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2014年3月

LIFE!

2014年3月31日(月) by キヨタカ

 最近は、本当に便利な世の中になった。

映画もスマホでワンクリック、ダウンロードで事足りる。

DVDすら必要ないのだ。

そんな時代にわざわざ映画館まで出向いて、万一面白くなかったら…

「元気ですかー!」と 挨拶する気力すら失う(ρ_;)


…ところで
皆さん、「 元気ですかー!!

Unknown先日、とっても素敵な映画を見ましたよ(*^-^)

タイトルは「LIFE!」

あらすじをコピペすると…

あらすじ: 雑誌「LIFE」の写真管理部で働くウォルター・ミティ(ベン・スティラー)は、思いを寄せる女性と会話もできない臆病者。唯一の特技は妄想することだった。ある日、「LIFE」表紙に使用する写真のネガが見当たらない気付いたウォルターはカメラマンを捜す旅へ出る。ニューヨークからグリーンランド、アイスランド、ヒマラヤへと奇想天外な旅がウォルターの人生を変えていく。

ストーリーはシンプルで映像も美しく、生きる勇気をたくさん貰える。

おかげで今日も元気な挨拶が出来て、よかったヽ(´▽`)/


振り返って見ると、私の28歳までのサラリーマン人生は主人公:ウォルターと似通っていて思わず苦笑してしまった。

当時は、まさに「思いを寄せる女性と会話もできない臆病者」だった。 

しかも勤務先は大手企業で待遇も良く、年功序列がまだ当然だった時代だ。

会社を辞めるなんて、人生を諦める事と同じだった。

路頭に迷って死んでしまう…(;д;)

と、本気で思っていた。

ところが、会社を辞めて初めて、今までの人生は「LIFE!」とは言えなかった事に気づいた。

会社を辞めて幸せになったかと言うと…残念ながらそうは言えない時代が長かった。

会社という後ろ盾を手放し、それに替わる特別な才能を見つけられなかった私は、

「会社を辞めなければ良かった。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」

と何度も何度も嘆いたものだ。

でも、「LIFE!」とはトータルに生きる事であり、楽しい事だけではなく苦しみや悲しみも全て含まれるものだとしたら…

私の本当の人生は28歳以降に始まった、と断言出来る。

それまでの私は、「LIFE!」を生きる事すら出来ず、その可能性すら知らなかった。

だから、「安全を犠牲にしてでも、会社を辞めて良かった(*^-^)」と今では思う。


この映画の素晴らしいところは、未来の可能性に開かせてくれるだけではない。 

今自分が置かれている現状を、肯定的に捉える姿勢も養ってくれる。

「隣の芝生は青く見える/The grass is always greener on the other side
 
自分が今与えられている職場と自分の気質や能力は、とかく見過ごしてしまいがちだ。
 
もしサラリーマン時代にこの映画を見る事が可能だったら…

Unknown_2
あのままあの会社で…金太郎みたいに…

「スーパー・サラリーマン ( ̄ー ̄)ニヤリ」

として大活躍をしたかもな〜…と妄想している。

 
もし自分が自分である事に自信が持てるなら、いつでも何処でも誰といても、「LIFE!」を謳歌する事が出来る。

「随処に主となれば 立処(りっしょ)皆真なり」

とは、私の大好きな言葉だ。

臨済宗の開祖である臨済義玄禅師が修行者に対して諭された言葉だそうだが、あの映画のメッセージとして私が受け取った言葉でもある。


これでいいのだ!

2014年3月30日(日) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!

I.Sさんから、リトリートの感想を頂きました。
 
>わたしも、これまで以上にこれでいいのだ!でやっていけます。
 
そうなんです!
 
「これでいいのだ!」 Unknown
 
…と思えたら、もう間違いナシ。

 

♪All is well!

誰もが「♪きっと、うまくいく」
 
* * ISさんの感想* *
 
天野キヨタカ さま
 
先日のリトリートではお世話になりました。 
 
また、駅やホテルへの送迎までお願いしてしまい、本当にありがとうございました。
 
初参加にもかかわらず、キヨタカさん、ヨガビジャさん、フタッフの皆さん、参加者の皆さん、
そして、あのスペース・・・雄大な富士山、すべてそこにあるもののおかげで、わたしは、わたしの体験をさせていただいたなぁ・・・と感じています。
 
最初に「ヨガビジャさんに会いたくてきました」的なことを言ってしまい、失礼しました。
 
本当にすみません!!
 
まあ、今さら何、あれ、ほれ、あれですが・・・いやいや、キヨタカさんに会えてよかった!!ってリトリートを終えて心底、感じています。
 
本当ですよ!
 
わたしは、質問がひとつもない状態での参加だったのですが、
(達観してたわけでなく、疑問に気づけないぼんやり屋さんという意味です)
キヨタカさんと参加者のみなさんの質疑応答を聞いていて、
 
「あ〜そういうことか〜」
 
と気づくことがたびたびありました。
 
その質問に気づけた参加者の方に「すばらしい〜&質問してくださってありがとう〜」でした。
 
その質問に、飄々とユーモアをまじえてやりとりしつつ本人に気づかせていくキヨタカさんは「本当〜なんかいいわ〜」の連続でした。
 
キヨタカさんの本はすばらしい本だけれど、読むだけでは分かりおおせないものをリーラスペースでは空間や人を介して伝えてくれるんですね。
 
貴重な場所ですね。
 
来てよかったと本当に思いました。
 
あと、わたしは、ある種の近寄りがたいオーラを放っていている人が苦手なのですが、キヨタカさんは、そういったものを一切感じさせなくて、
 
こんなに純真無垢なひとっているんだな〜、こんな無邪気な少年のような元気なおじさんはそうそういないんじゃないかって・・・。
 
あれ、また失礼なこといってます???
 
いや、でも、それって本当にすごいな・・・て。
 
ヨガビジャさんへのメールにも書かせていただいたのですが、キヨタカさんも存在そのものでわたしにメッセージを伝えてくださったのだと感じています。
 
そして、あのスペースは、キヨタカさんやヨガビジャさん、スタッフの皆さんが大切に守ってくださっているのですね。 
 
ありがたいです。。。
 
そこに短い間でもおじゃまできたことがうれしく、とても幸せに思います。
 
いまでも、あの場所にいることを想うだけで・・・。
 
あ、でも日常でも同じ自分でありたいです・・・。
 
参加された方とはほとんどお話はしていませんが、どの方もそれぞれに道を歩いていて、つまづいたり、ころんだり、笑ったり、べそかいたり、、、私自身も含め、それでいいんだと思えました。
 
そこにいる誰もが、とてもいとおしくそれぞれに起こっていることも みなそれでいいのだと感じました。
 
わたしも、これまで以上にこれでいいのだ!でやっていけます。
 
ゴールデンウィークのリトリートは参加できませんが、またいつかくつろぎに行かせていただきたいと思います。 
 
ありがとうございました!
 
あ、もう一つ!キヨタカさんがホテルに送ってくださるときに何気なく話してくださった「耳鳴りの秘密の話」も印象的でした。
 
あれから、より一層あの音がいとおしく感じたりしています。
 
それから、キヨタカさんの健康体操という仕事にたいする捉え方がすごく新鮮でした。 
今までももちろん与えられた仕事は丁寧にやってきたつもりですが、あれからは、またより一層大切に・・というか、わたしらしく、感じたままに行うようになりました。
 
本当にありがとうございました!!!
 
キヨタカさん、ヨガビジャさん、みなさんの存在に心から感謝いたします。
 
(思いつくままかいちゃいました!支離滅裂、長文で本当、すみませんっ)
 
by I.S
 
* * *
通常は本等の知識を通して瞑想に興味を持ち、瞑想を実践することで体験の世界へと導かれて行くようです。
 
でも、体験が先にあって、後付けでそれが何かを知って行く人もいます。
 
I.Sさんは、体験が先にある方のようでした。
 
「耳鳴りの秘密の話」については、弊著 「覚者を求めて」に詳述してあります。
 (第8章 「無音の音」/P103〜P 111)
興味のある方は、ぜひお読み下さい。
 
PS バカボンのパパの言葉
 
わしは バカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ
それでいいのだ
わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ
どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱりこれでいいのだ

夢の中へ

2014年3月29日(土) by キヨタカ
02

 

皆さん、「 元気ですかー!!

 

そうだflair

「元気があれば、旅行も出来る!」

…と言う訳で、我が輩は猫…ではく、今インド北部の聖地アラハバードに滞在中!

01 念願だった、世界最大の宗教祭「クンブメーラ」 に参加するためだ。

親の介護が気になるが、12年に1度のお祭りを逃すわけにはいかない。

 

初日の今日は、約1100万人がガンジズ川で沐浴するという。

さすがに荼毘で燃やし損なった遺体が浮かぶ川に入る勇気は起こらないが、祭りを見ているだけでも大迫力だw(゚o゚)w

ひとしきり祭りを堪能した後で、宿へ戻ろうとして、ハッと気がついた。

ジーパンの尻のポケットに入れておいた筈の、財布がない。

大群衆に揉まれている内に、落としてしまったらしい。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

慌てて、人々をかき分けて先ほど来た道を辿ってみると…

驚いた事に、群衆の足に踏みつけられながら、誰にも拾われることなくそこにあったflair

「インドで遺失物が見つかるなんて、奇跡以上だ!♪」

クンブメーラの神様に感謝して、大喜びで狂喜乱舞しているところで…

ハッと、目が覚めた。

…今朝は、実家の2Fにいる。

母親の施設の都合で、日程を繰り上げて戻って来たのだった( ̄Д ̄;;

しかし実に不思議な事に、夢の中で喜んでいた時の感覚が目覚めてもそっくりハートの中に至福感として残っていた。

さらに、クンブメーラにも関わらず、実家にもにも関わらず私がある(I AM)という感覚も同じだった。

 

「悟りを開く」、とか「真実の自己に目覚める」とか言うと、何かとてつもなく達成困難で、レアで、普通の人にはあり得ないことに思われがちだ。

しかし真実は、「財布を落とした夢」から覚めるような、後から思い起こすと大笑いするようなものなのだろう。

 

人は失った大切なものを取り戻そうと、あれこれと画策する。

様々なマスターを追いかけ、教典や講話録をかき集め、瞑想会やセラピーなんかを受けまくり…

しかし、ひょいとジーパンの尻に手を当てさえすれば…

「なんだ、ここにあった!」

「失ってすらいなかった!」

…と、既に始めからそこにあるものに気づく。
 
だからこそ…
 
ちょっとだけ立ち止まって、尻に…ではなくてハートに手を当てさえすれば…

♪All is well!

誰もが「♪きっと、うまくいく♡」
 

 

満員御礼!

2014年3月28日(金) by キヨタカ

 5月のワンデー・リトリートは、定員となりましたので受付を終了させて頂きます。
 
次回は7月中旬を予定していますが、今回のリトリート終了後にホームページでご案内させて頂きます。

雨あがり

2014年3月28日(金) 晴れ by ヨガビジャ 
 
きのうの朝。 

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雨上がりの朝の庭は 
 清らかさで溢れてる

我が輩は猫であるかも…?

2014年3月27日(木) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!Img_0321

朝起きてふと窓の外を見ると、昨日までつぼみだったモクレンが一斉に開花している!

そうだflair

「元気があれば、散歩も出来る!」

 

…という訳で、モクレンの花に誘われて朝の散歩に出かけた。

駐車場から出た先の道路を、「漱石通り」と言う。

Img_0308

修善寺に縁のある文豪 夏目漱石にちなんで付けられた名前だ。

近くには「夏目漱石 漢詩碑」があり、虹の郷まで歩けば「漱石記念館」もある。000000021_4

 

病気療養で修善寺温泉に長期滞在した漱石は、「修善寺日記」を書いた事でも知られる。

 

実はこの日誌のタイトルは漱石にあやかったのだが、少しアレンジして「修善寺日誌」とした。

 

ところで漱石は、

「山路を登りながら、こう考えた。我が輩は猫である!」

…えっ!?、ちょっとちがうか(^-^;

ま〜それ15_2 はともかく、我が輩も漱石通りを歩きながら、こう考えた。
 
ひょっとして、「我が輩は猫である!」かも知れない。
 
 
猫が「我が輩はキヨタカである!」、と夢見ていたらどうしようshock
 
実はこの難問に悩んだのは、「胡蝶の夢」でお馴染みの荘周だけではない。
 
 
西洋でも、近世哲学の祖デカルトが大いに悩んだ。Unknown
 
彼は「絶対的に正しいと誰もが認める真理」を求めて、この世のありとあらゆるものを疑った。
 
朝の散歩で、目の前を横切る猫を見ても…
 
これは現実ではなく、「実は猫を見ている夢を見ているのかも?」
 
…と徹底的に疑った、とか(^-^;
 
しかしどんなに疑っても、「夢じゃないか?」と「疑っている自分が存在する!」
 
そしてついに、あの有名な命題を宣言する。
 
「我思う、ゆえに我あり!」
 
もしここでさらにツッコミを入れて、例の必殺技:Who am I?を繰り出していたら、西洋人覚者として精神世界の歴史に偉大な足跡を残しただろう。
 
しかし、デカルトはそうしなかった。
 
なぜなら、「我思う、ゆえに我あり!」と思う私は誰か?
 
という必殺技は、沈黙へと導かれるからだ。
 
言葉が武器の哲学者が沈黙したら、失業してしまう(ρ_;)
 
もしデカルトが東洋の南インドあたりに住んでいたら、失業しても問題はない。
 
フンドシさえあれば、裸でも充分暮らしていける。
なにしろ、ヤシの葉数枚で雨露をしのげるのだから…
 
そしてココナツジュースを飲んでバナナかマンゴーでも食すれば、沈黙の喜びに満ちた幸せな人生が一生涯続く♪
 
しかし、デカルトが生まれた寒冷地の西洋では、フンドシで一生を終えるわけにはいかない。
 
生存に快適な環境を創造すべく、頭を最大限に使う道を選んだ。
 
その結果、近代合理主義に基づく科学技術が発展し、西洋文明が世界を席巻したのである。
 
だから当然、デカルトは哲学者の道を歩んだ。
 
しかし、哲学のみで本当の至福が訪れることはないだろう。
 
それ故に、必殺技:Who am I ?が欠かせないのだ。
 
 
ところが、ここで探求者に「沈黙」の大きな罠が待ち受けている。
 
その罠とは…
 
「我思わず、ゆえに我あり!」
 
と思い込む事だ。
 
つまり、「思わない事」によって、「我あり(I AM)」の結果が導かれると錯覚してしまう。
 
そして無心の境地を目指して、外側の全てを放棄して瞑想修行に没頭する。
 
フンドシ以上の「物質的なもの」をこの世で求めない魂は、それで充分満足だろう。
 
しかし、外側の西洋的な物質的豊かさも享受したい魂だったら、さらなる必殺技が必要だ。
 
それがコレだ!!
 
ワン、 ツー、 スリー
 downwardright
新・必殺技:「〜にも関わらず、私は在る」
 
 
…と言ってもよく解らないと思うので、ここでデモンストレーション。
 
実際にデカルトの例の命題に、この技を仕掛けるとこうなる。
 
「我思う、にも関わらず、我あり!
 
つまり、思うと思わざるとに関わらず、始めから我あり(I AM)という事だ。
 
「思いが消えて、我あり(I AM)が目覚める」のでは断じてない。
 
煩悩 即 菩提
 
煩悩、にも関わらず菩提としての我がある。
 
この必殺技を使えば、日常生活の真っ只中で、今日直ちに物質文明を享受しつつ菩提を満喫できる。
 
無心を求めて不必要に苦しんでいる探求者と、
生前のデカルトに、こっそり教えてあげたかった(ρ_;)
 
だからこそ…

新・必殺技:「〜にも関わらず、私は在る」

…で、

♪All is well!

誰もが「♪きっと、うまくいく」
 

残り僅か!

2014年3月27日(木)  by キヨタカ

 5月のワンデー・リトリートは、定員まで残り僅かとなりました。
参加希望者は、お早めにお申し込み下さい。

涙が止まらなくなった

2013年3月26日(水) by キヨタカ
 
皆さん、「 元気ですかー!!
 
 「あなたが笑えば、世界が笑うヽ(´▽`)/」
 
 
Tさんから、リトリートの感想を頂きました。
 
>死とは魂が肉体から自由となりすばらしい世界へと旅立つ門出だと言えます。 私も何だか死ぬのが楽しみにも感じられます。
 
との事です。
 
「元気があれば、笑って死ねる\(;゚∇゚)/」
 
* * *
 
キヨタカ さま
 
2年前に瞑想カウンセリングを受けましたが、リトリートは今回が初参加でした。
 
リーラスペースのリトリートでは、静かに坐ったり、歩いたりする瞑想だけではなく、さまざまに身体を動かしたり、声を出したりと、バラエティーに富む技法を通して、瞑想の3条件であるプレゼンスの気づき、ビーイングの寛ぎ、ハートの神聖な愛についての実習がしっかりできて、とても有意義でした。
 
日常生活の中でも、マインドの背後にあるプレゼンスとビーイング、つまり、気づきの広がりを常に実感するように心がけていきます。
 
今後の課題として、ハートの奥のドアが開かれ、聖なる次元が実現することを願って、念仏、坐禅、瞑想、祈りなどに精進していきたいと思います。
 
リトリートの中で印象的だったのは、ハートを開く実習の最中に、昔見た古いスペイン映画の『汚れなき悪戯』の感動的な場面が思い出されて、涙が止まらなくなったことです。
 
この映画のラストは、心の純粋な幼い男の子が天国にいるお母さんに今すぐ会いたいと願ったところ、キリストの奇跡によって男の子の願いがその場でかなえられるというものでした。 
 
つまり、男の子は死んでしまうので、かわいそうでもあり、悲しくもありながら、しかし、なぜか感動的で、敬虔な気分に満たされ、神さまに祝福されてよかったねと、涙、涙、涙の映画でした。 
 
スペインならではのカトッリク信仰の熱烈さが感じられました。 
 
天国にいるお母さんの元へと旅立った男の子のことを思えば、死とは魂が肉体から自由となりすばらしい世界へと旅立つ門出だと言えます。 
 
私も何だか死ぬのが楽しみにも感じられます。
 
チャンスがあれば、また参加します。 
 
合掌
 
* * *
 
Tさんは、若い時からとても熱心に探求を続けておられる方です。
 
キリスト教→坐禅→ヨーガ瞑想→上座仏教→浄土仏教等々、その宗教的バックグラウンドは幅広く、イスラエルのキブツやロシア正教など私の知らない分野 もよく体験されていて、浄土宗の僧侶の資格も持っているそうです。
 
私もTさん同様、様々な分野を探求してきましたが、結局は幼子の純真無垢な魂へと導かれて行くのでしょう。
 
 

リトリートの感想

2014年3月25日(火) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!

 

え!?

 「今日はもう挨拶しただろう!?」

そうなんですけれども、リトリート直後はいつもエネルギーで溢れかえってしまうので…(◎´∀`)ノ

今朝は仕事を済ませてから、久しぶりに海へ。

ド強風の中でウィンドを満喫。

ウィンドの技術はほんの少しずつ上達しているようで、ちょうど瞑想の上達と似ていて面白い。

家に戻って、今日2度目の日誌を書く事に。

ところで参加者のFさんから、さっそく次のリトリートの申し込みがあった。

嬉しい限りだヽ(´▽`)/

 

それから先日のリトリートをヘルプしてくれたOさんから、感想のメールを頂いた。

Oさんは長年非常に熱心に瞑想に取り組んでいて、独自の瞑想会も開いている。

興味のある方は、ブログ:「恩寵と共にある」をクリック。

* * O さんの感想 * *

この週末は以前からお世話になっているリーラスペースのワンデイリトリートに参加していました。
 
リーラスペースは修善寺にあり、広い敷地ですが手入れが大変で、リトリートの前に庭作業を手伝いました。
 
先日の大雪や強風で木が折れてしまったりしていたので、それを片づけるのが主な作業でした。
 
太い枝も多くそれはチェーンソーでないとどうにもならないので、数年ぶりにチェーンソーを使いました。
 
チェーンソーは気をつけて使わないと、跳ね返ってきてしまったりしてけがをするので、慎重に扱っていました。
 
木を切っている時は、否が応でもノーマインドになり、良い瞑想にもなりました。静かにしていると色々と思考が沸き起こってきたりしますが、チェーンソーで木を切っている時はそんな余裕もなく、ひたすら作業に没頭していました。
 
土曜日の朝と昼に庭作業を行い、夜には参加者の方々が集まり始めました。
 
リーラスペースでのリトリートは一年半ぶりくらいですが、今回は初参加の方が多く、ほとんどの方が緊張されているようでした。
 
参加者が揃う前に、リーラスペースを運営されているキヨタカさんと、事前に集まって庭作業をしていた私を含めて三人が、瞑想の場を作ることを行っていました。
 
キヨタカさんが場を整えるあるやり方を説明し、それをみんなで行った後、四人で少し瞑想をしました。
 
みな瞑想に長けているので、短い時間でもすぐに深い瞑想が訪れ、恩寵の降りる場が形成されました。 
 
夜の7時半に参加者全員が瞑想ホールに集まり、自己紹介と瞑想をしました。
 
様々なバックボーンの方が集まり、バラエティにとんでいました。
 
そして瞑想の時にも深い沈黙に包まれ、とてもよい場になっていました。
 
日曜には食事や休憩を挟みながら、合計6時間ほど瞑想をしました。
 
私は集中的な瞑想をするとよくあることですが、マインドの働きが活発になり、普段隠れている思考や感情が浮き彫りになりました。
 
以前ならそれに翻弄されていましたが、今ではいかに思考や感情の波に襲われようと、その背景にあるものを実感しているので、巻き込まれることもなく、静かに座っていました。
 
瞑想をしているだけでなく、シェアリングの時間も多くありましたが、瞑想時よりもその時の方が恩寵を感じていました。
 
自分だけに意識を向けるより、全体に向けた方が恩寵を感じられるのかもしれません。 
ともかく瞑想ホールは恩寵が燦々と降り注ぎ、私たちはその中に浸っていました。
 
最後の瞑想が終わってからは、お茶を飲みながらシェアリングをしましたが、皆さんとても充実した表情をされていて、すっきりと浄化されたり、何かをつかんだりされていました。 
 
瞑想の初心者の方も多かったですが、恩寵の場であったためか全員良い瞑想ができていたようです。 
 
私個人は自分の瞑想を勧めると言うより、今回は場を作ることとマインドのあぶり出しのために参加したのだと感じました。
 
そして恩寵をみんなでシェアできたことが、とてもよかったと思いました。
 
一人での瞑想ではそうはいきません。今後は自分一人で瞑想にふけるだけでなく、皆で瞑想や恩寵をシェアしていきたいと改めて思いました。 
 
* * 

リトリート終了

2014年3月25日(火) by キヨタカ

 
皆さん、「 元気ですかー!!
 
 
無事にリトリートが終了しました。
 
ワンデーリトリートでしたが、従来の3デーズリトリートと同等かそれ以上に深い瞑想体験を分かち合えとても嬉しかったです。
 
次回は5月5日(月・祝/前日集合)を予定しています。
 
今回のリトリートを踏まえて、さらなる領域に踏み込んだ充実したものとなるでしょう。
 
詳細は、リーラホームページをクリック!
 (本日中にアップを予定)

進行中

2014年3月23日(日) by キヨタカ

 
皆さん、「 元気ですかー!!
 
現在リトリートが、深く静かに進行中です。
 
今日はツイッター風に書きました。
 
結果は後で…お楽しみに♪
 

裏技

2014年3月22日(土) by キヨタカ

 皆さん、「 元気ですかー!!
 
え!?
 
「新・必殺技が効かないから、ムカつく〜\(*`∧´)/」
 ですか(^-^;
 
ですから、その瞬間に…
 
「ムカつく〜にも関わらず、私が在る
 
という事なんだけど…
 
力動山だって、「空手チョップ」が決まらない時もある。
 
必要に応じて、バックドロップやヘッドパットなんかの裏技も上手に駆使した。
 
自己のプレゼンスに意識が戻らない場合は、ムカついてばかりいないで我々も裏技を使おう!
 
今日は、私がお気に入りの裏技の一つを紹介しよう。
 
コレだ!!
 
ワン、 ツー、 スリー
 downwardright
裏技:「頭頂留意」
 
Photo姿勢を正して「頭頂に茶碗を載せる」、と言う簡単な技。
 
シンプルだが、意識のベクトルがプレゼンスの方へスッ〜と戻る優れものだ。
 
精神世界の裏街道をひた走るEO師から教わった、㊙テクニックだ!
 
(残念だが、EO師の得意技/手裏剣投げの方はまだ学んでいない。)
茶碗だと緊張しすぎてビーイング(Being)へ寛げないという方は、落としても割れない物を載せても良いだろう。
 
(*なおテクニックを勝手に変えると、手裏剣が飛んでくるかも知れないが、リーラスペースは一切関知しないからそのつもりで!)
 
プレゼンスのワークだけに集中し過ぎると、修行中の宮本武蔵の様に殺気立って近寄り難い雰囲気となる場合もある。
 
そんな人は、ビーイングへ手放す方向へ意識をシフトする必要がある。
 
温泉に入って寛ぐのも、ビーイング的には素晴らしい裏技だ!
 
プレゼンスを保ちつつ、ビーイングへ手放すのがベスト!
 
ただし酒を飲むと無意識へと寛ぐ事になり、覚醒のワークには向かない。
 
だから、この人downwardright のマネは、決してしないで下さい。 
 
Photo_2
 
 
ネコやアザラシだって、自己の本性に寛いで幸せだ。
 
我々人間がマネ出来ないワケがない。
 
「頭頂留意」

…で、

♪All is well!

誰もが「♪きっと、うまくいく」

新・必殺技

2014年3月21日(金) by キヨタカ
 
皆さん、「 元気ですかー!!
 
え!?
「例の必殺技:Who am I?を繰り出したけど、効果なし!
ムカつく〜\(*`∧´)/」
 
ですって?
 
まさにその瞬間に、「ムカつく私は誰?」と、必殺技を繰り出すのがコツなのだが、どの世界でも必殺技の習得には相当の時間がかかるようで…
 
力道山の場合、師匠から「力道、手刀を五千回叩きなさい!」と言われた。
 
すると、力道山は黙って一万回叩いたとか…。
 
 
「私の闇は、ピラミッドより長い歴史があり、
封印された暗室より広く深い・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」
 
「私の気づきの光はローソクより小さく、吹かずとも消える(;´д`)トホホ…」
 
と嘆く声も聞こえるが…
 
そんなの関係ねぇ!
 
今日は嘆いている貴方にだけ特別に、私が開発した新しい必殺技を伝授しよう!
 
空手チョップから延髄切りへ、コブラツイストから卍固めへ、必殺技も進化する。
 
精神世界の必殺技の進化型だ!
 
 
それを伝授する前に、まず基本技のレッスンから入ろう。
 
通常、私たちの意識は完全に外側の対象物に向かう。
 
例えば病気になると、あなたは言う。
 
「私は病気である」
 
そして、あなたの意識は病気という対象物に向かっている。
 
「私は弱気である、内気である、恐れである、怒りである、あれである、これである、etc…」
 
対象物は星の数ほどあるが、意識のベクトルは全く同じで→外側だ。
 
瞑想とは、意識のベクトルを外側から内側←へ逆転させる事だ。
 
すると…σ゚ロ゚)σ
 
私は弱気である私は内気である私は恐れである 」etc...
 
私は〜である
 
となる。
 
対象物が何であれ、意識の内側である「 私はある/I AMという実在は不変である事が自ずと明らかに。
 
これが精神世界で最も重要なポイントで 「Who am I ?」の答えだ
 
 
さて、以上の基本を踏まえた上で、私が編み出した必殺技が、
 
コレだ!!
 
ワン、 ツー、 スリー
 downwardright
新・必殺技:「〜にも関わらず、私は在る」
 
 
これは非常に実践的で、誰にでも使いこなせるスグレもの。
 
マハルシの「Who am I?」と何が違うのか、訝る人もいるだろうが、実際に使ってみると 
その効果が桁違いな事を知り驚くだろうw(゚o゚)w
 
生前のマハルシに、こっそり教えてあげたかった(ρ_;)
 
あなたが、病気で落ち込んでいても…
 
「病気にも関わらず、私は在る
 
あなたが、彼女にふられても…
 
「ふられたにも関わらず、私は在る
 
あなたが、貧乏でも…
 
「貧乏にも関わらず、私は在る
 
あなたの意識はひとりでに、意識の主体である在ることに向かう。
 
それこそが、気づきの光としてのプレゼンスであり、光そのものだ。
 
つまりあなたなのだ。
 
この新・必殺技を駆使すれば、どんな暗闇でも怖くない。
 
ローソクの光一本で充分だ。
 
いや、ローソクの光すら必要ない。
 
ピラミッドの暗室の真っ暗闇の中で、頼みのローソクの光が消えてしまったとしよう。
 
真っ暗闇で、パニックに陥る瞬間に、新・必殺技を繰り出す!
 
「真っ暗闇にも関わらず、私は在る
 
るとあなたはもう、大笑いするしかない。
 
「ローソクの光…そんなの関係ねぇ!私の実在そのものが光だった!」
 
 
探求者は光を求めて、精神世界を彷徨い始める。20070814223302
 
偉大なマスターや教典や瞑想技法をかき集め、ローソクの光に頼ろうとする。
 
しかし、やがて大笑いして、経典類を燃やしマスターを去る日が来るだろう。
 
それが、徳山に起こったと禅の書物に記述されている。
 
 
* * 無門関第二十八則 * *
 
龍潭(りゅうたん)和尚は徳山が教えを乞いにやって来たとき、夜になったので、
 
「夜もだいぶ更けてきたから、そろそろ山を下りたらどうだね」
と言った。
 
徳山は仕方なく別れを告げ、外に出ようとしたが、すぐに引き返してきた。
 
「辺りが真っ暗なので」
 
和尚は提灯に灯をつけて渡してやった。
 
しかし徳山が受け取ろうとすると、フッとそれを吹き消してしまった!
 
徳山はその瞬間悟りを開き、深々と頭を下げた。
 
「どうしたのじゃ」と和尚が尋ねると、
 
「わたしは今日からは、もう世界中の禅匠の言葉に迷うことはありません」と言った。
 
* * 
 
そして翌日、自らの著書を焼き捨て、一礼して去って行ったと言う。
 
徳山に起こった事は、誰にでも起こりうる。
 
だからこそ…

新・必殺技:「〜にも関わらず、私は在る」

…で、

♪All is well!

誰もが「♪きっと、うまくいく」

境界

2014年3月20日(木) 雨 by ヨガビジャ 
 
(ここのところのキヨタカの連投に水を差すようで少し躊躇いつつ…)
 
今日は春らしい雨です。 
梅の花びらで覆われた地面にクロッカスのつぼみがありました。 

Img_6545 植物は  
 いつのまにか 
 交代のとき

 
 
 始まりと
終わりの境界って
 本当にあるのかな? 

 
 
 
Img_6482 全体の中に 
 個はあり 
 
 個の中にも 
 全体はある 
 
 
 
 
 
 
 
Img_6521_2
 
 
 
 分離して見える 
 あれとこれは 
 くるっと丸く 
 繋がってるかも? 
 
 そんなふうに 
 感じるときがあります

そんなの関係ねぇ!

2014年3月20日(木) by キヨタカ

 皆さん、「 元気ですかー!!
 
え!?
 
「病気で寝込んでるから、元気?とか言われるとムカつく〜\(*`∧´)/」
 
ですって?
 
人生、山あり谷あり。
 
病気の時もあれば、弱気の時もある。
 
私がいつも「元気」だからと言って、押し付けるつもりは毛頭ない。
 
 
私の言う「元気」とは、「元々の気」、病気や弱気の背後にある「永遠なるもの」のこと。
 
それは始めから生命力に溢れていて、今もそうだし、死ぬ時も変わらない。
 
それが、「永遠の元気」
 
そして、それを目覚めさせる最強の「必殺技」が…
 
「Who am I ?」
 
と、自分自身に問いかける事だ。
 
 
病気になると、一般の人は医者に行って治療(Medication)する。
 
スピリチュアルな戦士は、瞑想(Meditation)して、例の必殺技を繰り出す。
 
「病気の私とは誰なのか?」
 
自己の内面に向かって問いかけて、静かに待つ…
 
するといつの間にか、病気以前の元々の姿が現れてくる。
 
そうすれば、例え病気になっても、堂々と宣言出来る。
 
「イチ、ニッ、サン、今日も元気ダ〜!
 
 
もしも意地悪な人が…
 
「それは欺瞞だ。あんたは病気で寝込んでるでしょ?」
 
とあなたを批判したら…迷わずこの人のモノマネしよう!!
 
O0390030110258412211_2
 
 病気とか元気とか、好きとか嫌いとか、勝ち組とか負け組とか、etc…
 
そんなの関係ねぇ!
 
だからこそ…

 

♪All is well!

誰もが「♪きっと、うまくいく」

必殺技

2014年3月19日(水) by キヨタカ

 皆さん、「 元気ですかー!!
 
今日も、あの人のマネをして叫んでみました。
Photo
 
どの世界でも、道を極めるには「マネ」る事から始めるのが近道。
 
あの人の師匠だって、最初は空手のマネをした。
 
そして自分のものにして「空手チョップ」と言う必殺技が開花、一世を風靡したのである。
 
もちろんあの人も空手のマネをしたが、師匠の2番煎じに甘んじないのが凄い!
 

20080605「延髄切り」というユニークな必殺技を編み出した。

 しかも学べるなら、誰にでも教えを乞う。
 
コブラに学んで「コブラ・ツイスト」、タコに学んで「卍固め/オクトパス・ホールド」…(^-^;
 
 
精神世界の道を極めようとする我々も、プロレスの世界に負けてはいられない。
 
先達の編み出した「必殺技」を駆使して、無明の闇路を撃破!
 
燦然と輝く光明世界へ遊びに行こうではないか!!
 
精神世界の「必殺技」と言えば、最強のものが…
 
「Who am I ?」

L_cimg5292

 
「私は誰か?」という鋭い問いかけだ。
 
それは、意識の「聖剣」。
 
無明の闇を切り裂いて、光明への確かな道筋を指し示す。
 
これ一本で悟ったと豪語する人々が、世界中に大勢いる。
 
それで満足しているなら、それで結構。
 
 
私の場合、2番目の問いが必要だった。
 
1304818978 それが…
 
「Where am I ?」
 
「私は何処から来て、何処にいて、何処に帰るのか?」、という二本目の「聖剣」だ!
 
 
現象世界の基盤となる、「無とか空」の世界に遊ぶことである。
 
 
しかし、それでも ? のままだった。

「恩寵の扉が開くまで」、決して満たされる事はなかった。
 
「Calling from Grace!」
 
 
神聖な次元へと導かれて、始めて知る世界がある。

 

「必殺技」である「聖剣」を手放して、ハートの奥深くへ明け渡す事でそれは起こる。

すると、生は至福に満ちたものとなる。O0600060012338516297_3
 
「聖剣」が役立つからといって、たくさん持てば良いというわけではない。
 
決して右の人のマネはしないように( ̄Д ̄;;
 
<追記>
 
より詳しく知りたい方は、「恩寵の扉がひらくまで・1〜3」が参考となるでしょう。

モノマネ

2014年3月18日(火) by キヨタカ

 皆さん、「 元気ですかー!!
 
今日は大声で叫んでみました。
 
この人も叫んでいるので…
 
 
この人は、あの人の単なるモノマネだ\(*`∧´)/
 
元気があれば、何でもできていいのかよ〜!
 
と怒る人もいるだろう。
 
確かに学術論文ならモノマネ厳禁! 画像のコピぺも固く禁じられております。
 
しかし、精神世界は違う。
 
良い言葉は、どんどんコピー&ペーストしよう!
 
最初は単なるモノマネとして、笑われるかも知れない。
 
しかしそれを体得すれば、本人のオリジナルな言葉となる。
 
 
私がアジズの下で学んでいた時の話しだが…当時の私は、プレゼンスは明確なのに相変わらずマインド・グルグルで悩んでいた。
 
キヨタカ:プレゼンスにいても、ギュンギュン激しく動いてます(ノд・。)
Photo_2
 
アジズ:マインドのことは放っておいて、プレゼンスにエネルギーを注ぎなさい。

キヨタカ:でも、マインドはグルグルのままですよ?
 
アジズ:それでいい。
ちょうど扇風機のコンセントを抜くようなものだ。
マインドはグルグルと回り続ける。
でも、やがて何もしないでも止まるさ。
 
アジズの非常にクリヤーな答えに、私は心から感動してこう思った。
 
「精神世界にノーベル賞があったら、アジズが受賞者だ!」
 
ところが、ずっと後になってラマナ・マハルシが同じく扇風機の例えを使っているのを知り、びっくり仰天した。
 
マハルシ時代のインドにも扇風機があった事に驚いたのではない。
 
アジズに、盗用疑惑が浮上したのだヽ( )`ε´( )ノ
 
 しかし例えそうであっても、「精神世界のノーベル賞は撤回」という事にはならない。
 
精神世界の真理は絶えず再発見されるものであり、アジズが再発見した真理はアジズ自身のものとなる。
 
2013012312225990b 実はマハルシの言葉で有名な「Who am I?」ですら…
 
旧約聖書で記述されている、モーゼがシナイ山で尋ねた神の名
 
I AM THAT I AM」のパクリかも知れない。
 
しかし、マハルシに盗用疑惑の問題は浮上しない。
 
 
 
 
だから我々も、先達のモノマネに励もう!
 
どんどんマネして、実践する。
 
やがてそれは本物となり、あなた自身の実存から湧き出る言葉となる。
 
だからこそ…

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♪All is well!
 
誰もが「♪きっと、うまくいく」

辞表を提出する前に…

2014年3月17日(月) by キヨタカ

 皆さん、「 元気ですかー!!

今日は普通に挨拶してみました。

お釈迦様は、「何事も中庸」と語っておられますので( ̄Д ̄;;

ところで…

キヨタカさん、昨日の日誌で勇気をもらいとても「元気」になりました。
「元気があれば何でも出来る!」と、あの人も叫んでいます。
さっそく離婚届に印を押し、今から会社に辞表を提出しま〜す!

…というメールを頂く前に、昨日の続きを書こう。


瞑想カウンセリングをしていると、「今の会社を辞めたい」という相談をよく受ける。
 
しかし具体的に話しを伺うと、実は「仕事」そのものではなく職場の「人間関係」で悩んでいる方が大部分だ。
 
そういう方が仮に転職しても、良い結果が出る可能性は低い。

新しい仕事先で、全く同じ「人間関係」で悩み始めるから…


この世界を「現世/うつしよ」と言う。

世界とは、自分を投影したスクリーンに映る幻のようなもの。

複雑怪奇な人間関係で悩んでいる人も、実はシンプルに自分自身との折り合いが悪いだけなのだ。

「自分は何の問題もない!」

「悪いのはダメな上司とバカな部下たちと間抜けな客どものせいだ(# ゚Д゚) ムッカー」
と、ムカつく人もいるだろう。
 
そういう方は、自分の中に潜む「ダメでバカで間抜け」な部分を決して認めようとはしない。

そうすると、その認められない部分は潜在意識の奥へ逃げて隠れてしまう。

あなたが「非難」すると、それは無意識へ「避難」する。

しかしそれは「ブロックされたエネルギー」であるから、解放されない限り何処かで姿を変えて現れざるを得ない。


そのブロックされたエネルギーが映し出された場所こそが、他人というスクリーンだ。

51be413t88l_sl500_aa300_マインドとは、カタカタとスクリーンに投影し続ける映写機のようなもの。

「ダメでバカで間抜け」な他人という幻が、ヴァーチャルリアリティとしてこの世に現れるのだ。

だからそういう人は会社を辞める必要はない。

 
無意識の闇に隠れている、「ダメでバカで間抜け」な自分を救い出す方が賢い選択だ。

闇から救出するには、サーチライトが必要だ。

瞑想とは気づきの光をもたらすこと、つまり「内的なサーチライト」だ。

闇に隠れた自分自身に光を当て、それに愛を注いで解放してあげれば、あなたのあり方が一変する。


幸せな人生のために、会社を辞めたり、妻を替えたりする必要はない。
…多分( ̄Д ̄;;
 
あのソクラテスだって、妻と離婚しなかったので大哲学者になれた!
 
あなたが長が〜い間待ち望んでいた理想の人生が、明日から始まっても不思議はない。

「毎朝スッキリ寝覚め良く、朝から妻とラブラブだ♡

Imagesおしゃれな背広がよく似合い、会社へポルシェで出勤さ(v^ー゜)

優しい上司の愛情と、賢い部下の協力で、今日も商売大繁盛…」

ヤッタネ!!

♪All is well!
 
それでもまだ納得出来ない人も、下記の「洞窟の比喩」をクリックすれば、
 
誰もが「♪きっと、うまくいく」  

ソクラテスもプラトンも、み〜んな悩んだけど…
 
この秘密がわかったおかげで、うまくいくようになったとさ。

All is well!

2014年3月16日(日) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー
 
今日は小声でそ〜っとささやいてみました。
 
元気の源(みなもと)である元々の気は、ハートの奥深くに始めから実在している。
 
だから、小声の方が人によってはしっくりくる。
 
ただ沈黙して、平和な感覚の中にいると良い。
 
すると、何をしたら元気になるか、自ずと明らかになるだろう。
 
 
人が自分のハートの声に耳を傾けず、他人や社会の声に従って生きていたら、元気でいる方が不思議なくらい(・_・)エッ....?
 
D46a2210
 「毎朝眠いのに起こされて、朝から妻に叱られる。
似合わぬ背広に身を固め、満員電車に無理に乗り、行きたくないのに出勤だ(;д;)
ダメな上司の命令で、バカな部下たちにも嫌われて、間抜けな客どもに媚を売る…」
 
そんな面白くない仕事をやっていたら、つまらない人生 となるのは必定だ。
 
4年ほど大手企業で働いた経験があるが、残念ながら毎日本当に楽しく仕事をしている人に出逢った事はなかった。
 
「仕事の9割は嫌な事だ。残りの1割で好きな事をしなさい!」
と、叱咤激励されたものだ。
 
そしてそれは、社会人として当然の事だと思っていた。
 
しかし入社5年目のある日、ついに足が会社へ向かなくなり、辞める事になった。
 
それからは、好きなことに捧げる人生を送っている。
 
「誰だって好きな事だけをしていたい。でもそれを我慢して、すべき事をする。それが大人というものだ。」
「好きなことだけをしていたら、社会から脱落してその末路は哀れだ」
…と、会社の上司や同僚から様々に忠告された。
 
こうして振り返ってみると、確かに社会からは脱落したけれども、なかなかに味わい深い人生になりつつある。
 
しかも社会の未来があやふやとなり、「脱落」の定義自体が怪しくなり始めた。
 
だから、うまくいかない事も含めて、全てはうまくいっている。
 
 
あなたも、迷わず好きな事をすると良い。
 
「好きな事だけをしていたら、うまくいかないのでは…?」と誰もが心配するだろうが、それは大丈夫!
 
「All is well! だいじょうぶ、きっとうまくいく!」
 
なぜなら、本当に好きな事への情熱は内側から湧いてくる魂の渇望だ。
 
そしてその魂の声こそが、「All is well!」という事だから…
 
魂とは、神が個別化したもの。
 
神の意思がこの世で顕われるために、あなたという乗り物が選ばれて魂が乗り込んだ。
 
だから、神が望んだ事は必ずサポートがあるので、具現せざるを得ない。
 
 
信じられない人は、インド映画の傑作「きっとうまくいく」を見るとよい。
 
あなたの望んだ事は、「♪きっと、うまくいく」ことになっている!
 

聖地

2014年3月15日(土) by キヨタカ

 皆さん、「 元気ですかー!!
 
今日も大声で叫んでみよう…と思ったけど\(;゚∇゚)/
 
あの人と違って、毎日同じフレーズはさすがにつらいものがある。
 
そもそも、他人のキャッチコピーをパクるのも気が引けるし…
 
 
ところで昨日は、念願の「聖地」を訪れた。
 
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「聖地」と言っても、ブッダガヤとかアルナチャラとかいった場所ではない。
 
あの有名な御前崎である。
 
一般的には原発で有名だが、実はウィンドサーファーにとっては憧れのメッカ!
 
私が普段通っている沼津の牛臥海岸には、私みたいに「遊びに支障のないように仕事を選ぶ」浮世離れしたサーファーが多数集まる。
 
しかし御前崎は、別格だ。
 
ウィンドサーフィンという「遊びそのものを仕事にしている」、コアな連中が日本中から集まるのである。
 
何故ならここは、プロしか乗りこなせない最高の波が押し寄せるから。
 
だから、レベルの高さは桁違い!
 
しかしその代償として、波/風/カレント(潮流)ともに強く、しかも外洋なので流されると海難事故の可能性も非常に高い。
 
私には、 身の危険を感じるとワクワクしてしまう大変困った性癖がある。
 
普段はそうした衝動が起こらないように、なるべく危険な場所には近づかないように心がけている。
 
だから長いこと「余の辞書には御前崎という文字はない」事にしていたのだが…とうとう我慢出来なくなり、車に道具を一式積み込んで遠征したのである。
 
残念ながら…

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昨日は海岸沿いの東名高速道路が一時閉鎖されるくらい、海が大荒れだった。
 
したがって、全く 海に入る事は能わず(;д;)
 
Img_0273_2 近くの温泉に入って、すごすご帰るという不本意な結果に終わった。
 
しかし、これで良かったと思う。
 
無理して海に出たら、今日こうして日誌を更新する事もなかったような気がするから( ̄Д ̄;;
 
 
そこで今回は、見学者に徹することに…。
吹きすさぶ海岸に身を晒して、トップ・プロ達が疾風怒濤の海を自由自在に乗りこなす姿を遠くからじ〜っと眺めていた。
 
ところが、実に不思議な事が起こったw(゚o゚)w
 
ただひたすらプロの勇姿を眺めていただけで、ウィンドが上達する可能性が無限に広がったのである。
 
確実に一段ステップアップした事は、間違いない。
 
いつものゲレンデでは、なんとなく自分のレベルはこの程度と無意識に限定してそれに満足していた。Images
 
ところが、実際にプロ・サーファーの奇跡的パフォーマンスを目の当たりにして、自分の中で眠っていた可能性がムクムクと目覚め始めたではないか!
 
そして同時に、「聖地の役割と巡礼の本当の意味」が自然と腑に落ちたのである。
 
 
人はただそこを訪れるだけで、究極の可能性、聖なる次元を思い起こす。
 
願わくば、リーラスペースが新しい時代の聖地となります様に!

光と闇

2014年3月14日(金) by キヨタカ

 皆さん、「 元気ですかー!!
 
今日も大声で叫んでみました。
 
例のあの人もまた国会で叫んだが、今回は注意されなくて良かった( ̄ー ̄)ニヤリ
 
 
朝になれば、必ず夜が明ける。
 
それまでの暗闇が まるでなかったかの様に、美しく清々しい朝の風景が一面に広がっている。
 
 
意識の目覚めは、朝の目覚めと良く似ている。
 
どんなに長い間、深い闇に覆われて悪夢にうなされていようとも、目覚めればそれはただ終わる。
 
ただただ新鮮でさわやかなリアリティが、広がっている。
 
 
暗闇は、光を持ち込めば必ず消える。
 
それはちょうど、ピラミッドの中の暗室のようだ。
 
Images_2建設直後に封印されて以来、何千年も漆黒の暗闇だった。
 
 
しかしそこに明かりを持ち込むだけで、暗闇はたちどころに消え去る。
 
しかも、たった一本のローソクの光で充分だ。
 
 
「光と闇の対立」とは、古代から語られている永遠のテーマだ。
 
しかしそれは真っ赤なウソ!!
 
闇は幻想であり、実態がない。
 
闇は光に対して全くの無力だ。
 
対立のしようがない。
 
ウソだと思ったら、今夜真っ暗闇の部屋の中でローソクの光を灯すと良い。
 
ローソクの光を携えて何処を探しても、暗闇は見つからないだろう。
 
光と闇は歴史上、ただの一度たりとも両立した事はない。
 
例えどんなに画像を捏造しても、真実は変えられない。
 
 
ところが残念ながら、私たちは闇を信じて、光を疑う。
 
そして闇に実態があるものと信じて、恐れおののく。
 
そして実態のあるローソクの光の方を疑い、吹き消してしまう。
 
毒蛇は怖い。Images_3
 
噛まれたら、悲劇だ。
 
しかしロープをヘビと勘違いしていたら、それはたちまちに喜劇となる。
 
 
 
悲劇を喜劇に変えるのに、大げさな事は何も必要ない。

Unknown

 
たった一本のローソクの光を照らせば、それで十分だ。
 
それが「気づき」と言うこと。
 
ロープだと気がつけば、後はもう…
 
大笑いするしかない(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ

歌を忘れたカナリア

2014年3月13日(木) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!
 
今日は大声で叫んでみました。Images_2
 
挨拶とは元々真剣なものだったと昨日知ったので…。
 
 
ところで、もしもあなたが元気でなかったら、それはちょっと変ですよ。
 
「元気」とは「元々の気」と言うことで、本来人間はもともと元気なのが
当たり前。
 
元気なら自然と歌ったり踊ったりするし、声も自ずとデカくなる。
 
ところがあの人の場合は「元気ですかー!!」と首相に挨拶したら、国会で注意されてしまった(;д;)。
 
Images1 私の知り合いのこの人の場合、「全ての武器を楽器に」と意気込んで国会議員に当選。
 
(*「花」や「ハイサイおじさん」で有名なウチナーポップ ミュージシャン)
 
 
ところが三線(サンシン/楽器)を国会に持ち込もうとしたら拒否され、歌うのを禁じられてしまった(ノ_-。)
 
歌を禁じられたこの人は次の選挙で落選してしまったが、あの人も元気過ぎてさらなる懲罰を受けない事を願うばかりだ。
 
 
元気過ぎたり歌ったり踊ったりするのを嫌うのは、何も国会ばかりではない。
 
今の社会というシステム自体が、元気過ぎることを許してくれない。
 
小学校や幼稚園だけではなく、家庭の中でも、はしゃぎ回ると叱られる。
 
ところが不思議なことに、おとなしくしていると、褒められる。
 
さらに不思議なことは、病気で寝込んだりすると普段は無視する親が心配してくれる。
 
いつの間にか、元気過ぎない方が親の愛情を惹きやすい事を学んでしまう。
 
学校に漫画を持ち込んだりすると、「遊ぶところではナイ\(*`∧´)/」と叱られる。
 
つまらない勉強をすると、褒められる。
 
その小さな出来事が積み重なって、つまらない仕事に一生を捧げる歌を忘れた元気のない大人達が社会の大多数を占めてしまう。
 
元気がなければ、遊ぶこともままならないのは当然のこと。
 
つまらなければ、欲求不満も募り、元気な人や遊んでる人が憎らしくなったりもする。
 
しかしどんなに社会のシステムを批判しても、親を恨んでも、歌を忘れている限り元気にはなれない。
 
 
カナリアでさえ、歌いさえずり自由に大空を飛翔出来る。
 
万物の霊長たる人間が、カナリアに劣るわけにはいかない\(*`∧´)/
 
元気一杯、歌って踊って遊び回るのは人間本来の生得権であり、その自由は誰にも奪えない。
 
歌を忘れた人は、それをただ思い起こせば良い。
 
思い起こすにはどうしたら良いだろう?
 
社会から抹殺したり、鞭でぶったりしてもダメだ。
 
自己の本性を思い起こす環境を整えて、そこに身を置く事だ。
 
それが瞑想であり、リトリートの役割だ。
 
童謡「かなりあ」
 歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
 いえいえ それはなりませぬ
 歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す   

挨拶

2014年3月12日(水) by キヨタカ

 今朝はやや霞がかかっているけれども、春らしいうららかな日。
 
みなさん「おはようございま〜ヽ(´▽`)/す」
 
気持ちの良い朝は、挨拶も気持ち良いもので…
 
Unknown昨日アマゾンで取り寄せた本を読みながら、目覚めのコーヒーを一杯。
 
実はアマゾンを適当に覗いていたら中古本で「一円」とある本がたくさんあるではないか!
 
嘘かまことか知りたくて、思わず適当な本を選んで購入ボタンをクリック。
 
めでたく、新品と見紛う外観で本当に手元に届いた。
 
それまで定価「一円」とはうさん臭いと思い込んでいたのだが、見事に常識を覆されて感激\(;゚∇゚)/
 
 
ところで、最初の頁に「挨拶」の語源が書かれていて、これまたビックリ❗️
 
「挨」とは、積極的に迫っていくこと。
 
「拶」とは、切り込んでゆくこと。
 
元々は禅語で、禅問答などで行われる師家と修行者の真剣勝負なのだと言う。
 
それが民間に広まり、いつの間にか人と会った時の儀礼的な行為をさすようになったらしい。
 
 
概して西洋人(特にアメリカ人)は、挨拶が上手だ。 
 
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初めての人に対しても「ハロー」と満面の笑みを浮かべて、積極的に握手を求めてくる。
 
 
握手どころか、女性に対しても51c0d03acbbd006a0b27b58aac38e32c当然の様にハグやキスまでする連中も多い。
 
初めてアメリカへ渡った時は、「なんとオープンな民族なんだ!」と嫉妬混じりに感激したものだが…
 
物知りの友人が言うには、
 
「彼らは侵略と征服がその民族的背景にある。知らない人に遭遇した時に、自分は敵でない事を相手に知らせるために武器を持たない右手を相手に差し出すのが、握手の意味だ」
 
と非常に説得力ある解説をしてくれて、溜飲を下げたものだ。
 
それまで、アメリカ人のオープンさに圧倒されてとても居心地が悪かったからである。
 
 
そうした体験が重なって、「挨拶」とは気心の知れない相手を安心させる「潤滑剤」だと、この歳まで思い込んでいた。
 
ところが、挨拶とは「積極的に心を開いて相手に迫る」意味で、もともとは真剣勝負なんだと言う。
 
”常識”が覆されるとビックリするけれども、その裏側に潜んでいた真実をかいま見る事が出来て、なんだかとっても嬉しい。
 
平凡な日常が、とたんにワクワクとした冒険となる。
 
近所をジョギングしたりすると、よく散歩中の人から「こんにちわ〜」と挨拶される。
 
私も必ず挨拶を返すけれども、そのココロは「平日の昼間から近所をうろついているけれども、けっして怪しい者ではございません。 変態でも空き巣でもありませんから\(;゚∇゚)/」というものだった。
 
今日は、こちらから積極的に心を開いて、真剣勝負の挨拶をしてみようかな。

再現性

2014年3月11日(火)    by キヨタカ

  「やっぱり伊豆はいいな〜♡」
 
実家から戻る度に、そう思う。
 

Photo

今日は快晴で、富士山がとても美しい。
 
朝6時前に起き温泉に入ってから、冷たいシャワーを浴びる。
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フルーツとナッツのみの朝食後に、入れたてのコーヒーを飲みつつパソコンに向かい日誌を書く。
 
とても平和で満ち足りていて…3年前の大震災が信じられない。
 
今、ちょうど午前7時。
 

時は春

日は朝(あした)

朝(あした)は七時

片岡に露みちて

揚雲雀(あげひばり)なのりいで

蝸牛(かたつむり)枝に這ひ

神、そらに知ろしめす

すべて世は事も無し

 
ブラウニングの詩そのまんまの理想的な朝だ!
 
 
…とルンルン気分で朝のニュースをネットで見たら、
 
「STAP細胞論文、捏造疑惑」、との衝撃的な記事が!!
 
画像はともかく、「実験に再現性がない」とは痛い。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
ヨガビによると、「キヨタカの入れるコーヒーには再現性がない。美味しいかどうか入れてみるまでわからない」とか(ρ_;)
 
しかし少なくとも、今朝のコーヒーはとても美味かった。
 
たまにびっくりする程美味い時なんか、瞑想のマスターはともかく喫茶店のマスターとして大成功するかも…と自惚れる。
 
だからそれは確率の問題であって、今のところ私のコーヒーの方がSTAP細胞より再現性があるという残念な話しだ。
 
 
「ストレスを与える事で細胞が若返る」という事は、昔からよく知られている。
 
ヨガのストレッチとか断食とか修験道等々…実践者の中には驚くほどの若さを保っている人々がけっこういる。
 
「STAP細胞」の研究は、こうした経験則に科学的な光を照らすことにつながる画期的なものと期待していた。
 
 
 
実は「朝冷たいシャーワーを浴びる」ことも、「瞑想」も、細胞を活性化させて若返らせるとても良い方法だと実感している。
 
科学的根拠は後付けだから、例え「STAP細胞は捏造」という残念な結果となっても、朝の冷水シャワーとコーヒーと瞑想は手放せない。
 
問題はそれが他の人にも再現性があるかどうかという事だが、実際に試してもらう他に今のところ方法がない。
 
小保方さん達には、もう少し踏ん張ってもらいたいところだ。

幸せな老後

2014年3月8日(土)  by キヨタカ

 昨日は、母の小学校の同級生が入所している施設を訪問。
 
毎年グループ旅行を楽しみにしている仲間だったが、突然倒れて寝たきりになってしまったと言う。
 

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意思疎通が出来るのか心配だったが、実際はリハビリも非常に順調ヽ(´▽`)/
 
久しぶりの再開なので、2人の会話がとても弾んで終わりそうにない。
 
 
 
私の方は手持ち無沙汰になったので、大広間(娯楽室?)でテレビを見ながら入所している人々の様子を伺う事に。
 
7〜8人の入所者がいたが、和気あいあいとおしゃべりに興じるおばあちゃん達の他に、ポツンと浮いた形で2人のお爺さんがいる。
 
2人とも不機嫌そうで、気軽に話しかけるのも憚れた。
 
母によれば「どの施設も似たり寄ったり」、男性の場合「一人でぶすっとしている」場合が多いそうだ。
 
「ウ〜ン、男ってつくづく悲しい動物だな〜(ρ_;)」としみじみ実感した。
 
 
人が赤ん坊としてこの世に生まれた時は、誰もが無力で「ただ在る」ことしか出来ない。
 
しかし赤ん坊は命の脈動そのものであり、生命の歓喜に満ちあふれている。
 
成長するにしたがい、私たちは「すること」で忙しくなる。
 
そして生命の歓喜、つまり「ただ在る喜び」など、すっかり忘れ去ってしまう。
 
しかしどんなに「すること」で偉業を達成しても、やがで肉体は衰えて日常生活を「すること」すら難しくなる日々が誰にも訪れる。
 
だから幸せな老後を迎えられるかどうかは、「ただ在ること」に喜びを見い出せるかどうかが決定的なものとなる。
 
ここで男性と女性とでは、その幸せ感に大きな差があると私は思う。
 
原始時代から「子育て」という役割を担い続けた女性の場合、よりきめ細かく日常生活に関心が向かい、「いまここで生きている実感」を大切に育む能力が高い。
 
だから「すること」が出来なくなっても、日常の些細な出来事の中に喜びを見いだす事が比較的容易だ。
 
ところが「狩猟」という役割を担って来た男性の場合、獲物を獲得するという仕事が失われる事は、自己の存在価値そのものの喪失につながりやすい。
 
 
男性が女性よりも短命である理由は、様々に説かれているが、こうした心理的背景が大きな要素を占めていると思う。
 
女性にとっては、別に瞑想しなくても世間的な意味での幸せな老後を送る事は充分可能かも知れない。
 
この老人介護施設を見ても、女性はおしゃべりで笑いも絶えず、実にたくましい人が多い。
 
しかし男性ときたら…(^-^;
 
 
最近になって、蓮如や道元の言葉が、切迫感を持つようになった。
 
「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」(蓮如)

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「おおよそ無常たちまちに至る時は、国王、大臣、親昵、従僕、妻子、珍宝助(たす)くるなし。只1人黄泉におもむくのみなり」(道元)
 
だから、男が本気で幸せな老後を迎えたいなら、瞑想はMUSTだとしみじみ思うのである。
 
ちなみに、女性が瞑想したら鬼に金棒となる事は言うまでもない。

Divine Discontentment/聖なる不満足

2014年3月6日(木) by キヨタカ

 昨日「ソバ打ち」が趣味のいとこが、打ち立てのソバを持って来てくれた。   
Images彼女はソバの他にも、着付け、編み物、鞄作り、写真、山歩き等々…実に多彩な趣味を持っていて、それぞれがプロ級の腕前。
 
数年前まではトライアスロンに夢中で、現在も毎日の様に水泳をしているそうだ。
 
 
母方の親戚には彼女の様に、芸能やスポーツ等に興じる趣味人が多いが、どうやら祖父(母の父)のDNAに由来しているらしい。

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母によると、祖父は本業の菓子製造の他に、鮎釣り、浪花節、尺八から闘鶏用の軍鶏(シャモ)の飼育まで趣味が広く、闘鶏賭博容疑で官憲に追われることもあったとか… (^-^;
 
反対に父方の祖父は無趣味だったが、商売でお金を稼ぐのが大好き。
 
闇米取引容疑で、やはり官憲に追われたこともあるそうで… ( ̄Д ̄ ; ;
大金持ちになったり破産したりと、波瀾万丈ながら仕事一筋の人生だった。
 
 
趣味と仕事が両立できる人は素晴らしいと、世間ではよく言われる。
 
私の場合、両方のDNAを受け継いだはずなのだが…
 
実際には、趣味の世界でも仕事の世界でも満たされるものがなかった。
 
そして精神的な乾きが高じて会社を辞めて渡米、精神世界のメッカと信じていた場所で瞑想やセラピーの世界に埋没した。
 
いきなり会社を辞めてしまったので、 
「両方の家系を引き継いだ筈なのに、いったいお前の人生は
・゚゚・(≧д≦)・゚゚・ 」と、母や姉はよく嘆いたものだ。
 
本当は「瞑想のおかげでこんなに満たされた人生を歩めるようになった」と、反論したかった。 
 
しかし現実は何をどうやっても、満たされた気持ちからはほど遠い。
 
そこで当時お世話になっていたサントッシュというセラピストに、このどうしようもない満たされない感覚から抜け出すべく相談したところ…
 
それは、「Divine Discontentment」なのだ。
 
と、思いがけない事を言われた。
 
日本語ではあまりピンとこないが、「聖なる不満足」とでも訳せるだろう。
 
それまでこの「満たされない感覚」は、取り除くべきネガティブな感情でしかなかった。
 
ところがサントッシュによると、実はこの「Divine Discontentment」こそが、魂からのメッセージであり、それこそが私たちを真実へと向かわせる原動力なのだと言う。 
 
 
趣味や仕事に限らず、恋人や政治、宗教等々、何であれそれに情熱を傾けてそれで満足が得られる人々は素晴らしい。
 
 しかし、この世で満たされるものは本当には何もない事に気づいてしまった人々もいる。
 
そうした人々は、世間で言う幸福な人生を歩む事は出来ないかも知れない。
 
しかし、必ずしも不幸になるとは限らない。
 
 
いったん本物を知ると、そうでないもに満足するのは難しい。
 
本物の覚者に出逢うと、それまで感動していた教師の教えは物足りなくなってしまう。
 
そういう事は、日常生活の中ででもよく起こる。Images
 
例えばサービスエリアで飲む自動販売機のコーヒー…
 
最近では必ず「ミル挽き」を選ぶようになってしまった。
 
いったん本物を味わうと、もうインスタントには戻れない。
 
「違いがわかる男」の喜びであるが、「ミル挽き」コーヒーが何処にも見つからずに「悲哀」に陥る事もよくある。
 
 
だからこの「不満足」という一見ネガティブな感覚は、実は相対的なもだ。
 
最も贅沢で恵まれた魂の特権であり、「違いがわかる魂」が必然的にこの世で味わう「悲哀」なのだ。
 
そうした魂は、この世を超えた次元に存在する本物の喜びを既に味わい、その記憶を無意識に携えてこの世を訪れているに違いない。
 
彼らは、その喜びをただ単に思い起こせば良い。
 
そうすれば、いつでも、何処でも、何が起こっても、この世で満たされて生きる事が可能となる。
 
「Divine Discontentment」に祝福あれ!

ひとつ

2014年3月3日(月) 晴れ by ヨガビジャ 
  

Img_6338 
ひとつの 
 
しずくに

 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_6341_2 ひとつの
 太陽
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_6342 ひとつの
 空
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_6351 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ひとつなのに 
 みんな違う

ひな祭り

2014年3月3日(月) キヨタカ

今日はひな祭り。
 

20110224_1934672女の子にとっては特別な日だけど、部屋の中にいっぱい人形を飾って何が嬉しいのかさっぱりわからなかった。

「屋根より高〜い鯉のぼり」の方が、遥かにカッコいいゾ!
 
雛あられを口いっぱいにほおばりながら、男の子で良かったとしみじみ思った。
 
幼稚園の頃の話しだ。
 
 
あれから半世紀の間に様々な人生経験をしたけれども、やはり女性は謎のまま…。
 
先日、NHKオン・ディマンドで「驚異の大宇宙〜宇宙の果てを測れ〜」という大変興味深い番組を見た。 

Photo

月や太陽から、北極星やベテルギウス、さらには銀河の中心やアンドロメダ大星雲から宇宙の果てまでの距離は、いったいどうやって測るのか、実に興味深い。

 
ダメ元で「一緒に見よう」とヨガビを誘ったのだが、
案の定、「興味ない」とつれない一言が…。
 
子供の頃、親友のあきらちゃんの家へ遊びに行くと、お母さんから、「キヨタカちゃんは聞き上手だね〜」とよく褒められた。
 
あきらちゃんの話しに一生懸命耳を傾ける姿が、お母さんを感動させていたらしい。
 
学校の先生からは、「とても良い質問をする」と褒められていた。
 
アジズやフーマンなどの覚者との対話本を出版出来たのも、子供の頃の「聞き上手」が幸いしていると思う。
 
ところがヨガビによると、「キヨタカは全然人の話しを聞かない!」と、手厳しい。
 
かつて、「話しを聞かない男、地図が読めない女」という本がベストセラーになった。
 
Photo_2男女の性差は、原始時代に原点があり、「狩猟と子育て」の役割分担が今の時代にも影響しているという。
 
脳の構造上の違いを踏まえつつ、視覚、聴覚、嗅覚、触覚から行動や関心の対象や睡眠に至まで、日常生活の細かな違いがユーモラスに描かれていた。
 
ヨガビが東京に出て道に迷うたびに、この本を思い出してつい笑ってしまう。
 
 
しかし実際には自分の方がより女性的だったり、相手の方がより男性的な質を持っていたりするので、話しがさらに複雑となる。
 
 
天と地と、昼と夜と、右と左に男と女…とかくこの世は矛盾に満ちている。
 
しかし人間は左右の矛盾する足があるからこそ、前に進める。
 
互いの違いを尊重し話しを聞く女と地図が読める男が協力する事で、地上に天国を作る事も可能なのだ!
 
もっとも今小山に滞在中のヨガビにとっては、地上に天国を作る話しよりも夕食に何を作るかの方が、遥かに重要だろうが(^-^;

漫画を読むと馬鹿になる?

2014年3月1日(土) by キヨタカ

 ヨガビは外出中の為、昨晩は一人で夕食。
 
手間を省くために、レトルトの<よこすか海軍カレー>を食べた。
 
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一応ベジタリアンなのだが、大好物のカレーは例外でとても美味かった。
 
最近何かと例外メニューが多いので、気をつけなければ(^-^;
 
 
ところで昨日は金曜日。
 
旧海軍からの由緒正しき伝統で、海上自衛隊では今でも金曜日はカレーを食すとか。
 
実は我が家でも金曜日は必ずカレーを食べるしきたりになっていて、子供の頃からハナキン(花の金曜日)がとても楽しみだった。
 
お楽しみはもう一つあり、それは食後にTVアニメ「鉄腕アトム」を見ること。
 
Unknown子供の頃、21世紀の未来は明るくて夢と希望に溢れていた。
 
実は今でも人類の未来は明るいと信じているのだが、その根底には「鉄腕アトム」の影響があるのかも知れない。
 
子供時代を振り返ってみると、漫画や鬼ごっこや探検隊ごっこなど夢中になって遊んだ体験の方が学校の勉強よりも遥かに役立っている。
 
 
小学生の時は、「漫画を読むと馬鹿になるゾ!」と先生から脅された。

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だから漫画を持ち込んだりすると、こっぴどく叱られる。
 
校庭の隅にある銅像を指差して、「あれを見なさい!薪を運びながらでも勉学に精をだしたから立派になったんだよ」と、諭された。
 
 
「漫画を読んだりして遊んでいたら馬鹿になるけど、遊ばずに仕事や勉強ばかりしたら立派な大人になるんだな〜、大人って偉い」
 
と妙に感心した。
 
「でも遊べないから、大人ってつまらないな〜、大人になんかなりたくない、大人になったら後は年寄りになってみんな死んじゃうそうだし…」
 
と悩むようになった。
 
そして小学3年生のある日のこと、遂に寝込んでしまったのである。
 
心配した親は、私を病院へ連れて行った。
 
「大人になって死ぬのが怖い」
 
とお医者さんに正直に話したところ…
 
「今かからそんな事を言うようじゃ、将来が思いやれる…」と言いながら、ペニシリン注射を打たれてしまった。
 
人生最大のトラウマの一つだ。
 
 
おそらく、二宮尊徳が読んでいた本は漫画ではあるまい。
 
しかし例えそれが「鉄腕アトム」であったとしても、馬鹿な大人になったとはどうしても思えない。
 
今日本のロボット技術は世界一だと言われてる。
 
それを支えている優秀なエンジニアの多くは、かつて「鉄腕アトム」や「ガンダム」なんかのロボットアニメに夢中になった少年達だった。
 
 
タイムマシンが発明された暁には、小学校の先生の所へ戻って、今ならこう言いたい。
 
「漫画を読んでも、馬鹿になりませんよ」
 
「遊んでいても、立派な大人になれますよ」
 
「遊び(リーラ)を仕事にしている、変な大人もいますよヽ(´▽`)/」

話すこと

2014年3月1日(土) 曇り by ヨガビジャ 
 
昨日リ—ラスペースのリトリートに長らく参加されているOさんの自宅に遊びにいきました。 
 
ここのところの大雪で車も出せず、キヨタカとだけこの閉ざされた空間に長くいたせいか自分のエネルギーが滞っている感じがしていて、少しここを離れた方がいいと感じていました。 

以前からOさんが引っ越された自宅で瞑想会を行っていると伺っていたので、この機会にちょっと自宅拝見♪という軽い気持ちでした。 
 
自宅は駅から近いにもかかわらずとても静かな場所でした。 
この日は瞑想会でもなくお仕事後の平日でしたので生活感溢れるお部屋でしたが、瞑想には適した環境と感じました。 
 
本当はゆっくりしたかったのだけど、帰宅ラッシュを避けたかったので2時間少々の滞在となりましたが、その間ずっとしゃべりっ放しで自分でもちょっとびっくり。 
おそらく、過去に何度も話していたことを「私、
また話してる・・・」と感じながら話していました。 
 
せき止められていた私の「お話しエネルギー」がリリースされたのかもしれません。 
 
うまく表現できないのですが、話の内容の正誤を追求せず、過剰な
自己主張のない淡々としたOさんの立ち位置が、私のお話しエネルギーを後押ししてくれたのかもしれません。
 
話の内容はさておき、こんな2時間少々を過ごし私は駅のホームで帰りの電車を待っていました。 
 
彼といたときは感じなかったのですが、時間が経つに従ってじわ〜っと自分のエネルギーが動いていることを感じました。 
 
すると突然、 
 
私はこれまで人の話を聞くばかりで 
自分のことはほとんど話してなかったんだ・・・ 
 
ということに気づきました。
 
 
先日岡崎の姉の家にいった時は姉の話を聞き(お酒を飲んでくだをまかれました)、その後名古屋の実家に行った時は温泉で母の話を聞き、夕食時や帰りの名古屋駅の喫茶店では父の話を聞いてました。 
 
子供の頃から自分を出さず(話さず)に距離をおくことが、
家庭にこれ以上の波風を立てないことだと思いずっとそうしていました。 
 
でも、当然生きていく上で人は様々なことを経験して感じます。 
 
先日の日誌で『「ネガティブな感情(こころ)」の魔法』という本をキヨタカが紹介していましたが、あの中にこんな見出しがありました。  
 
「恥の感情」は打ち明けないと大きくなる 
 
(この著者の女性は主に「羞恥心」を研究している心理学者で、この本で述べられている羞恥心の意味するところはまだ私にはしっくりとこないのですが、多くのところで共感する部分があり購入しました) 
 
私は著者の意図にはそぐわないかもしれませんが、「(ネガティブな)感情は表現されないと自分の中でどんどん大きくなる」と受け取りました。 
 
(この「表現」ということに関しては本の中で、著者自身の事例をあげ詳細に述べられていますのでここでの説明は割愛させていただきます) 
 
そして、これと同じと思われることが『イティハーサ』という漫画の中ではこんなセリフとして語られていました。 
 
(自分の
能力と運命のために望まぬ人斬りを課せられ、哀しみに沈みつつもなにも語ろうとしない主人公に対し善なる神が…) 
 
 
強い想いはその強さゆえ
内側から人を壊してしまうこともあるのですよ。 
 
 
・・・どう感じられます? 
 
自分の感情、想い、、、 
 
美しかったりありがたい感情や想いもありますが、その対極の感情や想いが存在することは自然の摂理ではないかと感じます。 
 
それなのに私たちはその対極の存在をどう扱っていいのか分からずにいるのではないでしょうか? 
 
まだ漠然とですが、ネガティブな感情(こころ)の対処には他者の存在が不可欠と感じるとともに、そこにはなにか大きな鍵がある。 
 
ひたすら分析を続けたり耽溺するのは違うと思いますが、それは少なくとも邪魔者として切り捨てられるべきものではないというのが今の私の想いです。 
 
今回のように会話という人との交流の中で気づいたり明確になることはよく起こります。 
それは相手も自分も前もって意図したことではなく、ただ起こるのです。 
 
知っている人が知らない人に教えるのではない。 
 
これからの時代の理解や成長とはそのようなものであると予感しています。  

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