« 自己イメージ | トップページ | とっておきの写真の2 »

とっておきの写真

2013年6月9日(日) by キヨタカ

 私は「仏ほっとけ神かまうな」という世俗的な家庭で育ったこともあり、祭壇に「覚者」の写真を飾るなど青年時代には全く信じ難い事だった。
 
最初にOSHO瞑想センターを訪れた時は、ホールに大きなOSHOの写真が飾ってあってショックしてしまった。
 
怪しげな教祖を崇拝する新興宗教団体みたいで、非常に気持ちが悪かったのである。
 
それがいつの間にかOSHOのサニヤシンとなり、OSHOの写真を祭壇に飾る様になった。
 
実際に飾ってみると、それはOSHOを崇拝するというよりも、OSHOを通して「本当の自己」を思い起こす手段としてとても心地よいものとなった。
 
そしていつのまにか、自分が気に入った他の「覚者」の写真も飾る様になった。
 
リー・ロゾウィックやラマナ・マハリシから、キリストやグル・ナナックに至まで、大勢の覚者の写真が入れ替わり立ち代わり私の祭壇を飾った。 
 
祭壇に飾った覚者の写真の数々が、そのまま覚者を求める私の精神遍歴を物語っている。
 
 
しかしどんなに優れた「覚者」の写真を飾ったからといって、実際に「本当の自己」を思い起こす訳ではない。
 
私の場合、「自分は劣っている、ダメだ、まだまだだ…」という否定的な自己イメージがとても強かった。
 
最初にフーマンと面談した時は、どんなにフーマンが「今のあなたで充分だ。もっと自信を持ちなさい!」と励ましても、「フーマンは人をヨイショするのが上手だな〜!」としか思わなかった。
 
いわゆる「腑に落ちる」という事が起らなかったのである。 
だから、「あなたがどうして自分はダメという否定的自己イメージを持ってしまったのか、私にもわからない…」とフーマンをして嘆かせた。
 
しかしそれにも関わらずフーマンは非常に熱心に、「偽りの自己イメージ」を落して「魂としての自己」を生きる様に諭した。 
 
そこで私は、「魂としての自己を思い起こせ」というフーマンのメッセージを忘れないように、フーマンの写真を祭壇に飾る事にした。
 
祭壇に飾るに相応しい写真があったら下さいとお願いしたところ、「その必要はない」と断られてしまった。
 
何度もお願いしたけれども、ダメだった。
 
自分の写真が祭壇に飾られる事を喜ばなかったのである。
 
そこで、長い間倉庫に眠っていた歴代の覚者の写真を次々と祭壇に飾ったのだが、いすれもしっくりこない。
 
 
そこで、自分にとり「とっておきの写真」を祭壇に飾る事にした。
 
それが↓これだ!
Photo_2
冨士登山をした際に、富士山頂でのご来光を背景に撮った自分の写真である。
 
ちょうどフーマンのワークを受け始めた頃で、自分の中に大いなる希望が満ち溢れていた。
 
 
「自分の写真を祭壇に飾るなんて、エゴ丸出しだ!」と憤る人もいるだろう。
 
しかし「自分はまだまだダメ」と自己否定の強かった当時の私にとっては、「あるがままの自分を肯定し」、「自己に内在する真理の光」に根付く為にとてもパワフルな効果を及ぼしてくれた。
 
 
教祖になりたがるタイプのエゴを持っている人やナルシストの人には、オススメしかねるけれども…
 
内省的だけれども自己を低く評価してしまう方…(瞑想に感心のある人々に多いタイプだ)…には、かなりおすすめの方法だ。
 
もしあなたがそのタイプなら、自分にとって「最高の輝きを放っている瞬間の写真」を祭壇に飾るのである。
 
「そんな写真なんか持っていない!」という方も、心配はない。
 
今から無理やりでも良いからカメラににっこり微笑んで、それを撮って祭壇に飾れば良い。
 
自分の笑顔の写真を毎日眺めていると、やがて笑顔の奥に潜んでいる魂の喜びが伝わって来るから不思議だ。
 
そしていつの間にか、「自信に満ちた本当の自己」が目覚め始めている事実に気づくだろう。

« 自己イメージ | トップページ | とっておきの写真の2 »

日常」カテゴリの記事

コメント

ほおー、なるほど!

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 自己イメージ | トップページ | とっておきの写真の2 »

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ