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既に知っている

2011年8月24日(水) 曇り一時雨 by キヨタカ

先日の日誌(8月6日)で、「予測不可能」について書いた。
「今は、先の予想がますます困難になりつつある。」と述べたが、あの記事にわざわざちいちゃんの写真を載せていたのが何とも感慨深い。
chappyさんのコメントの通り、「ちいちゃんからのメッセージ」だったのかもしれない。

あれからすぐにちいちゃんがイノシシと戦って逝ってしまうとは、夢にも思わなかった。
全く先の事は解らないものだ。

しかし、何故ちいちゃんの写真をわざわざ載せたのか?今になると不思議な感じがする。
もしかしたらマインドを超えた一番深い部分で、もう既にその事を知っていたのかも知れない。

ちいちゃんをひとりにする時は必ず「しばらく家を離れるから留守番をよろしく」と挨拶してから出発するのが常だった。
ところが前回に限っては出発の朝いくら待っても外に出たまま戻って来ない。
結局いつもの挨拶なしで出発したのが非常に気がかりだった。
「もしかしたらこのまま逢えなくなるのでは?」と言う不安が払拭出来なかった。
そこで私かヨガビが途中で様子を見に帰ろうと言う事になったのだが、実家の母がまたもや転んで怪我をしてしまい、そのままになってしまった。

日誌に書いた「予測不可能」とは、「マインドにとっては」と言う前提条件がある。

時間と空間を超越したスペースに立脚すると、「全てはあるべきように在る」事がますます明確になりつつある。

もしかしたら「全ての出来事は神の領域において既に決まっている」のかもしれない。
そしてこのスペースにアクセスすると、「既に知っている」と言う感覚が起こる。

最近この「既に知っている」と言う不思議な感覚に包み込まれる事がよくある。

例えば、例の「相模湾の2つの地震の予言」は絶対に当たらないと言う事は既に知っていた。
その根拠は説明できないのだが、「当たらない予言は当たらない」に決まっているのである!

この「既に知っている」と言う感覚を信頼する事が、非常に大切な事だと思う。

これこそが Universal I AMからのメッセージを受け取る秘儀なのだ。

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コメント

OSHOは悟っても、盗聴器の有無さえわからなかった・・・・・・。

虫が知らせても、結局はちいちゃんの死は避けられなかった・・・・・。

必死になって求めている悟りでさえ、何かとてもちっぽけなものに思えて・・・なんか途方もない無力感・・・・・。

誰が何を求めているのですって?
「何にも知らない」という広大なスペースに身を投げ出すのならば・・・
そこでは知る人も求める人も失われてしまうかも知れませんね。

「未だかつて生まれたこともなく未だかつて死んだこともない」

そういう世界からわざわざこっちに意識をシフトして生活しているってこういうことなんですね。

こっちの世界にどっぷりとつかりすぎると後悔や悲しみの世界から這い上がるのに難儀するけれど、あっちの世界を瞑想によって少しでも体験していると後悔や悲しみを体験するのは同じだけれど、「全てはあるべきように在る」事に気づいてこの体験からもっと大きなものをひろって、這い上がるどころか飛翔することができる。

私たちはまさにその体験をしようとしてこっちにいるわけだし、その体験がそれぞれの個によって異なった色付けをされるってところがまたこっちの世界のこっちの世界たるべきところなんだろうな。

ちぃちゃんに出会ってちいちゃんと一緒に暮して・・・そして突然の別れ・・・。

お二人の文章からそれぞれのちいちゃんとの出来事エッセンスがほっこりと伝わってきて・・・すべてをひっくるめて人生って素晴らしいですね。

いまから思うと・・・

ちいちゃんは前回のリトリートの時、
私のいた部屋でよく寝ていましたが
「わたしの役目はもう終わりました。」
って感じに見えたんです。

ちいちゃんがいなくなってとても悲しいけれど、猪と戦うなんてちいちゃんらしい。
〔ごめんなさい〕


ちいちゃん、すてきな3年間をありがとう。

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