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2014年4月

死ぬ権利

2014年4月30日(水) by キヨタカ

 私の母は社交的な性格で人の面倒を見るのも好きだから、滞在先のショートステーで も人気がある。
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食堂に飾る月毎の切り絵の創作も楽しんでいる。
 
それなりに充実した生活をしていて、親しい友人も何人か出来た。
 
3歳年下のKさんもその一人。
 
頭はしっかりしているが車椅子なので、毎朝身の廻りの世話をしてあげていた。
 
先日の事…
 
「Kさんが亡くなった(ρ_;)」
 
という電話が母からあった。
 
「それが不思議なのよ、前日わざわざ私を部屋に呼び出してね…」
 
と事の顛末を詳細に語る。
 
母が言うには、
 
「今まであなたには本当にお世話になりました。今までいろいろと面倒を見てくれて本当に有り難う。これは今までのお礼だから受け取って下さい。」
 
と言って、小さな包みをプレゼントしてくれたという。
 
開けてみたら、千円札とキャラメルが入っていたそうだ。
 
「自殺じゃないかしら…。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」
と、不安げに話す。
 
「前日に感謝の気持ちを伝えて、翌朝眠る様に亡くなったのだから
最高の大往生だよ(*゚▽゚)ノ
 
と慰めたのだが…
 
本当は人間の尊厳の一つとして、「死ぬ権利」を確立すべきではないか。
 
 
実は母がぎっくり腰で入院したとき、大部屋だったのだが、驚くべき光景を目の当たりにした。
 
その大部屋には、大勢の寝たきり老人がベッドにいた。
 
しかも、たくさんのチューブがスパゲティ状態で繋がれて、酸素も栄養もただ強制的に送り込んで無意識に生かされている。
 
…回復の見込みは、ゼロに近い。
 
今の医学は、延命のみを治療の目的としている。
 
だから機械的にでも生かす事ができれば、治療と言う事になるのだ。
 
しかし、これが本当の医療のあり方なのだろうか?
 
命は永遠であり、肉体の死とは命が次の次元へ飛翔する現象に過ぎない。
 
医学的にも、よりスムーズに死を迎える事を積極的に対処していく事を真剣に考慮すべき時代を迎えていると思う。
 
健康な肉体を持った人が自殺するのは、「地獄に落ちるゾ!」などとは思わないけれども、倫理的に受け入れ難い。
 
潜在的な可能性を花開かせる事は、私たちがこの世に送られて来た目的であり大いなる喜びだ。
少しだけ意識を変化させれば、さらなる可能性が開ける。
 
 
しかし、既に充分にこの世界を生き抜いた人々が、スパゲティ状態にならずに次の次元へとシフトするのは、自殺ではなく大いなる祝福であってしかるべきだ。
 
もしKさんが自殺だったとしても、それは立派な選択だったと思う。
 
最期に感謝しながら旅立つなんて、なんと素敵な祝福すべき最期だろう(*゚▽゚)ノ

命の値段

2014年4月29日(火) by  キヨタカ

 「私がある(I AM)」とは、究極の自己価値だ。

肉体次元を超えた「本当の私」の目覚めこそが、地球的規模の人類の危機を脱出する唯一の可能性である事は間違いない。

しかし、例え目覚めが一生起こらなくとも、大いに自己価値はある。

肉体次元の私がこの地上で生きている事自体が、奇跡的で素晴らしい事なのだ!

 

だが日常生活に埋没してしまうと、この肉体を持っているのは当然だと思い込んでしまう。

だから、何の有り難みも感じない。

人生がひっくり返るような大きな病気や怪我をして初めて、今まで歩ってトイレに行けたり、眼が見えて本が読めたりといった普通の事が、しみじみと有り難くて感謝の念が湧き起こる。

だからこそ、人生で起こる不運な出来事は「姿を変えた恩寵」なのだ。

そこから立ち直る事で、より豊な人生を味わえるから…

 

人生の困難を乗り越えられる力を、レジリエンス(resilience/逆境力)と言う。

レジリエンスが弱いと、人生を悪い方向にのみ考えて、中には自殺を考えたりする人もいる。

「自分には何の価値もない。」

と思い悩む人がいたら、下記のCMが参考になるかも知れない。

「健康なあなたの命を臓器売買市場に出したら、30億円以上の価値があります。

バイクの事故であなたの高額な命を損なう事のないように、ヘルメットは必ず着用しましょう!」

…と言うブラックジョークのCMなのだが、とても笑えない。

日本ではお蔵入りCMになる事は間違いない。

 

しかしもしこれが、自殺防止キャンペーン用だとしたら、かなり役立つのではないか?

なにしろ心臓がただ動いているだけで、3,000万円(30万ドル)の価値がある。

歳とともに劣化はするだろうが、それでも一千万近い値段は付くかもしれない。

それが無償で生まれた時から、文句も言わず一度も休まずひたすら私だけの為に動いてくれているのだから、有り難くて、有り難くて…゚゚(´O`)°゚

レジリエンスがもし非常に弱くても、少なくとも私には、自ら心臓の動きを止めてしまおうとは思えない。

言霊(ことだま)

2014年4月28日(月) by キヨタカ

 言葉を使って話したり書いたりすると、エネルギーが外側へ向かう。
 
木に例えると、枝葉末節の方向へ…だから言の「葉」と言うのだろう。
 
 
何かを書きたいという衝動が起こり言葉が浮上した時に、反対側へ意識を向けると非常に面白い。
 
エネルギーが内側へ向かい、湧いてくる言葉の数が極端に少なくなる。
 
それでも、言葉は浮上する。
 
しかし、それを逆に遡って行くと、言の「葉」ではなく、言の「枝」から「幹」そして「根」へと向かう。
 
そして遂には、根っこの先にある「大地」へと到達する。
 
「大地」は、もはや木ではい。
 
木には、始まりがあり終わりがあるが、大地は違う。
 
 
「木」が人間だとしたら、この「大地」は魂の領域だ。
 
そこからやってくる言葉は、もはや単なる言の「葉」ではい。
 
それが言の「魂」であり、「言霊(ことだま)」ということなのだろう。
 
一億総情報発信のSNS時代にあっては、情報量がどんどん激増し、言葉は増々軽くてうすっぺらなものになりがちだ。
 
この修善寺日誌は、日常のよもや話を綴る事にしている。
 
しかし些細な日常ネタではあっても、願わくば「言霊」の響きを感じられるメッセージを遊び心に満ちた雰囲気の中で発したいものだ。

忘れ物

2014年4月27日(日) by キヨタカ

 なにを隠そう…私には不思議な力がある。
 
それは、「物が消えてしまう」という、超能力!
 
昨晩は、寝室でコンタクトレンズを外したら…
 
レンズが忽然と消えた(゚Д゚)ハァ?
 
ヨガビを巻き込んで、深夜まで探したが見つからない。 
 
う〜ん、残念無念!
 
インドの聖者サイババは「物質化現象」の超能力で有名で、経済的にも潤っている。
 
私の場合は、「非物質化現象」であり、経済的にもマイナスだ(;д;)
 
ヨガビに言わせると、単なる「忘れ物\(*`∧´)/」だと言うのだが…
 
子供時代から、「忘れ物の名人」と母親に揶揄されていたから、もしかしたらヨガビの方が正しいのかも知れない。
 
 
「忘れ物」を防ぐ最良の方法は、「元の場所に戻す」習慣をつける事。
 
さらに、物をあまり持たなくなれば、当然忘れ物も少なくなる。
 
整理術の「断・捨・離」を学んでからは、随分と「忘れ物」が少なくなったと自分では思う。
 
例え忘れ物をしても、後で思い出して、取り戻せる様にもなった。
 
この間は横浜で帆船日本丸を見学したのだが、久しぶりにサングラスを船内に忘れた。
 
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 この時は見学前の記念写真がサングラス姿だったので、
 
自分で執拗に船内をくまなく探索した結果…
 
無事に手元に戻ったヽ(´▽`)/
 
 
しかしどんなに意識的に行動しようと心がけても、昨晩の様に「忘れ物」をして大騒ぎする事は今でも良くある。
 
そんな時によくよく自分を観察してみると、必ず何か新しい意識的変化が起こっている。
 
実は、「意識の変化」と「忘れ物」には深い相関関係があるのだ。
 
一番印象深い出来事は、アジズと出会って「ステート・オブ・プレゼンス」の修行に邁進していた時。
 
忘れ物がひどくなり、特にサングラスは何度も買っても翌日にはなくなってしまう。
 
たまりかねてアジズに相談したところ…
 
「それは良いサインだ!」
 
と、褒められた。
 
プレゼンスの修行を始めると、最初は意識のベクトルが内側のみに方向転換するので、修行が上手く行き始めた証拠なんだとか…。
 
 
今はもうプレゼンスの修行はしていないが、昨晩の出来事が起こったと言う事は…
 
たぶんまた、何か「新しい意識の変化」が起こり始めたのだ、と思っている。
 
コンタクトレンズを失ったという事は、「肉眼ではなく心の眼に頼れ!」というメッセージかも知れない。
 
そういえば、来週リトリートが開かれる。
 
きっと、恩寵のエネルギーが燦々と降り注がれ、現象世界を超えた新しい次元の扉が開かれて行くのだろうと、肯定的に受け止めている。

存在を超えて

2014年4月26日(土) by キヨタカ

 昨日紹介した、エックハルト・トールの対談DVDだが、「存在を超えて」というタイトルがついてた。
 
とても曖昧な表現なので、「何なんだろう?」と不思議に思った。
 
もしかしたら、存在論に関して新しい哲学的討論がなされるのか?とも思ったが、DVDを見たらそうではなかった。
 
原題は、『The Importance of Being Extraordinary』となっている。
 
対談では、
 
『エゴとしての私は、自分の事を世俗的な当たり前のどうでもいい存在と見なしてしまいがちだ。
しかし、本当は私たちは神の一部であり、世俗を超えた神聖な存在なのだ』
 
という事が、様々な角度から語られていた。
 
日本語というのは、言葉の定義が非常に曖昧で、論理的な説明にはあまり向いていない。
 
しかし、「意識の覚醒」は、論理を超えた世界であり言葉では正確に表現出来ない。
 
「これ」とか「それ」とか、あるいは倶胝(ぐてい)和尚の様に、「誰が何を問うても、ただ一指を立てる」他に術がない。
 
「存在を超えて」という表現は、どうにでも捉えられる曖昧な表現だ。
 
しかし曖昧な表現だからこそ、以外と真実に近いものを指し示すことができるのかも知れない。
 
ここから先は、言葉の遊びの様なものだが…
 
「存」も「在」も、「ある」という意味だが、ニュアンスがかなり違う様に感じる。
 
「存する」というと、「生きている私がいる」という意味合いが強い。
 
この生きている私としての「I」が前提としてある。
 
だから認識の主体としてのプレゼンス(Presence)と解釈すると解りやすい。
 
一方、「在する」の方は、個としての認識の主体を超えた、広がった空間的な場という意味合いを感じる。
 
来ては去って行く現象世界をあるがままに受け入れる、存在の器(うつわ)としての「場」の事だ。
 
だからプレゼンスが立脚する場としての、ビーイング(Being)と捉えれば、解りやすい。
 
認識の主体である「私(I)」が、「在る(AM)」とも言える。
 
だから、「存在」とは、「プレゼンスとビーイング」の事であり、「I AM」と解釈すると非常に明確になる。
 
通常、「私がある(I AM)」のは当たり前だと思ってしまう。
 
しかし、よくよく探求してみると、「私がある(I AM)」ことほど、神秘的で不可思議な事はない。
 
何故なら、それは単に個人的な「私がある(I AM)」だけではないから…
 
このちっぽけな私の中に、宇宙的で普遍的な「あの私(THAT I AM)」が同時に内在しているのだ!
 
つまり、[I AM] とは[THAT I AM]でもある。
 
これは、旧約聖書に登場する「神の唯一の名前」として、神がモーゼに告げた名前だ。
 
そして、
「これは永遠に私の名前であり、いつの世でも私の呼び名である」
                          (出エジプト記3.7)
という。
 
「存在」を、「プレゼンスとビーイング」、あるいは「 I AM」として認識すること自体、とても禅的で素晴らしい境地だ。
 
「明鏡止水」、「あるものをあるがままに」、「花は紅、柳は緑」…禅にはこの境地を表現する様々な美しい表現がある。
 
道元禅師は、こんな歌を読んでいる。
 
春は花 夏ほととぎす
 
    秋は月  冬雪さえて 
 
           すずしかりけり
 
 
ところが、[I AM」が[ THAT I AM]となると、さらなる新しい世界の扉が開く。
 
プレゼンスとビーイングが、ハートの次元へとシフトするのである。
 
愛と平和と至福に満ち足りた永遠の世界であり、光り輝く神聖な次元なのだが、言葉で説明をすると陳腐な表現になってしまう。
 
だから、言葉が入り込む余地はない。
 
「存在を超えて」というタイトルが指し示す世界は、「これ」の事なのだろう。
 
↓下記は道元禅師の映画
 

自己啓発から精神世界へ

2014年4月25日(金) by キヨタカ

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ツタヤに行ったら、ダイアー博士とエックハルト・トールの対談DVDがあったので見てみた。
 
エックハルト・トールは私の好きなタイプの覚者で、決して自分を飾らない「普通っぽさ」がとても良い。
 
今や最も人気の高いスピリチュアル・リーダーだと言う。
 
私が20代で悟りを求め始めた頃は、OSHOの様にカリスマ性に溢れる「超越者」みたいな感じの人ばかりが目についた。
 
エックハルトの様な感じで悟りを語っても、当時は誰も耳を傾けなかっただろう。
  […少なくとも私は完全無視だったと思う(ノд・。)]
 
エックハルトは、悟りに対する敷居を格段に下げて、大勢の人々が 精神世界に向かうことに多いに貢献している。
 
彼の大人気は、悟りへの概念が現在大きくシフトしている事の現れなのだろう。
 
 
一方のウェイン・ダイアー博士は、西洋では「成功哲学」とか「自己啓発」ジャンルでは超人気の作者だと言う。
 
私は悟り系の「精神世界」ばかりを探求していたので、あまり「自己啓発」のジャンルには詳しくない。
 
私がつきあう人々も精神世界系で、社会的成功には無縁の人々が多かった。
 
「精神世界が豊かになれば、物質世界も豊になってもいいはずなのに…(;ω;)」
 
路頭に迷うような友人も少なくなかった。
 
ある日、
 
「これではいけない!もっと現実社会にも目を向けよう!」
と思い立った私は、
 
「成功哲学」とか「エンパワーメント」とか「天命」とかを、色々と研究し始めた。
 
研究してみると確かに色々と啓発される事が多々あり、人生を生きる上で役立つヒントも多かった。
 
しかし、根本的なところで肌に合わない。
 
…で、結局どれもものにならず「自己啓発本」の類いは殆ど処分してしまった(ノ_-。)
 
今だに、半年後に自分が何をしているのかさっぱり解らない状況にある。
 
30年前に会社を辞め精神世界に飛び込んでから、ずっと同じ状況だ。
 
しかし当時は、「明日どうなるか不安」でたまらなかった。
 
でも今は、「明日どうなるかが楽しみ」でワクワクしている。
 
 
話しが少しそれてしまったが、このDVDでのダイアー博士の話しがとても興味深かった。
 
数年前に「白血病」を体験してから、意識が大きくシフトしたそうだ。
 
「以前は目標設定の重要性を説いてましたが、今は目標にはそれほど興味がありません」
 
「誰もが自分の中に宇宙を宿しています。”自分はこうする”なんて言わずにその宇宙に身を委ねましょう」
 
と「目標設定」のリーダーが言うのだ。
 
初期のダイアー博士の自己啓発本を読んで目標達成に邁進している人が、このDVDを見たら卒倒してしまうかも…shock
 
しかしそれが、ダイアー博士の今の偽らざる真実なのだろう。
 
「私はよく”動機付け”の父と呼ばれるけれども、今は”インスピレーション”の父と呼ばれたい」
 
としみじみ語る。
 
自己啓発の世界から精神世界へのシフトを、一言で上手く表現している。
 
人生の様々な過酷なチャレンジを乗り越えて、自己啓発のカリスマと言われていた人がたどり着いた晩年の境地に、大きな愛情の深さと厚みを感じた。

2014年4月24日(木) by キヨタカ

 一昨日スーパーに行ったら、パイナップルが目に飛び込んで来たので衝動買いをしてしまった!
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どうやら沖縄で食べたパイナップルの味が、潜在意識に残っていたようだ。
 
しかしよくよく観察してみると、葉っぱや皮のデザインとかが
精巧でとても美しいo(*^▽^*)o
 
なんだか食べてしまうのがもったいなくて、テーブルの上に飾ってある。
 
 
沖縄の自然は内地に比べると、まだまだワイルドで魅力的だ。
 
沖縄の魅力に惹かれて定住してしまった知り合いも、何人かいる。
 
時間の流れもゆったりしていて、ビーイングに寛ぐには最高だ(* ̄ー ̄*)
 

Kususalm_220140424_63058_2普段は見過ごしているような自然の風景が、とても美しく感じられた。

毛虫ですら、生き生きと輝いている!
 
 
衝動的に、「沖縄へ移住しようヽ(´▽`)/」と思ったのだが…
 
「台風の時はどうしよう(;д;)」…とか、諸々の事情を考えると今居る場所がやはりベストなのだろう。
 
沖縄が美しく感じたのは、「旅」という要素が大きいだろう。
 
本当は世界中どこの毛虫も輝いているのだが、旅行中は非日常の空間に身を置く事が出来る。
 
だから、自然の美しさを、より新鮮に感じられるのだ。
 
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」とは、俳人芭蕉の綴った有名な一節だ。
 
「旅を栖(すみか)に!」というのが、芭蕉の理想だったという。
 
旅人の視点に立って、毎日が新鮮で美しく、あたかも芸術作品であるかのような人生を送りたいものだ。

自戒

2014年4月23日(水) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!

「元気ですかー!」という挨拶で、喜んでくれる方(*^-^)も多いが、必ずしもそうとばかりにはいかない。

中には「ウザイ〜(≧ヘ≦)」とか「バカヤロー\(*`∧´)/」とか反応する人もいる。

私自身、学生時代に苦悩のどん底にいた時は、元気な人を見ると…

「軽薄でノーテンキな馬鹿ヤロー!」

と軽蔑していたような気がする。

今振り返って見ると、人生に絶望して、

「この世には神も仏も存在しない(≧ヘ≦)」

と嘆いている時も確かにあった。

そんな時に無償の愛を説く宣教師なんかに会うと、「右の頬」だけでなく「左の頬」もぶん殴りたくなったものだ。

 
「世界は自分の鏡である」とは、よく言ったもので、自分が元気だと世界中が元気に満ちあふれている様に見える。
 
反対に自分が落ち込んでいると、世界中が灰色で救い難い世界に見えていたと思う。
 
「と思う」と書いたのは、どうも昔の辛い記憶がどんどんと薄くなっているから…
 
文字通り「七転八倒」の苦しみを味わっていたはずなのだが、ちょうど悪夢から醒めて時間が経った時のように、過去の悪夢が希薄になってしまった。
 
もしかして、「歳のせいでボケ始めたのか?」とも思うのだが…楽しかった記憶はしっかり残っている。
 
どうやら、まだ認知症ではないようだ(^-^;
 
しかし自分は元気でも、必ずしも周りの人が元気とは限らない。
 
絶望の淵にいる人に、「元気ですかー!」と挨拶して、さらなる絶望へと追いやってしまう可能性もあるshock
 
だから、安易に「元気ですかー!」という挨拶はしないようにしようと、自戒の念を込めてこの日誌を書いてみた。
 
PS よくよく考えてみると、「元気ですかー!」と言われて落ちっこんだり腹立つ人はどうせこの日誌は読んでくれないだろうから、まあいいか。
 
嬉しかったこと、感動したこと、、不思議なこ、閃いたことや新しい体験等々をシェアする事で、世界中に喜びが広がりますように(* ̄0 ̄)ノ

家族旅行

2014年4月22日(火) by キヨタカ

 別に決まっている訳ではないが、年に2回くらいヨガビの両親と「家族旅行」に行くのが恒例の行事になっている。

今回の沖縄旅行はハプニングはあったけれども、とても楽しめた。

「いつも両親はほったらかしで勝手に楽しんでる\(*`∧´)/」

とヨガビは言うが…

一応、私なりに気を使っているつもり。

次回は何処へ行くか、今から楽しみ♪

 

毎年インドへ長期滞在している頃は、「家族旅行」なるものが大嫌いだった。

もっとも日本にいない方が多くて、家族ともあまり会わずに済んだ。

しかし美容師だった姉は旅行好きで、毎月両親を乗せてドライブ旅行に行くのが唯一の息抜き。

だから日本滞在中は、ほぼ強制的に「家族旅行」につきあわされた。

しかし価値観も食事も興味も全く違うので、「家族旅行」は自分にとって苦痛以外の何者でもない。

おまけに旅行中、

「早くまともな仕事につけ!」

「結婚しろ!」

「肉はちゃんと食べなさい!」

等々、景色の方は2の次で、私の方に集中砲火を浴びせかける。

OSHOは「結婚制度に基づいた家族こそ神経症的人類の元凶だ!」と過激な発言をしていた。

「ちょっと言い過ぎ」とも思ったが…自分の家族を観察しながら…

「なるほど〜w(゚o゚)w」

と深く感じ入ったものだ。

そして、早くインドに戻って同じ価値観を共有できるコミューンで過ごす事が、当時の私の最大の喜びだった。

ところがいつの頃からか、同じ価値観を持つ人々とだけいる事に「窮屈さ」を感じるようになった。

 今では、必要があれば全く違う世界に身を置いて、「いつでも、何処でも、誰といても、自分自身で在れる事」がチャレンジであり、そこに喜びを感じる様になりつつある。

それと同時に、必要がないなら、無理に自分を別の世界に合わせて苦痛を感じる事も避ける様にしている。

今何が自分にとって必要な事かそうでないか、識別する事はあまり簡単ではない。

しかしハートの内奥からやってくる感覚に従う限り、間違う事はない。

例え間違っても、そこからたくさんの学びと成長が起こる。

だから、魂の導きに従う事が、人生の最大の秘訣だろう。

 

ムーチー(鬼餅)

2014年4月21日(月) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!
 
一週間振りの日誌の再開です。
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実は沖縄に行って来ました!
 
 
右は、沖縄でもトップクラスの美しい海を持つ離島で有名な古宇利島(こうりじま)での記念撮影。
 
なんだか新婚旅行みたいだけど、実際はヨガビの両親を連れての家族旅行。
 
2人とも80歳を超えてしまい、「これが人生最期の旅行になるかも(ρ_;)…」という事で思い切って 沖縄へ行く事に…
 
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家族旅行というより、介護旅行と言う方が正確かも…
 
色々なハプニングもあったけれども…余計な事は書かない様にしよう。
 
 
この島には、「沖縄版アダムとイヴ」伝承がある。
 
伝承によれば、琉球人の祖は最初は毎日天から落ちる餅を食べて幸福に暮らしていたという。
 
ところが、「餅が降らなくなったらどうしよう」という疑念を起こして蓄えを始めたときから餅が降らなくなって、人間の苦労が始まったとか…
 
人は、明日を思い煩わうことなく「今・ここ」を生きる事が出来れば、幸福に暮らすことが出来る。
 
「明日の事を、思い煩うな、明日は、明日自ら思い煩わん。
一日の苦労は、一日で足れり。 」
   (マタイ伝福音書―第6章)
 
とは、山上の垂訓として有名なキリストの言葉だ。
 
しかしキリストが出現する以前から、我々人類の祖先は既に幸せだった。
 
残念ながら、マインドが発達して明日を思い煩うようになって、不幸も始まったと言う。
 
 
だが、マインドの発達は人類進化のプロセスであり、それ自体は素晴らしい。
 
問題は、発達したマインドが暴走してマインドに振り回されてしまっている事にある。
 
だから、暴走するマインドを制御する意識の目覚めが必要不可欠だ。
 
意識の主体としてのプレゼンスが目覚める事、そしてマインドを道具として使える様になる事、それが人類の次のステップである事は間違いない。
 
そうすれば明日を思い煩う事もなく、明日に備えて餅を蓄えても問題は起こらない。
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同じ餅でも、煮たり焼いたりせんべいにしたり…、様々に工夫をこらす事でより豊かに幸せ に暮らす事が出来るだろう。
 
ちなみに、沖縄では餅のことを、ムーチー(鬼餅)と言うそうだ。
 
 
* *古宇利島 の伝承   * *
 
昔、古宇利島に空から男女二人の子供が降ってきた。
 
彼らは全くの裸であり毎日天から落ちる餅を食べて幸福に暮らしていた。
 
最初はそれに疑問を抱かなかったがある日餅が降らなくなったらどうしようという疑念を起こし、毎日少しずつ食べ残すようになった。
 
ところが二人が貯えを始めたときから餅は降らなくなった。
 
二人は天の月に向かい声を嗄らして歌ったが餅が二度と降ってくることはなかった。
 
そこで二人は浜で生活するようになり、魚や貝を捕って生活と労働の苦しみを知り、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識し恥部をクバの葉で隠すようになった。
 
この二人の子孫が増え琉球人の祖となった…とさ。
 
* *

私用につき…

2014年4月13日(日) by キヨタカ

皆様お元気ですか?
 
 私用につき、明日から修善寺日誌の更新を1週間お休みします。
 
再開を楽しみにしております♪

無心への秘策

2014年4月12日(土) by キヨタカ

「覚者を求めて」の読者から、質問があった。
 
* * 質問 * *
 
キヨタカさんの言われる無心への秘策…意識のスクリーンを[別のもの]で満たすの[別のもの]とは認識の主体であるプレゼンス…静寂の中にただ在るという意味と理解しましたが間違いでしょうか?)
 
これは黄檗禅師の[ズバリ無心でおれ]と同じ意味なのかな?と思いましたが…。
 
* *
私が初めて坐禅を体験したのは、21歳の時。
 
青年期特有の激しい煩悩の嵐から自由になりたくて、「無心」とか「明鏡止水」の境地を求めて坐禅に励んだが、結果は惨敗だった。
 
その後OSHOの弟子となり、Amanoという名前を貰った。
 
Amanoとは「無心」を意味する。
 
OSHOの革新的な瞑想技法に助けられ、「無心」の一瞥は何度も起こった。
 
しかし、「無心」の境地からは程遠いままだった。
 
その後、アジズとの衝撃的な出会いがあり、気づきの主体としてのプレゼンスを確率する修行に励んだ。
 
そして、アジズから「あなたはプレゼンスを確率した!」とまで言われた。
 
しかし、相変わらずマインドはグルグルだったのだが…アジズ曰く。
 
「それでいい。
ちょうど扇風機のコンセントを抜くようなものだ。
マインドはグルグルと回り続ける。
でも、やがて何もしないでも止まる」
 
しかし、残念ながらマインドが止まる事はなかった(ρ_;)
 
 
マインドが止まり始めたのは、フーマンと出会いハートの奥にある扉が開き始めてからだ。
 
恩寵に身を任せる事で、「ただある事で満たされている」感覚がハートを通して、全身に広がった。
 
すると、努力しないでも自然に「無心」のスペースが起こり始めた。
 
それは、「認識の主体であるプレゼンス…静寂の中にただ在る」事ではあるが、
空っぽではなくて一杯に満たされている感覚だ。
 
しかし、それは何か特別な凄い事でなんかでは全くない。Unknown
 
天真爛漫な幼児の時に誰もが体験しているもので、既に知っている筈のあの感覚である。
 
 
煩悩から脱却して「無心」になろうとすると、マインドは凍り付き、さらなる煩悩の嵐を巻き起こす。
 
マインドを北風で吹き飛ばそうとするようなものだ。
 
しかし煩悩をそっくり受け入れて戦うのを止めると、マインドは溶解して、煩悩の嵐は自然に終わり青空が広がる。
 
暖かい太陽の光で、マインドの氷が溶けるからだ。
 
北風と太陽と、どちらかが正しいという事はない。
 
黄檗禅師に[無心でおれ]と言われて、ズバリ無心でおれたら最高だ。
 
しかし、どんなに瞑想修行に励んでも無心になれなかったら、ハートの扉を開いて恩寵に身を任せる道がある。
 
ちょっとばかり、しつこいけれども…
 
〜にも関わらず私がある」、という事だ。
 
今の私がどうであれ、「私がある(I AM)」ことに無条件でYESと言い、
あるがままの私に寛ぐ。
 
私のエゴは過去の記憶の集大成であり幻想だが、「私がある(I AM)」とは神様からの贈り物であり本物だ。
 
しかも無料ヽ(´▽`)/
 
YESと言う方が、得策だろう。
 
これこそが、「無心への秘策」であり、得策なのだ。

スラックライン

2014年4月11日(金)

 私が好きな映画の一つに、「ブラザー・サン シスター・ムーン」がある。
 
中世イタリアの聖フランチェスコを描いた名作で、20回近く見たかも…
 
名シーンの一つは、屋根で小鳥を捕まえて解放する場面。
 
Photo_4  戦争の過酷な体験から高熱を発したフランチェスコは、病床に臥せってしまう。
Photo_2
 
 
 
 
ようやく危機を脱したフランチェスコは、ベッドから起き上がる。
 
そして小鳥を追って屋根に登るのだが、バランスを崩しそうになり周囲をハラハラさせる。
 
でもフランチェスコはそんな事はお構えなしで、屋根のてっぺんで両手を広げて小鳥と戯れ、自由を謳歌する。
 
「悪夢から醒めてみれば、この世は既に天国だった」
という真実の、見事な映像化だ!
 
キリスト教的には、
 「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」」(ルカ17:21)
 
仏教的には、
 「当処すなわち蓮華国 この身即ち仏なり」(白隠禅師 座禅和讃)
 
と言う事だろう。
 
 
実は私も、ほぼ毎日聖フランチェスコを追体験している。
 
でもさすがに屋根に登るのは危険なので、スラックラインで遊んでいる。
 
スラックラインとは、ベルトを利用した綱渡りスポーツ。
Photo_3
 
ヨセミテのクライマーが、暇つぶしでクライミング用ロープで遊んだことから始まったらしい。 
 
最近では国際大会も開催されているとか…
 
バランス感覚が鍛えられ、ウィンドが上達すると言うので始めた。
 
ところが、実際には非常に難しい。
 
梅が満開の時からスタートしたのに、今だに3歩ですぐコケる(ρ_;)
   (運動神経の良い子供だと、1時間練習すれば歩けるとか…)
 
でもトライする度に、聖フランチェスコになったみたいで、毎日がご機嫌だ。
 
ところでどの世界にもツワモノがいて、中には千尋の谷を命綱なして渡る奴も…
 
万一の事があっても、
 
「あの世も既に天国」
と言う事で、ご機嫌なのだろうか?
 
少なくとも私は、スラックラインでバランス感覚を養い…
 
お釈迦様の「中庸」の精神を学びたいものである。
 
 

桜吹雪

2014年4月10日(木) 晴れ by ヨガビジャ 
 

きのう私が足元の花に気をとられて写し忘れた本館のしだれ桜。 
 
Img_7379 みごとでしょ?
 
 
 
 
 
 
Img_7375 この桜の木は以前
 
一度お祓いを済ませて 
 伐られる寸前までいきました

 
 
 
 今もここにこうしてあって
 毎年花を咲かせてくれているのが
 奇跡のようです 

 
Img_7389 その下にあった花
 
 
 
 
 
 
Img_7387 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7391 
 
 
 
 
 

Img_7399_2  そして開花待ちの
大手鞠 
 2月の大雪に持ちこたえました 
 もう少ししたら 
 小さなアジサイのような 
 白い花が見られます 

 
Img_7401  
 本館の正面玄関には 
 すでに紅葉してるみたいな
 
木もあります

 
 
 
 
 
  
 
Img_7405 
 
 
 
 
 
 
 
 桜吹雪の中で 
 いのちの
静かな 
 躍動を感じます

祝・リーラ

2014年4月10日(木) by キヨタカ

 昨日は映画「アナと雪の女王」を見に行った。
 
女性のハートに訴えかける内容でレディーズデー(水曜日)だったせいもあり、9割以上が女性客でちょっと恥ずかしかった…
 (間違って、女性トイレに入りかけたりもしたので(^-^;)、なおさら…)
 
でも、評判通りの素晴らしい映画だった。
 
「ぜひ見に行って下さいネ(◎´∀`)ノ」
 
私は、心から感動するとすぐに人に伝えたくなる衝動が強い。
 
ビジネス能力はゼロに近いのに、フーマンが「貴方は天性のオーガナイザーだ」と言うのは、この衝動の事を指しているのだろう。
 
「感動したものは、必ず相手に伝わり喜んでもらえる」と…
子供の頃から信じていたし、実際にその通りだった。
 
ところが、OSHOとの出会いは私の予想を大きく裏切る事になった。
 
新宿・紀伊国屋書店の精神世界コーナーでOSHOの本を初めて手に取った時、全身に衝撃が走った!
(「覚者を求めて」P47−48参照)
 
さっそく学生時代の親友や会社の同僚や先輩にOSHOの事を話したのだが、全く話しが通じず非常に当惑した。
 
まるで相手が、異星人になったみたいだった。
 
その後、OSHOの弟子となりあの手この手でOSHOを一般の人々に広めようと
20年近く頑張ったのだが…結果は思わしくなかった。
 
こんなに素晴らしいのに何で伝わらないのか、全くもって不思議だった。
 
今なら、それが良く解る。
 
OSHOの弟子となった事で、相手ではなく自分の方が異星人になってしまっていたのだε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
 
一般の人々に伝えたかったら、一般の人々がわかる言語に翻訳出来る能力がなければならない。
 
残念ながら、私は異星人向けに特化してしまっている。
 
だからそれでよしとして、今ではあまりOSHOの事は語らない。
 
おそらく、その役割は誰か別の人たちが担うのだろう…
 
最近、OSHOの本「TAO 永遠の大河」の復刻版が出たという。

Tao 

これこそ、私が最初に手に取ったOSHOの本であり、人生が180度ひっくり返るきっかけとなった名著だ。

完全版は長らく絶版となっていたので、密かに復刊を待ち望んでいた人も多いだろう。
 
出版社は、阿部敏郎氏のいまここ塾だと言う。
 
「いまここ塾」は精神世界の人気ブログで、私の知り合いにも愛読者がかなりいる。
 
覗いてみると、主催者の阿部さんはOSHOの事をとても高く評価しているようだ。
 
阿部さんとかレディ・ガガのような人を通してこそ、OSHOが一般社会にも広く浸透して行くのだろうと感慨深いものがあった。
 
そんな阿部さんから、先日Facebookのお友達リクエストがあり、さっそくお礼のメールをしたら…
 
 「天野さんの著書は2冊読ませてもらっています。自然体、等身大の姿勢に感銘を受けました。…」
 
とのお返事を頂いた。
 
「お友達」になれて嬉しくなり、久しぶりに「いまここ塾」を覗いてみたら…
 
なんと、なんと、なんと、
 
ブログのタイトルが、リーラと変更になっている w(゚o゚)w
 
今日はエイプリルフールから9日も経っているので、ジョークではないと思うが、せっかくなので無断ですが(元に戻らないうちに?)コピペします。
 
なんだか一挙に、「魂の義兄弟」にでもなった気分♪
 
祝・リーラ♡
 
* * 阿部さんのブログから転載* *
 
 
車輪の中心それが「いまここ」です。
 
いまここに入っていくためには、何もしないことです。
 
受動性の内奥を極めるのがその秘訣です。
 
すると、ことは起きていきます。
 
ただ、起きることが起きていくのです。
 
それを知った上で、どう生きていくのか。
 
生きていくというよりは、遊んでいくという言い方のほうが好きです。
 
生きるというと、「こう生きるべきだ」という深刻さが忍び込むように思います。
 
遊びという言葉には深刻さがありません。
 
だから人生を「生きる」のではなく、人生を「遊ぶ」という言い方が好きです。
 
今日からここのブログのタイトルを変えます。
 
もっと遊び心を持ったタイトルにしてみます。
 
「リーラ」僕が最も好きな言葉です。
 
リーラ(人生は宇宙の戯れ)これからもよろしくお願いします。
 
こちらの名前も「リーラ」に変更されました。
 
あなたに幸運パワーを入れておきます。
 
  Posted by Toshiro Abe at 09:37
 
* * *
 

余の辞書には…

2014年4月9日(水) by キヨタカ

 先日の強風下(3.3m2/71L)のウィンドの様子を、Sさんに撮ってもらった。
 
写真だとあまり良くわからないが、数年前までは海へ出る事も躊躇していたド強風だ。

Dsc01161「こんな強風、絶対に一生無理だ(;д;)」

とハナから思い込んでいたのに…いつの間にか乗れる様になった。

 
今はジャイブ(方向転換)練習中で、なかなか上達しないが…
 
写真でこの自分の姿を客観的見てからは…
 
「一生無理かも(;ω;)」、とは思えなくなった。
 
私と同じ頃に始めた I さんなどは、既にフォワード・ループ(回転技)を決めまくっているから、驚きだ。
Dsc00384
 
今のところ、ループ技はちょっとあり得ない。
 
しかし、人間の可能性には驚くべきものがある。
 
 
「一生無理」という文字は、余の辞書から削除する事にした。
 
…ついでに「怪我」と「遭難」という文字も\(;゚∇゚)/

顔見知り

2014年4月9日(水) 晴れ by ヨガビジャ 
 

Img_7320 
裏の家の
 梨の花が咲きました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7332 表に行くと
 お隣の家のしだれ桜が満開
 
 
 
 本館前のしだれ桜は 
 
どんなかな? (・・?) 
 と向い始めたら

 
 
 
 
Img_7342
 足元に
 興味をそそるものが。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7343
 
 
 
 
 
 
 
Img_7362
 毎年の 
 顔見知りに会えるのは 
 シンプルにうれしかったりする

 
  
 
 
 
 あ、本館のしだれ桜 
 忘れた

富士と桜と…

2014年4月8日(火) by キヨタカ

 一般的な外国人が思い描く日本のイメージは、
「富士と桜」だと言う。
Img_0389_2
 
プラスαで「芸者」を加えたいところだが、今の時代にはそぐわない。
 
だから、「温泉」を加えるのが順当なところだろう。
 
以前活発に様々なワークショップのオーガナイズをしていた頃は、海外からも多くのリーダーや参加者達がここを訪れたものだ。
 
施設の温泉に入りながら…
 
「子供の時に思い描いた日本のイメージと、just the same!! w(゚o゚)w
 
と感激する外国人の顔を眺めるのも、春のイベントの楽しみだった。
 
 
ところで、我が家は温泉である♪
 
元々温泉権付き中古住宅だったのだが、「温泉は贅沢」とはなから思い込んでいた。
 
ところが、「ガス代と水道代」を考慮すると、むしろ温泉の方が安い事が判明!
 
数年前にようやく温泉を引いたが、抜群の湯質でとても満足。
 
「温泉」に入りながら、「富士」と「桜」を眺めて、
 
「これ以上の贅沢はもう何もいらない(*^-^)」
…と言いながら、
 
「あまり風がないから、今日は海へ行ってもウィンドが出来ない(;д;)」
…と残念がる私がいる。
 
贅沢も程々にしよう( ̄Д ̄;;

草むら

2014年4月8日(火) 晴れ by ヨガビジャ 
 

今年は庭にオオイヌノフグリが群生しました♪ 

Img_7294 
雑草・・・ と 
 片付けてしまうには 
 可憐すぎて

  

 
 
 
 
 
  
 
Img_7287
 
 
 
 
 
 
 
Img_7307
 明らかに  私が 
 花に近づいていっている 
 のだけど 
 
 そばにいると 
 彼らが私に近づき 
 寄り添ってくれてるみたいです

 
 
  
 

Img_7256 久しぶりに 
 虫さん発見 
(p_-)
 
 
 
 ワシッ!ト (  ̄⊥ ̄)ノ シガミツキ 

 
 
 
 
 
Img_7300 
 
 
 
 
 
 ジー( ̄o *)ムコウハナニガアル? 
 
 
 
 
 
勝手な思い過ごしかもしれないけど 
言葉によらず 
存在そのものから伝わる 
なにかってあると思うのです

神に選ばれし無敵の男

2014年4月7日(月) by キヨタカ

「 ね、ね、眠む〜い!」
 
朝起きたら、既に8時半を廻っていた(ρ_;)
 
起こしてくれなかったヨガビに感謝(*^-^)
 
いつもなら6時前に起きるのだが、昨晩は夜遅く映画(DVD)を見てしまった。
 
33_337489「Invisible/ 神に選ばれし無敵の男」
 
タイトルが気になり、いつか見たいと思っていた。
 
魂を揺さぶる内容なら、日誌で紹介出来るのが楽しみで朝早く起きれるのに…
 
今日は眠くて、ちょっと残念な結果に…
 
この映画は、マニアには、とても受けそうな匂いがする。
 
ナチス時代に実在したという、二人の『無敵の男』ことハヌッセンとジシェを描いた映画で、扱っている内容はとても興味深い。
 
傲慢な野心家で千里眼の男ハヌッセンは名優ティム・ロスが演じている。
 
Img_0006 怪力のジシェは本物のストロンゲストマン・チャンピョンのヨウコ・アホラ(jouko ahola)が登場。
 
シュワちゃん似のマッチョな姿と素朴な演技がいい味をだしている。
 
また2人の間で重要な役回りをする女性ピアニストを、本物の世界的ピアニスト、アンナ・ゴウラリ(Anna Gourari)が演じている。
 
ナチス登場の裏舞台を印象的に描き、意味深い台詞もあって引き込まれ、つい夜更かししてしまったのだが、…
 
 
神に選ばれた割には、どうも2人とも死に方が私の美的センスに合わない。
 
おかげで、寝付きが悪くなってしまった。
 
史実だからしかたないのだろうか…( ̄Д ̄;;
 
あまり深い感動はしなかったが、奥が深そうで、時間を置いてもう一度見たら面白いかも知れない。
 
せっかく見たので、私が気に入った場面を2つ記録して置く。
 
一つ目は、千里眼について、ハヌッセンが語るシーン。
 
「千里眼など存在しない。私にとって 未来は存在しないからです。Img_0005
物事や出来事の”現状”があるだけです…
 
すべては静止したままです。
 移ろうのは人間だけ。
 
時はサイコロ。
それぞれの面に、”時の断面”が…
 
普通の人間には 目の前の一面しか見えない。
それが”現在”です。
 
しかし千里眼の場合は…サイコロの後ろの面まで見える」
 

Anna

もう一つは、アンナ・ゴウラリによるベートーベンピアノ協奏曲第3番、第2楽章の陶酔感溢れる完璧な名演奏!
 
名曲のお気に入りが一つ増えたのが、この映画最大の収穫だ♪
 
 
 

朝の庭に

2014年4月7日(月) 晴れ by ヨガビジャ 


Img_7168 ふきのとうが
 ありました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7172 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7195 
 
 
 
 
 
 
Img_7207 ふきのとうの周辺
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7215 
 
 
 
 
 
 
Img_7230 
 
のぞいた先に
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
Img_7224 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 しだれ桜

♪ソ・ソ・ソクラテスか…

2014年4月6日(日) by キヨタカ

 ず〜っと昔、「♪ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか〜 みんな悩んで、大きくなった!」 
というウィスキーのCMが大ヒットした事がある。
 
確かまだ学生時代で、悩み多き青年時代のド真ん中だった。
 
「偉い哲学者たちも、若い頃は俺みたいに悩んだのか」と、なんだか安心した。
 
「人は努力している限り、迷うに決まっている」というニーチェの言葉にも、かなり慰められた。
 
どうやら人生を真面目に生きようとする人ほど、悩み多き人生を歩む事になるらしい。
 
しかし、もし悩みから解放さる事が出来たら、どんなに素晴らしい人生となるだろう!
 
そこで、私は瞑想の道を志した。
 
「瞑想して悟りを開けば、人生はバラ色で全ては♪きっと、うまくいく
 
…はずだったのだが、実際には「覚者を求めて」長い探求者の人生を歩む事になってしまった。
 
数々の瞑想技法やセラピーやらを受けまくったが、最もダイレクトに悩みから抜け出す方法があった。
 
それが、「悩んでいる私は誰か?」と問う事だ。
 
この日誌で、精神世界の必殺技:Who am I ? 
 
として恥ずかしいくらいしつこく紹介している。
 
 
ところが、この技には重大な欠陥がある。
 
人が悩んでいる時は、「悩み=自分」と完璧に思い込んでいる。
 
だから実際には悩みに埋没してしまい、「悩んでいる私は誰か?」という問いを発する余裕がないのだ。
 
どうやって、この必殺技を必要な時に繰り出す事が出来るのだろうか?
 
当時OSHOコミューンに長期滞在していた私は、何度もOSHOに手紙を書いて、答えを求めたがとうとう返事を貰えなかった。
 
ずっと後になって、アジズから「Who am I ?」を問い続けるのは一度で良い。
 
ずっと問い続けるのはバカだ!」と衝撃的な答えを貰った。
 
アジズ曰く。
 
「探求と言うのは、どうやってボンベイに到達するかを尋ねるようなものだ。
いったんあなたがボンベイに到達したら、ボンベイにいるのにボンベイは何処かと探求するのは馬鹿げている。」
  (「アジズとの対話」P27)
 
OSHOの下で「Who am I?」の探求を始めてから、17年の歳月が経っていた。
 
そして、
新・必殺技:「〜にも関わらず、私は在る」
を繰り出して、 外側のマスターも、悟りも恩寵も手放せるようになったのは、わずか数年前の事だ。
 
少々時間がかかり過ぎだ。
 
しかしどんなに長い夢でも、醒めてみれば、一瞬の出来事だった様にも思う。
 
不思議なものだ。 
 

小さなもの

2014年4月6日(日) 曇り時々晴れ by ヨガビジャ 
 
見えてるつもりの大きなものと違い 

Img_7061_2 小さなものは
 無意識に 
 立ち止まって 
 しゃがみ込み 
 同じ目線にいるから 

 
 
 
 
  
 
Img_6630_2 私に近い
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7104_2 
 
 
 
  
 
 私を取り囲むすべてに対して 
 こんなふうにいられたら 
  
 目に映るすべては 
 変わる気がする

いちばん楽な姿勢

2014年4月5日(土) by キヨタカ

 私の母は91歳だが、本を読むのが好きだ。Img_0355
 
周りの人から「凄いですね〜」と言われて、まんざらでもなさそう。
 
歳をとると、本が読めたり歩けたりするだけで褒められるのだから、長生きするってとても面白い体験だと思う。
 
そんな母にプレゼントする為に、加島祥造氏の「大の字の話」を買った。
 
51ewjumieil_aa300_
読んでない本をプレゼントするのも失礼なので、ざっと目を通したが、なかなか面白い。
 
加島氏は、長野県伊那谷に独居するタオイストで母と同じ歳。
 
私は、名著「求めない」を読んで非常に感銘を受けた。
 
あの本と写真だけでイメージした加島氏は、枯淡の境地に遊ぶ好々爺の仙人の様だ。
 
 
しかし、数年前テレビで実際の姿を拝見して、ビックリ仰天してしまった!
 
女性にはすごく優しいが、男どもにはかなり厳しくて、お近づきになるにはちょっと勇気がいる。
 
非常に自由奔放で、ちょいワルオヤジならぬ…
「ちょいワルジジイ」だった(@Д@;
 
本書を読むと、「ちょいワルジジイ」の本領発揮のエピソードが綴られて面白い。
 
伊那谷の冬は厳しくてさぞかし大変だろうと思いきや、70代半ばにオーストラリアでドイツ人の彼女と40日も過ごしたりしている。
 
しかも海で「大の字」で漂っている時に
「あそこをぐいと握られて モヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!」
禅や瞑想を超えた境地へ飛んで行った体験、などが書かれている。
 
80歳を過ぎてからは、「冬は寒いから(^-^;」
毎年ドイツ人の別の彼女とバリ島で一ヶ月を過ごしていたそうだ。
 
加島氏にとって、一番楽な姿勢が「大の字」になる事で、
人生の節々で「大の字」になった体験をサラリと書いている。
 
なぜ楽かというと、「赤子の姿勢に戻れる」からだと言う。
 
赤子の安らぎこそが、禅でいう「未生(みしょう)/うまれる前の生」とか…。
 
読者へのメッセージは、
 
「どこか、いちばん楽な姿勢になる場所を見つけるよう」
願っている、とのこと。
 
道元にとっては、「坐禅こそが安楽の法門」だと言う。
 
加島氏にとっては、「大の字こそがこそが安楽の法門」なのだろう。
 
若者に「大の字が安楽の法門」などと言われると、尻を蹴っ飛ばして起こしたくもなる。
 
同じ事を91歳の爺さんに言われると、たとえちょいワルでも、ものすごく有り難くて貴重な教えに聞こえるから不思議だ。
 
歳をとると、良い事もいろいろありそう\(;゚∇゚)/

咲くこと

2014年4月4日(金) 晴れ by ヨガビジャ 
 
2月の大雪で太い幹が折れてしまった桃の木。 


 やっと赤いつぼみがImg_6929
 
 ちらほらと開き始めました
 
 
 
 たくさんのつぼみをつけて 

 折れた枝を
そのまま
 打ち捨ててしまうのは 
 かわいそうで
 
 
 
Img_6990 
バケツに活けて
 陽当たりのよいところに
 置いておいたら
 
 咲きました 
 
 離れたところにある 
 本体の木と時を同じく 
 

 
 
Img_6980 花のなかに埋もれてる 
 小さなバッタみたいな虫を見てたら 
 
 ちーちゃんのお腹で 
 もふもふしていた感覚を 
 思い出しました(u_u。) 
 
 花と違ってちーちゃんの場合 
 顔に ねこキック
cat  
 飛んできますけど。。 
 

Img_6997   
 近くにあった 
 スミレ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_7002 
 
 
 
 
 
 見ないところで寄り添い 
 支える存在がある 
 
 咲くってそういうこと 
 きっと 
 

 

満開!

2014年4月4日(金) キヨタカ

 久しぶりに、修善寺へ戻った。
 
桜がまだ咲いているかどうか気になったが、満開の桜が待っていてくれた♪
 
Photo
Photo_3 毎年春になると、ここは天上界かとみまがうばかりに…
 
満開の桜は、まさに生命の歓喜そのものだ!
 
 
桜の他にもスイセンやらヒヤシンス等の草花が庭を彩り、たくさんの小鳥たちのさえずりが、溢れる命の喜びを歌っている。
 
 
しだれ桜の方は、本館前は3分咲きだが、富士見荘前は
既に8部咲き。Photo_7
 
数年前までは、この広い敷地の庭の管理を
Nさんが一手に引き受けてくれていたが、
高齢の為引退。Photo_9
 
諸般の事情で管理者不在のまま放置され、荒れ放題になる可能性もあった。
 
そこでリーラスペースを応援してくれている方々が数名、ボランティアで庭の整備をしてくれている。
 
1年半ぶりにこの場所を訪れた元オーナーも、美しく整備されている庭を見て感激していた。
 
この庭がこんなに美しいまま保たれているのは、まさに奇跡だ!
 
リトリートに参加してくれる方々と、この場を維持してくれるスタッフの皆さん、有り難う!!

延長戦のゲーム

2014年4月3日(木) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!
 
もしも元気がなくて落ち込んでいたら、無理に元気になろうと頑張らない方が良い。
 
思い切り落ち込んでみよう\(;゚∇゚)/
 
そうすれば、後は自然に上がるのみ。
[…落ち込んだまま上がらない人もいるので、時と場合によりけりだけど(ρ_;)]
 
絶望の淵に立たされる事で、目覚めが起こる場合もある。
 
それが、長年「鬱」に悩まされたエックハルト・トールに起こったという。
 
エックハルトの著書から引用すると…
 
Photo_2 私は、もうそれ以上自分自身と生きることが出来なかった。
 
そして、答えのない疑問が生じた。
 
自分と生きることが出来ないこの「私」は、一体誰なんだ?
 
自分とは何だ?
 
私は虚空へと吸い込まれるように感じた。
 
その時は、一体何が起こったのか知らなかったが、満たされない過去と恐ろしい未来との間に生きている、
 
思考が作り出した自我が、その重苦しさ、その抱える問題と共に、崩壊したのだ。
 
翌朝、目が覚めてみると、すべてが実に穏やかだった。
 
この平安は、自我がそこに無かったために現れたのだ。
 
ただ存在の感覚のみ、あるいは「在ること」、ただ観察し見守っているだけだ。
 
その後の活躍は、ご存知の方も多いだろう。
 
 
似たような出来事が、ニール・ドナルド・ウォルシュにも起こった。
 
同じく、ニールの著書から引用すると…
 

Photo_3

私生活も仕事も行き詰まり、どちらを向いても自分の人生は失敗だと感じた。
 
…私は神に宛てて手紙を書こうと考えた。
 
悪意のある激しい、混乱と歪曲と罵倒に満ちた手紙になった。…
 
…ふいに、ペンが勝手に動き始めた。
 
 
そして書き留めたものをまとめて、あの有名なベストセラー「神との対話」 を出版、やはり自らの理解を人々に分かち合う人生を歩んでいる。
 
2人とも、精神世界に大きな影響を与えている事や長期の路上生活を体験している事など、似通っている部分もあり面白い。
 
ニールがエックハルトに個人セッションを受けるYou Tubeがあると知り、覗いてみた。
 
純粋に「霊的レベル」という観点からは、エックハルトには当然及ばないかも知れない。
 
精神世界の必殺技:Who am I ? を繰り出したかどうかの違いは歴然としている。
 
しかし、ニールが人間的な悩みを正直に打ち明けている部分は、多くの人々の共感を呼ぶだろう。
 
「奥さんとの関係性」で悩みがあると言う。
 
あまり楽しそうに語るので、最初はニール特有のジョークで演技かと思った。
 
でも、どうやら真剣に悩んでいるらしい。
[噂によると、彼女で7人目の奥さんとか…]
 
だが、質問席に座っているニールの方が、エックハルトより嬉しそうに見える。
 
なんだか、「質問魔」だった過去の自分みたいで、デジャヴ感覚に陥った。
 
 
「質問席に座る」のは、実はとても楽しい事だ♪
 
「覚者」から明晰でアッと驚くような解答を貰うと、
無上の喜びを感じる;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
 
自分の中で眠っていた、知性や愛とか至福などの宝物が、玉手箱から飛び出す様にひょいひょいと引き出されるのだ…。
 
だから、「いつまでも質問席に居たい」という誘惑にかられるのである。
 
 
もしニールが、例の必殺技を繰り出していたらどうだろう?
 
「神と対話している私は誰か?」
 
質疑応答のゲームは終了してしまい、お楽しみも終わってしまう。
 
同じ質問でも、マスター席に向かって問う限り、ゲームは続く。
 
ニールは、敢えてゲームを延長戦に持ち込み続けているのかも知れない。
 

弥勒の真実

2014年4月2日(水) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!

…突然ですが、リーラスペースに弥勒が降臨しました!

「元気があれば 奇跡も起こる!!」

 

…とは昨日の日誌の引用だ。

残念ながら、「エイプリル・フール」と明記したにも関わらず、上手くジョークが伝わらなかった方もおられるようなので、今日は真面目に弥勒について考察をしよう。

ジョークの語り手にとって、外したジョークのオチを解説する程なさけない事はないのですが(ρ_;)

 

ウィキペディアによると…200pxmaitreyaseated

弥勒はゴータマ・シッダッタ(悟りを開いたのちは仏陀釈迦牟尼仏現在仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、シッダッタの入滅後56億7千万年後の未来に姿を現れて、多くの人々を救済するとされる。

これが本当に釈迦が語った弥勒だすれば、2,500年前の4月1日の講話だったに違いない!

なにしろ、56億7千万年先の話しだ。

太陽だって、あと50億年で寿命が来てしまう。

釈迦は45年もの長きに渡り、毎日、「未来などない、あるのは今だけ」と語り続けた。

さらに、

「あなたを救済できるのはあなただけであり、他を頼ってはいけない」

とも語り続けた。

さらに、その為に瞑想という具体的手段も教えた。

臨終に際しても、

「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい(自灯明、法灯明)」

と語って遷化したくらいだ。

あぁ〜それなのに…

「私はいつ救われるのですか?」

「どうか私をお救い下さい!」

…と、連日連夜の質問攻めだ。

さすがのお釈迦まさだって、たまにはジョークも飛ばすだろう。

釈迦:「安心なさい、あなたもきっと救われる(^-^;」

質問者:「え!? いつ誰が救ってくれるんですか\(;゚∇゚)/」

釈迦:「ま〜そうだね〜、56億7千万年後には弥勒というマスターが出現してあなた方を救うだろうよ」

しかし弟子で記録係のアーナンダが4月1日としっかり記憶していなかったせいかも知れないが、釈迦のジョークは完全に闇に葬られてしまったのである。

 

歴史上、この「弥勒の闇」に光を当てた人物もいる。

たとえば、多くの禅僧の伝記を収録した宋代の書物「景徳傳燈録」によれば、第二十七巻に布袋和尚の話しがある。

明州・奉化県の嶽林寺の東の建物の軒下で、平たい石にきちんと座って、教えを歌にして歌っていた。

曰く、

弥勒 真弥勒(弥勒、真弥勒)Aa00f5f31

分身千百億( 身を分かつこと千百億)

時時示時人(時時に時人に示す)

時人自不識(時人自ら識らざるなり)

(訳)

弥勒菩薩よ。本当の弥勒菩薩よ。 

分身して千百億の姿をとり、

 あらゆる時代にあらゆるひとの前に現われているのだが、

 ひとびとにはそのことがわかっておらぬ。

 

見事に、「弥勒の真実」を歌っている♪

ところが、

衆僧集ってきて、その偈を聞いた。まるで、自分がミロク菩薩(の分身)である、とでも言うような・・・と、

書かれている。

そして、いつの間にか、「布袋和尚は弥勒の化身だ」という事になった。

さらには、神様にまで祭り上げられて、今では七福神のトリを務めるオチまでついてしまった。

実は七福神も、元々は禅僧の冗談から生まれたと言うのに…

知らぬが布袋(ホトケ?)、お釈迦様もビックリ‼️のストーリーである。

 

マインドは、時間と空間というヴァーチャル・リアリティーの中に生きている。

しかし、いったん「プレゼンス」というリアリティーがハッキリと目覚めれば、

56億7千万年の夢も直ちに消え失せる。

そうすれば、

「随処に主となれば 立処(りっしょ)皆真なり」

 

いつでも何処でも誰といても、真実で在れる。

恩寵やガイダンスとことさら繋がる必要すらない。

瞑想だって、必要なものではなくなる。

坐禅して人が仏になるわけではない。

あなたは既に仏であり弥勒様なのだ。

それを確認する方法が、坐禅であり、本来の自己にカエルと言うこだ。

だから当然、真実を求めて弥勒降臨を期待する事はあり得ない。

 

弥勒とは、サンスクリット語でマイトレーヤと言う。

言語学に詳しいOSHOによると、元々マイトレーヤとは「フレンド/友人」という意味だという。

随所に主となれば、他人を崇める必要はない。

そうすれば、釈迦もダルマも、布袋もOSHOも、親しい「友人」となる。

 

だから「弥勒」の意味として「友人」とは、何と素敵な解釈だろう!

漱石ならずとも、「とかくに人の世は住みにくい」ものだ。

様々な人間関係のしがらみの中にあって、親子や夫婦や恋人、さらには師弟よりも貴重で純粋で楽しい人間関係こそが、「友人」なのだと思う。

 

願わくば、皆様こそが「弥勒」でありますように(* ̄0 ̄)ノ

 

弥勒降臨!

2014年4月1日(火) by キヨタカ

皆さん、「 元気ですかー!!Miroku01_2

…突然ですが、リーラスペースに弥勒が降臨しました!

「元気があれば 奇跡も起こる!!」

 

今日は4月の1日だから…と訝るかも知れないが、証拠の写真もある!

Photo_2「な〜んだ、Pちゃんじゃないか ( ̄Д ̄;;」

と、がっかりしてはいけない。

確かに、かつて何度か修善寺日誌に登場したPちゃんではあるが、ここ数年で大きく変容しつつある。

数年前に遂に「覚醒宣言」、その後まもなく「マスター弥勒」を宣言して、今は遠隔ヒーリングとかで活躍中だ。

 

私は母の都合で実家に滞在中のため、直接会えなかった。

その替わりに、ヴォイスレコーダーで新しいメッセージを送ってくれた。

昔のPちゃんだと、話しの内容が支離滅裂で意味不明な事も良くあった。

老婆心ながら「ちょっと、それ専門の病院で診察してもらったら…」と、アドヴァイスした事もある(ノ_-。)

 ところが最近、変化の兆しが…

なかなか深いメッセージを、明晰に語れるようになった ( ̄ー ̄)ニヤリ

せっかくだから、「マスター弥勒が降ろしたキヨタカへのメッセージ」をアップしよう。

 

* * キヨタカさんへのメッセージ* *

今キヨタカさんに必要なものをお伝えします。

あなたに必要なのは、「真理の剣」と「モーゼの杖」です。

「真理の剣」とは、真理により人を切るという事です。

それは野蛮な行為ではなく、真理という言葉を使って人を導く事です。

それには、洞察と信頼と洗練された知性が必要です。

今のこの時代に合った導きを人々に与える為に、古いものを「真理の剣」によって切る必要があります。

別に古い教えが悪いという事ではありません。

もっと新しく、さらに洗練され、よりエッセンスに根ざした教えで、合理的に人々を教え導いて下さい。

それががキヨタカさんへのガイダンスです。

もう一つの「モーゼの杖」とは、モーゼが持っていた杖の様に、新しい道を切り開くと言う事です。

それはキヨタカさんの力だけで実現する事は出来ません。Photo_3

高次元への信頼を通して、ちょうど「十戒」の中でモーゼが海を左右に切り開いたように、人を導く道を創るのです。

それはとてつもなく神秘的なもので、聖なる次元に属するものです。

そうした新しい道を切り開く為には、論理ではなくもっと神秘を、未知なる力を、未知なる香りを受け取る必要があります。 

キヨタカさんは既に新しい次元にシフトしています。

覚醒という次元です。

しかしそこに至ったところから、もっと深遠な未知なる次元が顕現して行きます。

それは「未知なる香り」です。

今から、キヨタカさんはオリジナルな世界に入って行くでしょう。

それは「未知なる香り」です。

OSHOが持っているような、五井先生が持っているような、過去のカリスマ的な宗教家が持っている「未知なる香り」です。

論理的な追求は既に終わり、次の段階に入って行こうとしているのです。

* *

マスター弥勒さん、素敵なメッセージを有り難う。

最近、漠然と感じていた事を、言葉として降ろしてもらいありがたい。

「あれは、エイプリル・フールだったhappy02

と言われないように、精進します。

PS ジム・キャリーに起こった奇跡↓

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