« 愛すべき日常 | トップページ | バシャール »

瞑想会で感じたこと

2012年8月21日(火)晴れ by ヨガビジャ


初めてハワイでフーマンのセッションを受けた時のことです。


フーマン:そこ(ハート)にはたくさんの深さがあるのを感じますか?

     そこに深く入って行きたいという欲求はありますか?


ヨガビジャ:・・・戸惑いがあります


フーマン:はい、わかります

     恐怖がある… 

     傷があるのです

     しかし、それを開いて取り除くと、

     あなたは自然に

     深く深くハートに行っていることを発見するでしょう


***


これは私に限らず、多くの人の状況なのだと感じます。


今回瞑想会での質疑応答の時、日常のある問題のために悲しさと無力感を感じていると話された方がおられました。

お話を聞いているとその方の痛みが感じられてなにか楽になる言葉や理解を探したのですが、その時は見つけることができませんでした。


私たちのハートは傷つきます。

何度かその痛みを体験すると人はハートで感じることを止めてしまったり、自分を守る強固な防壁を作りマインドで武装したりしてしまいます。
すべては自分自身を守るためのものだったはずが、いつの間にかハートそのものを忘れ去り、マインドが、防壁そのものが自分だと思い込み、それを疑うことすらしなくなります。

でも、たとえ忘れ去られてしまってもハートは私たちが思い起こすことを待ち続け、それがゆえに私たちに歯がゆさや満たされない感覚、焦燥感などを通して訴えているのだと思います。

しかしそれをそれと認識するまで、私は長い長い時間を要しました。


ハートには様々な層があます。

その表面の部分は感情の層であり、傷つくのはその部分です。

でも、その層のさらに奥にはより深いハートが存在し、さらにその奥には個人を超えたユニバーサルなハート、神聖な次元に属するハートへと繋がっているようです。

ハートはとても神秘的です。


ハートに痛みがある時、最初私たちはその痛みの原因となっている(と思われる)外側の問題や相手を改善しようとします。でも、たとえひとつの痛みに対処できたとしても、すぐに次ぎの痛みがやってきます。そしてまた問題に対処して、痛みが消えて・・・。これはいたちごっこです。

次に、私たちは痛みそのものを癒そうとします。
でもこれもさっきと同じ理由でいたちごっこですね。


そして、少しずつ気づき始めます。

傷つき、痛みを感じているまさに今、痛くない私がいる、と。


今回の瞑想会でも、気づき(プレゼンス)よりハートを開くことが先ではないか?との意見が聞かれました。

でも、気づきの目覚めが十分でないままハートが開くことは、十分な強さを持たないまま花が開くようなもので、ちょっとした雨や風で散ってしまったり、閉じてしまわざる得なくなります。また、気づきのない状態では「自己」の感覚が曖昧なので、感情レベルで起きていることと同化してしまい感情=自分となってしまうこともあります。

冒頭に紹介したセッションの数回後のセッションの中で、
 
 
 あなたはもっと強くならなけらばならない
 
 あなたはもっと明晰にならなければならない
 
 
そうフーマンは語っていました。
 
 
この強さ、この明晰さこそが、気づき(プレゼンス)に属するものだと私は理解しています。
 
このプレゼンスさえあれば、
どんなにハートが乱されても踏み止まることができる。
  
このプレゼンスとくつろぎ(ビーイング)が融合することで、
より深遠なハートを感知することが可能になる。
 
 
フーマンの語ったように、すべての人はユニークです。

でも、私はこれまで自分が歩んできた経験上多くの人にとっても、プレゼンス→ビーイング→ハートの順で進むことが自然な流れと感じています。
もちろん、今いる地点はみな違うので多少の前後や、人によっては一度に同時に起こることもあるでしょうけどね。
 
 
痛みは大切ななにかを指し示してる
  

痛みから逃げないで とりのぞこうとしないで

それを受け入れ それとともにあることで

それを突き抜ける瞬間がある
 
 
ハートの奥にはさらにハート

広大なひろがり
 
 
それを知ったとき

すべての痛みも問題も

存在しない

わたしもいない
 
 
今回の瞑想会で感じたことです。


ご参加していただいたみなさま、

ありがとうございました。<(_ _ )>

« 愛すべき日常 | トップページ | バシャール »

イベント」カテゴリの記事

コメント

ヨガビジャさん、こんにちわ!
ワンデーイベントではお世話になりました。

ハートのお話、とても興味深く拝見させていただきました。

ハートの事で思い当たることが。
私は去年の10月に目覚めの体験をして(それが目覚めだとはすぐ受け入れられなかったのですが)、数か月穏やかであまり腹立たない状態が続きました。

が、今年の春あたりからまた前のような苛立ちが目立つようになり、そのたびに気づきに戻ってジャッジせずにやり過ごしていました。
おそらくこれがハートが閉じるって事なのかと。

最近大きなネガティブな波が来て、最初はそこに呑みこまれそうだったのですが途中で「チャンス!」と気づいたのでそれをただ感じるままにしました。

そのネガティブがまだ完全になくなったかは不明ですが、いまはとても穏やかで何気ない事に幸せを感じますヽ(´▽`)/

いつも素敵な写真をありがとうございます。
癒されます♪
「よがび」って響き、ツボですww(*≧m≦*)

レン 様

瞑想会にご参加いただきありがとうございました。
また、このブログをいつも見ていただいて
ありがとうございます。<(_ _ )>

目覚めの体験の後には、
何度も波が来ては返すように
さまざまな内的状態が訪れますね。

でも時間が過ぎるにしたがって
その波の間隔が広がっていき
波があることすら
気にならなくなる時が
訪れるような気がしています。

そんなプロセスを
一緒に進むことができる
お仲間がいることは
うれしくて楽しいことですね♪

今では「よがび」は気にいっていますが、
最初「ヨガビジャ」の名前を手にした時は、

濁音、いっぱい・・・

どうしよう…? ( ̄⊥ ̄lll)

と思ったんですよ。。

>濁音、いっぱい・・・

どうしよう…? ( ̄⊥ ̄lll)

と思ったんですよ。。

そうだったんですかー( ̄ω ̄;)

私は「ヨガビジャ」という名を本で見た時はステキって思いましたよー

でも平仮名で「よがび」ってーーー(笑)
瞑想会と全然違ってオチャメだなーって思いました( ´艸`)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 愛すべき日常 | トップページ | バシャール »

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ