« おしらせ | トップページ | いつでも逢えるね »

ちいちゃんに感謝!

2011年8月22日(月) 曇り by キヨタカ

 お盆を実家で過ごした後、東京で個人セッションを行い、昨晩久しぶりに修善寺へ戻った。
個人セッションの合間に、ヨガビから電話があり、「ちいちゃんが逝ってしまった」というニュースが飛び込んで来た。

とてもショックで悲しかった。
非常に不謹慎かも知れないが、「フーマンが逝ってしまった」というニュースが飛び込んで来た時よりショックだった。

フーマンの場合、肉体次元とは別な所でいつでもフーマンを感じられた。
だから「逝ってしまった」という感覚が非常に希薄だった。
OSHOが「逝ってしまった」時も、同じ様な感覚だった。

しかしちいちゃんの場合、日常生活の一部に完全にとけ込んでいたので、自分の一部にすっぽりと穴が空いた感じ。
同じ屋根の下で暮らした肉親が亡くなった時の感覚と同じだ。

わずか3年一緒に暮らしたネコでさえこんな感覚に襲われるのだから、東日本大震災で愛する人を失った人々の痛みは想像するに余りある。
改めて、ご冥福を祈りたい。

ところで、今回の出来事で本当に有り難いと感じるのは、どんなに外側でつらく悲しい出来事が起っても、「私が在る(! AM)」という感覚は微動だにしない事を再認識した事にある。

外側に波風が立てば立つ程、 その背景にある「I AM」が燦然と光り輝く!

どんなに悲しい出来事も、どんなに嬉しい出来事も、この現象世界では全てが来ては去って行く。
それはちょうどスクリーンに映る映画の様だ。
映画のストーリーがどんなにドラマチックでも、背景のスクリーンはただ沈黙して微動だにしない。

本当の私とはストーリーではなく、ストーリーの背後にある「これ」なのだ。
今回の出来事で、I AMへ根付く事がより一段と加速化し始めた。

これは、ちいちゃんが私に与えてくれた、最高の贈り物だ。

ちいちゃんに感謝!

« おしらせ | トップページ | いつでも逢えるね »

ちーちゃん」カテゴリの記事

コメント

ちいちゃんが死んでも、「I AM」とか「これ」とか言っているキヨタカをみて、ちょっと安心した・・・・・。

ちいちゃんのご冥福を、こころから祈ります・・・・・。

ちいちゃんが膝の上で甘えながら、頭をなでてくれてるよがびじゃさんを見上げてる姿をみたとき、まるで桃のネクターを飲んだ時のように甘くて優しいかんじがしました。

そんな時間をすごしたちーちゃんは、幸せだったと思う。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« おしらせ | トップページ | いつでも逢えるね »

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ