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過ぎたるは…

2012年10月20日(土)晴れ by キヨタカ

「過ぎたるは及ばざるが如し」と言うけれども、ここまで過ぎてしまうと、もう「何も言えねぇ〜」としか言えねぇ〜。
 
写真や映像では何度も見たけれども、この迫力だけはやはり実物に接するしかない。
 
サグラダ・ファリミリア教会のあまりにも高過ぎる尖塔を見上げながら、口をあんぐりと開いてノーマインド状態に…。
 
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世界遺産にも登録されスペインNo1の観光名所となったせいで、早朝にも関わらず入場券を求める行列が出来ていた。
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長い順番を待って、ようやく内部に入る事が出来た。
 
天井が高い建物は気持ちが良い。
 
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しかしここまで高いと、 
なんだか天上界の神々から
 
 
 
 
「お前らちっぽけな人間どもが…」  
 
と見下げられている感じがしてしまうのは私だけか?
 
130年前に建設を始めて未だに建設途上の教会を創るとは、常識ではあり得ない。
常識という枠組みから外れた天才:ガウディという存在の奇跡に畏怖の念を覚える。
 
EUの経済危機はスペインにも及び深刻な事態だそうだが、バルセロナに限っては相変わらず世界中から観光客が押し寄せて大賑わい。
 
その観光客の最大のお目当てが、この教会だ。
 
なにしろ世界中から、私の様におよそ建築とは縁もゆかりもない人間が大勢押し寄せて口をあんぐりさているのだから、その経済効果は恐るべし!
 
スペインの観光当局は、ガウディさまさまの筈である。
 
しかし当の本人は、スペインの経済危機を救う為にこの建物を創った訳ではない。
熱心なカトリック教徒としてキリストと神の栄光を讃える為に、この建築に生涯を捧げたのだと言う。
 
だが果たしてキリストが再誕生して、この建物を見たら何と言うだろうか?
 
この教会が完成して、祭壇でキリストが「貧しき者は幸いなり」とか「神の国はあなたがたの内側にある」とか説教する姿は、シュールなジョークでしかあり得ない。
 
神と人間を二元対立的に捉えるキリスト教だからこそ、偉大な神を讃える建物を建ててしまったのだ、と西洋人のメンタリティーを笑ってはいられない。
 
我々日本人だって、全く同じ様な発想をしている。
 
例えば、奈良の大仏。
 
仏陀が再臨して、現在の仏像や仏教寺院や僧侶を見たら、恐らく卒倒するに違いない。
 
「偶像や他者を崇拝してはいけない。汝自身の光となれ!」と生涯をかけて説いた姿が、今ではばかでかい偶像として奉られてしまい、観光名所として賑わっている。
 
気の利いた僧侶は寺院を観光地として売り出したり、葬儀ビジネスで商売繁盛…
無明の人間とは、どこまでも愚かなんだろう…
  • Photo_6
 
せっかくスペインNo1の名所に来たのに、そんな事に思いを巡らしたら、ちょっと悲しくやるせない気分になってきた。
 
 
そこで、エレベーターで地上55mの尖塔へ。
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さすがに、天上界からの眺めは凄く気持ちがよい。
おまけに、とても良い風が吹いている。
 
 
風が吹くと、気分がそわそわして落ち着かない。
 
「海が私を呼んでいる!」
 
ウィンドサーファー特有の病気だ。
 
そこで予定を早めに切り上げて、もう一度海岸へ向かった。 
海は強風で波も高かったけれども、凄く気持ちがよい。 
 
ガウディも、この海岸でウィンドでもしたら、あんな壮大な建物を創らずとも充分に神の威光を感じられたのにな〜と思う。
 
海岸では、ガウディの生まれ変わりと思しき若き芸術家が、熱心に「砂の城」を築いていた。
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「これらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができる」 
とは、聖書の一節だが、なんだかそんなキリストの声が聞こえてくる錯覚に陥り、不思議な空間だった。
 
もしかして、この人こそがキリストの再来だったりして…shock

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旅行」カテゴリの記事

コメント

ガウディにとっては教会の建造が瞑想であり神に至る道だったのかなーって思いました(´▽`)

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