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2011年11月

光のサークル

2011年11月30日(水) 晴れ by キヨタカ

 「リーラのリトリートではフーマンの光をとても感じます」と多くの参加者に言われる。
とても嬉しい事なので「有り難う」とお礼を言うのだが、このリーラスペースに燦々と降り注ぐ「大いなる新しい光」は、実は「フーマンの光」そのものではない。

言葉には表現出来ないものなのだが、何かその背後にあって、OSHOやアジズやフーマンやジョン等々様々な覚者を送り届け続けてくれている送り主の光そのものなのだ。

フーマン自身、次の様に私に語っている。
もう10年も前の話だ。

「あなた自身の道は、私との直接の繋がりをだんだんと離れる。
そして、このワークの全く新しいレベルの展開が始まる。
その事を今詳細に述べる必要はない。
しかし、非常に違ってくるという事は知っておくとよい。

より高次の、より幅広い、より力強く大量のエネルギーに後押し されたワークが起こって行く。
そしてこのワークを遂行する人々が、「光のサークル」を日本で創 り始めるだろう。
日本で、光を保持する場が出来る。
…」

10年前は、半信半疑だった。
そもそも「私との直接の繋がりをだんだんと離れる」など想像すら出来ず、そう言われて非常に戸惑いを感じたものである。

だが年を追う毎にフーマンのヴィジョンが真実味を増して行き、今回のリトリートではその事をストレートに感じた。
初参加のUさんからメールを頂いたが、やはりこの事をしっかりと感じ取って頂いた様だ。
Uさんは何とリトリートの数週間前にリーラスペースを知ったばかりなのに、九州から遠路はるばる参加して頂いた。

「この光を感じるには、時間や場所は超越しているんだな〜」と、メールを拝見しながら感慨深かった。

* * *

こんにちは、Uです。
昨晩、無事に福岡に戻りました。

今回のリトリートでの体験は自分史に残るとても貴重なものだったと感じています。
体験記を書くのは時間がかかりそうですので、また追ってお送りしたいと思っています。

もともと涙もろい方なのですが、リトリート以来、輪を掛けて涙もろくなったようで、いい兆候だと受け止めています。

そういえば、今朝、ちょっとしたビジョンを思い出しました。以前、熱心にスピリチュアルなことを探求していたころにも同じビジョンを持っていたのですが、最近すっかり忘れていたことでした。
そのビジョンは、魂が共鳴する人たちが集い、自給自足をベースにした自立したコミュニティを作るというものです。
作るといっても、なにかプロジェクトを立ち上げて作り上げるというよりは自然発生的に人が集ってコミュニティに育っていくという感じです。

イタリアに「ダマヌール」というスピリチュアルなコミュニティがあるのですが、ご存知ですか?
以前、そのコミュニティの方と接点があって、その精神性や芸術性にすっかり魅了されたことがあります。

イタリア国内でも自治区として認められ、独自の通貨や法律をもっていて、とてもユニークです。
彼らのワークショップにも参加したことがあるのですが、非常に秘教的でヨーロッパらしさがプンプンしています。
実はそのワークの中での瞑想中に「I AM」という言葉(厳密には言葉ではなく、イメージでもないものでしたが)を感じたこと を思い出しました。その頃は何のことだか意味が判らずじまいでしたが、、、

なんだか取り留めのない話になってしまいましたが、何か点と点が繋がっていくような面白さを感じています。
いずれにしても、今は瞑想を続けながら、流れを見守りたいと思っています。

今回は本当に貴重な機会を頂きありがとうございました。
本当に満足のいく体験でした。

リクタさんのボディワークを受けなかったのが、今となっては悔やまれるのですが、それもタイミングだったのだろうと思います。次は機会を逸しないようにしようと思います。

あと、ヨガビシャさんともちょっとお話ししてみたかったです。

若干人見知りの傾向があって、きっかけを作って話しかけるのが苦手なもので・・・


ひとまず、お礼のメールとさせていただきます。
ありがとうございました。

ちーちゃんの居場所

2011年11月30日(水) 晴れ by ヨガビジャ


リトリートが終了しました。
リトリートの本題に入る前に、ちーちゃんのことについてちょっと触れたいと思います。

今回リトリートに参加された方がちーちゃんのお墓にお参りしてくださいました。お墓の場所をお知らせした時はなにも思わなかったのですが、リトリートが始まった後、全然お手入れされていないお墓にその方がショックを受けられたのではないかと気になりました。

実は1ヶ月前くらいから、お墓にお花を生けたりお水をあげるのを止めました。それはお花やお水をあげる時「ちーちゃん…」と話しかけるクセがついていて、そうしているとちーちゃんが、今でも冷たくて暗い土の中で眠っているように思われて抵抗を感じ始めたからです。
こんなことろにいつまでもいて欲しくないって。

たった今も、ちーちゃんを想うとハートは暖かいし、庭を歩けば透明なちーちゃんがトコトコ歩きまわっていそうな気がするんですよ。
本当のところはどうかは分からないけど、ちーちゃんにはここに縛られないでどこでも自由に好きな所に遊びに行って欲しいです。
好きならここにいてくれてもいいけど、ボディを持って転生してくれてもいいなって。

ここで書いたかしら?(最近忘れっぽくて…)
ちーちゃん、8月のある日ひとりでこの世を旅立った日の夜、小山にいた私の夢の中に挨拶に来てくれたんです。それは私の人生の中でとてもうれしい特別な出来事のひとつです。(死んでしまったことは悲しいけど)
ちーちゃんとは今でもハートで繋がれそうな気がするんです。

だからもうお墓はいらない。。
っていうか、少し前からイノシシがちーちゃんのお墓を荒らすようになったので、お墓の上に大きなクリスタルを置いたんです。そうしたらイノシシの被害はなくなりました。

絶対にね、、、死んだらおしまいじゃないって確信があるんです。
人も動物も。

物質としてのボディは失われて見ることも触れることもできないけど、
なにも変わらないものがある。
その変わらないもので満たされているのがこの宇宙で、
宇宙そのものではないかなって思って。
増えることもなく減ることもない。

不変が、滅ぶべき肉体(変)をまとい、個として顕われ、
様々な経験を経てさらなる多様性を生み、また個を喪失して消えていく・・・
宇宙ってすごいな。。

あ、ちーちゃんからこんなオチになるとは…。

つまりちーちゃんのお墓は、うちの手入れの行き届かないお庭の景色にすっかり溶け込んでしまっていますが、こういう事情からなんです〜・・・とお伝えしたかったのです。。^^;

Img_1540_2_5
 ちーちゃんは

 私の

 永遠の

 天使です♡
 
 
 (=^▽^=)ノ\( ̄∇ ̄*) 


予想どおり!

2011年11月29日(火) 曇り by キヨタカ


リトリートが無事終了した。
今だかつてない「大きな新しい光」が燦々と降り注ぐ、リトリートとなった。
Pちゃんの予想どおり10人を超える参加者が悟り(I AM)を体験。
参加者の感想を楽しみにしている。

つい数年前までは、「悟り」とは非常に特別な出来事でごくごく少数の優れた魂のみが享受出来るのもと思われていた。
しかしいよいよ、真摯に求める人には誰にでも与えられる時代が到来した!

その時代の先駆けとなったのが、今回のリトリートだったと思う。
非常にマイナーだけれども、地球の次元上昇に確実に貢献出来てとても嬉しい。

今までリーラスペースを応援して下さった方、そして批判して下さった方々にも、心より感謝します。

さっそくYさんから感想のメールが届いたので、アップします。

* * *

キヨタカ&ヨガビジャ さま

こんばんは。
リトリート、ありがとうございました。
すばらしくて、参加できて、ホントによかったです。


にもかかわらず、帰りの新幹線では、
マインドでぐるぐるになってしまっていました。
それに気づいたんですが、
すぐにマインドがやってきて、嫌になりました。

でも、新幹線の中を見ると、
リーラスペースのように、
座席も窓も肘掛も、何かの表示も、
何もかも、すべてのものが、くつろいでいました。
そこで、マインドどうしで、
「みんなに、くつろいでいるか聞いてみなよ。」と話し、
それぞれの物にひとつずつ聞いてみました。
「あなたも、くつろいでいるの?」
すると、すべての答えが
「くつろいでいるよ。」
「くつろいでいるよ。」と返ってきました。
そうしたら、
マインドどうしで、
「ほら、みんな、くつろいでいいるよ。」
「ふ~ん。じゃあ、わたしも、くつろぎます。」と
言って、静かになりました。
と同時に、キヨタカさんの、タイタニックの話を思い出しました。
マインドも、日本人だったんだなと笑えました。
タイタニックの話は、すご~く役に立ちました。

これホントのことですよ。

そして、すべてのものが、こっちを見ていて、
すごい圧倒的なエネルギーを私に向けてくれていました。
すっごい見られてる~。
瞑想しているときような、ふわふわというかそういう体感になって、
思考や感情が湧いてきても、
「にもかかわらず、くつろいでるし~。」って感じでした。
そして、今日職場に行っても、
もちろんずっとじゃないですが、途切れたり、マインドフル活動の時もありましたが、
そんな感じでした。
「にもかかわらず、くつろいでる」と何回も出てきました。
そして、そして
見ているものが、今までは、これはこれ、あれはあれという感じでしたけど、
今日は、つながっている感覚がありました。
そして、一瞬でしたけど、
人も、今までは、この人はこの人、あの人はあの人という感じでしたけど、
「あれ?みんなで?」というような分離のない感覚がありました。

日常生活の中で、「BEING」にくつろいでいると、
そこは、確かに安らぎに満ち満ちているんですが、
でも、すぐに、「つまらない」と思ってしまっていました。
これを、打破したいと思っていましたが、
そこでは、圧倒的なエネルギーがあふれるほど私に向けられていて、
今まで、エネルギー不足に悩んでいましたが、
それも、解決しました。

ホントにリトリートって、すごいですね。
でも、持続するかな?って不安になりますが、
にもかかわらずということで・・・。

もちろんタイタニックの話もおもしろかったですが、
ホッキョクグマの話は、知らなかったのもあり、
すご~~~~くおもしろかったです。
私も、冷え症です。
エヘヘ アハハ

また参加したいです。
ありがとうございました。

キッチンのスタッフさま
ハートのこもったおいしい食事をありがとうございました。
リクタさま、ありがとうございました。からだに愛を注ぎますね。

寒くなってきました。
お元気でお過ごしください。

* * *

PS タイタニック号とホッキョクグマのお話は、いずれ日誌で紹介します。
Yさん、素晴らしい感想を有り難うございます。










大きな新しい光

2011年11月24日(木) 晴れ by キヨタカ

 今日は富士山が美しい。
夕陽が燦々と降り注ぐ富士山を眺めながら、Pちゃんの言葉を思い出した。

Photo Pちゃんはリーラスペースの長年の友人だが、
 非常にぶっ飛んでいて不思議な存在である。

 先日遊びに来たPちゃんが、突然話し始めた。

 Pちゃん:「リーラスペースには、今
 大きな新しい光が降り注ぎつつあるんですよ〜」


キヨタカ:「へ〜、それは凄い。今度のリトリートで悟る人が出るんだね。」

Pちゃん:「うん。10人くらい…」

キヨタカ:「じゃ、私とヨガビの他に8人?」

Pちゃん:「いや、キヨちゃんとヨガビは既に悟っているんだよ!」

キヨタカ:「ああ、そうなんだ。まだまだOSHOやフーマンの様にはなれないけど…?」

Pちゃん:「でも、キヨちゃんはキヨちゃん。〜にもかかわらず、私は在るでしょ?」

キヨタカ:「あれ、それっていつか僕が日誌で書いた事だよ!」

Pちゃん:「そう、だからキヨちゃんはもう悟っているって事。」

キヨタカ:「じゃ、ヨガビも悟ってるね。それが悟りなら、簡単だね。」

Pちゃん:「そう。悟りって、とっても簡単なんですよ。キヨちゃんは悟ったんだから、エンライトメントを宣言するといいよ〜♪」

…等々の会話が延々と続き、実に不思議な時を過ごした。

「悟りを開く」とは、長年に渡って私の人生最大の目標であり最難関のテーマだったのだが、きっとPちゃんの言う様にとっても簡単な事なのだろう。

「私が在る」という事の目覚めが悟りなら、こんなに当たり前の話はない。

「エンライトメント宣言」などどいう事がジョークに聞こえるくらい当たり前の事だ。
だから、敢えて宣言する必要もないし、最近は悟りへの憧憬も消えつつある。

しかし、「エンライトメント宣言」をしきりに勧めるPちゃんの言い分もよく解る。

自分の立ち位置を、「マインド」から「悟り」にシフトして、悟った私として行動する事で、自分の在り方が大きく変化する事は間違いない。

明日から、今年最後のリトリートが始まる。

明日は新月で、新しい自分の始まりにベストのタイミングだ。

リトリート終了時には、参加者全員が「エンライトメント宣言」を当たり前にする事が出来る様な、素敵な瞑想フィールドとなる事を願っている!

それまで、しばらく日誌はお休みです。

リトリートに参加出来なかった皆さんも、ぜひ一緒に瞑想しましょう!

そして来週は、お互いに悟った私として再会しましょう!!


PS.リトリート参加者のみなさまへ

  最近は朝晩は冷え込むようになりました。
  暖かい服装を必ず1枚はお持ちください。 by ヨガビジャ

求めない

2011年11月22日(火) 晴れ時々くもりby ヨガビジャ


以前、キヨタカがこの日誌で取り上げた「求めない」という本があります。

5135tlqtil_sl500_aa300__3 この本は「求めない、すると…」という言葉で始まるシ
 ンプルな、詩集のような小さな本です。私が本屋さんで
 見つけて購入ししばらくはいつも持ち歩いていました。
 
 小山に滞在中のある日、リビングに置き忘れたその本を
 手に取ったキヨタカのお母さん、
 
あら~、文字が大きくて余白ばっかりで、損な本ね~。。。( ̄^ ̄)
 
 
そう、なかなか的確な表現です。^^;
 
 
でも、私にはその余白がシンプルな言葉を自分に浸透させる「間」であり、わずか数行の文字が並ぶページをめくっては目を閉じて、その余韻を感じることがとても心地よかったのです。
 
さて、もうずいぶん前になりますが、瞑想会に参加された方から電話があり一通りお話を伺った後、キヨタカはその方にこの本を勧めました。

そして数日後その方からファックスが届きました。
 
 
<お勧めいただいた「求めない」、読破いたしました>
 
 
『読破』という、この本にはかなり似つかわしくない文字に、私たちはファックスを手にしばし固まってましたっけ。。。( ̄。 ̄) (・_・)?


さて、最近になってこの本のことを調べていたら少し興味深いことが分かりました。
著者である加島祥造氏はすでにかなりのご高齢で現在長野県の伊那谷に在住。
この本のタイトルは「求めない」ですが、彼自身は仕事も女性も「求め続けた」人生だったのだとか。そのような彼が到達した「求めない」だからこそ、読者に深く訴えかけてくるのかもしれません。

間違えてはいけないのは、彼は「求めるべきではない」と言っているのではなく、自分が望む幸せ、本来の自分であるために「求める」ことは必要であり、それ以外の「求めること」が本当に自分が望む方向へと自分を導くのか?それを検討してごらん…という、一つの提案のように私には感じられました。

著者は「求める」ことと「求めない」ことのバランスが大切だといいたいのかもしれません。

きっと真の意味においてバランスできるのは、「求める」ことと「求めない」ことの、どちらの生をも生きた人なのでしょう。
右の端から左の端へと、まるで振り子のように。
両極を経験すれば、バランスする真ん中位置、もしくはその両方を超えたところを体感できるのではないかしら?

そのためには振り子のように、自らの生の自然な流れに身を任せればいい。
自分の衝動に導かれ…と言ってもいい気がします。

きっと、タオの流れはひとつじゃない。
間違った道などありはしない。
どの道を選んでも
いつかは海へと辿り着く。

・・・だから、自分以外の誰かの振り子にあわせる必要はないですね。
だってその人の振り子はその人自身のリズムで動き続けているのだから。

自分のリズムに逆らわない。
それが一番自然でたやすくて、私にとってのただしい道。

おばちゃんたち

2011年11月19日(土) 晴れ by ヨガビジャ


リトリートを前にして、昨日は掃除のおばちゃんたちが本館の掃除に来ていました。

たわわに実った庭のミカンをお裾分けしようと剪定ばさみとスーパーの袋を本館に持参し、
 
 
よがび:よかったらこれ(はさみと袋)を使って、
    ミカンを採っていってくださいね。
 
 
おばちゃん1:あら、今度イベント(リトリート)があるから、
       みなさんに食べてもらってください。
       私たちは後片付けの時に残ったのをいただきますから。
 
 
よがび:そうですか~。。お気遣いありがとうございます。

    (ミカンはうちのミカンではなくここの施設の庭のミカン)
 
 
と、この辺りから四方山話に入り・・・
 
 
よがび:最近Nさん(庭師さん)が来られなくなって、
    庭がちょっとひどいことになってますよね~。。
    イノシシも芝生を掘っちゃってるし。

    実は私、先月庭仕事をしてたらなにかの植物にかぶれて
    顔がひどく腫れてしまって大変だったんです。
    病院の先生からは「今後は庭の植物に触ってはダメ!」
    って言われてるから困っちゃって・・・(-_-;ウーン
 
 
おばちゃん1:あら、そうなんですか~、、、大変でしたね。

       そう言えば、まだ左の頬が腫れてますよね~。(* ̄ o ̄)
 
 
よがび:(内心/え? 今はもう通常の状態ですけど?( ・・;))
 
 
おばちゃん2:そうね、まだ色が残ってるわね。。。( ゜_゜)
 
 
よがび:(内心/えっ? そ、それはたぶん加齢シミ?( ̄- ̄; ))
 
 
     (-゛-メ) ヒクヒク 
 
 
よがび:・・・でも、これまでも何度も同じ庭仕事をしていたのに、

    なぜ急にかぶれたのか分からなくて・・・(^^;)
 
 
おばちゃん1&2:それは、更年期よ!! (* ̄ 。 ̄)ノ (つ ̄◇ ̄)つ
 
 
よがび:・・・・ ガーンッ!Σ( ̄□ ̄; )!!
 
 
おばちゃん1:仕方ないのよね~、体質が変わるから。。

       でも、◯◯さん(よがび)はそんな歳にみえないから~。。
 
 
おばちゃん2:ねっ♪  (^▽^)ノ\( ̄∇ ̄*) 
 
 
よがび:(内心/それ、フォローのつもり??・・・なワケないよね?)
 
 
 
そう・・・

これが加齢に伴う不可抗力な現象というのなら、
 
 
次ぎは <相手の気にしてることズケズケと言う>
 
 
おばちゃんたちと同じ症状が現れるんですね==!!!
 
      (*`<´)・:∴○==-
 
 
と声を大にして反撃。(内心)
 
 
だって、絶対勝てっこないもん・・・このふたり。(_ _。)

サポート

2011年11月19日(土) 雨時々強風 by ヨガビジャ


人はつくづく、ありのままの自分を無条件に受け入れられたいのだ…
と感じます。

最近私は知人から「あなたは笑う瞑想をするといい。そうするともっとパワーが出るから」と言われました。
もちろん私のためを思って言ってくれているのですが、私にはあまりピンと来なくて「そうかな〜…」と答えました。同時に少し胸が痛みました。

それは子供の頃「もっと活発でいなさい」とか「消極的ではいけない」と言われていた時と同じ感覚でした。
今の自分ではいけないんだ…と感じて、そこから私の自分を改善する長い旅が始まりました。
もっと積極的で明るい自分になろうとしました、とてもとても長い間。
いつも自分は十分でないと感じて、立派な誰かさんになろうとしました。

人は傍目にどんなに不完全に見えても(たとえ自分にその自覚があっても)、今の自分としてありのままに受け入れられることを望んでいる…
そう自分自身をみてて感じました。

すると今度は、自分が逆の立場のことを人にしていることに気づきました。

私は本当にその人に善かれと思ったことを相手に伝えようとしています。
でもそれは往々にして、今のその人のありのままを微妙な形で否定してるのかも知れない…そんなふうに思えてきました。

きっと多くの人たちが、他の人から(普通に)尊重されることを望んでいる。
そうでないと自分が無価値に思えてしまうから。

私の父を見ていて感じていました。
誰も自分を一人の人間として尊重しないから、自分を大きく見せなければ、、
人を否定してでも自分を高い位置に置かなければ…(これは私の投影?)

でも、それって悲しいですね。
ほかの家族からは「尊重に値しないことばかりするから…」と反論されそうだけど、人は先にまず、今の自分として尊重される(受け入れられる)ことで、実際にそのような人へと変化していく気がします。
立派だから尊重されるのではなくて、たった今の自分として尊重される。
順番が逆じゃない?って思えるんです。

受け入れられるためには、愛されるためには、尊重されるためには、
なにかをしないといけない。
間違ってはいけない。
失敗してはいけない。
今のままの自分ではダメ。

そんな思いが、不必要な緊張を自分自身や周囲の人間関係に作り出しているのではないかしら?
誰もが誰もに一人の人間として尊重されたい。
大袈裟なことじゃなくて普通にね。

最近人からの言葉だけでなく、自分が人に発する言葉や書いた文章の中に自分に向けられるべき言葉を発見します。きっとそれは最近始まったのことではなくて、ずっと前からそれはそこにあったのに私が気づかなかっただけですね。

Img_3764 ここのところ、
 とてもサポートを感じます。

 自分の向かうべき方向へと、
 そっと私の目を向けさせようとするサポートを
 感じます。

ジョブズの伝記

2011年11月18日(金) by キヨタカ

iPhoneやマックの生みの親、スティーブ・ジョブズの伝記を読む。
コンピューターとは正反対の世界を歩んで来たにもかかわらず、Appleの製品には妙に惹かれ続けていたのが不思議だったのだが、本を読んで納得。

彼は、若い時から東洋思想に傾倒していたそうで、インドを7ヶ月も放浪したり、禅に傾倒したり、菜食主義だったりと、青年時代は私と同じ世界に憧れ探究していたそうだ。

一時期は出家も望んだらしいが、禅の師匠に諭されて思い止まり、世間へ戻る。
ビジネスの世界でも人間関係(出生の秘密やガールフレンド等々)の世界でも、ジェットコースターの様に起伏の激しい怒濤の人生を歩み、56歳でこの世を去ってしまった。

彼の精神の大きな特徴の一つが、「反逆の魂」。
1984年に登場したアップルのコマーシャルは、全米に衝撃を与えたと言う。

こうした反逆性を、ネガティブにではなく創造的に発揮する事の出来たジョブズの人生は賞賛に値する。
1970年代、コンピューターとは管理社会をより効率的に支配する為の道具の象徴だった。

それが、パソコンという形で個人が気軽に使える様になり、インターネットの普及もあり、今や個人が社会体制を崩壊させ新しい世界を生み出すツールとして使われている。

残念ながら、ジョブズは個人解放の道具は提供したものの、個人が解放された後の社会を見る事なくこの世を去った。

人はそれぞれ自分に与えられた役割を果たすべくこの世界を訪れる。

世界は一見バラバラに動き混沌としている様に思えるが、実はたった一つの大いなる意志がその背後にある。

スティーブ・ジョブズはその大きな意志により突き動かされ続けた人生だった様に思う。

願わくば、このたった一つの大いなる意志が私の人生を導き、果たすべき役割を全うしますように!

トゥルシー

2011年11月17日(木) 晴れ by ヨガビジャ


デジカメが手元にあるとなんとなく楽しいです♪^^
 
Img_3659_2 友だちから譲ってもらった
 トゥルシー(ホーリーバジル)の花。

 こちらは
 庭でいっぱいのお陽さまを浴びて
 風雨に耐えて育ってる子。





Img_3663 かたやこちらは
 コップのお水にいけられて
 (根っこがちゃんとでてる)
 部屋の窓際で育ってる子。
  
 
 
 
 
 
同じ植物でも環境が違うとまるで別物みたいですね。

どちらも好きです♡


父の楽しみ

2011年11月15日(火) 晴れ時々曇り by ヨガビジャ


今朝、久しぶりに姉からメールが届きました。
 
 
『 おはよう。 今、ヒマ? 電話できる?? 』
 
 
うちの親、またなにかやった・・・?( ̄- ̄; )
 
 
というのがお決まりのイヤな予感。。

「電話できるよ」と返信した直後に鳴った電話に恐る恐る出てみると「先月は熊本行きご苦労さま!」と当たり障りのない話題に始まり、私は先日この日誌に書いたようなことをかいつまんで話しました。
姉は「大変だったね〜( ̄∇ ̄;)」と私の話を一通り聞き、最近自分の家族と周囲に起きている様々な問題を話します。
そのあまりにも盛り沢山の出来事(トラブル)に「そっちのがはるかに大変でしょ…(-_-;ウーン 」っていうのが正直な気持ち。

それでもまだこの電話の「本題」に入っていないことは明らで、、
戦々恐々たる思いでの世間話しもネタが尽き・・・
 
 
姉:ところで、、、
 

よがび:(内心/き、きた・・・ ドキドキ(`⌒´;) )


姉:そろそろ「おせち(親用)」を頼もうと思うんだけど、
  おばあさんからおじいさんがなにか文句を言ってるとか聞いてない?

  おばあさんがいらないって言うんだよね〜・・・
 
 
よがび:はい?(・・?) 
 
    (内心/なーんだ、そんなこと。。ほっ。)

    なにも聞いてないよ。
    っていうか、聞いたかもしれないけど忘れちゃった。(^^;ゞ

    まあ、おじいさんが何にでも難癖をつけるのはいつものことだから、
    そんなに気にしない方がいいよ。
    どんなに文句を言っていてもなにもないと寂しいでしょうし、
    おせちがあれば、おばあさんも少しは楽ができるでしょ?
 
 
姉:・・・そうか〜〜。やっぱり今年も贈るか。。( ̄- ̄; )
 
 
よがび:悪いね〜。( ̄∇ ̄;)

    ところで、今日はおじいさんの誕生日だけど、
    姉ちゃんたちはなにかした?
    せいちゃん(姪っ子)も今月誕生日だし、どこか行ったの?
 
 
姉:えっ!? すっかり忘れてた・・・( ̄□ ̄;)!! 

  せいちゃんのはもうこっちだけでやっちゃったよ。
 
 
よがび:えっーー!! そうなの!!!=( ̄□ ̄;)⇒

    おじいさん、
    先月の熊本から子供みたいにすごーく楽しみにしてたのよ。
 
 
    来月はどうするんかね〜♪♪ ( ̄⊥ ̄)  って。
 
 
    私も今年はバタバタしてて、プレゼントは今日届かないのよ・・・

    ちょっと、悲しいかも。。。
 
 
姉&よがび: どうしよ... (; ̄∇ ̄)( ̄- ̄; )
 
 
よがび:とりあえず、私は、「おめでとう」のメールを送って
    プレゼントは「もう少し待ってて♡m(__)m」って伝えるね。

    じゃ、そういうことで!(ガシャンッ!←受話器の音)
 
 
さて、どうしよ?(@_@;) 


どうやって、メールで最大限の「おめでとう♡」を伝えよう??

これから出掛けなきゃいけないし、時間がなーい!!(>_<)

 
それで考えたのがコレ。 ↓

1 どう? 伝わる??( ̄。 ̄;)
 
 
 
 風に飛ばされること3回の力作
              by よがび

秋の庭

2011年11月14日(月) 晴れ by ヨガビジャ


修理に出していたデジカメがやっと戻ってきました。
もちろん私のiPhoneでもちゃんと写真は撮れますが、やはりデジカメを手にするとなんだかウキウキして自然に被写体を求め外に出て行きたくなります。

今朝うちのお庭で見つけたもの。

Img_3619 これは「むかご」。
 「山芋の葉の付け根にできる小指の頭ほどの球
 芽」だとか。毎年この時期ここの庭の生け垣に
 巻き付いてる葉っぱにくっついています。これ
 を塩ゆでするとほくほくしておいしいです。

イノシシはこれを求めてうちの庭に出没しているかしら?
最近また庭がボコボコなんです。^^; 

Img_3622 こちらの柿は鳥さんの仕業。
 もう少し赤くなったら…と思っているといつもこ
 うなってます。。最近はうちの近所のあちこちで
 山を削ったり木を伐っているので、鳥さんたちの
 食料事情も厳しいのでしょうね。こんなに甘いも

のを食べられるのはこの時期だけでしょうから、どうぞ召し上がれ♪
 
富士見荘の脇の斜面にあった名前も知らない青い花。

Img_3632 Img_3633 Img_3642 
 
 
 

 
 
 
 
 
つぼみでも、開きかけても、咲いてても、花は花♪


神秘的な…

2011年11月11日(木) 雨 by キヨタカ

 恩寵とは Grace の翻訳ですが、フーマンが好んで使っていました。
キリストの言葉に「......天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上 らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからで す」(マタイの福音書 5-45)とあります。

たった今この瞬間に、私たちは神の「恩寵」と共にいます。それ は生きとし生けるもの全ての頭上に、平等に降り注がれているので す。
                  (恩寵の扉が開くまで より)

…とは言うものの、恩寵にはそれに気づくタイミングやそれにふさわしい場所などが存在する。

今週末に行われる新宿瞑想会や今月末の修善寺リトリートなどは、恩寵が降り注ぐ場を提供するのが目的の一つだ。

ところで今、新宿瞑想会に先だって、とある小さな湖畔に滞在中。
非常に神秘的な雰囲気で、精霊に満ち満ちた所だ。

今日は2011.11.11と1が6つも並んで、「新しい始まり」にふさわしいタイミング。
しかも今日は満月!
恩寵が燦々と降り注ぐ場として、これ以上は望めないロケーションだ。

 
Photo 今朝は雨も燦々と降り注いでいるのだが、
 これもまた静寂の湖を
 さらに沈黙の深みへと誘っている。
 
 
Photo_3 今週末は、この沈黙を瞑想会で分ち合いたい!

月と太陽

2011年11月9日(水) 曇り by キヨタカ

 今日は曇りで、富士山は見えない。
でも富士山は、雲の背後にリアリティとして始めから凛として存在している。
だから山岡鉄舟は、富士山を真我に例えた次の名言を残した。

 晴れてよし 曇りてもよし 冨士の山
  もとの姿は 変わらざりけり

この詩を読んで、直ちに雲(マインド)から富士山(真我)へと自己の同一性をシフト出来る人は幸いだ。

しかし、大抵のマインドは密かに呟く…

 「…理屈はわかるけど、でもやっぱり晴れた日の富士山の方がいいに決まってるよ!」

そして雲(マインド)を晴らすべく、あれこれと画策をし続ける。

そうするとエネルギーを雲に注ぎ続ける事となり、富士山は相変わらず雲の背後に隠れたまま、未来に顕われるであろう富士山を追い求める事になる。

本人は真剣にスピリチュアルな道を歩んでいるつもりなのに…マインドというマトリックスから脱出する事が出来ない。

マインドとは実に巧妙だ。

ところで先日、本棚を整理していたら、ふとラマナ・マハリシの下記の文章が目にとまった。

月をマインド、太陽をハートとしたアナロジーは、実にシンプルでダイレクトにハートに響いた。

* * *

月は太陽の光の反射で輝く。
太陽が沈んでしまうと、月が対象物を照らし出すのに役立つ。
太陽が昇ってしまうと、まだ空には月がかかっていても、
誰も月を必要としない。

マインドとハートの関係はそのようである。
マインドは、その反射された光によって役立つようになる。
それは対象物を見るために使われる。

マインドが内面に向けられると、
光明の源が自ずと光り輝き、
マインドは昼間の月のように役立たなくなる。

    〜ラマナ・マハリシの教え P106より〜

* * *

何から何まで 真っ暗闇よ
右を向いても 左を見ても…

と鶴田浩二の歌の様に、人生に苦悩し、もがき苦しむ事は実は悪い事ではない。
今の人生のままでは暗闇だと気づいて初めて、人は光を探し求め始めるからだ。

そうして真剣に探した人は必ず、一条の光を見出すだろう。
それが優れた本や教典やマスター達の教えとの出逢いだ。
そうした教えは、真っ暗闇だった人生に大いに役に立つものとなる。
ちょうど、暗闇を照らす月の様だ。

しかし月はそれ自身が輝いている訳ではない。
だから、月を照らす太陽を崇め奉らざるを得ない。

しかし本当の覚醒とは、自らが太陽となって光明燦然と輝く事だ。
するとマインドは、その力を失いどうでも良くなる。

それは、マインドに働きかけたからではなく、太陽が昇ったからだ。

光と闇の戦いとは、文学や映画でおなじみのテーマだが、実は光と闇とは本質的な違いがある。

光と闇とは共存出来ない。

どんなに深い闇でも、ローソク一本の光を照らせば闇は消え失せる。

闇は、光の前では全くの無力となる。


今、私達一人ひとりが、太陽として輝く時代が到来しつつある!
そしてそれが、またたく間に地球全体へと広がって行く!
そんな予感がして、ならない。

ヴァージョンアップ

2011年11月6日(日) 雨 by キヨタカ

私が愛用しているパソコン:Macはマニュアルを見なくてもなんとなく使えてしまう所が好きだ。
そしてユーザーがさらに使い易い様にOSを頻繁にヴァージョンアップしてくれるのも有り難い。
しかしこのヴァージョンアップには大きな問題がある!
それは古いソフトが使えなくなってしまう可能性が大いにある事だ。

だから今の最新ヴァージョンはOSX:10.7(Lion)であるにも関わらず、ずっと2世代前のOSX:10.5(Leopard)を使っていた。

しかし先日思い切ってヴァージョンを一つ上げてOSX:10.6(Snow Leopard)にしたところ、パソコンの体感速度が大幅に上がってとても感激!
しかし予想通り、いくつかの古いソフトが使えなくなった。

でもヴァージョンアップすると言う事は、古いものを手放すという代償を払う必要があり、そうあって然るべきなのだろう。

スティーブ・ジョブズ氏の革新的なアイディアや先進性をバックアップしているものは、「思い切って古いものを手放せる能力」にあると思う。
もちろんその為には様々な抵抗や痛みが伴うと思うのだが、その事を厭わない所が素晴らしい!

ジョブズ氏は、若い頃から禅や東洋思想に傾倒していたそうだが、禅で好んで説かれる「日々新たなり」という精神を体現していたに違いない。

瞑想とは、古い自分というソフトを毎日捨て去って、日々新たにヴァージョンアップする事だ。

もしも今日一日だけでも、古い自分を捨て去って新しい自分を生きる事が出来たら、その人の人生は大きく変容するだろう。

もしかしたら1時間だけでも、古い自分を捨て去ったら、新しい可能性が開けるかも知れない。

しかし、もしそれが数分間だったらどうだろうか?

さすがに数分間だけじゃちょっと無理かな〜と思っていたのだが、いやいや数分間で大丈夫かも知れないと思わせてくれる映画を今日見る事が出来た!

タイトルは「ミッション:8ミニッツ

映画の予告によると:

「乗客全員死亡」のシカゴ列車爆破事件― 犠牲者の〈死ぬ8分前〉に入り込み、爆破を阻止せよ!だがその極秘ミッションには、 禁断の真実が隠されていた…?!

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表面的にはSFアクション映画でその側面だけでも非常に面白い映画だが、その背後にあるメッセージ性はさらに深い。

「日々新たに」とは、毎日、毎時間、毎分新たにという事であり、究極的には「今に在る」事を、啓示してくれる内容だ。

ネタバレすると面白さが半減するので、余計な事は書かない様にしよう。

ぜひ映画館で見る事をお勧めする。

「マトリックス」や「インセプション」と同じレベルの作品に出逢えて、大満足!

で〜んとして・・・

2011年11月1日(火) 晴れ by キヨタカ


 Photo


今日は朝から快晴。
富士山の姿が実に美しい。

富士山は、で〜んとして、始めからいつでもそこにただ在る。

曇りの日や雨の日は、その姿は見えないのだけれども、やはりで〜んと存在している。

雲をマインド、富士山を自己の本性に見立てたアナロジーを、私は瞑想会でよく使う。

・・・にも関わらず、「ああ自己の本性は富士山と同じで、いつだってで〜んとただ存在しているんだな〜!」と、今日初めて発見した様な感覚が湧き起こって可笑しくなった。

自己の本性は、いつでも再発見し続ける事が出来る、新鮮なものだ。

「富士」は、「不二」とも書く。

「二つではないもの」「アドヴァイタ」「分割出来ないもの」つまり、「ワンネス」の象徴でもある。

さらには、「不死」とも書く。

死なないもの、始めもなく終わりもないもの、永遠の命の象徴だ。


私はどんなに頑張っても、で〜んと富士山の様になる事は出来ない。

既に始めからで〜んと存在している富士山へ、私は消え去るのみ…

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