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こころのクセ

9月10日(土)晴れ by ヨガビジャ


『ブッタとシッタカブッタ』という、悩めるブタさんが主人公のマンガをご存知の方も多いかと思います。

Images_2 私は一時期このマンガにはまり、母をはじめ何人かの
 方にこの本を贈ったことがあります。

 その中の4コママンガに、
 「右下にして寝ると消化に良い」からと、毎日右下にし
  て寝ていたら、左側のほっぺたにくっきりと法令線が
  付いてしまった、瓜ふたつのブタさん親子」
 ・・・というのがありました。

 生きていると、あるいは、ある考えに捕われていると「こころのクセ」がついてしまう…というようなお話だったと思います。
(うろ覚え)


たまにこの日誌に登場する私の父は、もうすぐ80歳に手がとどきます。
男尊女卑の風潮が残るご時世の熊本の出身で、父の実家は祖父が亡くなるまでは使用人を使うような大きな家だったそうです。ご飯を炊く釜は男性用と女性用とに分けられ、女性は男性の食事が終わってから食べていたそうです。

さて、このような環境で幼少期を過ごした父にとっては、男女の関係は上記に象徴されるものであって然るべきであり、そのような「こころのクセ」が今もしっかりとついています。

そして、同じく熊本出身の母も同様の時代を生き、その頃からの女性として虐げられてきた想いを「こころのクセ」にして生きてきました。

このふたりの「こころのクセ」が、今を平和に生きることを不可能にしています。過去からのお互いを赦せない想いの積み重ねが、今も不満や怒りとして存在しています。


重たい深刻な話にしたくなかったので、今日はシッタカブッタ・ネタから入ってみましたけど、あまり効果はなかったかな?^^;


今朝久しぶりに母に電話をしたら、骨粗鬆症からくる骨のつぶれ?があるので(圧迫骨折までいかない)、杖を使うようにと整体院で言われたとか。

母がこんな状態でも、父は家事を手伝う訳でもなく横になって食事が運ばれてくるのを待つだけです。

ある人は、娘であるあなた(私)が、父親にゴミ出し等の家事を手伝うように伝えればいいと進言してくれましたが、それをすると逆に父のフラストレーションが母に向かうおそれがあり、それはしない方が無難であることは過去の経験から感じます。

こんな時は子供の頃から、なにもできない自分を無力に感じます。

これはうちの両親のストーリーです。
でも大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これは調和に満ち平和のうちに生きられない人類のストーリーの1つのように、私には思えます。

五井昌久先生は下記のように語っています。


***


人間は本来、

神の分霊(わけみたま)であって、業生ではなく、

つねに守護霊、守護神によって守られているものである。

この世の中のすべての苦悩は、

人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、

その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。  

いかなる苦悩といえど 

現われれば必ず消えるものであるから、

消え去るのであるという強い信念と、

今からよくなるのであるという善念を起し、

どんな困難のなかにあっても、

自分を赦し、人を赦し、

自分を愛し、人を愛す、

愛と真と赦しの言行をなしつ づけてゆくとともに、

守護霊、守護神への感謝の心をつねに 想い、

世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、

個人も人類も 真の救いを体得できるものである。


***


『どんな困難のなかにあっても、自分を赦し 人を赦し、自分を愛し、
 人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに…』

とあり、私もこれがあらゆる問題の唯一の解決策であると感じています。
でも、これがいかに難しいことであるかも同時に感じます。

何事もない平和の中ですべてを赦し愛することはたやすいでしょう。
でも病の苦しみの中や、災害に被災した時、また自分に対し理不尽な振る舞いをする人を赦すことは簡単ではありません。

しかし、私たちはその簡単ではないことを乗り越えない限り真の平和は訪れないことに、もう気づき始めているのではないでしょうか?

2000年以上も昔、十字架の上で自分を殺す人々を赦し、彼らのために祈ったイエスの愛と強さを、今、私たち一人一人が問われている気がします。
誰かの身代わりで幸せが訪れる時代ではない。

私たちの誰もがイエスのようになれる、それこそが私たちにイエスが伝えたかったことではないかと思うのです。
それが人類の可能性だって。


話が大きくなりましたが、日常のネガティブな状況の中で光(ポジティブ)に留まるということは簡単じゃないな、、、と、つくづく。

でも、負けないもん。

私も「こころのクセ」にアイロンかけよっと。。

シワ、イラナイ(ノ゜▽゜)ノ ⌒~ ポイッ!!

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コメント

不調和と見える出来事の奥に完全な調和を見るのはたやすいことではないですね。

でも、人生とはおもしろいもので《亀の甲より年の功》年を重ねてくると少しずついろんな矛盾をそのまま受け入れられることが増えてきました。

私の友人が昔は両親の不仲に悩んでいましたが、お父さんが先になくなりお母さんがそれから10年ぐらい後になくなりました。

両親がそろっていたときにお母さんからさんざんお父さんに対する愚痴を聞かされていた彼女が未亡人となったお母さんに「お父さんとの結婚生活は大変だったね云々」というとお母さんは必ず「いや、仲がよかった」と言い張ったそうです。

実際の状況を知っているからますます首をかしげる彼女。

人間っておかしなものです。

何をもって「仲がいい」というのかなんて深く考え出したら、世間のステレオタイプ的な心のクセがおぞましい決めつけにさえ見えてくる。

娘といえども第三者・・・本当の心のうちはわかりません。

どんな進言も功を奏さないということは、まさにその状況が最善ととるしかないですよね。

〇〇であるべきという心のクセをはずして現実をありのままに受け容れるという大きな大きな修行?をさせてくれるのは、やっぱりいちばん近い身内なんでしょう。

ハートはいつでもイエス。

受け容れ、ただともに在る。

キヨタカさんに西荻で教えてもらったハートのお話は私になんだかすごい変革をもたらしたようです。

心の平和・・・そして愛。

このふたつがマインドのようなクールさではなくハートの暖かさのなかで両立する。

今はそのような瞑想をこころがけています。

まだ、時々しかそこには行けないけれど・・・。

shineshineshineshineshine

よがびさんの明るくも真摯な探求に感動いたします。
それにコメントしたchappyさん、達人の言葉ですね。
今日は愉快だ、ワッハッハ。
Alolは1988年春にプーナにおりましたが、そのときBhagwan(当時)のZenの講話が始まり、またミスティックローズが始まった時期でもありました。キヨタカさんにはその時お世話になりましたことあらためて感謝申し上げます。合掌。

chappy さん

じつは私、もし父が先に亡くなったら、母はきっと「お父さんもいいところがあったのに…」と言いうのではないかと感じています。

私も若い頃は両親に限らず、相手の発する言葉をそのまま受け取り、悩んでいたり相談を持ちかけられれば真剣に考え、解決策を探した時期がありました。
でも次第に、発せられた言葉が必ずしもその人の本当の気持ちとはイコールではないということに気づき始めました。

私の目にどう映ろうと、すべてはその人が選択した生であり魂の計画に沿ったことと気づいたら、なんとかしてあげたいという私の「こころのクセ」は緩みました。

今は自分の中にクールさと暖かさの両方を感じます。
たまにそのどちらかが、もう一方の存在によって落ち着きのなさを感じている、そんな感じでしょうか。

不協和音が奏でる不完全さの中で、完全へと向かっているという意味においては最善がなされているのだと思います。

まあくん

scissors pig × 1 heart01

クルシイナ・ムルティこと Sw.Alol さん

文章にすることで、客観的にみることができるので
ここに書かせてもらっています。

自分で書いていて、

そういうオチ?( ・・;)

ってことも多々ありますが。。

キヨタカの頭は大容量ですが、
男性に関する記憶は欠落する傾向が・・・( ̄- ̄; )

yogabija さま

うん、わかる、その感じ!

(よくわからないけれど)まあくんと同じ scissorspig × 1heart01 を送ります。

scissors pig × 1heart01
   ↓
大丈夫♪ 悩める1ぴきのブタより。LOVE

こんにちわ。わたしはサニヤシンで白光でフーマンも好きな人です。五井先生の教義がのっていたので思わず感動しました。最近またOSHOに夢中でしたがふと五井先生の世界にもどると以前に見えなかったものがまた見えてきていつもOSHOと五井先生のあいだをブランコして生かされているわたしです。2年前に非常に折り合いの悪かった父に死なれましたが時間がたつにつれお互いにたましいの学びのために親子に生まれてお父さんご苦労様でしたとかしみじみ思います。OSHOも五井先生も深く突き抜けてゆくと日常生活のさりげないやさしさに帰着してちーちゃんじゃないけど街の公園のニャンコとかにパンくずとかやっておひさま見てたらしあわせです。いつも楽しいブログありがとうございます。

おとや さん

こんにちは。
コメントありがとうございます。
きっとOSHOと五井先生の間をブランコしながら、このお二人やフーマンが指し示す、同じひとつのものへと向かわれているんでしょうね。
そして、それを日常のさまざまなところで見出していく…。
みんな一緒なんだなって感じます。^^

ヨガ美ジャさん

まったくセンシティブで心優しい方々ばかりですね。
花の世の花のやうなる人ばかり。

挑戦的に論を戦わすのがクセの私は、子羊の群れの中に乱入していった猛獣(珍獣?)のように自分を感じました。
ギャオー!

Alolの本名は封印して(私の昔の悪業を知る人が出てくると困るので)、コードネームa101で再登場するかも知れません。

Alol さん

>まったくセンシティブで心優しい方々ばかりですね。
 花の世の花のやうなる人ばかり。

Alol さんの目にはそのように映るのですね。

花にもトゲがあったり毒があったりしますが、
それも含めて花として生きたいと思うこの頃です。

私も若かりし頃は、正しさを求めて自分の考えを人にぶつけたりしていました。(議論になるほど頭はよくない)

それぞれの人が、その時々で、在りたい自分を演じて、無意識に真の自分を探してるのかなって思います。

ヨガ美ジャさん

知ったと思うほどに、得たと思うほどに傲慢になっていた最近の私でした。

人の心を思いやってていねいに話されるあなたの言葉から多くのことを学びました。

まさかコメントを書くことがこんなワークになろうとは。

リトリートのことで忙しいのでしょうから、もう返信いただかなくて大丈夫ですよ。

ありがとう。

Alol さん

私もこの日誌やコメントを書くことで、たくさんのことを気づかせてもらっています。本当にありがたいことです。

ありがとうございます。^^ 

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