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ジュータン無しの人生

2014年5月14日(水) by キヨタカ

 もう30年くらい前の事だが、某占い師から、
 
「あなたは、足場のジュータンを剥がされるように何度もひっくり返される人生を歩むだろう。ジュータンなしに安住出来るまで…」
 
と、厳しい事を言われた。
 
当初は腹が立ったが、振り返るとその通りの人生を歩んだ。
 
仕事にしても住む家にしても、どんなに気に入っても手放さざるを得ない状況に陥ってしまう。
 
文字通り、ペロ〜ンと剥がされてしまうのだ・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
 
関係性(リレーションシップ)もその通りで、何度剥がされた事か…Dsc_0302_20100424085422_2
 
もっとも今のジュータンは例外で、
骨董品レベルになったけど…(ρ_;)
まだ続いている。
 
ジュータンに安住しない事が、長続きのコツなのだと心得ている。
 
 
人は誰もが安住出来る、「ジュータン」を求めている。
 
お金だったり、人間関係だったり、仕事だったり、家だったり…人により様々なものが。
 
そうしたジュータンが全て引き剥がされて、「今」という何も無いスペースに寛ぐ時、本当の「安住」が起こる。
 
それこそが、禅で言う
 
「まさに無所住にして、その心を生ずべし」(金剛経)
 
禅の六祖慧能(えのう)は、このお経を通りがかりに聞いて悟ったとか…
 
それはともかく、ジュータンという住する所が無いので、とらわれがない。
 
だから心は自由自在、臨機応変に対応出来る。
 
ジュータンがない…にも関わらず「私が在る(I AM)」という事だ。
 
 
キリストは、この不動の「I AM」を、岩に例えた。
 
「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。
岩を土台としていたからである。
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
 (マタイによる福音書7章24~29節)
 
キリストの言葉は、完全に誤解されてしまったけれども…
 
唯一不動の「私が在る/I AM」に立脚した、ジュータン無しの人生を、融通無碍に満喫したいものである。

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コメント

本来形のない不動の「I AM]が、形として現れている。

ジュータンは、ジョーダンだったという訳ですね(笑)

マエビさん

 自分が求めている「ジュータン」が「ジョーダン」だったと解ると、人生は遊びに満ちたものになりますね♪

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