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エゴの役割

2013年9月3日(火) 晴れ by ヨガビジャ 
 
先日数名の有志の人たちと環境整備(庭掃除)を行いました。 
 
暑い中の重労働、本当に大変だったと思います。 
でも、おかげで私たちも各々の分担を楽しくこなすことができてとても感謝しています。  

 
環境整備の翌朝、富士見荘から温泉棟の片付けのために庭に出ると見違えるほど芝生も植木もきれいになっていました。 
 

Img_3348_6 
 
そんな真新しい庭を眺めながら温泉棟へ行って片付けを済ませて再び外に出ました。  

 
ここの庭は広い上に庭木も多いので、1日や2日の作業では手を付けられない箇所が必ずあります。 
 
温泉棟を出て私の目にとまったのは元々は丸く刈られていたつつじの庭木。 
今は小枝がぴんぴん伸びて所々につる草が巻きついています。 
(以前こんな
つる草は手で取り除いていましたが、アレルギーのため植物に触れてはいけないとのご達しにより最近はとりたくても放置してます… (T_T) ) 

このつる草を見ているとバイタリティというか、「自分はここに形をもって存在していいんだっ!( ̄^ ̄)ゞ」そんな意志を感じます。 
 
「エゴ」というと悪者のように受け取りやすいけど、個としての経験を求めこの世に生を得て存在するなら、本来的な意味で「エゴ」は必要不可欠なものに感じられます。 
 
ただ、その「エゴ」はつる草が茂り過ぎることで庭木を締め付け受け取るべき陽の光を奪って枯らしてしまうように、放置していると暴走してしまう気がします。 
 
「エゴ」が経験させてくれる「あなたと違った私」・・・ 
ただそれを経験しにやってきたはずなのに、その違いに優劣や正誤をつけたり、相手の違いを受け入れられない時、バランスを失い本来の目的を忘れてしまう。 
 
以前、この施設周辺の大木が次々切り倒され胸が痛んだ時期がありました。 
今思えば単なる伐採以外にも松食い虫の被害などもあったのだと思いますが、こうして実際庭の手入れに自分が携わってみると、植物はある程度コントロールしないと共存することはむつかしいのだと分かりました。 
 
それは自分の中の「エゴ」も同じように感じます。 
 
「エゴイスティックは良くない」という先入観が、持って生まれた本質的な部分を否定して自分自身をトータルに生きることを許さない。 
 
自分の望む理想、あるいはその理想すら他人や社会のものしれないけど、、、そんな自分ではない誰かとして私たちは生きているのかもしれない。 
 
「エゴ」にしろ、あらゆる言葉も事象も多面的だから、ほんの一面だけで判断してそれらを邪魔者のように切り捨ててしまってはいけないんでしょうね。 
 
この世に不要なものなどありはしない… 
 
それを思い出させてくれたつる草でした。。 

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