テルマエ ロマエ Ⅱ
2014年5月19日(月) by キヨタカ
映画「テルマエロマエⅡ」を見に行く。
阿部 寛扮する古代ローマ人の浴場設計技師が、現代日本にタイムスリップしてカルチャーショックを受けつつローマ風呂建設に邁進するSF(?)コメディ。
2年前に大ヒットした映画の、続編だ。
さすがに前回程の新鮮な衝撃はないけれども、ハリウッド並の豪華なエンターテイメント作品になっている。
日本人なら誰もが当たり前と思う日本文化の素晴らしさを、古代ローマ人の視点から明らかにするギャグが満載で、シンプルに面白い。
温泉文化やトイレ文化に加えて、今回は相撲文化が新たな要素に加わった。
曙や琴欧州の登場にもビックリだが、私が個人的に驚いたのは地方巡業のシーン。
「なんだか懐かしいな〜」と思っていたのだが、後で調べてみたら…
なんと実家の小山市内の八幡宮で撮影されたものだった!
境内には立派な土俵があり、昔は地方巡業や相撲大会で賑わった。
子供時代に父に連れられて相撲見物をした風景が、鮮やかに蘇ってくる。
映画では、日本の相撲取りを古代ローマのグラディエターとユーモラスに対比する。
そして「殺し合わないグラディエター」として、日本文化の持つ、平和さ、優しさ、寛容さを上手に描いている。
そもそもこの映画の大前提が、「平和国家建設の為」にローマ風呂を建設するというギャグをベースにしているのだが…
実は単なるギャグを超えた、平和への祈りを込めたとても重要なメッセージが入っていると思う。
そもそも人が完全に「寛いだら」、果たして人を殺せるだろうか?
自分が自分である事に寛いで充分に満たされたら、相手の事もあるがままに認める余裕が生まれる。
日本文化には、そうした「寛容性」が連綿と受け継がれている。
「瞑想を通して、あるがままの自分に寛ぐ」と言うのが理想だけれども、なかなか一般受けはしない。
しかし、温泉で「寛ぐ」のはとても簡単だ。
「寛ぐ」とは、防御本能を解除して、あるがままの自然でオープンな
姿に戻ること。
全ての生物が持つ、生得権だ。

映画のエンディングで、猿が温泉で寛ぐユーモラスなシーンがあった。
猿だって、温泉で寛いだら平和を愛する動物に変身する。
猿でさえ寛げるのだから、人間が寛げない訳がない。
「寛ぎ」こそが、平和への鍵なのだ!
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