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本当の寛ぎ

2014年5月20日(火) by キヨタカ

 昨日は、日本文化が本来持っている「平和、優しさ、寛容さ」について述べた。
 
しかし、「ちょっと違うんじゃないの?」と、実は自分からツッコミを入れたくなる。
 
確かに古代ローマ人に比べれば、コロシアムで人が殺し合い血を流す様子を見て興奮して喜ぶといった、狩猟民族特有の残忍性は少ない。
 
 
そのかわり、農耕民族特有の陰湿な没個性の文化が連綿と続いていた。
 
家族や村や組織が個人よりも優先される事が美徳とされ、お国の為に命を捧げた人々が英雄とされた。
 
いつも周囲の視線を気にして行動する事が要求され、周囲に合わせないと「村八分」となる。
 
「村八分」された側にとっては、優しさや寛容さは微塵も無い冷たい社会だった。
 
そもそも日本では、この狭い国土で大勢の人々が肩を寄せ合い、お互いを気にしながら絶えず緊張して暮らしている。
 
日本人にとっては「お風呂や温泉でゆったりする事が唯一の寛ぎの手段だった」、と皮肉りたくもなる。
 
 
子供の時から周囲の価値基準で行動する様に条件付けされていると、本当は何を自分が望んでいるのかすら、分からなくなる。
 
私は学生時代に弁護士になりたいと望んだ。
 
その為に、法律を一生懸命に勉強したのだが、少しも面白くなかった。
 
「法律の勉強が面白くないのは自分の頭が良くないから」だろうと思って、頭を良くするために坐禅を始めたのが、瞑想の動機だった。
 
瞑想して自分を良く振り返るようになって、ようやく弁護士という職業に興味はなく法律にも無関心だった事に気づいた。
 
単純に周囲の価値基準を自分の中に取り込んで、自分の望みと思い込んでいたのである。
 
「本当に自分が望んでいるものは何か?」
 
それを知る為には、「本当の自分」が誰なのかをまず知らなければならない。
 
 
だから、真我を探求して真の自分の望みを知る事こそが、本当の寛ぎへの唯一の鍵なのだ。
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そうすれば…
「温泉に入れない」
「〜にも関わらず私が在る(I AM)」
 
だから、安心して自分が自分であることにゆったりと寛げるのである。

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