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自我と真我の狭間

2014年7月13日(日) by キヨタカ

 昨日は、「Let it go/ありのままに」の歌詞をネタに、禅の「あるがまま」そして道教や神道、キリスト教の真髄に言及した。
 
しかし、あの歌はそこまでは言及していない。
 
自分に秘められていた力を隠すためずっと城に閉じこもり、いい子を演じていた姉のエルサが、ついに自分の力を抑えきれなくなり吹っ切れた感情を爆発!!
 
人の迷惑を顧みず、自分の衝動を優先する事を堂々と宣言した歌である。
 
 
実際に、王女としての地位を放り出し王国は凍り付き、崩壊の危機に陥った。
 
性悪説の論者が危惧しているように、
 
「ありのまま」では、社会が乱れて世も末だ\(*`∧´)/
 
との指摘は一見すると正しく思える。
 
だから、自我ではなく真我を目指して瞑想し、神に祈って惟神(かんながら)…
 
御心のままに生きようとする。
 
すると自己の能力は封印されたたまま…人畜無害の去勢された信者達が量産される事になる。
 
 
自我から真我へ、一気にジャンプする事は難しい。
 
自我と真我の狭間に、意識変容の鍵がある。
 
それまで押さえつけられていた「抑圧された自我の解放」というプロセスが必要だ。
 
去勢された人々に、覚醒へのエネルギーはない。
 
抑圧された自我を解放しエネルギーを取り戻す事で、初めて真我へジャンプ出来

Unknown

る。
 
OSHOは「反逆」という言葉を用いて、既成の社会体制から自由になる事を奨励した。
 
どちらかと言うと「人畜無害」だった私は、OSHOの過激な言葉に魅了されて、反逆の道を選んだ。
 
当時はまだ社会的枠組みも厳しく「〜すべき」という価値観が強かった。
 
だから、「反逆」には相応の代償を支払う必要があった・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
 
 
今の時代は、社会的枠組み自体が崩壊しつつあり、価値観もめまぐるしく変化する。
 
性悪説の論拠たる、善悪の基準すら曖昧だ。
 
「反逆」以前に、幸か不幸か既に「社会が乱れて世も末」になっているではないか!
 
意識の覚醒にとって、これほど有り難い時代はない。
 
だから、「自我の解放」が驚くべき早さで進むだろう。
 
「真我意識が世界を覆う日ももうすぐだな〜」と、
 
「Let it go/ありのままに」の歌を聞くたびに思う。

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コメント

前略、、、、。

 昨年、亡くなったNYの反逆ロック歌手(詩人)≪ルー・リード≫

 名曲『WALK ON THE WILDSIDE』

 「♪~she says, "hey babe take a walk on the wildside",,,,,,,,,,」

 大好きです((>~<))。外道から本道に移行中ですが、屁タレで反対側のワイルドサイドは突き抜けられなかった(笑)

 どちらにしても、突き抜けなければならない道を選んでしまったので、、、、、。

               《覚悟》ですね!どの道でも命が懸っているのだし^^

       yasuより

                                                草々

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