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音楽家の道

2013年5月6日(月) by キヨタカ

生まれたばかりの子供は可能性の塊だ。
 
その可能性を上手に引き出す事で、人は驚くべき才能を様々な方面で発揮する事が出来るようになる。
 
今では、幼児教育に関する研究が進み、叱らずに褒める事でその子供の才能を伸ばすという事が常識になりつつある。
 
もしも私が、「叱らずに褒める」という雰囲気の中で育てられたら、今とはかなり違った人生を歩んだかも知れない。
 
子供の時、私は音楽が大好きだった。
 
姉のリコーダー(縦笛)を見よう見まねで吹いて、上手に演奏出来たので両親はとても喜んだ。
 
私がピアノを習いたいと言ったものだから、親バカな両親はさっそく近所のピアノの先生の所に通わせてくれた。
 
先生は私の音楽の才能に驚いて熱心に指導、やがて音楽家としてモーツアルトやベートーベンを凌駕する大作曲家の道を歩み始め・・・とは残念ながらならなかった。
 
このピアノの先生は、とても厳しくていつもイライラしていた。
 
私が少しでも鍵盤を間違って叩くと、「チッ!」と舌打ちする。何度弾いても間違うと、私の手を容赦なくピシャリと叩くのである。
 
「ピアノとはなんと厳しい道なのだろう!」と、子供心に思った。
 
<彼女は病的なヒステリー状態だったと今にして思うのだが、当時の私は知る由もない>
 
Fig3
先生は、「モーツアルトは3歳でピアノ(チェンバロ)を弾いて5歳で作曲をした」と言う。
 
さらには「大作曲家になるには、絶対音感が必要で普通の人には絶対無理」とダメ出しをする。
 
 
ライオンの母親が我が子を敢えて崖から谷底へ突き落とす様に、敢えて音楽の道の厳しさを私に叩き込もうとしたのかも知れない。
 
しかしそう言われた本人は、「そうかボクはもう8歳なのに作曲出来ないから、音楽家は無理だしピアノも弾けない」と素直に思い込んでしまった。
 
するとピアノのレッスンが苦痛でたまらなくなり、練習は殆どしなくなり、とうとう「バイエル100番」でレッスンを止めてしまったのである。
 
ずっと後になって、私がカリフォルニアの脱催眠療法(De-Hypnotherapy)研究所に滞在中、ホールにピアノがあった。
 
『自分には出来ない』というのは子供時代に植え付けられた条件付けに過ぎない。その条件付けを解除すれば何でも出来るようになる。というのがここの研究所のメッセージだった。
 
そこで私は、暇な時にホールのピアノを使ってベートーベンの名曲「エリーゼのために」を独学で練習した。
 
すると数ヶ月後には、「エリーゼのために」を暗譜で弾く事が出来るようになったのである。
 
すごく嬉しかった私は、研究所での33歳の誕生パーティーの席上でさっそく「エリーゼのために」を演奏、拍手喝采を浴びたのである。
 
結局音楽家にはなれなかったけれども、 「人間の可能性は無限だ」という事を体験的に知る大きなきっかけとなった。
 
最近では、本気で音楽家になろうと思いさえすれば、今からでも遅くはないと信じている。

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