« Divine Discontentment/聖なる不満足 | トップページ | 再現性 »

幸せな老後

2014年3月8日(土)  by キヨタカ

 昨日は、母の小学校の同級生が入所している施設を訪問。
 
毎年グループ旅行を楽しみにしている仲間だったが、突然倒れて寝たきりになってしまったと言う。
 

Img_0251

意思疎通が出来るのか心配だったが、実際はリハビリも非常に順調ヽ(´▽`)/
 
久しぶりの再開なので、2人の会話がとても弾んで終わりそうにない。
 
 
 
私の方は手持ち無沙汰になったので、大広間(娯楽室?)でテレビを見ながら入所している人々の様子を伺う事に。
 
7〜8人の入所者がいたが、和気あいあいとおしゃべりに興じるおばあちゃん達の他に、ポツンと浮いた形で2人のお爺さんがいる。
 
2人とも不機嫌そうで、気軽に話しかけるのも憚れた。
 
母によれば「どの施設も似たり寄ったり」、男性の場合「一人でぶすっとしている」場合が多いそうだ。
 
「ウ〜ン、男ってつくづく悲しい動物だな〜(ρ_;)」としみじみ実感した。
 
 
人が赤ん坊としてこの世に生まれた時は、誰もが無力で「ただ在る」ことしか出来ない。
 
しかし赤ん坊は命の脈動そのものであり、生命の歓喜に満ちあふれている。
 
成長するにしたがい、私たちは「すること」で忙しくなる。
 
そして生命の歓喜、つまり「ただ在る喜び」など、すっかり忘れ去ってしまう。
 
しかしどんなに「すること」で偉業を達成しても、やがで肉体は衰えて日常生活を「すること」すら難しくなる日々が誰にも訪れる。
 
だから幸せな老後を迎えられるかどうかは、「ただ在ること」に喜びを見い出せるかどうかが決定的なものとなる。
 
ここで男性と女性とでは、その幸せ感に大きな差があると私は思う。
 
原始時代から「子育て」という役割を担い続けた女性の場合、よりきめ細かく日常生活に関心が向かい、「いまここで生きている実感」を大切に育む能力が高い。
 
だから「すること」が出来なくなっても、日常の些細な出来事の中に喜びを見いだす事が比較的容易だ。
 
ところが「狩猟」という役割を担って来た男性の場合、獲物を獲得するという仕事が失われる事は、自己の存在価値そのものの喪失につながりやすい。
 
 
男性が女性よりも短命である理由は、様々に説かれているが、こうした心理的背景が大きな要素を占めていると思う。
 
女性にとっては、別に瞑想しなくても世間的な意味での幸せな老後を送る事は充分可能かも知れない。
 
この老人介護施設を見ても、女性はおしゃべりで笑いも絶えず、実にたくましい人が多い。
 
しかし男性ときたら…(^-^;
 
 
最近になって、蓮如や道元の言葉が、切迫感を持つようになった。
 
「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」(蓮如)

611

 
「おおよそ無常たちまちに至る時は、国王、大臣、親昵、従僕、妻子、珍宝助(たす)くるなし。只1人黄泉におもむくのみなり」(道元)
 
だから、男が本気で幸せな老後を迎えたいなら、瞑想はMUSTだとしみじみ思うのである。
 
ちなみに、女性が瞑想したら鬼に金棒となる事は言うまでもない。

« Divine Discontentment/聖なる不満足 | トップページ | 再現性 »

感想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« Divine Discontentment/聖なる不満足 | トップページ | 再現性 »

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ