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変わっていく

2013年2月5日 曇り by ヨガビジャ 

私が中学生くらいの頃だったと思います。 
私は時おり戦争が起こればいいと思うことがありました。 
 
その頃住んでいた家の周辺一帯は田んぼで、見渡した田んぼのずっと先にあるのは4本の巨大なコンクリートの煙突を持つ焼却所と毎日通う学校の校舎と数軒の民家。 
 
その田んぼの中の道は通学路であり、日曜には母と一緒に買い物をしにスーパーへ通う道であり、小学生の頃はフナやザリガニを獲ったりスケッチをする遊び場でもありました。 
 
中学生という多感な時期のせいもあるでしょうが、この平穏無事な日常に息苦しさを感じて、なにもかも壊してしまいたい衝動を感じていました。 
善悪などという頭の理性など及ばない衝動。 
自分が今生きてるという実感を感じたかったのかもしれません。 
 
今だから理解できるのですが、例えるならその頃の私はA4というある大きさの平らな平面の上で生きているように感じていたのです。
その上では自由に動けるのだけど限界がある。 
そこから出られない、閉じ込められている感覚。 
 
実際、子供というのは生きて行く上で親に頼らざるえないわけですから、ある意味とても制限された自由(制限があったら自由ではない…?)の中で護られて生きているのでしょう。 
 
そうやって成長していく過程で様々な感じ方や考え方、価値観、適応力や反応パターンなどを身につけます。 
たとえそれがどんなに稚拙なものであっても、子供なりに懸命に考え学び身につけてきたものです。 
 
そして、子供の頃に役立ったそれらは大人になった今もそのまま存在し、無意識にあらゆる場面で影響を及ぼしているのを感じます。 
 
 
もう10年以上も前のセッションでフーマンは、私が口にする言葉に過去からの思考や感情のパターンが感じられるとそれを指摘し「今あなたはもう大人なのだから…」「あなたには今その強さがある…」と、私が子供の頃から持ち運び続けているパターンから離れることを後押ししました。 
 
 
私たちが大人になっていくということは世界が広がっていくこと、、
と言えるかもしれません。 
平面だった世界に奥行きや高みが現れてくる。 
それとともに制限のない自由に気づく。 
 
もし今それが感じられないのだとしたら、過去に役立った、でも今はもう必要のなくなったものに捕われているのかもしれない。 
 
 
I AM(私は在る、真我)に止まれば、他は一切必要ないという考えがあります。実際そのような方もおられるのだと思います。 
 
でも私の経験では、その I AM に止まることを困難にしているなにかを感じるのなら、その状態で I AM 以外はすべて幻想…と言ってしまうことには抵抗を感じます。
 
たまに健康診断を受けるように、今の自分にそぐわない思考、感情、反応のパターンなどに気づいてみるのはいいことではないかと思います。 
 
それらをどうにかする必要はありませんけど、それに気づくことでそれを選ばないという選択肢が生まれるから。 
そして、いつもと違う選択をすれば現実は変わっていくから。 

それは遠回りに見えて、本当の自分で在ることの近道なのだと感じます。

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 刻一刻と
 春は近づいています 

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