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楽観的に

2011年12月14日(水) 曇り by キヨタカ

リトリートに参加するにあたり、是非読んで欲しい本がある。
それは、OSHOの「ディヤン・スートラ〜瞑想の道〜」

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これはOSHOがまだ世界的に有名になる前、直接瞑想リトリートをリードしていた頃の講話記録だが、瞑想に対する基本的心構えのABCを語っている。

瞑想初心者の方はもちろん、長年瞑想をしている方にも、お勧めする。

特にその本で述べられているポイントの一つ:「楽観的」である事、は見落とされがちだがとても大切な要素だ。

伝統的な瞑想修業は、非常に重く深刻になってしまう事が多い。

誠実ではあるが、深刻にならずに「楽観的」である事。
そして瞑想で「起った事」に感謝してそれを育み、「起らなかった事」についてエネルギーを注ぐ事をしない事、が瞑想のコツだ。

Uさんはこの本をしっかり読みこなしてから参加されたそうで、初参加ながらとても実りあるリトリートとなったようです。

Uさんの、体験記を紹介します。

* * *

初参加だったリトリートで体験したことをシェアしたいと思います。

初日はプレゼンスにフォーカスした瞑想でした。

独りで瞑想しているときは「恐らくこれがステイト・オブ・プレゼンスの状態ではないか?」という些か自信のなさが付きまとっていたのですが、初日の瞑想が始まって間もなく「やはり、これだな」という確信が持てました。

プレゼンスの状態がどういう状態なのか、あるいは自分がプレゼンスと感じているものが本当にそうなのか自信が持てない方にとって、なぜ確信を得たのか、何を感じたのかという部分が一番知りたいところだと思うのですが、なかなか言葉に落とし込むのは難しく、体験を通して感じていただくのが一番ではないかと思います。

はっきりと言えることとして、独りで瞑想をしているときは非常に集中する努力が必要だったのですが、この集中がさほど必要なく、あっさりとプレゼンスの状態を感じることができたということと、必死にならずに信頼して委ねてしまう方が楽だということです。

今回のリトリートに参加するにあたり「楽観的」であろうしたことが、とても役に立ったと感じています。

これはOSHOの「瞑想の道」に書かれてあることで、リトリートに望むにあたってこの本を事前に読んでおくことはとても助けになることが多いのでお勧めします。

OSHOは言っています。

「この三日間は、ごく楽天的な気分を保ちなさい。今晩寝るときは、楽観に満ちて眠りにつきなさい。そして明日の朝起きたら何かが起こるだろう、何かが起こるはずだ、何かが為されるはずだという確信とともに眠りなさい。」

私はこれまで様々なワークショップへ参加したことがあるのですが、どうしても結果や成果を期待しすぎてしまい、期待通りに「起こらないこと」にフォーカスしてしまい落胆することが多かったように思います。しかしOSHOは「瞑想の道」の中で「起こること」にフォーカスすることを推奨しています。どんな些細なことでも「起こること」にフォーカスすることで体験がまったく違ったものへ変わるように思います。

OSHOは以下のように言っています。

「この三日間は自分に起こることだけを考えるように--起こらないことに思いをめぐらせてはいけない。この三日間、何が起ころうとも見ていなさい。そして起こらないことは忘れてしまいなさい。実際に体験したことだけを覚えておくこと。もしささやかな安らぎ、静寂を味わったのなら、それをはぐくみなさい・・・」


数度の瞑想のあと、キヨタカさんから声をかけていただきマンツーマンで状況をヒアリングしていただきました。

ヒアリングは2日目にもしていただきましたが、このヒアリングがとても助けになります。

ケアしていただいているという安心感は直ぐに信頼感となり不安や疑問を簡単に手放すことができたように思います。


2日目はビーイングにフォーカスした瞑想でした。

独りで瞑想しているときに数度だけ「ふわっ」と広がる感覚のあと、とても心地よさを感じることがあったため、「これがビーイングじゃないか?」というふうに思っていました。
この「ふわっ」とした感覚は文字通りの感覚でとても独特な感じです。

実はこの体験が落とし穴となりました。
リトリート2日目の瞑想中に、どこかで「あの感覚」を求めてしまっていました。あの感覚が再現されれば、それがビーイングの状態だという確信が持てるという「期待」をしてしまっていました。しかし、なかなかあの「ふわっ」とした感覚は訪れず、それどころかプレゼンスの状態さえ希薄になったかのように感じ始めていました。

このとき、「これまでのワークショップと同じで、何も起こらないのではないか」という不安がよぎったと同時に、OSHOの言葉を思い出しました。起こらないことに思いをめぐらさずに・・・、楽観的に・・・。

そしてそのとき、チベッタンボウルの音が「ゴ~ン」と響きました。
(午後はチベッタンボウルを利用した瞑想でした)

「あぁ、懐かしい響きだなぁ」と感じながら体の力がすっと抜けていく気がしました。

そして、気づくと自分の感覚がとても大きくなったように感じました。
「ふわっ」とした感覚はありませんでしたが、この心地よさは以前に体験したものと同じものでした。独りで体験したときの広がりは体を覆う程度(両手を広げたよりも少し広い程度)だったのですが、このときはもっと大きく、ちょうど参加者の方々が座っている円陣と同じくらいの大きさに感じました。

まるで雲の中にいるような感じで、とても平和で居心地の良い空間でした。
同時に「やっとたどり着いた」という感覚とともに涙が溢れてきました。

ずっとこの状態に留まりたいという思いとは裏腹に少しずつその心地よい空間が薄らいできて、「もう終わりか」と思っていると、またチベッタンボールの音が「ゴーン」と響きます。そして、またその濃密な空間の感覚が戻ってきました。

何度かそういう揺らぎを感じつつ、その瞑想は終わりましたが、しばらくその恍惚とした感覚は心地よく残っていました。

3日目はハートにフォーカスした瞑想でした。

独りで瞑想してきたなかで唯一これまでに「これだ!」という体験がなかったのがハートに関する体験でした。
ただ、瞑想中に胸に冷たい(逆に熱いとも言えるかもしれないですが)雫が触れるような感覚だけは感じたことがありました。

3日間を通して、これまでに体験したことのない瞑想方法の連続だったのですが、笑う瞑想のあとに行った泣く瞑想のときに、ちょっと不思議な体験をしました。

しばらく座っていると周りの参加者の方々の泣き声がとても悲しく響いてきました。
そして共鳴するように私自身もとても悲しい気持ちになってきたときに、何かの「意識」を感じました。

とても慈悲に満ちたその「意識」も悲しんでいるかのように感じられたと同時に、その愛情の深さに涙がこみ上げてきました。
瞑想中のどのような体験に対しても客観的であるべきだという考えがよぎって努めてプレゼンスを保とうという意識が働いたのですが、結局その時は委ねました。

そして、その慈悲のなかに神性を感じた瞬間、総毛立つ感覚と共に暖かなベールで全身が覆われたような感覚を覚え、「どうぞ私をお使いください」という思いがこんこんと湧き出てくるとともに涙が溢れました。

以上が3日間のリトリートの体験です。

そして、リトリートが終了してから1週間後、興味深いことが起こりました。

まるで岩に水が染み入るようにリトリートで体験したことが日常に浸透してきているように感じます。
ただ歩いているだけで、見慣れた風景がとても新鮮に感じられ、とても柔らかくて優しくて暖かい心地よさで満たされたように感じたり、接する人がとても優しく親切に感じられたり、出会った人をハグしたくなるような衝動に駆られたりと、なんだかとてもピースフルな感覚がときおりジワっとやってきます。

さらに、体にも変化がありました。

気力も体力も充実していて活動的な気分なのですが、突然の腰痛と風邪で安静を余儀なくされました。腰痛が治ったかと思うと今朝は寝違えたかのように背中の筋が痛み右腕が上げづらくなってしまいました。
まるで、「静かにしてなさい」と言わんばかりです。

体ともしっかり向き合う必要があるようですが、どうも要領がわかりません・・・。
今後はもうちょっと体にも目を向けてみようと思います。
それから、口にする物にも気を配る必要がありそうです。


初参加のリトリートでしたが、本当にすばらしい機会を得たことに感激するとともに、リトリートを提供してくださった皆さんに感謝しています。

今後もあまり一喜一憂することなく淡々と瞑想を続けていきたいと思います。

ありがとうございました。


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感想」カテゴリの記事

コメント

体験談の掲載ありがとうございます。

HPで紹介されている「天と地をつなぐ者」をまだ読んでいないので、近々読んでみようと思います。あの「世界人類が平和でありますように」というフレーズが子供の頃からお気に入りで、神社に参拝するときには、自然とあのフレーズが心をよぎります。なので、完結編に五井さんや神道の話題が出たときは何だかニンマリしてしまいました。

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