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天才と凡才の壁

2013年5月5日(日) by キヨタカ

人間の可能性は、無限と言えるくらい素晴らしいものがある。
 
そうした可能性を極限まで開花した人々は「天才」と称され、人類の進歩や幸福に大いなる貢献をして来た。
 
つい数年前までは、こうした「天才」は生まれながらに別格で、「しょせん天才と凡才の壁は超えられない」と思い込んでいた。
 
しかし最近ではその考えが大幅に改まりつつある。
 
人は誰だって天才だ。
 
人は誰もが生まれながらにユニークで、それぞれに天から与えられた才能(天才)を持っている。
 
ところが自分も含めて、殆どの人々は2〜3パーセントの能力を発揮するだけで終わってしまう。
 
これは何ともはや実に残念で悔しいけれども、人類の歴史を見ても個人の人生を振りかえってみても明白な厳然たる事実だ。
 
エコロジーがブームと言われて久しいけれども、人間の可能性の97〜98パーセントを無駄にするとは、これこそ人的資源の無駄遣いの最たるものだろう。
 
なぜ人間は自己本来の可能性を充分に発揮する事なく、人生を空しく終えてしまうのだろう?
 
その事に関して古来より様々な議論があり、自分の可能性を開く様々なテクニックも教師もこの世には沢山用意されている。
 
しかしそうした議論やテクニックや教師のジャングルに分け入っても、自分の可能性の扉を開くにはある程度しか役立たない。
 
少なくとも私の場合はそうだった。
 
その為の投資をさんざんにしたが、その莫大な投資に対する見返りはほんの僅かなきがする。
それでも、とても有り難かったが・・・ 
 
しかし今回「覚者を求めて」を出版するに当たって、もう一度自分の人生を振り返る機会を与えられた。
 
するとそのプロセスの中で、「天才」と「凡才」を隔てる壁は単なる子供時代の条件付けにある事が非常に明確となった。
 
絶対に無理と諦めていた「壁」が、実際にはそれほど高くはなかった。
 
何が自分の可能性を阻んでいたのか、本当に具体的に一つでも発見すると、そこから芋づる式に新たな可能性の扉が開く。
 
すると、自分の人生が今後どう展開して行くのか、新たな可能性が無限に広がりとても楽しくワクワクするのである。
 
その具体的に発見した子供時代の条件付けの「壁」については、明日からの日誌で少しずつ書いて見ようと思う。

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