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私が在れば、全ては自由

2014年5月28日(水) by キヨタカ

 アシュターヴァクラ・ギーターによれば…
 
はじめに行為を放棄し
 
それから無駄な言葉を
 
そして最期に思考そのものを捨て去り
 
今、私はここに在る
 
キヨタカによれば…
 
はじめから無駄な行為に執着し
 
それからも無駄な言葉に溺れ
 
そして最期まで思考そのものを捨てらない(^-^;
 
〜にも関わらず、今、私はここに在る
 
アシュターヴァクラ・ギーターの言葉は美しい。
 
最も純粋な聖典であり、真我実現の必読者だと言われている。
 
その言葉は、ちょうど富士山の頂上に立ちその美しさを讃える登山家の様だ。
 
今の時代の富士山は、誰だって登れる。
 
なにしろ、世界遺産に登録されたくらいだ。
 
登山道も奇麗に整備され、5合目までは車でスイスイ。
 
アシュターヴァクラ・ギータの時代は、そうはいかない。
 
太古の昔、噴火活動の活発な縄文時代だ。
 
ごく一部の選ばれた人だけが、富士山の頂上にたどり着けた。
 
そして、その美しさを讃えた。
 
讃えた者は聖者となり、ギータの様な聖典が創られた。
 
富士山の麓に住む人々が、聖者に向かって質問をする。
 
おお、師よ、
 
どうすれば無執着、智慧、自由を見いだせるのでしょう
 
どうか教えて下さい。
 
すると…ギータによれば
 
わが子よ、
 
もし自由になりたいのなら
 
感覚のもたらす毒を避けなさい
 
という答えとなる。
 
だから、自由を諦めて世俗に生きるか、自由を求めて山に登り聖人となるか、選択肢は非常に少なかった。
 
我々現代人は、非常にラッキーだヽ(´▽`)/
 
頂上の美しさを讃える聖人は、雨後の筍の如くに世界中に溢れている。
 
頂上への道も、ありとあらゆる方法がインターネットで探せる時代となった。
 
そもそも、聖人の定義自体が怪しい時代となった。
 
富士山の頂上にいれば、感覚のもたらす毒に接する機会も少ない。
 
情熱に溺れ、性欲に飲み込まれることもないだろう。
 
今の時代では、むしろ山頂ではなく世俗のど真ん中で暮らす俗人の方が成長のチャンスがある。
 
聖人俗人が、グレンとひっくり返る時代なのだ。
 
俗世間にとどまって、ロープを蛇と見間違わなければ、自由は至る所に遍在している。
 
〜にも関わらず私が在れば、全ては自由だ!

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感想」カテゴリの記事

コメント

久しぶりにこちらのブログを拝見しましたら、最初にアシュター・ヴァクラ・ギーターの文字が目に入りました。思えば、本当の自分とか、本当に正しいこととか、魂とか、探求を始めたころに、この本を買いましたが、共感は凄くしたのですが、まだマインドが悟っていませんでした。今は、私の状態そのものが、形を無くそうとするシステムに成っています。

ヨシヒラさん

 コメントありがとうございます。

>共感は凄くしたのですが、

アシュター・ヴァクラ・ギーターは、頂上の美しさを讃えていますが、頂上への登り方が書かれていません。

ぜひヨシヒラさん独自の道を、切り開いて下さい。

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