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どんな「今」?

2013年1月12日(土) 晴れ by ヨガビジャ 

(大変遅ればせながら…) 

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。<(_ _ )> 
 
マヤ暦最後の年ということでなにかと話題の絶えない昨年でしたが、2013年はみなさま、どんな「今」におられますか? 
 
私は2012年という年を特に意識してはいませんでしたが、たしかに昨年の12月と年が明けてからとでは、なにかが大きく違ってきている気がします。 
 
個人的には昨年の11月あたりから自分の疑問や求めに対し、本やネット、映画、人との会話などを通してメッセージやインスピレーションを頻繁に受けとっていた気がします。それも時間差なしに。。 
たった今胸に抱いている想いに「ハイ♪」とヒントが差し出される感じです。 
 
それはなにかすごく特別なことや、高尚な理解とか目覚めとか大層なことではなくて、これまでも起きていたものですけど。 
 
ただその起き方がよりパワフルというか、これまで「シンクロだ〜♪」と喜んでいたことが当たり前に起きている感じなのです。 
 
あるいは、たった今自分が感じ考えていたことをそのまま誰かが同じタイミングでブログで書いていたということも頻繁に起きていました。 
本当に意識が繋がっているというか、共振しているのでは…?と感じます。
 
 
目に見えない時間という厚いベール、この次元と次ぎなる次元を遮るベールとでもいうもの・・・? それらがいくつも消え去り、物事の起き方も、理解も、伝達も、スピードも、なにもかもが、今までとは違う。 
 
それは誰の目にも明らかな華々しい変化として起きているのではなく、たぶんですけど、誰もが自分の内側でやっと感じ取ることができる微細なレベルで起きているように私には感じられます。 
 
 
私は昨年の秋からアレルギーで痒くなり(今は大丈夫)、年末年始はバタバタして、伊豆に戻ったら熱が出ました(今はほぼ大丈夫)。
 
そんな体調不良の時は注意は外に向きにくく意識が自然に内に向きやすいから、もしかしたらすでにそうであったものに、やっと気づけただけなのかもしれないです。 
 
そう思えば体調不良もありがたいですね。 
どんなことにもいい面も悪い面もある。 
だったら、いちいち一喜一憂してもしょうがない。  
 
うまく表現できないのですが、、、 
 
自分の問や想いに対するインスピレーションを、内側で「ポッ」と小さな光を灯すように受け取ると、その光がすぐに消えてしまっても、一瞬の閃光が私にその先を予感させ、さらに奥へと誘ってくれる。 
 
だから、常に光を失わないようにし続けたり、その光を大きくすることに躍起にならなくていいみたいです。そう感じたらすごくリラックスしました。  
 
光も闇も、嬉しいことも苦しいことも、すべては来ては去って行くから。 
なにかを選ぶ必要もない。 
 
私にとって2013年はタオ的な感覚とともに始まっています。 
 
さて、みなさまは、どんな「今」におられますか? 

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コメント

>体調不良の時は注意は外に向きにくく意識が自然に内に向きやすい

なるほどね。実感しました。

起きることや起きないこと、それ自体には意味はないものね。

そこからなにを受け取り、どんな意味付けをするかは私たち次第。それは存在からの大きなギフトだと思うな。。

寒中お見舞い申し上げます

こちらは ここ数日 文面通り 寒中でした

いつも 楽しみに拝見しておりますが
今回のは 
ヨガビシャさんが書いてくれたこととほとんど 同じ感覚、体験をしております

特に 「個人的には昨年の11月あたりから自分の疑問や求めに対し、本やネット、映画、人との会話などを通してメッセージやインスピレーションを頻繁に受けとっていた気がします。それも時間差なしに。 
たった今胸に抱いている想いに「ハイ♪」とヒントが差し出される感じです。」

瞑想の入口でさえ ウロウロしている私にさえも 同じような体験が・・ です
今朝も仕事場でそのようなはなしをしておりましたのが
 今 お邪魔したら ・・・・
ヨガビシャさんが書いている !!
 

先日も BS4にて 伊勢神宮内宮の
撮影禁止の場所の5~6m高さ3~4mの
白いベ-ルを両端を誰かがもち ゆっくりゆっくりと 水平に持ち上げてくれ
直接は見られないはずの 奥の院を見せて頂きました 
旅人の高木美保さんを招き入れているようでした
あれは風の具合にしても 不思議な動きでした 
神々しさに胸うたれました

そうですね
この大きなギフト
今年も 自灯明頼りに歩きますので どうぞよろしくお願いいたします

kamran さん

コメントありがとうございます。

今という時代に則して起きていることを体験するのに、瞑想の入口にいるか、瞑想に熟達しているかは、ほとんど意味をなさない気がしますよ。

『白いベ-ルを両端を誰かがもち
 ゆっくりゆっくりと 水平に持ち上げてくれ
 直接は見られないはずの 奥の院を見せて頂きました
 旅人の高木美保さんを招き入れているようでした
 あれは風の具合にしても 不思議な動きでした 
 神々しさに胸うたれました』

この文章からは言葉を超えた、瞑想の深みで垣間みるあの空間が伝わってきました。
それを神々しいと表現されるなら、瞑想の入口でウロウロ…とは思えませんね。

こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。^^


存在からの贈り物である僕らの自由意思に感謝しつつ、あけわたしてリラックスしていること。そうすると、自由意思を行使する必要さえなくなるかもしれない・・・

ヨガビさんの日記を読んで、こんなメッセージが浮かんできました。

そして、ホットしました。ありがとう。

今年もよろしくです。

M さん

自由意志からも自由になったら、すでにあった自由に気づく…そんな気がしています。

不自由さの中でこんなことを感じているのですから、不自由と自由の間に境界線なんてないのかもしれませんね…
不自由は自由へと、自由は不自由へと私たちを運ぶなら、どれかを選ぶことに意味などない気がしました。
そう感じたら力が抜けてリラックスしました。

私にとっての2013年はそんな年なのかもしれません。

今年もよろしくお願いします。

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