく分からなかったのですが、おそらく猪にやられたようです。庭のモクレンの木の下に埋めてあげました。


とても悲しいです。

もう少し早く帰っていれば
エサ場を外に置かなければ
小山に連れていっていれば
とかいろいろ考えたり・・・

今はもう
痛くも苦しくも暑くも寒くもない所にいるのだから
大丈夫と思ってみても、
ただ悲しい。


もう夜中に起こされることがなくなったけど
一緒に散歩に行けなくなっちゃった。

もう家中ちーちゃんの毛だらけにならないけど
あの安らかな寝顔を見られなくなっちゃった。


魂は永遠だって分かっていても、
目に映る愛らしい仕草
肌で触れる温もり
耳に馴染んだ鳴き声
そういったすべてが失われてしまったことが
ただ悲しい。


いのちは愛おしい。

日常の当たり前は
決して当たり前なんかじゃない。
それはきっと奇跡。

ちっぽけな希望や期待にとらわれた人生は
まるで一冊の問題集のよう。
今、目の前の奇跡に気づけない。


今を
もっとやさしく
丁寧に
喜んで生きられるはず。


ちーちゃん、本当にありがとう。

短かったけど、
ちーちゃんと過ごした時間は
たくさんの小さな喜びと嬉しさを
私のハートに与えてくれました。
それは神聖さへの扉でした。


ちーちゃんとご縁のあった方々、この日誌を通してちーちゃんを知っていてくださった方々へ、ご報告まで。


愛してくれて ありがとう♪(=^▽^=)

秋?

8月10日(水) 晴れ by ヨガビジャ


昨日の朝、自然公園に散歩に行きました。

暑い暑いと言いつつも、秋は確実に近づいている気配です。


Img_3475_2 木の下には
 20センチ以上はありそうな
 大きなしいたいみたいなのとか・・・
 
 
 
 
Img_3477_2 毎度おなじみ
 遠くからも目立つ
 赤いきのことか…

 穴、空いてる....( ・_・ )
 
 
 食べたらキケン!って
 警告してるみたい。。
 
 
 
Img_3481Img_3480Img_3489
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 大好きなコスモス。
 
 でも黄色いのはコスモスではないって聞いた
 ことあるような。( ・・ ?)
 
 ←これはユリみたいだけどヒガンバナの一種
 らしいの。うちのお庭に咲いてます。

 
 
 
Img_3490 いつの間にやら
 庭には 小さなみかん がいっぱい。
 
 少し間引いた方がいいって聞くけど
 
 やらないな、きっと。。^^;
 
 
 
 
 
Img_3492 お隣の庭のナシ。
 
 お隣の家は いつもほとんどお留守だし、
 きっと実がなっていること
 知らないんじゃないかな?

 フェンス越しに
 成長を楽しみにしています♪ 
 
 
 
 
 
 秋、感じた?? ^^

ふくろのネコ

8月9日(火) 晴れ by ヨガビジャ


一昨日、ちーちゃんは虫下しを飲むため病院に行きました。

 (正確には、強制的に連行されました)

外でなにを食べてるか分からないからね。。

 
体重計にもなっている診察台の上に乗せると…
 
 
先生:あれっ!? 太ったね〜!!(@_@;)
 
 
キヨタカ:毎晩、ドカ喰いしてますから・・( ̄- ̄; )
 
 
よがび:お盆の留守番で、またヤセ(こけ)ますから大丈夫でーす♪(*^ 。^)
 
 
先生:ネコは夜に食べるんですよね〜。。

   お腹に虫がいたら痩せちゃいますから、この子の場合は大丈夫ですよ。

   でも、毎日お外で遊んでるからお薬飲もうね〜。。^^


無事お薬を飲んで、おうちの駐車場に着いたら、

一目散に車の窓から逃げ出したちーちゃんでした。

 
ε=ε=ε=ε=ヽ(#= ̄^ ̄=)ノ

 
Photo_2←出発前のちーちゃん。

 最近、袋に入れる際は、
 頭だけ出しておくと大人しいことを
 発見しました。

 
 朝寝てたら、突然キヨタカに抱えられて
 1階に降ろされ
 キッチンで袋に入れられて
 
 ワケ わかんな〜い。。。 ?(= ̄ 。 ̄=)?
 
 ちーちゃんの図。

予測不可能

2011年8月6日(土) 曇り by キヨタカ

 Nさんから、地震の予知夢に関するブログの紹介があった。

「震源地が修善寺に近いので、無視できません。
相模湾で立て続けに二つの地震が起きて、大津波が関東から東海地方の沿岸を襲うと言うのです。
この地震の発生は、来週 8月12日(金) 朝5時から8時頃だそうです。
起きる確率は、87%と言っています。」

地震や天変地異に関するこうした予知夢や予言は、前もって騒がれたもので実際に予言通りになったものは今まで知らない。
実際に地震が起こった後で、後だしジャンケンの様に「実は予言されていた!」とマスコミで騒がれるのが落ちである。

しかし、3.11の大震災以降、日本列島の地殻が変動して地震の発生確率が大幅に高まったのは確か。
日本のどこでいつ大地震が起きても不思議ではない。
たとえ今大地震が起っても、「この地震は想定外でした。」と言う人は誰もいない。
用心するに越した事はない。
冷静に状況を見守りたい。

今年に入り、先の事がますます予測不可能となりつつある。
例えば今年の夏は、非常に暑かったり寒かったりで、なんとも予想がつきにくい。
今のところ涼しい日々が続いているので、冷夏と言えそうだが、もしかしたら後半は暑い日が続くかも知れない。

予測不可能なのは自然現象だけでなく、社会現象も然り。
「先の事がどうなるか解らない」と言う事は、既成の社会を維持する事に価値を見出す人々にとっては地獄の様な苦しみを伴うかもしれない。

しかし、瞑想を愛する人々にとっては、「今・ここ」を生きる事にこれほど適切な時代はない。
なにしろ先の予想がつかないのだから、「今・ここ」を生きるしかないのである。

マインドという戦略を発達させた我々人類は、動物の世界から一歩踏み出して人間社会を創り出した。

しかしマインドという過去のデータをベースとした社会から、「今・ここ」に私が在る(I AM)という気づきに基づく新しい人類が誕生しようとしているのが、今という時代だ。
動物から人類へ飛躍した我々は、さらに一歩を踏み出して、新人類へと移行し始めたのだ。

根源においてはたった一つの大生命(普遍のI AM)が、現象社会において無限のヴァリエーションを伴い「あなた」として「私」として、「犬」として「猫」として、「木々や草花や昆虫」としてそれぞれの命を生きている。

「今・ここ」で、私達は全て繋がっている。
それに気づいた新人類は、もう既成の社会を生きようとはしなくなるだろう。
人と比較したり競争したり、たくさん物やお金を集める事が豊かであるとは誰も信じない世の中となる。

既成社会は崩壊するだろう。
そんな世の中になる兆しが、社会のあらゆる場所で見受けられる。
例えば、若者の車離れや立身出世を望まないライフスタイル等々。

既成の社会を生きる人々にとっては、それは許し難い事だ。
日本経済の衰退であり日本社会が崩壊する危機だ!と相変わらず叫び続けて、なんとか若者に消費欲をかきたて競争社会に参入させるべくあれこれ画策し続けている。

しかし、「もっともっと」大量生産・大量消費する事が社会の発展であると信じた結果が原発依存社会であり、福島原発の惨状なのである。

話を戻そう。

今は、先の予想がますます困難になりつつある。
地球温暖化の問題が声高に叫ばれる一方において、地球寒冷化説がまことしやかに唱えられている。

Img_0644_4


もしかしたら、夏なのに雪が降るかも知れない。
今起きている、こうした予測不可能な出来事全体が、私達人類を次の次元へと誘う大いなる存在の計らいによるものだと私は感じている。

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ