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私たちはすでに…

2012年12月27日(木)晴れ by ヨガビジャ 
 
今年最後のイベントとなった新宿瞑想会とスペシャルナイトイベントでは、個人的に感じることが多かったです。 
 
単に映画「ファインディング・ジョー」の試写会ではなく、通常のナイトイベントとワンデーイベントの流れの中で行ったこと、すでに瞑想経験があったり、リトリートに参加されている方が多く参加されたことも、あの場のエネルギーと雰囲気に大きな影響を与えていたように感じます。 
 
今回上映した「ファインディング・ジョー」には「英雄の法則」というサブタイトルがついています。 
そして「真の自分自身と出逢う冒険への誘い」のうたい文句、映画に登場するスピリチュアルな分野(だけじゃないか…)の錚々たる顔ぶれ、話の流れに沿って映し出される様々な映画の場面やヒーロー、ヒロイン。。 
 
初めて観たときから感動しまくりのキヨタカを横目に、なぜかストレートに感動できない私が変なのか…  
 
ずっとなぜなのか理解できませんでしたが、今回の一連のイベントが終了してやっと分かりました。 
 
それは・・・ 
 
成功したり、
なにか特別な大冒険に出たり、
自己犠牲をしたり、
非日常的な状況の中で
超人的な能力を発揮しないと、、、 
 
 
真の自分自身になれないんですかっー!!ヾ( T▽T;)ノ 
 
 
こんなふうに感じる、私がひねくれてるのかな・・・? 
 
 
登場する錚々たる20人の顔ぶれやその体験、矢継ぎ早に現われては消える映画の場面やヒーローを観てると、なんとなく彼らのようになることを奨励されているようで抵抗を感じていたみたい。。 
 
 
やっぱりひねくれ者ですか、わたし??( ̄- ̄; ) 
 
 
じつは今回、ナイト、ワンデー、スペシャルイベントの中での瞑想や誠実なシェアリングをお聞していて感じたんです。 
 
家族のことで悩むのも、 
莫大な借金を抱え思い通りの人生を送れないのも、 
仕事がうまくいかないのも、 
問題だらけの人間関係も、
大切な人との別離も… 
 
すべては 
すでに人生そのものが山あり谷あり、
一条の光も射さぬ深くて暗い森や、
行く手を阻む荒れ狂う海… 
 
そんな冒険物語じゃない? 
 
 
好むと好まざるとにかかわらず 
 
 
もう冒険の旅に出てちゃってますよ、私たち。。 ( ̄◇ ̄;) エッ? 
 
 
そして、出ちゃっているからにはそのことに意識的であった方が断然いいと感じるから、この「ファインディング・ジョー」のような映画の存在は今という時代のニードによって創られたのでしょうね。
 
 
でもあんなに華々しくなくても、偉大なことを成し遂げなくてもいいんじゃないかって思って。(これは私の映画の見方が偏っているのかも…)
 
大切なのは結果や目標じゃなくて経験そのものの気がします。 
 
今生きてるあらゆる瞬間、なにを感じ、なにを考え、どんな行動をして、なにを選択し、なにを選択しないのか・・・ 
 
それが、その瞬間瞬間の自分を宣言していて、そのようにして偽りの自己を落とし、真実の自己があらわになっていく。 
 
私たちはすでに冒険の中、、そう感じました。

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イベント」カテゴリの記事

コメント

お!ヨガビジャ~ん って思ったら
なーんだ 映画の評論かよ がっかりだなw

そんなことより 一言 さようならーくらい
返事のコメントを入れて欲しいもんですよ
まったく。

しかしなんだね・・どこに行っても
だれもコメントって 付けてくれないよねー

嫌われてるのかなぁ? まぁいいけどね。

久しぶりにお姿が見られて よかったです(^^;
ありがとうね。
 

はじめまして。


12月22日・23日のイベントや、「ファインディング・ジョー」の記事、どきどき、わくわくしながら、拝見させていただいておりました。


この数年来取り組んできた「アセンション」が、このような形で過ぎた今、放心状態の人、これからどうしようか迷っている人もきっといると思います。(自分もそのひとりです。)
きっと、笑われるかもしれないとか、或いは様々な溢れそうな思いで、口にしないだけだと察しています。

私はキヨタカさんの本を読み始めたばかりで、修善寺日記の更新も、最近楽しみにさせていただいております。
先を歩んでおられるキヨタカさんのお考え、ヨガビジャさんのお考え、リーラスペースさんの取り組み、とても参考になります。


きっと時を同じくして、「さてこれからどうしようか・どうなるんだろうか・・」との模索の中、キヨタカさんの本やリーラスペースさんのサイト・イベントに導かれた人もいるのではないかと思い、記させていただこうと思った次第です。

「そのような視点で、拝見している読者もいます。(そして励みにしています!)」ということを、キヨタカさんとヨガビジャさんに、ちょっとだけお伝えしたく。。。

そして、「アセンション」目指した日は通り越したけど、今、『ここ』に辿り着いたのはあなただけじゃないよ(私もそうだよ)ということを。


これからも修善寺日記、楽しみに拝見させて頂きます☆
そして来年はイベントも、参加させていただきたいです!
(岩手住みなので、ちょっと遠いです)


それでは、どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ。

ぷらまた さん

なぜなら、ぷらまたさんのコメント、
日誌の内容とまったく関係なかったり、長くて私には最終的になにを伝えたいのか分からなかったりで、やはりご自分のブログを開設して書かれた方がいい内容だと感じます。

(植物アレルギーの情報はありがとうございます。
 病院の先生が言われていたのと同じです。
 今はだいぶよくなりました)

それに、これまでにも何度かさよならは書いた気がしますね。
今回コメントをしないことでどう展開していくか観ていました。

・・えー! 
さようならは もう何度も書いた!?だってΣ( ̄ロ ̄lll)
・・そう言われれば、そうれもしれなーい・・
って、なんちゅー会話なんだ。

それはまぁ冗談です。「どう展開していくのか観ていた」
こっちの方が肝心ですね。

実は、僕も待っているというか・・いや別に
待ってもいないけど、それでも
なんというか、待っている・・これは本当です。

説明するのは難しいような事柄のせいで
待っています。二三の判断材料というか・印をみて
触れるべきなのか、触れる必要のないことなのかなぁと
迷っているから、待っているとも言えます。

確かに、大きなお世話なんですよ。
それも知っています。それでも・・今朝の展開を見て

まぁ・・そうだね。触れないくてもいいのだろうと
思う事にしました。
いや、別に大したことじゃなくて
たとえば、先に僕が
「どうか、そのような事になっても
 怒らないでくださいね。あなた自身の為にも、
 その時には、どうか怒らないでいて下さい。」と
先に、平謝りに謝っておくかどうかというような
微妙な事柄なんだけどね(^^;

そのような事を、まぁ・・それでも
触れなくても いいな と 思う事にした 朝
ですね。

・・それで、そっか だいぶよくなったのね
ちょっと安心。でも大変。。。

家の母は、
人工透析を数年続けるようになって
透析の必要な日数の間隔も一日置きになる頃には
透析中に度々心臓も止まってしまうほど
体力的に弱くなってしまって

ちょっとした動作や移動も、身体との同化が許されないような
極限のヴィパサナ・・そのもののようでした。

私の母らしい(^^;ですね。

とはいえ、それでも冒険の中にいるとは
思わないだろうと思います。思えなかったと思う。

身体が弱まると、自然と他の病気も
起こりやすくなったりして、
最後は胸の位置に大きな癌が見つかり、
外科的な排除でもその全てを取り除くことも難しく
結果的には、そのせいで亡くなったことに
なっています。

意識的になる・・こうしたことも実際は
親も教えてはくれないと思う
学校でも教えてはくれない、けれど
そうした事に関わる幾多の方々のお陰で
教えてもらったんだな と 思っていたりもします。

死期もせまった頃のある日には
寝室のテーブルの前で、家計簿を付けていたのかな?
静かに座っていた姿が印象的でしたが・・

亡くなる1時間ほど前に会ったのが最後です。
その時にはもう、痛み止めの注射のせいでか
震えが止まらずに、開かれた瞳は恐怖にみたされて
震え上がっているみたいでした。

これには、おそらく理由があって・・
夫婦養子な母は、最後まで祖母に対する憎しみを
手放せなかった・・ですね。
病気の原因となる、そもそもの初めに
病院に行かせて貰えなかったことから・・w
静かに見えても、憎しみはあまりも強大でした。
なぜか? 自分の方が正しかったから
なんだと思う。母の見解は正論だったです。

最後には、「首になわをつけてでも
連れて行ってやる」とまで、言っていましたが
言葉の通りに、祖母は一年後に
普通に元気な朝に、突然倒れて、事もなげに
亡くなってしまいましたが。

と、こういうのは 自分のブログに書けってか
それはそうだな(^^; 
もう 書いちゃったけどね。どこかは知らないけど
(ブログの数も多すぎるしw)
 

ぷらまたさんのニーズは自分の話を聞いて欲しい、ありのままを認めて欲しい、ということですか?

お母様のお話は興味深い貴重なものだと思いますが、この記事に対するコメントとしては適切ではないと私は思いました。
ちょっと混乱している印象があります。

ただ私はそう思ったという、それだけの話です。

そう!まさに それです。

「適切ではない」

その為に、わたしはいるんだよね 多分。
しかし 安心してくれて大丈夫ですよ

もう書いたりしませんから・・約束だね。
ありがとう、ありがとう。

「適切ではない」 そう覚えておいてくれれば
幸せだ~(^^ 最高の年末!

皆様も どうかよいお年を ・・いい言葉 
(「適切ではない」) 

ぷらまた さん

やはりぷらまたさんのコメントはコメント欄の主旨から外れていると感じますし、ここを初めて訪れた方にとってここが意味不明な場になって欲しくないので、今後のコメントは削除させていただきます。

やまさまが書いてくださったようにお母様のお話はいいお話だと思いますので、ぜひご自分のブログで書いてください。

私個人やリーラスペースに伝えたいことがあるのでしたら直接リーラスペース宛にメールしてくだい。

ヨガビジャさん(*^ω^*)

わたしは「ファインディング・ジョー」を見てないのできちんとした意見は言えなのですが、映画のお知らせを見てすぐにでも「スペシャルナイトイベント」に参加したい!!!って思いました。

でも、なんか心にしっくりとこなかったのは、ヨガビジャさんが書かれたことなんだとそう思いました。

求めない。

ただ在るということ。

それ以上の真実はないと思います。

ただそれぞれに応じた「在り方」が大切だなんだと思います。(*´Д`*)

hayachinehime さま

コメント、ありがとうございます。

私には歴史的イベント(?)としてのアセンションのことはよくわかりませんが、瞑想会やリトリートを通して自分を含むすべての人の理解や成長、変化のスピードが加速してる事は何年も前から肌で感じていました。

2012年12月21日を過ぎてもその流れが止まる事はないでしょうし、個人レベルでのアセンションはいつも「今ここ」で起きている気がします。

どうぞ、ぜひ一度イベントにお越しくださいね。
きっと実感できると思います。

よいお年をお迎えください。^^


ぎんいろのりゅう さま

じつはあの映画の中では私が書いたような、成功すべきとか、冒険に出ろとか、スーパーマンのような特別な誰かになれとは、一言も語られてはいないんですよ。

そういう意味においてキヨタカは、私のこの日誌には納得しかねるようです。

語られず、描かれていないことに、なぜ私は引っかかるのか?
あの映画の創りからそう感じてもやむを得ない部分はあるかもしれませんが、それを感じる人と感じない人がいるのは興味深いですね。

映画の見方に正しいも間違っているもないと思いますが、自分にとってどの部分が印象的で、どこに引っかかるか、、それが自分を客観的に映す鏡になっている気がして、感想を書くという作業もなかなかおもしろいなと思いました。

そして、私たちはどの瞬間にも自らの「在り方」を問われている気がします。その「在り方」が真の自分を現すものでありたいと強く願います。

(これがこの映画の主旨では?と問えば、キヨタカも異論はないはず。。(^^; )

なかなか私には響く日誌でした。
私もずっと何かしなければと思ってきたのですが、ちょうどいい具合に疲れてきたんですよね。

ファインディング・ジョーは見てないんですが、ヨガビジャさんのおっしゃるその感覚、わたしにもあります!

きっと人それぞれで、特に男性性の質にある、何か目標を貫くということがエッセンスの表現として自然なんですね。

厳しい環境の中でも子孫を残すために守り戦ってきたDNAがありますからね。

女性ならば、自分に似合う新しい服が手に入った時ってすっごく嬉しいですもんね。なんでそんなに嬉しいのん?と男たちに不思議がられるようなもんじゃないですかね。

キヨタカさんとヨガビジャさんが男性性と女性性の質をそのまま表現されているように思え、私としてはとても勉強になりました。ありがとうございます。

yuri さま
同じ映画を観ても人それぞれに受け取り方が違っていておもしろいですね。

私とキヨタカは共感する部分とまったく正反対なところがはっきりしていて、意見が合わない事も多いですが、ある部分ではまったく同じ感性をしていると感じる事があります。
だから一緒にいられるのでしょうけど。。

このブログに対する客観的ご感想をありがとうございます。

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