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2012年12月

マインドという振り子

2012年12月31日(月) 晴れ by キヨタカ

間もなく、今年も終わりを迎える。
 
つい先日2012年を迎えたばかりの様な気がするのに、最近の時間の流れの加速化にはただ驚かされる。
 
『朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり』(蓮如)
 
この世は現象世界であり、全て現れては消えて行く世界だ。
 
瞑想会では、この時間の流れ「過去⇄現在⇄未来」に展開する次元を「水平次元」と説明している。
 
マインドはちょうど柱時計の振り子の様に、絶えず左右に振れ続け、過去や未来で右往左往している。
 
マインドの次元つまり「水平次元」に閉じ込められている限り、本当の至福を得る事は出来ない。
 
例えどんなに素晴らしい体験をしても、それは時の流れとともに去って行き、決して手元に留め置く事はあり得ない。
 
『いのちは光陰にうつされてしばらくもとどめがたし』(道元)
 
 
しかし、この時間の流れから抜け出す唯一の方向がある。
 
それは「垂直な次元」であり、瞑想によってこの新しい扉が開かれる。
 
その時初めて、内側の時の流れが止まり、永遠の至福が訪れる。
 
それは決してキリストや釈迦のような特別な人にだけやって来るものではない。
 
生きとし生けるもの全てが享受すべき、本来の生得権なのだ。
 
来年は、この「垂直な次元」が開かれて、大勢の人々が永遠の至福を享受する年となる事を確信している。
 
『ひとり来て ひとり帰るも 迷いなり 来たらず去らぬ 道を教えん』(一休)
 
願わくば、マインドの「振り子」が止まり、「垂直な次元」が開かれますように!
 
 

ミニ瞑想イベント

2012年12月30日(土) 雨 by キヨタカ

リーラスペースのリトリートで使用している施設のオーナーN氏とその部下達が、年末恒例の環境整備(庭の手入れ)のため修善寺に滞在した。
 
自主上映&瞑想会の話をしたところN氏は興味深々、結局彼らの為に急遽上映会と感想会が開催される事に。
 
N氏は理美容業界では立志伝中の人物であり、その部下達も成功セミナー関連には馴染んでいる人々が多い。
 
だから「ファインディング・ジョー」上映後の感想会では、全員がそれぞれにとても深いメッセージを受け取った事が、よく分かった。
そしてその事はある程度、予想出来た。
 
しかし私がこの映画を通して伝えたい事は、「至福を探す事で成功を得られる!」と言う事ではない。
 
「至福こそが自己の本性であり、それを得る王道が瞑想」と言う事だ。
 
「至福に満ちた在り方」と「世間での成功」とは、必ずしも両立するものではない。
 
「世間での成功」と、「瞑想による至福の発見」とはエネルギーの方向が真逆であり、むしろお互いに矛盾する事も多い。
 
以前、成功セミナー関連の方々に瞑想を伝えようとして、完璧な挫折を味わったほろ苦い体験が何度かある。
 
だから、今回は瞑想の事を伝えるつもりは全くなかった。
 
しかしN氏側から瞑想に関する質問が相次ぎ、結局翌日ミニ瞑想イベントを開催する事になった。 
 
短い時間で私なりに全力を尽したが、実際にどれほど伝わったかまだ良くわからない。
 
しかし瞑想の真髄が確実に世間に浸透し始めた実感を得る事が出来た事は、私個人にとってとても大きかった。 
 
世間で言う「成功」の定義が、従来の外面の物質的なもの(お金や物や結果等々)から内面的な「至福に満たされた在り方」へと急激にシフトし始めた事が、今回のイベントを通してよく解った。 
 
古い意識から新しい意識への大転換の最前線にこうした形で関わる事が出来て、これこそ至福の最たるものでありとても嬉しい!

私たちはすでに…

2012年12月27日(木)晴れ by ヨガビジャ 
 
今年最後のイベントとなった新宿瞑想会とスペシャルナイトイベントでは、個人的に感じることが多かったです。 
 
単に映画「ファインディング・ジョー」の試写会ではなく、通常のナイトイベントとワンデーイベントの流れの中で行ったこと、すでに瞑想経験があったり、リトリートに参加されている方が多く参加されたことも、あの場のエネルギーと雰囲気に大きな影響を与えていたように感じます。 
 
今回上映した「ファインディング・ジョー」には「英雄の法則」というサブタイトルがついています。 
そして「真の自分自身と出逢う冒険への誘い」のうたい文句、映画に登場するスピリチュアルな分野(だけじゃないか…)の錚々たる顔ぶれ、話の流れに沿って映し出される様々な映画の場面やヒーロー、ヒロイン。。 
 
初めて観たときから感動しまくりのキヨタカを横目に、なぜかストレートに感動できない私が変なのか…  
 
ずっとなぜなのか理解できませんでしたが、今回の一連のイベントが終了してやっと分かりました。 
 
それは・・・ 
 
成功したり、
なにか特別な大冒険に出たり、
自己犠牲をしたり、
非日常的な状況の中で
超人的な能力を発揮しないと、、、 
 
 
真の自分自身になれないんですかっー!!ヾ( T▽T;)ノ 
 
 
こんなふうに感じる、私がひねくれてるのかな・・・? 
 
 
登場する錚々たる20人の顔ぶれやその体験、矢継ぎ早に現われては消える映画の場面やヒーローを観てると、なんとなく彼らのようになることを奨励されているようで抵抗を感じていたみたい。。 
 
 
やっぱりひねくれ者ですか、わたし??( ̄- ̄; ) 
 
 
じつは今回、ナイト、ワンデー、スペシャルイベントの中での瞑想や誠実なシェアリングをお聞していて感じたんです。 
 
家族のことで悩むのも、 
莫大な借金を抱え思い通りの人生を送れないのも、 
仕事がうまくいかないのも、 
問題だらけの人間関係も、
大切な人との別離も… 
 
すべては 
すでに人生そのものが山あり谷あり、
一条の光も射さぬ深くて暗い森や、
行く手を阻む荒れ狂う海… 
 
そんな冒険物語じゃない? 
 
 
好むと好まざるとにかかわらず 
 
 
もう冒険の旅に出てちゃってますよ、私たち。。 ( ̄◇ ̄;) エッ? 
 
 
そして、出ちゃっているからにはそのことに意識的であった方が断然いいと感じるから、この「ファインディング・ジョー」のような映画の存在は今という時代のニードによって創られたのでしょうね。
 
 
でもあんなに華々しくなくても、偉大なことを成し遂げなくてもいいんじゃないかって思って。(これは私の映画の見方が偏っているのかも…)
 
大切なのは結果や目標じゃなくて経験そのものの気がします。 
 
今生きてるあらゆる瞬間、なにを感じ、なにを考え、どんな行動をして、なにを選択し、なにを選択しないのか・・・ 
 
それが、その瞬間瞬間の自分を宣言していて、そのようにして偽りの自己を落とし、真実の自己があらわになっていく。 
 
私たちはすでに冒険の中、、そう感じました。

予見通りの出来事

2012年12月24日(月)晴れ時々曇り by キヨタカ

 

 メリーX’masxmasheart02

 

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今年最後のイベントが無事終了。

 

修善寺に戻りホッと一息、今はリーラスペース別館(?)「ほたる」の貸し切り部屋で休息中。

瞑想会では毎回深い恩寵のエネルギーが降りて来るけれども、今回は格別だった。

何しろ巷で噂のアセンションの日(2012年12月22日)からのイベントだから! 

よもや人生最期のイベントにはなるまいが、もしかして電気が消えたりしたら上映会はどうしよう?携帯も使えなくなるそうだし…shock

 

幸い人類滅亡等の荒唐無稽な事こそは起らなかったが、しかし新しい次元へのシフトが起った事を肌で感じた。

特に初めての試みである映画上映を兼ねたスペシャル・ナイトイベントでは、瞑想は初めてという方も結構おられたが、以前にも増して深い愛と沈黙のエネルギーを感じる事が出来た。 

 

「より高次の、より幅広い、より力強く大量のエネルギーに後押しされたワークが起こって行く」

 

かつてフーマンが予見した言葉だが、まさにアセンションの翌日に予見通りの出来事が起こった!

 

古い人類は崩壊し、新しいパラダイムに基づく新しい地球と新しい人類がこれから急速に勢いを増して行く事の確信を得た。

 

さっそく参加者からメールを頂いたので、幾つかを紹介させて頂きます。

 

* * *

 
 
キヨタカ&ヨガビジャ様
 
アセンションの日とその翌日のナイト&ワンデー瞑想会の2日間。
この特別な日に瞑想会に参加できてとても感謝しています。
 
個人的な体験を端的に表すと、
8月の瞑想会では光が降ってくる感覚。
9月のリトリートでは全ては完璧でひとつなんだっていうワンネス感覚。
 
今回の瞑想会ではハートが開いて新しい次元を垣間見るという体験でした。
 
新宿瞑想会では毎回ハートが開いて愛に溢れるというか、愛しかないって感じるのですが
ナイト瞑想会では身体が芯から暖かくなって光に包まれているようでした。
 
ワンデー瞑想会では銀河を超えて、白い大きな光にたどり着いたイメージでした。
ハートが開いて洪水のようにエネルギーが出てくるような、そんな貴重な体験でした。
 
同時に毎回思うのですがこれらの感覚は以前から知っていたものという事。
 
ハートの声は聞こえていたのに繊細すぎてわからなかった、エゴが何重にも
壁を作っていたのでハートに意識を持っていかずにずっと傷ついていたんだ
ということも気づきました。
(リトリートでリクタさんが言っていたのを思い出しました。)
 
今回ハートの明確な地図と鍵を手に入れたんだと確信しました、これからは
ハートの声に意識を傾思いました。
 
個人的にはアセンションの日にふさわしい瞑想会だったと思います!
本当に感謝しています。
 
by I
* * *

 

ファインディング・ジョーとても感じるものがありました。

この映画を見るでは、動けず、動かず、不満を抱えながらゾンビのように暮らしている現実も自分が選んでいるとわかっていますが、
その苦痛も感覚を麻痺させる(私を忘却する)という高等テクニックで巧妙に隠してしまってこのまま死んで行くところでした。
 
どんな形で想いを達成していくかはまだビジョンにないですが、そのエッセンスは確実に現実のものになるだろうと確信できるようになりました。
 
また、キヨタカさんの所で行う瞑想は毎回私のハートに響くものがあり、シェアしてくださる事に本当に感謝しております。
 
さらに今回の上映会の後のハートの瞑想では終了後、目に入る景色がとても美しく帰り道涙が止まりませんでした。
 
私達の帰る場所は唯一ハートだと感じた瞬間でした。
 
傷ついた(と思い込んでいる)ハートに帰るのは怖く感じますが、この状況からもセパレートするようメッセージ電話のベルがなっている気がします。
 
何だか少々支離滅裂で申し訳ありません感謝をお伝えしたくて(^_^;)
 
ありがとうございました。
 
by S(♂)
 
* * *

昨晩はスペシャルナイトイベント
ありがとうございました。
 

ハートの奥の際限なく広大な領域に
スムーズにアプローチすることができました。

時間をかけて到達するものではなく、
状態をつくること、質が要なのだと
実感しました。

またまいりますね(^-^)

by S(♀)

タイムリー

2012年12月17日(月) 曇り by キヨタカ

 スペシャル・ナイトイベントの申込が無事終了した。
おかげさまで満員御礼!…だけど、会場が狭くて定員は30名。
 
だから自主上映費や会場費やら等々で、赤字のイベントとなってしまう。
 
「自分は感動したけれども他の人がどう思うかは未知数。今回の企画はちょっと勇み足だったかな〜」
 
と、ちょっと弱気になりかけていたところ、Uさんからメールを頂いた。
Uさんの近所で自主上映会があると聞いたので、観る様に薦めておいたのだ。
* * *
今日、ファインディング・ジョーを観てきました。
本当に驚きました。
 
僕のために上映されたんじゃないかと思うほどタイムリーな内容でした。
勇気を持って前へ進めそうです。
 
ファインディング・ジョーの公式WEBサイトの「Initiation(通過儀礼)」の部分に以下のような下りがあります。
 
「あなたは諦めることなく、自分の信念に従っていく中で、 あなたを支え、助けてくれる賢者やマスターが現れ、あなたの道を歩むための智恵を与えてくれたりします。」
 
まさにキヨタカさんのことですね。
この映画を教えてくれて本当にありがとうございました!
* * *
ちょっと褒められ過ぎで気恥ずかしいが、おかげで素晴らしいものになるとの確信が得られた。
 
今週末のイベントがとても楽しみnote
 
マヤカレンダーによる世界終末日の翌日からイベントが始まるというのも、非常にタイムリーな予感がしてワクワクしている。

祝!

ヽ(´▽`)/2012年12月16日(日) 晴れ by キヨタカ

昨日は、母のバースデーで今年90歳になった!
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唯物論者で有名な某評論家がある書物の中で
「歳をとると体のあちこちにガタがくるし、食欲も性欲も衰え、頭の回転も鈍くなって、ロクな事はない」
 と嘆いている文章を読んで、残念に思った。
 
 
唯物論的に考えると、精神は物質の上に成り立つものだから、確かに肉体の衰えと共に精神も衰えると考えるのは当然の帰結だ。
 
しかし、精神は肉体の副産物ではない。
 
この肉体は魂を一時的に保管する入れ物に過ぎない。
 
先日母に質問をした。 
 
私:「90歳の今と、20代の頃と、子供の頃を振り返ってみて、お母さんの中の私という感覚に違いはある?」
 
母:「そうだね〜。今だって子供の時と同じ私がいるね。」
 
私:「その同じ私は、歳をとらないんだよ。魂は永遠なの。」
 
母:「解る、解る!歳はとっても、自分は同じままだよ。」
 
…どれだけ解ったのかは解らないけど、なんだか幸せそうだった。
 
神経痛やらぎっくり腰などで、あちこちが痛むらしいが、高齢者独特のおめでたい雰囲気が漂っている。
 
90歳ともなると、ただ生きているだけなのに「おめだとう!」とか「お元気ですねヽ(´▽`)/」「ご立派ですね♡」と周囲の人々から祝福される。
 
「ただ私がある」事の有り難さを、一番実感出来る年齢なのかも知れない。
 
歳をとる幸せって、あると思う。
 

無用の用

2012年12月14日(金) 晴れ by ヨガビジャ 

今、修善寺駅の周辺は『訪れやすくすみやすい』を目的とした整備が進められています。 

その一環と思われますが、駅の裏にあったレンタカーの営業所は駅前に移動し、その隣にあった空き地は駐車場になりました。

その空き地は私たちが修善寺に住み始めた10年以上前からあり、きれいに刈られた生垣は季節の訪れに合わせて白やピンクの花を咲かせ、小さな花壇の花も私たちの目を楽しませてくれていました。 
 
また、天気のいい日には十人ほどのお年寄りがゲートボールを楽しんでいて、お年寄りたちが談笑している光景は心和むものでした。 
 
今そこにあるのは、生垣も花壇もなくなった更地の駐車場と車。 
今、あのお年寄りたちはどこにおられるのかしら?
 
あの空き地はお年寄りたちにとって、とても居心地のいい空間であり時間だったはず。
 
高齢化社会と増加する医療費、福祉制度など多くの問題を抱えている今、すでにあったこのような貴重な場所をなくしてしまうことになんの疑問を持たない感覚を恐ろしく感じます。 
 
また、うちの周辺の別荘地も売れ残った別荘がたくさんあるにもかかわらず雑木林の山はどんどん伐り開かれて売地となり、それでも売れずに年月だけが過ぎすすき野みたいな荒れ地になり、すかみとエサを失ったイノシシは住宅地や畑を荒らしその対策に追われます。 
 
駐車場や新築別荘からの収益は地域経済を潤しているのかもしれないど、それは全体の中のほんの一面に過ぎない。
そしてその一面が全体に及ぼす影響は小さくない。 
 
経済、高齢化、福祉、雇用…あらゆる問題に対し局所的に対処しても解決は見出せない気がします。(政治・経済に疎い私が言うのもなんなのですが…) 
 
きっと完璧な解決というのは存在しないのかもしれない・・・ 
 
でも、常に現状をより良くしたいという想いは人の自然な欲求。 
同時に、それもある一線を超え始めると不自然な欲求へとすり替わっていく、そんな危うさも感じます。 
 
無用の用、そんな視点が必要になってきているのではないかしら? 
 
空き地は「無用」みたいだけど「用」を成してる。 
車のハンドルだってブレーキだって、すぐには効かない「あそび」があるからこそ用を成す。 
 
これまでは即効的、即物的「有」が重視されてきたけど、今は曖昧で定義付けできない「無」の方の価値に気づかないと、立ち行かない時代に入っているように思えます。 

心頭滅却

2012年12月14日(金) 晴れ by キヨタカ

本格的な冬の到来となり、修善寺も寒い日が続く。
 
ここ富士見荘は、北側の斜面にそびえ立っているので、冷たい風をモロに受ける。
特に北西の角にあるキッチンの寒さはこたえる。
 
寒くなると、いつも思い起こすのが、次の言葉。
 
「安禅は必ずしも山水を須(もと)めず、心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」
 
碧巌録という、禅の有名な書物に載っている。
 
<瞑想が出来ない理由を、環境のせいにしてはダメ!
暑いとか寒いというマインド(取捨選択の心/心頭)をなくしてしまえば、どんな場所でも瞑想出来る。>
 
という意味だと、昔円覚寺で参禅していた時に、お坊さんから教わった。
 
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まだ20代のサラリーマン時代に、土曜日になると鎌倉の円覚寺に出かけ、泊まりがけの座禅会に通っていたものだ。
 
円覚寺の禅風は非常に厳しい。
 
 
真冬に窓を全開にして、寒さに震えつつ坐禅をした。
わざわざ縁側に坐布を出して、雪景色を眺めつつ坐禅した事もある。
 
「寒梅は冬に咲く!」「心頭滅却!」「喝!」などど坊さんに気合を入れられ、警策でビシバシ叩かれつつ、頑張って坐禅に邁進していたものだ。
 
円覚寺ではなく映画館で彼女とデートして「スターウォーズ」でも観ていればあの頃の人生も楽しかったろうに…と今では思うけれども、当時は悟りを開く事が唯一の生き甲斐だった。
 
どうもあの頃の影響がまだ少し残っているようで、独自の寒さ対策として今実践中なのが…
 
1、裸足で過ごす
2、朝晩、冷水シャワーを浴びる
 
こうする事で、外側ではなく体の内側から発熱して、冬でも暖かく過ごせる筈なのだが…
 
しかしさすがに気合いだけで寒さを凌ぐのは、ちょっと無理がある。
 
そこで今、近所の大工さんに頼んで、キッチンの床下に断熱材を張る工事を施行中。
 
お陰で、心頭滅却しなくても、今年の冬は少し暖かく過ごせるかも?

ネタバレなしで

2012年12月13日(木) 晴れ by キヨタカ

今度のスペシャル・ナイトイベントで登場するジョーゼフ・キャンベルは、映画監督のジョージ・ルーカスに大きな影響を与えたと言う。
 
その代表作が「スターウォーズ6部作」なのだが、私はまだ観た事がない。 
 
今更観るのも気が引けるのだが、昨晩意を決して第一作目を観た。
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昔懐かしいゆったりとした解り易い展開で、さすがに面白い。
 
しかし非常に有名な映画のため大体のあらすじは知っていたので、驚きや感動が少なくて残念だった。 
 
 
公開当時に映画館で観ていれば、かなり感動していたかも。
 
SF映画の醍醐味は、ストーリーがどの様に展開するかを予想しながら、当たったり外れたりをハラハラ・ドキドキしながら観るところにある。
 
その映画を深く読み解く批評家的な見方をする楽しみもあるが、それは後からDVDで何度でも観れる。
 
しかしネタバレした映画だと、どんなに優れた映画でもハラハラ・ドキドキ感は失われてしまう。 
 
人生も映画も、先の展開が解らないからこそ面白い。 
 
 
「人生は既に完璧に決まっている」という、覚者がいる。
 
私もそうした覚者に色々と尋ねたことがある。
 
しかし、「それでは、来年の今月今夜、私が何をしているか教えて下さい。」とどんなに突っ込んで尋ねても、決して教えられない。
 
「あなたが来年の今日何をするか既に完璧に決まっている。でも事前に知る事は出来ない。なぜならあなたはそれを事前に知る事ができない事も決まっているからだ!…」などと言われてしまうのがオチである。
 
「な〜んだ、それじゃ<未来は決まっていない>という教えと同じじゃないか!」 
と、多いに落胆した。 
 
「未来が解ったらどんなに素晴らしいだろう!」と思い、手相や星座占いに大枚をはたいた時期もあった。
 
しかし実際は映画と同じで、先の事が解ったら人生はつまらないものになってしまう。
 
「一寸先は闇」だからこそ、人生はハラハラ・ドキドキの連続で面白い。 
 
しかし人生は単なる偶発の連続ではない。
 
後から振り返ると、そこにはそれ以外の人生ではありえない一貫した絶妙なストーリーが展開しているから不思議だ。
 
「本当に長い紆余曲折を通り抜けた今 こうして探求の足跡を振り返ると、偶発的に起こり続けた様に思われる人生の一連の出来事も、実はその背後に見えざる高次元の力が介在していた事が良く分る。」
 
これは「恩寵の扉が開くまでPart3」の最終章に書いたものだが、これまでの自分の人生を振り返った時に肌で感じた個人的体験だ。
 
ところが先日ジョーゼフ・キャンベルのYouTubeを観ていたら、哲学者ショーペンハウエルの言葉を引用して同じ事を語っている場面に遭遇した。
 
 
 
「人が高齢に達して人生を振り返ってみると、そこには、まるで小説家が意図的に構成したかのように、一貫した筋道や計画があったように見えることがある、とショーペンハウエルは指摘しています。 
生起した当座は偶然でほとんど意味がないと思われた出来事が、一貫したプロットの構成に不可欠の要素になってしまっている。
すると、そのプロットを考え出したのはだれか…(略)」
 
そういえば、スティーブ・ジョブズの有名なスタンフォード大学卒業でのスピーチでも同じ様な事を語っている。
 
 
 
「未来に先回りして点と点をつなげて見ることはできない。
君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。
だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ずつながっていくと信じなくてはならない…」
 
確か小学校の教科書にも載っていたと思うが、高村光太郎の詩「道程」も実は同じ事を語っていたんだな〜と、今更にして思う。
 
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ…」
 
さらに、旧約聖書には「神の計画」に関するこんな言葉もある。

わたしは あなたがたのために立てている計画を よく知っているからだ。
それはわざわいではなくて 平安を与える計画であり あなたがたに 将来と希望を与えるためのものだ。
 〜エレミヤ書29章11節〜
 
確かに神の計画はある。
 
しかしそれは後から振り返るべきもの。 
映画と人生は、ネタバレなしで、ワクワク・ドキドキと楽しむのがベストだ。

富士山噴火!?

2012年12月21日(火) 晴れ by キヨタカ

 最近マスコミで、「富士山噴火!?」の話題が頻繁に取り上げられている。
 
地震学者によると、
「富士山は過去2,000年の間に75回も噴火(小噴火を含む)。最後の噴火から300年沈黙している方が例外であり、いつ爆発してもおかしくない」
そうだ。
 
「冨士」は「不二」や「不死」にも通じ、永遠不滅の象徴とされている。 
 
それが最悪の場合、アメリカのセント・ヘレンズ山のように「山体崩壊」してしまう可能性もあるという。
 
 
早朝に窓を開けると、富士山が今日も朝日に赤く染まっている。 
 
明日はもうこの姿を見られないかも知れないと思うと、さらにいっそう美しく輝いて見える。 
 
この世は全て現れては消えて行く現象世界であり、仮の世界であると言う。 
 
しかし実相世界とか永遠の世界とかは何処か他にあるわけではなく、「今・ここ」に始めから存在している。
 
通常の私達は時間の世界に閉じ込められてしまっているが、「今・ここ」という扉が開く時、時間を忘れて喜びや美しさの源泉を垣間みる。
 
森羅万象の奥にある永遠性を垣間みる一瞬の輝き、それが美しさをより際立たせるのだ。
 
赤く染まった富士山の姿は、日が昇るにつれてたちどころに消えてしまった。
 
しかし消え去るものの中にこそ、本当の美しさがあるようだ。
 
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タントラ発祥の地

2012年12月10日(月)晴れ by キヨタカ

私が住んでいる場所は高台にあり、とても見晴らしが良い。(冬は寒いけど…) 
 
いつも富士山の写真ばかりアップするので、今日は「葛城山」をアップ。
朝日に赤く色づいて、とても美しい。
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「葛城山」と言えば大和(やまと)の筈だが、かつて伊豆半島は陸の孤島で流刑地だった。
 
この地に流されていた頼朝が伊豆で挙兵したのは有名だが、それよりずっと前の日本書紀にも流刑地としての記録がある。 
 
この辺りは「桂川」とか「嵐山」など、大和地方を思わせる名前が多い。 
 
おそらく「葛城山」も流刑人として故郷を追われた宮廷人が、かの地を偲んで名付けたのだろう。 
20090211_904994山の右はしにあるのが、城山(じょうやま)。
岩塊が隆起し「伊豆の力こぶ」と言われる威容をほこり、ロッククライミングのゲレンデとなっている。
 
この城山には、真言立川流の創始者:仁寛にまつわる話がある。 
 
平安時代の末期、真言宗の高僧(阿闍梨)であった仁寛は、政争に巻き込まれて伊豆に流された。
 
そのままこの地で真言宗の伝導に努め、武蔵国立川出身の陰陽師と出会い密教の奥義を伝授。
 
自分の役割を終えた事を悟った仁寛は、この城山に登り身を投じたと言う。 
 
奥義を伝授された弟子達は立川に戻り、やがて真言立川流として隆盛を極め、後醍醐天皇が帰依するまでになったそうだ。 
 
立川流と言えば淫祠邪教の代名詞くらいに評判が悪いが、それは後の徹底的な弾圧による偏見らしい。
 
もし弾圧されなければ、日本の仏教界もタントラ的なよりおおらかで愛に満ちた風潮になっていたかも知れない。
 
だからここ修善寺は、日本のタントラ発祥の地だと勝手に思っている。 
 
リーラスペースは、天と地、男と女、プレゼンスとビーイング、聖と俗、神と仏、努力と寛ぎ、アートマンとブラーフマン等々、あらゆる次元での統合をもたらす場所を目指している。
 
願わくば、陰と陽とが統合された新しい時代が到来しますように!

忘年会

2012年12月9日(日) 晴れ by キヨタカ

数年前にはあれほど騒がれて映画にまでなった2012年アセンションの日は、確か12月21日だったから残り僅か10日余り!
 
最近はアセンションに伴う人類滅亡論者のトーンもかなり下がっているようで、日本で有名になった某氏のサイトをたまたま覗いたら、来年のスケジュールが載っていた(^-^;
 
どうやらかなりの確立で人類はまだまだ存続しそうで、ほっと一安心である。 
 
しかしこのアセンションという概念、物理的な次元では荒唐無稽だが霊的な次元ではかなり的を得ているようだ。 
 
ここ数年の間の人々の意識の変化は驚くべきものがあり、リトリート参加者の意識が急激に上昇しつつある事は既にたびたびブログでお伝えしている。 
 
しかしそれはリーラスペース周辺だけで起っているのではなく、広く社会全体の中で密かにアセンションが進行中の様だ。
 
 
昨晩、ウィンドサーフィンでお世話になっているショップの忘年会に出席した。
 
サラリーマン時代から「宴会」は苦手でこの手の会には殆ど出る事はないが、この忘年会だけは例外で毎年出席している。 
 
ウィンド以外は共通する話題もなく、なんとなく場違いな感じがしていささか苦痛を伴うのが恒例だか、今年はちょっと雰囲気が違っていてとても楽しかった。 
 
初めて会った方と話をしたらかなりスピリチュアル方面に関心ある人だったり、いつも挨拶程度ですませる年配の方から「天野さんと、一度人生についてじっくりと語り合いたい」とマジで告白されたり、学生時代にお世話になった禅の指導者をよく知っているお坊さんがいたり…。 
 
ところで、この忘年会での最大のイベントはジャンケン大会。
 
ジャンケンの勝者にはボードやセールなどの高額商品がタダで貰えるとの事で、中高年のサーファーも歳を忘れてヒートアップする。
 
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今年は、20万以上もするボードがプレゼントされるとの事で意気込んでジャンケンに臨んだが残念ながら敗退。 
 
20代の若者が勝者となり、見事に商品をゲットする事に…と思いきや
 
「僕はこの間このサイズのボードを買ったので、いいです。○×君にプレゼントします。」と、一緒にウィンドをしている友人にプレゼントをしてしまった。
 
高度経済成長に育ち「もっと、もっと」という意識が当たり前でなんとか頑張って商品をゲットする事に喜びを見出す中高年世代から見ると、とても感動的だった。
 
こうした場面でこうした事をなんの気負いもなくサラリと言えるこの若者に、新しい意識が確実に芽生えつつある事を感じる。
 
アセンションは現在進行中なのである。
 

久しぶりの来客

2012年12月6日(木)晴れ by ヨガビジャ 

 昨日遅くに小山から戻り、今朝荷物を片付けていたら玄関の外で「おはようございます」の声。 
 
宅急便?と思って玄関に出たら何年ぶりかしら、◯ホ△の証人さんでした。
 
以前は若い男性やおとなしそうな女性が訪れてたけど、今回はおだやかな物腰の比較的年配の男性。  
 
う〜ん、話の腰を折るのが苦手でついつい聞き手にまわってしまう私ですが、その気もないのに長々とお話しを聞くのもなあ〜…と思っていたら、パタパタパタとキヨタカが2階から降りてきました。
 
よがび:(よかった〜・・・) 
 
    (小さな声で)キヨタカ、の証人さん。 
 
 
そう伝えてキヨタカにバトンタッチ。 
 
 
私はキッチンで片付けをしながら玄関でのやり取りを聞いていたら、 
 
 
キヨタカ:しょうにん(証人)って本来はどんな意味ですか? 
 
 
証人さん:・・・え? それは〜・・・  
 
 
キヨタカ:確かWitness」の翻訳ですよね。 
 
     私は瞑想をしているんですけど、 
     やはりWitness、つまり観照に留まります。 
 
     そちらの「証人」と「観照」は同じ語源ですよね? 
     真理はひとつ!
     目指しているところは同じですから 
     お互いがんばりましょうね♪ 
 
 
証人さん:・・・(  ̄.. ̄)?
 
 
 
よがび:(あれ? 冊子もくれないで帰っちゃったっぽい。。
 
 
 
キッチンに来てキヨタカ、 
 
 
 
あれで救われている人もいるんだから、 
 
それはそれでいいんだよね〜。。* o ̄) 
 
 
 
だって。
 
 
それにしても、キヨタカの対応が変わったなあ〜とつくづく感心。 
 
 
数年前に若い男性が何度か訪れたときは、いい人たちだけど眠りこけている(自分で考えないで闇雲に教義を信じ込んでいる)感じがキヨタカにはガマンならなかったようで、一度部屋に上がってもらいじっくりと話をしたのです。 
 
でもどんな質問をしても彼自身を感じさせない、神や教義を盲目的に信じているとしか取れない受け答えばかり。 
それで埒があかず、キヨタカは「もう、来ないでください」と帰ってもらったのでした。あの頃は熱かったな、キヨタカ。 
 
思えば、そのもっともっと以前、リーラスペースが八ヶ岳のペンションビレッジにあった頃、近所のペンションから「オ◯ムが入り込んでいるようだ」と警察に通報され、夜、私服警官が突然やってきた時、キヨタカは私服警官ふたりにダイナミック瞑想を説明して誤解を解いて、にこやかに帰っていただいたこともあったっけ。あの頃はもっと熱かった。。 
 
 
人って知らないうちに変わっていくんだなあ。。
 
 
今度またあの証人さんたちが来たら、 
 
部屋に上がってもらってお話していい? (・・?) 
 
とキヨタカに言われました。 
相手の話をあるがままに聞くカウンセリングの練習になりそうだからって。 
 
いいよ、って答えたけど 
 
たぶんもう来ないな、あの人たち…   ^^;

コメダ珈琲店

2012年12月6日(木) 晴れ by キヨタカ

実家に数日滞在し昨晩戻る。
 
毎回実家から帰って来る度に、なんだかタイムマシーンに乗って自分の過去を旅して来た様。 
 
実家に戻る事で、毎日の連続性が断ち切られて、ただ「今・ここ」へリセットされる。
 
実に不思議な感覚だ。
 
実家に行くと、あたかもプラグインしてマトリックスの世界に侵入したような気がする。
 
昔かよった中学校や子供の時に中華そばを食べた食堂などが今もあってなんだか夢の中の様な感覚に…。 
 
しかしもちろん実家もヴァーチャルリアリティではないから、時々刻々変化する。
 
前回戻った時は「薔薇の喫茶店」が閉店になって非常に残念だったのだが、なんと今回は小山に新しく「コメダ珈琲店」がオープンした。
 
名古屋では非常に人気あるチェーン店だが、喫茶店文化のない小山で果たして成功するだろうか?。
 
さっそく母を連れて行った。
Img_0712_3 
私はコーヒーとサンドイッチ、母はレモンティーを注文。
コーヒーはやや濃いめだが、サンドイッチがとても美味しかった。
 
 
母はレモンティーのおかわりを断られ、「ファミレスならおかわり自由なのに…」と不満そう。 
 
「家なら何杯もただ同然でお茶が飲めるのに…喫茶店に行くのはバカと不良だンべ〜!」と言う家風で育てられた私にとって、中校生で初めて喫茶店に入った時はなんだか悪い事をしている様で胸がドキドキだった。
 
小山で喫茶店文化が根付くのは大変そうだが、店内は新規開店という事もあり満員だった。 
 
果たして喫茶店文化が小山で花開くかどうか?
 
年末に実家へ戻るのが楽しみ。
 
コメダ珈琲店の活躍を期待している。

天国ってどこにあると思う? 

2012年12月4日(火) 曇りのち晴れ by ヨガビジャ 

 
どこも痒いとこがなくて 
 
痒くても、ぽりぽり掻いたらすっきりして 
 
お風呂でゆっくり温まることできるなら 
 
それって十分天国。

 
また植物アレルギーが出て全身が痒い私は
 
今まで自分が天国にいたことを知りました。(T_T)
 
Photo_4 
 
 
 
 
 
 
 
 体に貼るのはホカロンじゃなくて 
 保冷剤@ヨガビジャ 

 



 

Follow your bliss!

2012年12月1日(土) 晴れ by キヨタカ

ジョゼフ・キャンベルの人生観を一言で表すと、"Follow your bliss!"
 
名言である。
 
自主上映会のパンフレットには「至福を追求せよ。」と書かれているが、「至福に従え!」と訳した方がキャンベルの人生観に合う。 
 
マインドは「追求/Search」するのが得意だ。 
 
「至福」に向かって頑張って、その結果として「至福」を得る。
それは原因と結果の論理であり、マインドが得意とする分野だ。 
 
しかし「至福」とは、何かをした結果として未来に受け取るご褒美の様なものではない。
 
今既に、あらゆる場所に既に遍在している。 
 
だから、それを未来の結果として追い求める事は出来ない。
そもそも、「至福」とは「ノーマインド」という意識状態の事であり、マインドとは両立できない。 
 
だからこそ、瞑想が非常に大切な役割を果たす。
 
マインドに唯一出来る事、それはすでに存在している「至福」を知りそれに「従う/Follow」という事だ。
 
そして既に存在している「至福」を知る唯一の場所、それがハートなのである。
 
だから、「至福に従え!」とは「ハートに従え!」と同義だと言える。
 
Neko
 
 
数年前に、ある中小企業の社長Sさんと親しくなった。
 
 
 
Sさんは大企業で活躍していたのだが、大企業だと自分で本当にやりたい事が出来ないと気づいて、起業したと言う。
 
とても親切な方で、色々とビジネス的なアドヴァイスをしてくれる。
独力でビジネスを成功へと導いたノウハウが、色々あるそうだ。
 
Sさんからすると、リーラスペースの運営はビジネスとしては成立してないそうだ。
(…別にSさんに指摘されるまでもなく自明な事だけれども。)
 
Sさん:「もっと仕事の幅を広げて、収入源を確保するのが第一ですよ。」 
 
私:「でも仕事の幅を広げたら、当然やりたくない事も出てきますよ。それでは儲かっても楽しくないでしょ?」
 
S:「え?何を言ってるんですか、仕事とはやりたくない事の事ですよ!」
 
私:「でもSさん、やりたい事をするために起業したんでしょう?」
 
S:「確かに。でも本当にやりたい事を1割獲得する為に、9割やりたくない仕事をなんとか頑張ってしているんです。それが仕事と言うものです。」
 
私:「楽しい事だけを仕事にして、至福に満ちた人生を送るのが私のモットーなのですが…」
 
S:「…(^-^;」
 
結局、Sさんの視点からするとリーラスペースはビジネス的には成り立たないままになっている。
 
しかし、「楽しい事だけを仕事にして、至福に満ちた人生を送る」人々が多くなれば、この地上に天国が建設出来ると今でも信じている。 
 
『人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし』
と、徳川家康は述べた。
 
人生観は人それぞれユニークだから、とやかく言うつもりはない。
 
でもたとえ天下を取れたとしても、至福に満たされなかったら、つまらない人生だと私には思えるのだが…。

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