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2012年9月

深海魚バーガー

2012年9月29日(土) 晴れ by キヨタカ

 今日から実家。

実家へ向かう途上で、沼津漁港へ立寄る事に。

お土産に、名物のあじの干物を買うためだ。

実家の栃木県は海なし県なので、ここの非常に新鮮なひものは、ご近所の方々が絶賛している。

沼津港の駐車場の脇に新しく「沼津バーガー」なるご当地バーガーショップが立ち上がったので、立ち寄った。

Img_0463

駿河湾はあじと深海魚が名物で、あじバーガーと深海魚バーガーがメニューにあったので両方をオーダー。

Img_0466

あじバーガーは魚独特の臭みがあり好き嫌いが分かれそうだが、深海魚の方は非常にさっぱりした味で美味しかった。

Img_0469

日本全国何処へ行っても同じ様なバーガーショップしかないので、こうしたご当地バーガーショップはぜひ応援したい。

次回も立ち寄る事にしよう。

最近、この沼津漁港は活気づいていて、大勢のお客さんで賑わっている。

バーガーショップのすぐ脇に、「沼津港深海水族館」もオープン。

Img_0471

いずれ、ここも覗いてみたい。

深海魚が泳いでいる姿を見てしまうと、深海魚が食べられなくなってしまうかも知れないけど…。

 

大瀬崎

2012年9月27日(木)晴れ by ヨガビジャ


台風が近づいているなんて知らず、大瀬崎に行ってきました。

ここは日本屈指のダイビングスポット。
強風の中、まっ青な海の波間に数人のダイバーがいましたが、多くのダイバーは浜に上がって(?)思い思いに海を眺めたりしていました。

ここの海の青さ、透明度といったら、泳げない私でも潜ってみたくなります。
実際に以前、天気のいい日に海に突き出した堤防の上から海を覗き込んだら、色とりどりの熱帯魚のような魚やウツボ(!?)までいてびっくりしました。

今回は1、2年ぶりかな?
岬の先端にある大瀬神社に向いました。
 
『大瀬崎一帯は、約百三十本のビャクシンに覆われ、樹林を形成している。
 ビャクシンの樹林としては日本の最北端で、イブキの品種であるビャクシン
 が自然発生のまま、このように群生している所は、全国的に見てもまれで
 ある。』
 
ということで、

Img_8088 これがビャクシン。

 この木の向ってすぐ右側が海で
 何百年もの間、今日のような強風に耐えて
 立っていたんでしょうね。
 強風に押されながらも
 踏ん張ってる姿は力強いです。

さて、まずここに来たら「神池」の食欲旺盛なコイたちにエサをあげます。

Img_8053 エサの自動販売機。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


私が池に近づくと池からも私に近づくものたち・・・

(注意!
 魚の大群が苦手な方は見ない方がいいかも。
 夢でうなされるかもしれません…)

Img_8067_2 大丈夫な人だけクリックしてね。
 たくさんの口がぱくぱく迫ってきます。
 
 
Img_8082_2 今日の富士山。

  
 
 
 
 
Img_8084 海は大しけ。

 正面の山並みの右側、天辺が平らな山が
 箱根・駒ヶ岳、その左が神山。
 一時はよく通ったけど
 最近は行ってないな〜、また行こうっと。。
 
 
 
 
 
 
Img_8095 大瀬神社のからす天狗さん。
 この風はあなたの仕業ですか??
 って感じの風情でしょ?

 ここのお社の彫り物は本当に見事です。
 
 
Img_8098_2 龍。
 
 素材が木であることを忘れてしまいそう。
 
 
 
 
Img_8099_5 獅子。

 すごい・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_8100_3 参拝を終え参道に向うと
 海は一層荒れていて
 参道まで波しぶきが上がってました。

 波の合間を見計らって一気にダッシュ。
 濡れないで済みました。
 
ダイバーたちはすでにみんな浜に上がってました。


風はいい

潮風はいい

海はいい

青空はいい

陽の光はいい


私の体の細胞の隙間を
通り過ぎていく

滞ったエネルギーを運び去ってくれる

軽やかになる


ありがとう。また来るね。。

ブラインドネス

2012年9月25日(火) 曇り by キヨタカ

 「見ても見ず、聞いても聞かず」とは、キリストの有名な言葉であるが、その言葉は教えと言うよりも目が見える賢者であるが故の「嘆き」に近いものがある。

「悟れば悩みがなくなる」と思う人も多いが、実際は違うかもしれない。

確かに、目が見えない事による個人的な悩みは終わる。

しかし目が見える様になると別な悩みが始まるらしい。

それは目が見えない人々に対する悩みであり、見えるのに見ようとしない人々を救えない嘆きの方がはるかに深いだろう。

ではどうやって、見ても見ない人を救うか?

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もっともダイレクトな方法は、実際に一時的に目を見えなくする事だろう。

それが非常に熱心で過激なユダヤ教徒であったパウロの身に起ったと言う。

キリスト教徒を迫害するためダマスコへ向かう途上で、突然キリストに呼びかけられ、目が見えなくなってしまう。

盲目の中で彷徨うパウロに対して、キリスト教徒のアナニアが神のお告げによりパウロの為に祈ると目から鱗のようなものが落ちて、再び目が見えるようになる。

まさに「目からウロコ」が落ちたパウロは、改心して聖者となりキリスト教発展の基礎を作った。

そんなキリスト教的バックグラウンドを下地に描いた映画:ブラインドネスを見た。

Photo_2

「全世界失明〜恐怖の伝染病、地獄と化した街、生き残るのは誰なのか」と、典型的なパニック映画風に宣伝されているので、その手の映画を期待すると裏切られる事になる。

失明の原因が解明されないまま終わるので、謎解き映画を期待する人もがっかりする。

さらに、人間の極限状況の暴力やエロスも抑え気味ながら描かれていて、「えぐい」描写も多い。

だから、好き嫌いが極端に分かれる映画だろう。

まさに、英語の「provocative 〈言動などが〉人を怒らせる; 物議をかもす」という表現がピッタリの映画だ。

しかし最後は、救いと癒しがしっかりと描かれているので、謎解きを期待しなければ後味も爽やか。

映画の中にスピリチュアルなメッセージを読み解く事が好きな人にとっては、必見のおすすめ映画だ。


目が見えない絶望と再び目が見える事の喜びは、人生を根本的に変容させる衝撃的体験だ。

実は、私にもそれに近い事が起こった体験がある。
失明に対する恐怖だ。

小学生の時からあまり視力は良くなかったのだが、中学生の頃から少しづつ視界が悪くなった。

高校生になると次第に視力が失われ、失明の恐怖に怯える日々が続いた。

手術すれば治るという事は解っていたのだが、当時の技術では失敗の可能性が高く、どの医者も手術を引き受けてくれない。

一途の望みを託して全国の名医を探し、ようやく奇跡的に名医のW先生と巡り合い、リスクを犯して手術に踏み切ってくれた。

Img_0405_4

手術後初めて眼帯を外して、景色を眺めた時の驚きと感動は今でも脳裏にしっかりと焼き付いている。

青い空、白い雲、赤い花に緑の木々…見るもの全てがサイケデリックで活き活きとしている。

それまで地獄の日々だったので、あたかも天国が訪れたかの様だった。

「目が見えれば 他に何も要らない。このままで幸せだ!」と、しみじみと目が見える喜びに浸った。

しかも、遂に巡り会って手術をしてくれたW先生が、実は小学一年生の時に最初に診察してくれた方だった。父の勤務する会社の診療所に来てくれていたのでいつでも会えたのだが、そんなに優れた名医だとはつゆ知らず、他の名医を求めて全国を彷徨していたのである。
長い間探し求めていた青い鳥を自宅で発見した様な、とてもミステリアスな感動があった。

しかし、一週間もするとその感動が薄れ始めてしまい、一ヶ月もするとその感動の痕跡すらなくなってしまった。

目に衝撃を与えない様に激しいスポーツが禁じられ、少年時代からの憧れだった柔道部を辞めざるを得なくなった。

そこで勉強に打ち込もうとしても、入院中に授業が進んでしまい、落ちこぼれそうになり焦りだけが募った。

手術で目が見える様になった喜びよりも、手術しなければならなくなった境遇を嘆く様になってしまった。

せっかく手術で目からウロコが落ちたのに、いつのまにか再び目に貼付いてしまったのである。

もし当時、パウロみたいに本当に失明していたら、再びウロコが貼付く事も無かったのかもしれない。

しかし、ウロコが剥がれた時の感動だけはしっかり脳裏に刻まれていたお陰で、あの感動を再び取り戻すべく、スピリチュアルな探究が始まった。

そしてそのウロコを剥がす最良の方法として、瞑想というものが与えられたのだから、随分と回り道をしてしまったけれども、私の場合はそれで良かったのだと今は納得している。

 

朝です

2012年9月24日(月)晴れ時々曇り by ヨガビジャ


Img_8007 まるい今日の空
 
 
 
 
 

Img_8011_2 葉っぱの裏
 
 
 
 
 
 
Img_8019_2 ミクロの入り口 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_8029_3 朝のひかり

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_8039 つながってる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おはよう。 ^^

真逆

2012年9月23日(日) 雨 by キヨタカ

「人生が変わりますよ」の一言で参加を決意されたMさんから、感想のメールを頂きました。

期待とは真逆の事が起こったそうですが、必要な事が起こった事を充分に理解されたようです。

リトリートで起こった真実の体験は、日常生活に戻ると、なんだか夢を見ていたかのように感じる事がよく起こります。

でもこうしたリトリートや瞑想会に参加して真実を体験し続けると、やがて日常生活こそが「夢」だった事がわかるでしょう。

すると、真実への確実な成長が起こり始めて、人生が変わった事を実感します。

ぜひまたリトリートに参加して下さい!

ーーーーーーーーーーーー

キヨタカさん&ヨガビジャさん
こんにちは^^

リトリートでは、お世話になりました。
以下は、修善寺日誌に掲載される事を前提に書いちゃいました (*⌒∇⌒*)テヘ


さて、新宿ワンデーイベントでの深く寛げる体験がとても素晴らしかったので、リトリートはその寛ぎが継続する場だと期待していました。

それがスタートしてみたら真逆で、ハートは閉じるし、普段出来て当たり前の事が出来なくなり、記憶障害のような状態にも陥り、三日目までほとんど寛げず、身体はだるいしノーマインドと交互に?去来するマインドはネガティブの嵐になって、こんなのまっぴらだ!後泊なんて申し込むんじゃなかった!早く帰りたい…と思ったりもしました(笑)

その渦中の二日目に個人面談でキヨタカさんから輪ゴムの話を聞いてもピンとこなかったのですが、全ての瞑想セッションを終えた三日目のティータイムのシェアリングから、今回ハートが閉じたのもノーマインド症候群(笑)になったのも「姿を変えた恩寵」だった事、リトリート期間中ずっと毒出し(浄化)をしていた事が分かって、そこからは毒出しなら出し切るまで仕方ない…と受け入れ始めました。

後泊の夜、特別ゲストによってすごい共鳴が起きている…らしい(笑)最中、しょうもない思考が走っていて、“な〜んだ、こんなしょーもない思考が走っていても良いんじゃん♪はははははは。”となりました。そこに、“期待するような”境地はありませんでした。それは視点が切り替わる喜びとして、日常に体験していた事でした。そしてキヨタカさんに新宿ワンデーイベントでの体験は境地だと聞いて、パワースポット巡りならぬ境地巡りはもう終わりにする時期なんだと分かりました。

そのあと女子部屋では楽しいお喋り…がいつの間にやら、根付いていた自己否定にガンガン気付かせて頂き、翌朝は何かに5時に起こされ、朝日に照らされ赤みがかった富士山や、プカプカ浮かぶ雲を従えた周りの山々を見た時には、穏やかな喜びがやってきました。
それから温泉、朝食、ティータイムに帰りの電車まで、皆さんとの会話を通して、表現する事を止めるモノとそれによって封印してきたモノがパラリ…パラリ…と出始めました。

今まで、素晴らしい状態の時と、マインドに巻き込まれている時のギャップが大きくて、マインドに巻き込まれている時をダメな自分として否定していたのはマインドでした。直感がやってきても選別して止めてきたのもマインドでした。そのマインドが変容するために、今回、導かれたように思います。
まだマインドは変容中で時折大暴れしていますが、今までは自己の本性が現れる事で解かれていたマインドとの同化に、“これはマインドだ”と指摘出来るようになってきました。境地がやってきてそれが去ると、そこにいたいのに…とまだ思いますが、そう思うのもマインドだと認識できるようになってきました。

キヨタカさん&ヨガビジャさんを中心にあの場に集まったスタッフの皆さん、同じ参加者の皆さんお一人お一人が、シェアリングや会話を通して、また鏡となってマインドの変容を促してくれて、時に小さな自己は苦しかったけど、奇跡のようなこの巡り合わせと皆さまお一人お一人に感謝しつつ、「人生が変わる」のに必要な事がリトリートで「起こった」と思います。後泊して本当に良かったです(笑)

ありがとうございました。

皆さまへの感謝の気持ちが伝わりますように…。
「リトリートで人生変わりますよ」の一言が気になって参加したMより

p.s.
今は、その体験も丸ごと夢だったような(希薄になっている)感覚もあって、上記文章を送るのは止めようかとも思ったのですが、似たような状況になる方もいらっしゃるかもしれないので…(それは私自身かもしれませんが)………。

I AM で一切がととのう

2012年9月22日(土)  晴れ by キヨタカ

 「一切事は不生でととのう」とは、江戸時代のマスター:盤珪禅師の有名な言葉だ。
有名とは言っても、禅の伝統そのものが消えつつある現代の日本では、あまり馴染みのない人も多い。

17歳で出家した盤珪禅師は、非常に激しい修業に打ち込むが、その修業が半端ではなかった。
飲まず食わず眠りもせず一週間も坐り続けたり、川の中に立ったまま修業したり、岩の上に坐り続けたために痔に悩まされたり…。

坐禅=苦行という風潮があった当時は、リーラスペースの様な温泉付き瞑想ホールも無いからその様な修業方法も仕方がないけれども。

とにかく、身体を無視してあまり熱心に坐禅をしたため肺結核になり死の直前まで追い込まれる。

ところがそこで大転換が起こり、「全ては不生であった」事を悟る。

やがて「不生禅」と言われる禅風で、大名から庶民にいたるまで多くの人々に法を説いた。

Unknown


「仏心は不生にして 一切事はととのいまするわいの」とは、魂に響く名言だ。

他にも…様々な名言を残している。


「迷わにゃ、活きた仏でござるから、悟ることもいりませぬ。仏になろうとするよりも、仏で居るが造作がなくて近道でござるわいの」

「今、この場にござる衆は、一人も凡夫(ぼんぶ)はござらぬ。みな人々、不生の仏心ばかりでござる。凡夫でござると思わしゃる方がござらば、これへ出さしゃれ。凡夫は、どのようなが凡夫でござると、言うて見やしゃれ」

等々

いつも熱心にこの「不生」というものを説いていたそうで、

「毎日同じ話ばかりしないで、時には人の心もさわやかに入れ替わるような、因縁故事物語でもして下さい…」と頼まれても、

「そのような事を示すは、人に毒を食わせるようなものでござるわいの。」と断言している。

ややもすると、古今東西の真理の言葉を流暢に立て板に水の如く話すマスターが凄いと錯覚しがちだが(…少なくとも私の場合そうだった)、こうした盤珪禅師のシンプルな言葉は深く魂を揺さぶるものがある。


真理とは、実はとてもシンプルなものだ。

この世で一番シンプルだけれども、絶対に否定出来ない真実、それが「私が在る」という実在だ。


I AM で一切がととのう。

悟ろうとするよりも、I AM で居るのが、造作がなく近道だ。

得るものよりも…

2012年9月20日(木) 晴れ by キヨタカ


「私が在る」とは、非常にシンプルで自然で当たり前の事だ。
それなしでは他の全てがあり得ない貴重なもの。
だから覚者はそれを「貴重な宝物」と言い、「求めよ!さらば与えられん!!」と言い続ける。

しかしその貴重さは、「ダイヤモンド」や「黄金」のそれとは違う。
それは「水」や「空気」の様な、いやそれよりも当たり前に存在する「重力」の様なものだ。

非常に当たり前だから、日常生活においてそれを意識する事は殆どない。

だからそれがそれと解っても、これが求めていた答えであるとは信じ難い。

「何か他にある」と思い込む。

これが、探究者がほぼ必然的に陥る罠だ。

参加者のMさんから、感想のメールが届いた。

どうやらこの罠から抜け出し始めた様です。

* * * *


リーラスペース御中

 お世話になりました!

 今回も、得るものがとても多かった、というより、手放すものがとても多かった3日間でした。


 自分は、「I AM」というものを甘く見てしまっていた! ——
 このことを、キヨタカさんとの話などを通じてはっきり知ったことが、今回の最も貴重な経験です。

 「私が在る」「あらゆるものに先立って存在する主体」「これ」——が本当の私であることに、疑いはありませんでした。
 そして、私が在ること自体が、説明することのできない奇跡であるということも、全くその通りです。

 とは言え、実感できる「I AM」の性質は、至福とか叡智と呼ぶにはかなり程遠い、平板なものでしかない…。
 「これだけのはずがないだろうし、いつか、その素晴らしすぎる本質をうかがい知る瞬間が訪れるに違いない」——。
 といった道筋を、頭のどこかで思い浮かべていました。

 ある意味で、「I AM」の状態のさらに先を求めていたんですね。
 「I AM」を一段と絶対的たらしめる、何かを望んでいた。

 でも考えてみれば、そんなもの、あろうはずがない!
 

 そして、今回のリトリートで以前より深く理解できたのは、もうひとつ別の観点からとらえた「I AM」の性質についてです。

 「I AM」は、もちろん「ただ在る」ものだけれど、黙って静止しているだけではない。
 私たちが「I AM」にとどまることによって、それは真の人生を創造して導いていく性質を発揮する、ということです——。

 これも、確かに当然の仕組みなのかも知れません。
 「I AM」が自らを経験的に知るために、この三次元世界をわざわざ創造して転生しているわけだから、人生の流れを「I AM」に100%ゆだねれば、いわば宇宙の意思にかなう形に、自分のあり方や周りの物事がおのずと創造されていくはずでしょう(僕個人の解釈ですけど)。

 ——そんな理解をふまえると、平板とも感じられる「I AM」に安心して寛いでいられます。
 人生の展開を「I AM」にまかせ、自然に起こることを許していられる。

 すると自分が、以前とは確かに違う次元に根ざしていると感じられます。


 「I AM」の探求は早々と修了。そして「I AM」としての人生を生きる道へ、ぱぱっと進級!——。
 そんな歩み方も、可能な時期になったのではとも思えます。

リトリートの後

2012年9月20日(木)晴れ時々曇り by ヨガビジャ


雨が降ったり止んだり晴れたり、今回のリトリートは目まぐるしくお天気が変わりました。

Img_7861_2 後泊翌日の夕焼け
 
 
 
 
 

Img_7875 今朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7887_2


 
 
 
 
 
Img_7904_2 庭木に巻き付いていたつる草
 
 リトリートが開けたら
 撮ろうと思っていたもの
 残っててよかった
 
 
 

 
 
 
Img_7963 ちょっと季節外れの
 グラジオラスが咲きました
 
 
 

 
Img_7969 
 
 
 
 
 

Img_7974 
 
 
 
 うるおって
 満たされた感じです

感動的な余韻に…

2012年9月19日(水) 雨 by キヨタカ


 リトリートが無事終了。
予想通り、今回は非常に特別なリトリートとなった。

後泊の夜には、サプライズ・ゲストも登場。
I AMの波動がリーラスペース全体に共鳴して、それが全宇宙に共振し広がって行く感じがした。

それとは逆に進化を促す高次元の波動が、リーラスペース全体に共鳴して、それが個々人のI AMを目覚めさせて行く様にも感じた。

大宇宙という視点からは砂粒よりも小さな私だが 「私が在る」という真実は 確実に全宇宙に影響を及ぼしているという手応えと同時に、いつも全宇宙からバックアプされているという感動に浸っている。

さっそく、Iさんからリトリートの感想を頂いたので、アップします。

* * *

キヨタカさん&ヨガビジャさん

3日間本当にありがとうございました。

あの場所と時間は、真実の自己を求めた純粋な方たちに囲まれ神秘的で、愛に溢れていて、今も感動的な余韻に浸っています。

おそらく世界中の人があの場所のような意識で暮らしていたら世界平和も容易に実現できるなと思うほど。。。

普段の生活に戻るとまず自分はなんて重いものばかり食べていたんだ!
とか考えさせられました。
それぐらいリーラスペースでの食事は健康的で身体に優しく美味しかったです。

リクタさんのボディワークでは1時間半が15分くらいに感じられ、ものすごくリラックスした結果、我が家にいるような心地になりました。

ワークの最中はハートの波動がものすごく感じられ細胞がリフレッシュした感じがしました!
終わった後リクタさんの目を見るとこの人は愛の人なんだな。。
と思いました。

一言だけどとても深いお言葉ありがとうございます。
自分の痛みと向き合いまたそれらを癒していきたいです。

今日会社に向かう途中、リトリートによりハートが開いて繊細さが増したせいか植物や木々、朝日の光が違って見えました。

その美しさとあるがままの純粋な姿を伝えてくれているようでした。

会社に行ってもあの感覚を想起するだけでパワフルで平然としていられます。

ノーマインド症候群で忘れ物もしますが。。笑

シェアリングの際にも言いましたが、ダイナミックのカタルシスの後、世界は過ぎ去って行ってしまうけれど、この「わたしが在る」だけは永遠に普遍なんだと感じ すべては神のわけ御霊の現れで木々も植物も昆虫も、自分もすべてひとつなんだ、背後にある「これ」は一緒なんだよ、という理解ができて、悟ってなくても、不完全でも、幸せでも、不幸でも「これ」は自分が生まれる前から、死んだ後も在りつづけるんだと
実感できました。

そして死の瞑想の時に、虹色のシャボン玉みたいな光が大きな光に吸いこまれていくビジョンが見えて、「なんで?(ここに来たの?)」と尋ねると、「そうなるようになっていたんだ。」という理解のメッセージが降りてきて、「ああーいいんだ。全部。」
と思いました。

すべてを明け渡すと言うか、、神さまだとか、taoだとか、宇宙意識だとかわかんないけれど、大いなるものに全部任せておけば、、と理解しました。。

自分の中で心を整えて、その時がきたらまたリトリートに参加させて頂きますのでよろしくお願い致します。

バスケをやっていてダイナミックでは少し自信があったのですが、やはり筋肉痛になってしまい、悔しいのでまたトライしたいです。笑

P.S 絶版になっていたTao老子の道(下巻)を定価で購入できたのでめちゃくちゃ嬉しいです!!

OSHOの言葉や語りは魂に火を付けますね!

それ以外にもキヨタカさんのお気遣いひしひしと感じております。。。

LOVE I

今日からリトリート

2012年9月15日(土)晴れ by ヨガビジャ


(昨日、日誌はしばらくお休みです…と書かれてましたが、、)


今日からリトリートが始まります。

今朝まだ暗い中を清掃のために温泉棟に向いました。

1時間ほどが経って温泉棟から出ると、空は白み始めていました。

虫の音とひんやりとした空気に包まれ、整備された庭や準備の整った施設全体を見渡して、これは奇跡だと感じました。

手入れが行き届かずイノシシに荒らされたこの庭を、数日前からボランティアで整備しに来てくれた人たちがいました。
ここに来るずっと前から食事のメニューを考え買い出しに行き、参加者を迎える準備を整えるスタッフがいました。

これは奇跡ですよね。

あたりまえのことじゃない。

参加されるひとりひとりの方も同じだと感じています。

たくさんの人の意識がここに向かって、物理的にもエネルギー的にもあるフィールドが生まれ、ひとりひとりがそれぞれの体験をして分ちあう。
それは「している」というより「起きている」ことのように感じます。

私たちはこの地上にいて、一本の木や草花と変わらないように存在している…

そんなことを感じた朝でした。

参加者のみなさま、お待ちしています。。

明日からリトリート

2012年9月14日(金) 晴れ by キヨタカ

 明日からリトリートに入るので、しばらく日誌はお休みです。

いつもリトリート直前は準備でバタバタして余裕がなくなるが、今回は例外かも…

Img_0450_4 昨日はヨガビの○×回目の誕生日で、
 スタッフとささやかなお祝いをした。

 このお目出度い雰囲気の中で
 リトリートが出来るので、なにやら今回は
 非常に特別なものになりそうな予感がする。

完結してる

2012年9月12日(水) 晴れのち曇り by ヨガビジャ


『・・・いつだって

 瞬間瞬間の自分をとりまく状況の中で

 無意識にあるひとつの反応をしがちだけど、

 どの瞬間にだって

 自分が選択することができる

 無限の可能性が開かれてるんだよ 』
 
 
 
そうだよね〜。。。( ̄∇ ̄*) 
 
 
 
***
 
 
夕べ真夜中に目が覚めて、明日はスタッフが到着するから、朝あれをして昼までにはこれをしよう・・・とか思ったら
 
こんなん ↑ が きましたけど。。


補足説明いたしますと、

<今の状況には→こういう行動>というふうに、私は自動反応的にひとつの選択肢しかないように考えて動いてるけど、どんな状況の中にでも<無限の選択肢>があるってことらしいです。
 
 
 
ふーん・・・ ( ̄。 ̄)

 
だったら、明日は朝少し早起きして、また写真でも撮ろうかなあ
 
そう考えた方が楽しいぞ〜♪
 
 
っていうか、、
 
 
 
冒頭の『お言葉』くれたの、どちら様?( ̄∇ ̄;)
 
 
 
ハイヤーよがび?? ヾ( ̄^ ̄)ノ
 
 
 
そして、「そうだよね〜」で終わるあたりが、
9月6日の日誌(夜中の会話)と同じで、私的には面白くていいなあ。。

一回の会話のやり取りで終わる完結編。
 
やっぱり完結女だ。
(「夜中の会話」コメント欄参照)

「人生が変わる」リトリート!?

2012年9月11日(月) 晴れ by キヨタカ

今週末からリーラ瞑想リトリートが始まる。

初めて参加される方に対しては、事前に電話でお話をしてリトリートに関する疑問等にお答している。
そうする事で、よりスムーズにリトリートに参加出来るからだ。

昨日初参加のMさんと電話した。

M:「新宿の瞑想会に参加した時の帰り際に、リトリートで人生変わりますよと言われた一言が気になり参加する事にしました。誰にでもそう言っているのですか?」

キヨタカ:「ええ、ま〜リトリートはパワフルですから3日間参加すればその後の人生が変わる方は大勢いまして…」

…と、ちょっとしどろもどろで曖昧な返事をしてしまった。

電話を切った後でよくよく振り返ってみたのだが、通常は「人生変わりますよ!」という瞑想の勧誘や約束は出来るだけ避けるようにしている。でも、確かにあの時、面と向かって一言ポロリと話した事を鮮烈に覚えている。

自分の意図と関係なく私の口が勝手にポロリと真実を話すという事が瞑想会でよく起るが、その典型だと思う。


瞑想に関心がある人に対して、「人生変わりますよ!」という勧誘や約束をしないようしているには訳がある。

瞑想には、本人の魂が目覚めを希求して起る内発的なエネルギーが絶対に必要だ。

だから商品を売るのとは違って、そもそも「勧誘」には馴染まない。
また瞑想とは、今ここにくつろぐ事だから、未来の「約束」にも馴染まない。
さらに、瞑想の準備が整っていない人が瞑想をしてもあまり良い結果は起らない。

場合によっては、逆に人生を不幸にしてしまう事も多々ある。


私の場合は、瞑想の勧誘を受けた事は全くない。
むしろ「瞑想なんかに関わるな!」という周囲の(両親や友人や職場の上司など)意見の方が圧倒的だった。

当時サラリーマンだった私は、会社帰りにOSHO瞑想センターに足しげく通っていたのだが、当時の瞑想リーダーも「今はまだ会社を辞めない方が良いですよ」と親切にアドヴァイスしてくれた。

にも関わらず会社を辞めて、瞑想の世界に飛び込んだ。

その結果、人生が劇的に変わった事は確かだ。

しかしいったい何度、瞑想の世界に飛び込んだ事を後悔したことだろうshock

「今度こそ悟ろう!」と固い決意を胸に秘めて、アメリカやインドに旅経って…半年後。

成田空港へ帰ってくるだびに住む場所も仕事もなくて、「はてさて、これからどこでどうやって生活しようか?」と途方に暮れた。

結局、毎回成田空港近くにある友人のK宅に泊まらせてもらうのがルーティーンとなった。

私の今後の行く末を気遣うK君の言葉に耳を傾けながら、住む家も仕事も家族もあるK君が羨ましかった。

そして「あ〜、会社を辞めていなければ今頃は…」と後悔の念に駆られたのである。

あの時、「瞑想すれば人生変わるよ。会社なんか辞めちまえ!」とサジェスチョンした人がいれば、「私の人生返してくれ!」と、殴り込みに行ったかも…?


私が瞑想を始めた頃は、未来に明確な目標を定めて頑張る人が成功するというピラミッド型の社会構造になっていた。
周囲を押しのけてでも頑張って夢を達成する姿が賞賛され、「巨人の星」を目指す事が格好良い時代だったのである。

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瞑想家も、刻苦勉励で頑張って修業して超能力を獲得してピラミッドの頂点に君臨する様なマスターがもてはやされた。

だから、「あるがままに寛ぐ」タイプの瞑想スタイルは、その時代には合わなかった。

もちろん、昔から伝統的にそんな生き方をする人もいた。

小さい事は気にしないで、流れる雲の如く、飄々と人生を生きる人々。

しかしそうした人々はごく例外で、社会システムからはぐれた、「浮浪雲」だった。

Photo


しかし時代は大きくシフトし始めている。

特に昨年の東日本大震災を契機に、従来の社会がガラガラと音を立てて崩壊しつつある。
あらゆる分野で、過去に成功して来たと言われる人々の輝きが失われつつある。

その変わりに、全く新しいエネルギーにしたがう人々が輝く、新しい時代が到来し始めている。

より柔軟で繊細で、頑張る事をしない。

自分も他人も批判せず、あるがままを受け入れて今ここを楽しむ。

目標はあえてたてないけれども、いつの間にか物事を成し遂げてしまう。

頑張らないけれども、決して怠けているわけではない。

自分の喜ぶ事に全エネルギーを注いで、その結果として人生が思う様に…ではなく思いの及ばない様な素晴らしい人生が展開して行く。

そして、毎日が驚きとワクワクの人生となり、愛と喜びと感謝の日々を過ごす。

この新しいエネルギーにそった人生を生きたいのならば、そのエネルギーにシフトする為の内的な科学的技法こそが、リーラ瞑想リトリートで行っている事だ。

だから、これからは「このリトリートに参加すれば、あなたの人生が変わりますよ!」と堂々と宣言しようかな?と思っている。

ハートの手

2012年9月10日(月) 晴れ by ヨガビジャ 


リトリートに向けて、恒例の布団を干しをしています。

次ぎはあれやってこれやって… ε= (; -_-) と考えごとをしながらパタパタときれいに刈られた芝生の上を歩いていたら、なにか光るものが落ちてました。

Img_7761 鳥の羽
 
 
 
 

 
Img_7765 
 
 
 
 
 

Img_7780_2 そばに咲いてた
 つゆ草の
 黄色いおしべに
 
 こちょこちょって
 くすぐられた気分 

 手が伸びてるみたいに
 見えない?

 ハートの手

環境整備

2012年9月10日(月) 晴れ by キヨタカ


昨年までは、この施設の環境整備はNさんが一手に引き受けてくれていた。
ところが高齢の為に昨年引退し、業者に依頼する事にしたはずだが諸般の事情で殆ど来ない。
(…諸般というより、オーナー側の金銭的事情なのだが。)

庭は荒れ放題でリトリートも危ぶまれる状況になりつつある。

そこで、リトリートスタッフが一日早く来て環境整備をする予定なのだが、とても追いつきそうにない。
そこで、別途リトリート常連のMさんと古い友人で元庭師のAさんに応援を依頼。

2人ともプロ級の腕前で、予想を遥かに上廻る仕上がりとなった!

Photo


庭の手入れが行き届かず、様々な問題が山積しているが、特に最近頭を悩ませているのがイノシシ対策。

施設内に頻繁に出没し、破壊の限りを尽している。

先日は、通路の敷石を完全にひっくり返してしまい、あたかも重機で舗装道路を剥がした工事現場の様。

復旧しようとしたが、バラバラになったコンクリートやブロックを上手く復元出来ず全くのお手上げ状態に。

Photo_3


しかし彼らのお陰で、あっと言う間に復元!
美しい環境が蘇ったのである。

富士山も顔を出して、リトリートの準備も万全だ。

夜は近くの温泉施設でゆったりとした時間を過ごし、瞑想談義に酔いしれた。

9月に入ったとは言え日中はかなり暑くて大変な作業だったと思うが、2人とも仕事そのものをとても楽しんでくれた。
11月のリトリートに合わせてまた来てくれると言う。

実に有り難い。

Photo_2


奇跡みたいに

2012年9月8日(土) 晴れのち曇り by ヨガビジャ 
 

Img_7708 いつも私の足元にある世界
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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Img_7724 
 
 
 
 
 
 
Img_7728_2 
 それが見えるときと
 
 見えないときとが

 あるんだな


 

ご連絡

2012年9月6日(木) 晴れ時々曇り by ヨガビジャ


リトリートに参加されるみなさまにご連絡です。

今回から個別にメールやお電話で「白い服」のご用意をお願いしています。

これは白という色が神聖な次元に開いていくのにふさわしい色であること、また多数の人が同じ色を身に着けて集うことである種のエネルギーフィールドを生み出すことができる色だからです。

もし上下とも白で揃えることができればいいのですが、もし下がなけれが上半身だけでも構いません。
白っぽい色であれば、Tシャツでもポロシャツでもブラウスでもなんでも結構です。

一日に1〜2回静かに坐る瞑想時に着用しますが、そのタイミングはスケジュール表に明記します。また、それ以外の時間の服装は自由ですので動きやすく楽な服装をご用意ください。(汗をかくこともありますので少し多めに)

それから、室温が高い場合はエアコンを使用しますが、坐る位置によってはエアコンの冷気がきつく感じる所とあまり効かないところがあります。ですから、もし「ショール」など簡単に羽織れるものをお持ちの方はご持参下さい。温度調整がしやすいです。

以上です。

初めて参加される方で分からないことがありましたら、お気軽にお問い合せ下さい。

このリトリートは修行ではありませんので、3日間を快適に過ごせますよう、連絡させていただきました。<(_ _ )>

夜中の会話

2012年9月6日(木) 晴れのち曇り by ヨガビジャ


昨日、深夜にふと目が覚めました。

朝や夜に限らず目が覚めた直後に、目が覚める直前まで夢を見ていた自覚のある時があります。あるいは、おそらく体は休んでいて頭だけ覚めた状態なのか、なにかを一生懸命に考えてた…感覚とともに目が覚める時もあります。

昨日はそのどちらでもなく、突然目が覚めた瞬間頭の中は完全にまっ白で、目が覚める前もまっ白だったみたいなんです。(これ熟睡っていうのかな?)

すると、、
 
 
深刻にならなくていいよ・・・
 
 
って聞こえて(耳じゃなくて、感覚でやってきた感じ)
 
 
だよね〜 …( ̄。 ̄;) 
 
 
と相づちをうってる自分がいて、なんかおかしかったです。。
 
 
たぶん昨日遅くに小山から戻って来て、これからトリートの準備に入ることに対して「ちょっと大変かも…」という想いがあったことに関係してるかもしれないけど、なんかこの会話、


勝手に自己完結してて、おもしろいなあ〜〜 (^^;)


と思って。

これが今後いっぱい起きたら、本にできないかなあ。

タイトルは「よがびとよがびの会話」とか、どうかな??

薔薇の喫茶店

2012年9月5日(水) 晴れ by キヨタカ

 ただいま小山の実家に滞在中。
母を施設にあずけて、その帰り道に薔薇の喫茶店で一休み。

1

ここは店内がゆったりとしていて、コーヒーもピザも美味しい。

2

おまけに、店の内外が薔薇で埋め尽くされている。

3

「小山には本当の喫茶店がない!」と、喫茶店文化のメッカ名古屋出身のヨガビは言うが、このお店は例外で彼女もお気に入り。

4

喫茶店に漂うバラの香りは、ハートのチャクラを妙に活性化させる様だ。

今から修善寺までの遠距離ドライブだが、ルンルン♪気分で乗りこなせそう。

日々草

2012年9月4日(火) 晴れのち曇り by ヨガビジャ


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 ことば いらないな


スカイプ・セッション

2012年9月4日(火) 晴れ by キヨタカ

 
私が最初にハワイのフーマンに電話したのは、2001年の3月だった。
あの頃はまだKDDの国際回線を使い、結構な金額を使った記憶がある。

それが今では無料で、世界中の人々とテレビ電話が出来る時代となった。
その中で一番普及しているのが、スカイプだろう。

IT技術の進歩には驚くべきものがある。

意識の進化が、IT技術に革新をもたらす。そしてその進化したIT技術が新たに意識の進化を促すという、好循環が起きつつある事を最近肌で感じる。

昨年頃から「スカイプでセッションしたらどう?」と、複数の方からサジェスチョンを受けていた。

しかし、なかなかスカイプ・セッションに踏み込めなかった。
昔ボディワークを生業としていた事もあり、ダイレクトに相手と接する事に相当なこだわりがあったからだ。


つい先日、実験的試みとして「フォローアップセッション by スカイプ」を行った。

その結果は…

自分が予想していた以上に手応えがあり、驚いている。


「生身で接する方が絶対に良い」という思い込みが、吹き飛ばされた。


スカイプは複数の相手との同時通話も出来るので、使い方によっては新しい可能性がかなり広がる感じがしている。

そもそも、セッションで伝えたい事は「I AM」の目覚めであり、それは時間と空間を超えている。

だから、スカイプを通しても充分にエッセンスを伝達する事が可能だと、再認識させられた。

物理的次元を超えたものの伝達なのだから、物理的な距離にこだわらない方がよりエッセンスが伝わる感じすらある。

タイミングを見て、正式にスカイプセッションをオープンしたいと思う。

とりあえず、セッションを受けられた方から感想を頂いているので、アップします。

* * 感想の1 * *
 
キヨタカさんの、スカイプセッションを受けました。

感想 「すっごく良い!」

午後8時からの30分間でしたが、あっという間に時間が過ぎ、5分か10分ぐらいしか経過していないような、不思議な感覚でした。

最近、キヨタカさんも私もバシャールに興味を持っており、その話題でひとしきり盛り上がったあと、瞑想に入りました。

今回は、最初にステートオブプレゼンスの感覚が非常に強まり、その後、ビーング、ハートが一つになり非常にくつろいで平和な感覚が訪れました。

瞑想会で、わからなかったことや、私のように小心者で聞こうと思っていたけど、チャンスを逃してしまった方にも丁寧に答えていただくことができるとおもいます。

なにわともあれ、セッションの枠があいていれば時間を作って受けてみることをおすすめします。

キヨタカさん、どうもありがとうございました。
ヾ(´ε`*)ゝ  by F

* * 感想の2 * *

今朝はスカイプで久しぶりにお顔を拝見できてうれしかったです。
感激〜。

(略)

最近、週2回だけ仕事(看護師)を始めたので、瞑想を朝するのが難しくなってきたのです。
でも、もちろんゴールデンライト瞑想だけは続けています。
それに、前にも書いたとおりプレゼンスも意識して保っています。
なので、キヨタカさんの誘導瞑想はとても入りやすかったです。

ちょっと音声が悪かったのと雑音が多かったのが気になりましたが、それでもあそこまで集中できるのは気持ちよかったです。
あんな短時間ででもリーラスペースのなんと3日分の瞑想が体験できました。
驚きです。

なるほど〜こんなふうに全部まとめてできるんだ〜とわたしなりにポイントをつかんだので、今日の誘導瞑想を時間のないときにでも集中してやれば、プレゼンスとビイーングとハートのすべてができるんだと実感しました。

ハートもものすごくスゥィートで、ビイーングでは本当にプレゼンスにくつろいでいられました。

キヨタカサンのいる伊豆とこの関西の裏六甲と地とが、つながったという何とも言えないうれしさでした。
もとより時間も空間もハートはすべて超越しているんでしたね。

リーラスペースで瞑想を教えていただいたことは本当に良かったと思います。

またリトリートに参加してみたいなぁと思いつつ、今のところしばらく間が開きそうですが。
今日の感動を忘れないよう、瞑想を続けていきます。

ありがとうございました。

by H

* * 感想の3 * *

キヨタカ様

余韻に浸っておりました。。。

やはり思い切って受けて良かったです。
素晴らしかったです。
また瞑想会参加しますので、その時は宜しくお願いいたします。

by Y

雑誌スター・ピープル42号発売

2012年9月3日(月) 晴れ by キヨタカ

Star People 42号が発売になっている。
私が連載中の記事、「覚者を求めて」も載っているのでぜひご覧下さい。

前回は、私が求めた覚者としては最後になった、カナダのジョンを紹介した。
だから今回は誰なんだろう?と訝る人もいるかも知れないが、それは読んでからのお楽しみ!

Sp42_blog_2

しかしさすがに私の方もネタが尽きて来て、いよいよ次号で最終回にしようと思っている。
2012年12月にはアセンションが起こるという噂もあり(…?)、ちょうどよい区切りとなる。

実はまだ締め切りには早いのだが、先日最終回用の原稿を書き上げてしまった。
追い込まれないとなかなか実力を発揮出来ない私としては、異例の事だ。

最終回を書くにあたって、初めから記事を読み返してみた。
第1号が発売されたのが2009年の5月だから、もう3年以上経った事になる。

雑誌に掲載する記事は、こうしたインターネットに気軽にアップするものと違い、かなりのエネルギーと時間を要する。
しかし記事としての完成度はそれなりあって、読み返してみて自分を振り返るとても良い機会となった。

21歳の春から始まった探究の長いプロセスは、そのまま自己の成長の記録である事はもちろんだ。

今回驚きだったのは、3年前の記事を書いた当時の意識の在り方と現在の意識の在り方が明らかに違い、それが文章ににじみ出ている事だ。
連載の回を重ねる毎に自分が成長していく姿が、手に取る様にわかる。

自分の過去を深く見つめ直す機会はなかなかないので、こうした機会を与えてもらった事に深く感謝している。


ところで過去の記事を読み返している内に、どうも体調が思わしくなくなった。
自分の潜在意識の深い所で、何かが出て行こうとしている感覚がある。

そこで暑いにも関わらず、お気に入りの「岩盤浴」施設へ行った。

お陰で、潜在意識の深い所にある不要なエネルギーがリリースされて、とてもスッキリ!

そして恩寵の光に後押しされる形で、最終回の原稿をスッキリと書き上げる事が出来た。

次回のStar Peopleの記事も、お楽しみに!

こうした記事を通して、キヨタカ個人を超えたその背後にある光を受け取って頂けたら嬉しい。


夕立のあと

2012年9月3日(日) 晴れ by ヨガビジャ


Img_7574 みず
 
 
 
 
 
 
 
 


Img_7576 たま
 
 
 
 
 
 
 
 

 
Img_7580 みず玉みたいな目
 
 体長2ミリ足らずで
 ヒゲもある
 
 

Img_7582 ひかり 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
Img_7587 ゆりは静か
 
 
 
 
 
 
 
 

 
Img_7598 (・_・)?

 
 
 
 
 
 ナンカ
 
 オモシロイ 

いいね2

2012年9月2日(日) 曇り by ヨガビジャ


きのうに引き続き「ネイチャーズ・ベスト・フォトグラフィー・ジャパン」の写真。

最初目に止まったのはこの写真なんです。

Nbp05_3 水の中を飛んでるーー! ヾ(≧▽≦)ノ

 きれいでなんだか神々しい

 陸の上でのそのそと歩いてる
 あのカメさんとは別人みたい
 
 
高校生の頃、私は坂村真民の「鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ」という詩を見たとき、「鳥が飛ばないといけないなら人は生きるだけでいいのかな?自分が自分らしくあるにはどう生きればいいんだろ?」と真剣に考えてました。

当時の私にとって「どう生きるか」とは「なにをするか」と同義語でした。
でも、「自分であるためにすること」の具体性などまったくないまま、闇雲にそのなにかを探していました。

でもそのうち、そこに潜む「…ねばならない」が段々窮屈に感じられて、「自分であるために」なにかをすることは止めました。

さっきの写真のカメさん。

陸でのろのろ歩いても、海の中を颯爽と飛ぶように泳いでもカメはカメなんですよね〜。

カメであるために、こうしてるわけじゃないし。。

ただそうであるから「カメ」と呼ばれるだけで。
(本人がどう思ってるかは別として)


じゃ、私がなにをしてもしなくても、ヨガビジャはヨガビジャと呼ばれるものなんですよね〜。。

 
Nbp04 これも
 
 
 
 
 
Nbp06 これも
 
 
 
 
 
Nbp07 これも 
 
 
 
 
 
Nbp24 これも

 みーんなそのままで自分

 ほかの誰かさんになる必要もなく

 きわめてシンプル♪


人間だけがシンプルじゃないのね。。(・_・)フーン

いいね

2012年9月1日(土) 曇り by ヨガビジャ


さっき見つけた自然フォトコンテスト「ネイチャーズ・ベスト・フォトグラフィー・ジャパン」の写真からいくつか。

あまりに微笑ましいから載せちゃいました。


Nbp02 愛おしさや
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Nbp01 信頼
 
 
 
 
 
Nbp16 やすらぎ
 
 
 
 
 

 
 
 そういったものが
 ダイレクトに伝わってくるの
 
 
Nbp15 
 うん、うん

 きれいなハートだね。(^-^)

I AM! 宣言の勧め

2012年9月1日(土) 晴れ by キヨタカ

朝は美しい。
修善寺からの富士山も、今日は格別の神々しさだ。

Photo_3

ただ在るだけで、とても気持ちがいい。
 
 
 
 
 
Jpg_5新しい朝が来た
希望の朝だ
喜びに胸を開き…
(なんだかラジオ体操みたいだが…)
 
 
Jpg_6

高らかに宣言して見よう!


I AM!

私は在る!


宣言するものは、本当は「愛」でも「喜び」でも「自由」でも、真実に基づくものなら何でも良い。

しかし例えば「自由」を宣言してみよう。

「俺は自由だ!」
「自由だから、何でも出来るぞ♪」
…と、まあお馴染みの自由連想が始まる。

「明日から、ハワイで3ヶ月ウィンドサーフィンするぞ〜♪」

…と、想像するのは自由だから、月や火星に行っても良い。

しかし遅かれ早かれ、世間の厳しい現実があなたを待ち受けている。

例えば私の場合、「明日からまた実家に帰らねばならぬ」という現実に直面して、なおさら「不自由」の罠に落ちてしまうのがオチだ。

「愛」を宣言すれば「憎い」人が現れ、「喜び」を宣言すれば「悲しい」現実に直面する。

この世はすべて、相対的な2元性で成り立つ。
陰陽の仕組みは万物を貫き、天と地、男と女、吸う息と吐く息がある如く、「自由」があれば「不自由」もあるのは必然だ。

しかしたった一つ例外がある。
それが「I AM」「私は在る」ということ。

この世の誰も、「私は在る」という真実を否定することは出来ない。

I AM!
私は在る!

するとただちに、エネルギーが自分自身に立ち戻り、自分がひとつにまとまり始める。

どんなに世間が騒がしくとも、ちょうど激しく回転するコマ中心の様に、不動のエネルギーに満ち溢れる。

疲れを知らない子供の様に、驚きと感動と喜びに満ちたワクワク楽しい一日が展開していくのだ。

そして、全ては上手く行っている事が自ずと明らかになる。

それが、I AM !

私は在る。

そのために明日まで待つ必要がない。

たった今、手にすることができる唯一の絶対的な真実だ!

しかも他人や状況やグッズに頼る事もなく、おまけに無料て手に入る。

…というか、既にそれとして生まれて来たんだけどね。

ああ〜、「自分が存在している」って、なんとラッキーな事だろう♡

有り難う。

感謝、感謝。

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