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ペットボトルvs泉/Oさんの感想

2014年7月25日(金) BY キヨタカ

 子供の頃、「水は無料」が常識だった。

「外国に行くと水が瓶に入って売られるんだ」

という話しを聞いて、どうしても信じられなかったのだが…

最近は、「ペットボトルの水しか飲まない」という人も結構いるというから、驚くばかり。

 

エゴというのは、水入りのペットボトルに似ている。

120402_2 他人に与えると減ってしまう。

だから、なるべく他人から取り入れようとする。

しかも、奇麗な水だけを受け入れる。

汚れた水だと、自分のボトルの水も汚れてしまうから…

だから汚れた水にノーと言い、奇麗な水だけをたくさん取り入れた人が、成功者としてもてはやされる。

一升瓶やドラム缶くらいに増やした人もいる。

 

しかし例えドラム缶ぐらいに増えても、ペットボトルというゲシュタルト(存在の形)は変化しない。

Img_0_2

真実の愛に目覚めた人は、こんこんと湧き出る泉の様だ。

与えても与えても、涸れる事はない。

汚れた水がやって来ても、源泉で洗い清める事が出来る。

さらに、与えれば与える程、水量も増える。

井戸の場合、定期的に汲み上げないと、涸れてしまうそうだ。

その事を、キリストは次の様に語っている。

おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられるであろう。(マタイ13-12)

 
だから多少なりとも源泉と繋がった人は、その水を自分のペットボトルに取り入れるのではなく、他の人にわかち合い始めた方が成長が早い。
 
分かち合う事で、源泉はどんどん増加して行く。
 
そうすれば、例えペットボトルを取り上げられても平気だから、自分を防御する必要もない。
 
リーラスペースでは、スタッフの数が多い。
(以前、参加者が少なくてスタッフの方が多かった事も…(;д;))
 
スタッフは、「分かち合う事」を意図してリトリートに参加してもらっている。
 
そうする事で、参加者のみならず本人も源泉とのつながりがより確固たるものになるからだ。
 
Oさんも、その一人。
 
自分のブログに、今回の体験を書いてくれた。
 
せっかくなので、転載させて頂きます。
 
Oさん、毎回参加してくれて有り難う♡

 
* * Oさんの感想 * *

20日21日とリーラスペースのリトリートに参加していました。
 
今年に入ってからスタッフとして参加いていますが、今回も素晴らしい恩寵と共にその場でただあることができました。
 
前々回、前回とリーラスペースの環境整備から参加していましたが、今回は仕事の都合で環境整備は参加できず、リトリートが始まる数時間前にリーラスペースに到着しました。
 
到着して間もなくスタッフで場を調えるために瞑想をするのですが、それに参加しました。
 
スタッフだけで行う瞑想は、いつも非常に深い濃密な場が形成され、ハートの沈黙のスペースを感じるのですが、今回は今までと違うハートの次元を感じていました。
 
それは言葉で正確に表現できませんが、今までよりも更に高次元のハートのスペースに至っているようでした。 
 
それは私自身の変化もあるでしょうし、リーラスペース自体も新たな段階へシフトしていっているような気がしました。 
 
今回はリーラスペースのリトリートに初めて参加された方が多かったですが、全員があまり苦痛もなく座っているのに感心しました。 
 
今回のリトリートでは、比較的何もせずただその場にあるという時間が多く、それは初心者の人にはかえって難しく、厳しいものですが、参加されている方々は皆さん淡々と座っていました。
 
以前なら体がしんどいとか、意識の浄化が起こって苦しいなどという人がいましたが、苦痛を訴える人もいませんでした。
 
瞑想の場により一層恩寵が降りてきていたからかもしれません。
 
 
私自身は現在浄化の時期で、色々と覆い隠していたものがあらわになってきており、瞑想中もかなり思考や感情が出てきました。
 
思考や感情が後から後から湧いてくるのには慣れているので、それで瞑想ができなくなることはなく、ただそれはそれとして眺めているようにしていました。
 
時々巻き込まれることもありましたが、気づきが生じるとそこから離れ、また別の思考や感情が湧き出てくることを繰り返していました。
 
湧いてくるものも封印していた記憶や、幼いころのものが多く、かなり深い領域の浄化が起きているという感じがしました。
 
深いレベルの浄化時には、子供のころや本当に幼いころの記憶が蘇るものです。
 
それは苦痛も伴うこともありますが、そこに巻き込まれないようにしていると、やがてそれは去っていきます。
 
しかし、ただやり過ごすだけではどうにもならない感情などもあり、それは感じ切って出し切るというのが有効なこともあります。
 
リーラスペースではOSHOの瞑想テクニックも行っていますが、OSHOの瞑想テクニックには感情を感じ切り、吐き出していくものが多くあります。
 
今回は浄化の瞑想テクニックをいくつか行いましたが、いつも以上に感情を感じ切り、思い切り吐き出しました。
 
私は静かに座っているのが好きですが、アクティブな瞑想も好きであり、今回はカタルシスの時間では、思い切り叫び、動き、慟哭しました。そうするとかなり意識がクリアになり、エネルギーも充実していました。
 
現代人は相当自分の感情を押し殺しており、それによって身体や精神を病んだり、個人的な問題だけでなく、社会的な問題にまでなっています。
 
アクティブな瞑想は今ははやらないかもしれませんが、現在でもやはり有効であり、失くしてしまってはいけないと思います。 
 
アクティブな瞑想以外は、最初の方にも書きましたが、静かにただあるという時間が多く、それがとても心地よかったです。 
 
 
普通は何かをして喜びを得るものですが、何もせずただあるという喜びは、それに勝るとも劣らないものです。 
 
そのことを改めて実感しました。
 
それはそれとしてやはりいつもより雑念が多く、内側だけに意識を向けているとなかなかマインドが静まらなかったので、内側と外側という区分をやめて、全体的に意識を向けるようにしました。 
 
また自分自身が瞑想で得た恩恵を周りに還元すると思念したところ、マインドが静まっていき、周りへのシェアも起こっているという実感がありました。
 
 
今の私は自分自身の瞑想だけでなく、それをシェアしていくということが必要なようです。
 
それも大勢の人にというのではなく、少ない人数でもI AMやフーマンの言う「これ」をシェアしていくのだなと感じました。 
 
以前はこういった集中的なリトリートに参加すると、その時はものすごく意識がクリアになり、エネルギッシュになるのですが、日常に戻るとそれを忘れてしまっていましたが、
近頃はリトリートに参加して、それが一過性のものではなく、持続してきているようです。 
 
それはハートにまで至るとそうなるようで、気づきとくつろぎだけは限界があります。 
しかし、気づきやくつろぎのないハートは、とんでもない世界へ繋がってしまうことになり、これらをトータルに行っていくリーラスペースのリトリートは非常にバランスが取れていると思います。 
 
次回は9月の13日と14日に開催される予定のようです。私はまたスタッフとして参加する予定です。 
 
次回のリトリートも素晴らしい恩寵を共有するものとなるでしょう。

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コメント

前略、、、、part 2

タイムリ~ヒット!リンク(?!)しました~。まさに”清濁併せ呑む”引っ越しでした、、、、、
 友人の死からの生還、一時的な別居(愛のある^^)。目覚めた英知と的外れの古き傲慢さのミックスによる過度期で、ジェットコ~スタ=状態≪;*。*;≫

 分かち合いはあったが、まだまだ私はペットボトルに入れてしまう事がシバシバ^^;
ガンジー式「ノーガード戦法」とはイカズ、心の戦いは”深く静かに潜航せり”(とほほ)

 友人は「断捨離」中でモノホンのお引越し(エクソダス)!私は「ホ・オポノポノ」情報をシェア、、、、

 今後、お互いがスピリチュアル・エゴの罠にハマらない様に見守るだけなのだろうか?!もっと誤解が無いように言葉でも知識でも伝えてあげれたらな~と思った!自分の為にも(忍忍)
            yasuより
                                               草々

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