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歌を忘れたカナリア

2014年3月13日(木) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!
 
今日は大声で叫んでみました。Images_2
 
挨拶とは元々真剣なものだったと昨日知ったので…。
 
 
ところで、もしもあなたが元気でなかったら、それはちょっと変ですよ。
 
「元気」とは「元々の気」と言うことで、本来人間はもともと元気なのが
当たり前。
 
元気なら自然と歌ったり踊ったりするし、声も自ずとデカくなる。
 
ところがあの人の場合は「元気ですかー!!」と首相に挨拶したら、国会で注意されてしまった(;д;)。
 
Images1 私の知り合いのこの人の場合、「全ての武器を楽器に」と意気込んで国会議員に当選。
 
(*「花」や「ハイサイおじさん」で有名なウチナーポップ ミュージシャン)
 
 
ところが三線(サンシン/楽器)を国会に持ち込もうとしたら拒否され、歌うのを禁じられてしまった(ノ_-。)
 
歌を禁じられたこの人は次の選挙で落選してしまったが、あの人も元気過ぎてさらなる懲罰を受けない事を願うばかりだ。
 
 
元気過ぎたり歌ったり踊ったりするのを嫌うのは、何も国会ばかりではない。
 
今の社会というシステム自体が、元気過ぎることを許してくれない。
 
小学校や幼稚園だけではなく、家庭の中でも、はしゃぎ回ると叱られる。
 
ところが不思議なことに、おとなしくしていると、褒められる。
 
さらに不思議なことは、病気で寝込んだりすると普段は無視する親が心配してくれる。
 
いつの間にか、元気過ぎない方が親の愛情を惹きやすい事を学んでしまう。
 
学校に漫画を持ち込んだりすると、「遊ぶところではナイ\(*`∧´)/」と叱られる。
 
つまらない勉強をすると、褒められる。
 
その小さな出来事が積み重なって、つまらない仕事に一生を捧げる歌を忘れた元気のない大人達が社会の大多数を占めてしまう。
 
元気がなければ、遊ぶこともままならないのは当然のこと。
 
つまらなければ、欲求不満も募り、元気な人や遊んでる人が憎らしくなったりもする。
 
しかしどんなに社会のシステムを批判しても、親を恨んでも、歌を忘れている限り元気にはなれない。
 
 
カナリアでさえ、歌いさえずり自由に大空を飛翔出来る。
 
万物の霊長たる人間が、カナリアに劣るわけにはいかない\(*`∧´)/
 
元気一杯、歌って踊って遊び回るのは人間本来の生得権であり、その自由は誰にも奪えない。
 
歌を忘れた人は、それをただ思い起こせば良い。
 
思い起こすにはどうしたら良いだろう?
 
社会から抹殺したり、鞭でぶったりしてもダメだ。
 
自己の本性を思い起こす環境を整えて、そこに身を置く事だ。
 
それが瞑想であり、リトリートの役割だ。
 
童謡「かなりあ」
 歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
 いえいえ それはなりませぬ
 歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す   

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