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矛盾は矛盾のままで…

2013年6月7日(金) by キヨタカ

Kさんから、「覚者を求めて」の感想が送られて来たのでアップしよう。
* * *
天野キヨタカ様

先日は、新刊「覚者を求めて」に素敵なサインを入れて送っていただきまして、ありがとうございました。
 
キヨタカさんの真っ直ぐで情熱的な探求のプロセスが赤裸々に描かれていて、今読み返しながら改めて面白く素晴らしい本だなと(正直に)思っています。
 
探求のそれぞれにおいてトータルですね。

リー・ロゾウィックという人のことは初めて知りました。
 
「あなたは本当のOSHOの役割を知らない。・・・」
弟子の目覚めのためにのみ、マスターというのは存在しているということなのですね。
 
OSHOに対してここまでの洞察を持っていた人がいたとは驚きです。

アジスとフーマンの、「舟を降りてはいけない」 「もう舟を降りなさい」という両者の言い分も大変興味深いですね。
 
絶対矛盾の自己同一です。
 
私はこれに対してこう考えてみました。
「舟なしに舟を漕げ」、あるいは「漕ぐ人なしに舟を漕げ」と。言葉遊びになってしまいましたか。
 
ご容赦ください。

K 合掌
 
* * *
 
この世は矛盾に満ちている。

Photo
なにしろ天と地があり、昼と夜があり、山と海があり、男と女がいて、好きと嫌いがあって…
 
同じ様に、瞑想の世界でも「超努力せよ!」という教師がいるかと思えば、「そのまんまでO.K ただ寛ぎなさい♡」という教師もいる。
 
「努力か寛ぎか?」という問題は、探究者としての私を長い間悩ませた難問であり、新しい覚者に出逢うたびに同じ質問をした。
 
その答えはそれぞれ覚者ごとに違っていて、いずれも味わい深い。 
 
だからその事を意識しながら「覚者を求めて」を読むと面白いだろう。
 
アジズと出逢って初めて、「努力か寛ぎか?」という長年の疑問が知的レベルでは氷解したのだが…
 
それからしばらして、アジズとフーマンと2人の教師をオーガナイズする事になる。
 
ところが、今度は2人の立場がことごとく矛盾して困り果てた。
 
今ではとても懐かしい、思い出話になっているのだが…
 
例えば2人が合同リトリートで来日した時は、滞在が2ヶ月近くに及んだ。
 
そこで休暇の為に山か海で数日を過ごす事を、2人に提案した。
 
2人が休暇でリーラスペースを離れれば、お世話で忙しい私も少しはリフレッシュ出来るだろうと算段したのである。
 
ところが2人とも大喜びだったけれども、アジズは「海がいいヽ(´▽`)/」と言い、フーマンは「山がいい(◎´∀`)ノ」と言ってお互いに譲らない。
 
そこで、結局アジズを海へフーマンを山へ連れて行く事になり、肝心の私の休暇が完全に失われ疲労困憊してしまったshock
 
それから数年後に、私に対してフーマンは、
 
「あなたはもう向こう岸に渡ったのだからもうリトリートは必要ない。舟を降りなさい。」
と語った。ところがアジズは…
 
「今舟から降りてはいけない。真理の海は広大で、あなたは今舟を漕ぎ出したばかり…」
 
と相矛盾する事を言われて、非常に困惑したのである。
 
しかし確かにこの世界は矛盾に満ち満ちているが、この矛盾に満ちた二元性こそが宇宙進化の原動力だ。
 
難しい事はわからないけれども、この宇宙の仕組みは137億年前に自発的対称性の破れ でビッグバンが起った時から宇宙は既にそうなっているらしい。
 
こうした本質的に矛盾に満ちた世の中で、矛盾なく生きるには、矛盾が生じる以前の自己に立ち止まる必要がある。
 
それを、哲学者の西田幾多郎は「絶対矛盾的自己同一」と語り、戦前の思想界に一大ブームを巻き起こした。 
 
しかしこうした難しい哲学書を紐解かなくとも、あるいは難しい理論物理学の学説を知らずとも、「在る」というシンプルな事実に立ち返る事で、充分だ。
 
矛盾は矛盾のままで、美しい。
 
深く静かな沈黙のスペースにただ在るだけで、巷の哲学者や理論物理学者も羨むような喜びを満喫するだろう。

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コメント

言葉遊びも楽しいですが・・・

のどがかわいたら、水を飲みましょう。
赤ちゃんは、おなかがすいたら泣きます。
だだそれだけ・・・

<ふふふ>
神秘のままだだ生き(行き)ましょう。
楽しや、たのしや

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