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Hさんからの感想と質問(2/2)

2013年6月6日(木) by キヨタカ

 

Hさんからの感想と質問の続きです。

 

* * *

 

長くなりましたが、キヨタカ様に質問があります。

 

本書の秘策のところを読んでの質問なのですが、 意識のスクリーンを別のもので満たすその別のものとは、ハートの奥深くの扉のうちにある恩寵の光であると・・・ この「ハート」とはいったい何のことを言っているのでしょうか?

 

ハートといえば、私はすぐ心臓の位置のことを思い浮かべます。

マハルシはそれはあくまでも象徴であると言っています。

肉体が自分であると思っている人ににとっての方便だと・・・

 

フーマンはすべては「これ」の別の呼び名であるともいっていましたよね?

キヨタカ様や覚者達が「ハート」と特別に表現するとき、いったいどんな意味合いがあるのでしょうか?

 

それは、もちろんマインドが理解できるものではないともわかります。

ここでまったくの堂々巡りに陥ってしまいます。マインドで考えている限界を感じます。

やはり瞑想をするべきなのでしょうか?

 

しかし「あなたはそれを瞑想を通して獲得するのではない」と次ページに書かれています。

私も「恩寵の光」に気づいているのかもしれませんが、これがそうなのだと確信がもてませんし、フーマンが言っている「これ」と言うものが「まさしくこれである」という実感もつかめません。

 

内側に覚者がいるということも理屈では理解できます。

何とかなるという、わくわく感と同時に無力感、虚脱感を感じているのも事実です。

新刊書の発刊の時にまったく失礼な質問を、お許しください。

 
* * *
 
通常の私達は、マインドという「ヴァーチャル・リアリティ」に閉じ込められています。
 
マインドは「過去の記憶」とその記憶に基づく「未来への投影」からなっています。
 
「リアリティ」は「今・ここ」に在るのですが、マインドという「色眼鏡」を通して見ているので、決して「あるがまま」に「リアリティ」を味わうことが出来ません。
 
この「色眼鏡」を外す事が、非常に大切です。
 
「色眼鏡」をかけた人の生きる世界は、過去と未来しかありません。
 
いわば「水平な次元」を生きるようなもので、非常にフラットな人生です。
 
あっ!と言う間もなく、人生が終わってしまいます。
 
文字通り「光陰矢の如し」…の人生です。
 
 
瞑想を通して「気づき」そのものが目覚め始めると、「色眼鏡」を外す事が出来る様になります。
 
「色眼鏡」を外すとは、「ヴァーチャルな世界」から脱出する事です。
 
すると「今・ここ」という「垂直な次元」が開かれます。
 
「リアリティ」とダイレクトに触れ合い、「あるものをあるがまま」に豊かに味わえるようになるでしょう。
 
古来から言われている「明鏡止水」の境地であり、禅では理想の境地です。
 
Photo
しかしフーマンは、これは準備に過ぎないと言います。
 
「ハートが開いて初めて人はこの世に生まれて来た価値がある」と言うのです。
 
 
ハートとはもちろん心臓ではなく、胸の奥に在る「フィーリング」のセンターの事です。
このセンターを通して感じるプレゼンスの事を、フーマンは「これ」と語っています。
 
 
フーマンの語るハートは、セラピーやニューエージで語られるハートとは別次元の事ですから注意して下さい。
 
「水平でも垂直でもない」次元の事であり、いわゆるこの世ではない次元、「神聖な次元」「神の領域」へアクセスする場所の事です。
 
「恩寵の光」とは「神聖な次元から降り注ぐ光」の事であり、時の始まりから終わりまで、燦々と降り注いでいます。
 
その降り注いでいる場所こそが、リアリティーなのです。
 
しかし受け手が「ヴァーチャル・リアリティー」にいると、受け取れません。
 
受け手が眠りこけているのです。
 
だからこそ、瞑想を通して「リアリティーに目覚める」事が急務なのです。
 
フーマンが言う通り、人は目覚めて初めて、恩寵は初めから燦々と降り注いでいたという事実を知るのです。
 
 
別に「瞑想を通して獲得」するわけではありません。
 
それはちょうど、天国で地獄の夢を見てうなされるようなもの。
 
あなたは初めから天国にいます。
 
瞑想を通して天国を獲得するわけではありませんが、夢から覚めて初めて天国にいる事実を知るのと同じです。
 
 
しかし完全に夢から醒めるまでは我々は無力かというと、そうではありません。 
 
地獄の夢を見ながら、天国からの誘いをキャッチする事が可能です。
 
それをキャッチする場所がハートにあります。
「わくわく感」はハートで感じるもので、天国からの誘いです。
 
 
マインドはリアリティーを好みません。
 
リアリティーに目覚めると、マインドの役割が失われるからです。
 
ですからマインドは抵抗して「無力感・虚脱感」を創り出しますが、それを肯定的に受け止めると「明け渡し・くつろぎ」へとシフトします。
 
ですから「無力感・虚脱感」は、実は目覚めへのとても良いサインであり、それと戦わずにそれを喜んで受け止めると良いでしょう。
 
すると、ハートのセンターが開いて行きます。
 
 
「瞑想の結果として恩寵を獲得するものではない」という事ですが…もう一度説明します。
 
マインドは、「原因」があって→「結果」が起る、と「水平次元」で直線的に物事を考えます。
 
しかしリアリティーの世界はそうではありません。
 
「瞑想」の結果「悟り」が起るものでもありません。
 
瞑想とは、既にそうである世界へと脱出を促す手段であり、ヴァーチャル・リアリティの未来に結果を創り出す手段ではありません。
 
恩寵も同じカテゴリーに属しています。
 
「原因→結果」という因果関係から抜け出した別次元に、既にあるものです。
 
過去や未来という「水平の次元」ではない、今という「垂直な次元」に開いて下さい。
 
それがリアリティーの世界です。
 
そこは既に恩寵が燦々と降り注いでいます。
 
それをダイレクトに受け止める機能が、ハートにあります。
 
ハートの最も奥深い部分を感じてみて下さい。
 
その一番深い部分に、扉があります。
 
それが恩寵の扉です。
 
その扉が開かれると、恩寵の光の源である「神聖な次元」へアクセスする事が可能となるでしょう。
 
 
しかし、全て物事にはタイミングというものがあります。
 
ハートは木に例えると、花の部分に相当します。
 
今は、気づきという幹と、ビーイングという根をしっかりと育てて下さい。
 
やがて春の到来とともに花が咲くように、自然とハートが開花しますので、焦る必要はありません。
 
 
ハートが開く準備としては、「考える」スペースから「感じる」スペースへと、シフトする事を日頃から心がけるとよいでしょう。
 
そして、「ワクワクすること、満たされること、喜ぶこと、悲しみや苦しみをあるがままに受け入れること、感謝すること、愛すること、驚くこと、感動すること、小さな出来事や些細な事象に心を配ること、偶然の一致や不思議さに開いている事、etc.」を天国への誘いとして、それを標識として日常生活を送ると良いでしょう。
 
それが「恩寵による導き」となり得ます。
 
すると、例え悟りを開かなくても、喜びに満ちた人生を今直ぐに歩み始める事が出来るでしょうheart02

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