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2013年5月

Gさんからのメール

2013年5月31日(金) by キヨタカ

真理は一つだ。
 
しかしその表現方法はその人の個性の応じて非常にユニークであり、真理を学ぶ方も自分に合う教師を選ぶ必要がある。
 
自分に合わない教師に出会うと、あらぬ方向へ行ってしまったり不必要に傷ついたりする。
 
例えばアジズの場合、彼の波長に合う人々の幅は非常に狭い。
 
しかしそこにピタリと合うとちょうどレザービームの様で、深い洞察を得る事が可能だ。
 
しかし自分に合うかどうかは、実際にアジズ本人に会ってみないと解らない事も多い。
 
私がオーガナイズをしている時は、「この人は絶対に合わないだろうな〜」と思う人がアジズの瞑想にドン・ピシャリと当てはまって喜ばれた事も何度かあった。
 
だから今でもアジズに会いたいという人がいれば、「ヒマラヤでアナディの名でリトリートをしていますから、行って下さい」と返事をすることにしている。 
 
カナダに在住しておられるGさんもその一人。
 
まだお会いしていないが、たまにメールのやりとりをしている。
 
3年前の事だが「アジズとの対話」を読んで感銘を受け、ご夫婦でわざわざアナディに会いにヒマラヤまで出かけたそうだ。 
 
その結果は散々だったそうで、かなり失望して帰ってこられた。
 
聞けばラーマクリシュナ信者だそうで、ハート指向の方にとってはアナディは絶対に合わない事は明らかだった。  
 
その事に関してメールで詳細に伝えたが、アナディに会ってからの事なのでなんだか「後だしジャンケン」のような気持ちもあった。
 
アナディに会いに行く前に、もう少し明確に伝えた方が良かったのかな〜と思う。
 
その後、しばらくご無沙汰していた。
 
ところが、先日久しぶりにGさんからお便りを頂いた。
 
今回なんと毎年訪れるインドのホテルで、全く偶然にムージと会い魂の方向性が明確になる出来事が起ったそうである。
 
20130531_62446ムージは、アドヴァイタ系のマスターとして西洋で非常に人気が高い。 
 
ハートセンターが全開で、ハート指向の方にはとても合うだろう。 
 
私も昨年バルセロナでムージのサットサングに出席した事がある。 
 
彼の話もエネルギーもとても素晴らしかった。
 
ただ非常に残念ながら、古典的なインド式「グルvs信奉者」というスタイルなのでかなり引いてしまうものがあった。
 
さらに、あまりにも大勢の信奉者に囲まれているので個人的接触はもう不可能だった。
 
ところがGさん夫婦は今回、会おうともせずに偶然にプライベートな出逢いが起って貴重なメッセージを受け取ったと言う。
 
まさに起るべくして起った、「恩寵による導き」のサンプル!
 
これこそ、私が「覚者を求めて」の中で伝えたかったメッセージだ。
 
Gさんの承諾の下に、頂いたメールを下記に転載します。
 
* * *
 
「覚者を求めて」の出版おめでとうございます。
 
早速購入させて頂きます。
 
近況としては毎年春にインドを5~6週間訪れています。
 
昨年からはラマナアシュラムと各地のラーマクリシュナミッションに半々くらいの割合で滞在しています。
 
今年インド滞在の最終日、驚きの恩寵に浴する機会がありました。
 
是非キヨタカさんとシェアーしたいと思います。
 
日本行きの便をその日の夜の8時過ぎに控えて、いつもならすぐ近くの ラーマクリシュナミッションのテンプルに行っている時間なのに、パハルガンジのホテルでだらだらしておりました。 
 
エアコンがほとんど効かず、数10分ほど前からドアを開けっ放しにしてありました。
 
すると向かいの部屋からなんとMoojiが出ていらしたのです。
 
主人が驚いて声をかけると、気さくに応えて下さり、そのまま私達の部屋の椅子に腰掛けて、30分ほどプライベートサットサンガ(?)をして下さったのです!
 
信仰の道と知識の道の両方が必要なこと、アートマウ゛ィチャーラは一般に思われているほど決して難しくはないこと等、ビデオで見ていたとき以上の優しさで熱心にお話しして下さいました。
 
そして、もうこれ以上あれこれしようと迷わないこと、このままですべて大丈夫だということを確証して、最後に祝福を与えて下さいました。
 
以前キヨタカさんに頂いたアドバイスのお陰で、今では外なる師に対するこだわりはなくなりました。
 
逆にこうした心境になれたので賜った機会だったのかも知れません。
 
この夏は娘が京都に一時帰国したり、息子がエドモントンの北部に就職したりで、ようやく家の中でもアシュラム風(?)になり、サーダナがし易い環境が整いました。 
こうしたなかで「覚者を求めて」が読めるのを楽しみにしております。
 
PS.  Moojiは、私達がラーマクリシュナの信者だとお話しすると、御自身も昔「カタムリタ(ラーマクリシュナの福音)」を泣きながら読んだこと、師に所縁のダクシネシュワルを訪れたことなどを話して下さいました。
 
* * *
 
この際せっかくだから、3年前のGさん宛のメールをアップしておく。
 
アナディに会いたい方のご参考までに…
 
* * *
 
Gさま 
 
ご丁寧なお便りを有り難うございます。
 
アナディに会いにわざわざヒマラヤまで行かれたとは、真理への情熱をひしひしと感じ敬服しています。
 
しかし、アナディに関するご感想は、「やはりそうだろうな」としか言えません。
 
アジズの教えは首尾一貫しているので、マインドの強い人にとっては魅力的ですが、私にとっては残念ながら魂の解放をもたらすものではありませんでした。
 
「恩寵の扉が開くまでPart2」を読んで頂ければお解りだと思いますが、フーマンはアジズを「ステート オブ プレゼンスを教える教師である」「アジズの教えの合わない人は大勢いる」として、その役割を果たしたアジズからは離れる様に、私に対して個別に指導してくれました。
 
しかし他の生徒に対してはその事を明確にしないまま肉体を離れてしまったので、この本を出版した背景にはそれを明確にする意図もありました。
 
実際にはもう少しシビアに語っていましたので、それをお伝えすればアナディに会いに行く気持ちも起こらなかったかもしれません。
 
しかし現にアナディとして教えを復活しかつその教えが役に立つ人々もいるのですから、アジズ(アナディ)に関してあの本以上の事は語れない事をご理解下さい。
 
アナディとしてはアジズ時代を凌駕しているという自負もあるでしょうし、また、私を真の探求者へと導いてくれた恩義は今でも強く感じていますので…。
 
でも結果的には、アナディに会った事でお二人ともハート指向である事が再確認できて、とても良かったと思います。
 
「明け渡す事や謙虚である事」、「日常の些細な事柄に喜びを見出せる事」、「する事よりも在る事に価値を見出せる事」「シンプルである事」等々、ハート指向の優れた資質を大切に育んで下さい。
 
しかし残念ながらハート指向の人は、「自分を目覚めさせてくれる師は外側にある」と固く信じ込む傾向が強い様です。
 
私の場合マインドが強いにも関わらず、やはりその傾向がかなり強かったと思います。
 
真実を申しますと、決して「外側のマスターがあなたを解放する」と言う事はあり得ません。
 
外側のマスターは、「真のマスター(サットグル)はあなたの内側にある」事を指摘してくれるに過ぎません。
 
フーマンも、結局は私の内側のマスターを指摘する役割を果たしたに過ぎませんでした。
 
それにも関わらずその事を理解できない私は、フーマン亡き後別なマスターを求めて、4年前にはカナダに4回も通いましたよ!
 
そのマスターは、カナダのエドモントンのジョンという人でした。
 (おそらくご存知だと思いますが…)
 
結局ジョンの所でも埒があかず、ようやく自分自身の内側のマスターを信頼し始めました。
 
私の経験によるアドヴァイスは、「外側の師を探すのをgive upした時に、内側の師が現れる」と言う事です。
 
しかしいくら私がそう言っても、「真の瞑想の師」を求める衝動が消える事はないでしょう。
 
ですから、これからも誠実に求め続けて下さい。
 
必ず、必要な時に必要な人が現れると思います。
 
しかし結局は、その人は存在の鏡としての役割を果たして、「真の瞑想の師であるあなた」を映し出すでしょう。
 
その時に初めて「探求の旅」が終わり、自分の内側から愛と感謝が溢れ出して、それを他の人々に分ち合う新たな人生が始まると思います。
 
マインドはそれをはるか先の事と思うでしょうが、意識の加速化が急激に進んでいる現在では、数年内にそれが可能であると思います。
 
それまでは、未来を先取りして、可能な限り「目覚めた魂として今を生きる事」を心がけると良いでしょう。
 
リーラスペースでも、2ヶ月に一度のペースでリトリートを行っていますので、ぜひ参加して下さい!
 
「悟った人が悟らない人々を導く場」ではなく、「例え小さくとも内側の光を信頼する人々が集う場」を創る努力を続けています。
                                                                                 2010/4/12
By キヨタカ
 

雨と雨の間

2013年5月30日(木)雨時々曇り by ヨガビジャ 
 
Img_1762 しずくの数だけ 
 
世界がある
 
 同じものを映しても
 少しずつ違う
 
 
 
 
 
 
 
Img_1792 実物は 
 しずくより大きいのに
 すっぽりと収まってる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_1818 あるいは
 
デフォルメされていたり

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_1811 お 
( ̄o ̄)
 
 
 
 

 
Img_1836 あ 
( ̄ ̄)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_1839 え 
( ̄◇ ̄)?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_1847 
 
 
 
 
 
 
 
 
 映し、映され 
  「私」を知る世界

魂の旅行記〜「覚者を求めて」感想

2013年5月29日(水) 雨 byキヨタカ

リーラスペースの瞑想会に毎回参加して頂いた、KさんがFacebookに「覚者を求めて」の感想を投稿して頂いた。 
 
ご本人の了解の下に、修善寺日誌に転載しよう。 
 
「魂の旅行記」と紹介して下さり、「なる程そういう読み方もあるな〜」と感心しする事しきり、もう一度自分でも読み直してみたくなった。
 
* * *
 
簡潔にまとめられた旅行記は読んでいて楽しいものです。
 
『覚者を求めてー恩寵の扉が開くまで外伝』は天野清貴さんの魂の旅行記とも言える本です。
 
楽しくスラスラ読めました。
 
「東に覚者がいれば、行って薫陶を受け、西に優れた瞑想指導者がいれば、門を叩き共に座る」という探求心の旺盛さで、30余年間に清貴さんが直接会った覚者、スピリチャル・リーダーの数は40人を超えます。
 
この本は、スピリチュアルな目覚めを求めて、瞑想による「内なる旅」を続けるとともに、覚者を求めて日本、アメリカ、インド、ハワイ、カナダなどを巡る「外なる旅」をも重ねてきた記録となっています。
 
同じ名所、旧跡に旅行しても人によって印象が違うように、本に登場する覚者達に対して、清貴さんとは違った印象をもつ読者もいるでしょう。
 
しかし、旅のベテランの語る旅のコツに価値があるように、清貴さんの語る「内なる旅」(瞑想)のコツは、どのようなスピリチュアルな教えをよりどころにしている方々にも有益だと思います。
 
”覚者”については、清貴さんは最終章で次のように書いておられます。
 
『”覚者”を特別な存在として追いかけたり崇めたりしている間は、周囲の人々は眠りこけた退屈な存在としか思えなかった。ところがそれを自分自身の中に見出した時、この地上はいままさに目覚めようとする魂であふれかえっていることを知った。その大切なひとりがあなたというかけがえのない魂なのだ。』
 
さて、清貴さんの魂の旅は「禅」から始まり、最後は「恩寵(Grace)」に至ります。 
この本の「あとがき」で桜の花、そして恩寵について言及してあるのを読み、なぜか道元の和歌と、あるアメリカ人歌手のGraceという曲が思い浮かびました。
 
それらが、この本の読後の清涼感に繋がるからかもしれません。
 
『春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり(道元)』(川端康成さんがノーベル文学賞受賞記念講演で引用して有名になり、最近は、映画「禅 ZEN」でも使われました。)http://goo.gl/QPumT
 
『Grace:http://goo.gl/vVgXD』 (Amazing Graceではありません…笑。  
唄っているローラー・ストーリーはクリスチャンミュージックの歌手なので日本ではあまり知られていませんが、その爽やかな歌声で、グラミー賞にもノミネートされたことがあります。)

剣を取れ!

2013年5月29日(水) by キヨタカ

フーマンと会うために最初にハワイを訪れたのは、今から13年前(2001年7月)の事だった。 

あのころは、「自分はまだまだ…」という意識がとても強かった。 

だから何かスピリチュアルな特別な事を学んで、「スピリチュアルなキヨタカ」になる事を願ってセッションに臨んだ。

スピリチュアルな立派なキヨタカになれば、自信に溢れてパワーも出ると思った。 

ところがフーマンは、「スピリチュアルな特別な事を学ぶ必要はない」という。

そして「自分はダメ」という自己イメージを落として、「剣を取れ」と言う。 

Images1_2

剣とは「あなた自身で在る」事の象徴であり、スピリチュアルに得る事の出来る、最も高次のものだと言うのだ。

言われた当時は、「そんな馬鹿な話は事はない。フーマンの様にサイキックな特別な能力が身に付けば自信が持てるのに…」と思ったりしたものだ。 

しかし今こうして振り返って見ると、ようやく「その通り!」と言えるようになったのが嬉しい。

先日のワンデーイベントで参加者のNさんから「剣を取れ」という事の意味を聞かれて、最初は質問の意味を取り違えてしまい余計な話をしてしまった。 

しかしそのお陰で、あの時の状況をありありと思い起こすことが出来た。

とても感謝している。

Nさんから、感想のメールを頂いたのでアップします。

* * *

昨日新宿のイベントでお世話になったNです。
 
体験をシェアしてくださって本当にありがとうございます。
 
初めてリーラスペースのサイトで「アジズとの対話」を読んだのは2008年ですが、そこで初めて幼い頃から感じていた感覚がプレゼンスだと知りました。
 
それまで誰とも共有できなかったことが書かれており本当に安心したことを覚えてます。
 
それから本に何度もでてくるOSHOに興味を持ち、「存在の詩」を一気に6時間かけて読んで号泣。 
その後、OSHOの本を片っ端から読みました。 
 
毎日OSHOの言葉に触れたくてOSHO禅タロットも買いました。 
 
そして、フーマンとのやり取りの3冊も読ませていただき、愛のエネルギーを改めて思い出すことが出来ました。 
 
本の中のキヨタカはいつも等身大だったので、一緒に体験しているような感覚になれたことにも感謝してます。
 
振り返れば、今回のイベントに参加しようと思った経緯そのものが恩寵だったのではないかと思っています。 
 
実は6月末に今の会社を辞めるのですが、その後は少し休んで自分の中から沸き起こる感覚に任せようと思っていたところ、だんだん不安になってきていました。 
 
そうしたら、ふと「アジズとの対話」を読んでみようと思い、その翌日(5/11)に予習 していたカウンセリングの本の中で「プレゼンス」というワードを見つけ、しかもその授業の後に「日本の禅」について質問が出て、私はリーラスペースへ行く必要があると感じて久しぶりにサイトにアクセスして昨日のイベントを知ったのです。 
ハートを開いてbeingにくつろぐこと。
 
それが今の私に最も必要なことだと確信して参加しました。
 
そして、参加することで再確認できました。 
 
複雑な家庭に育った事もあり、重たい感情を体験することが多かったのですが、もっと様々な感情を体験しなければならないという感覚が強く、今までは心地よさから意図的に離れる事を選んできましたが、それももう終わりにしていいのだと瞑想中にはっきり分かりました。 
 
そして、「剣をとれ!」の場面に ついて、より臨場感をもって知りたくなったのは、正しく今の私に必要な言葉だったからのようです。 
 
その時の状況を思い出されてご説明いただいた時、うまく説明できそうになくて言葉を飲みこんでしまいましたが、腑に落ちて嬉しくなりました。 
 
ご自分の体験だけに終わらせず、真摯に伝えてくださって本当にありがとうございました!! 
 
今後、新たな展開を迎えられるのだと思いますが、いつかまた共有していただけると嬉しいです。 
 
とりとめもなく長文失礼しました。 
 
最後になってしまいましたが、ヨガビシャの写真大好きです。
 
小心者なのでカキコミできませんが、見るといつもほっとしてます。
 
* * *
 
Nさん、素敵な感想を有り難うございます。
 
せっかくですので、少し長くなりますが、「恩寵の扉が開くまで」より、剣のさわりの部分をアップしましょう。
(P218〜220)
 
フーマン:私が「ノーマインド」について話すのは、「自己イメージ」を落とせと言う事であり、そこに何か特殊なスピリチュアリティがある訳ではない。
 
だからただ「自信」を持って、剣を取ればいい。 
 
あなたは既に知っている。 
 
「自分はダメ」という自己イメージを落として、剣を取るのだ。 
 
ただ剣を手にするだけで、あなたはその使い方を自動的に思い起こす。
 
あそこを見てご覧、何がある?
 
(フーマンは、後ろの窓際を指さした。そこには、青く広大なハワイの海と空が果てしなく広がっていた)
 
――空ですか?
 
フーマン:空だって?
(笑) 教えてあげよう。
 
(フーマンは席から立ち上がって窓際に行き、窓枠の上部に手を伸ばして、何かをスッと取り出した) これだ。
 
――アッ、剣ですか!
 
(それは中近東風のエキゾチックな剣の飾り物だった。剣を掲げたフーマンの姿は、スルタンの様に威厳に満ちていた)
 
フーマン: そう。  ただ剣を手にしなさい。
 
そうすれば、あなたは思い起こす。
 
あなたは、ずっとずっと昔に、剣を落としてしまった。
 
そしてこの様に(顔を手で覆い隠して)、パワーを手放してしまったのだ。
 
それから自分を疑い始めた。
 
ずっと昔に、何かが起こったのだ。
 
それ以来、あなたは混乱した状態のままだ。
 
それからのあなたは、自分自身でいる事をしていない。
 
あなたの一部を失ったままだ。  自分自身に戻って、以前持っていたパワーを取り戻す事をしていない。
 
――なるほど。
 
フーマン:しかし今、あなたの一部が戻りつつある。 
そうする事で癒しが起こり、自分自身に戻れば、自然な形で剣を取り戻す事が出来る。
 
この剣は、信頼と自信を象徴している。
 
これは人々を切り裂くものではない。
 
剣を手にして、幻想と疑いを切り裂きなさい。
 
剣を手にして集中し、するべき必要な事へ向かって邁進しなさい。
 
剣を手にすれば、その使い方をやがて自然に思い起こす。
 
パワーを取り戻すのは、とてもシンプルだ。 あなたの質問の答えは、これだ。
 
(フーマンは、もう一度剣を掲げた)
 
この剣を取り戻す為に、あなたはハワイにやって来た。
 
あなたが失ったパワーを取り戻し、自分で自分の事をクリアーにすればいい。
 
何か、スピリチュアルな特別なものを得る事ではない。
 
ただ「あなた自身で在る」という事、実はこれこそがスピリチュアルに得る事の出来る最も高次のものだ。

既にプレミアム!?

2013年5月28日(火) by キヨタカ

ようやくオンラインショップのアマゾンに「覚者を求めて」の写真がアップされた。 
嬉しくなってよく覗いたら、なんと既に中古品扱いでプレミアム価格となっていた!? 
 
なにしろ小さな出版社なので、初版は1,000部しか刷っていない。
 
だから、「10年後にはプレミアム価格で高く売れますから捨てないでね」とジョークを言ったりしている。
 
まだ10年経たないのに在庫切れになった「アジズとの対話」や「恩寵」シリーズは、一時期は数万円の価格で売られていてびっくり仰天した事もある。
 
しかしそれにしても、新刊の「覚者を求めて」が既にプレミアム価格扱いとはcoldsweats02
 
長らく世間の裏街道を歩んできたせいか、市場原理がイマイチ良くわからない。
 
リーラスペースには、まだまだ在庫が『た〜っぷり』あります。
 
送料も無料ですので、どうぞリーラスペースに注文して下さい! 
 
サイン入りも無料ですので、ご安心下さい。
 
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新宿イベント終了♡

2012年5月27日(月) by キヨタカ

2日間に渡る、新宿イベントが昨日無事終了。
 
2009年4月4日(土)にスタートして、ちょうど4年が経過。 
 
今年に入ってから、私達の中で何か新しい物事が急激に起り始めているので、一旦リーラスペースの企画はとりあえず全て終了する事にした。
 
今までのイベントはとても好評だったし自分達も沢山学べたので、手放すのは惜しい気もする。
 
しかし、古いものを手放して新しく起る状況に開いていたい。
 
新刊本「覚者を求めて」の中に書いた通り、私はこれまで様々な覚者達の集いやワークショップに参加した。
 
どれも素晴らしかったが、私にとって一番強烈な体験はティアサのワークショップだった。
 
ティアサのワークショップは予め決められたプログラムが一切ない。
 
ティアサを囲んで、「ただ在る」ことに徹していると、必要な物事が起って行く。
 
その結果素晴らしい事が起ったのだが(詳細はP60〜)…
 
私にとってはティアサこそが究極の瞑想会であり、あと10年ぐらいしたらプログラムなしのイベントも出来るだろうと思っていた。
 
しかし、あと20年は続けようと思っていた新宿のイベントでさえ終了するわけだから、私が10年先も生きている保証はどこにもない。
 
そこで先延ばしをするのを止めて、今回の出版記念ナイトイベントで、プログラムを一切決めずに場に臨む事にした。 
 
なにしろ、当日になっても「ピザを注文しよう」とか「さすがにビールは止めよう」とかをヨガビと話題にしていたくらいだ。
 
…で、結局は昨晩の形に落ち着いた。 
 
ワンデー瞑想会のエネルギーが場をサポートしてくれた事もあり、とても親密でオープンな場となった。
 
最期はハートの瞑想もして、涙を浮かべる参加者の方々も見受けられた。
 
私の最大のサプライズは、参加者の方々から「花束」が贈呈された事だった。
 
まったく予想していなかったので、こんなに嬉しい事はない。 
 
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つい数年前までは、先の見えない人生が不安でしかたなかったが、今は同じく先が解らないという状況が、ワクワクして楽しくて仕方ない。
 
このワクワク感を皆さんに分ち合う事が、今後の私のワークの方向性のヒントになるだろう。
 
 
本人もどうなるか知らないけれど、また新たな企画が起ったら、皆様ぜひ参加して下さい!
 
長年に渡り、新宿イベントを応援して頂き、本当にありがとうございました♡
 
心より、感謝します。

レビュー

2013年5月26日(日) by キヨタカ

最近は本を読まない人が増えた事に加えて電子書籍に移行しつつあるので、本屋さんも大変。
 
さらにだめ押しは、ネットのオンラインストアの普及。
 
かくいう私も、本はネットで注文してしまう事が多い。
 
ネット注文の老舗はアマゾンであるが、どういうわけかまだ「覚者を求めて」の画像が掲載されていない。
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でも、ようやく一件だけ「レビュー」がついたので、転載しよう。
 
レビューを書きたい人はぜひ投稿して下さい。
 
 
 
 
 
* *
2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 初心者から上級者まで, 2013/5/25
レビュー対象商品: 覚者を求めて―恩寵の扉が開くまで外伝 (単行本)
著者の覚者を求め続け、そこから離れて私は在るに至った遍歴が綴られています。

悟りや覚醒系の本には、綺麗事に終始しているものが多いですが、ここでは著者自身の苦悩や、覚者やそこに集う人たちの裏話やスキャンダルとも言えかねないようなことが赤裸々に描かれています。

私たちは覚醒に色々な幻想を抱きがちですが、そういった幻想をこの本は振り払ってくれます。

本の最後には著者の今までの遍歴から体験してきたことから、ノーマインドへ至ることについて述べられています。

恩寵の光で満たすことがノーマインドへの鍵ということですが、これは多くの人にとって福音となるでしょう。

瞑想やスピリチュアルの初心者の人には、未だ知りえない世界の物語が展開されていき、上級者の方にとっては真の覚醒へと至るヒントがあり、どちらの方にとってとても有益な本です。
レビューを評価してください
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ところで、試しに「覚者を求めて」を販売しているオンラインストアを探したら、なんと19も見つかり唖然とした。 
 
本屋を凌駕するアマゾンも、実際にはうかうかしていられないだろう。

読者や著者にとっては、とても便利なシステムだけれども…

ちなみに、私が発見したオンラインストアは下記の通り。

1、アマゾン
2、セブンネット
3、hontoネット
4、エルパカbooks
5、Qoo10ーJapan
6、楽天ブックス
7、Neowing
8、boos store
9、JBOOK
10、カラメル
11、YAHOO ショッピング
12、E-hon
13、TRCブックポータル
14、紀伊国屋書店
15、丸善&ジュンク堂
16、Honya Club
17、ブックサービス
18、booxstore
19、TUTAYA ONLINE

紀伊国屋にて

2013年5月24日(金) by キヨタカ

明日からのイベントのため、新宿へ到着。
 
夕食後、新宿界隈を足の赴くままに散歩していたら、いつの間にか新宿駅東口へ。  
サラリーマン時代によく通った新宿の紀伊国屋書店もそのままで、非常に懐かしかった。  
 
せっかくだから3Fの精神世界コーナーへ立ち寄ると、「覚者を求めて」が一番隅っこに恥ずかしそうに一冊だけ置いてあった。
 
 
Photo実は私が最初にOSHOの本を見つけたのが、このコーナーだった。
 
1982年の1月の最初の休日。
 
年末年始に、三島の某ヨガ道場への修業から戻った直後の事だ。 
その衝撃は非常に大きかった。
 
その時の体験を「覚者を求めて」の中で次の様に書いておいた。
 
* *
しかしその日はどういうわけか、何かにそっと背中を押されて意を決するように思い切って OSHO の本を手にして、突然、全身に衝撃が走った。
 
それはいわゆる読書体験というものとはまるで違う体験だった。
 
その本を数頁ほど読み進めてみると、本の中にある異次元の扉が開いてす〜っと自分が本の中に吸い込まれてまったのである。
 
読書に関しては 21 歳の時にも不思議な体験をしたが、あの時は難解な本がスーッと頭の中に入るとても心地良い体験だった。
 
しかし今度の体験は、逆に私が本の中に入り込んでしまう感覚だ。
 
まるで自分が本の中に消え去ってしまうような恐怖に襲われて、心臓の鼓動が高鳴り足が震え始めた。
 
思わず「危ない!」と叫んでその本を陳列棚に放り投げた。
 
そして逃げる様にアパートに戻り、あの体験はなかった事にしようと心に誓った。
* *
 
「覚者を求めて」を手に取って足が震える人はいないとは思うが、願わくばこの本を通して魂の目覚めへと導かれる人が現れますように!

中心のない中心に向かって…

2013年5月23日(木) by キヨタカ

ウィンドサーフィンにハマって、早や7年目に突入。 
 
最初はヨガビに誘われて、ディンギー(超小型ヨット)を始めた。
 
しかし、もっと気軽に乗れる方がイイヤと思いウィンドサーフィンに転向。
 
ところが実際には非常に奥が深くて、まだまだ初心者の域を出ない(^-^;  
 
ゲレンデは沼津の牛臥海岸で、ウィンドのショップに艇庫を借りて道具を置いているのだが…
 
終末サーファーが多い中、海へ平日出勤する私をオーナーはいつも不思議がっている。 
 
オーナー:いつも暇そうだけど職業は何?
 
キヨタカ:一応作家ですから、平日も来れるんですよcoldsweats02
 
オーナー:へ〜、読ませてよ。 
 
キヨタカ:瞑想に関心ある非常に特殊な人々向けなので(^-^; 
 
オーナー:関心なくもないけど・・・
 
キヨタカ:瞑想にも色々あって・・・普通の人がフォワードループやバックループ(ウィンドの超難しい技法)の解説本を読むようなものですから・・・
 
オーナーがアジズやフーマンに関する本を読んでいる姿がどうしても想像出来ないので、ず〜っと何年も適当に身をかわし続けていたのだが・・・ 
 
新発売の熱気に浮かれて、多少気持ちが弛んだのかもしれない。 
 
なんと昨日、私の本をど〜しても読みたいという熱意に負けて、「覚者を求めて」をオーナーに渡してしまった! 
 
何度か漂流して命も救われたりして、いつもお世話になっている。
 
だから贈呈しようと思ったのだが、わざわざお金を支払って頂き恐縮している。
 
世間から見ると超非常識な裏街道が描かれている「覚者を求めて」がオーナーにどう受け止められるのか、不安だが楽しみでもある。
 
実は、サーフィンやヨットの世界は、瞑想体験と非常に近いものがある。 
 
先日沖縄のOさんから、修善寺日誌に素敵なコメントを頂いた。 
 
* *

覚者を求めて 出版、おめでとうございます☆☆

今からとても楽しみです!!

フーマンと清貴さんの対話(恩寵の扉が開くまで)
は.読むといつも中心のない中心に向かって、自分が開いていけます。

いつのまにか これ に誘導されていくような、

初めに買って本はボロボロになってしまう程いろんなとこに持っていき、読みました。

こんな本は他にないし、一生読むのでは?
とおもい出版されなくなっても、ボロボロになってもいいように、何冊か購入した程です。

とっても愛読書で大切な本です。

清貴さんの探求の軌跡読めること、今からなんだかとてもワクワクします。必ず購入します☆☆

* *
 
私もヨガビも、「あれ?この人サーファーなんじゃないの?」という点で意見が一致した。
 
「中心のない中心に向かって、自分が開いていけます。」という表現は、海で良く体験する感覚だが、実際に体験した人でないと、なかなかこうしたさりげない表現は難しい。 
 
ご本人に直接問い合わせたところ、実際にバリバリの現役サーファーだったのでとても嬉しい!
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オーナーも、未だにバリバリの現役だ。 
 
「中心のない中心に向かって」いつも心が開いているスカッと爽やかな典型的なサーファーの一人。 
 
 
だから、きっと「覚者を求めて」を理解してくれると、確信している。
 

本日入荷!

2013年5月21日(火) by キヨタカ

 待望の新刊本「覚者を求めて」が、本日入荷した!
 
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さっそく明日から発送作業をするので、予約された方は恐らく木曜日には手に入るだろう。 
 
明日には、大手書店にも並ぶと思う。 
 
どんな反響があるか、とても楽しみにしている。
 
朝が来れば自然に目が覚める様に、本書を通して皆さんの目覚めが朝飯前の当たり前の出来事となりますように!

物理学者の道(3)

  1. 2013年5月19日(日) by キヨタカ

小学生の時に物理学者のなりたかった私は、母から「う〜んと頭が良くないとなれない」と言われた。
 
中学生になった私は、初恋による魔法のエネルギーが降り注いで、突然「う〜んと頭の良い生徒」となった・・・と、前回の日誌に書いた。
 
それはちょうど、絆創膏の封印を外した『写楽』の様だった。 
 
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手塚 治の漫画に、「三つ目がおとる」という伝奇SF漫画がある。
 
主人公の『写楽』は三つ目族の末裔で、三つ目が開くと突然に頭が良くなり超能力も発揮する。
 
しかし傍若無人に振る舞い非常に危険なので、大人達は『写楽』を捕まえて絆創膏でその三つ目を封印してしまう。
 
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すると、非常に幼稚で無知で弱気な子供に戻ってしまうのである。
 
問題は、絆創膏を貼った時と、絆創膏を剥がした時と、どちらが本当の自分か?とても重要なポイントがあるのだが・・・。
 
 
 
さて、私の場合はというと・・・
 
学年で一番になるとクラスメートや先生から特別な目で見られる様になり、なんとなく周囲から孤独した感じになり、それが非常に嫌だった。
 
さらに今まで普通に付き合っていた友人から、突然に思いがけない事を言われたりもした。
 
今振り返るとたわいもない嫉妬だったのだが、当時はとても不可解で当惑した。
 
さらに教師からも、「優秀な生徒はかくあるべき」と要求されるようになり、少しでも期待に添えないと叱り飛ばされた。 
 
特に、私とは絶対に反りが合わない社会科のT先生との関係は悲惨だった。
 
諸般の事情で、T先生にことごとく反逆した。
 
すると今では考えられないだろうが、T先生から頻繁に殴られたのである。
 
殴られるとさらに反逆するので、さらにひどく殴られた。
 
今では立派な暴力教師として告発出来たと思う。
(・・・他にも、セクハラ教師としても告発出来た。)
 
しかし当時は、暴力や生徒へのセクハラは問題にならなかった。
 
悪いのは、常に生徒の側だ。
 
「出る釘は打たれる」とはこの事かと、T先生から散々に思い知らされたのである。
 
 
そこへ追い打ちをかけるように、初恋のIさんが突然遠くの町へ転校になるというハプニングが起った。
 
自分の気持ちを素直に表現出来ないまま終わってしまった自分の不甲斐なさに、嫌悪感が募った。
 
落ち込んだ私は、勉強にあまり身が入らなくなり、まもなく「普通の生徒」へと逆戻りしてしまったのである。
 
そしていつの間にか、物理学者への道は諦めてしまった。
 
そして、頭が悪くて成績もそこそこの自分が当たり前となり、今が本来の自分でありあの時は少し変だったったと、妙に納得してしまったのである。
 
物理学者の道を諦めた当時の私は、ちょうど絆創膏で封印された『写楽』の様な感じだったと思う。
 
瞑想に志して初めて、自分は絆創膏を貼っていた事に気づいた。
 
幼い時に貼られた絆創膏は自分の肉体と一つとなっていて、それを剥がすのはとても痛い。
 
しかしそれを剥がさない限り、本来の力は発揮出来ない。
 
最初の頃は絆創膏を剥がす事は激痛だったが、今ではこんな楽しい事はない♪
 
時代は煮詰まり、今は誰もが簡単に絆創膏を剥がせる時代になっている。
 
また、私達が自分自身の絆創膏を剥がさない限り、地球的規模で危機的状況に直面している人類が生き延びる道はない。
 
 

物理学者の道(2)

2013年5月18日(土) by キヨタカ 

中学生時代は思春期の真っ盛り! 

新たな希望に溢れて中学校へ入学した私は、新しいクラスの仲間を見て文字通り”昇天”しそうになった! 

なんと同じクラスに、私の憧れのマドンナ I さんがいたのだheart02

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「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」という言葉は、まるで彼女のために作られたかの様だった。

音楽の才能に恵まれ歌唱力が抜群で、音楽の時間には先生の代わりにピアノを弾く事もあった。

音楽家の道は諦めたとは言え、小学生オーケストラ部に所属、中学生になると迷わず吹奏楽部に入った私ではあった。 

しかしピアノはバイエル100番で挫折した私にとって、音楽の才能を彼女と比較するのも畏れ多いものがあった。

ブラスバンドで担当したトランペットをいくら吹いても、踊ってくれるどころか全く振り向いてくれる様子はない。

好きなんだけど、黙っているしかない。

遠くで星をみるように♪

ウブで奥手の私にとって、彼女にどうアプローチしてよいか手がかりはゼロであった。

 

ところで、当時は学校全体が受験競争を煽るのが当たり前だった。

そのシステムの一環として、我が中学校では期末テスト全員の成績をピンからキリまで全部廊下に張り出すのである。

その張り紙を見て、唖然としたcoldsweats02

なんとそのトップに、Iさんの名前が燦然と輝いていたのである!

・・・と、その時歴史が動いた。

その張り紙を見た瞬間に、私の中で強烈なひらめきが起ったthunder

「音楽では無理だけど、勉強で頑張れば彼女も振り向いてくれるかも知れない」 

恋は盲目と言うけれども、恋愛は肉体に様々なホルモンを分泌して時に魔法のような不思議な力を与えてくれる。

それから生まれて初めて猛然と勉強に励んだ私は、2学期の期末テストでなんと学年で一番になったのである。

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さらに生徒会の副会長に立候補して、「顔は西郷 輝彦なみ!」と絶叫した演説が大受けとなり見事当選!

そのまま順等に進めば、生徒会長間違いないというポジションを得た。 

さらに調子に乗った私は、友人の誘いでサッカー部にも入った。

生徒会にブラスバンド、サッカーそして勉強と、八面六臂の大活躍を始めるのである。

一躍、全校生徒の注目の的となった私は、当然彼女からも熱い視線を浴びるようになった。

ある日の放課後、サッカー部へ行こうとしている私の所へ彼女がおずおずと忍び寄った。

そっと数学の教科書を私の前に差し出して、「この意味が良く解らないんだけど、教えてくれる?」と恥ずかしそうに囁いたのである! 

気持ちが非常に高ぶって、フラメンコでも踊りたい気分だった!

「なんだい、俺にとっては簡単な事さ!なにしろ物理学者になるつもりだからね」

・・・とクールさを装って、本当は苦手だった数学の問題を一生懸命に説明したあの瞬間が、私の中学校時代の最高の場面だった。 

心理学で言うところのフローであり、何をやっても上手く行く状態だった。

私にとって、ピークエクスぺリアンスである。 

しかしピークの後には、谷底があり・・・

(PS ちなみにプライバシーの配慮から、Iさんの写真は吉永小百合さんに差し替えてあります。フラメンコの写真も、私ではない事は言うまでもありません。)

物理学者の道(1)

2013年5月17日(金) by キヨタカ

子供の時は音楽家になりたかったと先日の日誌に書いたが、もうひとつ憧れたものがある。
 
それが物理学者への道だ。
 
小学生の時は、「鉄腕アトム」がテレビ漫画で大人気だった。
 

Unknown鉄腕アトムは超小型原子炉を動力源としているのだが、それを発明した「お茶の水博士」にすごく憧れた。

そして原子力エネルギーの根本原理は相対性理論だと聞いて、「アインシュタイン博士」にも憧れた。
 
さらに当時日本で唯一のノーベル賞受賞者「湯川秀樹博士」が物理学者であった事で、物理学者への道が決定的となった。
 
親戚のおじさんから「キヨタカちゃんは博士だね〜」と些細な事で褒められた事が拍車をかけて、「物理学者になってアインシュタインが果たせなかった『統一理論』を完成させる事」が将来の夢となったのである。 
 
ところが母が言うには、「馬鹿だねお前は。あんたは私とお父さんの子供だよ。う〜んと頭が良くないと物理学者にはなれないんだよ」と、笑うのである。 
 
「そうか!物理学者になるには、う〜んと頭が良くなくちゃなれないんだshock」と妙に納得した覚えがある。
 
しかし、小学生時代は遊びの方が忙しくて、真面目に勉強した事はなかった。
 
そんな私に転機が訪れて物理学者への道が開けそうになったのは、中学1年生の時の初恋が原因だった・・・

胡蝶の夢

2013年5月16日(木) by キヨタカ

 一昨日修善寺に戻りほっと一息。
 
久しぶりにツタヤへ立寄り、適当にDVDを借りた。
 
手にした映画は「コッポラの胡蝶の夢」
 
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コッポラと言えば巨匠として有名だが、私は「地獄の黙示録」と「ゴッドファーザー」しか知らない。
 
最近は娘が監督として活躍しているので、「あれ〜この人まだ現役監督なの?」と嬉しくなり軽いノリで選んだのだが、私の中では久々の大ヒット映画となった。
 
日本ではあまり話題とならなかった様だが、非常に丁寧に創られていて、ストーリー、芸術性、思想的深遠さ等々、とても素晴らしかった。 
 
俳優も、主演のティム・ロス、競演女優のアレクサンドラ・マリア・ララ共に素晴らしい。マット・デーモンがちらりと登場したりもする。
 
最近は大々的に宣伝された大げさなハリウッド系の映画に食傷気味だったので、偶然とは言え直感的にこの映画を選んだ自分を褒めてあげたい。 
 
そういえば半年前に「落下の王国」という素敵な映画を見つけたが、ちょうど同じ様に監督の想いが詰まった映画で、インディーズ系映画の傑作だろう。
 
ストーリーは、wikiから下記にコピペする。
 
年代、人生の折り返し地点をとうに過ぎた言語学者ドミニクは、自身の言語学の研究も未完のまま、昔愛した女性ラウラを忘れられない孤独な日々を送っていた。
 
ある復活祭の日、彼は突然雷に打たれ病院に収容される。奇跡的に一命をとりとめた彼は、驚異的な頭脳と若き肉体に復活していた。
 
その超常的な現象を追ってナチスの黒い影が忍び寄り、ドミニクは戦火のヨーロッパを逃走する。
 
その後、昔愛したラウラに生き写しの女性と出会い、彼女のおかげで人類が未踏の言語の起源に迫る研究も、完成するかにみえた・・・
 
平凡な人間が、ある日超能力者に変身するストーリーは、映画の定番ジャンルの一つで非常に根強い人気がある。
 
変身の原因は色々で、この映画の場合は「落雷」である。
 
他にも、「ドラッグ」(リミットレス)だったり「脳腫瘍」(フェノミナン)だったり「クモ」(スパイダーマン)だったり・・・他にもアヴァター、マトリックス、インセプション
等々、超能力者SF映画は数え上げると切りがない。 
 
私が思うに、これは「人間の究極の可能性」を示唆するものであり人類の未来を暗示しているのではないだろうか? 
 
つまり、人間とは本当はSF映画に出て来るようなとてつもない能力を本来秘めている。
 
ただそれはまだ眠っていて、目覚めていないだけなのだ。
 
通常の人間は、脳機能の3%程度しか使っておらず、残り97%は不活発なまま一生を終えてしまう、という事は大脳生理学者の間ではほぼ定説になっている。
 
また、例えば「松果体」の様に、その役割が解明されていないものが多々ある。
 
どうやらそうした機能は、未来の人類が使える様に予め準備されているらしい。 
 
パソコンも「使い方を知らなければ、ただの箱」と良く言われる。
 
我々は超高性能パソコン(身体)を既に手にしているのだが、ソフト(条件付け)が古いまま使っているので、本来の機能を発揮出来ないでいる。
 
「天才と凡才の壁は、超えられないものではない」というのが、最近の私の持論である。 
 
子供時代に無意識に埋め込まれた「壁」に関して、自分の子供時代を振り返って日誌の中で書いて行こうと思ったが、「音楽家の道」に関して書いただけで止まってしまった。 
 
この映画を見てまた新たなインスピレーションを得たので、明日からまたそのテーマを探ってみたい。
 
ところで、映画の日本語タイトル「胡蝶の夢」は止めて欲しかった。
 
ネタバレそのもののタイトルなので、結末を推理する楽しみが奪われてしまい残念だった。オリジナルの「 Youth without Youth」のままで良かったと思う。 
 
例の「落下の王国」は逆にピントがづれたタイトルで、やはり「the Fall」のままの方が良かった。 
 
洋画のタイトルを日本語にするのは、つくづく難しいと思う。

孔子と老子

2013年5月13日(月)by キヨタカ

孔子と老子は中国を代表する二大思想家と言われているが、その両者の隔たりはあまりにも大きい。
 

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論語を読もうとすると、どうしても心も身体も固くなる。
 
老子の言葉に接すると、ウンそうだよな♪とハートが喜び、身体が柔らかくなる。
 
 「真実について思索した人の言葉」と「真実の人の言葉」という質的な違いを感じる。
 
論語ファンの心情を害する気持ちはさらさらないが、これ以上余計な事は言わないようにしよう。
 
なんだか老子に一喝されそうで・・・
 
 
知者不言、言者不知(知る者は言わず、言う者は知らず)
 
(訳)
本当に理解している人はそれらについて話さない。
べらべらと語りたがる者はまだ理解が足りないのだ。
 
PS 「一体何を言いたいのか解らない」とヨガビからコメントされたので、余計なことかも知れないが少しだけ追加する。
 
先日「3トウならば悟りは確実」と日誌に書いたが、「3トウを体験しても論語に依拠している限り、悟りはあり得ない」というのが、「塀の中で悟った論語」を読んだ後の私の正直な感想である。 
 
タイトルが「塀のなかでも悟らなかった論語」とでもしてくれれば、良かったのに・・・
 
もっとも「悟り」という事を抜きにすれば、田中氏の著書は非常に面白くて、「よくぞそこまで本音を書いたな〜!」と拍手喝采を浴びせたい。 
 
地位・名誉・財産を奪われ、命も奪われそうになった人が語る本音の言葉は、とても迫力があり傾聴に値する。

3トウ

2013年5月12日(日) by キヨタカ

悟りは必ずしも瞑想によってのみもたらされるものではない。 
 
フーマンの様に、普通に生活していて27歳のある日出勤途上の駐車場で光明を得るラッキーな人もいる。 
 
また禅の6祖慧能(えのう)は、文盲ながら通りすがりに金剛般若経の一節「応無所住而生其心」の読経を耳にして大悟したという。
 
お釈迦様によれば、こうした人々は「駿馬」であり鞭の影を見ただけで走り出す事が出来る天才だ。 
 
しかし「駄馬」は血だらけになるまで鞭で打たれても走ろうとしない、と言う。
 
「瞑想なんて隠居後の暇人がするもので時間の無駄!」と馬鹿にして、ハナから相手にしないのだ。
 
しかしそんな駄馬でも、恩寵による救いに限りはない。 
誰でも悟れる、さらなる道が用意されている。
 
それが、「3トウ」と言われているもの。
3トウ、とは3つのトウの事である。
 
つまり、「闘病・倒産・投獄」という状況が人生にもたらされる事で、魂が目覚めると言う。 
 
この「3トウ」という話は人づてに聞いたのだが、色々な人物を調べてみると確かに「3トウ」により魂の目覚を体験した人々が大勢いる。 
 
歴史上の裏付けもあり、なかなか説得力がある。 
 
だからもし「3トウ」を全部同時に経験する超ラッキー(?)な人がいたら、悟る事は間違いナシ!
 
「世の中は広いから、そんな人物もいるに違いない」と長いこと思っていたが、昨日遂に母と訪れた本屋さんで下記の本を発見!
 
「断・捨・離」実践中にも関わらず、思わず買ってしまった!
 
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著者の田中氏は、元 東京地検特捜部の検事。
 
弁護士に転身してからは「闇社会の守護神」と言われ暴力団幹部の弁護等あぶない橋を渡りつつバブル期の栄華を極めた。 
 
ところが一転、詐欺事件で有罪となり弁護士資格を剥奪されて獄舎につながれる。 
 
さらに胃がんにより刑務所内で手術・抗がん剤投与と、人生のどん底を極める。
 
そんな中で子供の時から親しんでいた「論語」に救われた体験を綴ったものだ。 
 
「論語」では救われず「老子」で救われた体験を持つ私としては、数年前の私だったらタイトルを見ただけで敬遠していただろう。 
 
しかし今は、読んでみてとても面白く感じる。
 
学生時代に習った論語は、学者が解釈を色々とこね回す退屈極まりないものだった。 
ところがここに描かれている論語は、筆者の生々しい実体験がベースとなっている。 
筆者と孔子の生き様が論語を通して響き合い、読んでいて面白くとても解り易い。
 
「六十にして耳従う」というが、ようやく自分とは価値観の違う人の話に素直に耳を傾けられるようになった。
 
そういえば50代の一時期「天命」に夢中になったが、「五十にして天命を知る」と孔子は言う。
 
人生に悩んで道を求め始めたのが15歳(「吾れ十有五にして学に志ざす」)だから、論語とは無関係と思いつつもいつの間にか孔子の言う通りに人生を歩んで来たのかも知れない。
 
多少こじつけではあるが、現パートナーとの出逢いが42歳(「四十にして惑わず」)、童貞を失ったのが29歳(「三十にして立つ」)である。 
 
未だに現役バリバリの私ではあるが、70歳になる頃には果たして「七十にして心の欲する所に従って、矩(ノリ)を踰(コ)えず」と言える様になるのだろうか? 
今から楽しみである。
 
ところで駿馬でもなく、そうかといって3トウも体験したくない普通の馬にとっては、やはり瞑想が一番安全確実な悟りへの道だと思うのだが・・・

旅行

2013年5月12日(日)  by キヨタカ

母を連れて、2泊3日の温泉旅行を無事終了。
 
昨年の今頃は車椅子で全く歩けなかった事を思うと、普通に寝起き出来て食べ歩き出来ることの何と有り難い事か!
 
亡くなった姉はドライブ好きでなおかつ親孝行だったので、毎月必ず母を連れてドライブ旅行に出かけていた。
 
特に伊豆半島や富士山周辺は頻繁に行っていたと言う。
 
そこで今回の旅行は、その頃の思い出を再現する旅となった。
 
初日は熱海に一泊、翌日は富士山経由で私が住んでいる修善寺付近に宿泊、帰りは沼津の魚河岸等を散策する旅となった。 
 
初日は天候にも恵まれて、熱海の海を満喫。
 
翌朝の朝日は、素晴らしい眺めだった。 
 
翌日は富士山を目指したが、世界遺産登録目前で富士山ブームの影響による交通渋滞のため目的地に辿り着けないというハプニング。
 
その替わりに、姉と最期の日々を過ごしたホスピスとその隣にある「時の栖(すみか)」という高原リゾートを訪れて感慨深い時を過ごす事が出来た。
 
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高齢になると、こうして街中を普通に歩いたり買い物をしたり出来るのが最高の楽しみになる。
 
母の口癖だった「普通が一番」という言葉が、新たな響きを持って感じられる旅行だった。
 
元気な内に、また温泉旅行に連れて行きたい。

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常識

2013年5月8日(水) by キヨタカ

私の母は、いわゆる常識人である。
 
「普通が一番」という価値基準で全てを判断する。
 
問題は「何が普通か?」という事なのだが、母にとっては「世間の常識」という事で完全に納得していて羨ましいくらいに疑いがない。 
 
私が10歳の頃、近所のお兄さん(かっちゃん)が東大に合格したというので評判になった。
 
母「かっちゃんすごいね。東大に合格したんだって!」
 
キヨタカ「僕も行ける?」
 
母「そりゃ絶対に無理。あそこはう〜んと頭の良い人が行く大学だから」
 
キヨタカ「じゃ、京都大学は?」
 
母「絶対に無理に決まってるわ。だってお父さんとお母さんの子供だからね」
 
キヨタカ「じゃ、東北大学は?」
 
母「そうね、近所の○×さんの息子さんが行けたんだから一生懸命頑張れば行けるかもよ」
 
・・・他にも、「大企業に就職するのが幸せ」。「結婚はお見合いが一番で私が将来の嫁さんを選んであげる」等々を、日常会話の中で何度も聞かされて育った。 
 
子供時代から「素直」な性格だった私は、そのまま言われた通りの事を鵜呑みにして・・・
 
「海を青い」と母親から教わったら、そのまま素直に信じてしまう。 
 
そして実際に海を写生しようとして眼前の海を見た時にそれが青くも赤くもないと感じた時・・・
 
小林秀夫(評論家)によると、実際の海の色に愕然として色鉛筆を投げ出すのが「天才」と言うらしい。
 
私の場合、愕然として、「青く見えない自分が変だ」と思ってしまった。
 
そして自分の感性を押し殺して、せっせと色鉛筆を握ってあれこれと頑張った。 
 
「天才」じゃなかったのね、と言われればその通り、と以前は思っていた。
でも、今は違う。
 
人は誰もが生まれながらに天才なのだが、それが完全に眠りこけてしまったのだと思う。
 
その結果、私は東北大学を卒業後、大企業に就職した。
 
後は結婚して孫の顔を見るのが、母の唯一の望みだった。
 
ところがその後、私の人生は思わぬ方向へ導かれることになり、母の夢はあえなく潰えてしまったのである。
 (その辺りの詳細に興味のある方は「覚者を求めて」を参照して下さい)
 
 
最近は、私が子供だった頃の事を母と良く話し合う。
 
ところが、「東大は絶対無理」「お前の嫁さんは私が探す」「大企業に就職」等々について、「そんな事をお前に言った覚えはない」と不思議そうに言うのである。
 
子供の頃に子守唄の様に何度も聞かされた事だったので、「ついにボケたか!」と思ったが、どうやらそうではなさそうだ。
 
母の「常識人」ぶりは徹底しているので、世の中の価値基準が変化するにつれて母の常識も次第に変化していく。
 
だから、自分が常々話す事の価値基準もいつのまにか変化して、以前の常識は忘れてしまうらしい。
 
だから今では「健康で長生き」するのが一番、という常識で生きている。
 
私も「健康で長生き」は大賛成だから、母の常識とは正反対の路線を突き進んだ私の道は、再び母の常識と整合し始めたようだ。
 
もっとも、「息子夫婦と同じ屋根の下で孫に囲まれて過ごす」という常識は、残念ながら満たされなかったが・・・
 
「世の中全て思い通りの人生を歩める人などいない」という常識に免じて、諦めて欲しい。

明日から旅行

2013年5月8日(水) キヨタカ

高齢の母と過ごす為に、昨日実家(栃木県)に戻る。
 
施設(ショートステイ)に滞在している母を迎えに行ったが、杖も突かずにスタスタと歩ける様になり、ビックリしている。
 
しかしちょっと油断すると、重い荷物を無意識に持とうとするので、ヒヤヒヤする。
 
そもそも母が動けなくなったのは、重い石油ストーブを持ち上げようとしてぎっくり腰になった事が原因なので、2度とあの悲劇は繰り返して欲しくない。
 
しかし気持ちは若い時のままなので、ついつい肉体を無理強いさせてしまうらしい。
 
母は以前から「元気になったら旅行に行きたい、修善寺にも行ってみたい」と常々語っていた。
 
ようやく旅行出来るまで腰の調子が回復したので、明日から伊豆半島へ旅行に行く事になった。
 
どんな珍道中になるか、今から楽しみ(・・・心配?)である。

ふたつの庭

2013年5月7日(火)晴れ by ヨガビジャ 
 

今日小山に来ました。 
 
今朝、伊豆で慌ただしく荷物を駐車場に運んでいたら、カキツバタとシャクヤクが咲いているのに気づきました。 
時間がなくてゆっくり撮っていられなかったけど・・・。 

 
Img_1636 これはカキツバタ 
 こんなアップでは分からないないですよね 
 
 グリーンと深い青紫のコントラスト、 
 好きです 

 
 
 
 
 
 
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 シャクヤク
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ここからは小山の庭。
 
 風が強過ぎて
 撮影は至難の技って感じでした
 
 
 
 
 
 
 
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 コーラルピンクのガーベラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 うちの庭にもあるスミレ 
 
 
 
 
 
 
 
 人時間から花時間へ 
 しばしタイムスリップ

音楽家の道

2013年5月6日(月) by キヨタカ

生まれたばかりの子供は可能性の塊だ。
 
その可能性を上手に引き出す事で、人は驚くべき才能を様々な方面で発揮する事が出来るようになる。
 
今では、幼児教育に関する研究が進み、叱らずに褒める事でその子供の才能を伸ばすという事が常識になりつつある。
 
もしも私が、「叱らずに褒める」という雰囲気の中で育てられたら、今とはかなり違った人生を歩んだかも知れない。
 
子供の時、私は音楽が大好きだった。
 
姉のリコーダー(縦笛)を見よう見まねで吹いて、上手に演奏出来たので両親はとても喜んだ。
 
私がピアノを習いたいと言ったものだから、親バカな両親はさっそく近所のピアノの先生の所に通わせてくれた。
 
先生は私の音楽の才能に驚いて熱心に指導、やがて音楽家としてモーツアルトやベートーベンを凌駕する大作曲家の道を歩み始め・・・とは残念ながらならなかった。
 
このピアノの先生は、とても厳しくていつもイライラしていた。
 
私が少しでも鍵盤を間違って叩くと、「チッ!」と舌打ちする。何度弾いても間違うと、私の手を容赦なくピシャリと叩くのである。
 
「ピアノとはなんと厳しい道なのだろう!」と、子供心に思った。
 
<彼女は病的なヒステリー状態だったと今にして思うのだが、当時の私は知る由もない>
 
Fig3
先生は、「モーツアルトは3歳でピアノ(チェンバロ)を弾いて5歳で作曲をした」と言う。
 
さらには「大作曲家になるには、絶対音感が必要で普通の人には絶対無理」とダメ出しをする。
 
 
ライオンの母親が我が子を敢えて崖から谷底へ突き落とす様に、敢えて音楽の道の厳しさを私に叩き込もうとしたのかも知れない。
 
しかしそう言われた本人は、「そうかボクはもう8歳なのに作曲出来ないから、音楽家は無理だしピアノも弾けない」と素直に思い込んでしまった。
 
するとピアノのレッスンが苦痛でたまらなくなり、練習は殆どしなくなり、とうとう「バイエル100番」でレッスンを止めてしまったのである。
 
ずっと後になって、私がカリフォルニアの脱催眠療法(De-Hypnotherapy)研究所に滞在中、ホールにピアノがあった。
 
『自分には出来ない』というのは子供時代に植え付けられた条件付けに過ぎない。その条件付けを解除すれば何でも出来るようになる。というのがここの研究所のメッセージだった。
 
そこで私は、暇な時にホールのピアノを使ってベートーベンの名曲「エリーゼのために」を独学で練習した。
 
すると数ヶ月後には、「エリーゼのために」を暗譜で弾く事が出来るようになったのである。
 
すごく嬉しかった私は、研究所での33歳の誕生パーティーの席上でさっそく「エリーゼのために」を演奏、拍手喝采を浴びたのである。
 
結局音楽家にはなれなかったけれども、 「人間の可能性は無限だ」という事を体験的に知る大きなきっかけとなった。
 
最近では、本気で音楽家になろうと思いさえすれば、今からでも遅くはないと信じている。

光で

2013年5月6日(月)晴れ by ヨガビジャ 
 

「すべては光の粒子でできている」という言葉を目にしたことがあるけど、 
本当にそうかも…って感じるときがあります。
 
 
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天才と凡才の壁

2013年5月5日(日) by キヨタカ

人間の可能性は、無限と言えるくらい素晴らしいものがある。
 
そうした可能性を極限まで開花した人々は「天才」と称され、人類の進歩や幸福に大いなる貢献をして来た。
 
つい数年前までは、こうした「天才」は生まれながらに別格で、「しょせん天才と凡才の壁は超えられない」と思い込んでいた。
 
しかし最近ではその考えが大幅に改まりつつある。
 
人は誰だって天才だ。
 
人は誰もが生まれながらにユニークで、それぞれに天から与えられた才能(天才)を持っている。
 
ところが自分も含めて、殆どの人々は2〜3パーセントの能力を発揮するだけで終わってしまう。
 
これは何ともはや実に残念で悔しいけれども、人類の歴史を見ても個人の人生を振りかえってみても明白な厳然たる事実だ。
 
エコロジーがブームと言われて久しいけれども、人間の可能性の97〜98パーセントを無駄にするとは、これこそ人的資源の無駄遣いの最たるものだろう。
 
なぜ人間は自己本来の可能性を充分に発揮する事なく、人生を空しく終えてしまうのだろう?
 
その事に関して古来より様々な議論があり、自分の可能性を開く様々なテクニックも教師もこの世には沢山用意されている。
 
しかしそうした議論やテクニックや教師のジャングルに分け入っても、自分の可能性の扉を開くにはある程度しか役立たない。
 
少なくとも私の場合はそうだった。
 
その為の投資をさんざんにしたが、その莫大な投資に対する見返りはほんの僅かなきがする。
それでも、とても有り難かったが・・・ 
 
しかし今回「覚者を求めて」を出版するに当たって、もう一度自分の人生を振り返る機会を与えられた。
 
するとそのプロセスの中で、「天才」と「凡才」を隔てる壁は単なる子供時代の条件付けにある事が非常に明確となった。
 
絶対に無理と諦めていた「壁」が、実際にはそれほど高くはなかった。
 
何が自分の可能性を阻んでいたのか、本当に具体的に一つでも発見すると、そこから芋づる式に新たな可能性の扉が開く。
 
すると、自分の人生が今後どう展開して行くのか、新たな可能性が無限に広がりとても楽しくワクワクするのである。
 
その具体的に発見した子供時代の条件付けの「壁」については、明日からの日誌で少しずつ書いて見ようと思う。

みどりという色

2013年5月4日(土)晴れ by ヨガビジャ 
 

昨日の「青紫」の後に撮った写真の続き。 
 
みどり色は穏やかでやさしい印象ですね。 
 
空気のように自然で、他のあらゆる存在に奉仕する色のよう。
 

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 表情は無限

3人寄れば・・・

2013年5月3日(金) by キヨタカ

 新刊本の写真を日誌にアップしたところ、「装釘が素敵ですね」との感想が皆さんから寄せられてとても嬉しい。
 
Photoあの装釘は、私とヨガビと市村氏(アルテ社長)の合作だ。
 
「3人寄れば文殊の知恵」の諺通りになった。
 
最初は、私が撮った富士山の写真を使用する様に提案したのだが、2人から「シロウトっぽくてアピールしない」と言われてアウト。
 
市村氏から「今回はグランドキャニオンにしましょう」と提案があったが、殺伐とした感じでピンと来なかった。
 
 
 
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私のイメージは、
「覚者を求めてグランドキャニオンの荒野をさまよいつつも、恩寵の導き(川の流れ)が底流にあり、希望の光が遠くに見え空もスッキリと見通しが良い感じ」
 
というものだった。
 
OSHO禅タロットに「Traveling」というカードがあるが、ちょうどそんなイメージの写真が欲しかった。
 
 
 
 
すったもんだしたあげく、奇跡的に希望通りの写真となった。
 
私の顔写真は載せない方が本の趣旨に合うので、色々と検討した結果、ヨガビがあの蓮の花を選択。
 
市村さんから、
 雄大なグランドキャニオンのなかに静寂さを湛えた蓮の花というコントラストは最高の仕上がりですね。
なかなかこの白い蓮の花は思いつきませんでした」
とのお褒めの言葉を頂いた。
 
こうして仕上がった表紙をしげしげと眺めて見ると、文殊かアマテラスかはたまたガイダンスか・・・誰だかはわからないけれども「目に見えない存在」が私達にこの装釘をプレゼントしてくれた感じがして、とても有り難い。
 
部屋に飾っておくだけで御利益がありそうな感じ。
 
著者自ら宣伝するのは傍からすると白けると思うので、本に関する裏事情はこれくらいにしておこう。

青紫の世界に

2013年5月3日(金)晴れ by ヨガビジャ 
 

同じような写真ばかりですが、 
これ以上この中から絞り込むことができませんでした。

深み、広がり、透明感、 
柔らかな曲線と水の質感、 
輝き・・・ 
 
ハートに醸し出されるものが無限に異なっているから 
ずっとここに浸っていたくなります。 
 
なぜ私にはこんなにも心地いいのか、不思議です。

 
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クリシュナムルティ

2013年5月2日(木) by  キヨタカ

 既にホームページに掲載した通り、新宿のイベントは今回で最後となる。
 
瞑想会の常連で毎回このイベントを楽しみにされていたKさんから、思いがけないコメントを頂いた。
 
『新宿瞑想会は、今回が最後なるのは凄く残念ですが、クリシュナムルティが「星の教団」をスパッと辞めっちゃったみたいで、潔いですね。』


Unknown
瞑想会の終了宣言が、まさかクリシュナムルティの「星の教団」を連想させるとは夢にも思わず、非常に新鮮な驚きがあった。
 
クリシュナムルティの事を知ったのは1982年の事で、OSHOとほぼ同時にハマった。

確か「自我の終焉」だったと思うが、何度も繰り返して読んだ

 
 
OSHOもクリシュナムルティも甲乙付け難かったが、クリシュナムルティの場合どんなに「素晴らしい!」と思っても、「具体的な技法も道もない」ので先に進めない。
 
そこでご存知の通り、私はOSHOの道を歩む事になった。その後、アジズやフーマンと出逢い、覚醒への道筋が非常に明確になった。

そして4年前から、私の辿った覚醒へのプロセスをプレゼンス・ビーイング・ハートの3つの次元に分けて毎回瞑想会でシェアしていることはご存知の通り。

私にとっては、これが一番真理に到達する具体的な技法で最短の道だと確信していた。
 
参加者からも肯定的なフィードバックを頂いている。

しかし、最近ではどうもそれも手放した方が良いと感じ始めている。

真理に関しては、「具体的な技法や道」を提示した瞬間に、道から外れてしまう。

「具体的な技法や道」などない、というのが最近の私の偽らざる心境である。

30年の歳月を経て、ようやくクリシュナムルティの語る事が体験出来る様になった。

時代もまた、今ようやくクリシュナムルティが語るレベルに追いつき始めた様に思う。
 

自在

2013年5月2日(木)曇り後晴れ by ヨガビジャ 
 
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 丸はいいな 
 
 
 
 
 
 
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 見てる
私も
 
丸くなるから
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ほら、空も丸い
 
 
 
 
 
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 揺らさないように

 重なった葉っぱの奥まで

 
探してしまう
 
 
 
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 水は 
 ミカンのいのちを育んで 
 私たちのいのちも育んで  

 

 

 
 
 
 

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 いたるところに 
 姿を変えて存在してる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 寄り添ってる

 
 
 

いろは47番目

2013年5月1日(水) by キヨタカ

新刊本「覚者を求めて」の出版の意図はいろいろあるけれども、私がこれまで影響を受けて来た「覚者方」をみなさんに紹介したいという、サービス精神みたいなものもある。
 
何か良いものを発見すると、それをシェアしたくてたまらなくなる性分なもので・・・
 
いったいあの本の中で何人くらいの「覚者」を取り上げたのか、執筆中は自分でもあまり意識せず知らなかった。
 
そこでHPの新刊本のお知らせ の中に遊び心で書き出してみて、びっくり仰天してしまった。
 
その数なんと46人!
「いろは四十七文字」にあと一人!と迫る勢いである。
 
中には覚者途上の方や歴史上の人物
さらにはあちらの世界の住人も含まれるけれども・・・coldsweats01
 
ちなみに私が取り上げた覚者は:

松庵さん、原田祖岳、山本玄峰老師、白隠禅師、片野先生、仏陀、キリスト、マハヴィーラ、老子、親鸞、ドーナン先生、ドイツ人僧侶、シヴァ、O導師、OSHO、クリシュナ、ティアササントッシュリー・ロゾウィック、グルジェフ、 プンジャジギリサイババ、超能力青年、知花先生サイレンドラシッダールタ、グル・ナナック、ダライ・ラマ、ラマナ・マハルシ、素空慈(ソコンジャ)、タイのA、セラピストのV、マスターV、ティオハ、雨後の竹の子の覚者方、アジズ、フーマン、ジョン、アマテラス、五井先生、出口 王仁三郎、道元、空海、紅女史、H氏

 

う〜ん、あと一人いればちょうど「いろは四十七文字」になるのに、誰かいないかな〜と何度も数えたが、どうしても最後の一人が見つからない。

そこで仕方なく上記の通りそのまま46人を列挙したのである。

ところがつい先ほど、「いろは47番目」が誰か、ハタと気がついた。

なんと自分を入れるの忘れていた!

あの本のメインメッセージは、「覚者とはあなたのことですよ!」という内容だ。

自分の事を棚に上げて覚者を求め始めると、イロハ四十七文字の数に匹敵するくらい大勢の覚者に出逢う。

でも最終的には、ぐる〜っとひと回りして振り出しに戻り、結局は自分自身の事であることにハタと気づくのである。

「青い鳥の寓話」そのものである。

光と影の狭間

2013年5月1日(水)曇り by ヨガビジャ 


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 光を孕み
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 光を抱いて
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 闇に在る 
 
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 闇にたたずむ光は 
 小さくとも力強い 
 そしてやさしい


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