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ハート

8月29日(月) 曇り時々晴れ by ヨガビジャ


富士見荘ではここのところ涼しい日が続き、秋の訪れを感じます。
 
Img_3512_4 今、庭には白ユリが咲いています。
 ちーちゃんが天国に行ってから、
 ちーちゃんが眠るモクレンの木の下には
 いくつ白ユリを飾ったでしょう。

 毎年この季節が訪れると思い出すのだろうな…
 って思います。
 白いユリは純粋で、軽やかに風に揺れて、
 私にとってちーちゃんのイメージにぴったりです。
今その花瓶には、ピンクのサルスベリの花も入っていて、純粋さに優しい温もりを添えてくれています。

もうちーちゃんのことは書かないつもりでしたが、先日キヨタカが、


キヨタカ:駐車場から歩いて来ると、富士見荘の玄関の横に干した運動靴が
     ちーちゃんに見えるんだよね。

     玄関から外に出る時も、ちーちゃんが中に入って来ないように
     いまだに足でガードしてるし・・・
     身体が覚えちゃってるんだよね〜。。


よがび:私もそう・・・ (;  ̄- ̄)( ̄。 ̄;)ボソ... 
 
 
という会話があったものですから。。
 
 
ちーちゃんが逝ってしまって以来感じる胸の痛みは、日を追うごとに和らいでいます。

でも、その痛みのおかげで、ちーちゃんがいなくなってからピンポイントでハートを感じられて、その奥のスイートさや深いスペースに自然にいることができます。

これはフーマンのワークを受け始めて以来、
フーマンに「いつもそこにいなさい」と言われ続けていてできずにいたこと。

もちろんちーちゃんのことに限らず、これまでの経験や時間の経過という要素もあって、今やっとその時が訪れただけなのかもしれませんが。


先日Star People の最新号が発売になったばかりですが、キヨタカは今すでに次号の連載の執筆に取りかかっています。次号ではフーマンが登場します。
夕べ遅くまでかかって一通り書き終え、私は今朝からそのプリントの見直しをしています。

その文章に目を通し始めると、初めて訪れたハワイ島で、初めてフーマンに出逢った時のことが鮮明に思い起こされます。

過去でさえ、思い起こすことを通して訪れる「ハートのフィーリング」は、今この瞬間のもの。

そこには時間など存在しません。
 
Img_3515 ちーちゃんも、フーマンも、

 ハートで感じる時

 今ここに在る。

 過去になんか存在していない。
 
 いえ、過去は、存在しない。
 
きっとハートは、時間も空間も超えているのだと思います。

私たちは今、限られた時間という概念を超える時に差しかかっているのだと思います。

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ちーちゃん」カテゴリの記事

コメント

過去でさえ、思い起こすことを通して訪れる「ハートのフィーリング」は、今この瞬間のもの。

そこには時間など存在しません

→本当にそうですね。
ヨガビジャ、いつもシェアリングありがとう。

スープリヤ

神様は手抜きをしないが時には冷酷。ちいちゃんと過ごせた楽しい時間にも、ちいちゃんを失った悲しい時間にも同じだけの恩恵が宿っている・・・・・と、理屈ではわかっていても、やっぱり悲しいよね・・・・・。

瀬戸内寂聴、「親しい人が亡くなっても、常にその人の気配を間近に感じることができる。」と言っていた。ちいちゃん、実際にまだ、ヨガビの周りをうろちょろしてると思うよ。リアルにコンタクトとれなくなっただけ・・・・・。

そして >ちいちゃんも、フーマンも、ハートで感じる時今ここに在る・・・・・それもまた真実。ちいちゃんは、いつもここにいる。

ちいちゃんは、いつもここにいる。

スープリヤ

こちらこそ、いつも読んでいただいてありがとう。^^

まあくん

神さまは、冷酷なように見えて冷酷ではないかもしれませんよ。あるいはその両方かも?
だって、もしちーちゃんがあの場所でなくどこか私たちが気づかない場所で死んでいたら、私たちずーっとちーちゃんを待ち続け、探し続けていたと思うもの。

実はね、まあくんが寂聴さんの言葉を書いてくれたから書くけど、おそらくちーちゃんが逝った頃?の夜、ちーちゃんは小山にいた私のところに来てくれたみたいなの。

夜、寝ていたのかうっすらと起きていたのかはっきりしないのだけど、私は突然「ちーちゃん?」って呼んだの。
そうしたら、紛れもなくちーちゃんの「にゃおーん♪」という声が聞こえて「あ、やっぱりちーちゃんだ♪」って思ったの。そしてそのまま眠っちゃったのだけどね。
今思えばきっとその時、ちーちゃんの気配を感じてそれを確かめたくて名前を呼んだのだと思う。

きっとこのちーちゃんが挨拶に来てくれたことが、私にとって今回の出来事を悲しみ一色の出来事にしないでいてくれてるの。

魂は転生する時、まるまる一個の魂が別の一つの生へと転生することは稀で、いくつかに分かれて他の魂へと混ざり合うという話を読んだことがあるの。
そう考えると、ちーちゃんの魂のかけらの1つくらいは、まだここのお庭をうろちょろしているかもしれませんね。。

フーマンの時も感じたけど、目にみえないのは寂しいけど肉体のありなしはあまり重要ではない気がします。
とはいえ・・・
ちーちゃんのおなかでもふもふしたいです。。(ノ_・、)グスン

ヨガビさんへ

「恋するしっぽ」という歌があるんです。この歌を聴くと、どうもヨガビ&チーちゃんをイメージしてしまう私です。
ユーチューブにあるので良かったら聞いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=AN71XHQhdvw

M さん

「恋するしっぽ」、ステキな曲ですね。
ちーちゃんは人間になりたかったのかな?

ほんとうに、ただ私の膝の上に乗りたいだけだったのかもしれない…そう思えるシーンがたくさんあります。

ちーちゃんがいるのが当たり前で、その当たり前がいつまでも続くと思い込んでいて、かけがえのないの一瞬一瞬を大切にしていなかったって、正直に今は後悔しています。
もっとちーちゃんの目線でみて感じて、一緒にいてあげればよかった。。

理性的でいようと思えばいられるけど、今はまだちーちゃんにまつわる感情を手放したくないみたい…。
自分でも潔くないと感じていて、ここに書くべきか迷ったけど、そうとしか書けないので正直に書きました。(/ _ ; )


気づけなかったという後悔。でも失ってはじめて気づいたものがある。
それってチーちゃんに出会ったから経験できたもの。
いつか、ヨガビさんが日誌に書いてくれた、雨の日にずぶぬれになった捨て猫。
あれがあったあとにひょっこりチーちゃんが現れたんですよね。
偶然にしてはできすぎた話で。
チーちゃんを失って得た気付きは、やっぱり恩寵だと思う。それは日誌を読んでいる我々にも痛みも含めシェアされています。ハートの痛み。人間だからこそ経験できるものなのかもね。

Mさん

ありがとう。

ちーちゃんとの出逢いも、過ごした時間も、別れも、悲しみも、気づきも・・・その前の死んでしまった子猫も、すべてが恩寵ですね、
きっと高い視点からみたら、なにも減りもしないし増えもしていないのでしょう。
ただあらゆる人の、というより生命の経験が、周囲から宇宙へと広がっていく。広がっていくものであれば、喜びや美しさの経験を自らの内に携えていたいものですね。

自分が気づいているものには後悔することができても、気づいていない事には後悔する事もないですね。相手、対象物に自分の思いとかがなければ何もないですね。仮に相手が感謝の気持ちを感じていても、又は傷つけられたと感じていても、自分に思い当たることがなければ「どうしてそうかんじているのだろう?」となりますね。いつも近くに一緒にいることで、そういった気持ちがわき起こるのですね。それが人間のすばらしさなのですね。

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