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余韻のあることば

2014年1月12日(日) 晴れ by ヨガビジャ 
 
偶然か、必然か、ネットの世界を徘徊していると衝撃を受けたり、癒されたり、理解が腑に落ちる文章に出逢ったりする。 
それは自分が意図し求めた場合もあれば、まったく無意識な場合もある。 
 
なんにせよ、私の個人的な感覚では最近はそういったことが頻繁に起きやすくなったように感じている。 
 
それは時代の進化とともに<ネットの海>も豊潤な大海へと成長を遂げ、ひとりひとりの個のポテンシャルは上がり、それを各々がダイレクトに享受できる環境が整ったことの証なのかもしれない。 
 
先日こんな言葉に出逢った。 
出所も、ここで紹介してもいいものかもわからないが、いまの私に浸透してくる言葉。 

言葉とは不思議なもので、まったく同じ内容が別な表現では響いてこなかったり、また、
少しでも出逢うタイミングがズレていると見過ごしてしまう。  

人との出逢いや別れと同じだけ繊細であり影響力をもつ。 
それが言葉。 
 
私が
目にした同じ言葉に人はなにを受け取るのだろう。 

もともと受け取るものに正も誤もなく、その言葉からいま自分にふさわしいエッセンスを感知するのだろう。 
 
この言葉は私の内に深い安らぎの感覚をもたらしました。
健全な闇は心地よいものなのだと。   

 
*****

闇の棲むところ
 
月と星と光だけであった時代
闇はのびのびとしていた
夜の間や夜が明けても
闇の居場所は充分にあった
闇の時間は充分にあった
 
しかし
人間の作り出した光は
闇の居場所を奪ってしまった
山へと追いやられた動物たちと
同じ様に
闇の時間がめっきり減った
 
それでも闇にとって
光の到来は問題はなかった
居場所がなければ作ればよい
人間の中に入ってしまえばよい、
 
今では そう
人間の社会を
人間の身体を
闇が浸食している
 
人間がいくら
善であろうと努力しても
闇が消えることはけしてない
 
追いやれば追いやるほど
闇は執拗に
人間の後を追いかけてくる
 
はじめに手を出したのは
人間なのだと
 
言わんばかりに

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コメント

おはようございます

わたくしも 深く 同じように感じます

同時に あ- この様に 自分の言葉で表現
できたら良いのに とも 思ってしまいました

でも 放送局でなくても良いや
ラジオの受信機(表現が古いか?笑い)で
いろんな周波数の声を キャッチできればいいのかもね

あ!今年最初のコメントかな
好きな放送局です

こんにちは♪

やはり 深く・・・ ですか。。 

私には詩的で絵画的な印象のこれらのことば。
私もこんなふうに表現できるといいのに…
と思いましたけど、リスナーあっての放送局。

表現者に表現を促すのは
受信者の存在によるところが大きいかと…
大きな視点でみれば共同作業のように感じます。 

コメントありがとうございます^^
 
 

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