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死ぬ権利

2014年4月30日(水) by キヨタカ

 私の母は社交的な性格で人の面倒を見るのも好きだから、滞在先のショートステーで も人気がある。
Img_0325
 
食堂に飾る月毎の切り絵の創作も楽しんでいる。
 
それなりに充実した生活をしていて、親しい友人も何人か出来た。
 
3歳年下のKさんもその一人。
 
頭はしっかりしているが車椅子なので、毎朝身の廻りの世話をしてあげていた。
 
先日の事…
 
「Kさんが亡くなった(ρ_;)」
 
という電話が母からあった。
 
「それが不思議なのよ、前日わざわざ私を部屋に呼び出してね…」
 
と事の顛末を詳細に語る。
 
母が言うには、
 
「今まであなたには本当にお世話になりました。今までいろいろと面倒を見てくれて本当に有り難う。これは今までのお礼だから受け取って下さい。」
 
と言って、小さな包みをプレゼントしてくれたという。
 
開けてみたら、千円札とキャラメルが入っていたそうだ。
 
「自殺じゃないかしら…。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」
と、不安げに話す。
 
「前日に感謝の気持ちを伝えて、翌朝眠る様に亡くなったのだから
最高の大往生だよ(*゚▽゚)ノ
 
と慰めたのだが…
 
本当は人間の尊厳の一つとして、「死ぬ権利」を確立すべきではないか。
 
 
実は母がぎっくり腰で入院したとき、大部屋だったのだが、驚くべき光景を目の当たりにした。
 
その大部屋には、大勢の寝たきり老人がベッドにいた。
 
しかも、たくさんのチューブがスパゲティ状態で繋がれて、酸素も栄養もただ強制的に送り込んで無意識に生かされている。
 
…回復の見込みは、ゼロに近い。
 
今の医学は、延命のみを治療の目的としている。
 
だから機械的にでも生かす事ができれば、治療と言う事になるのだ。
 
しかし、これが本当の医療のあり方なのだろうか?
 
命は永遠であり、肉体の死とは命が次の次元へ飛翔する現象に過ぎない。
 
医学的にも、よりスムーズに死を迎える事を積極的に対処していく事を真剣に考慮すべき時代を迎えていると思う。
 
健康な肉体を持った人が自殺するのは、「地獄に落ちるゾ!」などとは思わないけれども、倫理的に受け入れ難い。
 
潜在的な可能性を花開かせる事は、私たちがこの世に送られて来た目的であり大いなる喜びだ。
少しだけ意識を変化させれば、さらなる可能性が開ける。
 
 
しかし、既に充分にこの世界を生き抜いた人々が、スパゲティ状態にならずに次の次元へとシフトするのは、自殺ではなく大いなる祝福であってしかるべきだ。
 
もしKさんが自殺だったとしても、それは立派な選択だったと思う。
 
最期に感謝しながら旅立つなんて、なんと素敵な祝福すべき最期だろう(*゚▽゚)ノ

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感想」カテゴリの記事

コメント

私もキヨタカさんに賛成です。

夜眠たくなって熟睡して、翌朝目が覚めたら天国にいたというのが理想です。

今の医学の技術があれば可能だと思います。

お医者さんがそんなのやりたくないと言うなら、葬儀屋さんかお坊さんか警察官がやってくれればいい。

何時でも気持ちよく死ねるというのであれば、もっとみんな生き生き生きれるようになると思います。

私もその通りだと思います。

尊厳のある死は(死ぬ権利)、
尊厳のある生と同じですよね。

もう回復の見込みが無い場合なら、
私も延命はしないで欲しい派です。

存分に生きて、
気持ちよく死にたいですね。

しかも、感謝したい人に、
感謝をして死ねたなら、
それは本当に大往生だと思います。

古川さん

>何時でも気持ちよく死ねるというのであれば、もっとみんな生き生き生きれるようになると思います。

そうですね。「生死一如(しょうじいちにょ)」という言葉もあります。

生死を超えた絶対安心の境地から、毎日元気に楽しく有意義に生きたいですね!

しょうたさん

>しかも、感謝したい人に、感謝をして死ねたなら、
それは本当に大往生だと思います。

人の最期の有様は、生の集大成ですね。
感謝して死ねる様に、毎日感謝感激して生きたいものです。

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