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2014年6月

「ほんもの」の人生

2014年6月30日(月) by キヨタカ

 昨晩、修善寺に戻った。
 
久しぶりに東京に数日滞在したので、都会の喧噪がそれなりに楽しかったけれども…
 
やはり緑がある生活に戻ると、自然に寛ぎが起こる。
 
「都会での生活は大変だな〜」とつくづく思う。
 
今回の新宿イベントでは、皆さんにとても喜んで頂いた。
 
しかし、「自然と共にある寛ぎ」は、私がどう努力してもそれをわかち合えない。
 
様々な事情があるけれども、もう少しこの伊豆の自然の素晴らしさを皆さんに分かち合う方向を探りたい。
 
 
今回の個人セッションでは、「なんとなく申し込んだ」という方が来てくれた。
 
ちょっと茫洋とした感じで、別段問題や質問がある訳でもない。
 
なんだか「生きている事自体が退屈」という感じだった。
 
しかしお話を伺っている内に、退屈さの背後にある「本物を求める魂の渇望」に触れる事が出来た。
 
そこで、さりげなくその事を指摘したら…
 
とたんにオーラが輝き出して、みるみる変容が起こり始めて感動した。
 
 
翌日、素敵な感想のメールを頂いた。
 
『昨日のセッション、ありがとうございました。
 
とても心に響くものがあり、また今の自分にまさにタイムリーであり、ほんとうに大切な時間となりました。
 
すでに「ほんもの」へのシフトが心身ともに始まっています。
 
感情が深いところから出てきて、感性が変わってきているような気がします。
 
まだ半日しか時間は経ってませんが…。』
 
 
意識とは、ちょうど鏡のようなもの。Vjynjhe5wgx4f1w_l8cql_58
 
自分という意識の鏡が緊張状態にあると、映し出される世界も緊張して見える。
 
退屈状態だと、世界も退屈している。
 
そして意識の鏡が目覚めると、世界も目覚め始めるw(゚o゚)w
 
だから自分が「ほんもの」になると、世界中に「ほんもの」が溢れている事に気づく。
 
そうすれば退屈な日常から抜け出して、「ほんもの」を求めたエキサイティングな冒険の旅が始まる!
 
どうぞ、「ほんもの」の人生を贅沢に味わって下さい!

有り難う♡

2014年6月29日(日) by キヨタカ

 無事に全ての新宿イベントが終了しました。
 
ナイトイベント及び個人セッションに参加して下さった皆さん、本当に有り難う!
 
一年間ギャップを置いた事で、様々な事がクリヤーになりました。
 
自分がどの様に意識の目覚めに貢献出来るのかについて、新たな洞察がありました。
 
また意識が目覚める上で、何が障害になっているのか、今は相手の事が良く見える様になりました。
 
それらは、かつて私自身が同じように苦しんだ事だったからです。
 
そこへ至る最短ルートを知る事が出来れば、私の様に60年間彷徨する必要はありません。
 
過去に戻って、「この道を辿ると最短ルートでとても楽だよ!」と自分に言えると最高なのですが…
 
今更過去には戻れません(ρ_;)
 
でも新たに道を歩み始めた探求者に、「そ〜っと耳打ち」する事は出来ます。
 
今回の体験を、これからのワークに役立てるのが楽しみです(*^-^)

意識進化のラッシュ

2014年6月27日(金) by キヨタカ

 イベントの為、新宿に滞在中。

Img_0677一年振りの新宿だが、新しい建物がどんどん建っていて驚く。

新宿文化センター付近のホテルから、写真を撮った。

手前の茶色い建物が、瞑想会会場の文化センター。

後ろのビル群は、昨年オープンした商業施設とマンション群。

人口減少が叫ばれる日本において、相変わらず建設ラッシュとは┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

外側の発展はもういいから、それにふさわしい内的意識の進化が急務。

意識進化のラッシュが起こるように…

微力ながら、全力を尽します(* ̄0 ̄)ノ

誕生日

2014年6月26日(木) by キヨタカ

 今日は私の60回目の誕生日ヽ(´▽`)/
 
よくもま〜、無事にここまで生きてこられたものだ!Whitelotus_2756208
 
年齢を重ねると、あちこち身体の調子が悪くなるのは仕方ないと思っていたが…
 
私の場合、おかげ様で今が一番調子が良い。
 
長年瞑想に関わって来た御陰で、心身の不調に関わるカルマが浄化された御陰だと思っていたのだが…
 
 
最近とんでもない事に気づいた。
 
もともと私の場合、抱えている問題はとても少なかった!
 
しかし問題のない所に問題を見つけるのが得意で、架空の問題を作って悩み続けていた。
 
そして、その解決策を知っている人が他にいると思い込んでいた。
 
それがほぼ唯一の問題だったようだ。
 
 
だから問題を作るのを止めたら、当然解決すべき問題も起こらないので、毎日が楽しい。
 
心身共に絶好調だが、慢心しない様にしたい。
 
気づきと寛ぎを保ちつつ、ハートの感性の赴くままに生きたい。
 
 
今から、新宿のイベントの為に、車で出発。
 
イベント中は元気が満ち溢れてしまい、身体能力の限界を超えてしまう事がある。
 
少々セーブしながら、淡々と対処したいと思っている。

永劫回帰

2014年6月25日(水) by キヨタカ

 明日で還暦だから、今日が50代最期の日。
 
若い時は、「よりよい明日を迎えるために、今日一日を頑張ろう」としたけれど…
 
「人生最期の日」が、今日であっても不思議ではない歳だ。
 
明日のためではなく、今日が今日として充実した一日でありたい。
 
 
「永劫回帰」という思想がある。
 
人生はエンドレス・カセットテープの様に、「今日一日が無限に繰り返す」と考えるのだとか…
 
一日が「一回生の連続」だったら、過去や未来は意味を失う。
 
すると、「善行を積んで天国へ」とか「良いカルマを積んで、素敵な来世を」とか言う、通俗的な宗教概念が吹き飛んでしまう。
 
ドイツの哲学者ニーチェは、「神は死んだ!」と高らかに宣言した。
 
この思想は、人類は進化する事を前提にした進歩史観を覆す究極のニヒリズムに陥り安い。
 
しかし、ニーチェ自身は「最高の肯定の形式」だとして、「超人」を人類の理想としている。
 
突き詰めて考えると非常にややこしくて、気が狂いそうになる。
 
じっさい、ニーチェは気が狂ってしまった(ρ_;)
 
 
ところが、誰もが笑いながら「永劫回帰」を考察し自己の中に眠っている「超人」を一瞥できる映画がある。
 
それが、コメディ映画:「恋はデジャ・ブ/Groundhog Day」513qqtja8bl_sl300_
 
古い映画だけれども、実は非常に奥深い内容だった。
 
昨日、20年振りに見直して初めてその事を知って驚いている。
 
内容は、ビル・マーレイ主演の恋愛コメディ。
 
『超常現象によって閉じた時間の中に取り残され、田舎町の退屈な祭事の日を際限なく繰り返すことになった男性が、己の高慢で自己中心的な性格を改めて恋を成就させるまでを描く。』
 
当時は、単なる娯楽映画だと思い込んでいた。
 
なんたる不覚_| ̄|○
 
実は、精神世界に遊ぶ人必見の映画だ!
 
 
今日という一日は、平凡な毎日の繰り返しではない。
 
一瞬一瞬に愛を込めて、気づきと寛ぎを保って生きる。
 
ツァラトゥストラが最期にたどり着いた「超人」の境地とは、実はその事でないか!
 
ニーチェは、ツァラトゥストラにそうだとはダイレクトに語らせていないが…
 
「『私が在る(I AM)』という意識は、実はこの『超人』をも包含する優れものなのだ!」
 
と、キヨタカはかく語りき(* ̄0 ̄)ノ
 
もしもあなたが自分に対して自信が持てず、怠惰な日常生活を送っていたら、
ぜひこの映画を見ると良い。
 
退屈な日常を、愛と喜びと冒険に満ちたワクワクドキドキの一日へ変貌させるヒントが詰まっている。
 
さらに自己の中に眠っている「私が在る(I AM)」に触れたいなら、
 
下記(↓)の音楽を聞くと、あなたに内在する「超人」が復活するかも知れません。
 
それでもダメなら…
 
 
↓「超人」復活のイベントがあります。
 
 

自信を持つ

2014年6月24日(火) by キヨタカ

フーマンと最初にハワイで会ったのは、2001年の7月だった。
 
13年も前の事だが、つい先日のような気もする。
 
色々とサジェスチョンを受けたけれども、一番多かったのが…
 
「自信を持ちなさい!」という事。
 
「恩寵の扉が開くまで」をパラパラめくってみたら、「自信を持て」という言葉が30カ所以上あるw(゚o゚)w 
 
しかしいくら悟った人から「自信を持て!」と言われても、自信が持てるようになるわけではない。
 
過去を振り返っても、思い出すのは失敗ばかり(ρ_;)
 
だからあの頃は…
 
「自分はダメだ。自分には出来ない。」と言うのが、口癖だった。
 
フーマンから「エンパワーメント」を教えなさいと言われても…
 
自分の中に「物事を実現する力」がある事を信じられない。
 
そんな私が、「エンパワーメント」を教えられるわけがなかった。 
 
 
しかし今では、「思いが現実化」するのは当たり前の事実だと思う。
 
本当の自信とは、「ただ自分が自分である」事に100%O.Kしている状態からもたらされる。
 
そして、「自分がただ自分である事」は、純粋な喜びでもある。
 
この喜びに溢れた状態で物事に取り組めば、ひとりでに上手く行く。
 
だから、今はことさら自信に働きかける必要もない。
 
「ただ自分が自分である」状態が、ごく普通だから…
 
 
今になって過去を振り返ってみると…
 
かなり成功体験を積み重ねて来たと思えるのが、実に奇妙だ。
 
以前は、「失敗体験」ばかりだったのに…
 
今では、「成功体験」の方が懐かしく思い出せる。
 
過去に起こった事実は変えられない。
 
しかし、過去の事実に対する評価は、180度変える事が出来る。
 
だから過去に起こった様々な体験を、「失敗」から「成功」へ評価し直す事で、自信を取り戻す事が可能ではないかと思う。
 
 
自信のない人が過去を振り返っても、当然「失敗体験」の方ばかりに意識が向くだろう。
 
どうやったら、自信のない人の中にある「成功体験」という宝の山を掘り起こすことが出来るのか…
 
現在、新たな試みに挑戦中!
 
 
↓自信を持ちたい方へ
 
 

天国と地獄

2014年6月23日(月) by キヨタカ

 自分はこの世界の中で…
 
「生きているのか?」
 
それとも
 
「生かされているのか?」
 
どちらを選ぶかは、その人次第。
 
 
「生きている」と思うと、大変だろう。
 
なにしろ、この世を生き抜かねばならない。
 
過酷な生存競争が待ち受けている。
 
やがて人生の最期を迎えた時、苦しいはず。
 
自分の意志に反して、呼吸が途絶えてしまうのだから…
 
その人の人生は地獄に違いない。
 
 
「生かされている」と思えれば、人生は楽だ。
 
自分に命を吹き込んでくれる、大生命にお任せする。
 
すると大いなる存在が、あるべき人生へと導いてくれる。
 
やがて人生の最期を迎えたら…
 
「ああ楽しい人生だった♪」と、
 
ルンルン気分で、元の場所に戻れば良い。
 
その人の人生は天国だ。
 
 
私は、天国行きの人生を選びたいのだが…
 
「艱難辛苦汝を玉にす」
(かんなんしんくなんじをたまにす)
 
という言葉もある。
 
“人は多くの困難を経験して、はじめて立派な人物になる”
 
という意味だ。
 
歴史上人類に貢献してきた偉大な人物を、
誰でも良いから紐解いて見ると…
 
多くの偉人達が、それなりの「艱難辛苦」を味わっているのを知り驚くヾ(*゚A`)ノ
 
「生きている」事から「生かされている」事へ目覚めが起こるには、理屈を超えた衝撃が必要なのだろう。
 
「艱難辛苦」とは、実は地獄から天国へ人生観を一大変革へと導いてくれる、有り難いお誘いだ。
 
そこから逃げずに乗り越える事で、より豊かで味わい深い人生となるのだろう。
 
 
↓天国の人生を歩みたい方へ
 

萬城の滝

2014年6月22日(日) by キヨタカ

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 久しぶりに「萬城の滝」へ行く。
 
伊豆の滝としては「浄蓮の滝」の方が有名だが、観光スポットとして賑わい過ぎ。
 
ここは訪れる人も少ないので、とても瞑想的な雰囲気が保たれている。 
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ただここに居るだけで、ビーイングが深まる。
 
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小雨が降る中で滝の轟音や水しぶきが顔に当たる感覚…
 
 
周囲の木々の緑の色や土の匂いなどが圧倒的に迫って来る。
 
 
 
思考が全く働かなくなって、過去の記憶や未来への想いが完全に消し飛んでしまった。
 
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「・・・・・・・・・・・・」
 
「もう日誌は書けない(ρ_;)」
 
 
 
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そんな感じだったけれど…
 
家に帰ってパソコンに向かったら、ちゃんと文章が書けてよかった(*^-^)
 
↓ただここに来るだけで、ビーイングが深まります(*^-^)
 

名人伝

2014年6月21日(土) by キヨタカ

「学ぶ」の語源は、「真似ぶ(まねぶ)」だという。

何かを学ぶには、最初は真似る事が一番。

その道の名人から学ぶと、上達も早い。

しかし、私たちには手の届かない境地に遊ぶ名人もいる。

どうせ学ぶなら、「真似ぶ(まねぶ)」事の出来る名人芸をものにしたい。

 
 中島敦の小説に「名人伝」というのがある。132910962387613110753_e17532a5
 
中国は戦国時代のストーリーだ。
 
天下一の弓の名人になる事を志した紀昌(きしょう)は、過酷な修行の結果、シラミの心臓を射抜けるほどの腕前になる。
 
夫婦喧嘩の際には、なんと早業で妻のまつ毛を射切ったとかw(゚o゚)w
 
しかも妻は射られたことに気づかず、悪態をつき続けていいたと言う(^-^; 
 
師匠の地位を脅かす腕前になった紀昌(きしょう)は、遂に弓の仙人から学ぶ事になる。
 
仙人の前で、飛んでいる渡り鳥を射落とすと…
 
仙人曰く
 
「それは所詮、『射之射(しゃのしゃ)』というもの、
お前はいまだ『不射之射(ふしゃのしゃ)』を知らない。」
 
と、一喝される。
 
そして足元がぐらつく絶壁の上に立ち、見えざる矢を無形の弓につがえ、ひょうと放った。
 
今風に言うと、「エア・アーチェリー」だ!
 
するとトンビが羽ばたきもせず、一直線に落ちてきたとか\(;゚∇゚)/
 
道の深淵さを示す極限のエピソードではあるが、この名人の境地は我々には学べない。
 
 
一方こちらは、インドのお話。
 
OSHOから聞いた話しなので、単なる創作かもしれない。
 
しかし非常に実践的だ!
 
昔々インドのある所に、弓の大好きな王様がいた。
 
国中の弓の名人を呼び寄せて、弓の鍛錬に余念がない。
 
地方視察の旅に出た王様は、ある森の中を通り抜けようとして驚いた。
 
ありとあらゆる場所に的が描かれていて、ことごとく矢が命中しているではないか。
 
絶対にあり得ないような的も、ど真ん中を貫通!
 
さっそくこの弓の名人を探し出し、その秘訣を尋ねると…
 
「的に矢を放つのではなく、矢が射抜いた所に的を描くのです!」
 
 
この弓の名人の技は、我々も即学ぶ事が出来る。
 
私の人生は、最近思い通りになっている。
 
その秘訣は、起こった結果の方に的を描くから…。
 
どんなに予期しない出来事が起こっても、決して…
 
「思ってみない結果になった(。>0<。)」
 などとは、嘆かない。
 
「なるほど、これこそ私が本当に思っていた事だったのだな!」
 
と、今起こっている結果に大きな○を描く。
 
そうすれば…
 
全てヽ(´▽`)/は上手く行く♪
 
決して外れのない、「大当たり」の人生街道を歩めるのである。
 
 
 
↓弓の名人になりたい方に、イベントがあります。
 
大当たりの、イベントになるでしょう!
 
 

タック

2014年6月20日(金) by キヨタカ

スピンネーカーは、追い風の時に掲げる帆だ。
 
しかし逆風の場合はというと…逆風でもヨットはセールを操り目的地に向かえる。
 
帆に作用する揚力を使い、最大45度の角度で風上に上れるのだ。
 
それが、セーリングの面白いところ。
 
初めてヨットに乗った時 「逆風でも目的地に行ける」と聞いて、驚いたヾ(*゚A`)ノ

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もちろん、ダイレクトに目的地に到達するわけではない。
 
風上側に方向転換(タックと言う)をしながら、ジグザグに進む。
 
すると、首尾よくゴールするのだ。
 
 
「人生で必要なことは、全て○×で学んだ」系の書籍がブームとなった事がある。
 
私の場合…
 
「人生で必要なことは、全てセーリングで学んだ」
 
それまで、人生に逆風が吹いた時は運命に翻弄さるばかりだったのだが…
 
セーリングに親しむ事で、私の人生が大きくシフトし始めた。
 
逆風に逆らわず、その力を利用して前に進むのだ。
 
逆風でも強く吹けば吹くほど、推進力も強まる。
 
そして時々、タックする。
 
セーリング中にタックすると、船の反対側に身を置く事になる。
 
すると、周囲の景色が一変する。
 
同じように、人生でタックすると、それまで見えていたものが一変する。
 
しかし、目的地は失わない。
 
すると、望む方向への新たな道筋が見えてくる。
 
 
瞑想では、「手放す」とか「無為自然」とか「目的なし」とかが強調される。
 
それは瞑想の「往相」であり「陰」の部分だ。
 
自我を手放して真我へ向かう為に、絶対に必要だろう。
 
 しかし、真我を現実社会で生きるには、正反対の原理も必要だ。
 
瞑想の、「還相」であり「陽」の部分だ。
 
 
東洋では、瞑想の「往相」のみが強調され過ぎた傾向がある。
 

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そうした瞑想家は、人生に逆風が吹くと「現象世界は全て幻想」と悟り澄まして、引き蘢る傾向が強い。
 
和船は、江戸時代前半まで風上に登る技術を持たなかったと言う。
 
東洋流の「無為自然」の思想がにじみ出ている様で面白い。
 
 
西洋では、遥か昔から風上に向かう技術を持っていた。
 
西洋流の暴力的アグレッシブさはご免だけれども、かれらの積極的な創意工夫から学べる事も多い。
 
ヨットとサーフィンを組み合わせて、ウィンドサーフィンを発明したり、凧(カイト)と組み合わせてカイトサーフィンを作ったり…
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遊びの世界も、 創造性に満ちている。
 
日本オリジナルのはずだった「忍法ムササビの術」も…
 
遂にウィングスーツというスポーツになってしまった。
 
我々も、人生の逆風を積極的に利用して、タックしながら望む人生を創造しよう!
 
私も「ムササビの術」を独自に応用して、未知の世界へ飛翔するぞ(*゚▽゚)ノ
 
 
↓逆風の使い方を知りたい方へ、イベントがあります。
 
人生のタックが起こるかも…
 
 

スピンネーカー

2014年6月19日(木) by キヨタカ

「 私が在る(I AM)」は、五感とは関係ない。
 
目や耳が不自由でも、魂が減るわけではない。
 
しかし逆に五感を通して、その背後にある魂が目覚める事は大いにあり得る。
 
私の場合、素晴らしい音楽に接することでダイレクトに魂の領域に触れやすい。
 
だから、瞑想会では音楽が欠かせない。
 
 
新宿の瞑想会では、毎回ポータブルオーディオを持ち込んでいた。
 
しかし、残念ながら音がイマイチ。
 
そこで、本格的なステレオコンポを持ち込んだ事もある。
 
今度は、重くて大変(;ω;)
 
だから今回のイベントでは、ステレオコンポの持ち込みは諦めた。
 
音の悪さは、私の在り方とジョークでカバーしようと思っていたのだが…
 
 
先日、ビッグカメラでとんでもない革新的新製品を発見!
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衝動買いをしてしまった。
 
それが右の写真。
(真ん中のお椀はワイヤレス・リモコン)
 
アンプ内蔵型のブルートゥーススピーカーで、価格はなんと2万4千8百円!
 
iPhoneから音を飛ばせるが、音質は20万円くらいの高級オーディオと変わらない。
 
部屋にあるステレオより、音が良く聞こえる・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
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独特のフォルムは、ヨットのスピンネーカー(追い風用の帆)をイメージしたもの。
 
フィル・ジョーンズという天才的音響エンジニアの設計だとか…。
 
 エディファイアー社は、中国とカナダに拠点を置くインターナショナルな新進気鋭のオーディオメーカーらしい。
 
私は日本好きで日本のメーカーにもかなりこだわって来たが…何処の国の誰が作ったものであれ、良いものは良い。
 
パナソニックのポータブルオーディオは、即お蔵入りとなってしまった(ρ_;)
 
 
iPhoneや今回のスピンネーカーなどに触れるたび、21世紀を実感する。
 
古いものが去り、新しいものが来るのは歴史の必然。
 
瞑想もまた然り。
 
私が探求して来た瞑想の歴史は、残念ながら20世紀型だった。
 
20世紀の時代を生きた人間だから、そうでしかあり得なかったのだが…
 
古い教えに感謝して手放そう。
 
時代は今、21世紀の真っ只中!
 
新しい時代の追い風を受けて、新たな帆を高々と掲げる時がやって来た。
 
 
↓新宿瞑想会には、スピンネーカーを持ち込むので、よろしく!
 

植木と会話する

2014年6月18日(水) by キヨタカ

 母の肺炎がほぼ完治、一昨日修善寺に戻った。

昨日から今朝にかけて、Aさんと一緒に庭の手入れに精を出す。

庭は、リトリートの直前にボランティア・スタッフと一緒にケアしている。

しかし夏場は雑草の勢いが強過ぎて、それだけでは間に合わない。

そこで、Aさんが手伝いに来てくれたのだ。

 

元庭師だけあって、その手際は実に見事w(゚o゚)w

剪定のやり方を聞いてみたけど、私にはちょっと無理かも( ̄Д ̄;;

なにしろ、「植木と会話する」というものだから…

「この枝は切ってもO.Kだよネ」とか、

「この枝は切らずに置くから、来年はこちらの方向へ伸びてネ」等々。

すると、ちゃんと言う事を聞いてくれるそうだ。

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さすが長年瞑想しているだけある。

小鳥と会話出来た聖フランチェスコの境地かも…(^-^;

庭師の奥義だ!

私の場合は、やたらと草刈り機を振り回してしまう。

夏場の雑草に対峙すると、殺しても死なないエイリアンを討伐している気分になるのだ。

「植木と会話する」という繊細さを、学ばねばなるまい。

 

自然をよく観察すると、秘められた知性に気づき驚かされる事が多い。

ハートを開いてチューニングをすれば、動植物との会話も可能だろう。

以前、「ちいちゃん」というネコを飼っていた事がある。

最初の頃は、犬よりも人間の言う事を聞かないので、ネコは知性が低いと思っていた。

ところがある時、それはとんでもない誤りだった事に気づいた。

ネコと人間とでは、「関心の対象」が違うに過ぎなかったのだ。

そしてネコの関心に注意を払う様になったら、コミュニケーションが取れ始めた!

最後の1年程は、ちぃいちゃんとかなり会話が出来るようになった(*^-^)

 

もし繊細なハートが充分に開いたら、動植物だけでなく石ころなど無生物とも会話が出来る筈だ。 

アジズとフーマンは、生い立ちやルックスから教えのスタイルまでことごとく対照的だったが、共通の趣味があった。

どちらも、大のクリスタル愛好家だ。

2人がクリスタルの話しをすると熱を帯びて、あたかも恋人の話しをするように夢中になるのが可笑しかった。

ある時、フーマンに特大のクリスタルを見せた事がある。

クリスタル専門店の友人から手に入れた、自慢の逸品だ。

市場価格は、数十万円するはず。

フーマンに評価してもらったところ…

「彼女はまだ若い処女のようだ。無理に大地から引き剥がされて、悲しんでいる」

と、思いがけないコメントが帰って来た。

それから長いこと部屋の片隅に飾っていたが、なんとなくシックリこなかった。

その後ちぃいちゃんが亡くなった時、お墓を作った。

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石碑でも立てようと思ったが、ふとフーマンのコメントを思い起こした。

そこで、クリスタルをお墓に添える事にした。

「ネコに小判、ちいちゃんにクリスタル」

と、人は笑うかも知れない。

しかし彼女は、久しぶりに大地に帰る事が出来たのだ。

きっと喜んでいると思うのだが…( ̄Д ̄;;

まだ上手くクリスタルとコミュニケーション出来ないので、彼女の本音は謎のままだ。

 

↓存在と会話したい方へ、イベントがあります。

スペシャル・ナイトイベント受付中!

666

2014年6月16日(月) by キヨタカ 

母の肺炎治療のため、再び実家へ。

東京での用事もあり、今回は電車を利用。

病院や美容院や買い物等に連れて行くため、今回はレンタカーにした。

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ところで車のナンバーをみたら、「666」の数字がshock

オカルト好きの間では有名な、「獣の数字」だ。

新約聖書のヨハネ黙示録によれば…

「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である」。(13章18節)

西洋では「悪魔」を意味する数字として、古来より忌み嫌われているとか…

 

西洋文明では、全ての事象を「2元対立的」に捉える。

善vs悪、神様vs悪魔、人vs獣、勝利vs敗北、生vs死、etc…

そして善を選び悪を排除する。

高校時代に西洋史を学んで、戦争の多さに驚いた。

キリストは「汝の敵を愛せ」と言い、モーゼの十戒には「汝人を殺すなかれ」とある。

しかし実際には「大量殺戮の歴史」と言えるほど、血まみれだ。

すごく不思議に思って先生に尋ねたら、軽くあしらわれてしまった。

受験勉強には関係ない事だからだ。

ずっと後になって、映画「十戒」を見てようやく納得。

あの映画ではモーゼ自身が、神(ヤーヴェ)に従わない同胞に怒り狂い虐殺している。

自分たちの神に反する者は悪魔だから、人間に値しない。

「獣と同じだから、殺すのが正義」という論理だ。

そして自分達こそ正義と信じ込み、お互いに同じ神の名の下に殺戮を繰り広げて来た。

 

 もうそろそろ人類は、こうした2元対立的思考から自由になる時だ。

そもそも西洋流のマインドの論理構造自体が、2元対立的だ。

だから、マインドから自由になる時節が到来した、とも言える。

666とは「獣の数字」と言うが、「獣」を忌み嫌う必要はない。

実は人間よりも動物の方が、遥かに純粋で無垢だ。

人間とは、「獣」から「神」への進化の途上にある存在だと、言われている。

「獣」は非常にワイルドで自然と一体で、とてつもないパワーを秘めている。

人間の中に潜む「獣」を排除せず正しく受け入れたら、そのエネルギーは人間を神聖な次元へと飛翔させるだろう。

そうすれば、666は「獣」ではなく「神」の数字となる。

つまり「666」とは、3つの6で「ミロク」…

「弥勒降臨」のシンボルなのだ(* ̄0 ̄)ノ

 「あ〜今日もラッキーな一日が始まる!」

そう感じて、ルンルン気分でドライブを楽しんでいる♪

 

↓666の意味をさらに体験的に知りたい方へ、イベントがあります。

スペシャル・ナイトイベント受付中!

想定の『逆転』法則

2014年6月15日(日) by キヨタカ

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「想定の法則」というものがある。
 
いわゆる成功哲学で紹介されている有名な概念で、戦前からあるらしい。
 
最近読んだ本(右参照)によると、「古代ユダヤの宇宙の法則」であり、「I AM」に由来するとか。
 
「I AM」とは、旧約聖書の中で神がモーゼに顕現した時に名乗った名前だから、神様直伝のパワフルな法則らしい。
 
やり方は非常に簡単。
 
自分が願う未来を「想定」し、想像力を使い、それが既に実現しているという気持ちで行動する。
 
例えばお金持ちになりたかったら、既にお金持ちであるかのように行動すれば、実際にお金持ちになると言う。
 
もう少し詳しく説明すると、
 
貧乏人は、「I AM Poor」と思い込んでいる。
 
だから未来のなりたい自分を想定し、「I AM Rich」と思い込む。
 
そして、お金持ちだという気持ちで行動すれば良い。
 
そうすれば現実に、I AM Poor ⇒I AM Rich になる。
 
 
まだ青年だった頃、この話しを誰かに聞いて感銘を受けた私はさっそく実行した。
 
なけなしのお金をはいて、豪華なホテルへ泊まって贅沢な食事をしたり…
 
しかし、とても居心地が悪かった(;;;´Д`)
 
身分不相応の贅沢をしているというプレッシャーは、半端じゃない。
 
さらに結果は最悪で、サイフの中身はすっからかん。
 
継続するは困難で、早々にギブアップ(ρ_;)
 
想定するものが何であれ(「金持ち」とか「ノルマ達成」とか「願う彼女をゲット」とか)
それはフィクションであり、今ある真実ではない。
 
よほど思い込みの強い人でないと、実践するのは難しいだろう。
 
 
ところが最近、私にとって非常に有効な法則を発見した。
 
名付けて:想定の『逆転』法則
 
従来の想定の法則は、I AMの対象物である「Poor」とか「Rich」に意識が向いている。
 
この法則では、それを『逆転』させる。
 
そして、主体としてのI AM を想定する。
 
この I AMは、唯一の今ある真実であり、いつでも何処でも変わらない。
 
つまり、貧乏でもお金持ちでも、「I AM/私が在る 」に変化はない。
 
 I AM Poor ⇄ I AM Rich
 
他の想定は、全て未来に属するからフィクションだ。
 
I AMのみが今実在する真理であり、想定としてフィクションを持ち込む必要がない。
 
そしてI AM にいれば…
 
願いがかなった結果得られるものを、今直ちに手に入れる事が出来る。
 
 
お金持ちになれば、幸せが手に入るかもしれない。
 
しかし、お金持ちになっても、必ず幸せになれるわけではない。
 
ところがw(゚o゚)w
 
I AMにいれば、必ず幸せだ(*^-^)
 
しかも、たった今、ここで!
 
なぜなら、究極の幸せは、I AMに属するからだ。
 
至福に満ちていること/寛いでいること/全てうまく行っていること/満たされていること/知っていること/ひとつであること/ゆだねること/自信に溢れることetc…
 
I AMに属するものは、全て手に入る。
 
だから、I AMこそ、唯一想定に値する真実なのだ。
 
本当は、想定すら必要ないのだが…
 
6月27日は、イベントを想定しました。

オーケストラ

2014年6月14日(土) by キヨタカ

 映画:「オーケストラ(仏)」を、鑑賞。

レンタル・ダウンロードだが、品質はDVD並み。

便利になったものだ。

コメディ映画だが、便利ついでに内容をネットからコピペしよう。

『ロシアのボリショイ劇場で清掃員として働くアンドレイは、かつては天才指揮者として知られていたが、共産主義政府によるユダヤ人排斥政策に従わなかったため、30年前に楽団を追われた過去を持っていた。

そんな彼はある日、パリの劇場がキャンセルした楽団の代わりとなるオーケストラを探しているという情報を得る。

音楽界復帰のチャンスと思った彼は、追放されていたかつての楽団員たちを集め、『ボリショイ交響楽団』になりすまして、パリにいくことを計画する。』

 

フランス映画なので、少し品のあるドタバタ喜劇風に物語が進行する。

「ちょっとあり得ないよな!」

と思いつつも、ストーリーに引き込まれる。

しかし、最後は予想外の感動的な盛り上がり。

さまざまな謎が、コンサートの中で大団円となって明らかにされていく。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏が見事だ。

ヒロインはプロの演奏家に違いないと錯覚してしまった(^-^;

久々に『魂が震える』感覚を音楽で味わった。

 

子供の頃は音楽が大好きで、子供オーケストラとかブラスバンド部に所属。

たま〜に全員がピタリと調和して演奏が出来た時なんかは、奇跡が起こったような気がして『魂が震た』ものだ。

映画で主人公が語っている。

『オーケストラは一つの世界だ。

世界なんだよ。

皆 一つの楽器と才能を携えて来る。

コンサートのため団結し 一緒に演奏する

魔法の音とハーモニーを生み出そうと…』

この映画に登場するオーケストラは全員が元超一流のプロ。

しかし30年のブランクですっかり『魂の震え』を忘れてしまっている。

だから、演奏の出だしはバラバラでハーモニーが生まれない。

〜にも関わらずメラニー・ロラン扮するソリストが魂を込めた演奏をする。

するとそれが楽団員に伝わり、感動的なハーモニーを呼び起こすw(゚o゚)w

 

この映画は、私たちに希望を与えてくれる。

世界はオーケストラだ。

皆 一つの楽器と才能を携えてこの世に来る

残念ながら、なぜこの世に来たのかをすっかり忘れてしまい…

せっかく与えられた才能もお蔵入り(ρ_;)

だから、バラバラで不協和音が絶えない。

通常は、不協和音を出す人をなんとか変えて、ハーモニーを創りだそうとする。

「そいつらをぶっ殺せ!」と息巻く連中も多い。

しかしそれは、不可能だ。

人類の歴史を見ても、個人の歴史を振り返ってみても、明らかだ。

我々に残された唯一の可能性。

そのヒントがこの映画にある。

世界が不協和音に満ちていても…

〜にも関わらず、

本当の自分を思い起こし、才能の限りを尽くして自分のパーツを演奏する。

そうすれば、それが他の人々にも伝わる。

やがて、美しいハーモニーに溢れる世界が創造されて行くだろう。

「天国は近づいた」

思い起こす事、それが天国への鍵となる。

 

まだまだ、思い起こすチャンスはあります。

「瞑想トランスミッション」、あと一枠です!
 

 

      

マインドを止める

2014年6月13日(金) by キヨタカ

 私の名前である「AMANO」とは、「無心/ノーマインド」を意味するインドの言葉。

OSHOから授かった名前だ。

目指すは「無心の境地」とばかりに、OSHOの革新的な瞑想技法や世界最先端の様々なセラピーを可能な限り受けまくった。

もう30年近く前の話しだ。

 

けれども、止めようとすればする程、マインドは騒々しくなる。

そこで、サントッシュという私が敬愛していたセラピストに助けを求めた。

ノーマインドの秘訣を尋ねたら…

「あなたのやっている事は、両手を羽ばたいて空を飛ぼうとしているようなものだ!」

と言われた。

「マインドは、スイッチが壊れたテレビだ。消そうと思っても消えない。20140613_74820

だからテレビから離れて、隣の部屋へ行きなさい。

そうすれば、テレビの騒音が気にならなくなる。」

当時の私に対しては、ベストのサジェスチョンだった。

 

最近になって…

ようやマインドというくテレビのスイッチに手が届くようになった。

だから、つまらない番組なら、簡単に消せる。

面白い番組だと、つい夢中になってしまうが ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

まあ、いいか…。

やり方は、とても簡単だ。

思考は全て、始まりがあり終わりがある。

その背後にある、始まりも終わりもないバックグラウンドがスイッチだ。

そこを「ポン」と押せば、うるさいマインドも「プチッ!」と消え去る。

 

コツは、マインドと戦わない事。

うるさいテレビと戦って、どんなに怒鳴っても叩いても効果はない。

まず、うるさいテレビの前で、あるがままの状態にリラックスする事。

そうすると、その背後にあるスイッチが自ずと明らかになる。

そこですかさず「ポン」と押せば、「プチッ!」と消える(*^-^)

ぜひトライして下さい。

 

スイッチの使い方がよく分からない方は、教わるチャンスもあります。

「瞑想トランスミッション」、あと一枠です!
 


母の贈り物

2014年6月11日(水) by キヨタカ

 予定通り修善寺に戻れて、ほっと一息。
 
一週間前に、母が軽い肺炎になった。
 
点滴治療のため一日2回病院へ。
 
初期症状という事で数日で治る予定なのに、なかなか熱が下がらない。
 
修善寺に戻るのを半ば諦めかけていたが、今朝になってようやく回復した。
 
高齢のため身体の抵抗力が弱まっているのを、今回痛切に感じた。
 
 
人も犬も猫も草木も…地球や太陽だって、森羅万象は全て必ず老いて行く。
 
しかし私たちは「生・老・病・死」という誰もがいつかは直面せざるを得ない事実に、
なかなか向き合おうとしない。
 
特に身体が元気な人ほど、その傾向があるかも知れない。
 
私なんかも還暦なのに、つい先日まで…
 
「なんだか120歳まで生きそうな気がする(*^-^)」
 
などと、うそぶいていた。
 
しかしこうして、徐々に老いて行く母の姿に接する事で、改めて老いと向き合う機会を与えられた。
 
 
禅では、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と言う。
 
「生・老・病・死」に直面して初めて、それを超越する道が開かれる。
 
今はもう、人生で何を最優先すべきか、迷いはない。
 
年老いた母の姿は、私の還暦記念として最高の贈り物だ(*^-^) 
 
「瞑想トランスミッション」、あと一枠です!
 
 
↓人は誰でも老いる事を教えてくれる!

夢の中で…

2014年6月10日(火)  by キヨタカ

 今朝、目覚めたら…夢の中だった。
 
「あ、これは夢だな!」
 
”夢”と自覚しながら見る夢を、”明晰夢(めいせきむ)”という。
 
ちょうどインセプション(夢を題材にした「映画」)の主人公デカプリオにでもなった感じ。
 
そこで、夢の中をじっくり探索する事にした。
 
よく観察すると、自分は河川敷にいて少し土手の内側を歩いている。
 
何の変哲もないごく普通の風景だが、見覚えはない。
 
しかしその場の雰囲気が非常にリアル。
 
雑草の生え具合のディテールとか、ほのかな草いきれが鼻に通う感覚とか…
 
「現実と同じだな〜」
 
と妙に関心した。
 
付近に建物があったので、そ〜っと近づいて部屋の中へ侵入を試みる。
 
後でサングラスを忘れた事に気づいて、部屋に慌てて取りに戻ったり(^-^;
 
全てが、本当にリアルだ!
 
 
「せっかくの夢なんだから、空を飛んでみようヽ(´▽`)/」
 
そう思い立って、さっそく実行し始めると…
 
身体がどんどん軽くなり、喜びが溢れ出す。
 
すると寝室の周囲の物音も聞こえてきて、目が覚めそうになった。
 
「もう少し、夢の中で遊びたい!」
 
そこで飛ぶのを止めてみたら、再び夢の中へどっぷり入り込み、リアリティが増して来た。
 
これを何度か繰り返し、最後に思い切り高く空へ舞い上がった所で目が覚めた。
 
 
今はすっかり目が醒めて、パソコンに向かっている。
 
Photo
ここは現実世界である事に、間違いない。 
 
…と確かに思うのだが( ̄Д ̄;;
 
 古の賢者によれば、実はこの現象世界そのものが夢だとか。
 
インドの神話では、この私とは、ブラーフマンの夢の一瞬の瞬きに過ぎないという。
Photo_2
 
しかもそのブラーフマンは、蓮の花に座っているのだが…
その蓮は、眠っているヴィジュヌの臍から咲いている。
 
つまりこの私とは、ヴィシュヌの夢の中のまた夢という事で、まさにインセプションの世界だ。
 
もしも本当にこの世界がブラーフマンの夢ならば、たんなる悪夢で終わってはつまらない。
 
「至福に従えば、宇宙はあなたのために壁でしかなかったところに扉を開くだろう。」                     
 
神話学者ジョセフ・キャンベルの名言だが、今朝初めてその真意が解った気がする。
 
これは、悪夢から醒めるための最高の技法なのだ。
 
夢の中で、空を飛ぼうと決めたら、喜びが溢れ出した。
 
そして、思い切り舞い上がった所で、夢が覚めた。
 
空を飛ぼうとしなかったら、そのままの夢がまだ延々と続いていた。
 
至福に従えば、限界という壁の扉が開き、従来の悪夢から醒める。
 
そして、新しい可能性へと羽ばたける(*^-^)
 
それもまた別の夢かも知れないが、それはもっと創造的な夢となるのだ!
 
 
ところでどんな夢を見ようとも、見ている私(ME)は変化しない。
 
あらゆる階層の夢とは関係なく、私(ME)は実在している。
 
(この実在する私とは、『 I 』ではなく、『ME』と表記した方が、感覚的に正しい感じがあるのだが…)
私(ME)こそが、魔法の鍵だ。
 
私(ME)が、至福に従う時、悪夢が終わり創造的な夢が始まる(* ̄0 ̄)ノ
 

「瞑想トランスミッション」を追加しました!
 
 

ダイジだよ

2014年6月9日(月) by キヨタカ

 6日(金)から実家に滞在中。
 
母は少し風邪気味との事だったが、翌日も熱が少しある。
 
大事をとって、病院に連れて行こうかと思ったが…
 
「ダイジだよ!」と言うで、そのままにしていた。
  (「ダイジだよ」、とはこの辺りの方言で「大丈夫だよ」、という意味)
 
今日、病院に連れて行ったら、なんと「肺炎の疑いあり」との事だった。
 
幸い入院は免れたが、朝晩病院へ通って点滴治療を受ける事に…shock
 
私の母の場合、この「ダイジだよ!」という口癖が要注意!
 
帯状疱疹になった時も、「ダイジだよ!」という一言で、発見が遅れてしまった。
 
今でも後遺症の神経痛で苦しんでいる。
 
一見ポジティブに思える、「ダイジだよ!」
 
実はその裏に、「病と直面したくない」という恐怖が隠れている。
 
 
その一方で、「心配だ、心配だ!」という口癖がある。
 
「お前には子供がいない。老後はどうするの? 心配で、心配で、眠れない!」
と口うるさく言われる。
 
「心配しても、どうもならないよ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~」
 
というと、「親が心配するのは当たり前ヽ( )`ε´( )ノ」
 
と言われるので、最近は…
 
「ダイジだよ!」
 
と言葉を返す事にしている。

あなたは誰ですか?

2014年6月8日(日) by キヨタカ

 一昨日より、再び実家に滞在中。

ヨガビと、子供時代に育った環境が及ぼす影響について話し合ったのだが…

「キヨタカほど恵まれた環境で育った人はそんなにいない… (;-_-+

と言われてしまった。

確かに、ヨガビの育った家庭環境より恵まれていたとは思う。

素直な子供だったので、何でも両親の言う事を信じてしまい、両親の影響をストレートに受けた。

母と話しをしていると、思考回路のパターンが驚く程似ている事に今更ながら気づいて、その影響力の大きさに愕然としている。w(゚o゚)w

 

しかし探求者としては、マイナスに作用した点も多い。

例えば、「答えは外側にある」という思い込みだ。

幼い頃は「両親」が、小学校に入ってからは「学校の先生」が真実を知っていると思い込んでいた。

大学に入ったら、「学者」が真実を知っていると思い込んだ。

意識的に探求を始めてからは、「覚者」が答えを知っていると信じた。

だからこそ、

「私は誰か/Who am I?」の答えを求めて、歴代の覚者に問いを発し続けたのである。

その汗と涙と長年の瞑想(迷走?)の軌跡をまとめたものが…

覚者を求めて〜恩寵の扉が開くまで外伝〜」(アルテ刊)

という訳だ。

ぜひ手に取ってほしい。

「答えは外側にある」という思い込みを外して行くプロセスが、一目瞭然!

私の瞑想の、迷走部分が良くわかる。

これを読めば、探求に費やす年数を大幅に縮小できるかも知れない。

 

あの本を出版してから、しばらくお休みモードに入っていたのだが…

還暦を期に、再び新しい旅を始めよう。

例の精神世界の必殺技:Who am I ? を再び使用するのだが…

新しい使い方となる。

それが、

Who are you?

つまり、「あなたは誰ですか?」という事だ。

あなたという「覚者を求めて」、もう一巡り人生の旅を続ける事にした。

もう一巡りすると、旅を終えるのが120歳ということに…( ̄Д ̄;;

最近、益々元気だから、なんだか120歳まで生きる気もする。

それまでに人類が滅びなければ…

しかし、例え道半ばで昇天しても、恵まれた人生であることは間違いない。

 

PS 「私は誰か?」を知りたい方へ朗報です!

瞑想トランスミッション at 新宿(6月)
  *あと1枠です
 
日程:6月26日(木) 10:00am〜
 
場所:新宿文化センター・和会議室
 
 
 翌日(27日/金)同じ場所で、ナイトイベントもあります。
 
日 時:6月27日(金) 19:00〜21:15
 
 

行動する

2014年6月7日 by キヨタカ

35年前、私は某大手企業に就職した。

最初の配属先は、非常にラッキーな事に、本社総務部の庶務課だった。
 
なぜラッキーかと言うと…
 
美人ぞろいの女性社員が一番多く配属され、新入社員憧れの部署だったから。
 
その中でも同期のTさんは良妻賢母型で、サラリーマンの妻としては理想的!
 
「つき合うならこの人だ!」、と心にきめた。
 
同期と一緒にカラオケに行くと、必ずマイクを握りしめて…
 
「きめた〜、きめた〜♪」と、熱唱したものだ。
 
 
しかし、交際は全く進展しなかった。
 
当たり前だ。
 
一度もデートに誘わなかったから…(ノ_-。)
 
いくら心にきめても、実際に「行動」しなければ、人生は変化しない。
 
4年たったある日、遂に意を決して交際を申し込んだ時は既に手遅れshock
 
「私、結婚を前提に別の人とつき合ってます(゚Д゚)ハァ?」
 
と、けんもほろろに断られたのである。
 
「好きな人に好きと素直に言えない」自分に、ほとほと嫌気がさした。
 
そして3ヶ月後に私は会社を辞め、当時オレゴンにいたOSHOの下へ旅立つ。
 
4年かかったけれども、交際を申し込むという「行動」が、その後の人生を大きく変化させたのである。
 
 
静かに座り 何もしない。
 
 春来りなば 草はひとりでに生える。
 
OSHOのお気に入りの禅言だ。
 
瞑想とはNon-Doingであり、「何もしない事」だと一般に言われている。
 
たしかにその通り。
 
しかし「何もしない」前提として、静かに座る環境を整える「行動」が必須だ。
 
「坐禅とは、ふるさと行きの列車に乗るようなものじゃ」と、沢木興道老師は言う。
 
静かに座り 何もしない。
 
とは、列車の中での話した。
 
それに先立って「ふるさと行きの列車」に乗らなければ、物事は始まらない。
 
 
世の中は、実に様々な行き先の列車で溢れている。
 
「この列車に乗れば、仕事が上手く行きますよ!」
 
「あの列車に乗れば、幸せな家庭を築けますよ!」
 
「こちらの列車に乗れば、モテモテですよ!」
 
etc...
 
いったいどの列車に乗れば、「ふるさと行き」となるのだろう?
 
それにはまず、自分がどこへ向かいたいのか、人生の行き先と優先順位をはっきりさせる必要がある。
 
「ふるさと」と言いながら、本当は女性や社会的成功やお金や健康が第一優先という人も大勢いる。
 
…少なくとも、私が瞑想世界を長年迷走した理由はそこにある。
 
 
もしも「ふるさと」へ帰る事が、本当に人生の最優先事項ならば…
 
まず、どの列車に乗るかは自分の「責任」である事を明確にする。
 
次に、ふるさとへ帰ろうと、「決断」する事だ。
 

20140607_101700_2

すると不思議なことに、「ふるさと行きの列車」が、必ずあなたの目の前に現れる。
 
これは、精神世界の鉄則だ。
 
 
そうしたら迷わず「行動」して、実際に乗り込むのだ。
 
列車の中では、静かに座り何もしないで寛いでいれば、大丈夫。
 
自動的に、列車はいつの間にかふるさとへ到着する!
 
どんなに冬が長くとも、必ず春は訪れる。
 
 
ところで、ふるさと行きの列車にいつ乗るの?
 
今でしょ!
 
今乗れない人は、6月26日(木)/27日(金)でどうでしょう?
 
PS: 下記の通り、イベントがあります!
 
    私が責任を取って楽しくリードしますので、よろしく(* ̄0 ̄)ノ
 
    既に、「ふるさと行き列車」に乗車している方も、大歓迎です♡
 
 
瞑想トランスミッション at 新宿(6月)
 
日程:6月26日(木)/27日(金)
 
場所:新宿文化センター・和会議室
 
 
 同じ場所で、ナイトイベントもあります。
 
日 時:6月27日(金) 19:00〜21:15
 
 

決断する

2014年6月6日(金) by キヨタカ

水にただよう 浮き草にD476a368e6c72a7d7a1ca5a351c58cc8
おなじさだめと 指をさす
    ー ー ー
きめた〜 きめた〜 おまえとみちづれに〜♪
 
私がサラリーマン時代に歌った、カラオケの定番の一つ。
 
特にこの「きめた〜、きめた〜♪」の決めゼリフ!
 
腹の底から声を出して、「俺は男だ!」とばかりにマイクを握りしめたものだ。
 
 
「決断する」こと、これも「男の美学」の必須条件。
 
07172219_5005667ca8d1f_2 圧倒的に不利な立場にありながら 男としての筋を通して、
 
「決断する!」
 
そして単身、果敢に敵地に乗りんで行く!
 
痺れる〜(@Д@;
 
渡 哲也とか高倉健とか、「決断力」が全身からにじみ出ている俳優は格好いい。
 
 
 
今は、草食系がもてはやされる時代だから…
 
相当な時代遅れの感性なのかもしれないが(ρ_;)
 
 
しかしこの「決断する」とは、時代も男も女も関係ない。
 
スピリチュアルな人生を送る上で、必須条件だ!
 
昔、アリゾナのリー・ロゾウィックというマスターの下で学んだ事がある。
 
ある日の講話で、弟子に対して「決断しなさい!」と促したのだが…
 
そのやり方が、とても印象深かった。
 
「decision! decision! decision! decision! decision! decision! decision! decision!…」
 
と同じ言葉を、長時間にわたってひたすら執拗に繰り返したのだ。
 
「どうしたら…と長々考える事は重要ではない」
 
「いったん決断する事で、人生はそうあるべき方向へスッ〜と流れて行く」という。
 
 
確かにどんなに本を読んでも、どんなに考えてもそのままでは先に進まない。
 
例えば、昨日「責任を取る」事に触れたけれども…
 
そんな知識は、そのままでは全く役に立たない。
 
「よし!自分の人生は自分で責任をとるぞ!」と、「決断して」初めて、次のステップが訪れるのである。
 
 
「真我」もまた同じ。
 
そのままでは、絵に描いた餅に過ぎない。
 
「真我を生きよう!」と決断して、初めてそれが起こる。
 
しかし、まだ真我を生きていないなら…
 
とりあえず、「瞑想会に出てみよう」と「決断」したらどうだろう?
 
「止めてくれるな、おっ母さん!」
 
「真我が俺を呼んでいる( ̄Д ̄;;」
 
「きめた〜、きめた〜、真我とみちづれに〜♪」
 
 
PS: 下記の通り、イベントがあります。
 
    私が責任を取って楽しくリードしますので、よろしく(* ̄0 ̄)ノ
 
 
瞑想トランスミッション at 新宿(6月)
 
日程:6月26日(木)/27日(金)
 
場所:新宿文化センター・和会議室
 
 
 同じ場所で、ナイトイベントもあります。
 
日 時:6月27日(金) 19:00〜21:15
 
 
 

責任を取る

2014年6月5日(木) by キヨタカ

 東海地方は梅雨入りとなり、今日は雨。

雨は嫌いじゃないけど、ウィンドサーフィンが出来ないのが残念。

ところで先日海へ行ったら、ウィンド仲間で年配のFさんが私に話しかけてきた。

Fさん:「天野さん、俺は決めたんだよ、悪いのは俺だってネ!」

キヨタカ:「え! どういう事ですか?」

Fさん:「今まで何かあると、女房が悪いとか、息子が悪いとか、人のせいにばっかりしてたんだけどさ、俺はそれをやめたんだよ。」

そう言いながら、ニッコリ微笑むFさんの笑顔が素敵だった(*^-^)

 

「自分が悪い」、とは言っても…

私が子供の時に流行ったセリフとは違う。

「 いいから、いいから、放っといて。

空があんなに青いのも 電信柱が高いのも

 郵便ポストが赤いのも みんなあたしが悪いのよ!」
 
これは単なるイジケであり、「私のせいじゃない!」という本音が隠れている。
 
 
さらに「自分が悪い」、とは言っても…
 
「自責の念に駆られる」というのでもない。
 
「自分に起こった状況は、全て自分の責任として主体的に受け止める」というものだ。
 
キリストは、「右の頬を打たれたら、左の頬を差しだしなさい」と教えた。
 
学生時代には、
 
「何ともと軟弱で理不尽な教えだ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~」
と思っていた。
 
ところがずっと後から知ったのだが、これは禅で言う「随所に主となる」という意味らしい。
つまり、主体性をもって真実の自己として行動し、どんな状況が起こっても逃げずに応答する事。
 
「右の頬を打たれた」だけなら、単なる被害者だ。
 
しかしさらに、積極的に左の頬を差しだす事で、その状況の主体者となれる。
 
 
「あらゆる状況で責任を取る」生き方は潔い。
250pxyamaoka_tessyu 
「男の美学」だ。
 
日本の武士道精神とかにも、こうした美しさがあった。
 
山岡鉄舟の様な武士道精神を体現した人物は、今では絶滅してしまったと言われている。
 
しかし、本当にそうだろうか?
 
それまでごく普通のおじさんに見えたFさんが…なんだか突然に格好良く見えて、眩しい威厳すら感じた。
 
 
実は日本人の中に、今でも美しき「サムライ魂」が眠っているのかも。
 
今のところ、西洋流の物質文明に完全に凌駕されている。
 
私だって、遊びは西洋人の発明したウィンドサーフィンだし…
 
「私が在る」と言うよりも、「I AM」と言う方がしっくりくる(^-^;
 
しかし「随所に主」となれば、西も東も関係ない。
 
いよいよ、真の日本人の魂が復活する時来たれり!
 
Fさんとのなにげない会話の中で、その兆しを感じた。
 
 
P.S 女性の場合、「男の美学」はそのまま通用しない。
 
だから、右の頬を打たれたのは男だったに違いない。
女性の場合は、別の応答の仕方がある。
 
もし女性が打たれたら、キリストは別の言い方をしただろう。
 
「右の頬を打たれたら、ちゃんと被害届をだしなさい」
 
とか…( ̄Д ̄;;
 
 
PS 2: 下記の通り、イベントがあります。
 
    私が責任を取って楽しくリードしますので、よろしく(* ̄0 ̄)ノ
 
 
瞑想トランスミッション at 新宿(6月)
 
日程:6月26日(木)/27日(金)
 
場所:新宿文化センター・和会議室
 
 
 同じ場所で、ナイトイベントもあります。
 
日 時:6月27日(金) 19:00〜21:15
 
 
 

瞑想トランスミッション

2014年6月4日(水) by キヨタカ

Img_0630

 テレビで池上 彰さんの解説番組を時々見るけど、実にわかりやすい。
 
「相手の立場」を考えて 相手が理解しやすい話し方をする。
 
難しい政治や経済も…
 
「アッ、なる程、そういう事ね( ̄ー+ ̄)」
 
と合点が行くので、なんだか頭が良くなった気分♪
 
あのレベルの解説に至までに、いろいろと苦心されたそうだ。
 
池上さんの『わかりやすく<伝える>技術』を読むと、大いに参考になる。
 
 
私の場合、伝えたい事があると熱が入り、つい早口になる。
 
相手の理解を待ちきれず…しかも栃木弁だし(^-^;
 
猛省することしきりだ。
 
本やブログでも、本当に理解した人の文章は、解りやすいものだ。
 
特にこうした日誌の場合、様々な方々が読者として想定される。
 
出来るだけ平易…じゃなくて、わかりやすい言葉で書く事を心がけたい。
 
 
が、しかし〜にも関わらず
 
言葉で伝えきれない真実、というものは多々ある。
 
例えば、コーヒーの味、モーツアルトの音楽の美しさ、富士見荘(私の家)からの富士山の眺め、海の香り、ウィンドサーフィンの楽しさ等々。
 
そもそも五感や体験に属するものは、実際にダイレクトにそれを味わってもらない限り、本当には伝わらない。
 
ましてや「五感」に属さないものは、言葉で説明するほど、「誤解」となる。
 
私が在る(I AM)とは、「言葉」にも「五感」にも先立って存在する、ダイレクトな認識だ。
 
言葉で説明する事は、始めから不可能な領域なのだ。
 
 
じゃ、どうすればいいの?
 
というご要望にお答えして
 
瞑想トランスミッションという個人セッションを…
 
下記の通り、オープン(o^-^o)します!
 
瞑想の真髄を、ダイレクトに伝える事を主眼としています。
 
もちろん、言葉での解説も<解りやすく・丁寧に・ゆっくりと>行います。
 
大変恐縮ですが…
 
栃木訛の矯正は英語よりも難しいので、そのまんまです(ノд・。)
 
瞑想トランスミッション at 新宿(6月)
 
日程:6月26日(木)/27日(金)
 
場所:新宿文化センター・和会議室
 
 
 同じ場所で、ナイトイベントもあります。
 
日 時:6月27日(金) 19:00〜21:15
 
 

宇宙カレンダー

2014年6月3日(火) by キヨタカ  

 還暦の『還』 を辞書で引いてみると…

1 元の場所・状態に戻る。かえる。
 
2 元の持ち主に戻す。かえす。
 
浄土系の仏教では、往相(おうそう)・還相(げんそう)という概念が重要だと言う。
 
往相とは、「あちら」つまり浄土へいくこと。
 
還相とは、「こちら」つまり現実社会へかえること。
 
 21歳で探求を始めてから、ずっと「往相」に関心があった。
 
還暦を境に、ようやく「還相」に関心が向かいつつある。
 
 
真実を生きようとする人々の中には、「あちら」にウェートのある人と「こちら」にウェートがある人がいる。
 
その魂の質によるから、どちらが良いという訳でははい。
 
ラマナ・マハルシなんかは典型的な「あちら」側だ。
 
なにしろ、フンドシ一本で事足りるのだから…
 
その一方で、世界人類平和とか天命とかを熱く語る人々は、間違いなく「こちら」に関心が高い。
 
私の場合はというと、
 
「あちら」側に主な関心があった
 
〜にも関わらず、
 
「こちら」側にも並々ならぬ関心を抱き続けた。
 
だからどっちつかずで、長い長が〜い時間がかかってしまった。
 
 
山に籠ると、海で解放されたいと願い、
 
海で遊ぶと、山で修行せねばと焦るだれかさんみだいだ。
 
私の事だけど…(^-^;
 
 
しかし永遠からすれば、それはほんの一瞬のまたたき。
 
宇宙の歴史は約150億年。
 
カール・セーガン博士は、それを1年に短縮して「宇宙カレンダー」を作った。
 
ビッグバンが1月1日の最初の一秒とすると…
 
銀河系ができるのが5月
 
地球が出来るのは9月半ば
 
人類の歴史は、宇宙の歴史の最期の10秒
 
過去500年の人類の歴史は、最期の1秒
 
つまり100年生きても、宇宙的スケールからすると0.2秒という事になる。
 
「どうでも良い事」でこの一瞬を無駄にするのは、そろそろ終わりにしたい。
 
願わくば、この一瞬の輝きを「こちら」側で全うしますようにflair
 
 
ところで、この一瞬の輝きを味わう機会があります。
 
それが、スペシャル・ナイトイベント!
 
日 時:6月27日(金) 19:00〜21:15
 
場 所:新宿文化センター4F・和会議室
 
 
「新宿文化センター」で、一瞬の輝きを全うしましょう!
 

還暦

2014年6月2日(月) by キヨタカ

6月26日は私の60回目の誕生日。

いよいよ、『還暦』の大台だ!

「本当かな〜?」

自分でも信じられないけれども…

確かに鏡を見れば少年の面影はない。

道元禅師の言う通り( ̄Д ̄;;

紅顔いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし

(少年の日の若さにあふれたあの顔は、どこへいってしまったのでしょう。探し求めようとしても、あとかたもありません)

 

しかし、目をつぶって自分を感じると、いつでもどこでもそのまんま。

「私が在る(I AM)」という実存には全く変化がない。

むしろ、子供時代の無邪気な喜びとか感動が最近どんどんと蘇って来ている。

 

学生時代に坐禅に励んだ頃は、「悟りを開く」事が人生最大の欲求だった。

マズローの自己実現欲求のその先にある「自己超越」を目指して、恋愛も旅行もしないで頑張ったのだが…

どうやら、悟りの開き方が間違っていたようだ。

 

窓が閉まっていたら、開く事が出来る。

しかし既に開いている窓を、さらに開く事はお釈迦様でも不可能だ。

既に窓は開いているのだから、素直に窓の景色を眺めれば良かった。

そうすれば、「花は紅、柳は緑」、あるがままで美しい世界が既に成就している。

還暦でも青年でも子供でも幼児でも、いつでもそれは開いたままなのだろう。

 

ところで、還暦記念のイベントを企画しました。

日 時:6月27日(金) 19:00〜21:15
 
場 所:新宿文化センター4F・和会議室
 
 

スペシャル・ナイトイベント

2014年6月1日(日) by キヨタカ

 私がインドのOSHOコミューンに長期滞在(2年半)していた頃、息抜きにゴアの海へよく出かけた。
 
夜行バスで直行だが、12時間くらいかかる。Src_10026608
 
埃まみれの悪路に揺られて、殆ど眠れないまま夜が明け始めるのだが、到着する気配は全くない。
 
「もしかして乗るバスを間違ったかな〜?」
 
などと、あらぬ心配をするのだが…
 
いつの間にか、少しずつ車窓の風景がそれっぽく変化して行き…
 
やがて、ほのかに海の香りが漂ってくるのだ。
 
「あっ、もうすぐ海に到着だな!」
 
そう思うと、長旅の疲れも吹き飛ぶ。
 
海岸で自由気ままに遊ぶ姿を思い浮かべて、最高にワクワクする瞬間だ。
 
実際に海に到着すると、暇を持て余して退屈してしまったりして…
 
だから、海の香りが漂ってくるあの時が今でも最高の思い出となっている。
 
 
ところでOSHOの名前の由来は、日本の和尚とは関係ない。
 
「Ocean(海)であり、光明意識の象徴である」
 
と本人は語っている。
 
自己本来の広大な意識を味わうと、Oceanという響きが意味するものが良くわかる。
 
私が最初にこのOceanの一瞥を味わったのは、21歳の春だった。
 
あれから39年の歳月が経ち、最近ようやく海の香りが漂うようになった。
 
「あそこが海だ!」
 
と、確信が持てる。
 
 
日誌でよく紹介する通り、「私が在る(I AM)」とは旧約聖書のモーゼの逸話に由来する。
 
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羊飼いだったモーゼは、シナイ山で神(I AM TAHT I AM)の啓示を受ける。
 
「エジプトに帰り、イスラエルの民を救え。そして、約束の地カナンに連れて行くように」
 
約束通りにエジプト脱出を果たしたモーゼは、これまた約束通りに約束の地カナンにイスラエルの民を連れて行く。
 
 
しかし、 カナンの地に到着するまで40年間荒野を彷徨ったと言う。
 
しかも、約束の地を指し示しただけ。
 
自分はとうとう入れなかった。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
しかし地図を見れば一目瞭然だが、カイロ→エルサレム間はプネー→ゴア間とほぼ同じ。
 
バスなら半日、徒歩なら砂漠だって一週間くらいで充分到達出来るのではないか?
 
40年も彷徨った理由はなぜ?
 
最近、「モーゼの逸話はスピリチュアル探求のメターファだ」という話しを聞いて、俄然納得した。
 
つまり、「約束の地、乳と蜜の流れる地、どの地よりも麗しい地 」 カナンとは、「自己の本性」の象徴なのだ。
 
神の啓示を受けてから、40年後にようやく「自己の本性」近くにたどり着いたのである。
 
* * *
 
話しが長くなってしまいましたが…
 
21歳で探求を始めてから、39年目です。
 
ちょっと時間がかかり過ぎですが…
 
モーゼですら40年間彷徨ったと言うから、ま〜良しとしましょう。
 
私の場合は、魔法の杖がなかったし…(ρ_;)
 
でも最近ようやく、確信を持って「約束の地」を指し示す事が出来る様になりました。
 
「あそこが海だ!」、とね(*゚▽゚)ノ
 
そこで、久しぶりにスペシャル・ナイトイベントを企画しました。
 
日 時:6月27日(金) 19:00〜21:15
 
場 所:新宿文化センター4F・和会議室
 
 
それでは、「約束の地」…ではなく、「新宿文化センター」でお会いしましょう!!

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