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魂の嗅覚

2013年2月10日(日) by キヨタカ

「うむ」さんから「似非(えせ)アドヴァイタ」に関する詳細なコメントを頂いた。
 
なにしろあの記事は2年半前(2010年8月25日)に書いたものなので、なんだか過去生を思い起こした様な気分。
 
あの頃はまだ、「何が正しくて何が間違っているか」という判断基準が自分の中にあった様に思う。
 
だから覚醒を説く教師に対しても、この人は「本物か偽物か?」とか「正道か邪道か?」とついつい判断してしまいがちだった。
 
しかし例え「邪道」とレッテルを貼られる教師であっても、その生徒さんにとっては成長していくプロセスの中で必要な教師なんだろうと思えるようになった。
 
人は誰でもこの世でそれぞれに「役割」を果たしている。 
 
だから今では、似非アドヴァイタの教師であっても、ウェルカム♡
 
逆に言えば、お釈迦様やキリスト様の如き「本物で正道」である事が疑いない教師であっても、学びが終わればそこから卒業する必要が生まれる。
 
実は必要な教師を見つける事は比較的簡単だが、その教師から離れるというのは容易ではない。
(…少なくとも私の場合は)
 
私の場合は、最初に出逢った覚者である松庵さん(禅の師匠)に始まり、OSHO、リー・ロゾウィック、サイレンドラ、アジズ、フーマン等々、その覚者から離れて次のステップに導かれる度に七転八倒の苦しみを味わった。
 
ちょうど最愛の恋人にサヨナラを言わなければならない感じで、これは恋人からサヨナラと言われるよりも辛い。
(↑サヨナラと言う事に快感を覚えるS 的な人もいるだろうけれどもcoldsweats01
 
「正しいか間違っているか」という判断基準を捨てた今、私の中ではそれに置き換わるとてもクリヤーな新らしい基準が生まれた。
 
それは、その人の存在や意見が「自己を解放するか、それとも制限するか?」と言うもの。
 
この判断は思考に先だって存在する「魂の嗅覚」というレベルの基準で、今のところこの判断に従って失敗した事はない。
 
だから、たとえその人がとても素晴らしいと評判の覚者であっても、その人の存在が自己を制限する臭いがしたら、出逢いを感謝してさっと離れる事が出来る。
 
これは魂の教師を選ぶ基準に止まらず、仕事や環境など衣食住の日常生活全般に渡って使える基準で、その応用範囲はとても広い。
 
恩寵とかガイダンスに導かれて生きるコツ、とでも言えるものだ。
 
ぜひお試しアレ!

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